吸血鬼と癒やしの少女   作:あさ子

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2.彼の過去

 数百年の昔。

 今はすでに田舎の領主権など形骸化して久しいが、そのときにはまだ機能していたのだ。

 我はそんな折、とある地方の領主一家に生まれた。

 幸か不幸か、かの有名な黒死病。ペストが猛威を振るったのは親の代より少し前。

 一応はそれなりの爵位を持った家の跡取り息子とあって、シーズンともなれば毎日の社交界で忙しくしていたものだ。

 それも我にとっては解せぬ時間の使い方であったが。

「こやつら、何を考えているのだ。誰も最新の農業論文を読んでいないのだぞ? 荘園からの収穫物によって暮らしているというのに、それを向上させようという意欲もないのか」

「しかし人脈作りも重要です」

「土地の管理も出来ていないのでは本末転倒だ」

 社交界の煩わしさ、益体のない会話にも辟易として、従者とよくそんな会話をしていた。

 だから、我に当主の座が回ってきたとき、こういったことになるのは必然であった。

 

「わざわざ出向く必要はありません」

「現地に代理領主を立てましょう。田舎の農地など坊ちゃんに相応しくはないですから」

 都市にあった屋敷の従僕達は必死に引き留めたが、我の方針は変わらなかった。

「これまではそれで良かったろうが、今は違う」

 黒死病、という恐ろしい病気が流行ったのは、数十年昔。

 人口の半分を葬ったという。

 その影響は大きく、経済にも大打撃を与えていた。

 当家の領土からの収益も、随分と目減りしている。

「働き手が減って久しく、相対的に農作物もその他の品目も激しく高騰している。労働力ももちろんそうだ。それがどういうことかわかるな。農奴の発言権が大きくなるということだ。今までのような高飛車な態度では反感を生むぞ」

 我は、領地内では一番大きい荘園に移住した。そして、村にあって一応は領主の屋敷ということになっている、随分と古い館に住んだ。

 

 

 

 馬車を降り立った我の姿に、村人たちは釘付けになった。

 金髪は農奴にいないわけではないが、日焼けして痛み、色が抜けた結果の金髪といった様相だ。鮮やかなブロンドとは言い難い。加えて、明るい緑色の瞳も珍しい部類だろう。

「本日からこの村に住む」

 それを聞いた村人たちは、驚きに目を見開いた。

 

 異国の人間のようなものだ。

 田舎の農奴にとって、貴族や都会といった存在は物語の中のものだった。自身は勿論生涯出会うこともなく、のみならず父母も曾祖父母も、その姿を見たことがないという。

 たまに来て村長を任命する領主の部下の部下、代理司祭を任命する司祭の部下の部下。

 この辺りが都市部の存在を意識させる、せいぜいの非日常だろう。

「あんな生っ白いのが居て何の役に立つっていうんだ」

「どうせすぐに帰るさ」

 態と聞こえるように言い合う声。

 そんな中、唯一我を笑顔で出迎えたのは、緑色の修道服を着た中性的な司祭だった。

「初めまして。代理司祭のエルキドゥです」

 その髪の色は太陽光の元では完全に緑色で、我は驚いた。

 

 

 集会所は、当たり前のことだが村のほぼ中心にある。昔は村の真ん中の広場が集会所でもあったようだが、その広場に面した大きな家が空き家になった折り、そこを改装したらしい。

 その集会所に、中年ほどの男たちが20名ほど集まっていた。

 今日は週に一度の定例会の日である。

「各年の天候と取れ高はどうなっている? 特に打撃を受けやすい地域があるのなら、その地区を中心に川の流域変更工事や土壌改善に取り組みたい」

 我が彼ら、村の中心的な役割を担う者達を前にして呼びかける。

「そこでだ。年貢が課されている小麦に関しては全体量の記録がこちらにあるが、大麦や羊毛、牛乳などの長期的な記録がないのだ」

 冷えた空気。

 目も合わせようとしない者も多い。

「去年や一昨年の各畑の取れ高については、どこに行けばわかる」

 目の前の男に尋ねる。

「昔の一反毎の取れ高? そんなもん、自分ちのは去年くらいまでは覚えてるかもしれねえけど、村全体のなんて知らねえ」

「記録はないのか」

「記録? そんなもんはない。今までも付けていないが、何も困ったことはない。第一、俺らは字なんて書けねえ」

「……なるほど」

 読み書きが出来ないのだから、農業日誌など付けている筈もない。

「領主さんよ、今まで通りで何の不満があるってんだい?」

「全くだ。俺らは満足してるし、それでいいじゃねえか」

「年貢を下げてくれるってんなら感謝するがね」

 彼らは口々にそう言い交わす。

 この展開も、最早何度目かわからない。

 

