吸血鬼と癒やしの少女   作:あさ子

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支部からのお引っ越し第一弾です。
支部に投稿した1章より先までこの章に纏めてあります。


1.出会い

 イングランドの片田舎。

 小さな教会だった。

 いや、村の規模を考えればそれでも立派なものだ。村人たちの信仰心の高さを窺わせる、質素だが綺麗に整備された施設だった。

「天にまします我らの父よ――」

 鈴の鳴るような少女の声が、聖堂に木霊する。

 祭壇に向かって指を組み、跪く小柄な修道女。

 こやつが例の、聖女だろうか。

 祭壇上に着地すると、熱心に十字架を握りしめる彼女に声をかけた。

「敬虔な祈りの声がすると思い来てみれば。そうまでして何を祈る、小娘」

「あなたは、天使……?」

 天使、か。

 その問いかけに思わず笑みが零れる。

 祭壇からふわりと着地すると、我は用件を告げた。

 

「喜べ、忌まわしき神に信仰を捧げた娘よ。貴様は吸血鬼の花嫁に選ばれた」

 

 ――本当のことを言えば。

 最初は、この娘それ自体に、さほどの興味はなかったのだ。

 ただ、聖女とやらを神の手から奪ってやろうと。

 そんなささやかな復讐心で、我はこやつに声をかけたのだった。

 

 

 時は18世紀イギリス。

 我が知る限り、今が一番めまぐるしく世の中が変わっている時代だった。尤も、我が知るイギリスなど数百年程度の話だが。

 都市部では蒸気機関車が走るようになった。機械化した工場からのびる煙突は教会の鐘楼よりも高く、黒い煙は神の国を覆い隠した。

 科学技術は祈りの力を圧倒した。

 盤石のものと思われていた教会の権力が、翳りを見せている。

 そんな時代。

 

 とはいえ、それは都市部だけのものだ。村では何も変わっていない。農村は石炭などとは無縁であり、相変わらず馬が荷を引いているし、糸を紡ぐのはカラカラと回る車輪のような糸巻き機であった。

 ここでは未だ、人々は篤く神を信仰しており、教会の鐘楼は何よりも高い。

 ……それも、時間の問題だろうが。

 やがて技術は世界を覆い尽くし、信仰は過去のものとなるだろう。

 

 神が見せた、最後の抵抗だったのかもしれない。

 寂れた寒村に、“聖女”が現れたのは。

 

 科学技術が如何に発達したとはいえ不治の病は存在し、……そうではなくとも、治る病も治せない貧民など溢れていた。

 そんな折、彼女は現れたのだ。

――手を当てて祈るだけで、病気を治癒するシスターがいる。

 それは次第に、人から人へ、村から村へ。噂として広まっていた。

 イングランドの片田舎。機関車のレールなど敷かれていないこの地へ、相乗りの定期馬車で向かう乗客は、次第に増えていったのだった。

 

 そういった理由で……。

 それなりに多くの者が彼女の元を訪れただろうが、人ならざる来訪者は我が初めてだろう。

 

