「さっきはごめんね」
「いや、気にしなくて大丈夫だ、友人に命の危険があったら不安になる気持ちも理解できるし、泣きたくなることもあるさ」
唯の謝罪に千沙は笑顔で受け止めたがその言葉に唯は曖昧に笑って返すだけにした。
「それにしても先ほどは何だったんだろうな?ダイナマイトなど、危険にもほどがある…しかし、そういうお年頃というやつなのだろう、私たちの年代は丁度思春期真っ盛りだし、最近の若者はキレやすいともいうからな」
「あはは、それは…どうなんだろう」
「唯も気を付けるんだぞ?もしも不良ぶっているやつに出くわしたらすぐに周りの大人か私に助けを求めるんだ、一人で何でも解決しようとして解決できるのは漫画の中だけなのだからな」
「うん、ありがとう」
学校でのこともあって千沙がやたらと心配してくれているようなのは嬉しい唯だが、先ほどから微妙に見当違いな励ましなので唯は曖昧に笑うしかないのだ。
唯の様子に不満そうにしながらもすでにお互いの自宅の前に来てしまったので千沙は唯の家の門を開けてあげた。
唯は門の中に入って振り返り、千沙の溌溂とした笑顔を見る。
千沙はうまく隠しているかもしれないが保育園からの付き合いである唯にはその表情に心配の色がありありと見える。
溌溂とした笑顔のはずなのになんてちぐはぐ、それが少しおかしくて唯はクスクス笑う。
「な、なんだ?」
「いや、千沙って本当に心配性だよね、昔から」
「そりゃ、大切な幼馴染が大泣きしたんだ、心配しないわけがないだろう?」
「そっか…そうだね、ありがとう心配してくれて」
唯が笑顔でお礼を言うとまっすぐすぎるお礼に照れた千沙は顔を赤くして目をそらし「うん」と返事をするだけだった。
「それじゃあ、また明日ね」
「ああ、また明日!」
唯が家に入るのを見送った千沙はその隣にある自宅に入る。
唯はこっそり玄関の扉を開けて千沙が自宅に入るのを見送ると改めて扉を閉めて、ため息をつく。
あの時爆発して涙と声に乗って出てきた感情の名前を唯はまだ理解していないが、でもきっとそれは唯のこれから最も大切な何かなのだということは、なんとなく理解していて、けれど感情のすべてを理解していないうちは幼馴染の千沙といえども相談するわけにはいかないと唯は判断したのだ。
モヤモヤとした気分で自室に入るとそこにはノートパソコンに向かうヴェルデの姿。
ヴェルデは唯に視線を向けることなくただ「おかえり」とだけ言う。
その瞬間、唯は今まで悩んでいたモヤモヤのほぼ全てが吹き飛ぶような感覚を覚える。
(そうだ、先生、ずっと)
ヴェルデが自分のことを観察しているとの内容だった朝のメールを今になって思い出した唯は顔を青くしてから恥ずかしさで赤くする。
「青くなったり赤くなったり、君はまるでリトマス試験紙みたいだね、まぁ、いいや」
ヴェルデはそこでようやくパソコンから顔をあげて唯を見る。
「今日はお疲れ様、明日も観察をさせてもらうと同時に実験を始めるからそのつもりでよろしく頼むよ」
それだけ言うとまたパソコンに何やら打ち込み始めるヴェルデに唯は恐る恐る声をかける。
「あの…今日のこと、全部、見ていたんですか?」
「沢田綱吉のやつのことか?ああ、見ていたとも、実にくだらないやり取りだったが、あれはあれで教育としては成立しているのだろう、リボーンのやり方は回りくどくて嫌いだがね」
嫌味をいちいち入れなくては駄目だったのかと唯は一瞬考えたがすぐにその言葉の中にあったリボーンという名前の人物が綱吉の傍にいた、あの赤ん坊のことだと理解して唯は慌てて口を開く。
「え、じゃあ、あの」
「いちいち言葉を区切らなければ喋れないのかい?」
「それは…違います」
「ならどもるのはやめたまえ、聞いていてイライラしてくる」