 空き家を改装した集会所から出ると、ちらちらとこちらを見ては何か囁き合う、村の女達の姿があった。目が合うとそそくさと逃げて行くだけ、少しはマシか。

 何を提案しても、何だかんだ理由を付けて否決される。

 誰も変化など望んでいないのだ。

 加えて、我と他愛のない話をするような従者もここにはいない。

 それが数ヶ月も続くと、我も少し、精神的に堪えてきた。

 何のためにここへ来たのか。

 領地と領民のために、出来ることがあると思ったからじゃなかったのか。

 こんな仕打ちを受けて、ここに留まる必要があるのか。

「領主さま?」

「あれ、領主さまだよね」

 幼い声に振り向く。

 広場に面した建物には、勿論教会もある。

 その教会の角からこちらを見ていた子供達が、顔を引っ込めた。

 

 

 

「レオンか。L、e、o、n……」

 地面に石で書いて綴りを教える。

「クレアは、C、l、a、r、e……」

「ああ! クレアの方が長いよ、5個だ! ずるい! 僕は4つだったのに!」

 そんな苦情を寄せられても、我にはどうにも出来ない。

「別に長いほど良いというわけではないが……」

 しかし、文字数が多いことを指摘されたクレアもどこか得意げだ。

「領主さまは?」

 レオンより上と思ったクレアが、今度は我の文字数を気にして聞いてくる。名前の文字数など、これまで数えたこともなかったが。

「ギルガメッシュ……、こう書く。9文字だな」

「9!?」

「領主さますごい!」

「流石は領主さま!」

 何故か名前の長さによって褒め称えられる。

 荘園に来て最初の賞賛が名前の長さというのも複雑だが、満更でもない。

「ふふん。すごいだろう! 9文字ある者は中々……」

「領主様?」

 びくっとして後ろを振り返る。

 教会の裏手。

 子供と一緒にしゃがんで地面に文字を書いているのを、きょとんとした顔で見つめてくる、司祭のエルキドゥ。

 少々恥ずかしい。

「あー! 司祭様だ!」

 我の恥ずかしさなど、子供には関係ない。教会の裏なんだから司祭くらいいるだろうに、大げさに驚く子供に苦笑した。

「司祭様は何文字?」

「え、なに? 名前?」

 エルキドゥは地面を見て作法を察したようで、小石を手に取った。

「僕はね、こう書くんだよー。……えっと、6文字か」

 さらさらとアルファベットを綴る司祭に、目を見開く。

「お前、字が書けるのか?」

 司祭といえども、そこいらの村にいる代理司祭などは読み書きが出来ない場合が多い。それで不自由もない。中央から何かお達しがある場合にも、普通は馬車で来た使いが口頭で行うのだ。

「簡単な読み書きだけね」

「どの程度」

 真剣な顔で聞く我に、訝しむように首をかしげた。

「英語で書かれた手紙なら読めるよ。書くときには綴りを間違うこともあるかな? あと、ラテン語は読めないけど……」

 専門書はラテン語で書かれることが多いため、彼はそう補足した。英語で書かれている日記や手紙、公文書ならば読解できるレベルということだ。

「いや、充分だ。司祭。我の研究を手伝ってはくれぬか」

「研究?」

 農地改革の研究について、我はエルキドゥに熱く語った。

 彼は興味深そうにそれを聞き、ときに質問した。

 

 

 

 

 エルキドゥ。

 彼は最新の農法にも、都会での暮らしや雑学にも興味を持ち、楽しそうに我の話を聞いた。出来る範囲で良いと言っているのに、我の持参した専門書を読めるようにと、勉学に励んだ。

 彼は司祭として、村の集団から一歩離れたところにいるからだろうか。

 農夫たちとは違い、少々浮き世離れしたところのある人物だった。

 そうして彼が、孤立していた我の心を支える存在になるまでに時間はかからなかった。加えて、文字や計算を習いにくる子供達も、その一つとなった。

 

 それから一年ほど経った頃だろうか。

 村に雨が降らなくなったのは。

 

 

 

「もうすぐ一番北の……バロウズのとこの水車が動かなくなる」

 彼らは嘆き合った。

「麦もひけなくなる」

「麻糸も作れねえぞ」

 定例会は悲嘆に満ち、これから始まる悪夢に涙する者でいっぱいになった。

「おちつけ! 策はある」

 今日ばかりは、藁にも縋るような思いなのか、我の方に注目が集まった。

「干ばつはよくある農業被害。想定内のことだ。我とて対策を講じていないわけがない。水位が足りなくなる水車は未だ一基。他の4基が稼働している間に対策を取るぞ」

 干ばつは、そのシーズンだけの突発的なものではない。

 大体の場合、いつから始まったと明言できないくらい緩やかに雨が減り、水位が下降してゆく。そして数年続くのだ。

 そのため、兆候が現れている今、手を打たなければならない。

 本格的に農地が日照り割れてからでは飢えるのみだ。

「ライ麦を導入する」

「ライ麦?」

「聞いたことがない」

 周囲がざわつく。

 現在行われているのは、小麦、大麦、牧草の三毛作だ。土地が痩せるのを防ぐために取られる、一番オーソドックスな農法だった。

「近年になって東の方から伝わってきた作物だ。これを導入しようと思う」

 彼らの目の前で、布袋に入ったライ麦を開けて見せる。

「エルキドゥ。実験用の畑でライ麦の収穫は上手くいっているな」

「うん。ギルの館の倉庫にどっさりある。パンにすると小麦よりはぼそぼそするけど、充分美味しいよ。堅焼きにして貯蔵もテストしたけど、今の気候なら数週間は大丈夫。更にライ麦を使ったビールの精製も順調。色が茶色いから最初はびっくりすると思うけどね」

