「君の名は。キルヒアイス」方向性修正版   作:高尾のり子

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第19話

 

 

 キルヒアイスは三葉の部屋で目覚めると、大量の手紙を見て驚いた。

「………もう恋愛からは、しばらく遠ざかる……。三葉さん……。次項からは銀河帝国の未来についての……」

 一枚目の手紙は宮水三葉としての生活上の注意事項だった。当面の間、恋愛沙汰はさけて生きたいので、克彦は当然として他の男にも媚びを売ったり、やたらと愛想良く振る舞ったりしないでほしい、とあった。さらに二枚目からは四葉と考えた銀河帝国の政治的な方針で、穏やかな善政を指向しながらも、ところどころはオーベルシュタインが書いたのかと思うほど、鋭い指摘もあり登校時間までに読み切れないのでカバンに入れた。

「これほどに私たちの世界のことを……お二人で考えてくださって……」

 正直なところ、キルヒアイスにとっても目覚めないラインハルトを帝位につけ、新帝国歴とし、自分は帝国宰相として権限を振るっていることに戸惑いがあった。その戸惑いを隠して毅然としているけれど、誰もが自分に敬語を使い、帝国の最高権力者として接してくるので、政治上の判断においても悩んでいる顔も迷っている雰囲気も見せられないので、三葉と四葉からの忌憚のない意見は希少だった。

「そろそろ準備しないと」

 けれど、今は銀河帝国の宰相ではなく、田舎町の女子高生という立場であることを忘れていないので、気持ちを女性へと切り替え、鏡を見ながら三葉の髪を結い、身支度をした。

「……テッシーと親しくさせていただいてもいけませんし……そっけなくしてしまってもいけないのですね……」

 なかなかに難題で政治よりも難しい気がしてくる。いつも通りに三葉として朝食を摂り、四葉と通学路に出ると、克彦と早耶香に出会った。

「よう、三葉」

「おはよう、三葉ちゃん」

「はい、おはようございます。…テッシー、サヤチン」

「今日は、そっちの日か」

「三葉ちゃんって男っぽい日と、女の子らしい日に別れてきたね」

「っ…」

 ドキリとして凍りつくけれど、四葉がフォローしてくれる。

「そうですね、サヤチンさん。昨日は男っぽかったし、今日はお嬢様気分みたいですね」

 そう言った後、四葉が耳打ちしてくれる。

「最近、お姉ちゃんは恋愛は休戦するって言って、けっこう女の子らしさが消えてきたから。まあ、お姉様は気にせず、いつも通りにしておいて」

「…はい…」

「じゃ」

 四葉は手を振って小学校に向かったけれど、途中で予感を覚えて家に引き返した。

「……また誰かと……入れ替わる感じ………」

 家に戻ると、祖母にフォローを頼み、目を閉じた。

 

 

 

 アーサー・リンチはラッパ飲みしたウイスキーを盛大に吐き出した。

「ぶはっ! けほっ! ハァ…ハァ…きつっ…何これ? お酒?」

「「「「「……………」」」」」

 救国軍事会議のメンバーたちに冷たい目で見られて四葉は場の空気を感じ取る。重苦しい敗北の空気だった。ドワイト・グリーンヒルが言ってくる。

「今回こそ汚名を挽回してくれると君には期待していたのだが……残念だ」

「……。はっ」

 とりあえず四葉は起立して直立不動になると、敬礼してみた。

「……」

 ドワイトは今さらという顔をしたけれど、彼らしく律儀に敬礼を返してくれた。

「…………」

「「「「「………………」」」」」

 あいかわらず場の空気は重い。状況がわからない四葉はドワイトに提案する。

「今一度、我々の状況を一から整理し、考え直してみませんか?」

「……君が……今さら、そんなことを言ってくれるとは思わなかった。………わかった。そうだな、そうしよう」

 自分自身を見つめ直すためにもドワイトは状況を語り始める。おかげで四葉はリンチの提案によりクーデターを起こし、当初は成功しつつあったものの、今やルグランジュ中将の第11艦隊も失い、頼みの綱のアルテミスの首飾りもヤンによって無力化されたと知った。ドワイトは語り終え、心の整理がついた。

「やはり我々は敗北したのだ。降伏しよう」

「否っ! 徹底抗戦すべきです! ハイネセンの市民を盾にすれば、ヤンとて動きが取れないでしょう!」

 一部の将校が叫んでいるけれど、ドワイトは首を横に振った。

「これ以上、同盟に被害があっては国家の再統合もままならない。それでは本末転倒なのだ。………それにしても、重ね重ね、私はヤンという男も見誤っていたようだ。まさか、我々の決起を帝国の陰謀に踊らされただけだ、などと宣伝するとは。……いや、それだけ恐ろしい策謀家だと気づけなかった私の愚かさか……」

「…………」

 四葉はオーベルシュタインと入れ替わった時と、三葉との会話でヤンの宣伝戦術などではなく、クーデターそのものが帝国の策謀だと知っていたけれど、今それを言っても仕方ないことも知っていた。状況がつかめた四葉は呑み過ぎで頭痛がするのにも耐え、毅然として挙手した。

