「君の名は。キルヒアイス」方向性修正版   作:高尾のり子

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第10話

 

 

 

 

 キルヒアイスは東京から岐阜へ向かう夜行バスの中にいた。

「……血の匂いがする…」

 三葉の身体から流血ごとの痕跡を感じた。

「ここは……乗り物の中……」

 夜行バスの個室トイレの中だった。手紙を手にしていたので、すぐに読む。泣きながら書いたのか、涙の痕があり、字は震えていた。

 

 キルヒアイスへ

 いろいろあって7人の生徒とユキちゃん先生で夜行バスで岐阜へ帰るところです。

 いろいろというか、事件があって。

 招待されたレストランに感じの悪い客が二人いて。女の子のスカートを斬ったりしてたから、お店を出てから注意したんです。それでケンカみたいになって。

 相手がナイフを、

 あとは覚えてない、

 ううん、思い出したくないけど、習った通りに「対処」してしまったの。

 二人とも、私が殺してしまって。

 テッシーが警察を呼んでくれて、事情聴取に時間がかかって。

 みんなのバスは先に出発してもらって。

 事情聴取で私はネットの動画で見たナイフをもった相手への護身術を前から練習していて、たまたまとっさにうまくいきましたって、答えて、あともう一人もカッターナイフを構えてたから友達が危ないと思って抜いたナイフを投げつけた、って答えてます。また、警察に訊かれることがあったら、そう答えて。細部は怖くて覚えてない、でもいいから。

 それで正当防衛ってことで、さっき解放されて、また出頭しないといけないかもしれないけど、とりあえずはユキちゃん先生が迎えにきてくれて、今は夜行バスの中です。

 朝には名古屋、そこから電車で糸守へ、そういう予定です。

 このバスでの私の席は17のBです。

 

 泣きながら、それでも気丈に必要な情報を書き記してくれた手紙を読み終えると、キルヒアイスは手紙を細かく破り、トイレに流した。

「………三葉さん……どれほどショックを………私たちが教えたことが彼女の人生を狂わせて……」

 苦悩していると、早耶香の声がトイレの外からする。

「三葉ちゃん、大丈夫? 気分は?」

「あ、はい、大丈夫です」

 心配させないよう、すぐにトイレを出た。夜行バスは貸し切りではない通常便のもので、三葉たち以外にも観光客やビジネス客が乗っていて、夜中なので薄暗く静かだった。

「………」

「………」

 眠っている乗客が多く、会話すると迷惑なので早耶香と静かに席へ戻った。早耶香とは隣席で、通路を挟んで克彦とユキちゃん先生が座っている。

「………」

「………」

「………」

 みんな疲れ切った顔をしている。今は静かにするべきだと判断して、少しでも三葉の身体を休めておこうと目を閉じたけれど、眠れなかった。夜明け前に名古屋に到着し、始発電車で糸守へ帰る。糸守駅には俊樹や学校長、勅使河原建設の社長、さらには県会議員と岐阜県選出の参議院議員の秘書まで迎えに出てくれていたので、過剰防衛と言われかねない三葉の行動が正当防衛で済みつつある裏で大人たちの努力があったのだと感じた。とくに三葉が町長の娘であることは大きく作用していると思われる反面、それだけに俊樹が苦労したのだろうと思い、三葉の頭が深々と礼をした。

「ただいま戻りました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「三葉………無事でよかった」

 そう言った俊樹に抱きしめられると、胸が痛くて泣けてきた。

「お父様…っ…ぅぅ…」

 あまり父親と仲良くしてはいけないということは覚えていたけれど、今は抱かれて泣いた。俊樹の車で家まで送ってもらい、四葉と一葉にも出迎えられた。

「おかえり、三葉」

「おかえりなさい、お姉ちゃん。ん? お姉様の方かな」

「はい、ただいま戻りました。ご心配をおかけして、すみません」

 家に入ると、四葉が匂いに気づいた。

「ちょっと生臭いね。お風呂、入ってないでしょ?」

「……はい……おそらく……」

 思い返せば、広島のホテルで入れ替わり前に三葉が入浴して以降、身体を洗っていないかもしれない。何より血の匂いが強く残っている。四葉は事件のことを詳しく知らない様子だったので今は黙っておく。

