キルヒアイスは月経3日目の女子として目を覚ました。
「……………はぁぁ……」
思わずタメ息を漏らした。痛み、ダルさ、気持ち悪さ、そして四葉に処置をお願いするという申し訳なさ、さらに何より克彦と三葉の関係が、どうなったのか知るのが怖いという気の重さがあり、布団から起き上がる気力が湧かない。四葉が部屋に入ってきた。
「おはよう。お姉様の方?」
「はい……おはようございます」
布団から顔を出して返事をした。
「つらい? 学校、お休みしてもいいよ」
「いえ……起きます」
よろよろと布団から起き上がった。
「四葉……その…」
「うん、わかってる。あんまり考えないように意識しないようにして」
「…はい……すみません……」
四葉に必要な処置をしてもらう間、何も考えないようにして過ごした。それが終わると、机にあった手紙を読む。
キルヒアイスへ
私がヒルダと仲良くするのが、キルヒアイスの生活を乱してしまうように、私の身体でテッシーと仲良くされても困ります。
テッシーは友達です。
サヤチンも大切な友達です。
二人はデートがきっかけで、うまくいったみたいです。
そっとしておいてください。
お願いします。
私もヒルダと、ちゃんと距離をおくよう頑張りますから。
読み終わると、またタメ息をつきそうになる。
「……三葉さんの人生ですから……でも…」
カレンダーを見た。日に日に、三葉の人生は残り少なくなっている。
「お姉様?」
「四葉……」
四葉の顔を見ると、さらに悲しくなった。たった10歳の四葉が来年を迎えられない事実が悲しすぎて泣けてくる。
「やっぱり学校、休んだら?」
「いえ……行きます」
目を閉じて着替え、あまり朝食はとらずに通学路に出た。いつも通りに克彦と早耶香も出てくる。けれど、いつもより二人の距離が近いように見える。女の勘が自分にあるのかどうかはわからないけれど、女の感覚で早耶香と克彦が友人という関係から男女という関係になったと感じた。
「おはよう、三葉ちゃん」
「おはよう、三葉」
「はい……おはようございます。サヤチン、テッシー……」
「「………大丈夫?」」
二人が心配するほど、三葉の顔色は悲しそうで今にも泣きそうだった。それでも三葉の顔が微笑んで告げる。
「よかったですね、サヤチン。どうぞ、お幸せに」
そこまで言って、涙を見せまいと走って行った。
三葉はキルヒアイスからの手紙を読んでも実感できなかったノルデンの戦死を、執務室でヒルダから本日の先送り不可な予定として、ノルデンの家族への弔問が入っていることを説明されて、ようやく実感しつつあった。他にも皇帝の崩御や、それゆえ国内情勢の不安定化があるので行動は厳に自重してほしいとあったけれど、そんなことよりノルデンのことを詳しく知りたい。
「……ヒルダ……アムリッツァ会戦の状況を三次元モニターに映して…」
「はい」
今さら、と思いつつも、ヒルダは会戦の状況を再生する。それに見入っている三葉へ、他の予定も言っておく。
「また、この執務室も本日中に引き払い、上級大将としての執務室への移動となります」
そんなヒルダの声を三葉は聞いていない。
「…………ラインハルトっ! 第1線も張れないような艦をあてがって……最初から員数外にあつかっておいて………そのくせ、手が足りなくなったら使って!! やることがミュッケンベルガーと似たり寄ったりじゃない!」
「………………」
キルヒアイスの口がラインハルトの悪口を言っているのを、ヒルダは黙って聴いている。三葉は怒りで赤毛を波打たせると、怒鳴るように問う。
「ラインハルトは、どこ?! 元帥府にいる?!」
「元帥閣下はシュワルツェンのお館へ、姉君が移り住まれるお手伝いで、元帥府にお顔を出されるのは午後からとなります。………」
週に一度くらいの割合で雰囲気がガラリと変化して、いつもなら優しくヒルダと呼びかけてくれる上司が今日は今さらのように僚友の戦死に憤っているようで、どう対応していいかわからない。三葉は執務室を出ると、走るような早歩きでノルデンの執務室を訪ねた。
