ほどほどに笑う君へ。 作:四十三ではない人
二つ、有名な話をしよう。
有名な話の中に「働き蟻の法則」と童話「アリとキリギリス」というものがある。
今となってはどちらも知らない者のほうが少ない有名な話だろう。
『働き蟻の法則』
これは働き蟻を百匹集めた場合、その中の二割はよく働き、六割はそこそこ働き、残り二割は全く働かない蟻になるという集団における行動法則だ。
この法則においてもっとも注目しなければならない点は、いくら怠ける蟻を排除してもこの割合が不動だという点、では決してない。
「働き蟻の法則」で着眼しなければならないのは、この法則の立証のため排除された怠ける蟻はほかの働き蟻たちから決して迫害されることがなかったと言う点なのだ。
八割という働く蟻たちに囲まれた中でさえ彼らは我を貫き己の道を突き進み、誰にも文句を言わせていない。
彼らは、集団という中において「働く」という彼らの名前にもなっている義務を免除されるだけの権利を有しているということがわかる。
逆に言えば彼ら怠け組は、他の八割にも達する働き蟻とは一線を画す勝ち組なのだ。
このことから、怠けものと揶揄されてきた彼らは堅実的に見れば勝ち組、もとい社会 の勝者だという仮説がここで出来上がる。
そう、まだここでは仮説。
この仮説に信憑性を持たせるため、ここでもう一つの有名な話に移ろう。
童話『アリとキリギリス』
この話を知らない者もまたいないことだろう。
働き者のアリと遊び人のキリギリス。
働き者のアリは冬を越すためせっせと働き続け、一方のキリギリスはそんなことお構いなしに遊びほうける。
その結果、キリギリスは冬を越せず死んでしまうという教訓じみたお話だ。
この童話の中でアリは、冬を越すために働く描写がされている。
だがここで「働き蟻の法則」を思い出して欲しい。
そう。
そのアリは八割の働く蟻なのであり、残りの二割の怠け蟻の描写がこの童話の中では全くなされていないのである。
アリ側にもキリギリス同様、確実に怠け者は存在する。
これは「働き蟻の法則」から立証された揺るがない事実であり、真実だ。
だが彼ら怠け蟻は、キリギリスと同じく怠けていたにも関わらず冬を越すことができているのである。
単独で怠けたキリギリスが敗者であることは揺るがない。
だが集団における確立した社会の中、もしくはグループという檻の中においては真面目な者より怠ける術を有している者こそが勝者により近い存在であるとこの二つの話を通して立証されている。
以上のことから労働者こそが社会の敗者であると証明される。
Q.E.D.証明終了。
怠け蟻、完全勝利。
***
「らっしゃいせ~」
コンビニの自動ドアが開かれるとそんな間の抜けたおもてなしのあいさつが聞こえてきた。
猛々しい暑さとはよく言ったものでその熱された空気から逃げるかのように冷風漂う空間へと足を踏み入れる。
今日も今日とて労働の日々。
とはいうものの学生としての労働の範疇などたかが知れたバイトへと繰り出す蜜月。
そんな日々を送る平凡な高校生。
もしもこの世界がゲームの中であり俺の説明欄があるとするならばウィンドウ項目にはそんなことが書かれていることだろう。
「……はぁ」
飲料スペースから清涼飲料水と缶コーヒーを一本ずつ手に取りながらそんな自虐めいた溜め息をつく。
自分で言っていて何を馬鹿なことをと呆れてしまう。
そういうのを没個性というのだと素直に認めてしまえばいいのに、と。
別に今のご時世珍しくもないだろう。
夢がない、やりたいことのない、平和ボケして、しかれたレールを歩るくだけの若者。
世間的にはそう言われる若輩。
その枠からはみ出ることのないやる気の欠如した現代っ子。
だが世間の目が気になるという一点のみの理由でその一般常識の枠からもはみ出ることのない臆病者でもある。
「それでも別に構わない」と思ってしまっていることがなお救えない要因なのだろう。
「ほどほどでいいんだよ。ほどほどで……」
人生に劇的なことなどそうあるはずもない。
そう言う諦めの境地の表れなのかもしれない。
昨日バイト中に見つけたあのフライヤーに写っていた彼女たちは一体どんな経緯があってあの道を歩き始めたのだろうか、とふと考える。
何か劇的な出会いでもあったのだろうか?