「………」

「お風呂、沸かすね」

「ぃ、いえ、私が入るわけには…」

「いっしょに入って洗ってあげるよ。お姉様は目を閉じたままでいて。きっと、お姉ちゃんも、このまま夜まで自分の身体が臭いままはイヤだと思うから」

「……」

 四葉は風呂の準備をして、三葉の身体を脱衣所へ導いた。

「目を閉じて裸になって」

「……はい…」

 衣服と下着も脱ぎ、全裸になると手で胸と股間を隠そうとしてから、そこへ触れるのはダメだと気づいて両手を広げた。

「……………」

 はしたなく全裸を隠すこともできずに立っているかと思うと、恥ずかしくて三葉の顔が真っ赤になった。

「妹に見られてるだけで何を真っ赤になってんの?」

「す……すみません……」

「乳首が勃ってきてるじゃん」

 四葉がクスクスと笑って指先で三葉の乳首をつついてくる。

「っ?! な、何をしているのですか?! 四葉、そんなところに触ってはいけません!」

「はいはい、ちょっとしたスキンシップだって。気にしない、気にしない。それでも目を開けないところが、えらいね」

 四葉は三葉の手を引いて、風呂場へ導く。

「ここに座って」

「はい」

 洗い場に座らせてもらい、四葉が全身を洗ってくれる。

「バンザイして」

「はい」

 汗の匂いと血の匂いが流れ去ると、気持ちが幾分か軽くなったし、入浴して良かったとも感じた。とくに血の匂いをさせたまま一日過ごして三葉と入れ替わると、ショックを重ねることになりそうで洗い流したのは正解だと思ったけれど、四葉に股間を洗われている間は、やはり複雑な気持ちだった。

「あとは髪の毛ね」

「頭は自分ででも…」

「長い髪の毛を洗ったことある?」

「いえ…」

「洗ってあげるからジッとしてて」

「はい、ありがとうございます」

 髪も丁寧に洗ってもらい、シャワーで流すと湯船に導かれる。

「ここを乗り越えて、この中に入って」

「はい………」

 そっと三葉の足が湯船に入っていく。全身を湯につけると、思わずタメ息が漏れた。

「はぁ……気持ちがいい……」

「あ、そういえば、日本の湯船に入るの、はじめて?」

「え? あ、はい。そうなります」

「向こうでは、だいたいシャワーの文化?」

「はい」

「気持ちいいでしょ。とくに糸守の水は最高にキレイだし」

「はい。とても………」

 そっと水の匂いを嗅いだ。

「とても心が安らぎます。…………軍艦の中では何百回と同じ水を浄化して使っていますから……理論的には衛生的な蒸留水のはずですが……」

 宇宙を征く艦内では水も重要な物資で放射能汚染でもされない限り、下水を上水へと浄化して何ヶ月も同じ水を使っていた。その水に比べて、今ここで身体を包んでくれている水は、まるで命がやどっているように心地よく温かだった。

「……はぁ……」

 うっとりと三葉の口が開いている。目を閉じたままの姉の顔へ、四葉がキスをした。

「四葉……」

「なんとなく、したくてさ」

「そうですか」

 家族なので親愛の情だと思ったけれど、あまり日本の文化ではしないような気はする。

「もう一回」

 また四葉がキスをしてくる。今度は少し深くて長いキスだった。

「…………」

「…………」

 キスが終わると、二人の唾液が唇の間で糸を引いた。

「なんだか……不思議な感じ……もう一回させて」

「………」

 たしかに不思議な感覚があった。懐かしいような、まるで故郷の小学校の裏庭へ戻ったような、不思議な感覚だった。再び深いキスをされる。もう親愛の情とは思えないような、深く愛し合う男女がベッドで交わすようなキスを四葉がしてくる。

「……この……感じ………なに? ………何かに目覚めてる……私……」

「四葉………」

 少し四葉のことが心配になる。けれど、自分もキスを拒否しようという感覚がなくて困惑する。このまま二人で一つになっていきたいような感覚さえあった。姉妹で、それはおかしいと理性が小言を言っても、身体の感覚が求めている気がする。