バンッ…
扉を開けて室内に入ると、ノルデンの従卒が悲しそうに遺品を整理している。
「ノルデン中将さんは……いないの?」
「中将閣下は、……いえ、ノルデン上級大将閣下はアムリッツァ会戦で栄誉の戦死を遂げられました。ぅっ…くっ…」
「……………」
キルヒアイスの肩がうなだれて落ち、トボトボと自分の執務室へ戻る。今日まで三葉にとって戦死者は知らない人間だった。知らない人間に起こる知らない運命だった。戦死者のリストを見ても、どんな風に生きて、どんな風に笑ったのか、知らない。話したこともない、同じ時間を過ごしたこともない、ただの他人だった。けれど、ノルデンとの付き合いは長い。入れ替わりが起こるようになってから、ずっとだったし、ノルデンと話していると気楽で楽しかった。その彼が戦死したと言われ、まだ信じられない。
「キルヒアイス閣下。そろそろ、お時間です」
「……うん…」
ヒルダに促されて弔問へ出向くために執務室を出ると、ビッテンフェルトとメックリンガーが廊下で待っていて敬礼してくる。
「ご同行の許可をお願いします」
「私どももお供させてください」
ビッテンフェルトは戦場で故人に借りがあり、メックリンガーは生前に美術品を通して親交があったので、それぞれに弔意を示したい様子だった。
「……どうぞ…」
「「はっ。………」」
二人とも気落ちした上級大将の様子に目を見合わせつつも、三人でノルデンの邸宅へ出向いた。玄関で未亡人と、そっくり父親に似ている3歳から15歳までの5人の息子たちに会うと、三葉は泣いた。
「…ごめん…ごめんなさい…、私たちが、もっと、しっかりしていれば…」
アムリッツァに先立つ会戦で三葉はヤン艦隊に4倍するキルヒアイス艦隊で対戦したのに、瓦解に追い込むことができなかった。しぶとく抵抗するヤン艦隊に奇策を恐れて大胆な攻撃ができず、4倍もの戦力があったのに圧倒できなかった不甲斐なさが悔しい。いくら相手が魔術師でも、所詮は艦隊と艦隊の戦闘、もっと数にものをいわせて押し切っていけばよかった、と後悔が涙になって落ちていく。
「君たちのお父さんを……ごめん……ごめん……」
親を亡くすことが、どれだけ悲しいか、よく知っている三葉は泣きながら10歳くらいのノルデンの息子を抱いた。メックリンガーは紳士的に未亡人へ声をかけ、ビッテンフェルトは15歳の長男に武人らしく肩へ手をおいて語る。
「君たちの父親は立派だった。オレの窮地を救ってくれたばかりか、劣勢の中で勇猛果敢に新戦術を駆使して戦い、敵の副司令官を討った。まこと帝国軍人の鑑であり、子爵家の名に恥じぬ男であったよ。ノルデン提督と轡を並べたことは生涯、誇りに思う」
弔問を終え、元帥府へ戻る地上車の中で、メックリンガーがしみじみと言う。
「惜しい人を亡くしましたな」
「「……」」
三葉とビッテンフェルトは黙って頷いた。
「…ぐすっ…」
キルヒアイスの涙を見て、隣りに座っていたビッテンフェルトは厚い手のひらをキルヒアイスの膝へおいた。
「情に厚いお人なのですね。閣下は」
「……」
返答が思いつかず、ノルデンの軽快な笑顔を思い出している三葉へ、ビッテンフェルトは頭を下げた。
「閣下とともにあることを嬉しく思います。わが忠誠もまた閣下とともに」
アムリッツァでの失敗を寛恕されたことの背景にキルヒアイスの進言があったろうことは諸提督の察するところであり、当然にビッテンフェルトは深く感謝していたし、僚友の死に涙する姿にも感銘を受けていた。地上車が元帥府に到着し、降りたところで同じくラインハルトも別の地上車から降りてきた。その顔を見て三葉は、拳を握ると歩み寄った。
「ラインハルト!!」
「っ…貴様かっ!」
