〈ソードアート・オンライン〉がデスゲームと化してからもすぐ2年が経とうとしている。
その間に俺もキリトも耐え難い別れを経験していたが、俺より辛いのはキリトだろう。第1層のフロアボス《イルファング・ザ・コボルドロード》を倒したにもかかわらず糾弾を浴びたのだ。
ボスを一緒に倒したはずなのに「〈ビーター〉であることを隠していて、情報を知っていたのに話さなかったからリーダーは死んだ」と言われ、他の〈ベータテスター〉に向けられる非難の嵐を自分がすべてを受け止めることを覚悟したキリトの気持ちは俺には想像できない。
〈ビーター〉とは《βテスター》とズルする奴を指す《チーター》を掛け合わせたSAO独自の蔑称である。それがあの日からずっと続いている。
今から1年以上前、キリトは初めてギルドに所属していた時期がある。成り行きはモンスターの群れに襲われていたのをキリトが助けたかららしく、その後パーティーが開かれてそこで誘われたらしい。もともと人とコミニケーションを取るのが苦手だったキリトが、そこに参加することになったと聞いたときは俺も驚いたものだ。
俺もその頃《この世界》で仲良くなった知り合いとギルドを作り、副リーダーとして活動していた。だからこそキリトに仲間ができて嬉しかったのだろう。ソロでは感じられない仲間との絆・暖かさを知れたから。
だがキリトが所属したギルド《月夜の黒猫団》は、それから3ヶ月後に突如としてキリトを除き壊滅したそうだ。
理由は教えてくれなかったが「すべて俺のせいだ」と話すキリトからは生気をまったく感じなかった。そんなキリトに俺は慰めの言葉もかけられず、立ち去る後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
それは自分も同じような経験をしたが故なのかもしれない。あの日のことを俺は忘れはしない。大切な仲間を失った日を。
俺は翌日の10時頃、頼まれていた〈ネンチャク草〉を依頼人に渡すため、第50層の入り組んだ裏通りにある酒場にやってきていた。ここは穴場の中の穴場なので訪れるプレイヤーはまずいない。来るとすれば道に迷い、偶然にも見つける以外に方法はないと思われる。
「早いなアルゴ。まだ予定時間の10分前だぞ?」
「頼んだ側が遅れたら失礼だからナ」
俺がここまで来ることが出来た理由は、あるスキルのおかげである。
〈追跡〉
これは〈索敵スキル〉の派生系であり、フレンドリストに登録されているフレンドの名前を選択すると熟練度に応じて誰がどこを歩いたのかを知ることが出来るスキルだ。
熟練度が低ければ追跡に設定したフレンドの足跡が数分程度しか発見できないが、熟練度値が1000つまり
カウンターに座りながら怪しげな紫色の液体が氷と一緒に入ったグラスを、ちゃぷちゃぷと音を立てて回しているプレイヤーは依頼人であり、《アインクラッド唯一の情報屋》の肩書きを持つ〈鼠のアルゴ〉通称アルゴだ。
「別に遅れたところで気にはせんけど」
「それはカイっちの心情ダ。俺っちの感情的問題なんだナ」
小柄で左右の頬に髭のようなペイントを3本付けたおそらく女性であろうプレイヤーは、「にゃっはははははは」と楽しそうに笑っている。
取り敢えず要件を先に終えることにした。
「どれくらいいるのか聞いてなかったから適当に採ってきた」
アルゴの右隣に座り、トレードウインドウを開いて所持していた〈ネンチャク草〉を全部移動させる。アルゴも対価を掲示して互いに〈O.K.〉ボタンに触れる。
トレードウインドウが閉じられ取得アイテム欄にアルゴからの贈り物が届いた。それをオブジェクト化して目を通していると声をかけられた。
「個数は言ってなかったがこれほど集めるのには苦労したんじゃないカ?」
「偶然大量に残っていてな。リポップしたばかりだったんだろうさ。それよりその数の〈ネンチャク草〉どうするんだ?」
「これ以上は千kコル必要になるゾ」
kとは千を表す隠語。つまり情報代は10万コルということになる。まあ詳細を簡単に話してくれるわけがないのを人間性と共に知っているので、金が必要になってくるのは分かっていた。軽く左手を振って遠慮することを示す。
「攻略の方はどうダ?」
「ぼちぼちってとこかな。7割方マッピング終了してるから明後日ぐらいにはボス部屋も発見されるだろうね」
「どんなボスが出てくるか想像できるカ?」
「どうだろうな。《リザードマンロード》が大量に出てくる辺り、〈刀〉か〈両手剣〉とか斬系統の武器を使ってくるような気がするな」
ボスがどのような武器を使ってくるかは、ある程度ボス部屋の前までに登場するモンスターから知ることができる。だがこれにはかなりの洞察力と推理力が必要とされるので、確証を得るには実際に訪れてみるしかない。
「それよりこの〈データ〉は間違いないんだな?」
