ほどほどに笑う君へ。 作:四十三ではない人
***
「どうするかねぇ、これ」
我が家のリビングにて俺こと梔子宝一は思案に暮れていた。
目の前のテーブルの上には一枚の封筒が置かれている。
置かれているも何も置いたのは俺自身なわけなのだが。
『ほれ、梔子。労いの品だ』
あの日。
ふわキャラ選手権が行われた日。
坂本さんが終わり掛けに行っていた労いの品という物を頂戴すべく赴いたところ、そんな御座なりな言葉と共にこの封筒を渡された。
中身は現金。
だったのならばこんなに悩みはしていない。
中身は二枚のチケット。
そのチケットには『Circleライブプレミアムチケット』と書かれている。
思い出すのはあの時の坂本さんの言葉。
『因みにそのプレミアムチケットは君の名前で登録してある。君以外には使えないようになってるから転売を考えるだけ無駄だからな』
あんまりな信用の無さである。
人のことを金の亡者みたいな言い方しなくてもいいじゃないか。
『一枚は君にしか使えないがもう一枚の方は君と同伴であれば誰でも使えるようになっている。金の亡者ならそちらを売ればいい』
一体あの人の中で俺はどれだけのクズ野郎認定なのだろう。
そう思わざるおえないほど言い方に涙を飲み込んだ情景が今でも鮮明に思い出せる。
つまり、このプレミアムチケットとやらは一枚は俺固定でもう一枚は好きに使える、だがその一枚も俺が同伴しなければ使えない代物だという事。
転売できなければ、譲り渡すこともできない。
『好きな人を誘えばいい。君に誘える相手がいればの話だがな!!』
そう高笑いを残し立ち去る坂本さんの背中。
今思い出してもあれほど蹴りたいと思った背中は今まで存在していなかったことだろう。
「……結局、喧嘩売りたかっただけじゃないのか、あのパピヨン野郎」
そう、悪態も漏らさずにはいられない。
しかも、このCircleライブ。
内容が「ガールズバンド」一色なのである。
ガールズバンド。
ようは、女の子しかいないバンドで統一されたライブということ。
敷居が……!!
敷居が高いでおま……!!
俺自身、音楽にあんまり興味がない上にプロではなくアマチュアのライブ。
それだけでも敬遠しがちなのにさらにそこにガールズバンドという特殊なジャンルが組み合わさるともう、何というか何を楽しみにすればいいのかわからない。
誰かを誘うにしても誘いずらいし。
休日を返上してまで見に行く価値があるのかと言われれば、俺の中にはそこまでの希少価値はない。
それが本音。
だがだからと言って行かなければ行かなかったでせっかく坂本さんがくれたチケットが無駄になる。
言い方はアレだったが善意でくれた物。
行かずにただの紙切れにしてしまうのは誠意にかけるし、できればしたくはない。
「どうするかねぇ……」
振り出しに戻るように再びそう呟く。
どこかに都合のいい奴はいないものかねぇ。
……――――!!
そんなことを考えていると、不意にリビングのドアが勢いよく開かれ、あわただしい音が家中に響き渡った。
その音の出所に目を向けると奴がいた。
「へい!! ほ兄ちゃん!! この妹様のことを呼んだかい!? 呼んじゃったのかい!?」
「呼んでねぇよ。いいからてめぇはさっさと自分の星に帰れ。そして一生幸せに暮らしてろタコ」
「うはっwww ほ兄ちゃんツンデレとかwww 一体誰得www 塩じゃ!! 塩を撒けぇぃwww」
妹様だった。
うぜぇ。
驚愕のウザさである。
いや、本気で何しに来たのよこの妹様。
お呼びじゃないんだけども。
「いやさぁ、妹様ってあれじゃん? 受験生で勉強ばっかじゃん? 疲れてるわけよ。疲がれてるわけなのよさ。ほ兄ちゃん的にはそんな妹様の姿を見るのは居た堪れないかなぁと思っちゃうわけなのよさ。だからほら、癒せ」
「……癒せって」
脈絡と文章力よ……。
支離滅裂にもほどがある。
「なんだよ、またチョココロネでも買って来いっていうのかよ」
「また!? またって言ったこのほ兄ちゃん!? この間買ってきたのチョココロネじゃなくてコロッケだったじゃん!! マジふざけんな!! とってもおいしかったのでまた買ってきてください!!」
「また今度な」
そんな俺の返事に満足したのか冷蔵庫へと軽快な足取りで向かう妹様。
冷蔵庫から麦茶を取り出し「ぷっはぁー」と呻く。
さてさて、どうするかね。
確かに誘う相手としては申し分ない。
俺と違って妹様は幾度となくライブ館に出入りしているし、ガールズバンドの知識にも明るい。
口ぶりからしてもバンドメンバーのこともある程度把握しているだろう。
ただの紙切れにしてしまうくらいなら妹様を連れて行くことで気分転換にもなるだろうし。
問題は中学生で受験勉強真っただ中の妹様を果たして連れ出すことができるのかというところか。
「妹様よ。『Afterglow』というバンドをご存知?」
俺がそういうと驚いたような顔でこちらを見てきた。
どうやら俺の口からその単語が出てきたことに驚いているご様子。
「まさかほ兄ちゃんの口からアフグロが出てくるとは思わなかった……。どうしたのほ兄ちゃん? 人生に疲れたの? 私でよければ相談に乗るよ?」
え?
ほ兄ちゃんの口から出ることが妹様にはそんなに自暴自棄に聞こえるの?
そんなレベルなの?
「……バイト先でライブのプレミアムチケット貰ったんだよ。調べてみたらその日の出演バンドで有名どころがそのAfterglowっていうバンドだったから妹様なら知ってるかなと……まあ、それだけなんだが」
チケットの入った封筒をひらひらと妹様に見えるように掲げる。
「プレミアムチケット!?」
そう声を上げる妹様。
俺の手からふんだくる様に封筒を奪い取り慌てて中身を確認する。
「……本当だ。初めて見た……」
「そんな珍しいものなの?」
そりゃまあ、プレミアムとつくくらいだから希少価値はあるのだろうけど。
そんな驚くほど?