「提案します」

「君が……。………よろしい、言ってみたまえ」

「この上は、いさぎ悪く降伏しては、どうでしょうか?」

「…………いさぎ……悪く?」

「そうです。私たちの決起は道義的に正しかった。きっかけが帝国が提案した策謀であるか否かなど無関係、むしろ、帝国も内乱となり、こちらに手を出せないならば奇貨なりと英断したに他ならない」

「……君は…」

「何よりも同盟の政治的腐敗は大きな問題だった。これを糾すための義挙は動機としては間違っておりませんでした。ただ、ヤンに戦術的に及ばなかっただけ。戦術的敗退は完全な敗退、精神の敗退を意味しません。我々がいかに正しかったか、裁判によって強く主張していきましょう!」

「…………そうしたい者は、そうするがいい……私は別の方法を選ぶが……」

「逃げないでください! あなたは総責任者です! 総責任者が、この世から消えてしまっては明らかにできない事実が多々生まれるでしょう! 主張も弱くなる!! 戦犯の汚名を着せられ、いさぎよく自害もしなかった臆病者よ、と蔑まれるとしても、それに耐え! 自らの正しさを主張し続けましょう! 絞首刑になる瞬間まで! 銃殺される間際まで! 後に続くを信じて、政治腐敗を糾してくれと! だが、我々の手法は間違っていた、やはり根気よく選挙によって訴えていくべきだと! しかし、ルドルフでさえ選挙によって立っている! このような場合、選挙制度そのものに問題があるのではないか?! いかに専横を許さず腐敗を防ぐ選挙制度をつくっていくか、我々の死体の上で話し合ってくれ、と! 今、銀河帝国は内乱後に比較的善良な政治を敷くでしょう。けれど貴族を激減させた彼らは議会ももたず政治的決定が、ごくわずかな人間に集中してしまう。その負担の大きさに数年は耐えられても、数十年はもたない! そのとき、政治的代表を、どう育てていくか、模範を示すのは同盟ではないですか! その前提として、いかに民主主義に自浄作用があるか! 言論と精神によって訴えましょう!!」

「…………リンチ少将……君という男は………わからない……男だな……立案以後、ずっと酒ばかりあおって……我々の片隅で、そんなことを考えていたのか……失敗した場合の……戦い方……」

「生きている限り負けてはいません。私はここに四権分立を提唱します」

「四権……? 司法、立法、行政の他に、なにが?」

「選挙制度の作成、改変、選挙区の割り振り、一票の重み、数え方、選挙資金規正、それら選挙にかかわる立法および行政の行為を旧来の立法と行政から切り離し、国民より無作為に抽出した者に一定程度の筆記試験を課し、合格した者に任期制であたらせる選挙管理委員を創設するのです。これにより、今まで議会の与党が自分たちの都合の良いようにいじってきた選挙制度を公正公平なものに保ちやすくなります」

「…………。なるほど、たしかに妙案かもしれない。だが、我々にそれを成す時間も権限も……」

「フ」

 四葉が不敵に微笑んだ。リンチの唇なので策謀めいた香りがする。

「時間なら稼げます。ハイネセンの市民を人質にすれば。その間に、強引に成立させてしまうのです。たとえ議会が白紙に戻そうとしても、今までの政治を知っている市民に宿った火は消えないでしょう。そして、ヤンも人質を取られ、その目的が選挙制度の改良であると知れば、すぐに実力行使はしないでしょう。我々は卑怯者ですが、その目的と精神は間違っていないはずです。クーデターで政権が倒された後、クーデターが鎮圧されたとしても、何も以前の政権が返り咲くばかりが芸ではない、新たな選挙制度のもとで実施された選挙で選ばれた代表が政権をとるのも、よくあることです」

「……君は……さきほど降伏すると言ったはずでは……裁判を受けるのでは?」

「ええ、軍事的には降伏します。もう武力衝突はしない、と。けれど、市民を人質に、市民のために制度を変える時間は稼ぐと、はっきり伝えればいいんですよ。そして、これは武力行使でなく、単なる政治的な騒動だから警察の管轄であって軍は引き下がれ、とまで言ってやってもいい」

「……そう言われるとヤンなら……。だが、いずれは鎮圧されるだろう。いつまでも人質戦術が通用するわけがない」

「私は、いさぎ悪く、と言ったじゃないですか。鎮圧される瞬間まで戦う。人質たちだって私たちの目的を知れば協力してくれる者も必ず出てくる。古い概念ですが、ストックホルム症候群というものもある、人質期間が長くなれば長くなるほど、我々にシンパシーを覚え、自ら盾となってくれるでしょう。それでも鎮圧され、そして裁判を受けたなら法廷でも戦う、拘置所でも、処刑台の上でも、最期の最期まで戦う、言い続ける、主張する、民主主義の根幹は言論です。いさぎよく死して黙ることはない、どこまでも、いさぎ悪く言い立てる。どこまでも、いさぎ悪くね」

