「君の名は。キルヒアイス」方向性修正版   作:高尾のり子

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第11話

 

 

 キルヒアイスは三葉の部屋で静かに読書していた。学校から自宅謹慎の処分が出ているので素直に従い、四葉に図書館から借りてきてもらった公職選挙法についての本や日本の戦国時代の歴史書などを読んで時間を過ごしている。放課後になって屋外から人の気配がした。

「おーい、三葉!」

「三葉ちゃーん、いる?」

「はい!」

 窓の外から克彦と早耶香の声がしたので返事をして顔を出した。

「どうぞ、あがってください」

 気落ちしないように訪ねてきてくれた二人と談笑することで、お互いに気分転換していく。あえて修学旅行の話はせずに、まったく関係ない月刊ムーの記事について克彦が熱心に語ってくる。

「ほら、これ。この記事によると地球外生命体の有力な移動手段として彗星が考えられるっていうんだ」

「あいかわらずバカな話を思いつくよね、その雑誌」

 早耶香がスマフォをいじりながら笑っている。何度か、東京での事件のことをネットで検索しているけれど、いまだニュース記事になった様子はない。二人のチンピラが路地裏でケンカの挙げ句に死亡したことは、世間にとって小さすぎるニュースなのか、正当防衛なのか、過剰防衛なのか、まだ決まっておらず、何より三葉が未成年なことが情報が出回らない理由なのか、ともかくニュースにはなっていないので三人とも安堵しつつも、今後についての不安は大きかった。

「………」

「………」

「………」

 ついつい三人ともが黙り込み、静かになってしまったタイミングで三葉のスマフォが鳴った。

「お父様から……」

 着信表示は俊樹からだった。

「もしもし、三葉です」

「私だ」

「お父様……ご迷惑をおかけしております」

「うむ、お前は元気にしているか?」

「はい、ご心配ありがとうございます……身体は元気です。気持ちも、少しずつ落ち着いておりますから」

「そうか。……」

 俊樹が切り出しにくそうな気配なので促す。

「お父様、ご用件は何でしょうか?」

「ああ。……明日、東京から刑事がくる」

「明日……」

「お前と、他の7人へも最終的な事実確認をするそうだ。なんとか、お前が罪に問われないよう私も尽力するから、心を落ち着けているんだ。いいね?」

「はい、努力いたします」

「では、明日。私も顔を出すようにするから」

「ありがとうございます。ご心労おかけし、申し訳ありません。どうか、お父様も健やかに」

「ああ……。……ワシはお前を信じているよ。どうなるとしても、三葉の味方だ」

 そう言ってくれた俊樹が電話を切った。

 

 

 

 三葉はラインハルトとの朝食を終え、元帥府でヒルダから今日の予定を聴いていた。

「本日のご予定は10時より、エリザベート・フォン・カストロプ公爵夫人の自裁に立ち会われることになっております」

「ああ、あの人……皇帝に逆らったんだから、死刑は当然か……。他の予定は明日に回しても大丈夫?」

「はい、キルヒアイス中将自らがなさらなければならない仕事は、それだけです。他は事務的な決済などがありますが、明日以降でも問題ありません」

 すでにヒルダはキルヒアイスから、たまに自分は丸一日あまり仕事に取り組む気になれない日があり、そんな日は翌日以降で良い仕事は後回しとして、どうしても処理しなければならない案件のみ進めるよう、と聞いていたので、その日が来たのだと思い、外せない用件だけを伝えた。三葉としても戦闘や戦術指揮については計画的に訓練してきているけれど、ここ最近のキルヒアイスの地位と権限の飛躍的な上昇と、それにともなう軍の官僚的な業務については、まだまだ理解が不足しているし、そもそもキルヒアイス自身が慣れていくのに苦労しているくらいなので、三葉は余計なことをしないようにしている。また、手紙でも三葉には気分転換してほしいと書いてあったので、その好意を受けることにした。

「この身体にも、たまには休みがいるよね」

「はい、キルヒアイス中将は、やや働き過ぎです。心配ですわ」

「よし、午後からヒルダと、どこかに遊びにいこう」

「え……はい! あ、でも…」

 嬉しそうに返事してからヒルダが迷っている。

「何か用事ある?」

「実は昼休みにオーベルシュタイン大佐に呼ばれているのです」

「あの人に………しかも、昼休みにって……」

「大佐は、これは私的な用件だから業務時間外に、と」

「……私的な用件って、怪しくない? あの人そのものが怪しいのに」

「クスッ……今日のキルヒアイス中将は、いつもと、ぜんぜん雰囲気が違うのですね」

「そ、そっかな。まあ、今日はオフな気分だからさ」

「まるで元帥府で初めて、お出会いした日みたいです」

「うん、あの日から、もう一週間は経ったなぁ……ま、それはいいとして、あの大佐の私的な用件って冗談抜きで明らかに怪しいから注意して」

「はい」

「っていうか、私もついていってあげようか?」

「いえ、それでは鼎の軽重を問われます」

「あ、そっか、中尉が大佐へ会いに行くのに中将がついていくのはマズいか………じゃあ、偶然をよそおってドアの外で待ってるよ。変なことされそうになったら叫んで呼んで。今度こそ逮捕してやるから」

「クスっ…よろしくお願いします」

 ヒルダとの話を終えると、軍服を儀典用の華美なものへと着替え、新無憂宮へと移動する。途中でノルデンに出会った。

「気の進まない任務だね」

「まったくですな」

 ノルデンも中将としての儀典服を着ている。エリザベートを捕虜にしたとき、二人とも関わっていたので慣例として見届人に指名されていた。二人でベーネミュンデも自裁させられた部屋に入った。