呼び捨てにされてラインハルトも瞬時にキルヒアイスではなく三葉だと感じ、怒りで顔を赤くした。ラインハルトの方にも、三葉に強い怒りを覚える事情があった。ようやく後宮から解放され、これから二人で暮らせる、キルヒアイスも気軽に訪問できる、そんな立場にアンネローゼがなったのに、口さがない宮廷の女官たちからの噂話で、赤毛の上級大将が副官の女性士官と男女の関係をもったことがある、と聞いてしまった姉の落胆ぶり、ほんの半時間前の引っ越し作業中、どうしても不安で弟に迷いながらも質問してこられ、それに明確に事実無根と答えられなかった原因をつくった三葉に、今度ばかりは冷静でいられないほどの怒りを覚えている。
「「お前はっ…」」
どちらからともなく互いの胸倉を掴み合い、殴りつけんばかりに睨み合う。元帥府の前で、そんなことをしたので、すぐにウルリッヒ・ケスラーが駆けつけて来た。
「何事ですかっ?!」
「「………」」
「両閣下とも、どうか冷静に」
アイスブルーの瞳は冷静さを取り戻したけれど、三葉は炎髪灼眼で睨み続ける。
「ラインハルト! あんたって人はッ!」
「貴様には話がある。それまで頭を冷やしていろ。ケスラー、こいつを目立たぬところに監禁しておけ」
「はっ」
ケスラーは丁重に三葉を元帥府内にある応接間に導いた。応接間といっても監禁という目的も果たせる窓からの脱出などができない部屋を選んでおり、口の硬い衛兵を厳選して歩哨に立たせた。三葉はソファに座って、ずっと怒っていたけれど、さすがに2時間も経つと少しずつ冷静になっていた。
「少しは頭を冷やしたか」
ラインハルトとオーベルシュタインが入室してきた。顔を合わせると、また三葉は強い怒りを覚える。
「よくもノルデンさんを使い捨てに!!」
「フン、無能者が死んだところで何ほどのことがある」
「そうやって自分の基準だけで人を差別してるといい!! すぐにルドルフになれるから!!」
「ちっ………見たか、オーベルシュタイン」
ラインハルトが舌打ちしてから、オーベルシュタインを振り返った。義眼の男は表情を変えずに頷いた。
「はい、とてもキルヒアイス提督とは思えませんな。私を組み伏せたときも、そうであったのでしょう」
オーベルシュタインはラインハルトから三葉とキルヒアイスが入れ替わることを簡単に説明されていた。そうでもしないと、元帥と掴み合ったキルヒアイスに何らの処断をしないことに納得させることができないという意味もあった。
「察していたか。およそ一週間に一日ほど、こうなる」
「精神病の類であれば病院へ入れるという手段もありますが、ルドルフ以降、精神病理学は進展せず、ただの収容所にすぎませんが」
「病院はダメだ。おそらくこれは病気ではない。なによりキルヒアイスは必要だ」
「ですが…」
「ミツハも感情さえコントロールできれば使って使えなくはない」
「誰がお前なんかに!!」
「まあ、聞け」
ラインハルトも対面するソファに座り、オーベルシュタインは隣りに立った。
「お前はオレが姉上を後回しにしたことと、ノルデンのことを怒っているようだが、ノルデンとて武人、戦場に出る以上は覚悟があろう」
「第1線を張れない艦ばっかり押しつけて員数外に扱っておいて!! そのくせ、予備兵力としてあてにしたくせに!!」
「戦場とは、そういうところだ。ゲームではない。そして、姉上のことだが…」
「結局、皇帝が死ぬまで救い出せなかったくせに!! お前はお姉さんを出世の道具に利用しただけじゃない!!」
「………」
ラインハルトは拳を握って、それから冷静さを保った。
「結果論だな。だが、ミツハの立てた作戦も我々は真剣に検討したぞ。オーベルシュタインが、より完璧にな。説明してやれ」
「過ぎたことですが、同盟軍の大侵攻に対して焦土作戦を実施し、皇帝と皇妃を保護するまでは良いでしょう。ですが、その後、わざわざ同盟軍に物資を供給してやる必要などないのです。オーディンで政変が起こった、今がチャンスである、もっと奥深くまで攻めてこい、と何らかの情報をリークするだけで同盟政府も同盟軍も引くに引けなくなるでしょう。そして、我々は皇帝と国璽をおさえて宇宙のいずこかに隠れ潜めばよいのです。さすれば麾下に組み入れられなかった帝国軍の残滓と、門閥貴族どもの私兵が同盟軍と死闘し、我々は、その勝者を叩き伏せればよいだけのこと。門閥貴族はいうにおよばず、同盟軍も長い占領戦のあげく財政的にも戦力的にも限界を超えたところを叩かれるのですから、アムリッツァより容易であったことでしょう」