中学生の金銭感に乗っ取れば、こういう物は確かに手が届くような代物ではないのかもしれない。
「どうしたのこれ? なんでほ兄ちゃんがこんなの持ってるの?」
「この間のバイトの労い品だって言って貰った、坂本さんから」
坂本さんはライブ館関係者の一人でもある。
そのコネを使って俺という入場枠を作ってくれたのだろう。
そう考えると確かにこのチケットはなかなかの代物のような気がしなくもない。
まあ結局興味のない奴にはその価値は分からないわけだが。
豚に真珠。猫に小判。
馬の耳に念仏である。
「ほ兄ちゃんばっかりずるい!! 私も行きたい!! 頂戴!! 私にチケット頂戴!! ね、ほ兄ちゃん一生のお願いだから!! こういう時に妹様の好感度上げとかないと妹攻略イベント発生しないぞ!! 妹攻略ルートの道が閉ざされるんだぞ!! それでもいいのか!! なぁ!! ヤムチャァァァ!!」
「ヤムチャじゃねぇよ……」
しかもなんだよ、妹攻略ルートって。
いらねえよ、そんな分岐。
「別にいいが、これ俺と一緒じゃないと入場できないチケットだぞ。他のやつとも、ましてやお前一人でも入場できない。それでもいいのか?」
俺がそういうと「はぁ!?」とチケットに記載されている注意事項を穴が開くんじゃないかと思うくらい凝視し始めた。
「は? マジで? 本当に? いやいやマジであり得ないんだけど……ほ兄ちゃんと一緒とかマジであり得ないんだけど」
そうブツブツとした声が聞こえて来る。
おい、妹攻略イベントはどうした。
ほ兄ちゃんとのお出かけがありえないのにどうやったら妹攻略イベントが発生するんだよ。
宝一マジであり得ないんだけど。
「……別に入場するときだけ一緒にいればいい話だろ。中に入った後も一緒にいる必要はないんだから、あとはお互い好きにすればいい。正直俺も一緒にいて楽しめる自信がないから、どちらかというとそっちの方が助かる」
そんな俺の提案を聞き勢いよく顔を上げ満面の笑みをこぼす妹様。
「さすがほ兄ちゃん!! 天才!! 自慢の兄!! よっ!! ピッコロ大魔王!!」
「……」
どうしよう。
全然うれしくない。
「一応、行ってもいいか母さんか親父に確認とれよ。確認とらずに連れだしたなんて言われたら怒られるの俺なんだから」
――おーきーどーきー!!
そう言い残してリビングから再び慌ただしく飛び出していく妹様。
その後姿を苦笑いで見送る。
「まあ、これで紙切れになることはなくなったかな……」
どうせ使うのならば価値の分かる人にこそ使ってもらった方が意味があるだろう。
椅子の背受けに体を預け伸びをする。
「ほ兄ちゃん!!」
突然呼ばれ心臓が跳ねた。
するとリビングのドアから妹様がひっこりと頭だけ出し覗き込んできていた。
「何やってるんだ……」と言おうとしたらその俺の言葉を遮るように「ありがとう!!」と笑顔を溢し再び立ち去って行った。
その言葉にたまらず己の頭を掻く。
「……ふむ」
やはりどうやら兄は馬鹿で単純な生き物なのだろうとそう己の性能を再確認をした。
***
月日とかその他もろもろが流れた、ライブ当日の正午過ぎ。
胸の奥にある感情はただ一つ。
「面倒くさ……。行きたくねぇ……」
自室にて俺はそんな怠惰における純粋な気持ちを口にしていた。
七つの大罪のうちの一つを絶賛体感中の陰鬱なひと時。
結局、妹様のライブへの許可も俺が同伴という条件もあってなのか無事降りた。
逆にそのことにより、俺の行動分岐には既に『行かない』という選択肢が消滅してしまっているこの状態。
行くことが決定事項になってしまえば諦めもつくような気がしなくもないが、いざ決まってしまえばそれはそれで行きたくないという気持ちが先行しだしてくる。
誠に遺憾である。
嫌なんだよなぁ、この後に予定が詰まっている時間っていうのが。
何をするにもその予定が脳裏をちらついてそのたびに行動が制限されるし、テンションも落ちるしでいいことなし。
これが楽しみな予定であればそんなことはないのだが、如何せん俺の中でこのライブというものはそこまでのわくわく行事には至っていないこの現状。
妹様は当然行く気満々だし、ここ数日の勉強の身の入り方も目を見張るものがあった。
これでもし俺がドタキャンしようものなら、明日以降梔子家から長男の項目が消える。
面白くもないし笑えない。
頼むから誰か笑ってくれ。
「はぁ……」
そんなため息一つ。
スマホを弄り、無駄な時間を過ごす。
動画検索サイトにて「Afterglow」と打ち込み検索をかけようとするも動画を再生させることなく画面を閉じる。
そんなことを先ほどから行くとどなく繰り返している。
妹様から「Afterglowの予習しろ!!」といくつかの曲名を教えてもらったのはいいがやはり食指がピクリとも動かない。
興味がないことに興味を持つよう努力するというのは中々の労力だ。
人間、興味のないことに関する情報なんて全く記憶に残らないし理解ができない。
好奇心や興味とは本当に本人のモチベーションに依存しているものなのだと実感する。
では、俺にとって興味があるものとは何なのかと問われればそれはそれで首をかしげずにはいられないわけだが。
「我ながら本当につまらないなぁ……俺って」
そんな己の底の浅さについて自虐という名の一人SMプレイを嗜んでいると、不意にドア数回ノックする音と共に「宝一」という俺の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
俺の返事を待たずして開かれたドアの先には母さん。
そんな母さんは俺を見るや否や大きなため息を一つ溢し呆れ顔で口を開いた。
「あんた、バイトが休みだとはいえ休日の真昼間にそんな部屋に引き籠ってゴロゴロばっかして……。まだ若いのに本当に勿体ない」
「べ、別にいいだろ。バイトが休みの日くらい好きに過ごしても……」
むっとして口をとんがらせながらそう言い返す俺に「やれやれ」とでも言いたげに肩をすくめるしぐさを返してくる。
「母さん今からちょっと、習い事行ってくるからあんた出かけるときはきちんと戸締りしていってよ。あれだったら宝一、あんたも一緒にくる? 今日、実は偉い先生が教室に教えに来てくれる日なのよ。いい機会だから一度あんたも教えてもらえば? 興味湧くかもよ」
――それともあんたにはダンス教室を勧めた方がいいかしら?