「………。ここで、今までに何人も……」

「独特の雰囲気がありますな」

 自裁のために用意されている部屋は華美なのに陰鬱な感じを受けるのは、その使用目的を知っているからかもしれなかった。他にも官僚やカストロプ家と関わりのあった見届人が入室して整列していく。フランツも入ってきて、ノルデンと三葉に会釈した。

「そのせつは、ありがとうございました。ノルデン中将にお助けいただき、まことに感謝いたしております」

「いえいえ、当然のことをしたまでですよ。ははは! 伯もお元気そうで、よかった」

「おかげさまです。また、キルヒアイス中将のところへは娘がわがままを言って押しかけてしまい、すみません。ご迷惑をかけていませんか?」

「いえ、ぜんぜん。むしろ、可愛…いえ、えっと…嬉しいですよ。光栄です」

「そう言っていただけると幸いです。もともと男勝りで結婚も難しいかと思っていたのに、あの傷では……」

「………。そんな簡単に諦めなければ、よい縁があるかもしれませんよ」

 キルヒアイスの手が娘を心配する父親の肩に触れると、フランツは有り難そうに一礼して軍属の三葉たちとは離れた位置に整列した。三葉は天井を見上げた。豪華な天井画が描かれ、やはり部屋の使用目的に合わせているのか、ヴァルハラを表現している。

「あと3分か……毒殺は苦しむのかな? ノルデン中将さんは見たことありますか?」

「いえ。けれど、そう苦しむことは無いはず。一応、公爵夫人としての礼節をもって遇されると」

「爵位か……」

「兄のカストロプ公から形式的に相続した上での自裁ということに。もっとも、その兄のマクシミリアンでさえ、死後に宮内庁が父オイゲンからの相続を正式に認めた後から妹へ相続ということゆえ。本当に形式的なもので、あわれなことよ」

「………憂鬱ですね。……新無憂宮といっても、けっこう憂鬱な部屋が有って…」

「ゴホン!」

 リヒテンラーデが咳払いして私語をやめさせた。いよいよ定刻となり、エリザベートが儀仗兵に連れられて、ドレス姿で現れた。最後の礼遇ということで公爵夫人として最初で最後のドレスを着ているし、おそらく蒼白な顔色をしているはずなのに化粧のおかげで美しく見える。しかも二重顎だった下顎のラインが、ほっそりと痩せていた。

「………」

 ぜんぜん別人みたいに痩せてる、そりゃそうだよね、捕虜になって、ご飯もらっても公爵家の食事とはレベルが違うだろうし、いずれ殺されるとわかってたら食欲も無いだろうし、こうやって痩せると、けっこうキレイで可愛い子だったんだ、艦隊指揮なんか執らずに全部お兄さんのせいにしたら、命くらいは助かったかもしれないのに、かわいそう、と三葉が同情的な視線を送っていると、睨まれた。

「この下賤な卑怯者めが!! 正々堂々戦っていれば勝ったのは私だ!!」

「………」

 まあ、5000対2000だったから、私が5000の方でも、勝ったと思うよ、そもそも真正面からぶつかることしかしないなら艦隊指揮官も参謀も無用の長物だよね、いかに戦術を練るかが仕事なんだから、それを卑怯って言われてもなぁ、と三葉が軍略家地味てきた思考を黙ってしていると、エリザベートが唾を吐きかけてくる。

「ペッ!」

「っ…」

 三葉は人間が唾液を貯めるときの予備動作を熟知していたし、持ち前の反射神経もあってエリザベートの唾が顔にかかる前に、さっと横へ回避すると同時に、とっさに身体が動いてボディーブローを放ち、うずくまったエリザベートの肩を捻ると組み伏せた。

「あ……」

 流れるような白兵戦技で組み伏せてから、空気が読めていないことに気づいた。リヒテンラーデが注意してくる。

「キルヒアイス中将、公爵夫人への礼節を忘れぬよう」

「は…はい、すいません。つい、とっさに……失礼しました」

 キルヒアイスの手が公爵夫人を離すと、たとえ女性が相手でも容赦しないのだと思い知ったのか、もう何も言わずにエリザベートは儀仗兵に連れられ、赤い絨毯の上を歩いていき、リヒテンラーデの前に立たされた。

「フリードリヒ皇帝陛下よりの勅命である」

「……」

 エリザベートは顔を硬くして聴き、リヒテンラーデは慇懃に宣言する。

「エリザベート・フォン・カストロプ公爵夫人に死を賜る」

「っ…」

「格別のご慈愛により自裁をお許しくだされた。さらに公爵夫人たる礼遇をもって、その葬礼をなすであろう」

「…………ぃ……イヤ…」

 ドレスが着乱れるほど震え、周囲を見回して助けを求める。

「……た……助け……フ…フランツ伯父様! た、助けて!」

 親戚を見つけて助命を乞うた。フランツは人質にされた恨みも無いように気の毒そうな顔をしたものの、助けることはできないとわかっている。それでもエリザベートは言い募った。

「わ…私は強欲な兄に騙されていただけなのです!」

「……エリザ……かわいそうに…」

 主犯たるマクシミリアンが生き残っていれば、妹は終身刑からの恩赦の可能性もあったけれど、三葉が帝国に反逆した私兵の多くを帝国軍に組み入れたこともあり、誰も処罰しないままでは示しがつかないので、エリザベートの死は不可避だった。

「お願い、フランツ伯父様! 私は悪くない! 悪いのは全部兄なの! あいつは……あの男は……まだ、幼かった私を辱めた!! だから、言うことをきくしかなかったの!」

「「「「「……………」」」」」

 場の空気が、さらに重くなった。マクシミリアンが10歳前後の女子を愛することは公然の秘密だったけれど、まさか実妹にまで手を出しているとは、という残念な空気が漂い、エリザベートは同情を集めようと必死に語る。