「もう一回させて、お姉様」

「……はい…四葉……」

 身体の芯が熱くて、何か新しいことに目覚めているような感覚が湧いてきている。

「…………ああ…………気持ちいい……」

 うっとりと四葉は表情をゆるめている。キスの終わりに三葉の唾液を吸って飲み込んだ。

「……ああ……あれ? ………………私は………普通の人間じゃない……」

「…………」

 たしかに普通の人間は姉妹で、ここまで熱烈なキスはしない、そう人間としての理性が告げてくるのに、身体は求めてしまい、またキスをする。

「っ!」

 四葉は身体に電撃が走るような感覚があり、目覚めた。

「………そうだよ……人間じゃない………人間であるはずがない……」

 児童が少年少女へ成長するときに自我や性別に目覚めるよう四葉は何かに目覚めていく。

「………唾液……お風呂………流体……液状……だから、宮水……水……。その流れに浮かぶ葉っぱ……、それが私たち……。そして、糸の声を……歴史の流れ………歴史の糸の声を束ねて紐にする……宮水の巫女……」

「四葉?」

「黙って」

「……」

「……お母さんの最期の言葉……」

 四葉は両手を口元にあて考え込む。

「………ティアマトは……きらきら輝くもの……原初の海の女神……私たちは、どこから……」

 亡くなる前に母が言ったことは、ほとんど理解できなかったけれど、断片的に記憶に残っている。そして、四葉は確信した。

「私たちは人間じゃない! 何で気づかなかったの?!」

「……四葉……何を言って……」

「ただの人間が時間を飛べるわけがない! 何度も何度も!」

「……たしかに……同時点の空間ワープでさえ……」

 宇宙空間を1光年ワープすることでさえ、さまざまな条件があり、さらに巨大な機械装置を必要とするのに、まったく何の道具も使わずに時間を跳躍する存在が、人とは思えなくなる。四葉は答えに近づいている気がしてきた。

「……私たちの使命……。…そして、口噛み酒は………私たちの半分……私たちの生命の半分………そっか。……あれを人に飲んでもらうと……私たちの人間としての残りの寿命は半分に……だから、お母さんは早くに………でも、お母さんは、きっと見ていてくれる……このお湯の中にだって、お母さんはいる………お母さん……」

 まだ完全には、すべてを掴めたわけではないけれど、四葉は教えられなくても鳥が飛び方を習得するように、自分たちの存在について少しわかったような気がした。

「四葉……何を言っておられるのですか?」

「…………。うん、私や、お姉ちゃん……とくに入れ替わり現象には何か使命があるのかもしれないって気づいたから」

「使命………」

 目を閉じたまま、キルヒアイスは目をそらした。あと数ヶ月で、ここに隕石が落ちてくる、それを自分は知っているけれど、四葉たちは知らない、教えるべきか、黙っているべきか、ずっと悩んでいる、その悩みを知られまいと目をそらしたし、目を閉じていたので、まったく気づかれずに済み、安堵した。

「………」

「ああ……気持ちいい……お湯に浮かぶのって最高………流体と…身体が一つに……」

 四葉の心地よさそうな声が聞こえてくる。キルヒアイスは目を閉じたまま泣きそうになったので湯船に額まで浸かった。

 

 

 

 三葉はキルヒアイスの部屋で目を覚ました。

「……どっちが夢で、どっちが悪夢なんだか……」

 ディズニーランドを楽しんだ日の夜に正当防衛とはいえ、人を二人も殺してしまった記憶は残っている。日常と非日常が入り乱れ、泣きたくなるけれど、今は男の身体にいるせいか、女々しく泣く気になれなかった。

「キルヒアイスの手……」

 キルヒアイスの手からは血の匂いはしなかった。

「………カストロプも私が殺した………殺して当然のヤツだったけど………。その前のファイエルの私の一言でも大勢が………戦争……」

 いつまでもベッドに寝ているわけにも行かず、起きて出勤する。本日の予定は手紙にあったので、その通りに軍務省へ向かった。

「式典だし、その前にトイレ、行っておこう」

 男子トイレに入って立ったまま用を済ませていると、奥の個室からノルデンがズボンを直しながら出てきた。

「おお、キルヒアイス少将…いや、中将。おはよう」

「まだ、あと10分くらいは少将ですよ。ノルデン少将さん。いえ、すぐに中将さん」

「ははははは!」

「フフフ」

 二人とも昇進が決まって軍務省に呼ばれているので笑い合った。今まで昇進しても何も嬉しくなかったけれど、今回ばかりは自分の功績なので三葉も嬉しい。ノルデンと三葉は鏡の前で軍服に着乱れが無いかチェックしてから、式典室へ向かった。威厳のある式典室に入ると、高級軍務官僚が証書を読み上げてくれる。