人の傷口をえぐるようにニヤニヤしながら先日の黒歴史を意地悪く掘り返してくる。
「……習い事ってたしか『華道教室』だろ? 別にいいよ。男が華道なんて敷居が高いし」
着物を着れるっていうのならもしかしたらもう少し興味が湧いたかもしれないが、残念なことに華道自体には興味はない。
それならむしろ茶道の方が興味があると言ってもいい。
「別に男だからとか気にしなくてもいいのに。その今日来る偉い華道の先生も男性の方よ? 華道の名家だって!! 名家!!」
「名家って……」
何とも金がありそうな響きの言葉である。
いや、その先生が男性であったとしても名家の出である以上素人男が華道の道を進もうとするのではスタート地点に差がありすぎる。
すでに道が決まっていた者とそうでない者。
職業と趣味。
比べるなく重みが違う。
金のために時間を払うのが仕事。
時間のために金を払うのが趣味。
仕事と趣味どちらも大事だ。
だが人間生きるためにはどうしても仕事を優先せざるおえない。
この資本主義である世界において趣味ばかりを優先するわけにはいかないしできない。
夢も希望もない話だ。
だが夢や希望だけでは生きていけないのも人生。
結局何が言いたいのかという話。
結論。
名家の先生と俺、一緒くたに語られても困る。
そういう話。
「いや、遠慮しとく。それに今日、例のライブに行かなきゃいけないし」
――あぁ、あれも今日だったけ?
思い出してるのか思い出せないのか微妙な表情で首をかしげる。
「まあ、いいわ。帰り夜になるんでしょ? 寄り道せずに帰ってくるのよ。晩御飯は? 食べてく? 帰ってから食べる?」
「あー、どうなんだろ? 多分帰ってからかね?」
――おーきーどーきー。
その返事に口元がひきつる。
母親の年齢でその類の言葉は少々辛いものがある。
何というか、やはり血を分けた親子だと思わざるおえない。
「じゃ、行くわ。戸締りよろしく」と残しドアを閉めて出かけていく母さん。
静まり返るマイルームプレイス。
「俺も出掛けるかなぁ」
そうポツリと呟く。
母さんに言われたからというわけではないが時間までゴロゴロするくらいなら少しでも出歩くのも悪くないという気持ちになってきた。
いっそのこと、ライブ館に現地集合にするのもいいかもしれない。
「買い物にでも行こうかしら」
坂本さんもライブ館に今日いるのだろうか。
もしもいるのならば、手土産の一つも持っていくのもやぶさかではない。
弄り倒していたスマホの電話帳から『男4:女6』と登録された番号をダイヤルする。
数回のコール音の後、通話中の文字が表示された。
「あ、坂本さんお疲れ様です」
――今日のライブについてなんですが……。
そんな通話の後、俺はジャージに着替え家を出る。
この後にくる悲劇を知る由もなく……。
***
シェイクスピア曰く。
「世に数ある物語の中で、ひときはあわれを呼ぶもの、それこそこのロミオとジュリエットの恋物語だ」
なんて言われるほどに「悲劇」と言えば『ロミオとジュリエット』なわけだが。
いやはや、現実逃避はさておきである。
「おぉ……!! ロミオ、ロミオ!! なぜあなたはロミオなのだ!!」
その問いにさらに「口笛はなぜ遠くまで聞こえるの?」「あの雲はなぜ私を待ってるの?」とか付け加えたくなる問答である。
教えておじいさん。
教えてアルムのモミの木。
ここがアルプスでないのが誠に悔やまれる。
そんなアルプスではない少女が羽丘女学園正門前にて人だかりを築き上げていた。
「ふえぇぇぇ……」
そんな情けない声も聞こえてくる。
「何やってんの? あの人たち……」
薫様と花音先輩とやらの二人だった。
花音先輩とやらはまたもやマーチングスネアを携えているし演奏している。
二人とも制服であるが花音先輩とやらに限っては羽丘女子学園の制服ではなく花咲川女子学園の制服姿である。
いや本当によくわからない集団である。
出来ればあまりかかわりたくない。
少しだけあの薫様とは会話したがなんか苦手なタイプだった印象が強い。
何がどうというわけではないが、うん。
苦手だった。
「え、演劇部の公演チラシで~す。も……もらってくださ~い」
そんな言葉でようやくあの人だかりの理由に得心が行く。
演劇部。
そういえば羽丘女子学園の演劇部は人気があるとかないとか聞いたことがあるような気がする。
人気がある理由が役者の演技力の高さとルックスだとか。
「薫様ァァァ!!」
――子猫ちゃんがこんなにも……!! ああ、なんて儚いんだ……!!
つまりその演劇部の例の役者というのがこの薫様のことだったのか。
この公演チラシというのもどちらかというと招待状に近いらしい。
タダで貰えるのなら貰いに行きたいところだがあんな人込みをかき分けてまで行こうという気にはならないな。
そんなことを考え羽丘女子学園前を素通りしようとする。
まあ、少し話をしたといっても俺はあの時黒クマのゴンザレスだったわけだし。
花音先輩とやらに関しても面識もなければ一度すれ違った者同士でしかない。
別段知り合いというわけではない。
俺は所曰く彼女らにとって一般人Aでしかない存在。
関わりあうことはない。
「バンドと演劇の両立か……すげぇな」
そう感嘆の声が漏れる。
あの北沢さんちのはぐみちゃんも家業の手伝いと両立していた。
彼女たちは両立したうえで結果を出している。
それも学園生活ありきで。
賞賛に値するし羨ましいとも思う。
それだけ打ち込めるものがあることが素直に羨ましい。
才能か努力の賜物なのか。
どちらにしろアレが彼女たちのたどり着いた結果。
世界を笑顔にしたいとする答え。
『天才とは1%の才能と99%の努力で出来ている』
エジソンの言葉。
ポジティブに取られがちだがこの真意は『才能が1%もなければいくら努力してもそれは無意味だ』というのがもともとの意味。
天才とは一体何なのだろう。
彼女らは天才か?