「兄は私が13歳になるまで! 何度も何度も! 私を辱めた!!」

「………」

 リヒテンラーデはベーネミュンデのときと同じく、もう最後なので言いたいことは全部言わせてあげてから、終わらせるつもりで今少し本人の気が済むまで待っている。泣きながらエリザベートは幼少の頃に受けた実兄からの虐待を語り、それゆえ嫁に行くことも諦めて、また大人になってからは相手にされなくなったものの、トラウマによるストレスで肥満して二重顎になり、兄が帝国に反逆したときも止めようとしたけれど、言うことをきかないと幼少期に撮られた3次元映像が、全宇宙に送信されるかもしれないので本当に仕方なく皇帝陛下へ弓を引いたのだと、切々と語った。

「……エリザ………本当に、かわいそうに……」

 フランツは娘を傷物にされてはいたけれど、同じく傷物にされていた姪を抱きしめた。そして、わずかな可能性に期待してリヒテンラーデへ視線を送ったけれど、勅命に変更はありえなかった。

「そのへんで気が済みましたかな、公爵夫人」

 リヒテンラーデが腰の後ろで組んでいる手の指先をチョイチョイと動かすと、係の者が用意していた杯を盆に載せてもってきた。豪奢なグラスに3分の1ほど、酒と毒が入っている。

「ひぃっ…」

 エリザベートが本能的に後退ると、儀仗兵が左右から両腕を捕まえて動けないようにした。ゆっくりと厳かに係がグラスを載せた盆をもって近づいていく。エリザベートは恐怖してガタガタと震え、もう腰が抜けて儀仗兵に支えられて立っている。

「ひぃ……ひぃぃ……」

「………」

 これって銃殺の方が楽なんじゃないかな、もしかして自裁って名目でイジメてるのかな、だいたい潔く自分で死んじゃう人はブラスターで頭を撃つパターンが多いらしいし、ってことは自分で死ねない人だけが、この自裁に追い込まれるわけで、やっぱりイジメかも、と三葉は宮廷文化の裏側を穿った。

「は、離して! ぃ、いや!」

 エリザベートが強引に毒を飲まされている。

「うっ……くっ…」

 ほとんど苦しむことなく少し血を吐いて倒れると、もう動かない。赤い絨毯には血と涙と唾液でシミができていた。

「…………」

 三葉は軍靴を少し動かして絨毯の感触を確かめる。新無憂宮は手織りの豪華な絨毯が敷かれている部屋がほとんどだったのに、この部屋の絨毯は感触的に、かなり他の部屋より安価そうで絨毯は毎回使い捨てなのだろうと思った。

「もう出ましょうか。キルヒアイス中将」

 ノルデンに促され、頷いた。

「昼休み前に、これはきついね」

「そうですな。ご昼食の予定は?」

「ちょっと女の子と」

「羨ましいですな」

 にやりと微笑んだノルデンはタメ息をついてから話題を変える。

「はぁぁ……羨ましいといえば、キルヒアイス中将はローエングラム元帥のお気に入りのようで羨ましいですな」

「はあ……まあ……昔から友達って部分もあるから」

「どうも私はローエングラム元帥にこころよく思われていないようで中将として艦隊をさずかったものの、どれも旧式艦や第2線級の艦ばかりで、主に補給部隊の護衛が任務になりそうでね。黒色槍騎兵や疾風ウォルフとまでは望まないものの、活躍の機会が無さそうで」

「ラインハルトさんは、ちょっと人への好き嫌いが激しいから。けど、考えようによっては安全でいいじゃないですか。私が言うのもなんですけど、今の年齢で中将なら、エーレンベルク元帥さんやミュッケンベルガー元帥さんに比べれば十分に若いですし、ほどほどの出世の方がいいですよ」

「おお、なるほど、たしかに、そうだ。何事も、ほどほどですな」

「そう、ほどほど。あんまり目立つ立場だと、失敗したとき余計に恥ずかしいですし、ほどほどに、いきましょう、ほどほどに」

 三葉はノルデンと別れ、ヒルダと早めの昼食を済ませてからオーベルシュタインの執務室まで行く。三葉だけが廊下で偶然をよそおいつつ待機し、ヒルダはノックして入室する。

「ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ中尉、参りました」

 ぴしりと敬礼すると、待っていたオーベルシュタインも敬礼を返しつつ、ソファを勧める。

「よく来てくれた。マリーンドルフ中尉。どうぞ、座って」

「は…はい…」

 ヒルダも、まだ一週間ほどしか元帥府に勤務していないけれど、明らかにオーベルシュタインの態度はいつもと違った。

「そうだ。コーヒーを…」

 オーベルシュタインは従卒に命じようとして止め、自ら立ち上がった。

「いや、これは私的な用件であるから、私が淹れよう。どうぞ楽にして、待っていてくれたまえ」

「は…はい…、ありがとうございます…」

 ヒルダは少し待ってオーベルシュタインが自ら淹れてくれたコーヒーを礼儀の上で飲むフリをしたけれど、カップに唇を着けないようにした。

「それで、大佐。ご用件というのは?」

「うむ……これを…」

 そっとオーベルシュタインは封書をヒルダへ手渡した。

「もちろん、これは業務命令ではないので、中尉には断ることもできるが、ぜひ、よく考えて、受諾していただきたい」

「……」

 ヒルダは封書を開け、目を通すと立ち上がった。

「わかりました。前向きに検討いたします」

「伯爵へも、よろしく伝えておいてほしい」

「はい」

 敬礼して退室したヒルダに三葉が訊いてくる。

「どうだった? 変なことされなかった?」

「クスっ、はい。意外ではありましたが、考えてみれば当然かもしれません。これを見てください」

 ヒルダがパンフレットを見せてくれる。

 

