「君の名は。キルヒアイス」方向性修正版   作:高尾のり子

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第20話

 

 

 キルヒアイスは三葉の部屋で起きると、日付を見て心痛を覚えた。

「あと少しで……三葉さんは……四葉も…」

 鏡を見ると三葉の顔が映る。

「………三葉さんを……助けたい……けれど、歴史は変えられない……。歴史が変えられるなら……ラインハルト様の負傷とて無かったことに……」

 このままでは朝から泣いてしまいそうなので悲しい気持ちを抑えて、未来を知らない女子高生として登校する。克彦と早耶香に出会った。

「おはよう、三葉」

「おはよう、三葉ちゃん」

「おはようございます。テッシー、サヤチン」

「「……」」

 今朝はお嬢様の日か、と二人は瞬時に理解した。三葉の髪は女らしく結い上げられ、立ち姿も楚々として気品がある。三人で登校する流れになり歩き出した。

「三葉ちゃん、受験勉強がんばってるみたいだね。私もそろそろ始めないと。克彦は、やっぱり東京の大学を狙うの?」

「そうだな。建築を学びたいし」

「家を継ぐんだ。えらいね。私も東京の大学を目指すよ」

「………」

 お二人にも、そんな夢が………けれど、もう数日の命……その夢は儚く消えてしまう、とキルヒアイスは二人ともティアマト彗星で亡くなると知っているので、また泣きそうになり瞬いて涙を誤魔化すのに苦労した。そんな様子に早耶香が気づいたのか、話題を変えてくる。

「けどさ、受験勉強を本格的に始める前に、想い出作りに三人で遊びに行かない?」

「そうだな。三年生になったらマジ受験一色だろうしな」

「冬になって出られなくなる前に、もう一回、どこかの遊園地に行こうよ。三人で。ね、三葉ちゃん」

「は…はい……考えておきます…」

 返事を保留したのに涙が零れた。

「三葉ちゃん……」

「三葉……どうしたんだ?」

「…な……何でもありません……どうぞ…ご心配なく…」

 そう言ったのに、次から次へと涙の滴が溢れてきて止まらない。東京へ進学するどころか、もう遊園地へ遊びに行く機会さえ無い、と思ってしまうと気の毒で悲しくて涙を止められない。

「……三葉ちゃん……」

「三葉………」

「何でもないです……何でも……」

 泣きながら否定しても説得力がなかったけれど、キルヒアイスは二人に告げる。

「サヤチン、テッシー、学校の出席日数など、どうでもいいではないですか。いっそ、今すぐお二人で行きたいところ、遊園地でも、どこでも行かれては、どうですか? きっと、いい想い出になりますよ」

「「………」」

 克彦と早耶香が顔を見合わせ困惑している。

「三葉、どうしたんだよ? 何があったんだ?」

「いえ、何もありません……ただ、お二人には楽しんでほしいだけです」

「……そう言われても…」

「三葉ちゃん………私がズルして克彦と付き合ってるから……本当は、三葉ちゃんも克彦のこと好きなんだよね……」

 言うまいと思っていたことを早耶香は口にした。言わずにはいられないほど、三葉の涙を見ていると心が痛くて、吐き出すように言っていた。

「ごめんなさい、三葉ちゃん……克彦も……ごめん…。本当は二人は相思相愛だったのに私が割り込んで……」

「早耶香……」

 一時は三葉へ告白までしたけれど、今は流れで早耶香と付き合っている克彦も戸惑っている。日によって女を捨てたように振る舞う三葉と、今は涙が止まらない三葉、今の三葉の目を見ていると、自惚れでなく好意を抱かれている気もしている。

「三葉……お前……無理して早耶香にゆずって……いや……オレが悪いんだな……」

「ち、違います! そういう意味で泣いているわけではありません!」

 慌てて否定した。克彦への好意は消えていないけれど、それを表にしてはいけないと三葉本人から注意されているし、早耶香と克彦の最期の時間を乱したくもない。

「誤解しないでください! ただ、お二人に楽しく過ごしてほしかっただけなんです! が……学校なんて、つまらないじゃないですか!」

 取り繕うように言い出すけれど、もともと嘘や策謀は苦手だった。

「学校に行くより楽しいことをして過ごしてください! お願いします!」

「「…………」」

「………」

 自分で言っていても、おかしいことは自覚していた。怪訝な顔をしている二人に、まさか死が迫っていることを教えるわけにはいかない。もどかしさと悲しさで、ずっと涙を流していると、克彦が決めた。