 水は貯蔵すると腐ってしまうが、アルコールは貯蔵が可能だ。

 つまり、水不足の際に役立つのは水ではなく、エールなどの酒類なのだった。

「痩せた土地で、乾燥気味でも良く育つ。可食部も小麦の1.5倍ある」

 農夫達が顔を見合わせ、戸惑う。

 今までと違うこと。

 産まれたときからこの村は変わらず。彼らは両親から受け継いだ土地を、両親に教わった方法で耕して来た。そして、そのやり方を子に教えていた。

 何代も、毎日、毎年、同じように繰り返して来たのだ。

 それが今、変わろうとしている。

 その動揺は予想以上に大きなものだった。

「やろうよ。他にできることもないでしょ」

 我だけではなく司祭がそう言ったということが、彼らの背中を押した。

 皆が頷き合う。

「……どうしたら良い。教えてくれ」

 我は。

「よし。これより小麦との違いや、栽培方法について説明する」

 声を張ったつもりだったが、少し涙ぐんでいたかもしれない。

 

 

 

 

 

 結果、ライ麦は村を救った。

 

 

 数年の後、川の水位が元の高さにまで戻ると、我らは広場に集まって、抱き合って喜んだ。

 干ばつが開けて作ることが出来た、小麦粉の白いビールを村人達と飲み交わす。この淡い色のビールが飲めるのも久しぶりだ。

「白いビールの味はどう?」

 乾杯し、お互いに景気よく酒を呷ると、エルキドゥがそう聞いてきた。

「んー。そうだな。茶色いビールの方がコクがあって旨かったんじゃないか?」

 周囲の者がどっと笑った。

 まあ本当のところ、色はどうあれ、苦いビールもフルーティなビールも旨いものだ。

 ……色、か。

「そういえば、お前の髪の色」

 今となっては見慣れていたが、ふとその疑問を思い出した。

「珍しいと思うが、生まれ付きなのか?」

「ああ、これ」

 エルキドゥは軽く自らの髪に触れた。

「生まれ付きだけど、両親ともこんな色じゃなくて。大変だったみたいだよ。異端扱いされるところだったとか」

「だろうな。むしろ、何故助かったのか不思議でならん」

 頭の固い連中が多いだろうに、九死に一生だったのではないか。

 当の本人は何とも脳天気な雰囲気で答えた。

「すぐに司祭が呼ばれたんだよ。新生児だから頭ぱやぱやだけどねー。悪魔の子か、妖精の取り替え子なんじゃないかって」

 取り替え子。

 そうだと言われれば、しっくり来る気がする。

 妖精が人間と子供を取り替えることがあるという話だが、彼の容姿は確かに森の人々を思わせた。

「それでね、駆けつけた司祭が、緑色のカソックを着ていたんだ。平常時のミサに司祭が着る正式な色は緑だからね」

 彼はくすりと笑った。

「緑色の神聖な修道服を着て、緑色は不吉だー! なんて言えないよね」

「なるほど」

 彼が異端にならず、逆に神聖な者として教会を任されているのはそういうことか。

 運が良いんだか、悪いんだか。

「いのちの色なんだってさ」

 エルキドゥの髪が風にふわりとなびいた。

「君の瞳も緑色だね」

 そう言って、我らは笑い合った。

 

 

 

 

 

「灌水はどうなっている? 何度も被害に遭っておきながら大水の対策が為されていないのはどういうことだ」

 

「人口が減って休耕地がこんなにも増加しているというのに、区画整理がなっていない」

 

「牧草にクローバーを使っている荘園は、翌年度の穀物の取れ高が上がっているというデータがある。牧草地の四分の一程度を割いて実験的に導入を試みよう」

 

 

 それからと言うものの。

 村は組織の仕組み、農法、目に見える区画までも、次々に変わっていった。

 

 