「……いさぎ…悪くか………そうか……そうだな……。不名誉に耐え………卑怯者よ、恥知らずよと言われようと自らの正義を唱えつづけよう。最期まで」

 ドワイトが、その目に戦意の鋭気を宿した。

「ヤン大将に連絡を入れてくれ。我々の戦いは、これからだ」

 汚名を背負って戦う覚悟をした男の目だった。

 

 

 

 リンチは一葉に温かい日本茶を出してもらっていた。

「……ここは……」

 薄暗い救国軍事会議の会議室にいたはずなのに、明るい日本家屋の茶の間にいた。穏やかに一葉が言ってくる。

「いらっしゃい。ここは夢のような場所ですよ」

「………夢………」

「どうぞ、ゆっくりしていきなさい」

「そ……そう言われても……。オレの手……オレの身体……なんで……子供みたいな…」

 リンチは自分の身体が10歳くらいの女児になっていたので違和感に支配される。そんな様子を見ても一葉は微笑んで茶菓子を出した。

「お食べなさいな」

「……ど…どうも…」

 呑んでばかりで頭痛が激しかったはずなのに今は身体が軽くて、頭も痛くない。一口飲んだ日本茶は甘味があるのに、すっきりとした後味で心も軽くなった。勧められた茶菓子を食べてみる。

「……美味い……これは、何ですか?」

「やま柿というてね。干し柿をさらに果糖が結晶化するまで熟成させたもんよ」

「………ドライフルーツの一種か………美味いな」

 四葉の唇が中年男性らしくお茶を啜った。

「フ……いい夢だな……ずっと悪夢ばかりだったのに……」

 もともと現実の生が、どうでもよくなっていたリンチは今が夢なのか現実なのかも、どうでもよくなってきた。

「オレの人生は悪夢の連続だった………いや……前半は悪くなかったな。出世も順調だったし……それが一度の失敗で……」

「悔いても仕方のないことは、もう忘れなさいな」

「……オレが忘れても周りが忘れやしない」

「ほんなら、他人様の大きな失敗を、あんたは、どれだけ覚えておる? 最近の失敗やのうて20年前、50年前の失敗、どれだけそらんじておるかい?」

「……20年前……50年前って言われると……アッシュビーが……いや、あれはマーチ・ジャスパーが……」

 別に歴史が好きなわけではないので、たいして覚えていなかった。

「ほらね。時の流れは残酷でもあるけれど、優しくもあるんよ」

「…………。だが、オレはまた失敗しつつある……」

「また、やり直せば良いだけの話やないの」

「………………やり直しか………」

「生きておる限り、やり直しできる。これは幸福なことなんよ」

「………そうかもな……」

 リンチは母親と同じくらい歳の離れた一葉と話しているうちに、すさんだ心が癒えた。

 

 

 

 リンチは自分が呑んでいたはずの酒瓶を救国軍事会議のメンバーたちが回し呑みしているので、いつ自分が勧めたのか疑問に思ったけれど、なんだか結束した雰囲気があるので黙って見ていた。

「リンチ少将、君の言うとおりにしよう」

 ドワイトが言ってくると、その表情に既視感を覚えた。ちょうど、帝国からもたらされた策謀のクーデター案を持ち込んだときと同じ顔で、よく覚えている。けれど、今回は何を提案したのか、まったく覚えていない。酔って眠り込み、夢でも見ていた気がする。

「…え? …は、はい…」

 オレは何を言ったんだ、さっきの老婦人はどこへ、とリンチは状況がつかめなかったけれど、ドワイトは命令を下し始めた。

「ハイネセン全体を人質の檻とするが、直接的に拘束して我々の盾とする市民は老人や子供をさけ、15歳から40歳までの健康な男性とする」

「………」

 まだ諦めてないのか、ドワイトのおっさん、とリンチは酒瓶をあおろうとしたけれど、もう空だったので、呑むのをやめた。

 

 

 

 四葉は自宅の茶の間にいる自分を認識して、元に戻ったことを悟った。時計を見ると、もう学校へ行っても、すぐに放課後になる時間だった。

「お婆ちゃん、どんな人だった? 私が入れ替わった人、何かした?」

「おとなしい感じのお人やったよ。少し傷ついたお方やったね。けど、おとなしいにお茶を飲んで帰ってくれはったよ」

「そっか。よかった」

 少しすると、姉の身体も帰ってきた。

「おかえり、お姉様」

「はい、ただいま戻りました」

「お姉様はアーサー・リンチって知ってる? 同盟の」

「……え……ええ……はい、少しは存じております。彼が何か?」

「どういう人?」

「………」

 ラインハルトが捨て駒として利用したとは言いにくいし、幼い四葉に言いたくもない。

「やや……不幸な人です。判断の過ちから転落された……」

「どんな過ち?」

「………。四葉、あまり未来のことを知るのは危険ですよ」

 近頃、ついつい教えてしまっているけれど、みだりに未来の情報を四葉が吸収するのは危険な気もする。なのに、四葉がキスをしてきた。キスが終わると四葉は、すべてを知ったように言う。