人生を分ける衝撃ともいえる分水嶺でもあったのだろうか?
「……」
もしも。
そう、もしも例え話として俺がこのコンビニでアルバイトをしていたら俺の人生は今とは違う景色に色づいていたのだろうか。
「お~、二点で約250円ですねぇ~」
今このレジ打ちしている『あおば』と記された名札をつけている彼女と知り合うことで何か変化が訪れたりしたのだろうか。
別に彼女に限った話ではない。
このコンビニで働いていたら今とは違う出会いがあったのかもしれない。
小銭受けへと小銭を無言で置いた。
「あー、ちょうどですねー。まいどありー」
――またのお越しを~。
そんな言葉を背に受け灼熱の世界へと再び重い足を進める。
「あほらし……」
所詮、そんなものは例え話でしかない。
そう自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
今だって行動に移そうと思えば行動できた。
『”約”ってなんだよ。すげぇ適当だな、お前』
そう、忠告まがいのことをすればフラグらしい物も立ったことだろう。
結局は行動力でしかない。
俺にはその行動力という一種の熱意が欠けている。
あの「あおば」という彼女は怠け蟻だ。
そして勝ち組でもある。
あのコンビニでバイトしていたところで俺は二割の怠け蟻にはなれない。
俺はいつだって八割の中に埋もれてきた。
今だって。
恐らくこれからも。
スマホを取り出し液晶に表示された時刻を確かめる。
「……早く出すぎたな」
バイトの時間までまだ余裕がある。
こんなことなら先ほどのコンビニで時間を潰しておくべきだった、と軽い後悔に苛まれる。
そうは言ってもコンビニに戻るという選択肢など俺の中には既に存在していないのも事実。
妙な羞恥心がコンビニへと向かう道を黒く塗りつぶしていく。
このまま喫茶店にでも向かおうかとも考えるが、自身のレジ袋に入った二つの飲料がその選択肢をも消してしまう。
別に無理して時間を潰す必要もないと言えばない。
バイト先へ早く着きすぎるというただそれだけの話なのだから。
そう思いながらも商店街の片隅に備え付けられたベンチへとその腰を下ろす。
「そこまで真面目になれんわなぁ」
だからこそ自分は六割のそこそこ働く蟻なのだろうと、納得する。
所詮、真面目にもなれず不真面目にもなれない半端者でしかない。
そう考えると怠け蟻は本当に尊敬に値するのではないかと思ってしまう。
上司である女王アリの見えないところでサボっているという点が特に。
「ああ……怠け蟻さんマジ、リスペクト」
己の魚の死んだような眼を閉じ、腰掛に全体重を預ける。
街道を賑わす雑踏という背景に自身の意識を溶けこませていった。
言う人に言わせれば現実逃避だと言われても仕方ない姿をしていることだろう。
もういっその事このまま本当に夢の世界へと逃げてしまおうかとも考えた。
――ハッピー!! ラッキー!! スマイル!! イエーイ!!
そんな快活な声が聞こえてくるその瞬間までは。
「んあ!?」
拡声されたスピーカーを通して響き渡たる声に手放しかけた意識が無理やりたたき起こされる。
「みんなぁ!! あたし達、『ハロー、ハッピーワールド!』の路上ライブを聞いてくれてありがとう!! みんなのおかげですっごく楽しかったわ!!」
そんなものをやっていたのか、と声のする方を直視する。
視界に映ったのはまるでマーチングのような衣装に身を包んだ集団。
というより路上ライブと謳っていたのだから『ような』ではなく実際にマーチング衣装なのだろう。
「きゃぁぁぁぁぁ!! 薫様ぁぁぁぁぁ!!」
黄色い声援が商店街の空気を色づかせていく。
「薫様」と呼ばれるまるで宝塚の役者のような人物がその声援に応えるかのように有象無象にウインクを返していく。
その瞬間、何か波状攻撃でもされたのではないかと錯覚しそうになるように視聴民が卒倒し、失神していく姿が飛び込んできた。
「えっ、なに? こわっ……」
あの薫様、どこかで見たことがあったような気がすると思考を巡らせていたのが一瞬で霧散するほどの衝撃だった。
いやよくよく考えれば、先ほどMCをしていた人物にもさらに言うなら観客に手を振る爛漫な少女にも既視感を覚えていたはずである。
どこかで会ったことがあっただろうか?