「この度の功績により汝ジークフリード・キルヒアイスを帝国軍中将に任ず」

「はっ」

 敬礼して証書を受け取ると、実感と充実感が湧いてくる。次にノルデンも証書を受け取り、短い受任式が終わった。二人で廊下に出るとガッツポーズする。

「いよいよボクも中将だよ。キルヒアイス中将」

「やりましたね」

 カストロプ動乱の平定でキルヒアイスの戦功はラインハルトが報告し、またノルデンが果たした役割もキルヒアイスの記述をラインハルトが削除することなく上申したので、艦隊攻撃での功と伯爵救出の功が認められ、ともに昇進したのだった。浮かれている中将二人へ軍務尚書エーレンベルク元帥が廊下へ出てきて小言をいう。

「勝つには勝ったようだが、ホーランドなにがしという戦術名は感心せんな。そは敵将の名であろう。次に用いるとしても、今少し考えるよう」

「「はっ!」」

 二人で相談して、ジークフリード・ノルデンアタックへ改称してから、三葉だけがラインハルトに呼ばれて元帥執務室へ入った。

「昇進、おめでとう。ミツハ」

 いつのまにかフロイラインが外れていて、それが一人前扱いされている気がして嬉しい。

「ありがとうございます。閣下」

「閣下は、よせ。今は二人だ。エーレンベルクに何を言われていた?」

 二人きりなので三葉は直立不動をやめて、それでも男性っぽく腰に手をやり答える。

「ホーランドアタックって名前は敵のだから、やめろって」

「くだらんな」

「ホントくだらない。で、相談してジークフリード・ノルデンアタックにしました」

「………かなり俗っぽい名前だな……まあ、いい」

 ラインハルトは気を取り直して、それでも気が進まない様子でフリードリヒ四世からの推薦状を三葉へ見せた。推薦状にはラインハルトの元帥府入りを希望する士官の名があった。

「ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ? 中尉待遇で? 誰ですか、この人」

「………ヒルダ、と言えばわかるか?」

「あ! あの!」

「そうだ。ミツハが助けた伯爵令嬢だ」

「え、でも、あんな女の子が中尉待遇で来るんですか?」

「反対か? 反対だろう」

 ラインハルトが嬉しそうに畳み掛けてくる。明らかにラインハルトも気乗りでない様子だった。

「だって、中尉って士官学校をちゃんと卒業するか、幼年学校から回ってくるか、そういうのが普通じゃないんですか?」

「そうだ。それが常道だ。伯爵令嬢だから中尉だとか、子爵家の嫡男だから少将だ、などというのはバカげた話だ」

「ノルデン中将さんはともかく、ヒルダって女の子だし……」

「ミツハが言うと面白いな」

「この身体は男ですから」

「たしかにな。ま、それは、ともかく、どうしたものか……」

「今回も皇帝からの推薦状だと困りますね」

「ああ……父親は良識派として評判の良い伯爵なのだが……」

「そもそも、どうして志願したんでしょう? 傷の方は、もういいのかな?」

「面接もかねて会ってみるしか、あるまいな。同席してくれ」

「はい」

 三葉はラインハルトの隣りへ移動して立ち、内線で呼び出されて控え室にいたヒルダが入室してきた。中尉の軍服を着ており、ぴしりと敬礼した。

「ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフです! ローエングラム元帥閣下とキルヒアイス中将のお役に立ちたく不肖ながら参りました次第です!」

「「………」」

 ラインハルトと三葉が黙り込んでしまったのはヒルダの右目のためだった。左目は美しい瞳をしてるのに、右は義眼で薄い茶色の目だったけれど、本人の緊張や心理状態と関わりがあるのか、ないのか、異様な光りが浮かび、二人を驚かせた。