「なるほど。後味の悪い使い方をしたんだね」

「……………。一葉さんを手伝ってまいります」

 夕食の支度を手伝い、入浴はせずに部屋で三葉への手紙を書き終える頃、再び四葉が話しかけてきた。

「帝国宰相は、どう? うまくやれてる?」

「微力ながら勤めているつもりです。ラインハルト様にお叱りを受けないよう」

「一応さ、ラインハルトさんが、このまま目覚めない場合、どうするかも考えておいた方がいいよ」

「四葉………四葉と三葉さんは不思議な力をもっていますよね?」

「まあね」

「もし未来がわかるなら、ラインハルト様が目覚めるのか……いつ、お目覚めになるのか、教えてください。お願いします!」

「…………。自分で言ったよね。あまり未来のことを知るのは危険、って。今はラインハルトさんが目覚めるかもしれないし、目覚めないかもしれない、どちらの場合でも対応できるようにしておくのが、帝国宰相としての勤めだよ。もう目覚めないと決めつけると、宰相の専横だと他者には見えるし、きっと目覚めると決めつけて体制を整えると、目覚めなかったとき体制が脆くなる。どちらにも対応しておくのが、常套的な判断だから、そうしておいて」

「………………。四葉………あなたは、本当に10歳ですか?」

「………フフ、10歳だよ。けど、10歳も4回、5回とやれば、40歳50歳なのかもね」

 四葉が微笑んでいるうちに12時を迎えた。

 

 

 

 三葉は皇帝を代行する宰相として、できるかぎり仕事に取り組んでいた。かつてフリードリヒが座っていた玉座には、いずれラインハルトが座るということで空席とし、その下でアンネローゼと並んで座り、次々と官吏がもってくる案件のうち、三葉にも対処がわかるものは決裁していく。隣にいるアンネローゼは宰相夫人という立場で、以前の皇妃たる地位よりは形式的には一段落ちるけれど、実質的には変わらず、本人に権勢を誇る意志がないので、穏やかに座っているだけであることも、以前と変わらない。三葉は判断に迷った案件の書類をアンネローゼに向けて問う。

「アンネローゼ、これ、どう思う?」

「ジーク、私には、そういったことは、さっぱりわかりませんわ」

「………」

 今、書類を見もしないで答えたよね、それは私の仕事じゃないから口出ししませんって立派なことかもしれないけど、ちょっとくらい手伝ってくれてもいいのに、と三葉は同じ女性として軽い反感を覚えた。まるで町内会の役員の仕事を分担が違うから関わらないと言われたような気分だったけれど、アンネローゼの美しい顔を見ていると、男として許したくなってしまう。

「そうだったね。アンネローゼに、こういうことを訊いても答えてくれないんだったね」

 さすがラインハルトのお姉さん、意外と頑固、と三葉は諦めた。

「ごめんなさい、ジーク。お疲れのようですよ、大丈夫ですか?」

「ええ、まあ…」

 中将や上級大将だったときに比べて、明日に回せない要件は多いし、暫定的にでも決めておかないといけなかったりする。だんだん、よきにはからえ、とフリードリヒのように言いたくなる気持ちがわかってきているものの、投げ出さずに頑張っている。アンネローゼも紅茶を淹れてあげたいと思うけれど、そういったことも立場上、召使いがすることになっていて、二人とも広い玉座の間で窮屈な思いをしていた。ただ、アンネローゼも立場は同じでも隣にいる夫を愛しているか、愛していないかで天と地の差があり、今は笑顔が明るい。

「最終的には、こういう形式ばったことも、なんとかしないと。かといって、まつりごとに形式と威儀が必要なのは、わかるし」

 自分がやってきた巫女としての所作と神事など形式のもっともたるもので、それを否定したいけれど否定しきることもできない。それでもキルヒアイスと手紙で相談しながら、今後の帝国について方向性が決まりつつあったし、すでに思想犯でテロを試みたことのない者などは恩赦を出しているし、言論の自由も段階的に解放していた。また、刑務所の待遇改善や貧民救済なども進めている。それだけに仕事が多い。

「はぁ……お腹空いた…」

「フフ」

 アンネローゼに笑われてしまった。

「お昼ご飯は……たしか、何か予定が入ってたよね?」

「ええ、皇帝陛下の代行として初の臣下の屋敷への、お運びになります」

「お運びされるのかぁ……」

「フフ」

「アンネローゼ、よく笑うようになってくれて、うれしいよ」

「ジークのおかげです」

「お腹は大丈夫?」

「ええ」

 アンネローゼは妊娠している下腹部を優しく撫でた。そこへフランツが現れて恭しく一礼した。

「本日は我が甥の招きに応じてくださり、まことに感謝いたしております。お時間となりましたので、ご案内させていただきます」

「うん。行こうか、アンネローゼ」

「はい、ジーク」

 過去の慣例では皇帝の即位までに功績のあった臣下であるキルヒアイスか、オーベルシュタイン、ノルデンあたりの屋敷を訪ねるところであったけれど、臣下の筆頭であるキルヒアイスが皇帝を代行しているので除外され、オーベルシュタインとノルデンも大袈裟なことは望まなかったので、慣例を無視していく方針もあってハインリッヒ・フォン・キュンメルの邸宅へと出かけた。地上車を降りると、車イスに乗ったキュンメルが出迎えてくれた。

