ほどほどに笑う君へ。   作:四十三ではない人

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推しがいくらあがいても出ないときって取り敢えず出た人の目潰して回りたくなりません?


女王蜂の建立

***

 

 

『へい!! ほ兄ちゃん!! この妹様のために学校帰りにお遣い行ってきて!! おいおい、私のために働けて幸せ者だなほ兄ちゃん!! ほれ!! 泣いて喜べ!!』

 

 

 と朝、妹様からお遣いを頼まれた俺は学校帰りに商店街へ泣いて喜びながら足を延ばしていた。

 妹様に文句も言わず遣いっパシリにされている己の優しさと、商店街を彩る茜色の夕日が目に染みて涙が止まらなかった。

 

 兄という生き物をいつだってかわいい妹に弱い生き物だ。

 妹の頼みとあらば大抵のことはやってあげたいと心の底から思っている。

 

 

 女王蜂のために花の蜜を集める働きバチのように。

 

 

 

「何買ってこいっていうんだよ」

 

 朝渡されたメモ紙を開く。

 

 

 

 

『夜食用チョココロネ!! 注意……やまぶきベーカリー以外認めない!! そう、絶対にだ!!』

 

 

 

 真っ先にそんな力強い文字が飛び込んできた。

 

 

「夜食用チョココロネって……太るぞ」

 

 

 いや、もしかしたら太りたいのかもしれない。 

 チョココロネを食べることが目的ではなく、太ることが目的であるという可能性も考慮に入れた方がいい。

 ならば、カロリーの高い食べ物こそが真に妹様が欲している物。

 

 

 例えばそう、揚げ物とか。

 

 

 なんか注意書きがされているけど、まあこれは見なかったことにするとして。

 確か、やまぶきベーカリーの近くに精肉店があったな。 

 あそこのコロッケは絶品だと評判が良かったはず。

 

 よし。

 まず最初の嫌がらせはチョココロネの代わりにコロッケを買って帰ることにしよう。

 

 

「えーと。次は……」

 

 

 

『パスパレ日菜ちゃんの私物!! 要望……観賞用、保存用、布教用の三点セットでキボンぬ』

 

 

 

 次の書き込みに眩暈がした。

 

 

「誰だよ……パスパレの日菜ちゃんって」

 

 

 いい加減にしろよあの百合妹。

 どう考えてもお遣いの範疇じぇねえだろこれ。

 しかも布教用ってなんだ。

 なに他人の私物を布教しようとしてるんだよ、あいつ。

 

 

 確かパスパレって「パステル・パレット」っていうアイドルグループの略称だったけか?

 

 というか、この前まで『紗夜さんの汗美味しいです、はい。ヌフフフフ……』とか言ってライブ館に出入りしていたのにもう違うやつに目移りしているのかよ。

 

 

 どちらにしても節操がないにもほどがある。

 

 

 とりあえずこれは保留。

 

 

 

「次」

 

 

 

 そう言って最後の書き込みに視線を落とした。

 

 

 

『ほ兄ちゃんの私への忠誠心(守りたいこの笑顔)(愛は地球を救う)(お金で買えない価値がある)(でもやっぱり世の中金が全て)(金)(金)(金)』

 

 

 

 絶句した。

 

 

 

「煩悩にまみれてやがる……!!」

 

 

 ほ兄ちゃん、ちょっと妹様のことが心配になってきたわ。

 

 

 えっ? なに?

 結局、ほ兄ちゃんは一体何を買ってくればいいの?

 

 

 チョココロネ? チョココロネだけでいいの?

 いいの? 本当にそれだけしか買ってこないよ?