「………………。じゃあ、そうすればよかったじゃない」
「オーベルシュタインは、この作戦に乗り気であったが、オレとキルヒアイスが却下した」
「どうして?」
三葉が睨み、ラインハルトが睨み返す。
「三つ問題があった。うち一つはお前のせいだ」
「…………どんな問題?」
「一つ、お前は親交があったかもしれんが、ノルデンは子爵家の嫡男、門閥貴族側の人間だ。計画の実施にさいし、不確定要素になる。二つ、マリーンドルフ伯へも、それとなく根回しをしたが、伯が出してきた条件が問題だった。これが、お前のせいだ」
「……どんな条件を?」
「伯は娘とキルヒアイスが正式に結婚すること、これを約束する公文書を求める、と」
「結婚…………してあげればいいじゃない。他に好きな人がいても、中将とか上級大将なら二人くらい奥さんがいても大丈夫なんじゃないの?」
「お前は、この社会をわかっていない。伯爵令嬢と庶民が結婚するだけでも大事なのに、そのうえ重婚などありえないのだ」
「………そういう社会を平等な社会にしたいんじゃないの? 一応、そういう野望もあったよね。お姉さんのことみたいに口先だけじゃないなら、平等な社会を作るんでしょ」
「くっ…一朝一夕にそうならぬし、お前は女であるのだろう、よく重婚などという発想が認容できるな?!」
「う~ん………人類最初の長編小説って知ってる?」
「………知らぬ!」
千年以上の昔から来ているらしい三葉に人類最初と言われると、ラインハルトの脳内に該当する答えは無かった。少し怒りが治まってきた三葉に対して、逆にラインハルトの方が再び苛立ってきている。
「長編小説が、どうだというのだ?!」
「源氏物語っていうんだけど、基本、重婚ありだよ。ちゃんと一人一人優しくしてくれるなら、ダメな夫と一対一より、ずっといいよ。光る源氏はロイエンロールと違って、女の子を大事にし続けたから」
「ロイエンタールだ! そして、お前たちの文化と我々の文化は違うのだ!! とくにキルヒアイスは正しい男だ! 一対一しか考えていない! オレも、そうだ!」
わずか10歳の頃に後宮へ姉を奪われた少年は潔癖な青年に成長していたので、もともと緩やかな性的規範に根ざしていて最初の巫女でさえ大勢の前で半裸になったという文化で育った三葉とは考え方に大きな差があるようだった。ラインハルトの純真な気持ちを聞いて、貴族社会が重婚ありなら問題ないと甘く考えていた三葉は反省した。
「……………そうなんだ……ごめんなさい…」
「くっ……」
素直に謝ってくれるけれど、謝り方が、どうにも軽いのでラインハルトは苛立つ。三葉が問う。
「あと一つは?」
「焦土作戦が延長されるのだ。計算しただけで餓死者が少なくとも2億人を超えるだろう。我々だけが豊かな物資を確保し、領民が飢えるのを傍観して漁夫の利をえる勝機を待つことになる。何ヶ月か、あるいは半年以上か。キルヒアイスは当然に反対したし、オレも同意見だった」
「……2億人が…餓死……」
人の死が、どれだけ悲しいか知っている三葉は2億という数を聞いて納得した。けれど、オーベルシュタインは残念そうにつぶやく。
「ですが、いずれ来る内戦でも多少の犠牲は出るでしょう。あの作戦を実施していれば効率よく二つの敵を排除できたでしょう。伯との約束にしても一度は結婚してみせ、それからキルヒアイス提督が納得できなければ離婚するなりすればよかったのです」
「えぐいこと考えますね。でも、それもいいかも。結婚したらヒルダのいいところにキルヒアイスも気づきますよ」
「……………」
ラインハルトは結婚観が二人とは、ずいぶん違うので少し頭痛を覚えた。とはいえ、自分も流れによってはブラウンシュバイックの係累である16歳のエリザベートか、リッテンハイムの係累となる14歳のサビーネと形だけの結婚をする選択肢もあるにはあったので、結局はキルヒアイスと姉を聖域のように考えるのは個人的な願望なのだ、と自分を納得させて話を続ける。