「立ち去りなさい吸血鬼!」

 我が天使ではなく、その真逆の存在だと知り、修道女は声を張り上げた。

「貴方は人を惑わす魔の類! 神は貴方が光の世に立ち入ることを許しはしません!」

 今し方祈りのために握っていた十字架をこちらに向かって突き出し、威勢良く啖呵を切る。

 中々勇敢な小娘だ。

 我らの間にあるその忌まわしい十字架を、我は無造作に掴んだ。

 途端、良く熱した鉄に肉をくべたように、焼ける音と黒煙が上がる。

「な、何をしてるんですか!」

 火傷を負って爛れる我の手を見て、彼女は目を見開いた。

「吸血鬼が聖なるロザリオを掴むなんて……!」

 その様子は、なんというか、ちぐはぐで。

 我を討ち滅ぼそうと掲げた武器が、これではないのか。

 その武器が思わしい効果を上げているというのに、彼女は焦って十字架を引っ張り、我の手から引き離そうとする。

「離しなさい!」

 焦る様子が滑稽に思えて、我は吹き出した。

「は、はははっ!」

 笑う我の顔を見て、彼女もいよいよ怯えたような表情を見せた。じりじりと音を立てて掌を焦がしながら上機嫌なのだから、その異様に怯むのも仕方あるまい。

「焦げてますよ!?」

「自ら破邪の汚物を突きつけておきながら、誰の身を案じている?」

 小柄な修道女が、吸血鬼の男と二人きり。

 力の差は歴然としている。危害を加えられるかもしれない。

 それでありながら、彼女は吸血鬼の負った些細な傷を案じるのだ。

 いじらしいではないか。

「いた、」

 手を離すどころか、細い腰を抱いてそのまま力任せに引き寄せた。

 

 

 唇が重なる。

 

「……っ!?」

 何が起きたかわからないで、華奢な身体が、薄紅色の唇が硬直した。

「んっ!」

 2秒近く石化した後、離れようと藻掻く。腕を振り回すうちにロザリオが床に落ちたのであろう、高い金属的な音が響いた。

 そんな必死の抵抗も虚しく。

 より一層引き寄せて、口内に侵入する。その行動は全くの予想外だったようで、それは容易なことだった。

「ーーっ!?」

 粘膜同士の隙間から、くぐもった、声にならない悲鳴が上がった。

 

 

「なんてことを……うっぷ」

 そのまま息が続く限界まで、いや、限界をちょっと過ぎるくらいまで味わわれた彼女は、息も絶え絶えにわなわなと肩を震わせていた。

「汚らわしいことを……」

 呼吸を整えた彼女は、ちらりとこちらを見やった。

 今度こそ我を撃退しようと十字架を投げつけてくるだろうか。

 そう予測したのだが。

 彼女の行動は、またしても我を驚かせた。

「……、……手を出してください」

 少々言い淀んで、おずおずと近寄ってくる。

「む?」

「いいですか、大人しくしていてくださいね。何かしたら今度こそ許しませんよ」

 先ほどのように抱き寄せられないか警戒しつつ、修道女は我の手に触れた。

「……!」

 痛みが引いて行く。

「ほう……」

 まじまじと掌を観察した。

 焼け爛れていた皮膚はすでにそこにはなく、我ら特有の白い肌を取り戻している。

「貴様、よもや本当に“聖女”であるとはな」

「よしてください。私は一介のシスターです。それは私の力ではなく、神が貴方に与えられた慈悲の力です」

 聖女という呼び方を拒んだこの娘を、上から下までをまじまじと観察する。

 ほとんど黒に見える、質素な濃紺の修道服。同じ色のヴェール。いずれも仕立ては良いのだろうが、着古されて少々色が褪せている。

 ヴェールから覗くのは、淡い金髪。少しつり上がった大きな瞳は緑色で、彼女の持ち前の色彩が、地味な装いに彩りを添えていた。

「では一介のシスターよ」

「なんです」

「貴様、名は何という」

「……アルトリア、です」

 そう言うと、彼女はきびすを返した。

「もうここへ来てはいけませんよ。ここは神の家です」

 

 そもそも、この娘を暴いて神を冒涜してやろうという腹づもりでここへ来たのだが。

 しかし……もう少し時間をかけても良いかもしれない。

 

 アルトリアという修道女に、我は興味を引かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……また来たのですか、吸血鬼」

 陽も落ちて、掃除や雑事をするのに集まっていた信徒達の姿もなくなる。それを見送って、夕餉を取り、そろそろ聖堂を閉めて寝支度を始めようとしていたときだ。

 夜に教会を訪ねる者。

 鮮やかな金髪に、紅い瞳。

 肌は雪のように白く、透き通るようだ。

「吸血鬼、か。毎夜のことだが、ギルガメッシュと呼べと言っていように」

「私も、もう来ないでくださいって毎晩言ってますけどね」

 行ったことのない都会ではどうか知らないが、この農村部では、そんな華やかな容姿の者はいない。……悔しいことに、彼のことを初めて見たときには天の使いではないかと思った。