 屋敷の敷地内に設えた、実験中の畑に出向いて土をすくう。

「ふむ、中々良い土壌になってきたのではないか」

「領主様、手が荒れてしまいます」

 最初の頃とは全く違い、甲斐甲斐しく心配をする農夫たちの姿に、笑みが零れた。

「今更そんなことは構っていられるか」

 思えば、随分日にも焼けた。

 彼らの驚いた派手なブロンドも、今は野良仕事で汚れ煤けているだろう。

「領主様、怪我人が!」

「何」

「エイブです! 羊飼いの! 腕がざっくりいっちまって! 柵に立てかけてあった鉄鍬にひっかけちまったみたいで!」

「なるほど、ちょっと待て」

 急いで屋敷に入り、いつも手の届くところに置いてある鈍器のような書物を引っ掴む。

 そうして案内された牧草地で、怪我の様子を見る。

「ふむ。出血は多いようだが、傷自体は浅いな。きちんとすれば、後遺症もなく良くなるだろう。ハンナ、止血の布を用意せよ。ローラは湯を沸かせ」

 医学書は、農業の論文集と共に我が屋敷から持ってきた重要物の一つだ。そこいらの農村に医者などいない。教会に行って快癒を祈るくらいしか出来る事がないのだ。

 それが、我が着てからは変わった。

 傷病者が出たといっては、我の元に飛んでくる。

 我はその度に分厚い医学書を抱えながら案内され、診察に赴くのだった。

 本を貸してやれば良いのだが、この村でラテン語が読めるのは我くらいだ。いや、エルキドゥももっと我の研究を手伝うと言って、最近は勉強しているようだが。

「傷を洗うのは煮沸して冷ました水だ。傷口に巻く布も、鍋で煮て使え」

「お湯で?」

「ああ、そうだ。目に見えない、細かな汚れがついていることがある。肉だって生で食えば腹を壊すだろう。同じように、火を通すことは重要なのだ」

 怪我人の周りに集まっていた村民たちは神妙な顔で頷いた。

 最初の頃であれば、一笑に付して言うことを聞かなかったであろう。今は、領主様がそう言うんだからそうなんだろう、と納得してくれるのだが。

 

 そんな折りだ。

 事件が起きたのは。

 

 

「領主様! モリスが……!」

 呼びに来た村人は、死人なのではと言うほど顔を真っ青にしていた。

 現場は、村の端。森に少し入ったところだった。

「薪拾いに入ったんでしょうが、これは……野犬でもねえし……」

 死人自体は珍しいものではない。

 死因が特定できないこともよくある。

 特に老人、産婦、子供はよく死んだ。医学書一つあったところで、大がかりな措置ができる設備も薬もない。衛生状態もずっと悪かった。不審死など珍しくもない。

 だが、その死体は異様が過ぎた。

 真っ白になった遺体には、首すじに噛まれた痕。

 動物に襲われたのならばわかるが、肉を食われた形跡もなく、そして肌は蝋のように白い。

「き、吸血鬼だ……」

 誰か一人がそう呟いた。

 

 騒動の後、すぐさま各戸から代表者を集めた。

「モリスを襲った何者かが、近くに潜伏している危険性がある。吸血鬼か我らの知らぬ獣の類いかは不明だ」

 その言葉に、村人達はざわつく。

 吸血鬼という化け物への恐怖。

 自分たちよりも圧倒的に強いかもしれない、捕食者の存在に怯えているのだ。

「これより、独り住まいの者は我が屋敷か教会で寝泊まりをしろ。女子供しかいない家の者もそうせよ。日没後の単独行動は厳禁とする」

 平然と指示を出す我を前にしてか、領民たちも囁き合うのを止め、こちらに向き直る。

「そして、健康な男子は警備隊に加わってもらう」

 モリスが襲われたのは確かに日が暮れてからのようだが、“敵”が夜間しか動かないのか確証はない。24時間体制で警備を固めることが決まった。

 女、老人、子供をはじいて、青年から壮年の健康な男は、およそ100名。

 それを10名ずつの班にわけ、警護時間帯と範囲を決める。

 屋敷の倉庫からは、兵士でなくとも扱いやすいショートソードやロングスピア、クロスボウなどの武器類。防具には金属製のものもあったが、慣れていない者には重すぎると判断し、皮鎧を採用した。そして、貴族の権威的な食卓には欠かせない銀器。祈りの込められた十字架も。

「教会中央へ、吸血鬼が現れたという救援願いの手紙を送った。だが、正直助けは期待できない」

 何故ならば、今までに教会が吸血鬼を倒したと喧伝するのを聞いたことがないからだ。有効な部隊や武器を持っているのならば、それを権威の一部として大々的に報じるだろう。

 我らを捕食する敵がいる。

 助けが期待できないならば、身を護るしかない。

 

 

 すぐに動きがあった。

 自警団を組織して4日後に、再度襲撃があったのだ。

 高い指笛。

 取り決めてあった、襲撃に遭った際の合図だ。

 その現場から一番近くに居たのは、偶然にもエルキドゥが所属している隊であった。

 日没まではいかないが、曇り空の日だった。狙われたのは、水車小屋での作業を終えて施錠しようとしていた女だ。

 すぐに駆けつけた警備班が、犯人と対峙した。

 皆一様に息を飲んだ。

 吸血鬼が出た、などと言っていても半信半疑ではあったし、それがどういった形をしているのか、文献に統一性はない。

 黒い犬だとか、霧だとか、大きなコウモリだとか、半人半獣だとか。

 それぞれにイメージを抱いていただろうが、目の前のそれはどう見ても普通の人間だった。

 中肉中背の男。

 野人のように見窄らしいわけでもなく、それどころか身なりは少し良いように見えた。それが、女の首に腕を回して、無理矢理引き摺っていこうとする。

 まるで血迷った暴漢にしか見えなかった。

「その娘をはなせ!」

 いの一番に駆けつけた体格の良い男は、マクレガーという農夫だった。体格に加え隊で一番年長でもあり、そのために隊長を務めていた彼は、鉄製の棍棒、メイスを構えて彼に突っ込んでいったのだ。