  義眼者友の会 入会案内

 義眼の開発は、いまだ道半ばです。

 ときおり異様な光りを発して周囲を驚かせてしまったり、

 どうにも頻繁に調子が悪くなったり、

 そんな悲しい想いをしている皆さんが立ち上がるときです。

 みんなの力を合わせて財務省を動かしましょう。

 義眼者友の会は一人でも多くの加入を募っています。

 義眼者本人、またはご家族、門地爵位に関わりなく誰でも歓迎しています。

 ぜひ、ご入会ください。

会長 パウル・フォン・オーベルシュタイン

 

 読んだ三葉も納得した。

「そういうことか。ヒルダも片目が義眼だから。じゃあ、入るの?」

「そうですね。年会費も300帝国マルクですから、一応、入会してみます」

 心配していた案件が軽微に終わったので、二人とも安心して出かけ、郊外にある夕日の見える丘までレンタルした地上車で移動して、手頃なロッジを貸し切りにすると、ワインとサンドイッチで夕食にする。

「オーディンの夕日もキレイ……ヒルダのお父さんが領有してる星系の夕日は、どう?」

「はい、また別の美しさがあります」

「……義眼でも、ちゃんと見えてる?」

「いえ………義眼は256色くらいでしか脳へ伝えてくれませんから」

「そうなんだ……」

「でも、私には、もう片方の目がありますから、平気ですよ」

 ヒルダが気丈に微笑むと、三葉は胸が締めつけられるようにうずいて、思わずヒルダを抱きしめて、その頬へキスをした。

「……キルヒアイス中将……」

「ごめん、思わず。これじゃ上司によるセクハラだよね……ごめん」

「いえ……嬉しいです」

「ヒルダ……」

 そう言われて我慢できなくなり三葉はヒルダと唇を重ねた。そのキスは四葉としたキスとは違い、脳と下半身が熱くなるようなキスで、三葉は今は自分が男なのだ、と強く認識した。

「………」

「………」

 けれど、キスが終わってから、三葉はアンネローゼとキルヒアイスのことを思い出した。しまった、忘れていた、という表情を三葉が浮かべると、ヒルダは女の勘でわかってしまう。

「キルヒアイス中将には……決まった方がおられるのですね」

「……。うん……ごめん……ひどいことした……今……私は最低だ……」

「そんなことないですわ」

「あるよ……女の子の唇を奪っておいて……」

 キルヒアイスの顔が後悔と反省に沈むと、ヒルダは微笑んだ。

「本当に気にしないでください。いい想い出ができました。こんな傷物の私にも」

「ヒルダ………」

 三葉は抱きしめてあげたくて前のめりになるけれど、それはできないと苦悩する。そんな様子にヒルダの女心もうずいた。

「もし……願わくば……一夜限りで、けっこうです。私に想い出をください」

「ヒルダ……それって……」

「お願い」

「……だ……ダメだよ。女の子の初めては、もっと大切にしないと」

「………。もう私は処女ではありません………とっくに、あのラパート星で…」

「くっ! カストロプの奴……」

「いえ……マックは真性の小児性愛者でしたから……私は、……使用人たちの……慰みものとして……」

「っ、ひどい……ひどすぎる……あいつら、許すんじゃなかった! 殺してやれば、よかった! 今からでも罪状を……」

「いいんです。彼らとて、マックに逆らえば殺されたでしょう。欲望もあったでしょうが、拒否する選択肢など、なかったのですから」

「ヒルダ……あなたって人は……」

 もう我慢できず、三葉はヒルダの肩を握った。

「キルヒアイス中将……、お願い……今だけ……今夜だけは……私を見てください」

「うん! うん!」

 三葉には、その女心が痛いほどわかった。そして男の身体も熱くなっている。もう三葉には自分の衝動を止める術が無かった。

 

 

 

 キルヒアイスは見慣れないバスルームのトイレに座っていたので、驚きつつも手にしていた手紙を読む。

 

 ごめんなさい。

 ヒルダを抱いてしまいました。

 

「なっ?!」

 思わず読んでいる途中で声をあげた。そして、読みたくないけれど読まざるをえないので先へと目をやる。

 

 成り行きは、ドライブに出かけて、夕日を見て。それでキスしてしまって。

 もちろん、キルヒアイスにはアンネローゼさんがいるから、ダメだって思ったけど。

 そしたら、ヒルダが傷物にされた自分にも一晩だけでも想い出がほしいって。

 そんなこと言われたら、もう、かわいそうで、可愛くて、どうしようもなくて。

 ごめんなさい。

 もちろん、アンネローゼさんの名は出してません。そこはボカしてます。

 ただ、どうか12時を過ぎても、せめて朝までは、ヒルダに優しくしてあげて。

 ラパート星でのことで、ものすごく傷ついてるから。

 お願いします。

 

 追伸

 ラインハルトさんには遅くなると連絡しました。

 今日の行動としては予定通りエリザベートの自裁に立ち会いました。

 そのときノルデンさんがラインハルトさんに嫌われてるみたいだって気にしてました。男社会の上司と部下ってわからないけど、うまく取り持てるといいかな、と思います。

 あと、オーベルシュタインさんが障害者団体への加入をヒルダに求めてました。義眼の会とか。別にいいかな、とは思います。

 どうかヒルダには優しくしてあげてください。

 勝手に抱いてしまって、本当に、ごめんなさい。

 どうしても応えてあげたくて。

 とてもいい女の子だと思います。

 目のことも傷のことも気にしてるけど、そんなこと関係ないくらい魅力的な女子です。

 あと、生々しい話ですけど、大事なことなので。

 避妊はしました。安心してください。

 どうか朝までヒルダに優しくしてあげて。

 一晩だけでも彼女に夢を、お願いします。

 