 

 

 

「まあ、下手にたくさん頼まれて歩き回るよりかは全然いいわけだが」

 

 

 

 俺のバイト先もこの商店街の中にあるのだからできれば長い間歩き回りたくない。 

 今日はバイトが休みとはいえ、同じ勤め先の人と会うのはバツが悪い。

 というか、プライベートでは関わりたくないというのが本音。

 

 

 そうと分かっていれば長居は無用。

 さっさとそのやまぶきベーカリーに行ってチョココロネを購入し帰る。

 それでほ兄ちゃんの今日の妹様への忠義は終わり。

 

 

「はよ終らせて、帰ろ」

 

 

 俺と同じ学校帰りであろう学生どもや買い物帰りであろう主婦、今現在も労働に与している者たちが賑わう街道を横目に突き進む。

 

 

 

 自由。

 

 

 

 なんと素晴らしい響きなのだろうか。

 妹様の遣いパシリになっているとはいえ、そんな社会のしがらみから解き放たれているような快感。

 

 

『衣食足りて礼節を知る』という言葉があるが今は『不自由なくして自由なし』という言葉を存分に噛みしめたい気持ちだ。

 

 

 

 行き過ぎた富は礼節どころか傲慢を生む。

 過剰な自由は多くの不自由の上に築かれるものだ。

 

 自由とは力であり、力とは権力に同じ。

 力なきものが労働に宛がわれるのは太古からの摂理。

 

 王君と奴隷はいつの時代にも存在する。

 

 

 労働を強いる代わりに権利を与えていた者。

 不自由を提供される代わりに生活を保障されていた者。

 

 

 

 今はそれが国と国民になっているだけの話。

 

 

 

 まあ結局何が言いたいっていう話をするのなら……。

 

 

 

 ――休みマジ最高。

 

 

 

 ただそれだけ。

 

 

 

「っげ。ゴンザレス……」

 

 

 やまぶきベーカリーのある交差点付近に差し掛かろうとした矢先、俺の目には見慣れた黒色のクマのキグルミが飛び込んできた。

 

 

 黒クマのキグルミ。

 名前は『ゴンザレス』。

 

 

 バイト先で俺がしているビラ配り時の正装。

 ゴンザレスでの主の仕事は子供には風船を、それ以外にはビラを配るのが仕事。

 

 よく知らないがバイト先の先輩の話ではキグルミは元々二着あったらしいのだが一つはもうないらしく、今はあのゴンザレスのみなのだという。

 

 

 つまり、あのキグルミは紛うことなきバイト先のゴンザレス。

 俺が今日休みなのだから当然のことながらあの中に入っているのはバイト先の誰かということになる。

 

 

 今日のゴンザレス担当は誰だったかと頭をフル回転させるも、自分以外のシフトなどうろ覚えの上に担当まで覚えているはずもなく俺という存在に気が付かないでくれ、と祈ることしかできない。

 

 

 隠れるように、傍から見れば不審極まりない動きでやまぶきベーカリーに近づいていく。

 入口まであと少しというところで強い視線を感じ恐る恐るゴンザレスのいる方角をこの目で確かめる。

 

 

 

「……」

 

 

 

 心からの願いも虚しくゴンザレスは俺をしっかりと見据えそのつぶらな瞳でガン見してきていた。

 

 

 

「……え。やだ……」

 

 

 こっち見んといてぇ……。

 俺、今日休みやん。

 

 そんな恨めしそうな目で見んといてぇな……。

 

 

 

「ひぃぃぃ……」

 

 

 

 その視線に耐えられず逃げるようにやまぶきベーカリーにあわただしく入店した。

 

 

 

「い、いらっしゃいませ……」

 

 

 

 そんな不審な俺に目をパチクリとさせながら店員さんがおもてなしの声をかけてくれた。

 レジの前にいる長身な女性も同じく、そんな俺の恐慌ともいえる来店に目を丸くしていた。

 

 穴があったら入りたい状況とはまさにこのような状況のことを指すのだろう、と羞恥心に駆られすぐさま店から逃げ出したい衝動が襲う。

 だがここで飛び出せばそれこそ本当に不審者であることは百も承知。

 俺は必死に平素を装った。

 

 その姿は「むしろこれが俺の流派ですが、なにか?」とでも言いだしそうなほどに堂々としていたことだろう。

 

 

「あぁ、じゃあ沙綾。練習の時間だしアタシもう行くわ。パンありがとね、モカも喜ぶよ」

 

 

 チョココロネどこだぁ。

 ちょこっとコロネはどこですかぁ?