「ともかく、我々とてミツハの作戦を真剣に受け止めもした。そしてノルデンの戦死とて残念には思っている」
「…………だから、なに? なにか、条件がありそうな話の流れだよね?」
「ああ、とても大切な条件だ」
そう言ってラインハルトは姿勢を正した。
「キルヒアイスはお前にフロイラインマリーンドルフと、それとなく距離をとるように依頼したかもしれないが、そんなハンパな形でなく、完全に離れてほしい」
「え……ヒルダと……」
「その呼び方も、良くない」
「………」
「伯爵令嬢とは、もう二度と親しくしないでほしい。姉上が解放された以上、一刻も早くキルヒアイスと姉上には心安らかに過ごしてほしいのだ。これは命令であるし、個人的な頼みでもある」
「…………………」
三葉が悩む。けなげさと可愛さに感じ入ってヒルダを抱いてしまったけれど、そもそもキルヒアイスの人生なので彼に決定権があるべきだし、逆に明日になって克彦と結ばれている宮水三葉を想像すると、キルヒアイスの苦悩はわかる。悪いことをしたと、三葉は深く反省してくる。貴族社会は重婚ありだと聞いていたので、キルヒアイスにも二人くらい妻がいてもいいのかもしれないと思っていたけれど、それも個人的に拒否しているようなので、やはり選択の余地はない。ただ、それではヒルダが可哀想すぎ、その原因をつくったのが自分だと考えると、なんとかしてあげたいと想い、閃いた。
「あ…」
「「………」」
「わかりました。ヒルダとは接触しないようにします。けど、そのために協力してください」
「協力はしよう。で、どんな?」
「ヒルダを私の副官から、ラインハルトさんの副官にしてあげて。それで、ラインハルトさんがヒルダと付き合ってあげて」
「なっ……オレが、か?」
「彼女とか婚約者、いますか?」
「いないが……」
「好きな人は?」
「いない」
「前に言ってましたよね、頭がいい女がタイプだって、ヒルダ、すごく頭いいですよ」
「………しかし、だ。……彼女の気持ちもあるだろう? 猫の子じゃあるまいし」
「ヒルダもキルヒアイスに決まった人がいることは知ってるから。今まで曖昧にしてたけど、もう会うことも避けたい。同じ職場も困るって伝えますから。人事異動でラインハルトさんの副官にするって感じに。それを三人でのディナーの場で言ったりして、私は退席するから、残ったラインハルトさんが口説けば、すぐに落ちますよ。振られた後の女って焦土作戦された軍隊みたいなものですから」
「……………」
「そうしてもらえると、ヒルダもキルヒアイスに、しつこくしないと思いますよ」
「………………一つ、質問がある」
「はい、どうぞ」
「お前は伯爵令嬢のことを愛していたのか?」
「……愛……愛か、恋か、そういわれると……自分でも正直、わからないんです。この身体にいる自分は女だったはずなのに、男でいるから………その男でいる部分が、ヒルダに惹かれているのかもしれません……」
「………。入れ替わりが戻って女になれば、また別の男を好きでいるのか?」
「いえ……あちらで決まった男の子はいません。………キルヒアイスは、……」
克彦に惹かれているらしくて困っていることを言おうかと思ったけれど、それをラインハルトに言っても解決しない気がするので控えた。
「キルヒアイスが、なんだと言うのだ?」
「いえ、何でもないです」
「………。とにかく、伯爵令嬢とは関係を精算しろ」
「はい。その分、ヒルダのフォロー、よろしくお願いしますね。ラインハルトさんとヒルダも、けっこうお似合いかもしれませんよ。貴族同士だし」
自分が関係した女性のフォローをラインハルトに頼む様子を見てオーベルシュタインが感想を述べる。
「本当にキルヒアイス提督とは、まったく違いますな。ですが、いずれ迎える内戦でも伯爵を味方につけておくことは悪くないかもしれません。根回ししたところで前回と同じような条件をつけられるでしょうから、元帥閣下がお引き受けになるということであれば、伯も望外の喜びでしょう」