「お越しくださり、まことにありがとうございます。この一事をもって我が男爵家末代までの栄誉となりましょう」

 自分の代で末代にする気でいるキュンメルが恭しく頭を下げ、咳き込んだ。

「大丈夫ですか。無理しないで」

 三葉は普通に心配したし、アンネローゼも同様だった。咳がおさまってからキュンメルは皇帝代行の一行を庭園へ案内した。そこには昼食のためにテーブルが設置されていて、他に先客があり従姉弟であるヒルダがいて、三葉と目を合わせずに恭しく頭を下げた。

「………」

 ヒルダ元気そうだけど、ラインハルトさんが倒れてから、すっかり忘れてた、どうしていたのかな、と三葉は声をかけたくなったけれど、ヒルダの方には、それを望まない空気がある。今日も出席するかどうか迷っていたところをキュンメルに強く求められて顔を出しているのだった。

「さあ、どうぞ、おかけください。陛下」

「うん、ありがとう。……私は陛下じゃありませんよ。ただの代行」

「いいえ、キルヒアイス陛下こそ、今日の帝国において実質的に皇帝陛下であらせられます。私と同じく自分で立つこともできぬ者が陛下であっても、それは形式だけのこと。本当の頂点が誰であるか、もはや皆が知っております」

「………。ラインハルトさん…様こそ、皇帝陛下だから」

 三葉は嫌な空気を感じたもののキュンメルに促されて主賓席に座り、左右にキュンメルとアンネローゼが着席して、キュンメルの隣にフランツ、その先にヒルダが座った。

「ささやかですが昼食を、ご用意いたしております」

 男爵家の家名をかけ、さらに一世一代の舞台の前座として、贅をこらした昼食が提供されて、三葉は美味しく食べた。つわりが始まりかけているアンネローゼは少量にとどめ、病弱なキュンメルも少食だった。メインディッシュが終わり、デザートは何かな、と三葉が期待していると、キュンメルは暗い微笑を浮かべ、懐から無線スイッチのような物を取り出した。

「デザートにゼッフル粒子など、いかがですか、陛下」

「…ゼッフル粒子かぁ…」

 非指向性シャフト粒子だと、やっぱり長いかな、と三葉はキルヒアイスと意見が分かれていて、名称改変の布告を出すか迷っている事案を思い出した。キルヒアイスは安易な思いつきによる名称改変は社会を混乱させるといい、三葉は移動要塞を研究開発中のシャフトを励ますことになるといい、意見が分かれていた。それでも、明らかに不穏なセリフにキスリングたち近衛兵には緊張が走っている。三葉が空を見上げて移動要塞のことを考えているので、キュンメルは苛立って問う。

「聞いていますか、陛下」

「あ、ごめん。聞いてなかった。もう一回、お願い」

 三葉はキュンメルから嫌な空気は感じるものの、危険な予感は覚えていなかったので平穏に言った。キュンメルが顔をしかめる。

「くっ…」

 帝国の頂点にある男を跪かせたいキュンメルは仕切り直すことにした。

「デザートにゼッフル粒子など、いかがですか、と申したのですよ、陛下」

「あれって食べられるの?」

「………いえ。ゴホッ…ゴホッ…」

 キュンメルは無線スイッチを握りながら咳き込み、今一度、仕切り直す。考えておいたセリフの中で、より直接的なものを選ぶ。

「いい庭でしょう」

「え、ええ。そうですね。……」

 話が飛ぶなぁ、頭の方も患ってるのかな、そんな目をしているし、と三葉はキュンメルの目に狂気を感じた。そのキュンメルは得意げに語る。

「けれど、この地下にはゼッフル粒子が充満していて、陛下を死の世界へとご案内すべく待っているのです」

「……」

 今度こそ、三葉も意味を理解し、キュンメルは我が意をえたり、と暗く微笑した。

「ハインリッヒ、なんと畏れ多いことを!」

「ハインリッヒ、どうしたというの?!」

 フランツとヒルダも困惑している。

「ヒルダ姉さん、ごめんよ。けれど、ボクはこの男が許せない」

「ハインリッヒ……」

 マクシミリアンといい、ハインリッヒといい、どうして、こうも自分の親戚には問題行動を起こす人が多いのだろう、とヒルダは悲しく思い、フランツは胃が痛くなった。

「だって、そうでしょう。たしかに、この男はヒルダ姉さんをマックから救出したかもしれない。けれど、一時の慰みものにして、あっさりと捨てた! 平民だったくせに、伯爵令嬢だったヒルダ姉さんを!」

「ハインリッヒ……そのことは……」

「ヒルダ姉さんはボクにとって憧れだった。そのヒルダ姉さんを娼婦のようにあつかったことを、この男に謝らせてやる! さあ、そこに膝をついて、ヒルダ姉さんに謝れ!! ゴホっ…ゴホっ…」