 

 

「あ、うん。アフグロのみんなにもよろしく言っておいて。巴も練習頑張ってね」

 

 

 おう? チョココロネがないぞ。

 売り切れ? ソウルドアウトなの?

 

 

「あの……すみません」

 

 

 俺は長身の女性のお客さんと入れ替わるように店員さんにチョココロネの所在を確認した。

 

 

「すみません、もうチョココロネ売れきれてしまいまして。今日はもう窯の火も落としてしまっているものでお焼することもできないんです」

 

 

 ――もしよろしければ、ほかのパンも見ていかれてください。

 

 

 と、丁寧に一言添えて商品がない旨を伝えられた。

 

 

「あ……そうなんですか。わかりました、ありがとうございます」

 

 

 ふむ、売り切れならばもうどうしようもない。

 妹様のご意向とは違うものを代わりに買って帰らねばならないか。

 どうする。

  

 

「うーん」 

 

 

 ああ、忘れてた。 

 そういえば元々は嫌がらせでコロッケ買って帰ろうと思っていたんだった。

 

 

 俺なんでパン屋にいるんだろう?

 

 

 店の外のゴンザレスに関してはもういいや。

 そもそも、俺は今日休みなんだからいくら恨めしい目で見られようと非難される謂れなんてないじゃないか。

 

 

「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」

 そんな言葉で何も買わずに店を出る罪悪感に後ろ髪を引かれる。

 

 

 空を仰げば夕日がさらに傾き一番星が夜空に瞬き始めようとしていた。

 なんだかんだで結構な時間をこのお遣いで使ってしまいそうと漠然と考える。

 人の足がまばらになっている印象を受ける交差点をついつい見渡す。

 非難される謂れはないと思いながらも、どうしてもあの黒いクマの姿を探してしまう。

 

 

 やまぶきベーカリーの目と鼻の先にある「北沢精肉店」の看板目掛けその足を延ばす。

 

 パン屋と違って精肉店の揚げ物ならば品切れということはないはずだ。

 また、これで油の火を落としているとなるとまた話は違うけれど。

 あとは、もうタネがないという場合か。

 

 ここでも何も買えなければもう諦めて帰るとしよう。

 あとは適当にコンビニで代用品でも見繕ってやればいいだろう。

 何見繕おう、フーセンガムでいいかな?

 

 

「へい!! いらっしゃい!! 何にしましょう!?」

 

 

 そんなことを考えていたら精肉店のカウンターからそんな可愛らしく快活かつ大きな声が俺の鼓膜を激しく揺らした。 

 声の主を見据え、その人物を確認する。

 

 

 一言で言えば小動物。

 二言で言えばかわいい小動物。

 三言で言おうにも己のボキャブラリーの浅さに底がつく。

 

 

 もう流石に忘れたということはない。

 これで間接的とはいえ見るのは三度目。

 マーチング衣装ではなくとも既視感は拭えない。

 

 

 薫様軍団。

 ハロー、ハッピーワールドだったか。

 

 

 

「えぇと……コロッケ一つ」

 

 

 

 ――はい!! コロッケ一つまいどありっ!!