 なるほど、魔性の者は、美しい姿形で人々を惑わすのだろう。

「素気ぬ態度であるな、アルトリア。恥じらっているのか?」

「馴れ馴れしく呼ばないでいただきたい」

「これは失礼した。聖女様?」

「う……アルトリアでいいです」

 彼はいつも馴れ馴れしく、私の調子を狂わせた。どう接して良いものか、いつもなんだかきまりが悪いような気持ちにさせられる。

 彼が吸血鬼であるから、というのも勿論あるのだが、それ以上に私に親しい者がいないのが原因だろう。友人のようなやりとりを求められているとしても、それがどのようなものか今一ピンと来ない。いや、吸血鬼の友達になる気もないが。

「……なんだ? 騒がしいな」

 言われて耳をそばだてる。

「別に何の音も……虫の鳴く声くらいではないですか」

「いいや、人の声だ。5、6人か」

「ええ?」

 吸血鬼は聴覚も人間より優れているのだろうか。確かに少しすると、私の耳にも外の喧噪が聞こえてきた。

 人の声と、舗装されていない道を進む、靴と蹄、車輪の音。

 急病人だろう。癒やしの力を求めて誰かが訪れたのだ。

「誰か来たようです。貴方は隠れていて……」

 言いながら振り向いたそこに、すでに彼の姿はない。

 

 聖堂を出て玄関を開けると、夕闇にランタンの明かりが眩しい。

 数人の信徒が先導し、その後ろに馬車がついて来ていた。

 何度も見た光景であり、急病人が村外からはるばる運ばれてきたことを悟る。

 

 

「聖女様、お助けください」

 父親と思しき背の高い男は、ぐったりとした少女を抱えていた。その後ろから荷物を持って付いてくる女性は母親だろう。泣き腫らした赤い目をしている。

「馬車の中ではひどい咳をしていたのですが、今はそれも止んで……」

 説明する父親の方も、今にも泣き出しそうに声が震えていた。

「私がお力になれるかわかりませんが、見せてください」

 駆け寄って、聖堂の長椅子の上に少女を寝かすよう促す。

 都市部から来たのだろうか。7,8歳くらいに見えるが、羊毛のワンピースには野良仕事をしているような汚れはない。

 弱々しく浅い息をする度に喉がひゅうひゅうと音を立てて、胸が上下する。

 その小さな手を取る。

 額にはひどく汗をかいて高熱を窺わせるが、細い指先は冷たかった。

 両手で力ない手を握り、自らの額に当てて、祈る。

 ああ、間に合いますように。

 神よ、神よ。

 まだ彼女をお側にお召しになるのは早すぎます。

 どうか、どうか……。

 

 静寂。

 聖堂には少女の喉が鳴る音と、彼女の母親が静かに泣く、その嗚咽だけが響いていた。

 

 それがどれくらい続いただろう。

 

 

 小さくか細い指が、ぴくりと反応を示す。

 

 呼吸困難を示す不自然な喉の音が止む。

 苦しそうに胸が速く上下していたのが、ゆるやかなものに。

 浅い呼吸は、深い寝息へと変わった。

 白くなっていた頬には、赤みが刺す。

「ああ!」

 両親は駆け寄って彼女を抱きしめた。

 それによって目を開けた少女は、何が起きたのかわからず、未だとろんとした顔つきをしている。

 

 ああ、神よ。

 我々の祈りを聞き届けなさった、寛大な御心に、心からの感謝を。

 私は再び掌を組んで、深く祈りを捧げた。

 

 

 村の中央にある酒屋兼旅籠までの案内を先導してきた信徒に任せて、夫婦と娘を送り出す。すでに日も暮れて、街まで馬車を出せる時間ではない。昔は旅籠に泊まるのは行商人くらいのものだったらしいが、最近はこういった客人も増え、旅籠屋の亭主も慣れたものだ。安心して見送れる。