 キュンメルは苦しげに咳き込みつつも無線スイッチを誇示するように握っている。三葉は心から謝ることにした。むしろ、ずっと謝りたかったので、いい機会だった。

「ごめんなさい、ヒルダ。本当に私が悪かった。どうか、この通り」

「宰相閣下………」

「陛下………そんな、あっさり……」

「本当に、ごめんなさい」

 三葉は帝国の文化様式に合わせた片膝を着いて頭を下げる姿勢を取っているけれど、帝国の文化様式では国家の頂点にある男がする行為ではなかった。

「どれだけ謝っても足りないと思う。いっそ、思いっきり殴って。グーで」

「「………」」

「気の済むまで。お願い」

 鉄拳制裁も帝国軍の文化様式ではあったけれど、主に尉官以下の階級へすることで帝国軍最高司令官へするなど、ありえないことだった。けれど、そんな三葉の様子にキュンメルは誠意とヒルダへの好意を感じた。

「あ、謝るだけじゃダメだ! そ、そうだ、ヒルダ姉さんを皇妃にしろ! いずれお前は皇帝になるだろう!」

「私は皇帝にはなりません。皇帝はラインハルトさん…様です」

「いいや! きっとお前は皇帝になる! だから、ヒルダ姉さんを娶れ! そう誓え! そう約束する公文書を出せ!」

「……公文書って……」

 三葉が困るし、ヒルダは叫ぶ。

「やめて、ハインリッヒ! そんなことされても私は少しも嬉しくないわ!」

「ヒルダ姉さん……けれど……」

「もう、やめて。そのスイッチを渡して」

「い、いいえ! ダメです! 陛下、ヒルダ姉さんを皇妃にすると誓え! 誓うんだ! でなければスイッチを押すぞ!」

「そう言われても、ラインハルトさん…様はヒルダのこと好きなんですよ。私にはアンネローゼがいて、そりゃ今の地位なら二人くらい奥さんがいてもいいかもしれないけど……。ヒルダ、ヒルダの気持ちはどうなの? 女として誰が好き? それが一番大切だよ? 地位や名誉より、ずっと大切。結ばれたい人と結ばれることは、世界そのものより大切かもしれないってくらいに」

「……わ……私は……」

 ヒルダの目が迷い、そして女として決断する。

「私の気持ちは、キルヒアイス閣下へ向いております。お慕い申し上げております。今でも、ずっと」

「ヒルダ………」

 嬉しかったけれど、困りもする。三葉は恐る恐る振り返って宰相夫人に問う。

「……あの……もう一人、お嫁さんをもらっても、いいですか? 状況が状況ですし」

「…………」

 ずっと黙っていたアンネローゼがキルヒアイスの瞳を見つめて問い返す。

「あなたはジークではありませんね?」

「っ…、…い、いえ! ジークフリード・キルヒアイスですよ!」

 動揺して名乗る三葉にヒルダも問う。

「あなたはミヤミズミツハではありませんか?」

「っ…、な、なんで、その名を…」

「私を助けに来てくださったとき、とっさに、そう名乗られたのを覚えています」

「っ……」

 失血死しかけていた気絶寸前の記憶を聡明に覚えているヒルダに追いつめられ、もう三葉は言い逃れできないと覚悟した。二人の女の勘は誤魔化せない。部下や同僚であれば接触時間は限られているけれど、ベッドを共にした異性は気づいている。三葉がキスリングに命じる。

「近衛たちは離れていなさい」

「で、ですが、宰相閣下、御身に危険が…」

「離れていなさい! マリーンドルフ伯も! 私たち4人だけで話します!」

 厳命されて、近衛として危機にある宰相から離れるのには大きな抵抗があったけれどキュンメルが求めている内容から考えると、最終的に宰相を害する気がないようにも思え、キスリングたち近衛とフランツは離れた。人払いが終わり、三葉はヒルダを見つめた。

「そうです。私は宮水三葉です」

「っ…やっぱり……」

「正直に話しますから、アンネローゼも聞いてください」

「はい」

「今の私は宮水三葉という人間の精神が、ジークフリード・キルヒアイスに入っています」

「「「………」」」

「第三次ティアマト会戦の頃から、週に1度ほど、私とキルヒアイスは入れ替わっています。もともとの私の身体には今、キルヒアイスが入っている。そして夜12時になれば元に戻ります」

「「…………」」

 ヒルダにもアンネローゼにも思い当たる節があった。明らかに三葉とキルヒアイスの言動は違っているときがあり、雰囲気も変わる。戦闘指揮においてはそつなくこなしているけれど、政治的判断は翌日に持ち越すこともあるし、何よりもプライベートな時間を過ごしているときの反応が、まったく違うので女二人は驚きよりも、やっぱりという納得を感じていた。ただ、キュンメルは意味がわからない。

「陛下は人格のご病気なのですか?」

「そう見えるかもしれないけれど、そうではないと思っています。そして、私はヒルダが好きだった。けれど、キルヒアイスはアンネローゼが好きで、だから、ヒルダをラインハルトさんにお願いして……。ごめんなさい、ヒルダ、こんなことになって、全部、私のせいだから、キュンメルさんが罰されないよう、キルヒアイスにも伝えておきます」