ため息をつくヴェルデに唯はしばらく何か言葉を出そうとして「あ」とか「その」などの言葉を声には出さずに口だけ動かし、やがて慎重な声で「はい」とだけ言った。
「分かればいい、リボーンのことは認めたくないが同族のようなものだ、昔からの知り合いと言えば理解できるかな?」
「なるほど!」
「ほかに質問は?」
「綱吉にも家庭教師がいるんですか?」
「彼は未来のボンゴレボスだが君と同様に元々一般人として育てられていたから、家庭教師がつくのは当然のことだろう?」
声に出さず「なるほど」と口を動かす唯にヴェルデは呆れたような視線を送り、唯はその視線から逃げるように目をそらす。
「そうだった、明日からの実験のためにお前にはこれを飲んでもらう」
ヴェルデはそういうと、ポケットから小瓶を一つ取り出して唯に渡す。
受け取った唯は小瓶の中に青い液体が入っているのをまじまじと見た。
「綺麗ですね」
ヴェルデは唯の方を見る。
綺麗だと言った唯はキラキラとした目で小瓶の中の液体を眺めている。
それを後ろから初代も見ていたが、初代にはただの青い液体のようにしか見えない。
ヴェルデも初代と同じ感想しか持てず、首を傾げていると唯は液体を眺める目と同じ輝きを持ったままの目でヴェルデを見てのんびり笑った。
「まるで大空みたいです」
ヴェルデと初代は目を見開き、初代はすぐに優しく笑ったがヴェルデはパソコンに視線を戻してから、説明をした。
「詳しい物質名などを説明しても君には理解できないだろうから簡単に説明するが、それは君の中に眠る戦闘能力を増幅させるものだ」
説明を聞いた唯は思わずヴェルデの方を見る。
それからまた手元にある小瓶を見る、正確にはその中にある液体を見た。
「それって、ドーピングですか?」
「ドーピングの方がよっぽど優しい、なんせそれは一度死ぬからな」
「え?」
唯は冷や汗をかきながらカタカタ震えてヴェルデを見る、ヴェルデはパソコンから目を離さずに答える。
「その薬品名は死ぬ気水と言って、元々はその薬品と同じ効果を持つ弾丸から、俺が独自に研究を重ねて同様の効果をさらに強化した状態で使用することが可能になったものだ、マウスで実験した時は一度死んだが一応生き返っている、その後とんでもない戦闘力を発揮する」
「それ、人間で試したことは…ないですよね、当然ですよねすみません」
ヴェルデが答えを言う前に察した唯は顔を青くしながら液体を見ていたが、すぐに気づいた。
「まさか、明日からの実験って…」
「察しが良いな、その死ぬ気水を飲んだマウスの戦闘力は確かに急激に高くなったが、同時にもともと穏やかな性格が凶暴に変わってしまっていてな…お前には飲んでも狂暴にならないくらいにまで飲ませてその薬に慣らし、そのうちその液体無しでも飲んだ状態の戦闘力をつけてもらう」
「ひぇ…」
狂暴化したネズミの末路まで想像した唯は自分も場合によってはその結末を辿るのかもしれないと予想し青ざめた顔をさらに青くし、もはや青白い。
そもそもこの死ぬ気水は人間では実験されていないということは場合によっては死んで、そのまま生き返らない場合もあるということだ。
いわばこの液体は毒だ。
「安心しろ、飲んだネズミは苦しまずに一回死んでいた、俺の見立てが正しければ苦しむことはないだろう」
ゴクリと唯は唾をのむ。
苦しまないとは言っても結局一回は死を経験するわけで。
いや、一回どころかこれから先何度も飲むらしいので
死。
幼い頃はその漠然としたものに対して恐怖し夜は母親に抱き着いた経験がある。
(これを飲んだら死ぬ・・・いや、死なないんだよ、死んでもう一回生き返るからノーカン、ノーカン)
自分に大丈夫だと言い聞かせても手が震えだす、足も震え、全身がまるでけいれんを起こしたかのように震える。