「ああ、わかった。今日は学校をサボろう」

「テッシー、わかってくださったのですね……」

「だから三人で、どこかへ行こうぜ」

「三人……いえ、私は、お二人でと…」

「たまにはいいだろ。な? 早耶香」

「うん、そうしよう。っていうか、今の三葉ちゃんを置いて二人で出かけても気になって楽しめないし」

「……ごめんなさい……」

「気にするなって。さて、どこへ行こうか。この時間からだと糸守町を出るだけでも…」

 都市部は遠く電車のダイヤは少ない。普通に登校するつもりだったので用意もない。克彦が周囲を眺めて提案する。

「弁当もあるし、あの山でも登るか?」

 たんに目についた山を指した。

「そうやね。三人で行くなら、どこでもいいよね」

 早耶香も小学校の頃には登ったけれど、最近は見上げるだけだった故郷の山へ登るのに同意した。三人で山道を歩き、頂上に着いて弁当を食べる。

「いい景色だなぁ」

「うちらの町、小さいね」

「こんなに小さい町だったのですね」

 地図で見たことはあっても実際に見下ろしたのは初めてだった。そして、気づいた。

「……………」

 ここには、すでに2度、隕石が落ちている、あちらの湖と、こちらのクレーター、明らかに戦争による爆撃ではない、この時代の化学爆弾では、これほどの威力は出せない、そもそも米軍も、こんな田舎町を強力な爆弾で攻撃する意味がない、地形の風化から見ても第二次大戦の爪痕ではなく数百年、いえ、千年以上を経ているかもしれない、と糸守町の地形から読み取った。

「あ、四葉」

 周りを見ていて四葉が隣の山の頂上にいることに気づいた。隣の山といっても山脈なので、そう離れていない。

「四葉ぁぁ!!」

 声をあげると、こちらを向いて手を振ってくれた。

「四葉ぁぁ!! そんなところで何をしているのですかぁぁ?!」

「ピクニックだよぉぉ!!!」

 四葉は無難な答えを返しながら、クレーターと隕石湖を見下ろし、また予感を覚えたので目を閉じた。

 

 

 フレデリカ・グリーンヒルは戦艦ヒューベリオンの自室で涙を流していたけれど、その理由は四葉にはわからなかった。

「この雰囲気は…………また同盟側かな。うっ……お腹が痛い……この人、月経なんだ……タイミング悪っ……」

 四葉は生まれて初めての月経を他人の身体で体験しつつ、明らかに着替える予定という感じて置いてある衣類と制服を見る。

「やっぱり同盟軍か。階級は大尉ね」

 フレデリカの身体はシャワーを浴びた直後のようで、まだ湿っていて全裸だった。鏡を見つめて涙を零していたようで、ともかくタオルで涙を拭いて服を着る。

「結局、千年経ってもナプキンって進化しないんだ」

 下着といっしょに生理用品が置いてあったので使ってみる。姉の身体に装着させてあげた経験のおかげで迷うことなく使えた。

「……ダルい……お腹痛い……けど、これだけで泣いてたわけじゃないよね……まあ、個人的なことは置いておいて。状況を把握しないと」

 制服を着終わると、部屋の外に出た。ちょうど待っていたのか、見守っていたのか、ユリアン・ミンツが廊下にいて声をかけてくる。

「もう、いいのですか。まだ15分しか経っていませんよ」

「……私は、どういう予定でした?」

「2時間の猶予がほしいと、ヤン提督に上申され許可されたはずですが……」

「そう」

 まったく状況がわからないので今回も周囲にいる人間に語ってもらうことにする。

「自分の置かれた状況を一から把握し直してみたいの。面倒かもしれないけれど、あなたの口から話してくれない? お願い」

 女の武器というには拙いけれど、露骨でない程度の色気を出してお願いしてみると、ユリアンは少し赤面しつつも、冷静かつ深刻に状況を語り始めた。

「救国軍事会議はハイネセン市民を人質に取る一方で救国民主会議と改称し…」

 おかげでドワイトを首魁とする救国軍事会議は軍事的には降伏したものの、ハイネセン市民を人質として、彼らが公正と定める方法による選挙を実施して、新たな民主的代表を選んでいる最中であること、軍事行動の可能性が低くなり警察権の管轄となりそうな状況となりつつあったことと、イゼルローン要塞にノルデン麾下の大艦隊が迫ってきたことから、ヤン艦隊は一度はイゼルローンへ戻る進路を取ったものの、しばらくしてフェザーンを進軍してきたキルヒアイス麾下の大艦隊とイゼルローン級の移動要塞の存在が明らかとなり、かつ帝国軍の目標が他の星系を征服せず、ただハイネセンのみを目指すという補給線を無視した極端なものだったことから、ヤン艦隊も戦略的選択肢が無く、ハイネセン防衛のために布陣していることをユリアンは語った。とくにフレデリカの心理的負担となっているのは、父ドワイトがクーデターの首謀者として死刑になる可能性がありつつも、新たな選挙によって議席の一つを占めれば不逮捕特権もあり、その後の立場と生命が実に不透明となること、さらにはクーデターが実質的に長引いているうちに帝国軍に侵攻されるという事態を招いたのも父の責任であることだった。