「ミヤミズミツハ様……そのお言葉だけで十分です」

「ヒルダ、ごめん。ごめんなさい。大好きだったよ、ヒルダ」

 見つめ合う二人を見ていると、キュンメルは頼みたくなった。

「たとえ、週に1度でも、ヒルダ姉さんを皇妃にしていただけませんか? 陛下」

 歴代の寵妃には月に1度も相手にされない者も多かった。とくに門閥貴族からの輿入れだと、単純に好みに合わず、数人の子供をもうけた後は、まったく相手にされなくなった者もいる。それを思えば、たとえ人格の病であって週に1度の関係でも、そう悪くはない。キルヒアイスが、このまま宰相であっても実質的には皇帝と変わらないと皆が感じつつもあった。

「陛下、どうか、ヒルダ姉さんをお願いします」

「…わ…私はヒルダが好きだけど……」

 三葉がアンネローゼを振り返ると、もともとフリードリヒの皇妃生活をしていたアンネローゼは穏やかに頷いてくれた。争ってベーネミュンデのようになるくらいなら、分かち合う方がいいし、まだキュンメルはスイッチを握っている。この場を治めるためにも三葉は決めた。

「ヒルダ、好きだよ。二人目だけど結婚してくれる?」

「……はい、ミヤミズミツハ様」

 二人が抱き合い、そして三葉は重要なことを小声で告げておく。

「本当に私は皇帝にはならないし、ラインハルトさんも世襲は望んでなかったから」

「それでは帝位は……」

「まだ、正式に決まってないけど、皇帝による支配体制そのものを大きく変えるから、そう思っておいて」

「…はい」

「ゴホっ! ゴホっ! グフッ…」

 キュンメルが激しく咳き込み、退場した。その顔は満足そうだった。そっとヒルダがスイッチを拾い上げ、キスリングに渡した。

「閣下を安全な場所へ!」

 三葉はアンネローゼと護送されかけて、ヒルダも呼ぶ。

「ヒルダも来て!」

「……はい」

 宰相府へ戻り、しばらくしてケスラーが報告に来た。

「周辺を捜索いたしましたが、ゼッフル粒子は確認されませんでした。起爆スイッチと見せかけていたものも、ただの無線機でした」

「ブラフだったわけね」

「はい。また背後関係も捜索中ではありますが、おそらくは男爵の単独犯かと思われます」

「そう。……私の、身から出たさび、ね」

「…………。この件につきまして伯爵と令嬢の罪状は、いかにいたしましょうか?」

「本人以外も罰されるの?」

「御身は皇帝代行、ことは大逆罪に準じる事態となりますれば、一族ことごとく極刑が通例にございます」

「…………」

 三葉が自裁を思い出した。あの部屋でヒルダを見送りたくないし、フランツも気の毒すぎる。いい加減、あの部屋そのものを廃止したい。そして思い出した。

「カストロプのときはフランツさんも、ヒルダも被害者扱いで、親戚でも大丈夫だったはずじゃ?」

「たしかに……、では、巻き込まれ人質にされたということで処理いたしましょうか」

「はい、それでお願いします」

「はっ」

「あと、ゼッフル粒子って誰でも簡単に手に入れられるもの?」

「いえ、ゼッフル粒子規制法によって軍または軍に準じる機関のみ保有が認められておりますが、その軍からの横流し品がございます」

「……腐敗しすぎ…」

「規制を強化いたします」

 ケスラーが退出し、三葉がつぶやく。

「刀狩り令っぽく、ゼッフル粒子も……あと、私兵も問題。……銃規制も……」

 キルヒアイスに伝えるべきことを書き出しておき、それからアンネローゼと二人になって問う。

「本当に、ヒルダを第二夫人にしても、いいですか?」

「ミヤミズミツハさんが、なさりたいのであれば、そうなさってください」

 アンネローゼは三葉が、ときどき寝言でヒルダと言うのを聴いていたので、もう受け入れる気でいた。そうなると、三葉は不安な思いをしているであろうヒルダと夜を過ごしたくなる。警戒厳重な宰相府の一室でヒルダと抱き合い、キルヒアイスへ手紙を書いた。

 

 

 

 キルヒアイスは宰相府の一室でローブを着て、ヒルダとソファに対面して座っている状況を認識した。ヒルダもローブを着ていて、抱き合った後のように感じられる。

「………」

「ミヤミズミツハ様から、お手紙がございます」

「っ…」

 驚きつつもキルヒアイスは落ち着いて手紙を読む。

 

 ごめんなさい、いろいろありました。

 まず、ヒルダの親戚から以前の関係について責任をとれ、と脅迫され、第二夫人とする約束をしました。

 その場にアンネローゼもいて承諾してもらっています。

 事件の詳しいいきさつは二人から聴いてください。

 私からのお願いとしても、やっぱりヒルダを第二婦人にしてあげてください。

 前は平民だったかもしれないけど、今は帝国宰相なので二人くらい問題ないと思いますし、何よりヒルダが強く想っていてくれるから。

 そばにいてあげてほしい。

 お願いします。

 あと、ヒルダもアンネローゼも、私たちが入れ替わっていたことに、薄々気づいていたようです。

 これ以上は隠せないと思い、話しました。

 ヒルダは可愛いし賢くて、そして私たちが考えている帝政の方向性にも賛成してくれました。アンネローゼが一切考えてくれないのとは対照的に。ヒルダは、とても色々と知っていて助言してくれるし、助かります。