歯をカチカチならして、けれど唾をまた飲み込むと一緒に震えも止めた唯はヴェルデに声をかける。
「今、飲むんですよね?」
「…ああ、飲め」
ジッとヴェルデに監視されては逃げ道もない。
そもそもヴェルデに対して口で勝負しても無駄だ、恐らくだがヴェルデはかなり頭が良い、それに対して唯の頭は若さ故にひらめき力はあっても知識とかボキャブラリーとかそういった類の物には乏しい普通の中学生女子だ。
勝てるわけがない。
小瓶の栓を抜き、小瓶を持っていない方の手を腰に当てる。
一回深呼吸をして、唯は勢いよく死ぬ気水を飲もうとした時だった。
「そうだ、飲むときは何かやりたいことを思い浮かべるんだぞ」
「っ!?」
既に飲み込んでしまった唯はヴェルデの言葉にせき込みそうになりなんとか耐えるが、すぐに体の異変に気付いた。
全身の力が抜けていく。
意識もおぼろげになり、瞬時に自分の死を悟る。
(やりたいこと!?やりたいことって?なんでもいいの!?えっと、やりたいこと、やりたいことは)
必死に頭を働かそうとしてもどんどんその機能を停止されてしまいうまく考えがまとまらない。
ただ無意味に思考が巡るのみ。
(ああ、駄目だ、死ぬんだ、やりたいことってやり残したこととかやりたかったことでもよかったのかな…?)
自分の体が床に倒れたのが分かる、衝撃は鈍く伝わったが意識をはっきりさせてはくれないほどに痛みというのが無意味になる。
ついに意識が途切れそうになり、唯が最後に頭に思い浮かべた映像は大切な家族や幼馴染の千沙でも特別な友達である綱吉のことでもなかった。
印象に残るは緑色、その次は眼鏡と小さい体、それから。
何でもないように当たり前のように言われた「おかえり」の声。
(そういえば…ただいまって、言い忘れていたな…)
そんな平凡な未練を残して、唯の心臓は機能を停止した。
初代はじっと唯を眺め、ヴェルデも唯の様子を観察する。
マウスで実験をしたときは一分程度で生き返り、元気に狂暴化していたが、唯が死んで一分が経過している。
ヴェルデは目を伏せて実験の失敗を予想した。
(まぁ、万が一があっても事故だということは可能だ、ボンゴレを敵に回す可能性があるが…なんとかなるだろう)
今後の自身の生存方法を考えているとふと、唯の傍に落ちている小瓶が目に入る。
【まるで大空みたいです】
そう言って唯がのんびりと笑ったのをヴェルデは思い出す。
小瓶の中身は毒だというのに、あの少女はそれをまるで宝物でも見るかのようにキラキラした目で綺麗と言った挙句に大空のように澄んだ青だと評価したのだ。
しかし、ヴェルデは考える。
唯の言葉は的を射てはいた、一応。
この毒物を飲まないという選択肢も一応用意はされていた、その場合は何かと理由をつけてヴェルデは唯にはボスの器がないと判断したと言ってさっさと報酬を貰ってこんな平凡な少女になど別れを告げるつもりだった。
これは所謂ヴェルデが唯に与えた最初の試験だった。
組織のボスとして自ら危険に飛び込む勇気があるのかどうかを見極める試験。
飲まなければ不合格。
けれど、唯は飲んだ。
大空のように綺麗な青い液体を怯えながらも飲んだ。
ならば、この試験は…。
その時、唯の手が少し動いた気がして唯の観察に意識が戻る。
「ん…」
ゆっくりと唯の目が開く。
その眼は、緑色をしていて、先ほどの唯の目の色と違うことを頭に刻み込んだヴェルデはその後の現象に思わず「おお」と声を出した。
唯の額の部分に緑色の炎が灯り、同時にその炎がまるで電気を帯びているかのようにパチパチと音を立てその部分のみで弾けだす。
唯は起き上がるとしばらくボーっとしていたが、ヴェルデの顔を見るとまるで花が咲き誇ったような笑顔を見せた。