 

 

 そう言って店の中へと声掛けをする。

 

 

 

「今からとーちゃんが揚げるから少し待ってって!!」

 

 

 これでまたしても買うことのできないという事態だけは免れる形となった。

 己のポケットからスマホを取り出し、液晶を操作する。

 

 特にしたいことがあるわけではない。

 手持無沙汰。

 

 ただそれだけの時間つぶし。

 

 

「……」

 

 

 父ちゃんと言っていたか。

 つまりここでは彼女の父親も働いているということ。

 いや、あの言い方の砕けようからすればここは彼女の家なのだろう。 

 

 

 家業の手伝いか。

 

 

 恐らく先ほどのやまぶきベーカリーにいた店員。

 彼女もあの店の娘か何かなのだろうな。

 

 あの知り合いらしき女性とのやり取りを盗み聞くにパンの譲渡が行われていた。

 規格外のパンだったのかもしれないがそれは一アルバイトが独断でしていい行為ではないことは確か。

 

 

 その行為ができるのはある程度の権限がある者だけ。

 

 

 権限は権力であり、権力は力であり、力は自由へと繋がる。

 彼女らはこの労働という鎖に繋がれた中でも自由が認められている者たち。

 

 

 賃金が発生しているのかどうかは俺の預かり知るところではないが。

 労働者が弱者だとするのならば一体彼女たちはどちらに属する立場なのだろうか。

 

 

「……」

 

 

 彼女らはきっと蟻ではない。

 

 

 彼女らは例えるのならば『蜂』だ。

 

 

 王君と奴隷。

 蟻と同様に王君と奴隷が存在する生物、蜂。

 

 女王蜂に付き従う働き蜂はすべて雌だと言われている。

 そしてまた、女王がその座を退いた後その座に就くのもまた彼女たち働き蜂。

 

 彼女たちは現在労働に与しているが将来的には王座に君臨することが約束されている者たち。

 まあ、その道を選ぶかどうかは彼女たちの意思にもよるところではあるのだが。

 

 

 血縁。 

 ただその二文字だけで王になる道が存在している立場。

 つまり彼女らは『勝ち組』なのだろう。

 

 

 そんなことに思案を巡らせスマホを弄りながら時間をつぶす。

 

 

 ――まあ俺には関係ないことだわな……。

 

 

 正直、よその家の労働事情なんてどうでもいいわけだが。

 いやしかし、どうなんだろう?

 なんかあのフライヤーを見た日からやたらと彼女たちが視界に入ってきているような気がする。

 

 覚えた文字をよく目にするようになるみたいな。

 スタンド使いはスタンド使いに引かれあうみたいな。

 

 そんなカラーバス効果が起こっているだけなのかもしれない。

 

 案外、知らず知らずのうちに色々な出会いはしていたりするのかも。

 意識してないだけで。

 

 

 そういうのなんて言うんだっけ? アハ体験?

 そう疑問に持ちスマホ内の検索アプリで調べてみるも出てきたものは全く違う文字群。

 

 

「あぁ、全然違うわ……」

 

 

 思っていた以上にコロッケが揚げ上がるのに時間がかかっているため、時間つぶしの手段も底が付き始めてくる。

 しかし、揚げ物が一体いかほどで揚げ上がるのかなんて知らない側からすれば、へたに急かすのも憚られる。

 

 

 またしてもスマホに『コロッケ 揚がり時間』と打ち込み暇をつぶそうとしたその時、妙な悪寒を背中に感じた。

 

 なにごと?

 と思い、辺りを見渡すと人の足がまばらになった街道から黒い影がこの北沢精肉店に向かってしっかりとした足取りで歩いてきていた。

 

 

 

「ゴ、ゴンザレス……だと」

 

 

 

 その影は惑うことなく黒クマのゴンザレス。 

 そのクマだった。

 

 

 

 緊張で唾を飲み込む。

 動機が荒くなる。

 汗が噴き出す。

 

 

 なぜだ。

 なぜ奴がこの北沢精肉店へと向かってくる?

 

 すかさずあたりを見渡すも精肉店の周りには人はいない。

 俺という人物を除いては。

 

 

 まさか俺のほうに向かっている?

 

 

 え? 俺今日休みだったよね?

 本当に休みだったよね?