 思わず2回、読んだ。

「………」

 何度読もうと内容は変わらない。

「……一晩だけ………そんなわけに…………相手は伯爵令嬢なんですよ、三葉さん……」

 キルヒアイスは頭を抱え、うずくまった。

「…………とにかく状況の把握を……」

 それでも冷静に周囲を観察する。どこかの宿泊施設のバスルームにいるようだった。着ているのは備え付けのバスローブのようで刺繍によってロッジの名前が書いてあったので、オーディン郊外のロッジだろうと見当がついた。

「……朝まで……」

 ずっとバスルームに籠城しているわけにもいかず、また手紙を書く時間を考えると、もう相当の時間、ここにいるはずなので恐る恐る出た。やはりロッジの一室だった。

「………」

「………」

 ベッドにはヒルダが横になっている。裸だった。ヒルダは目を閉じているけれど、恥じらっている表情をしていて眠っているわけではなさそうだった。

「………」

「………」

 窓の外を見ると、オーディンの夜空が見えた。星が瞬いている。

「…………………」

 キルヒアイスは星空へ叫びたくなった。地球の方向へ、大声で言いたい。もう長い付き合いになっているけれど、まだ一度も言葉を交わしたことのない三葉へ直接に言いたい、叫びたい、これはないだろう?! と。

「…………………………」

「キルヒアイス中将……どうか、されましたか?」

 ヒルダが目を開け、シーツで身体を隠しながら上半身を起こした。

「……いえ……少し…飲み過ぎたようです…」

 ごく無難な返答をしてヒルダに背中を向けて動揺を知られぬよう気持ちを落ち着ける。これから、どうするべきか、ラインハルトへの報告は、どのようにすべきか、これは報告すべき事柄なのか、けれど考えはまとまらない。とにもかくにも、ラインハルトと連絡を取ることにした。

「ラインハルト様に電話をかけてきます」

「は、はい…お待ちしております」

 ヒルダは急に仕事を思い出したかのような男の雰囲気の変化に戸惑ったけれど、はいと返事はした。キルヒアイスは服を着て、ロッジの外に出ると電話機を探してラインハルトへとかけた。

「ラインハルト様」

「遅かったな」

「すみません」

「で、どうしているんだ?」

「はい、三葉さんとマリーンドルフ中尉が郊外まで遊びに出ていたようで、遅くなってしまったので、このまま最寄りのロッジに泊まるということです」

「そうか。他には?」

「自裁の件は無事に終えてくれたようです。あとはノルデン中将のことを少々。そして、オーベルシュタイン大佐が義眼についての障害者団体をマリーンドルフ中尉へ勧めたそうですが、お気にされるような内容とは思えません」

「そうか。わかった。こちらからは重要な情報がある」

 一呼吸おいてラインハルトが気迫のこもった声で告げる。

「同盟軍に何らかの動きがあるようだ。いまだ詳細は不明だが、少なくともイゼルローンより、こちら側へ、何らかの侵攻をしてくる気でいるようだ」

「それは……では、ただちに元帥府へ戻った方が…」

「いや、まだ、そこまでの段階ではない。ただ、そんな話がフェザーンから回ってきたという段階だから、まだ先になるだろう。だが、遠い将来のことではない」

 もうラインハルトはキルヒアイスが女性中尉と外泊していることなど、どうでもいいようで電話の向こうで、相手の侵攻規模に応じた戦略をいくつも考えている気配だった。

「何個艦隊で来るか、楽しみだな」

「はい」

「まあ、今日のところは、しっかり休んでおけ」

「はい」

 電話を終えると、少しタメ息が漏れた。

「はぁ…」

 同じロッジに泊まっているのか、と訊かれたら、どう答えるべきか、困ったかもしれない。けれど、すでにラインハルトの思考は同盟軍との戦闘にあって、男女関係については一欠片も考えていない様子だった。

「…………部屋に……戻るべき……かな…」

 このまま帰宅するのは論外として、もう一つロッジを借りて別々に眠るのも、かなりの非礼になる気がする。三葉からは優しくするようにとあったけれど、どうするべきか迷う。

「こんなことには経験が……教科書か、師匠でもいれば…」

 ロイエンタールの顔が浮かんだ。

「ダメだ」

 あれを師匠にしてはいけない気がする。ミッターマイヤーに相談するのも、やはり遠慮したい。そもそも深夜12時を過ぎて、いきなり電話で質問するようなことではない。

「……………相手は伯爵令嬢なのですよ、三葉さん……」

 三葉は爵位と軍階級の存在に慣れてきてくれているものの、根本的には平等な日本社会から来ているので、キルヒアイスが帝国騎士でさえない庶民であること、中尉であってもヒルダは伯爵令嬢であることを意識してくれていない気がする。ラパート星でのことに同情する気持ちはわかるけれど、それで一夜の関係をもたれると今後において、どんな問題が生じるか、考えるだけで恐ろしいし、経験がないことなので問題の想定も自信がない。

「……やはり……あまり待たせるわけにも………」

 そろそろ戻らねばと、答えのないまま、ヒルダのいる部屋へ戻った。

「………」

「………」

 待っていたヒルダも、どう応答すべきか困り、恥じらって下を見ている。流れから考えて、このまま二人で一つのベッドで眠るか、もう一度、抱き合うか、そのくらいのことはわかるけれど、わかることと実行に移すことには数光年からの開きがある。