自身の人間関係を遡ってみるも深く掘り返さないと思い出せないほど女性に関わってこなかった、という己の歴史が暴かれるばかり。
つまりは知人ではないということ。
まあ、そもそも知人だったところであんなド派手な演出の中、声を懸けに行く度胸なんてありはしないのだから俺にとって関わり合いにならない集団であることは変わりないだろう。
そうと分かれば俺が取る行動はただ一つ。
「……はぁ」
重い尻をベンチからゆっくり上げる。
あの冗談のような失神者がいる横を素通りできるほど流石に俺の面も厚くはない。
だからと言って看病やそれに準ずる行動に移るほど心優しいという設定も俺にはない。
その人込みを避けるように俺は路地裏へと隠れるようにこの場を後にした。
あの集団に関わって結果バイトに遅れるなんて事だけはあってはならない。
言い訳の材料にはなるのだろうが、だからと言って遅刻していい理由にはならない。
正論で武装をするとすればそんなところか。
要約すれば「厄介ごとはご免被る」ということ。
面の皮が厚くはないが情は薄い。
つまりは無関心。
「……はっ」
そっちの方がよっぽど酷いな、と小さく笑った。
――美咲ちゃん!? 大丈夫!?
突如、路地裏の奥の方からそんな声が響いてきた。
踏み込もううとした足をピタっと止める。
踏み入るべきか否か。
そんな選択肢が一瞬頭をよぎる。
「ちょっと、待ってて!! わ、私お水持ってくるね!!」
気弱そうな女の子が焦燥に駆られた表情で路地裏から飛び出してくる姿が映る。
通り過ぎる彼女を横目に「先ほどの声は彼女の物だろうか」とそんなことを考えた。
先ほどの声の内容を読み取るにこの奥には彼女の友人もしくは知人がいるのだろう。
そういえばすれ違った子もあの路上ライブをしていた「薫様軍団」と同じマーチング衣装を着ていた。
ということは彼女もまたあの集団の関係者なのだろうと、そう当たりをつける。
だったら、彼女には救援を呼べる相手が近くにいるということになる。
もしも、俺がこの場で踵を返し先ほどの路上ライブ前を通り過ぎようものなら気弱そうなあの女の子と鉢合わせになる可能性がある。
そんな場面を見られたりでもしたら彼女にどんな目で見られるのだろうか。
面倒ごとに巻き込まれるのを避けるために逃げ出した薄情男、とでも映るのだろうか。
「……まあ、間違いではないわな」
そう呟きながら、路地裏へと足を踏み出した。
言い訳をするわけではないが、これ以上時間を取られればバイト時間に冗談抜きで間に合わなくなるかもしれない、そんな危惧を感じ始めていた。
もうこれ以上考えても埒が明かない、それが本音。
所曰く「もう、どうでもいい」
ただそれだけ。
路地裏は風が吹き抜けているおかげか直射日光によって熱されたアスファルトが存在していなせいか随分と涼しく過ごしやすいと感じる。
この狭さならば先にいるであろうあの少女の友人もしくは知人の存在に「気が付かずに通り過ぎました」なんて
言い訳はできないだろう。
そんなのはもう覚悟の上。
事情を知らない通りすがりの体で過ぎ去ればそれで終わりだ。
それに事情を知らないのは事実に違いないのだから。
薄暗い道を奥へ奥へとある種の覚悟を決め突き進む。
そして道の陰に腰掛けるあの子の友人らしい人物を認識したその時、路上ライブしていたマーチング集団に感じた既視感の正体に得心がいく。
覚えていなくとも無理はない、とそう自分に言い訳もした。
――世界を笑顔に!!