天才だからあの位置にいるのだろうか?
1%の才能を有していたから今こうしているというのか。
だがそれを言うならそもそも1%というのが曖昧で漠然としている。
何を基準とした1%なのかわからない以上明確な答えとは言い難い。
才能なんてものは触れてみなければわからない。
触れて、見て、感じて初めて才能は花開く。
1%なのか未満なのかその答えは結局実際に体感してみなければわかるはずもないのだから。
『別にいいよ。男が華道なんて敷居が高いし』
こんなことを言って触れもしないやつが才能云々なんざ片腹痛いにもほどがある。
彼女らが羨ましい?
俺のどこに彼女らを羨む権利があるというのだ。
勝者が祝福されるのは当然だ。
英雄にこそ凱旋は相応しい。
『アンダードッグ効果』
という言葉は確かに存在する。
「バンドワゴン効果」の真逆。
アンダードッグ。
つまりは負け犬。
敗者の凱旋ともいうべき同情と憐憫の嵐。
「……」
俺は己の歩みをピタリと止める。
そして踵を返すように先ほどの羽丘女子学園正門前の人だかり目掛け歩を進める。
柄にもなく人だかりを掻き分けながら手を伸ばす。
悲劇の物語「ロミオとジュリエット」。
ロミオという男は勇敢な男だった。
しかし勇敢だったからこそ彼は人を殺め道を違えてしまったのだろう。
ロミオとジュリエットの物語を思い返すたびに俺はロミオは自身の行いに後悔していたのだろうかと考える。
友を失い、身分も失い、追放され、最愛の人物の幸せを願い、それすらも叶わず、失意のうちに自害し生涯に幕を下ろす勇敢なるロミオ。
友の仇を討たなければ彼は幸せに過ごせたのだろうか。
貴族として、人生の勝者として謳われる存在になれたのだろうか。
穿った見方をすれば彼もまた負け犬だ。
同情と憐憫と悲哀のアンダードッグ。
ただ、これだけは分かる。
彼にとって友の仇を討たないことは自分自身への最大の裏切り行為だということが。
行動に移さないことこそが彼には負け犬の烙印だったと。
そう思う。
取ってつけたように別にそれに感化されたというわけではないが、俺がこんな行動に出た理由は言ってしまえば気まぐれが一番近いのだと思う。
「ぬおおお……」
精一杯に伸ばす手は空しく空気を掴むばかり。
というか特に何も考えずに突っ込んで行ったがよくよく考えればこの集団ほぼほぼ女子しかいない上にその空間に男が紛れ込むのは異様な光景だし、下手すればこれ痴漢扱いされても俺文句言えないのではないか?
そんなことを想像し顔から血の気が引き、急いでこの密集地から抜け出そうとしたとき伸ばしていた手に感触が伝わる。
「――楽しみにしていておくれ、子猫ちゃん」
抜け出す背中からそんな声が聞こえてくる。
声は紛うなきあの薫様のもの。
子猫ちゃんという言葉が誰に向けての言葉なのかはわからない。
死に物狂いで抜け出し肩で息をしながらどうにか落ち着く。
少し冷静に考えてみる。
「いや、何やってるんだよ俺……マジで意味が分からんぞ」
手にはしっかりと演劇部の公演チラシが握られている。
危ない橋を渡ってまで行きたいものだったか? 坂本さんからもらったチケットすら手に余らせるような男がさらに演劇部の入場券を手に入れるために無茶をするとは本気で正気を疑う。
しかもどうすんのよこのチラシ。
どこに持っておくつもりだったのよ。
入れるものなんて持ってないぞ。
我ながらいろいろと考えなしな行動ばかりだったと呆れてしまう。
「とりあえず財布にでも入れて……」
その時。
気が付いた、気が付いてしまった。
「あ、しまった……」
悲劇が俺を襲う。
――財布忘れた。
***
夕方。
いちいち財布を取りに家に舞い戻ることとなった俺は挫けることなく再び買い物をしにお出掛けしました。
ショッピングモールに行きました。
楽しかったです。
で、今はライブ館前のカフェテリアでコーヒーを啜っている真っ最中。
理由は妹様との待ち合わせ。
思いのほか早く着きすぎたため、入場時間にも多少の時間がある。
だが、それにもかかわらずカフェには俺と同じく今日のライブに参加するであろう若者の群れが大多数集まっていた。
殆どの者が今日のライブを楽しみにしているようでソワソワ、キャッキャ、ウフフしている。
その中で一際、けだるそうな俺はある意味場違いなのだろう。
結局、妹様に言われたようなAfterglow曲の予習は全くしていない。
いう人に言わせれば「何しに来たの?」って真顔で言われそうな体たらくである。
「先に坂本さんに手土産渡しに行くかねぇ……」
坂本さんに電話で確認をとったところ今日、ライブ館にいるらしい。
だからこそ、昼間に買い物に出かけたわけなのだが。
買ってきたのは、清涼飲料と飴、それと多数の菓子類。
正直、どれだけのスタッフがいるかもわからないし、ライブ出演者たちも口に入れるかもしれない物。
何を買えば一番いいか考えた末のこの手土産。
面白味の一つもないが別に受けを狙っているわけではないのだから放っておいてほしい。
どっちにしてもずっと持っているのもなかなかに労力。
渡せるのならさっさと渡してしまいたい。
そう思ってまたしても坂本さんに電話しようかとスマホを取り出すと画面には通知。
差出人は妹様。
内容は
「『隠者の紫(ハーミット・パープル)』!! 能力は相手の居場所をフィルムに映し出す念写!!(しかし、MPが足りない)」
というもの。
要約すれば「どこにいるの?」ということなのだろう。
何とも、タイミングが悪い。
そういう質問をしてくるということはもう既に近くまで来ているということなのだろう。
もうすぐ近くにいるのなら下手に動けない。
動くにしても妹様と合流したあとじゃないと少々面倒くさいことになるわけだし。
「仕方ない、待つか」
妹様には「カフェ 黒豆汁啜ってる」と返しておいた。
再び、訪れる手持無沙汰な時間に周りを見渡す。
先ほどよりも人が多い。
このガールズバンドのライブ、思ったよりも人気があるんだなと漠然と考える。
そう思うとこの時間帯って坂本さん達スタッフも忙しい時間だったりするのだろうか。
だとするのなら、今行くのは邪魔か?