「………」

「………」

「………何か、あったのですか? ローエングラム元帥とのお電話で」

「え…ええ! 同盟軍が攻めてくるのです!」

 話題を与えてくれたことのタイミングの良さに同盟軍へ感謝さえしつつ、ヒルダとは男女ではなく中将と中尉として、同盟軍を迎え撃つ対応について話し合いを始め、ごく無難にキルヒアイスは朝を迎えることができた。大きな疲労感と、ともに。

 

 

 

 三葉は生徒指導室で東京から来た刑事に何度もした話を再び同じように話していた。

「とっさに相手の手首をとって……こう……」

「そのように相手の喉元を刺せば、相手が死ぬとは思いませんでしたか?」

「………そういうことを考える余裕はなくて……相手がナイフを出したから、もうヤバイって思ったら、以前から不審者がナイフをもってたら、こうしよう、って練習していたから」

「さらにナイフを抜いて、もう一人の男へも投げつけましたね」

 刑事が三葉の瞳を見通すように見つめてくる。三葉は背中と腋の下に嫌な汗が流れるのを感じた。

「はい。もう一人も刃物をもっているように見えて。友達が危ないと思ったから、とりあえず投げつけたんです」

「とりあえず、ねぇ。どちらも一撃で致命傷だった。ずいぶん、あざやかな手並みですよ、これは。まるで特殊部隊のようだ」

「……そんなこと言われても……私、夢中で……」

 三葉は涙が出そうになったので、そのまま流した。

「ぅっ……ぅうっ……殺そうなんて……思ってなかった……ぐすっ…」

「その後、誰の提案で通報することに?」

「ぐすっ……何度も言いましたけど、勅使河原くんです」

「そうでしたね」

 刑事は胸ポケットから煙草を出した。東京では取調室で、かなり煙たい思いをしたので三葉は言っておく。

「学校内は禁煙ですよ」

「ははは、そうでしたね」

「…………まだ、質問つづくんですか?」

「はい、まあ」

「…………」

「他のお友達の証言も一致している。全員、ほぼ正直に話しているようだ」

「最初から、そうしてます」

「賢明な判断だ。そうしようと言ったのも彼でしたね」

「はい」

「勅使河原くんとは、どういう関係で?」

「………それ事件に関係ある質問ですか?」

「ええ、大いに」

「同じ町で育った仲のいい友達です」

「それだけ?」

「………はい」

「彼のシャツにも血がついていましたよね?」

「……はい」

「どうして、彼のシャツにも血がついたんですか?」

「………私が抱きついたからです」

「どうして彼に抱きついたのですか?」

「人を殺したと思ったら………怖くなって……当然じゃないですか?」

「他にも男子はいましたよね。女子のお友達も。なぜ、あえて彼に?」

「っ! 本当に関係ある質問なの?!」

「宮水さん、けっこう怒りっぽい人ですね」

「っ………別に……普通です」

 三葉は刑事がネチネチとクドクドと質問してくるのは自分の本心を探るためだと気づいて自重しようと心がける。けれど、刑事の質問の仕方は巧妙だった。

「怒りっぽいといえば、あのときもチンピラ二人の行動に、かなり怒っていましたよね?」

「……ええ…」

「どうして怒っていたんですか? 具体的に言ってみてください」

「だから何度も何度も言ったじゃない!! 爪楊枝を自分たちで突っ込んで店員さんにイチャもんつけてタダにさせて!! あげく女の子のスカートを斬っていたんですよ! 怒って当然じゃないですか!!」

「なるほど、当然ねぇ。ところで当然、宮水さんは、この時点で相手の男が刃物をもっていることを知っていたわけですよね?」

「っ………はい……そうなります……けど……そんなこと、あんまり考えなかった……」

「なかなか勇敢ですな。刃物も持っている柄の悪そうな男へ注意するなんてこと、17歳の女の子に、そうそうできることではない」

「…………何が言いたいんですか?」

「あなたは以前から刃物をもった相手に対処する方法を特訓していた。そして、この機に試してみたいと思い、あの男たちに狙いをつけた。というのは、どうでしょう?」

「……誤解です!」

「殺す気は、まったく無かった?」

「はい! まったくありませんでした!」

「……ふーっ……」

 刑事は煙草を吸うような呼吸で息を吐いた。

「まあ、宮水さんは、だいたい嘘のつけない正直な性格ですな」

「……………」

「事件の全体像は掴めましたよ。あなたはチンピラたちの行動を見て、正義感を刺激され、とても怒った。そこで店を出たところで声をかけようとしたが、男子が先に声をかけ、当然にチンピラはケンカを買ってくる。さらに相手はナイフを出した。これに危機を感じて反撃、思わず殺してしまった」

「…………」

「本当は、ただ叩きのめして、スカッとしたかったのに、思いがけず殺してしまい、怖くなって勅使河原くんに頼り、彼の判断で通報。正当防衛ということにしよう、という話になった。そうですね?」

「………殺すつもりなんて無かった」

「殺意は否定するように、と勅使河原くんに言われましたか? それとも、お父さんに?」

「本当に無かったんです!!」

「叩きのめしてスカッとしたかった?」

「あんな悪いことをするヤツらに反省させてやろうと思ったんです!!」

「ま、そうなのでしょうな」

「………」

「……ふーっ……」

「…………私、どうなるんですか?」

「…………。先に、死んだチンピラの素性を話しておきましょうか」

 刑事はファイルを開いて三葉へ見せながら語る。

「あの二人組は、切り裂き爪楊枝、という名の変質者として、我々も追っていたんですよ」

「切り裂き……爪楊枝……」

「まあ、そのままの名ですな。クレームをつけるために爪楊枝を混入させる。ウエイトレスのスカートを斬る。都内を彗星のように徘徊しては、飲食店を荒らしていた。たいていは店側も面倒臭いので、警察まで通報してくださる場合は少なく、なかなか立件できず、どうしたものかと話し合っていた矢先、あなたが殺してくれた」