「失礼いたしました。まだ、義眼の調子が馴染まないようです」

「……他の、傷は? もういいのですか? フロイライン・ヒルダ」

 つい三葉は直立不動から、ヒルダへ数歩、近づいた。

「はい、おかげさまで」

「そうですか。よかった。それにしても、キレイな目だったのに、かわいそう…」

「ありがとうございます…」

 礼を言ったヒルダが少し赤面したので、ラインハルトは志願動機を察した。そして自分の元帥府は中学校の中庭でも高校の校庭でもない、と腹立たしく感じる。

「中尉」

「はい」

「レールキャノンが、もっとも有効な射程距離を述べてみよ」

 ごくごく初歩的な知識を問い、相手を試したラインハルトへヒルダは瞬時に答える。

「はい、10光秒から3光秒です」

「ほお、一応は正解したな。一通りの勉強はしてきたのか」

「まだ未熟者ですが精進いたします!」

「………だが、女の身で戦場は、なにかと苦労するだろう。後方勤務を望むなら、そのように取り計らってもよいぞ」

「閣下」

 ヒルダが義眼を外して見せた。眼窩に空洞ができ、ヒルダの美しい顔貌に空虚な印象をもたらしてくる。よく見れば、手や首の後ろにも有角犬に刺された傷跡があり、おそらく背中には数十箇所はあるはずだと三葉は想った。

「もはや、私は自分を女とは思っておりません。もともと、父からも男のようだと言われて育ちましたし、ご迷惑でなければ、キルヒアイス中将のお手伝いをさせていただきたい所存です」

「…………キルヒアイス、どう思う?」

「気持ちは嬉しいけれど、……また危ない目に遭ってしまうかもしれませんよ?」

「覚悟の上です」

「「………」」

 ラインハルトと三葉が目で語り合う。二人とも判断に迷い、結局は皇帝からの推薦状がものをいった。

「わかった。キルヒアイス、使ってやれ」

「はい」

 結論が出た頃に正午を迎えたので三葉はヒルダを昼食に誘った。

「お昼、いっしょに食べますか? 士官食堂の使い方、教えてあげるから」

「はい、ありがとうございます」

 もともとヒルダが好意をもっていた上に、どこか女性的な雰囲気もする中将と、男勝りではあっても女性である中尉は30分のランチで仲良くなった。

「じゃあ、夕飯もいっしょに、どこかのレストランに行こう。おごってあげる」

「そんな申し訳ないです」

「いいの、いいの。予定がないと、いつもラインハルトさんと食べるだけになるし。たまには女の子と出かけたいから」

「フフフ、思っていたより普通の方なんですね。キルヒアイス中将」

 夕方に会う約束もしてラインハルトの執務室へ戻った。午後からラインハルトが思い出したように、もしも次に指揮官として、どこかの地域を占領することがあったとしても、婦女暴行だけでなく略奪も制止するよう、たしかに帝国軍は過去何度も領土内でさえ略奪をしているが、それは文化ではなく憎むべき蛮行であると言い、ゆえにその場合の処置などを学んでいたけれど、だんだん集中力が切れてきた頃、来客があった。

「まず、お人払いを願います」

 パウル・フォン・オーベルシュタイン大佐がラインハルトと話しているのを、三葉は隣で直立不動で傍聴している。

「キルヒアイス中将は私自身も同様だ。それを卿は知らないのか」

「……」

 初対面っぽい人に、知らないのかって堂々と言うほど有名な話なんだ、そういえば幼年学校から、ずっと同じ部署って人事的にすごいなぁ、私の町でも小学校から高校までクラス同じって子まずいないのに、と三葉が余計なことを考えていると、オーベルシュタインの話は進んでいた。

「さまざまな異なるタイプの人材が必要でしょう。AにはAに…」

 三葉は空気を読んだ。

「元帥閣下、私は隣室に控えていた方がよろしいかと」

「そうか」

 ラインハルトが頷いたので隣室へ移動する。

「よし、私、空気読めた」

 高校の教室で空気を読むことはできても、なかなか帝国軍内で空気を読み切れていなかった三葉は自分の判断が正しかったことに自信をもち、拳を握る。そして、しばらく退屈しながら静かに待っていると、大きな声で呼ばれる。