「心外ダナり。俺っちは信用性のある情報しか売らない主義ダ。万が一自分が売った情報が間違っていて誰かが命を落としたら、〈情報屋〉の肩書きがなくなるゾ」
「冗談だよ。聞きたくなったのはあまりにも被害が大きくなっていることが気になってな」
アルゴからもらった〈データ〉によると、壊滅させたはずの恐怖がまたしても復活しているように思えるほどの犠牲者数が多くなっていたのだ。この前の更迭は氷山の一角にすぎない。
「そういやこの前カイっちも人を助けたみたいだナ」
「…情報が早すぎる」
おそらくは一昨日のことを言っているのだろう。それにしても手に入れるのが早すぎるぞ。
「そのプレイヤーからカイっちのことを聞かれてナ。情報を渡してもいいカ?」
「取引内容は?」
「名前と性格、容姿その他諸々」
「…値段は?」
もはや合コンか何かか?と思ってしまう16歳になったばかりの俺は耳年増なのかもしれない。
「10k」
「それだけでその額か?俺のことなんて《アインクラッド》中に出回っているだろ?」
これは俺の傲りなどではなく客観的事実だ。翡翠色のコート《コート・オブ・ジェイド》はエクストラクエストの報酬であるため、〈情報屋〉のアルゴ曰く俺以外は誰も持っていない。着てしまうと《双竜》の〈翡翠の竜〉だとバレてしまうほどには知られている情報だ。
このエクストラクエストは非常に難易度が高かったため、第70層のボス攻略前日ギリギリになってクリアした。かなりステータスが高い装備である。まだ半分程度にしか強化出来ていないが、完全強化なんぞしたらどうなるのか恐ろしくて想像できない。
それを踏まえての問いだったが、アルゴは当たり前だとでも言いたげに俺にとっては意外な言葉で答えた。
「恋だナ」
「は?」
素で俺は反応してしまった。
「どゆこと?」
「現実世界でもあっただロ?フィクションで危険な目に遭った少女が助けられて恋に落ちるっていうのがナ」
「フィクションの中での話だろ?」
「現実でも有り得るんだなこれガ。案外現実にあることをフィクションとして扱って、現実にはないように表現することもあるらしいゾ」
「現実は小説より奇なりかよ…その程度なら無料で教えても構わないけど、スキルのことは話さないでくれよ?…あのことも」
さすがのアルゴでも俺の過去のことを聞くと動揺した。
「…まだ引きずっているのカ?もう1年だゾ?」
「1年でもだ。一生背負うことになる。いや背負っていなければならない罪」
「すべてお前のせいじゃないダロ?」
「すべてじゃなくても俺が気づいてさえいれば、あんなことにはならなかったさ」
アルゴの飲み代まで出して無言で酒場を出る。来るときと違って気分は駄々下がりだった。気分転換するために既にマッピングされている第74層の迷宮区へと向かった。
昼前、年頃の女性としては少々はしたないかもしれない熟睡から目覚めて軽く伸びをする。
1年と11ヶ月の間、一度として熟睡することはなく昨夜が初めての熟睡だった。何故そうなったのかわからず頭が混乱していたので、軽くシャワーを浴びに浴室へと向かった。少し熱めのシャワーを浴びる。若干お湯の感覚に違和感を感じるけど、意識しなければそれほど気にはならない。
姉曰く「もう少し現実感のある液体環境を提供してほしい」と愚痴っていた。〈仮想世界〉で現実感を求めるのは間違っていると言ってしまったが、今ではそれもいいかもしれないと思い始めた。
正確には一昨日助けてもらったことで心のベクトルが180度変わったのだが、それが一目惚れという恋からであることに本人は気付いていない。
シャワーを浴びて〈ヒヤヒヤ草〉を入れたワインクーラーから冷えたフルーツジュースを、同じくよく冷えたグラスに注いで一口含む。初冬とはいえ、風呂上りに冷えた飲み物を飲みたくなる欲求に不思議とさいなまれる。
一息ついているとメッセージが届き、椅子に座りながら開くと思わず顔を赤くしてしまう。
そこには《アインクラッド》唯一の情報屋に頼み、助けてくれた少年の情報をもらえるよう頼んでおいたのが今届いたのだ。
「名前はカイト。攻略組でも5本の指に入ると言われている強力なプレイヤー。性格は温厚で仁義に熱く正義感があり友好関係も広い。正義感があるが故にオレンジプレイヤーやオレンジギルドに対する対応はかなり厳しい」
カイトがオレンジに対して対応が厳しいのは、彼がそうなっても仕方がないことがあったからだが、それを知らないのであれば少々引いてしまうほどの検挙数だった。呟きながら送られてきた証明写真らしき画像を拡大して自分の真正面に持ってくる。それを見るだけで何故か心が安らぎ鼓動が速くなる。
〈仮想〉の身体と鼓動であるが、本物のように感じられそれが更に胸を締め付ける。現実世界では恋愛経験は一度も無かった。告白などは数え切れないほどあったが、付き合うなら自分から好きになった人とがいいと思っている。
「また会えるよね?」
寂しげな声音で紡がれた言葉は、開いた窓から吹き込む初冬の風にかき消された。