「…という状況です。まもなく開票結果が出るでしょう。事前の予想ではヤン提督の当選は確実かと思われます」

「ヤン……あの人、立候補したの?」

「は? ……今回の救国民主会議による選挙は立候補制を取らず、選挙民は自らが投票したい者に投票するという制度だったはずですが、……珍しいこともあるものですね。大尉がお忘れになるなんて」

「あ、ええ、そうだったわ。すっかり忘れていた」

「……お疲れなんですね。無理もないことです」

「選挙の様子を、どこかで見られる?」

「はい。では、こちらで」

 ユリアンは最寄りの休息所に四葉を案内した。そこではテレビ中継もあって救国民主会議とハイネセン警察による選挙の模様が再生されていた。何度も放送された映像が、また流れている。

「一人、また一人と人質が解放されております。解放された人質は、そのまま投票を行っており、あと少しで全ての人質が解放されるでしょう」

 アナウンサーが興奮気味に語っている。

「この後、警察は突入せず、救国民主会議のメンバーも投票する予定で、投票と同時に武装解除するはずですが、はたして実行されるでしょうか。あ! 今、ドワイト・グリーンヒル代表が出てきました! 武器は持っていません!」

 映像の中でドワイトは立て籠もっていた政府ビルを出ると、政府ビル前に設置された投票箱に一票を投じてから警察官に囲まれている。しばらく警察と話し合った後、手錠はされずにパトカーへ乗せられ、護送されていった。

「…………」

「大尉、どうか、あまり思い詰めないでください」

「ありがとう」

 四葉は礼を言いつつ状況把握につとめるけれど、今はテレビを見るしかなかった。

「当確が出ました! ヤン・ウェンリー提督に当確です!」

「「「おおおっ……」」」

 休息所にいた他の士官たちが総司令官の当確に歓声のような声を漏らしている。当選した本人が喜んでいないだろうことは確実で、かつ辞退しそうな気もしているので歓声というには勢いが足りない声だった。

「また当確です。ホワン・ルイ! ヨブ・トリューニヒト! 当確です!」

「…くっ…どうして、また……」

 ユリアンが苦虫をヤンが獲得した票数と同じほど、まとめて噛み潰したような顔をしているので、四葉がつぶやく。

「もともとの政治家だから、一定の支持者はいるよ。腐敗の疑惑はあっても当選し続ける政治家って多いから」

「………大尉、話し方が、いつもと違いませんか?」

「…………そう? ちょっと気分なの。気にしないで」

 本来のフレデリカが、どんな話し方をしているのか、わからないので、とりあえず女性軍人っぽいイメージを想像しつつ、テレビを見る。他の星系での当選者も確定していき、いよいよ残り議席が少なくなったときだった。

「ドワイト・グリーンヒル氏に当確です! 出ました! ドワイト・グリーンヒル、当確! これで裁判の行方もわからなくなります! なぜ、彼が当選したのでしょうか?!」

「そりゃあ、もと救国軍事会議のメンバーが入れるよ。市民の中にも政治的発言のないヤンより、少なくとも清廉そうなドワイトって人も多いだろうし」

「………大尉……」

 実の父親の選挙結果と命運がかかった情報に接しても、まるで実の父親の選挙に慣れているような四葉の様子にユリアンは強く戸惑い、何か言おうとしたけれど、非常招集を告げるコール音が艦内に響いた。帝国軍の接近なのだと、誰もが持ち場へと走っていく。

「………」

 この身体の持ち場って、どこかな、っていうか、もう少し情報収集したいけど、もう無理かな、どうしよう、と四葉が迷っているとユリアンが声をかけてくる。

「大尉、行かないのですか?」

「………いえ……その……ちょっと混乱していて……自分の持ち場が、どこだったか……あなたに案内してもらえたら助かるわ」

「大尉……どうか、お気を確かに。こちらです」

 ユリアンに案内されて艦橋へあがった。艦橋では白兵戦の予定がないワルター・フォン・シェーンコップがヤンに祝辞を述べている。

「ご当選、まことにおめでとうございます! 心より! まこと、心より! お祝い申し上げます、閣下!」

「………よしてくれ……」

 ヤンが頭痛でもするように前頭部を掻いている。

「はぁぁ……のんびり選挙ごっこをしているうちに、戦局は詰みだ。何もかも辞退したいね、政治的代表も、軍事的指揮者も」

「ヤン提督………」

 ユリアンが心配そうに見ていると、ヤンは微笑をつくった。

「さて、この状況から、どんな奇跡を起こすことにするか。ユリアンなら、どうする?」

「………」

 問われてユリアンはモニターを見上げた。モニターには迫ってくる移動要塞とキルヒアイス艦隊を本隊として、アイゼナッハ艦隊、シュタインメッツ艦隊、ファーレンハイト艦隊、レンネンカンプ艦隊、ケンプ艦隊の6個艦隊が映っている。対するヤン艦隊との戦力差は明らかだった。