「…………」
婚約者も恋人も好きな人もいないラインハルトは拒否する理由を思いつけなかった。そして、いくつか打ち合わせすると、ヒルダを高級レストランの個室へ呼び出して、三葉とラインハルトが迎えた。三人で談笑しつつ夕食を摂るものの、三葉は重い空気感でヒルダとは距離をとっている。反対にラインハルトは親しげにヒルダへ接してみるけれど、慣れないことなので苦労していた。
「どうかな、フロイラインマリーンドルフ、もう一杯、ワインは」
「ありがとうございます。でも、もう十分ですわ」
「「………」」
ラインハルトと三葉が、そろそろ、という目配せをしていると、ヒルダは仲がいいのだと勘違いする。
「お二人が元帥府前で争われたと聴いたときは、心配いたしましたわ。でも、仲が良さそうで本当によかったです。ケンカするほど仲がいいと申しますものね」
「そうですね。キルヒアイスとは幼馴染みですから、怒鳴り合うことがあっても、すぐに和解しています。はははは! な、キルヒアイス」
「はい。………」
返事した三葉は意図的に浮かない表情をつくった。それに対して打ち合わせ通りにラインハルトが問う。
「どうした? 浮かない顔をして」
「いえ………その……。……場にふさわしくないのを承知で中尉へ言っておくことがあります」
「私に……ですか……」
レストランで出会ってから、ずっと距離をおかれているのでヒルダも良い知らせとは思えず、表情を少し硬くした。三葉は目をそらして告げる。
「私に決まった相手がいることは知っていますよね」
「……はい……存じております……」
「ヒルダと…いえ、……中尉と関係してしまったことは……私の過ちでした。……そして、その後も親しくしているのも……過ちを続けているのと同じこと……もう、中尉とは顔を合わせるのも避けたいと思っているのです」
「っ………」
「おい、それはないだろう! キルヒアイス、お前はロイエンタールとは違う、と自分でも言っていたじゃないか!」
「恨まれるのは承知の上です。つきましては、ラインハルト様にお願いがございます。中尉を私の副官から外してください」
「キルヒアイス、なにも、そこまで…」
「けじめですから」
「だが、フロイラインマリーンドルフの気持ちも考えて…」
「決めたことですから」
交渉の余地がないという様子で三葉が席を立つと、ヒルダは最期だと悟り告げる。
「キルヒアイス閣下、今日までありがとうございました。私にくださった想い出、この胸にいっぱい残っておりますわ。本当に、ありがとう。ジークフリード・キルヒアイスと過ごした時間は私の生涯の宝です」
「っ…ヒルダっ…」
立ち去りかけていた三葉が後ろ髪を引かれて、思わずヒルダを抱きしめそうになるけれど、拳を握って我慢した。
「ごめん! さようなら!!」
そう叫んで三葉は走っていく。
「…………」
キルヒアイスの背中を黙って見送るヒルダの肩へラインハルトが触れた。
「フロイラインマリーンドルフ、気の毒に。そうだ、私の副官として働いてくれないか。大尉として待遇しよう」
「……………」
返事をせずにヒルダが涙を零したので、ラインハルトは胸に痛みを感じた。傷ついたヒルダを色々と慰め、声をかけているうちにラインハルトはヒルダへ好意を覚えた。当初の嘘くさいフォローから、だんだん真剣味を帯びて慰めていくうちに、ヒルダも受け入れていった。
朝、キルヒアイスは三葉からの手紙を読んでヒルダとの関係が終わった事を知り、安堵と心痛を綯い交ぜにした複雑な気持ちになった。
「…………中尉……気の毒に……」
自分のせいではないけれど、自分が深く関係していることで女性を傷つけたことは心苦しい。けれど、一番大切な人は決まっている。
「何よりも、まずアンネローゼ様に会わなくては」