 その棍棒を振りかざし、もう少しで彼我が接触しようかというその時。

 吸血鬼は、娘を腕に抱いたまま、高く跳んだ。

 そして、水車の上に着地したのだ。

 その脚力は、見た目の筋肉量を遙かに超えている。超常的な……魔術であるとか、そういったものの存在を感じさせるものだった。

 彼に続いて走ってこようとした隊員達が、その異様に足を止め、水車小屋から少し距離を取ったまま硬直する。

「な、んっ!」

 だが、驚愕しながらも、マクレガーは追撃した。

「すばしっこい奴だ!」

 そう叫んだのは、奴の逃げ足が速いだけ、と自身に言い聞かせるためであったかもしれない。

 メイスが、吸血鬼の足をめがけて叩きつけられる。

 と、その時。水車の上からひょいと屈んで、男は棍棒の先を掴んだのだ。

「!?」

 動揺しながらマクレガーは、取り返そうと全力でメイスを引っ張った。

「は、はなせ!」

 メイスを両手で握ったまま、マクレガーの身体が持ち上がる。

 吸血鬼は片手に娘を抱えたまま、もう片方の手でメイスの球体の付け根を掴んでいる。

 そして。

 そのまま、水車の脇の壁めがけて、メイスと男を放り投げた。

 重厚な衝撃と打撃音が、空気を振るわせた。

「マクレガーさん!」

 彼は皮鎧を着ていたために裂傷にはならなかったものの、石造りの倉庫壁に強く全身を打ち付け、意識を失った。

 

 いつの間に距離を詰めていたのか。

 吸血鬼の乗った水車に対して逆の壁から、エルキドゥは飛び出した。

 水車のパーツの隙間を縫って、下から突き上げるように槍が飛び出る。

 ロングスピアは、吸血鬼のすねの辺りを掠めた。

「っ!?」

 痛みと動揺に、娘を取り落とす。

「わわっ!」

 それを受け止めた彼の行動は速かった。

 すかさず水車と石壁の間に娘を押し込み、自身も追ってその隙間に入ろうとする。最初からそのように計画して行動を起こしたのだろう。

 そのエルキドゥを、男は追撃した。

「あ、ぐ……っ!」

 鋭い爪が、娘を物陰に庇ったエルキドゥの、左肩を捉える。肉がえぐれ、毒々しい程血に染まった吸血鬼の爪が見える。

 もう片方の手が振り上げられる。

 彼の長い髪を掴んで、水車と小屋の間から引きずり出そうと引っ張り……。

 そこで。

 男は不自然に制止した。

「う゛、ぎいいいい……っ!」

 悲鳴。

 それは肩を裂かれ、髪を鷲掴みにされ、血にまみれているエルキドゥのものではなかった。

 クロスボウが、エルキドゥを今にも仕留めようとする吸血鬼の背中に、的中したのだ。

「やった……」

 エルキドゥは、目の前で絶叫する吸血鬼を見ながら呟いた。

 

 彼は人間を侮った。

 他の警備隊員を無視して背中を見せた彼は、格好の的だ。

 害獣を追い払ったり、野の獣を狩猟するため、一部の者は弓の扱いに長けていた。

 エルキドゥは娘を取り返し、そして囮になって注意を引くことで、吸血鬼を狙撃できる状況を作ったのだった。

 

 吸血鬼は血を流しながらも俊敏な動きで、森の中へと消えていった。

 

 

 遅れて駆けつけた我らは、彼らから一部始終を聞き出した。

「エルキドゥ!」

 緑色の髪に血がこびりついて黒く変色したようになっている。

 顔にも血でもって乱れた髪が張り付いていたが、ばつが悪そうに苦笑する表情から、命に別状はないのだろう。

「ちょっと痛いかな……」

「たわけ、ちょっとではないだろうが!」

 皮鎧を着た隙間に当たる、肩口からざっくりと行かれたようだ。

 出血は多く、すぐに措置が必要だった。

 

 マクレガーは、残念ながら絶命していた。全身、特に頭を強く打ち付けられたことが原因だろう。

 

「恐ろしい」

「くもりだったが、夜ではなくても動けるのか」

「マクレガーのような大柄な男を片手で投げ飛ばしたそうじゃないか」

「化け物だ」

 

 村人たちは恐れ戦いた。

 また次の襲撃があるかもしれない。そのときに襲われるのは自分や家族かもしれない。警備しているのが自分のいる班かもしれない。

 動揺が広がっているのがわかった。

 だが、我は領民たちとは対照的に、安堵していた。

 

 初めて武装した状態で吸血鬼と対峙した結果。

 死者1、負傷1。

 そして、吸血鬼を負傷させた。

 背中に矢を受けたが死んではおらず撤退したようだが、撤退せざるを得ないような怪我を負わせることが出来たということだ。人間の武器など効かないのであれば、そんな必要はない。