うーんしまったな、そこらへん確認してなかった。
終わってから行くのがいいのかもしれないけどライブ中ずっと持っているわけにはいかないし、そもそも持ち込みなんてできないだろう。
近場にコインロッカーとかないかねぇ。
「へい!! ほ兄ちゃん!! 一人寂しくて泣いていなかったかい!! 安心しな妹様がやってきたぜい!!」
そんな淡い後悔の念に唸っていると声がした。
振り返ると奴がいた。
自身の視界に妹様の姿をとらえる。
「お早いお着きで」と返事を返しところ、妹様の表情が信じられないものを見るような目で俺を見ていることに気が付く。
「え……? ほ兄ちゃん何その恰好? なんでジャージなの……?」
「……?」
開口一番の質問がそれである。
「なんでって、だってライブって『おしくらまんじゅう』するんだろ? だから動きやすい恰好で来たんだけど……。え、違った?」
「違うわっ!! ほ兄ちゃんまた自分で調べたこと全部鵜呑みにしたでしょ!! 違うから!! こういうライブでは『モッシュ』なんかやらないから!! 分からないなら聞けよ私に……!! このゴミ!! クズ!! ヤムチャ!! ……ホント信じらんない!!」
「おい待て、ヤムチャは悪口じゃないだろ……」
比喩ではなく本当にボコスカ殴られながら浴びる非難の嵐。
ひとしきり俺を殴打した後「もうヤダ……」とテーブルに突っ伏し見るからに落胆の色を濃くする妹様。
俺これ大分やっちゃった系のやつ?
宝一やらかしたボーイ?
「き、着替えに帰った方がいいか?」
あまりの妹様の落ち込み具合についそんな言葉を口にする。
「……着替えに帰ってライブに間に合うとでも思ってるの?」
「……思ってないです。ごめんなさい」
怒気のこもった言葉に委縮する。
ヤダ、妹様がとても怖いわ。
「あぁ……。こんなゴミみたいなほ兄ちゃんじゃなくてもっとイケメンで毎月百万くらいお小遣いくれるようなほ兄ちゃんが欲しかった……」
「強欲な奴だな。俺だったらイケメンじゃなくてもいいから毎月百万くれる兄が欲しいと願う。あらやだ、ほ兄ちゃんてばなんて謙虚なんでしょ」
俺がそう言っておどけると「タヒねっ!!」と言って睨まれました。
駄目だ……。
ほ兄ちゃんのウィットにとんだジョークでも機嫌が直ってくれない。
「あー、妹様よ。落ち込んでいるところ悪いが少々ほ兄ちゃん出掛けてきていいかね? すぐ戻ってくるから」
「好きにすればいいじゃない? あれなら戻ってこなくてもいい……。あぁ、くそ。それだとライブ入れないのか。……チッ」
そんな舌打ちが聞こえてきた。
ヤダもう、可愛いお顔が台無しじゃない。
とりあえずあれだ、これは妹様がツンデレキャラだということにして難を乗り切ることにしよう。
何それ。
妹でツンデレとか王道過ぎて萌え死にする未来しか見えないんだけど。
「い、行ってきまーす」と言い残し席を立つ。
とりあえず、妹様には悪いが手土産を坂本さんに渡すことを最優先に考えることにしよう。
最悪コインロッカーがあればそこに押し込むことができるがそれすらないのなら言葉通りのお荷物になる。
この恰好でさらにレジ袋を携えてライブに臨むなんてことになったら多分、今後妹様から一生口を利いてもらえなくなるかもしれない。
冗談抜きで。
何としてでも坂本さんに渡さなければ。
そんな使命感にかられる。
「あ、坂本さんお疲れ様です。今お時間大丈夫ですか?」
文明の利器とは便利かな。
スマホ越しから坂本さんの声が流れてくる。
『大丈夫だが。どうした梔子? 道にでも迷ったのか?』
「いえ、ちょっと。一応坂本さんから口入してもらった身なので大した物ではないですがスタッフの方々に差し入れを持って来まして、直接渡したいと思っているのですが。今やっぱり忙しいですかね?」
『あー、悪いな気を使ってもらって。どうするかな……。そうだな、カフェテリアの裏手にスタッフ専用の出入り口があるからそこの中に入って待っててくれ、私が今からとりに行く』
「中でですか? 無関係な人が入って大丈夫なんですか? あれなら出入り口の外で待ちますよ?」
『外で待ってると君が無関係者だとほかの客にモロバレになるだろ。ガールズバンドだからいろいろとバンドメンバーに差し入れを持ってくるファンが多くてな。無関係者でも『そこからなら差し入れができる』と勘違いされても困るんだよ。それならいっそ関係者の振りして敷地内まで入った方が人目につかない分ある意味安全なんだ。それに中にはもう一枚扉があってそっちはパスがないと開かない仕様だから、まあ防犯面からみてもそこまではまだぎりぎり大丈夫ってところだな』
「ああ、なるほどですね。わかりました。じゃあ今から向かいます」
『おう、悪いな。もしかしたら少し遅れるかもしれないがその時は待っててくれ。できるだけ君が不法侵入者にならないように努力はするから。あはははははっ!!』
そんな高笑いと共に通話は終了した。
苦笑いがにじみ出る。
冗談だろうが、本当にそうなるかもしれない側からすれば素直に笑えない。
「まあ、いいか。カフェテリアの裏手、裏手っと」
とりあえず、差し入れを渡すことができそうだという事実に肩の荷が下り足取りが軽くなる。
カフェテリアをぐるっと迂回してライブ館の裏へと進んでいく。
人気のないそこにはそれらしい扉。
「STAFF ONLY」という表記がされていることからこの扉のことで間違いないだろう。
ドアノブに手をかけ一応無関係者であるという後ろめたさからおっかなびっくりとした挙動でゆっくりと扉を押し開ける。
時間も夕刻ということもあり薄暗い敷地に点々と照らされたライトの雰囲気が無駄に心臓への負担に拍車をかけているような気がする。
なんだろ。
なんか悪いことをしているような気分になってくる。
これで本当に不法侵入だと捲し立てられたら言い逃れできないのではないだろうかという危惧が体から冷や汗の放出量を加速させる。
奥の建物には坂本さんの言う通りもう一枚の電子パネルらしきセキュリティが施された扉が見える。
そしてその扉の横には人影。
坂本さんかな?