 そういう意味でも、そばにいてほしいです。

 

 さらに手紙は内政について気づいた点などが書かれていた。手紙はドイツ語で書かれていたのでヒルダが見てもわかるようになっている。読み終えたキルヒアイスは確かめるように問う。

「………気づいておられたのですね。フロイラインマリーンドルフ」

「はい」

「……………」

「アンネローゼ様が、お待ちです。どうぞ、行ってください」

「………あなたからも、お話を聞いておきます。今日の出来事を教えていただけますか?」

「はい、では…」

 ヒルダからの説明は三葉の手紙より明晰で必要十分なものだった。それだけでなく内政について三葉が指摘した点を的確に発展して伝えてもくれる。アンネローゼが政治的な話は一切しないのとは本当に対照的だった。

「なるほど、たしかに。その件は財務省へ伝えておきます。いえ、あなたから伝えて……、あなたに何か政務補佐官のような役職を与えることに承諾してもらえますか?」

「はい。喜んで。ですが、宰相夫人としてお迎えいただけるのであれば、その権限に制約があった方が良いかと存じます」

「……あいかわらず聡明な人だ……三葉さんがいてほしいというのもわかります」

 中将の副官であった頃から有能な人物だと思っていた。こうなってしまった以上、キルヒアイスも覚悟する。

「あなたを女性として愛せるか、どうかは、まだわかりません。それでも男爵との約束でもありますから、……アンネローゼと話してから決めさせていただきます」

「はい」

 ヒルダと別れ、アンネローゼのもとへ急いだ。

「遅くなりました」

「フフ、そんなに慌てて、ジークに後ろめたいことはないのでしょう?」

「は…はい……いえ、三葉さんのことを隠しておりました。申し訳ありません」

 キルヒアイスが頭を下げるのでアンネローゼは愛しく夫の頭を撫でた。

「皇帝代行が、そのように軽々頭を下げるものではありませんわ」

「はい。ですが、私はアンネローゼの前では、ただのジークです」

「そうね」

「………フロイラインマリーンドルフの件、どのようにお感じですか?」

「夫人が一人でないことには慣れています。けれど、私のジークが私だけのものでなくなるのは、少し淋しいわね」

「では、彼女のことは断ります」

「そう結論を急ぐものでもないわ。何よりミヤミズミツハさんとのことの方が重大事ではなくて? ずっと困っていたでしょう」

「はい。ですが、助かっている面も大きいのです。カストロプ動乱をはじめに、他の会戦でも期待以上の戦果あげてくださったり、政治面においても気づかされることが多く、まるで私たちを助けるために神が使わされたような存在と考えることさえあります」

「そう……そんな風に支えてくださっていたのね」

「はい。………ですが、それも、おそらく、………あと少しで終わるでしょう。三葉さんの死によって」

「………どういうことですか?」

「三葉さんは説明しなかったようですが、あの人は過去の人間です。これは、私とアンネローゼだけの話としてください。三葉さんを好きでいるフロイラインマリーンドルフにも伝えないでください。三葉さんは過去から来ています。そして調べたところ、あと少しで亡くなられる運命にあります」

「っ……それを本人は知っているの?」

「いえ、伝えておりません」

「…………」

 アンネローゼがキルヒアイスを抱きしめた。

「つらかったでしょう、ジーク」

「っ…くっ…いえ……」

 強がって否定したけれど涙が零れた。

「ジーク、泣いてもいいのよ、ただのジークなのですから」

「…はいっ…うっ…くっ…ありがとうございます」

 ラインハルトが倒れてから、三葉のことを相談できる相手がいなかったキルヒアイスは静かに泣いた。

 

 

 

 三葉は自分で決めた時刻に起きると、髪の毛を結ったりせず、ごく簡単にまとめただけでゴムでとめ、登校までに少し受験勉強をしてから通学路に出た。

「おはよう、三葉ちゃん」

「おはよう、三葉」

 早耶香と克彦が挨拶してくれるので、快活に答える。

「おはよう! って、いい加減、もう二人は付き合ってるんだし、二人で登校したら?」

「「………」」

「私、ジョギングも兼ねて走るから。じゃあね」

 そう言った三葉が走っていく。以前は校則ギリギリまでスカートを短くしていたので走ると下着が見えることもあったけれど、今は長く直したので走っても見えない。すぐに背中も小さくなって見えなくなったので克彦がつぶやいた。

「あいつ、防衛大学校を受験するって本気なのかな」

「自衛隊って、男の世界って気がするんだけど」

「しばらく恋愛もしないって言ってたし……」

「あ、でも、男の世界なだけに、その気になったら彼氏なんて、すぐできるかも。一応、東京に近い場所にある大学だよね?」

「ああ、たしか横須賀あたりじゃないかな」

「せっかく目指してるんだし、合格するといいね」

「まあ……そうだな……」

 なんとなく克彦は空を見上げたけれど、まだティアマト彗星は肉眼では見えなかった。

 

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