 これがやり合った結果だ。

 奴らの実力は手強い獣くらいであり、全く敵わない相手ではない。

 エルキドゥを手当てしながら、我はこの戦果に手応えを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 領主の館に使いが来たのは、その一ヶ月後の深夜だった。

 警備隊や館に寝泊まりする多くの村民を前に、吸血鬼は告げた。

 

――1年に1人差し出せ。そうすれば、村人を襲わない――

 

 

 伝令の男はそれだけを言って、立ち去った。

 

 

 翌朝、すぐに招集をかけ、領民達を集めた。

 今回は、事が事だ。

 普段の会合よりも遙かに多くの者達が詰めかけ、集会所には入りきれず、教会前広場での会合となった。

 こういった大事なときにはエルキドゥが共にことにあたってくれたものだが、今は負傷し、床に臥せっている。それを少々寂しく思いつつ、我はより一層気を引き締めた。

 室内よりも少々声を張って、我は宣言した。

「要求は飲めない」

 民衆は、その言葉にざわつくこともなかった。

 きっと、我がそう言うことなどわかっていたのだろう。

「年に一人。この村の人口はおよそ500。選ばれないで一生涯を終える者の方がずっと多いだろう。だが、お前らの家族を勘定に入れたらどうだ? 友人は?」

 彼らはただ、じっと我の演説を聴いている。

 こんな風に言い聞かせる必要もなく、すでに皆理解しているのかもしれない。

「一年に一人などという約束、いつ反故にされるかもわからん。奴らの真の狙いは、我々の組織力の崩壊にあるだろう」

 だが、言葉にすることは大切だ。

 吸血鬼と何故戦わなければならないのか、それを共有することはより我々を強くする。

「誰を生け贄に出すか、その決定を巡って争いが起こることは明白。何なら生け贄になる前に、村内の争いで死人が出るかもな。そうして禍根を産み、我々は分裂し、吸血鬼に抵抗できるような力も失う」

 彼らの闘志が奮い立つのを、その瞳に感じる。

「立ち上がるならば、今しかないのだ。我々が、同胞からただの一人も生け贄を選んでいない、このタイミングでしかない」

 彼らは頷き合った。

 家族や恋人と手を取り、抱きしめ合う者もいる。

「対応は早いほど良い。返答が遅れれば、見せしめを狩るための襲撃があるだろうからな。明朝にでも襲撃するぞ」

 勝算はある。

 まず、我が奴らの頭だったら、一ヶ月も時間をくれてやらない。

 その判断力、あるいは統率力のなさ、もしくは我らに対する油断は、彼らの大きな弱点だ。

 我はあの事件の後、猟師らと共にすぐに血痕を追った。それによって、奴らの根城は判明している。元は行商人などが道中で使っていた宿だったのであろう。家というには大きい、館というには小さいような、うらぶれた客舎だった。

 彼らが大体何名程度の集団なのかくらいは、すでに把握している。

「我は前線にて指揮を執る。警備班の班長を務めている者は残れ。詳しい話をしよう」

 

 

 

 

 

 まだ薄暗い、夜が明けているともいないとも言えぬ未明。

 酒瓶を片手にした若者、鍬を持った農夫などの十名程度が森の中を歩く。

 数名の掲げている松明が眩しい。

 自警団と違って大した武器を装備しているわけでも、統率が図れているようにも見えない。

 一部の若者が蛮勇と自暴自棄で突撃して来たように見せかける。

 案の定、ろくな警戒もせずに、一人の吸血鬼が現れた。

 この辺りに見張りが立っているであろうことは、予想が付いていた。根城から開けた野原を通ることなく村に近づけるルートにあり、茂る木々や切り立った崖が、晴天であっても周辺を薄暗く保っている。

 手はず通り、灯りをつけずに潜んでいた伏兵達が吸血鬼を取り囲む。

 距離を保ったまま数名のロングスピアで木の幹に追い詰められ、木の後ろに潜んでいた者達に革紐で拘束される。

「よし、押さえておけ」

 我はナイフを片手に、その前に進み出た。

 断末魔を上げられぬよう顔に布を押しつけさせ。

 目を逸らす者、逆に釘付けになる者、様々な反応をする村民達に囲まれながら。

 銀のナイフを、男の喉笛めがけて突き立てた。

 皆の表情が強ばる。

 相手は吸血鬼とわかっていても、人間のような姿をしているのだ。直接手を下すことに抵抗を持つ者は多いだろう。だからこそ、その一番手を我が引き受けた。

 首をひと突きにされた吸血鬼は、刺さった箇所から灰色に変色した。絶命する以前に変化が始まったことから、それは銀による反応ではないかと考えられる。

 そうして石化するように全身にそれが広がり、衣服を残してもろく崩れ去った。

 それを見て、硬直していた者達の顔に、安堵のような色が見える。

 我々が殺したのは人間ではないのだと明確にわかり、罪の意識が軽減されたのだろう。

 罪の意識の払拭と共に、その一体を屠ったことで、雰囲気が変わった。

 いける。

 我々は玉砕しに来たのではない。

 そういった自信と昂揚が、全体から感じ取れる。

「このルートの見張りは無事排除した。今後の流れも心得ているな」

 皆、力強く頷く。

「迂回しつつ、館を囲む。他ルートの見張りも同様の方法で制圧せよ。洞窟や日陰がないか、人が入れるような物陰にも注意しながら進め!」

 