そんなキャッチコピーを思い出す。
出来るものならして欲しいと、毒づいたのも。
『マスコット的なキグルミ』
それが初めて見た時の印象だったはず。
マーチング衣装を身にまとったピンク色のクマ。
「――ハロー、……ハッピーワールド?」
言葉がついつい口から漏れた。
その俺の言葉に反応するよう、暑さによって気だるくなった体を無理やり動かし確認しようとするキグルミの人物。
フライヤーには映っていなかった被り物を脱いだ彼女の素顔に目が釘付けになる。
暑さと汗によって紅潮し湿った頬と乱れた髪。
朦朧としているのか視線が定まらず、その姿も相まって薄幸さに拍車をかけているような印象さえ受ける。
息遣いも荒く、明らかに水分が不足していると素人の目でもわかる。
そしてどことなく「エロい……」とも感じた。
この猛暑の中、キグルミを着て動くことがどれだけ辛いか。
その経験がある俺にはよくわかる。
「……?」
そのいきなり現れた俺という存在に虚ろな目で訝し気に眺めてくる彼女。
俺も俺だ、素通りするのではなかったのかと心の中で己を罵倒する。
だが、声に出してしまった。
彼女の所属するバンド名を口にしてしまった。
関わってしまった。
もう、素通りはできない。
「あ……」
あの気弱そうな女の子は彼女のために水を取りに行ったのかと、この時ようやく気が付いた。
「あ……暑い中、ご苦労様です」
気まずい空気の末に出た言葉は、そんな労いの言葉。
憐憫と取られかねない情けのない言葉。
「……はぁ。どうも……?」
「……」
一方的に感じる気まずさにより体中から汗が噴き出る。
「……?」
沈黙。
――カサッ。
その沈黙を破るようコンビニで購入した「清涼飲料水」と「缶コーヒー」二本の飲料がレジ袋の中で倒れ、虚しい音を響かせた。
自分が所持していたものの存在を思い出す。
思い出してしまったが最後、己の中に出てくるのは二つ選択肢。
『渡す』か『渡さないか』
この二つ。
「飲み物……いります? よかったらでいいんですけど……」
俺が出した答えはそれだった。
「え、いや大丈夫です……。友だ……あー、先輩が取りに行ってくれてるので……。あーでも花音先輩、ちゃんと戻って来れるかな……」
やはり意識が定まっていないのか、独り言のように語りだす。
花音先輩とは先ほどの気弱そうな女の子のことなのだろう。
他のメンバーがいた場所とここはんそんなに離れていないはず、なのにその道のりで帰って来れないことを危惧しているとは状況把握ができないほど意識が混濁している可能性がある。
もしくはその花音先輩とやらが極度の方向音痴かのどちらかだ。
とはいえ、すでに俺は彼女から言質は取った。
彼女から拒絶された以上もう俺の方から彼女に対して何かしなければならないという義務もなければ責められる謂れもない。
つまり、もうここから先俺は無関係だ。
「あ、もしかして私が邪魔で通れませんでした? ぼーっとしてて気がつかなくてすみません」
――よっこいせっと。
ふらふらになりながら立ち上がるキグルミ姿の彼女。
そんな彼女に俺は手に持っていたレジ袋をさしだした。
そんな突然差し出され困惑する彼女に言葉を添える。
「まあれです……見ず知らずの人からの飲料に抵抗があるでしょうけど、まだ冷たいので涼くらいは取れると思います。いらなかったら捨ててもらって構わないのりぇ……」
恐らくすごく挙動不審だったと思う。
そのうえ見事に言葉を、噛みました。
やっべぇ、俺クソキモイな。
「え、はぁ……どうもありがとうございます」
キモかろうがなんだろうが俺にはもう関係ない。
そう、俺には無関係だ。
まあ俺にしては行動した方だろう。
「お疲れ様です」と最後に彼女にそれだけ告げ俺はその路地裏の道を後にする。
時間もいい時間。
暇つぶしとしてはそれなりに濃密だったというのが感想。
「ああ……バイトしたくないぃ。遊んで暮らしたいぃ」
そんな陰鬱の未来から逃避するかのように悲観に暮れた。
蟻の中にはほどほどに働く六割の働き蟻が存在する。
サボるわけでもなくだが人一倍に働くわけでもない普通の蟻。
これはそんな六割の普通の蟻。
労働者は弱者だと豪語する俺「梔子(くちなし)宝一(ほういち)」。
そして、のちに俺が知ることとなるバンド「ハロー、ハッピーワールド!」のキグルミDJ「ミッシェル」こと「奥沢美咲」。
ハロハピ内、随一の勤労者である彼女。
二割のよく働く蟻、勤労蟻ともいえる苦労人の彼女、そして世界を笑顔にしたい彼女たちを通して梔子宝一という人物の何かが変わっていくかもしれない。
……そんな酔狂なお話。