ようやく胸を張ってアンネローゼに会うことができる。キルヒアイスはシュワルツェンの館を訪ね、引っ越し後の片付けを手伝い、アンネローゼと心から微笑み合える時間を過ごすことができた。けれど、ラインハルトはいなかった。
「ラインハルト様は、いつ頃お戻りになるのでしょう?」
「ラインハルトは昨夜、外泊すると連絡がありましたよ。そろそろ戻ってもよい頃ですが、元帥府へ行ってるのかもしれませんね」
「こんなときスマフォでもあれば…」
つい三葉がもっている便利な道具のことを思い出した。なぜ、帝国では廃れたのだろう、やはり共和主義者の地下活動に便利すぎ社会秩序維持局が存在そのものを許さなかったのだろうか、それとも惑星単位でしか使えないことが経済的な採算があわず普及しないのだろうか、と考えていると、アンネローゼが紅茶を淹れてくれた。
「お飲みなさい。ジーク」
「はい、ありがとうございます」
「ラインハルトがいないなんて、なんだか二人きりで……」
そこまで言ってアンネローゼは淑女らしく続きは言わない。もうキルヒアイスの目を見れば、他に関係する女性がいないことはわかる。ただ、やはり五歳も年上なことと、後宮へ入れられていた身であることに、この若く将来性ある青年に対して気後れしないとはいえない。夕方までキルヒアイスとアンネローゼが静かな時間を過ごしていると、ラインハルトが帰ってきた。
「ラインハルト、それは、どうしたの?」
アンネローゼは弟が巨大なバラの花束をもっていたので問うた。
「いえ……これは……この館に飾ったら良いのではないかと…」
「そう。では飾るところを決めましょう」
実の弟のことなので、だいたいわかった。おそらく性急すぎて受け取ってもらえなかったのだと察して、何も言わず新居に飾った。
三葉は放課後、早耶香から二人で話したいと呼び出されて、宮水神社の境内にいた。
「話って何かな? サヤチン」
昨日の自分が何をしたのか、何かしてしまい、早耶香を怒らせているのかもしれないと恐る恐る訊いたけれど、早耶香が頭を下げてきた。
「ごめん!」
「え……? ………なに?」
「謝らせて!」
「……う……うん……で、……でも……何が?」
「私、すごく卑怯だった!」
「…そ……そうなんだ…」
「どうしても克彦が好きだったから、三葉ちゃんに負けたくなくて既成事実をつくれば勝てるかなって! だから、あの日、わざと終電を逃すようにしたの!」
「……へぇ……」
っていうか、いつのまにかテッシーのこと克彦って呼ぶようになってるんだ、と三葉は気づいたけれど、話の全体が見えないので先を促す。
「それで?」
「それで一泊しようって誘って。あとは同じ部屋に泊まれば、なんとかなるかもって。お願いしたの。今だけでもいい、今夜だけ私に想い出をちょうだいって」
「………そうなんだ……」
その戦法って1500年先でも使われてるよ、きっと何千年も前から人類は同じ戦法を使ってたんだろうなぁ、と三葉は時が流れても変わらない人間に思いをはせた。
「克彦は、それで私を抱いてくれて」
「……まあ、よかったんじゃないの? 付き合うことになった感じだし」
「ごめん!」
「だから、何で謝るの?」
「だって、三葉ちゃんも隠してるけどホントは克彦のこと好きでしょ?」
「いやいやいや、ぜんぜん」
「そうやって私ために、嘘をついてくれて……でも、昨日の顔を見たら、わかるよ」
「…………」
あいつ、どんな顔したんだろう、と三葉は昨日の自分の表情が気になる。
「私が克彦を好きだったから、遠慮してくれて。なのに私、卑怯な手段で既成事実をつくって……だから、ごめん! 謝らせて! こんな卑怯な私を許して! こうやって謝っていても、克彦と付き合いたいの! 三葉ちゃんの気持ちをわかっていても、私、諦めたくないの! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「………そっか……そういう……」
誤解をしたんだ、と三葉は空を見上げた。
「…………」
男女関係って面倒だなァ、艦隊戦の方が、よっぽどスッキリするよ、と空を見ながら思った。