 

 左右に隣接するエリアの見張りを同じく制圧してしまうと、すでに根城までの到達は容易となった。

 集団でここまで拠点に接近してしまえば、我々の有利は揺るがないだろう。

 襲撃に気づいた吸血鬼達が応戦する頃には、太陽はほぼ天頂。晴天も味方に付け、我らは根城の周りをほぼ取り囲みつつあった。

 奴らは個としての力は強いが、やはり数の力には勝ちようもない。

 長槍で追い詰められ、弓やボウガンで射られてしまえば吸血鬼といえどもどうにもならないだろう。

 そうして、彼らは数を減らしていった。

 

 

 

 

 

 それは、屋外の吸血鬼の殆どを制圧し、いよいよ建造物の内部に押し入ろうかというときだった。

「領主様! 他の吸血鬼とは違う、素速い奴が……!」

 長槍をのらりくらりと猫のように躱し、前線を撹乱する小柄な影が、我の場所からも視認できた。

「陽の下に引きずり出せ! 致命傷にはならないが動きがかなり鈍る! それと、回復できぬ銀の武器を使え!」

 この戦いの間に観察して得た知識を持って、その女を取り押さえようと指示を出す。

 それを聞いてか、彼女は我らをあざ笑うかのように、自ら陽の元へと躍り出た。

「うわ!」

 肩の上を足場にされた農夫が叫んだ。日光を受けても変わることなくその身体能力を発揮している。

「くそっ」

 肩を踏まれた男の一人が、銀のナイフを先端に括り付けた長槍を突き出した。それは彼女の肌を少しだけ裂く。だが、一度は変色した肌が、風化せずに元の色合いに戻って行く。

「治った!?」

「なんだと!?」

 皆の驚嘆が響く。我もこれには動揺した。

 今までわかってきた吸血鬼の弱点が、この女には全て通用しないというのか。

 満足げに、女が告げる。

「名推理。日光の中では人間程度にまで力が落ちてしまうし、銀の傷はすぐには再生しない。あってるあってる。吸血鬼は無敵じゃない。……でもね」

 動きを止めてこちらに対峙し、初めて女の容貌がはっきりわかる。

「私は違うんだ」

 女の肌は青白く、対照的に深い闇のようなブルネットの巻き毛。そして血のような紅い瞳をしていた。

 身にまとったワンピースは農婦の着るものとは違う、体型のはっきりわかる薄布。しかも、肩から胸元にかけて大きく開いており、豊満な肉体が強調されている。

 率直に言えば、そう。

 娼婦のような装いだった。

 その場違いな女に、前線の者達にも困惑したような間が生まれた。

 だが、それも数秒。

 静寂を破ったのは、すぐ近くで聞こえた断末魔だった。

「ぎゃ」

 押しつぶされるようなくぐもった声に視線を投げれば、長いブルネットを翻して、掴んだ頭部を投げ捨てる女が目に映る。

 首を引きちぎられた男が地に伏した。

 同班の者達が慌てて一斉にロングスピアを突きつけるが、その輪の中心にすでに姿はない。

 黒い巻き毛を蝙蝠の羽のように広げて、女は宙を舞っていた。

「撃て!」

 降り注ぐクロスボウを、恰幅の良い農夫を掴んで、盾にして防ぐ。

「ぎゃああああ!」

 自分たちの射た矢を受けた仲間の姿に、弓兵達が後ずさった。

「ひ……」

 女に頭を鷲掴みにされ、全身に矢を生やした仲間が高く掲げられる。

 その凄惨な光景は、戦闘行為に慣れていない農民達の戦意を削ぐのに充分だ。

 吸血鬼の頭領は、怖じ気づく人間達を満足げに見回して微笑んだ。

「どうする? 降参する?」

 そう告げた後、か細い女の見た目からは想像出来ない怪力で、大の男が振り回され、我らの最中に投げ落とされた。

「うわあああ!」

 直撃を受けた者達が、血だるまの死体を避けながら悲鳴を上げる。

「そうだなあ……」

 そうする間にも、次の犠牲者に魔の手が伸びていた。

「領主を差し出すなら、降参を受け入れようかな?」

 女の呑気な声が奇妙に目立って届いた。

 そんな要求は飲めないとばかりに、周囲の者が我をかばって距離を詰め、前に槍を構えた。

 そうしながら、我の指示を仰ぐように時折振り返る。きっと、我がまた、良い方法で皆を助けてくれるに違いないと信じて。

 後退しながら時間を稼いで、その間にも皆の命が消えていく。

 彼らはそれでも、先を争うように我の前へ出た。我に順番が回って来ないように。

 考えろ。

 状況を整理しろ。

 考えろ。

 何が出来る。

 考えろ。

 真っ向対峙して勝てる相手ではない、ここは、一度投降したふりをして……。

 そうだ。

 考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ

 そうだ

 一度降伏し我を生かしておくメリットを提示してあの女の懐で弱点を探りながら村にいる者との連絡手段をそうだ読み書きが出来る者は限られている特に英語ではなくラテン語が出来る者は極僅かだエルキドゥへの連