その様子にヴェルデは驚き、思わず立ち上がって後ずさる。
「せんせー」
舌ったらずにヴェルデを呼んだ唯はコテンと首を傾げて笑い続ける。
ヴェルデはいつ攻撃されてもいいように逃げの構えをとり、唯の行動に注目していた。
しかし、唯はまるで酔っ払いのようにユラユラと上体を揺らし、時々ヴェルデを見てはふにゃりと上機嫌に笑うのみ。
(まるで赤ん坊だな…俺が言うと冗談にしか聞こえないが)
赤ん坊の見た目をしているヴェルデがそう考えていると唯はゆっくりと口を開いた。
「せんせー」
また名前を言うだけでそれ以上の言葉は出てこなかったが、これはヴェルデからの返事を待っているのかもしれない。
そう思い立ったヴェルデだったが、うすら寒い気持ちになり返事をせずに唯の観察をしていたが、その場から動く気配のない唯にヴェルデは勝手に実験をしてみることにした。
適当に持ってきていたヴェルデの片手に収まらない程度の大きさの石を思い切り唯に投げる。
すると唯は向かってくる石を不思議そうに見ていたが反射神経が働いたのかヴェルデでも見えない速度で右手を顔の前にて広げると石をキャッチしてそのまま右手の握力のみでひびを入れ、さらに割ってしまった。
バラバラと唯の近くや服に砕けた石の破片が落ちる。
唯は突然石を投げられて理解できないといった表情だが、その中に怒りはないのを見てひとまずヴェルデは安心し、そして実験は成功したことを理解した。
唯の戦闘力、少なくとも筋力は倍以上になっている。
また、右手の動きから俊敏性なども上がっていることが分かりヴェルデは思わず目を輝かせる。
(これは、予想以上だ…!)
しかし当の唯本人はそんなヴェルデの心情など知らず、けれど微妙に喜んでいることを読み取っているのか「せんせーうれしそー」とニコニコしている。
(ならば明日は放課後にこの街を全力で一周させてそのタイムを計るか)
それから…とヴェルデは頭の中で常人ならば鬼畜と思われるようなメニューを思い浮かべてワクワクする。
「せんせー」
その時、ヴェルデの座っていたベッドに腕を乗っけて、その上に頭を乗っけた唯がヴェルデを見上げて呼んだ。
ヴェルデは少し鬱陶しそうにしながら唯に「なんだ」と返事をする。
すると唯はとても嬉しそうに「えへへ」と笑ってから続きを言った。
「せんせー、ただいまー」
「…は?」
唯はそれだけ言うと段々と瞼を閉じて、そのまま眠ってしまった。
取り残されたヴェルデはそのよく回る頭を総回転させても、唯の言葉の意味が理解できずに混乱していた。
しかし、すぐにその意味を思い出す。
(そういえば、言っていなかったな…は?それだけ?)
今日は帰ってきてヴェルデが【おかえり】とはいっても唯が【ただいま】と返すことはなかった。
しかしヴェルデは理解できなかった。
まさか、それを言うためだけに生き返ったのか?と
しかし答えを知っている唯は気持ちよさそうに眠ってしまっていて、さすがに薬のこともあり起こすこともできず、ヴェルデは唯をじっと見ていた。
頭の中で先ほどの言葉を表情が繰り返される。
【せんせー、ただいまー】
まるで幼子が親に言うかのように、嬉しそうに、楽しそうに笑うその姿は中学生女子にしてはとてもちぐはぐで、同時に不思議な気持ちが沸き上がってきていた。
ヴェルデは右手を唯の頭にのせようとし、けれど寸前でやめてパソコンに向かい今後の計画をまとめていく。
初代は最初、そんなヴェルデに眉をひそめていたが、何かに気付いたのかクスクス笑い始めた。
パソコンに向かうヴェルデは素早い動きでパソコンに打ち込んでいが、よく見ればその耳が赤く顔も少し赤くなっているのが分かったからだ。
そんな三人の間をもうすっかり暗くなってしまった外からの冷たい風が吹き抜けたのだった。