「キルヒアイス!」

 かなり緊迫した声なので、急いで戻る。

「はい!」

「キルヒアイス、オーベルシュタイン大佐を逮捕しろ。帝国に対し不逞な反逆の言動があった。帝国軍人として看過できぬ!」

「はい!」

「しょせん、あなたもこの程度の人か……」

 三葉はブラスターを抜いて正確にオーベルシュタインの胸部を狙った。

「両手を頭の上にあげ! 膝をつきなさい!」

「けっこう、キルヒアイス中将ひとりを腹心と頼…」

「両手を頭の上にあげ、膝をつきなさい!」

「……」

 オーベルシュタインは三葉の方を向いた。あ、この人も義眼、しかも両目、と今さら気づいたけれど油断はしない。

「キルヒアイス中将、私を撃てるか。私はこの通り丸腰だ。それでも撃てるか?」

「丸腰…」

 三葉はブラスターで狙いながら、血の赤さを思い出した。カストロプの血も、チンピラの血も、真っ赤だった。今、ブラスターの引き金を引けば、この男も赤くなる。もう人殺しはしたくない、そんな弱気をオーベルシュタインは読み取った。

「撃てんだろう。貴官はそういう男…」

「違う! ここは、ここ! ちゃんとしなきゃ!」

 三葉は自分を叱って、ブラスターの狙いを胸部から太腿へかえた。そして威嚇した声で告げる。

「両手を頭の上にあげ、膝をつきなさい! 最後の警告です!」

「………」

 オーベルシュタインは義眼で三葉を見ているだけだったので、三葉はローキックを放った。

 ベキッ!

 キルヒアイスの脚は強烈なローキックでオーベルシュタインを転倒させると、ブラスターの発射口は天井に向けて、左手でオーベルシュタインの頭を押さえつけ、床に組み伏せ片膝で背中も押しつけた。

「制圧、完了!」

 どんな敵が宮廷内にいるか、わからない、油断はしない、ちゃんと習った通りできた、と三葉は達成感を持ちつつ、ブラスターをオーベルシュタインの頭に押しあてる。警告に従わない相手が丸腰だった場合の制圧方法の一つを実戦でも成功でき、白兵戦の訓練はチンピラ相手ではなく、こういうときのためだったと自戒すると同時に、猟犬が猟師に獲物を見せて、誉めて欲しそうな顔をするようにラインハルトを見る。

「制圧しました!」

「……。よくやった…」

 ラインハルトは、まだオーベルシュタインの話の続きが気になっているけれど、とりあえず三葉を誉めた。

「光りには影がしたがう……しかし、お若いローエングラム伯には、まだご理解いただけぬか…」

 それでも、オーベルシュタインは話を続けていた。以前に出会ったキルヒアイスから受けた印象や事前調査による見込みとは、ずいぶんと人物像が違い、自分の人物眼に少し自信が無くなったけれど、今はキルヒアイスという人物よりも、ラインハルトに自分を売り込む必要があり、それに失敗すると軍上層部から劣悪士官として排除されるので決死の覚悟で臨んでいる。床に組み伏せられた衝撃で両目の義眼が転げ出てしまい、まったく視界が無い状態でも、言い募った。そんな様子にラインハルトは感心して頷く。

「言いたいことを、……何が何でも、しっかりと言う男だな」

「恐縮です。ゴホッ…ゴホッ…」

 三葉が膝で体重をかけて背中を押さえつけているので咳き込んでいた。

「ゼークト提督からもさぞ嫌われたことだろう、違うか」

「あの提督は…ゴホッ…部下の…ゴホッ…忠誠し、ゴホッ…」

 三葉が絶対に動けないよう組み伏せているので、かなり苦しそうだった。

「キルヒアイス、もういい。離してやれ」

「え? いいんですか? でも…」

「我々と同じ方向性なのか、試しただけだ。そして、オーベルシュタインの目指すところと我々のそれは共通だ」

「ってことは皇帝を倒すための仲間?」

「「………」」

 二人は否定しなかったけれど、軽率に口に出すことではないという沈黙をしている。三葉は力を抜いてオーベルシュタインを立たせてやり、転がっていた義眼も拾って渡した。

「コンタクトレンズと違って、両方を落としてしまうと大変そうですね」

「……。かたじけない。……キルヒアイス中将……」

「オーベルシュタイン、よかろう。卿を貴族どもから買おう」

 かなり鋭い男だと感じたので三葉と長く話をさせたくなかったゆえ、ラインハルトは話をまとめた。夕方になり三葉はミッターマイヤーに教えてもらったレストランでヒルダと夕食を楽しんでいた。