 

 もしかして俺今日バイトの日だった?

 それで、俺が来ないから代わりに誰かがゴンザレスに入りその業務の最中に俺を見つけたとかそういう状況これ?

 

 

 いや、だったらとっくにバイト先から電話が来てるはず。

 

 

 

 ――もしかして着信に気が付かなかった!?

 

 

 

 と思い履歴を確認するもやはりそんな連絡があった形跡はどこにもない。

 そんなことをしている間もゴンザレスはズンズンとこちらに歩いてくる。

 

 意味の分からない威圧感に逃げ出したいという言葉で頭が埋め尽くされる。

 

 

 怒られるの? 俺怒られるの?

 

 

 ちくしょう!!

 こんなことになるならさっきのやまぶきベーカリーで適当にパンを買っとけばよかった!!

 

 

 そんな後悔の念に苛まれていたその時。

 

 

 

「へいっ!! コロッケ一つお待ち!!」

 

 

 

 という店内からの爛漫な声が再び俺の鼓膜を激しく振動させた。

 

 

「へっ!? あ、あぁ……」

 

 

 突然差し出された紙袋にそんな間の抜けた返事をする。

 コロッケ一つにしては少々大きい紙袋に疑問を持ちつつもそんなことよりも今己に降りかかろうとしている事態のほうに意識がむいてしまう。

 

 

「とーちゃんがサービスで売れ残った唐揚げも入れといたから食べてくれって!! ……何見てるの?」

 

 

 俺の不審な挙動と視線に疑問に持ったのか店のカウンターから体を乗り出し俺が見ていた先をのぞき込んでくる小動物のような彼女。

 

 

 

 ――……!!

 

 

 彼女が体を乗り出した瞬間ゴンザレスの動きが止まった。

 というか一瞬驚いていたようにも見えた。

 

 

 

「あっ!! 『ミッシェル』のそっくりさんだ!!」

 

 

 

 そう、ゴンザレスを指さし嬉しそうに叫ぶような声を上げる。

 

 

「ミ、ミッシェルのそっくりさん……?」

 

 

 それは間違いなくゴンザレスに向けての発言ではあるのだろう。

 というか誰よミッシェルって。

 

 

 いや、そんなことよりも彼女が出てきた時からゴンザレスの様子がどうもおかしい。

 動揺しているかのように落ち着きがなくなっている。

 

 それどころかジリジリと後ろに後退し始めている。

 その姿はまるで森でクマに出会ってしまった時のような対応の仕方。

 

 

 クマはお前だろ。

 なんてつまらない自己ツッコミを入れるわけもなくそんな挙動不審なゴンザレスを黙って見守る。

 

 

 蛇に睨まれた蛙。

 

 

 この状況を表すのならまさしくこの言葉なのだろう。

 どちらも行動に移さない均衡状態と完全に蚊帳の外に追いやられた俺。

 

 

 

「――……っ!!」

 

 

 

 突如、店の中に勢いよく引っ込む小動物のような彼女。

 それを合図にするかのように踵を返し今まで来た道を逆走し始めるゴンザレス。

「えっ!? なにごと!?」なんて言う暇もなく彼女たちのやり取りを呆然と眺めるだけの俺。

 

 

 見る見る街道を逃走し小さくなっていく黒クマの背中を眺め「結局、中の人は何がしたかったんだ」と頬を掻く。

 

 

 

「あれぇ!? ミッシェルのそっくりさんは!?」

 

 

 

 北沢精肉店の裏口から出てきたのであろう彼女が俺にそう質問してきた。

 

 

「えぇと、帰りまし……た? たぶん……わかりませんけど」

 

 

 ――そっかぁ。はぐみ、今日こそそっくりさんと遊びたかったのになぁ……。

 

 

 心底残念そうにつぶやく彼女。

 

 