と思いながらその人影に近づいていく。
距離が近づいていくほどにそのシルエットがはっきりとした造形を表していく。
そして表すたびにその人物が坂本さんではないと確信していく。
その人物は一目で異様な行動をとっていることが分かる。
まずは「がに股」。
もうそれだけでも意味が分からない。
そのがに股の姿勢を保った状態で背筋を見事に伸ばし、鼻の穴を膨らませながらまるで腹式呼吸とでもいうのかそんな呼吸法を駆使する見覚えのあるマーチング衣装に身を包んだ宝塚役者のような謎の人物。
「……」
薫様だった。
堪らず俺は視線を外し目を己の手で覆ってしまった。
見てはいけないものを見てしまっている気分だ。
というか見ちゃいけないだろ、あれ。
何あれ?
何かの儀式?
宇宙と交信でもしてるの?
それとも何? 波紋呼吸法?
波紋疾走(オーバードライブ)? 波紋疾走なの?
そんな俺の気まずさなど知る由もなく薫様は姿勢を崩すことなく呼吸を続ける。
目まで瞑ってるから、全然こちらの存在に気が付いていないご様子。
いやマジでどうするのよこれ……。
声かけた方がいいのかな?
本人が気が付いてないのにその醜態を指摘しないのは失礼なのか?
まるで男優のような雰囲気があるも彼女は女性だ。
女性のあのような姿、見ちゃダメだろ。
あの人も何考えてるんだ。
自分のキャラクターのことよく考えろよ……!!
先ほどとは違う種類の汗がにじみ出る。
だがどうする。
ここで声をかけて逆に不法侵入だと騒がれても厄介だ。
行動に移すことがすべて裏目にしかならないならば「押してダメなら引いてみろ作戦」で行くしかない。
戦略的撤退。
つまり、この場を見なかったことにして立ち去る。
それしかない。
そう結論付けゆっくりと足を外界へとつながる扉へと方向を変える。
「……ふう」
……――!!
そんな声に心臓が跳ねる。
「おや? そこにいるのは一体誰かな?」
それは十中八九俺のことで間違いないだろう。
ど、どうする。
先ほどのは見なかった風にして話を進めるか。
むしろそれしかない。
「さ、坂本というスタッフの方はいますか? その坂本さんにここで待つように言われていたのですが……」
振り返りながら平素を装いここにいる理由を口にする。
恐らく引きつった笑みをしているだろうがこの薄暗さだわからないだろう、多分。
っていうかあの人全然来ないんだけど!!
何してんのさ、坂本さん!!
「えっと……坂本何さんかな?」
「パ、パピヨン坂本さんで……す」
ダメだ。
聞く人が聞けばどう考えても今頭がおかしいのは俺の方だ。
なんだよパピヨンって!!
意味わかんねぇだよあの人!!
――ああ、パピヨン坂本さんか。
といって、納得したように薄く笑う薫様。
「私は、本番の前には自らを落ち着かせるために必ず儀式をするようにしている。友の『人目につかないところでやって欲しい』という願いを受け私はここに舞い参じた。そして、君は坂本さんに導かれ今こうして私と相まみえることとなった。それは悲しくも出会うべくして出会ってしまったロミオとジュリエットの運命のように!! ああ!! なんて儚いんだ!!」
なぜか一人でテンション爆上げしだした薫様は一息でそう言い放ったかと思うと「――つまりは、そういう事さ」ととても満足げな顔をし会話を終えた。
実に意味不明である。
うおぉぉぉ……。
話が通じそうで通じないこの不安定な感じ、とても苦手だ……。
不審者と騒ぎ立てるわけでもなく、坂本さんに取り次いでくれるわけでもなく勝手に会話を完結させやがった……!!
完全に後手に回ってしまっている立場からするとそんな風に打ち切られるともうなす術がない。
一体全体「つまりは、そういう事さ」ってどういう事なんですか?