「ふう……」

 彼らのランタンの明かりが見えなくなると、張り詰めていた気持ちが急速に安堵へと変わった。

 十字架を、再びぎゅっと握る。

「よかった……助けられた……」

 

 誰もいなくなった聖堂に戻ると、そこには当然のようにギルガメッシュが姿を現していた。

「素晴らしい効力だな。あれほどの高熱を出した子供を、後遺症もなく健康に戻すとは」

「……ですから、私ではなく、神の御業……」

 足下がふらつく。

「……おい?」

 頭がガンガンと、鳴るように痛い。

「アルトリア、お前、顔色が」

 目眩が。

 ぐわんぐわんと彼の声が響いて、そのまま。

 私は意識を失った。

 

 

 気がつくと、そこは先ほどまで居た聖堂ではなく、その奥にある自室の、ベッドの上だった。

「起きたか」

 彼はランタンの明かりで読んでいた本をサイドテーブルに置いた。どうやら本棚からいくつか取って、読んだらしい。

 ちらりと内容を見ると、卓上には先の司祭の蔵書である、私には読めないラテン語の本もある。彼にはラテン語が読めるのだろうか。

「先ほどまでよりは顔色も良いな。気分はどうだ」

 言われて自分自身の状態に意識を向ける。胸元のボタンを外し、ブーツは脱がせられて、ベッドに寝かされていた。介抱してくれたのだろう。

「ええと、もう大丈夫です」

 まだ少し身体がだるいが、2、3日で良くなるだろう。

「その力を使った代償か?」

「まあ……そうですね。癒やした病や傷の重さにもよりますが」

「我の火傷を治したときもか」

「あれくらいでしたら、軽い頭痛で済みます」

 彼はそれを聞いて眉をひそめた。

「人が良すぎる。そのうち痛い目を見るぞ」

「でも、目の前の人を助けられるなら、助けたいではないですか」

 それは、当たり前の心の動きではないだろうか。

 困っている人がいるのならば助けたい。

 私にその力があるのなら、尚更のこと。

「あの子は苦しんでいましたし、もしかしたら命が危なかったかも……」

 言って、自分でぞわりとした。

 その危険性は充分にあったのだ。

「……あの子供は、そうだな。肺炎だろうが、高熱と呼吸困難で危険な状態だった。我であれば助けられなかっただろうな。動脈を冷やし、経口補水液を少しでも飲ませるくらいか」

「どうみゃく……? けいこう……? よくわかりませんが、貴方は医療に詳しいのですか」

「我は町で医者をやっている」

「吸血鬼が?」

 そんなことがあり得るんだろうか。いや、他に吸血鬼の知り合いもいないから、よくあることだと言われても反論は出来ないのだが。しかし……吸血鬼が医者だなんて。患者の血を吸って殺してしまっているのではないか。

「なんだその顔は。まあ、血液が手に入りやすいというのも理由の一つではあるが。もちろん健康に問題ない範囲で採血するのみで、死ぬまで血を抜いたりはしないぞ?」

 それなら……セーフだろうか。

「理由の一つってことは、他にも目的があるんですか」

「普通に金を稼ぐためだ。野山に混じって生活している野人のような者も多く居るが、吸血鬼とはいえ我は元々は人間だからな。人間らしい生活を維持したいわけだ。そのためには貨幣を稼ぐ方法は必要であろう」

「元は、人間……?」

 ギルガメッシュが、元は人間。

「ああ、そうだ。なんだ、そんなに意外か?」

「それはそうです……貴方はずっと吸血鬼なんだとばかり」

 吸血鬼。

 神が造りたもうたのではない悪魔の一種だとか、恨みを持って死んだ遺体がなるとか、吸血鬼に噛まれると吸血鬼になるとか、色々と言われてはいるけれど。

「話してやろうか。……そうだな。お前のお人好しが少しは治るかもしれん。これは、そういう類の寓話だ」

 彼が考えながら、思い出しながらか、ゆっくりと話し始める。

 

 

 ランタンの灯りが、その紅い瞳に揺らめいた。

 

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