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ッ―――――!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ! ぐ……っ」

 焼け付く痛みに思考が吹っ飛んだ。

「な……に、が」

 衝撃が、鋭い痛みが全身を走る。

 背中。

 それが背中から発せられていることを何とか感知する。

 だが、振り向くこともできない。

 金縛りにあったように、身体は我の要請を受け付けない。膝が体重を支えられずに地に着いた。

「お、俺は……」

 そのまま突っ伏すように地面に倒れ込む。頬に当たる湿った土が冷たい。

「俺はまだ、死にたくない……!」

 背中が熱く、どくどくと脈打つ。

「エイブ……!」

「お、おまえ、なんで!」

「領主を差し出すから! だから俺たちを見逃してくれ! 頼む!」

 崩れ落ちた後ろから、激しく言い争う声がした。

 ああ、くそ。

 しくじった。

 何をしくじったのか。

 吸血鬼の戦闘力に対する見積もりが甘かった。偵察をもっと慎重に行うべきだった。村人からこれ以上犠牲を出すまいと、焦りすぎた。そして、村の者達を、我の仲間達を信頼しすぎた。

 脂汗が額を伝う。

 苦痛の中で、我は意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 目が覚めても、背中から来る激痛は変わらなかった。

 だが、痛みにも少しは慣れて、多少は思考できる。

 

 ここは、あの吸血鬼の根城の中だろう。

 頭領の女はソファの上に座っていた。

 それを見上げる形で、絨毯の上に転がされていた。

 我は差し出されたのだ。

 あの後……何人死んだだろうか。

 倒れた我を護ろうとする者は殺されていっただろう。それが続けば、引き渡して投降しようという派閥が勝つのは目に見えた結果だ。

 彼女の周りには、数人の吸血鬼がいた。根城の規模からしても、それで全員か、いてもあと数名というところだろう。

 視界の端で数えながら、ああ、中々沢山狩ってやったな、などと言う感想が、負け惜しみのように浮かんだ。

「それにしても、変わった色」

 吸血鬼の頭領も、貴族とは縁遠いものらしい。

 ブロンドが珍しいのか、女は我をまじまじと、近寄って観察した。

 続いて、床に転がされた我の顎を掴んで顔を上げさせた。

 我の身体にどれほどの血液が残っているのだか知らないが、我はこの女に血を吸われて殺されるのだろう。

「最初に見たときから思っていたけれど……。顔立ちも、とても綺麗」

 のぞき込んだ女の長い黒髪が頬をくすぐる。

「決めた」

 逆光で陰になった中で、赤い唇が開き、鋭い犬歯が光る。

 紅い瞳が爛々と輝いていた。

 

 

「この男、私が飼おう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで、貴方は吸血鬼に?」

「ああ、そうだ」

 彼は普段と変わらず、気怠げに微笑を浮かべていた。

「貴方を差し出した、その、村人たちは……」

「……無論、村に戻って殺したさ。皆殺しだ」

 それをひどいと責めることは出来なかった。報復されたって当然の報いだろう。

「そういうわけだ、アルトリア。お前もあまり、民衆に期待しない方が良い」

「……」

 ギルガメッシュが、元は人間。

 それも、領民を護ろうと果敢に戦っただなんて。

 私は、彼を軽々しく“吸血鬼”と呼んだことを恥じた。

「なんだ、我が恐ろしくなったか?」

 唇を噛んで俯く私をどう解釈したのか。彼は小首をかしげて困ったように眉を寄せ、薄く微笑んだ。

「神様は……」

「……?」

 神様は、彼に試練をお与えになったのだろうか。でも、すでに彼は神様の手の届かない闇に落ちてしまった。

 どうして。

「どうしてそんな、ひどいことを」

 ギルガメッシュは苦笑した。

「これは意外だな。お前のような敬虔な修道女でも、そんな風に思うことがあるのか。シスター・アルトリア」

 言われて、口元を押さえた。

「あ、いえ」

 私としたことが、なんてことを考えるのだ。神を非難しようだなんて。

 悪魔は神の作ったものではない。彼らのしたことは、神の計算の外にあるのだろう。

 ……でも。

 彼のような人を救えないのならば、それは。

「なんだ、小難しいことを考えている顔だな?」

「別に……」

「我はもう行く。お前は先ほどの奇跡で疲弊しているのだろう。疾く寝てしまえ」

 ギルガメッシュはベッドサイドの椅子から立ち上がった。

 

 

 

 ……そうか。

 そうかもしれない。

 頭痛もするし、疲れているから妙なことを考えるのだろう。

 明日になれば、このざわざわした感情も少しは収まっているだろうと期待して、私は目を閉じた。

 

 

 

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