「ヒルダって本当に色々なことを知ってるね」

「いえ、父に言わせれば、女子が知るべきことを知らず、政治や軍事といったことにばかり興味をもって困りものだと」

 会話が弾み、二人で2本のワインを呑み、別れ際に三葉は名残惜しくてヒルダの頬へキスをした。

「……キルヒアイス中将…」

「お別れの挨拶だよ。でも、また、いっしょに過ごせるといいね」

「はいっ」

 ヒルダを公用車で送らせると、三葉はラインハルトの部屋へ行った。

「遅かったな。キルヒアイス、いや、ミツハ」

「ごめんなさい。つい、話が弾んで」

「まあ、女性同士だ。そういうものなのかもな」

 一人で呑んでいたラインハルトは三葉へグラスを勧める。

「飲むか?」

「う~ん……少しだけ」

 三葉はグラスに半分だけワインをもらって座った。

「伯爵令嬢は、どうだ?」

「うん、可愛い」

「……いや、そうではなく使えそうか、という話だ」

「女の子をさ、そういう言い方するの、どうかな?」

「……」

 酔っているキルヒアイスの瞳に批判的に見られると、ラインハルトは強い戸惑いを覚えた。キルヒアイスの瞳が、こんなにも冷たい目で自分を見ているという体験がラインハルトの思考を止める。まるで女性が女性蔑視する男性を見るような批判と軽蔑を込めた視線で、ラインハルトは反論を思いつくのに、かなりの時間を要した。

「か…彼女は自ら、自分を女とは思っていない、と言ったぞ」

「それは身体も心も傷つけられて、そう思わないと気持ちの整理ができないから。そのくらいのこと、わかってあげようよ」

「……そ……そう受け取るべきなのか………やはり、女性というのは、わかりにくいな。だが、彼女は我々の部下として来たのであって、客人ではないぞ?」

「なら、皇帝が後宮の女性を、あいつは使える、あいつは要らない、そんな風に言ってたら、どう感じる?」

「ぅっ……」

「もっと単純に自分のお姉さんが、そんな言い方を他人にされていたら、どう? 立場の上下があれば、何を言ってもいいの?」

「………………わかった。オレが悪かった」

 ラインハルトが非を認めて、お互いに一呼吸おいたとき、12時になった。

 

 

 

 キルヒアイスは見慣れたラインハルトの部屋でワインを飲んでいたので安心した。

「ただいま、戻りました」

「ああ」

 そう答えてキルヒアイスのグラスへワインをそそいだ。

「ラインハルト様、すでに、かなり飲んでいるようですから、このあたりで…」

「そんな顔色だな」

「今日は何がありましたか?」

「オーベルシュタインという男を覚えているか」

「はい」

 ラインハルトはオーベルシュタインについて語り、それからヒルダについても説明をすると、夜が更ける前に二人とも休んだ。キルヒアイスは定刻に起きて、元帥府へラインハルトと出勤すると、それぞれに別の仕事を精力的に進めていく。その過程でヒルダの馴れ馴れしさに少し困っていた。

「キルヒアイス中将、お昼をごいっしょしてもいいですか」

「いえ、今日はラインハルト様と会議をかねて食べる予定ですから」

「そうですか。では、ご夕食の予定は? 友人から東洋料理の美味しい店を教えてもらったのです。ごいっしょしていただけませんか?」

 そう言いながらヒルダが気安く肩に触ってくるので、さすがに中将としても職場の上司としても威儀を正す。

「マリーンドルフ中尉、ここへ遊びに来ているおつもりなら帰ってください」

「っ……失礼いたしました」

 頭を下げたヒルダが涙ぐんでいたのでキルヒアイスは心が痛んだけれど、言うべきことは言っておき、ヒルダと距離をおいた。一言苦言を呈してからのヒルダは優秀な事務能力を発揮してくれたので部下として有能だと判断して、昼食時にラインハルトとの話題の一つになった。

「使えるという表現は三葉さんに怒られるかもしれませんが、彼女の能力的にはそう言って差し支えないかと思います」

「そうか。なら、適度に使ってやれ」

「はい。……」

「どうした、キルヒアイス、何か言いたいことがあるのか?」

「オーベルシュタイン大佐の方です」

「うむ。あの男が門閥貴族どもの手先ではないか、と、一時はオレも疑った。しかし、貴族どもの手に負えるような男ではない。頭は切れるだろうが、癖がありすぎる」

「ラインハルト様のお手には負えるのですか?」

「奴一人を御しえないで宇宙の覇権を望むなんて不可能だと思わないか」

 ラインハルトは不敵に微笑して、トマトのサラダを食べ終えた。

 