 ふむ、先ほど自分で言っていた「はぐみ」というのは彼女自身の名前なのだろうか。

 文脈的に考えても恐らく間違ってはいないだろう。

 

 あれか。

 自分のことを自分の名前で呼んじゃう系女子か。

 そういうのってなんか、こう……グッとくるものがあるよね。

 

 

 いや、しかし。

 あのゴンザレスの中に入っていた人物はもしかしたら彼女のことを知っていたのだろうか。

 あの彼女への反応の仕方が尋常ではなかったのだが。

 

 俺がゴンザレスになっているときにはこれと言って目の前の彼女に何かされた記憶はない。

 なんだろう? ただの偶然か?

 

 

 

「あっ!! ごめんね!! そういえば会計がまだだったよね!! ちょっと待ってて!! はぐみ、すぐ戻るから!!」

 

 

 そう言って再び裏口へと戻っていくその姿を眺める。

 

 

「ミッシェルのそっくりさん……ね」

 

 

 それがゴンザレスのことだということはもう疑う余地などないだろう。

 ならばミッシェルとはゴンザレスとそっくりなあのピンク色のクマのキグルミのことか。

 

 

 先日あの猛暑というべき日中に出会った彼女。

 まさか彼女の名前がミッシェルなんてことはないだろうから、マスコットとしての名前なのだろう。

 

 あの時のキグルミの彼女、名前は何と言っていただろうか。

 花音先輩とやらが口にしていたかもしれないが、あいにく覚えてない。

 

 

「まあ、もう関わることのない相手だろうし関係ないか」

 

 

 カラーバス効果。

 意識した情報が無意識に自身のもとに集まる現象。

 

 

 関係ないといいつつ意識している自分の矛盾に笑ってしまう。

 きっと、その始まりは彼女たちのバンドフライヤーを見つけたあの日からなのだろう。

 

 

 今後、俺がゴンザレスに入っているとき彼女「北沢はぐみ」に出会うことも出てくる。

 そんな時、今日という日がなければ俺にとって彼女は『快活天真爛漫なかわいい小動物』で終わっていた。

 

 その違いよって何か変わるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。

 ただそれだけの話。

 

 

「ごめんね!! ちょっとお兄ちゃんが邪魔で手間取っちゃって……!!」

 

 

 まあ、だからと言って彼女に何かをしようなんて気はさらさらないわけだが。

 

 

「あ、いや大丈夫です。別に急いでませんので」

 

 

 ――唐揚げはとーちゃんからのサービスだから!!

 

 

 と念押しされ提示された代金を支払う。

 

 

 

 

「唐揚げ、ありがとうございます」

 

 

 ――バンド、頑張ってください。

 

 

 そう、サービスに対するお礼の言葉を添える。

 一瞬キョトンとするも次の瞬間には笑顔で「また来てね!!」と笑いかけてきた。

 

 

 

 北沢精肉店を後にするころにはすでに日も落ちてしまっていた。

 結局、コロッケ一つ買うのにかなりの手間を取ったような気がする。

 

 

 暗くなった空を仰ぎながら紙袋からサービスしてもらった唐揚げ二つのうち一つを取り出し一口で口の中に放り込む。

 咀嚼しながら考えることは彼女のこと。

 

 

「お兄ちゃん……か」

 

 

 やっぱり妹属性って、なんかこう尊いよな……。

 そんなことを考える。

 

 二つ目の唐揚げも放り込み飲み下し指についた油をなめとる。

 

 

 

「まっ!! 俺の妹様のほうが尊いけどな!!」

 

 

 

 よその妹なんざ目じゃねぇや!!

 

 

 

「さっ!! かーえろっと!!」

 

 

 

 そういえば結局あのゴンザレス誰だったんだろ?

 今度バイト行ったとき覚えてたら確認してみよっと。

 

 

「どうせ忘れてるだろうけど!!」

 

 

 そんな投げやりな言葉を残し俺は月夜の街道を後にした。

 

 

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