そこから先の情報が一切シャットアウトされたせいでこちらはもう想像で補うしか方法がなくなる。
「あ、そうなんですか? じゃあ、ちょっと坂本さん呼んできてもらってもいいですかね?」なんて言えるだけの胆力が俺にあればこんなにも悩むことなんてない。
そんな厚顔無恥な振る舞い方出来るほどまだ世間ずれはしていないつもりではあるが、如何せんその優柔不断さがこの現状を悪い方にばかり向かわせているような気がしてならない。
いっそのこと、この手土産を彼女に渡してこの場を立ち去るか。
俺の目的としてはそれでも一切構わないのだが。
いやだが、こういう物はやはり検分するという意味も込めて直接坂本さんに渡すべきだ。
これで下手に彼女に渡してその行為が何かしらの禁止事項や制限に触れていた場合、彼女がいらぬ責任を負うことになる。
万が一にもその可能性がある以上、利口なやり方とは言えないだろう。
結局は、坂本さんが来るまでここで待つしかない。
この薫様も自分を落ち着かせるために儀式、要はジンクスとなる行為をしていたと言っていた。
その友という人物が指示していた「人目につかないところで」というのもあの醜態を人に見せないための対処だったのだろうし。
その儀式とやらも終わったのだろうから彼女からしてももうここに長居する理由はないはず。
俺が気まずいようにあちらさんも見ず知らずの一般人Aを前に少なからず気まずいはず。
坂本さんが来るか、薫様が立ち去るか。
そのどちらとも時間が解決してくれる事柄。
気にする必要はない。
「おや? よく見たら君は昼間にも見かけた子猫ちゃんじゃないかい? 違ったかな?」
「……っ!?」
予想外な展開に心臓の脈動がさらに加速する。
覚えてるのかよ……。
あの人ごみの中で俺個人を認識していたというのが驚きである。
女子ばかりの集団の中に男が混じっていたのだから印象が強く残っていてもおかしくはないのか。
「ははっ……。昼間はどうも、お恥ずかしいところをお見せしまして」
俺がそんなことを言いながら苦笑いを浮かべつつ頭を掻くと「こんなところまで追いかけてくるとは、本当に仕方のない子猫ちゃんだ」とまるで出来の悪い我が子を慈しむような視線を向けてくる薫様。
「いや、だから坂本さんに言われてここに来ただけで……」なんて言葉をどうにか己ののど元へと飲み込んだ。
たぶん、言っても暖簾に腕押しになるに違いない。
俺の直感がそう告げる。
「『もし音楽が恋の糧となるのならば、つづけておくれ』。私という存在が君の人生の糧となっているのならばその蛮勇もまた恋の一つだともいえる。そして、シェイクスピアはこうも言いのこしている。『ほどほどに愛しなさい。長続きする恋はそういう恋だよ』と……」
――つまりはそういう事さ。
またしてもそう言って話を無理やり収束させてきた。
むっ。
しかし、なるほど。
蛮勇もまた行き過ぎればただの蛮人しか生まず、勢いに任せるだけの恋は終わるのも早いという意味か。
シェイクスピア曰く『小雨はいつまでも降り続くが、大嵐はあっという間だ。早く馬を走らせるものは、また馬を早く疲れさせもする』と言ってもいる。
つまり『ほどほどが一番だよ』と忠告しているのか。
シェイクスピアの引用といい、中々思ったよりも博識なお方であるようだこの薫様は。
人は見かけによらないというが、この人の場合どちらかというと見た目通りと言えば見た目通りのような気がしなくもない。
…………――――。
などと薫様の意外な一面に感心していたとき、傍らの扉がゆっくりと開かれ始めた。
その扉が開かれた先には坂本さん。
ようやくおいでなさった坂本さんだった。
「待たせてすまなかったな梔子。……うん? 何やってるんだ瀬田? こんなところで? 松原達が探してたぞ?」
「ああ、もうそんな時間でしたか。思いのほか儀式に熱中しすぎてしまったようですね。すまない子猫ちゃん、名残惜しいがお別れの時間のようだ」
――アリーヴェデルチ!!
と最後までイタリアおしでの別れの挨拶。
ロミオとジュリエットを意識してのことなのか。
しかしどうしても個人的には「アリアリアリアリアリアリアリアリ」と言ってほしかった感がある。
働きアリだけに。
うん。
実にくだらん。
とりあえず薫様はそう言い残し坂本さんと入れ替わるように扉の奥へと消えていった。
「何だ梔子。君、瀬田と知り合いだったのか?」
そんなごもっともな質問。
「いや、少しだけ面識がある程度です。あのふわキャラ選手権で少し会話した程度の面識ですが」
しかもあの時、向こうはこちらを認識していなかったし、今日の昼間は会話という会話は特にしていない。
知り合いというカテゴリーに入れるにはまだあまりにも関係が希薄すぎる。
「すみません、これ大した物じゃないですが」
そう言ってここまで来た目的を完遂させようと手土産を坂本さんへと献上する。
「ああ、わざわざ悪かったな。ありがとう、スタッフたちで分けさせてもらうよ。それで結局君は誰と来たんだ? まさか一人で来たわけではないんだろ?」
「妹とです。あいつ度々ここのライブに出入りしているみたいなので喜んで食いついてきました。なんでしたっけか、アフグロ? とかいう人気バンドがずいぶんお気に入りみたいで」
「それは僥倖。正直君の場合、誘う相手がおらず下手すると来ないかもしれないという危惧もしていたんだがどうやら杞憂に終わったようだ。まあ、私がいう事ではないのかもしれないが楽しんでいってくれ」
そういうと坂本さんは俺の渡した手土産を持つ手とは逆の手に持っていた袋を渡してきた。
俺が持って来た袋よりも小さく軽そうだという印象。
中には何か入っているようだが中を見るのは少々行儀が悪いような気がしてはばかられる。
「一応、気を使ってもらった礼だ。貰っとけ」
その言葉に「礼に礼で返すなんてまるで鼬ごっこですね。キリがないじゃないですか」と笑った。
「だからこそだよ、梔子。社会に出てからの横の関係なんてそういう恩の返し返されの関係が最も望ましい。同じ職場にいるんだ、協力とは本来そういう物のことを言うものさ。君が気を使ってくれたおかげで君との繋がりのある私の株が多少なりとも上がる。まあ、汚い大人風にいうのならば『また頼むよ』という先物取引みたいなものだ」
「そういうものですかねぇ」
そう返す俺に「いずれわかる」と達観した言葉を添えてくる。
まあ、分からなくもない。
社会において人間関係の濃淡というのは重要なステータスになりえるのも事実。
一バイトである俺の人間関係なんざたかがしれてはいるが、そこらかしこに顔が広い坂本さんのような人からすればそれは重要なファクターに違いないはずなのだから。
何はともあれ、俺がもうここに来た目的はすべて終わったわけでこれ以上長居する理由がない。
さっさと、おさらばして妹様のもとに帰ろう。
あまり放置しすぎるとそれはそれでへそを曲げてしまうかもしれないし。
「ああ、そういえば梔子。君は確か奥沢とは面識がなかったのではなかったか?」
そんな突然の質問。
「奥沢? 奥沢って誰でしたっけ?」
なんかどっかで聞いたことあるような名字な気もするが、珍しい類の名字じゃないから聞いたことがあってもそりゃおかしくないな。
なんて考えていたところでそんなフレーズを前にも同じように考えていたことを思い出しその名に目星が付く。
「あっ、もう一人のゴンザレス担当の人でしたっけ、確か。あってます?」
――覚えているようでよかったよ。
と半ばあきれ顔で腰に手を当てる坂本さん。
ん?