 

 

 三葉は自分が自分になったのだと、自分の部屋の光景で感じた。

「………」

 そっと自分の手を見る。もう血の匂いはしない。なのに泣けてきた。

「ぅっ……くっ……私が殺したんだ……私は人殺しだ……」

「お姉ちゃん……」

 四葉が部屋にいた。もう、だいたい事件のことを知っている表情だった。

「………やっぱり、こっちの方が悪夢だよ……戦争でもないのに私は人を……」

「……。お風呂、沸いてるよ」

「うん、ありがとう」

 妹が気を遣ってくれたので三葉は泣くのをやめて入浴する。いっしょに四葉も入ってきた。

「背中を洗ってあげるね」

「…ありがとう…」

 優しく背中を洗ってもらっていると、また涙が零れた。

「はい、バンザイして」

「…うん…」

 全身くまなく洗ってくれるけれど、さすがに股間を洗われそうになって止める。

「ここは自分で洗うから」

「じゃあ、はい」

 四葉が泡のついたタオルをくれるので股間を洗う。その間、四葉は胸を三葉の背中に押しつけ、ぴったりと抱きついてきた。

「………四葉……慰めてくれてるの?」

「それもあるけど……しばらく、こうさせて」

「うん……ありがとう」

 背中に感じる妹の温かさが三葉の心を癒してくれる。身体を洗い終わって湯船に入ると、また四葉が抱きついてきた。

「四葉……」

 少し困惑するけれど、抱き合った。

「………」

「………」

 とても気持ちが楽になり、三葉が静かに涙を零すと、四葉が舐め取ってくれる。

「やだ、四葉、犬みたいに……くすぐったいよ」

「お姉ちゃん、いっしょに頑張ろうね」

「っ、四葉……」

 三葉がギュッと四葉を抱きしめた。

「ありがとう。でも、四葉は関係ないことだから気にしないでいいんだよ。ごめん、ごめんね、四葉まで人殺しの妹だって言われちゃうかもしれない……ごめん……本当に、ごめん…」

「お姉ちゃん、……そんな小さなことは、どうでもいいんだよ。もっと大きな宇宙を見て、感じて」

「宇宙……キルヒアイスとのこと? あっちは順調だよ」

「うん、それもあるけど、もっと、いろいろな宇宙」

「いろいろな?」

「ねぇ、お姉ちゃんは自分が普通の人間だと、まだ思ってる?」

「…………もう私は人殺しだよ……」

「その話じゃなくて、お姉ちゃんは何度もポンポン時間を飛び越えてるよね」

「うん……」

「それって、普通の人間のすること?」

「……そう言われても……やろうと思って、なってるわけじゃないし」

「お姉ちゃん、一つお願いがあるの」

「うん、何?」

「キスさせて」

「………。……なんでよ?」

「お願い」

「……」

「お願い」

「わかったよ。どうぞ。……わけわかんない…」

 つぶやきながら三葉が諦めると、四葉が唇を重ねてくる。

「ぅっ…」

 三葉は唇の間に舌を挿れられて、ますます困惑したけれど、同時に不思議な感覚が湧いてきた。身体が痺れるような、浮き上がるような、そして四葉と一つになるような、さらに身体が膨張して宇宙と一体になるような、不思議な感覚だった。

「…はぁ……はぁ……今の、なに?」

「私たち、宮水の巫女には、きっと大きな使命があるはず。そう感じない?」

「使命……」

「いっしょに宇宙を修正しよう、お姉ちゃん。きっと、できるよ。頑張ろう」

「……宇宙を……修正……。……使命……」

 よくわからなかった。けれど、三葉の胸にも焦燥のようなものが湧いた。なにか、しなくてはいけない気がする、どうにかすべき何かがある気がしてくる。

「……四葉……どうすれば、いいの?」

「それは、まだ私にも掴めてないの。でも、頑張ろう」

「うん……私、頑張るよ」

 また四葉がキスをしてくる、そっと三葉は目を閉じて受け入れた。

 

 

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