「………殺すつもりはありませんでしたッ!」

「いえいえ、感謝しているくらいですよ。あいつらは死んで当然でしょう」

「…………そこまで悪いことしたわけじゃないと……」

「ですね」

「………………」

「はい、おしまいです」

 刑事が立ち上がった。

「え?」

「もういいですよ、宮水さん」

「……そ、それで、私は、どうなるんですか?」

「おしまいです」

「おしまいって……」

「二人のチンピラは前科もあるゴロツキだった。刃物も2つとも、彼らの所持していたもので、銃刀法違反だったし、直前に女性の衣服を切っているから器物破損と強制わいせつ。対して君たちは空手や護身術はやっていたかもしれないが武器は持っていなかった。全員が未成年、修学旅行で、たまたま通りかかっただけ。君たちはケンカを売ったのかもしれないけれど、君たちに弁護士がつけば現行犯を見て私人による逮捕を試みただけ、などの言い訳をするでしょう。二名も殺したが、正当防衛か過剰防衛か、実に微妙なラインだ。おまけに、あなたのお父さんは町長で多選。警視庁へ地元選出の参議院議員からもお声がかりがあった。こうなると、我々としても、とても面倒でね。ま、もういいや、おしまい、ということですよ」

「………おしまい……」

「さて、どこかでラーメンでも食べて帰るとしますよ。さようなら、宮水さん。これに懲りて生兵法は使わんことですな」

 そう言って刑事は去ってしまった。

「…………これで……終わり……二人も……私は……殺したのに……あいつら悪いヤツらだったけど……けど……」

 刑事と交替でユキちゃん先生が生徒指導室へ入ってくる。

「宮水さん、校長室へ来てください」

「はい」

 校長室へ三葉が入ると、俊樹もいたし、いっしょに行動していた7人の生徒もいた。他にも校長や教頭、生徒指導教諭もいて雰囲気は厳しい。先に入っていた7人の生徒が直線に並んで起立していたので三葉も並び、直立不動で胸を張った。

「宮水三葉、まいりました!」

 他の7人は起立していても居心地悪そうに屈み気味なのに、三葉は条件反射なのか、整列すると両手を腰の後ろに組み、踵をつけて立ち、背筋を伸ばして胸を張っている。

「…三葉………」

 俊樹は、いつも娘へ、胸を張りなさいと言って育ててきた覚えはあるけれど、今の場合は違うような気がするものの、やめなさいとも言いにくい。どうして軍人のように見事な起立姿勢をするようになったのか、かなり不思議だった。

「校長、私が彼らに言ってもよろしいですか?」

 俊樹が校長に問う、生徒への指導は本来は教師の業務であり、町長は門外漢であったけれど、小さな町のことなので臨機応変な運用をしていた。

「ええ、お願いします。宮水町長」

「では」

 俊樹が三葉と克彦、早耶香、さらに他の五人を厳しい目で見つめる。

「警察による処分は、無いだろう」

 その一言で生徒たちに安堵の空気が拡がる。

「だが!」

 俊樹が校長の机にあった書類を生徒たちに突きつける。

「これは警察の捜査過程で出てきた君たちの飲食の内容だ」

「「「「「「「「………」」」」」」」」

「明らかに予算オーバーなのは、親戚の店で好意によって無料となっていたからということで不問にふせるが、ここにワインが2本、入ってるのは看過できない!」

「「「「「「「「………」」」」」」」」

 やっぱりそこか、と生徒たちに緊張と後悔が走る。

「私が推理するに、アイスティーが2つ入っているところから、この8人のうち6名が飲酒し、2名のみ、模範的に行動したと考えている。違うか?!」

「違いません!!」

 三葉が大きな声を張り上げて答えた。

「ぅ…うむ……。では、問う! 飲酒しなかった者は、誰と誰だ?!」

「勅使河原くんと名取さんです!!」

 また三葉が声を張り上げて明言した。俊樹は期待を裏切られて少し悲しかった。

「三葉。……お前は飲酒したのか?」

「はい!! 呑みました!!」

「そうか………」

 少し間があって、俊樹は手をあげた。

 パン!

 三葉が頬を平手打ちされた。見ていた校長や生徒指導教諭が感心する。この体罰禁止の時代に実の娘ということはあっても、町長が公然と平手打ちしたことに深い感動と尊敬の念を抱いている。けれど、打たれた三葉の言動は誰も想定していなかったものだった。

「手ぬるいであります!!」

「……三葉?」

「この程度の痛み、なんら心に響きません。もっと強く打ってください!!」

「………いや……しかし…」

「人の命、二つ! 殺めてしまった罰を! いただきたく存じます!!」

「…三葉………」

「さあ! 鉄拳制裁お願いします!!」

 堂々と三葉は直立不動で待っている。ラインハルトから占領時の略奪や軍紀違反があった場合の軽めの処置として鉄拳制裁を学んでいた三葉は罰を乞うた。法的な刑事処分は免れるようでも、やはり人を二人も殺してしまったことについて、けじめが欲しい様子だった。

「……鉄拳……三葉……そんな言葉を………」

「町長閣下! 身内に甘くて全体にしめしがつきますか?!」

 たとえ軍紀違反したのが可愛がっている部下や顔見知りであっても容赦するな、公平公正とは何か常に考えろ、とラインハルトから学んでいるので、三葉は迷う俊樹を逆に叱った。

「さあ、殴ってください!!」

「………」

 ここまで言われると俊樹も引けなくなる。

 バシンッ!!