で、その奥沢さんと俺に面識ないことが今なんか関係あるの?
全く話題外のところからいきなり出てきたけど。
「いや、こんな機会でもないと君たちが顔を合わせることもないだろうなと思ってな。奥沢も今日バンドに出るから何なら今ここに呼んでお互いあいさつでもさせようかと思ったんだが。同じキグルミ仲間のよしみとして交友を深めるのもそれはそれでありではないかとな」
速報。
俺と同じゴンザレス担当の奥沢さんの情報が女性から『少女』に書き換えられました。
ガールズバンドってことはそういう事だろ?
どうでもいい質問なんだけど女性から少女に属性が置換されるのはアテンションなの?
それとも堕テンション?
どっちなのかしら?
まあ、どうでもいいので深くは考えないわけだが。
「あぁ……、いいです別に。いきなり面識ない人と挨拶しろって言われても本当に挨拶しかできないので。っていうかバンドまでやってるんですね奥沢さん」
この前のふわキャラ選手権にも特別枠で参加していたとも言っていたし、なんともパワフルな女の子である。
そういえば、あの日もそれらしい人物には会わなかったな。
特別枠って言われてもどう特別なのか知らないし、全員が全員キグルミ着てたんだからそもそも特定なんか無理な話か。
「それにもうバンドに出場する人たちも準備で忙しいんじゃないですか? さっきの人も時間がどうのって言ってましたし」
――ふむ、それもそうだな。
と俺の言い分を受諾してくれたご様子。
いや、本当に呼ばれても困るところだった。
何話せって言うんだよ。
坂本さんの目の前で仕事の愚痴に二人で美しく花を咲かせるわけにもいかないし、バンドのことを話すにも俺にはバンドの知識なんて全くない。
本気で「あ、梔子です。どうもはじめましてぇ」で終わる。
それ以上の話の膨らませようが皆無。
「では、私の方から奥沢には君が来ていたと伝えておこう。彼女は特にこういう差し入れを喜ぶ」
――彼女が誰よりも一番水分を欲するだろうからな。
そう言って、俺が持って来た差し入れの袋を掲げる。
「……まあ喜ばれるのなら何よりです」
あれだもんな。
テレビとか見ててもよく思うけど、今の歌手やアイドルって歌って踊れないといけないみたいな概念ができつつあるもんな。
このガールズバンドとやらもそういう時代の流れを踏襲しているのだとすれば過激的にも歌劇的にも歌いながら体を酷使するグループがあっても別段不思議ではないのか。
そう納得する。
「ライブの楽しみ方とは人それぞれらしいぞ、梔子」
そう疑問に折り合いをつけた矢先。
唐突にそう語りだす坂本さん。
「何ですかいきなり?」
「いや、どうせ君のことだからバンドに関して全く知識がないのではないのかと思ってな。そのジャージ姿を含めて」
その指摘に口元がひきつる。
どうやら本当に俺のこの格好は場違いらしい。
「音楽や演奏を楽しむ者もいればバンドメンバーに会う目的の者もいたり、中にはライブでの観客たちとの一体感を楽しみにする人もいるという話だ。楽しみ方は千差万別、縛られる必要はない。それでも君が楽しむことができるのだとすれば恐らく観客との一体感位なものではないかなと思ってな」
「……確かにその三つの中ではそれ位しかないとは思いますが、消去法的に」
知識がない以上音楽、演奏は楽しめないし、バンドメンバーも知らないからやはり俺には楽しめない。
そうなれば必然的に俺が楽しめるのは三番目ということになるわけだが。
「君の隣の席の人物はそいうそういう意味では君と同じタイプと言える。ノウハウでも教えてもらったらどうかと思ってな、ただそれだけだ」
「隣の席……」
妹様……のことではないだろう。
坂本さんは俺が誰を連れてくるのかなんて知らなかったのだし、どちらかというと妹様は先ほど述べたすべての項目を楽しもうとするタイプの妹だ。
となれば隣とは反対側であり俺と同じくプレミアムチケットにより席名義が固定されている人物。
「一目でわかるさ。君と同じく場違いな格好をしているからな」
まあ、いくら考えてもわかるわけがない謎なのだから考えるだけ無駄だ。
実際に行ってこの目で確かめた方が手っ取り早い。
「じゃあ、俺ももう行きます。これ以上待たせると妹も心配するので」
いや多分心配なのは俺ではなくプレミアムチケットの方なのだろうけど。
「ああ、私も長く引き留めて悪かった。それではほどほどに楽しんできたまえ」
そうお互い別れのあいさつを交わしこの場を後にする。
背中から扉が閉まる音を感じながら、俺も目の前の扉を開け外界へと足を踏み出す。
外に出るや否や貰った例の袋の中身を確認する。
中に入っていたのは「Afterglow」というロゴがプリントされたTシャツだった。
恐らく物販で販売されている類の物なのだろう。
「おっ、洒落おつ!!」
ちょうどいいや。上だけでもこれに着替えるか。
そうすれば妹様の機嫌も少しはましに……。
「……」
そこまで考えて思いとどまる。
口元に手を添え考える。
「……ふむ」
その思考の末、結局Tシャツは再び袋の中に戻すことにした。
カフェテリア付近に戻ってみるとあれほどまでいた人がいなくなっていた。
さらに視界の先には黒い壁が出来上がっている。
よく見るといなくなっているのではなく一か所に長蛇の列を作っているのだとそこでようやく察っすることができた。
「しまった!! 完全に出遅れた……!!」
やばい!!
妹様に殺される!!
「ひぃぃぃぃぃ!!」
そんな情けない悲鳴と共に俺は妹様を探すべく暗い夜空の下、人込みを掻き分けながら転げまわったのでした。
色々あって課金もして計100連ガチャしました。
とっても楽しかったです。(爆)