 かなり強い平手打ちがされた。やはりグーで娘の顔は殴れなかった。

「もう一発お願いしますっ!! 必ず拳で! でなければ、終わりません!」

「…………拳……」

「早く!!」

「………」

 かなり迷ったけれど、俊樹は生まれて初めて娘を殴った。

 ミシッ!

 歯を食いしばっていた三葉が倒れ、鼻血を流したけれど、すぐに立ち上がって直立不動へと戻る。

「ありがとうございました!!!」

「………う……うむ…」

 こんな娘に育てた覚えは無かった。この頃、上品なお嬢様に育ってきて、そんな風に育てた覚えもないのに、と思っていたけれど、まるで軍人のように育っている三葉を見て、自分が家を出た後に一葉が鬼軍曹と化して、きつい教育をしたのかもしれないと考え、その方向性を放置していいものか、かなり迷う。

「オレがワインを注文したんです! 殴るならオレを!!」

 男子生徒の一人が前に出た。三葉の雰囲気が伝染したのか、直立して声を張り上げる。

「宮水は呑むのを、しぶっていたのにオレが無理に誘ったんです! チンピラにケンカを売ったのもオレです! オレのせいで宮水は巻き込まれたんです!!」

「君が……娘に……」

「ちょ、町長さん。他の生徒については、我々で指導しますので」

 この勢いで飲酒した全員に制裁されると、あとあと問題になるかもしれないので校長が慌てて間に入り、生徒指導教諭へ視線を送った。教諭も心得て指導する。

「よ、よし! 宮水は、もういい! お前ら5人、とりあえずグラウンドをいいというまで走ってこい!!」

「「「「「はい」」」」」

 五人は出て行き、生徒指導教諭の監視下で走り始める。校長がユキちゃん先生へも視線を送った。

「勅使河原くんと名取さんは呑まなかったのね?」

「はい」

「…はい…」

 克彦と早耶香が返事をしたし、その声に嘘はないと感じられた。

「そう。……ただ、やはり目の前で他の生徒が飲酒していたのを止めなかった責任というのもあるのよ?」

 ユキちゃん先生からの指導に克彦が答える。

「ってっきりノンアルコールのシャンパンか何かだと思っていたのです。まさか、飲酒しているとは思いもしませんでした。そうだよな、名取さん」

「え……え、……は、はい!」

「…………」

 ユキちゃん先生が迷い、校長を見ると、校長は顎を撫でながら頷いた。

「そう……わかりました……そういうことで…」

 ずっと以前から町役場との癒着がささやかれつつも、それでも町一番の企業であり続ける建設会社の嫡男と、公務員家系の娘による役人らしい逃げ方をユキちゃん先生も受け入れることにした。

「名取さん、宮水さん、勅使河原くん、これからは行動に気をつけてね」

「「「はい」」」

 三人は一礼して校長室を出た。早耶香がポケットティッシュを三葉へ差し出した。

「三葉ちゃん、大丈夫?」

「ありがとう。うん、平気」

 殴られたことで、むしろ三葉は清々しく微笑んだ。

「おかげで気持ちの整理もできたし」

「…そ……そう…」

「……三葉……お前、変わったな……」

「そう? うーん……そうかもねぇ…」

 もう放課後だったので帰宅してもよかったけれど、なんとなくグラウンドを走っている五人を見守り、半時間あまり走らされてヘトヘトになった頃に生徒指導教諭が終了を告げた。克彦と早耶香が五人分の清涼飲料を買ってきて、手渡す。

「お疲れ」

「おう、サンキュー」

「お疲れ様」

「ありがとう。名取さん」

 美味そうに飲みながら、三葉といっしょにチンピラと戦った男子が何の前置きもなく言う。

「なあ、宮水」

「なに?」

「オレと付き合わないか?」

「どこに?」

「いや、そうじゃなくて。オレと付き合ってくれよ」

「………」

 やっと告白されたことがわかって三葉は殴られて赤くなっている頬を、もう少し赤くした。

「なっ…いきなり、何言ってるの?! バカじゃない?!」

 それだけ言って三葉は逃げていく。

「ちぇ……ダメだったか」

 残念そうにしている男子へ早耶香と克彦は何か言おうとしたけれど、結局は何も言わず、三葉のあとを追った。すぐに追いついて早耶香が言う。

「三葉ちゃん、モテるね」

「からかわないでよ」

 いつもの道を三人で帰ると、もう気持ちは落ち着いてきた。三葉の自宅近くまで来ると、小川に四葉がいるのを見つけた。

「あ、四葉ちゃん、何してるのかな?」

「四葉……」

「巫女さんって、あんな修業もやってたか?」

 克彦が珍しそうに見ている四葉は小川の滝に打たれている。今まで巫女として三葉や四葉が滝業などをしているのは見たことがなかったのに、四葉は巫女服の下に着る襦袢姿で滝に打たれている。まるで滝の流れと一体化するように両手の力は抜いて腕を垂らし、ときどき口を開けて水を飲んでもいる。夏なので気持ちよさそうにも見えた。

「四葉………。私も、いっしょにやってみよう」

 そう言った三葉は制服のまま小川に入ると、滝に打たれた。

「ああ……気持ちがいい……」

 殴られた頬の熱や、取り調べを受けて汗ばんだ肌が、心地よく解けていく。そっと四葉が手を握ってきたので、握り合って目を閉じた。

 

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