「敵は………大戦力ですが、明らかに補給線を無視しています。そこを突けませんか?」

「いい発想だが、敵は補給線を無視しているわけではないんだよ。むしろ、巨大な補給艦を連れてきている。我々だってイゼルローンを動かせれば、遠くオーディンまで遠征できたろうね」

「補給路が要らないなんて……戦略の概念が違う……」

「そうだね。あの移動要塞は、一種のイノベーションかもしれない」

「イノベーションですか……」

「ああ、弓より銃、火薬より熱核兵器、そんな風に大きく時代が変わるとき、旧来の兵器では、どうにもならない」

「それでもヤン提督なら……」

「トマホークでマスケット銃に勝てと言われてもね。もちろん、奇襲や夜襲で多少の抵抗はできるかもしれない。けれど、すでに戦力差も明らかだ」

「では、こちらは身を隠すか、イゼルローンへ立て籠もるか、……それとも、新皇帝か、帝国宰相を討つか……」

「そうだね。ユリアンの判断は戦略的には正しい。少し前にボクの上官も同じことを考えた。エル・ファシルというところで」

「……。ですが、状況は違うと……」

「ボクらの背後にあるハイネセンにいる市民は、どう思うか……いや、もちろん……ユリアンの判断は正しい。とっくにボクらはハイネセンを見捨ててイゼルローンのみを守るべきだったのかもしれない。純然たる戦略的にはね。けれど、救国民主会議からも、ハイネセン警察からも、ハイネセンを離れず防衛してくれるよう依頼のような命令のような通知を受けていたからね。勝手に持ち場を離れるわけにもいかないのさ。結局、ボクに与えられたのは、この星系で、どう戦うかという戦術的裁量にすぎない。六倍の艦隊と、動くイゼルローンを相手にね」

 ヤンが頭を掻いていると四葉が問う。

「イゼルローンの状況は、どうでしょう?」

「かんばしくないね。キャゼルヌ要塞司令官代理からの報告では敵は大艦隊でイゼルローンを遠巻きに包囲し、ゼッフル粒子と小惑星をぶつけてくるだけという状況が続いているそうだ」

「では、敵は要塞を攻めあぐねているのですね」

 ユリアンの希望的観測をヤンは否定する。

「だが、わずかな駐留艦しかない要塞は外の敵を迎撃できない。要塞からの迎撃で小惑星を破壊しているが、この破片が徐々に降り積もってきているらしい」

「破片が……問題なのですか?」

「計算した結果、2年半後には降り積もった破片で要塞は出入り不能になるらしい。それまでには助けてくれと、言われているんだ」

「……2年半……ずいぶんと気長な攻撃ですね」

「だが、有効だ。一兵も損なわずに、あの要塞を落とせるなら、2年半は短いとも言える。古代の攻城戦を思い出すようなやり方だね。外堀を埋めて、じわじわと圧迫する。しかも迂回して首都を攻める……完璧だよ、ジークフリード・キルヒアイス……」

「敵から通信です!」

 通信士官が叫び、ヤンが頷いたので読み上げられる。

「降伏せよ、しからざれば攻撃す」

「ご丁寧に、どうも。………新政府に伝えてくれ。敵は降伏勧告してきている。受諾するか、否か、早急に判断してほしい、と」

「閣下も新政府の一員ですぞ。きっと国防委員長あたりになるのでは?」

「辞退するし、各委員を決める前にハイネセンが征服されてなきゃいいね」

「辞退ですか? それは責任を投げ出すことでは?」

「ボクは立候補したわけじゃない。あと、救国民主会議が決めた選挙方法には獲得票数の移譲というのがあったね。もし、当選した本人が政治参加を望まない場合、獲得した票をそのまま他の当選者へ譲るという」

「ありましたが、閣下は第一位の当選ですから移譲されると、移譲された者がそのまま最大獲得票数者になる。閣下の判断一つで為政者を選ぶというのは、はたして民主的ですかな?」

「ボクは民主的に選ばれたらしいからね。それにボクの一票は、消去法ながらホワン・ルイ氏に入れた。もう少し考えるけれど、トリューニヒトよりは、ずっといいさ」

 ヤンはシェーンコップへ律儀に答えながら、何か手だてはないものかと考えていたけれど、四葉が言う。

「閣下、一番良い方法があります」

「何かな?」

「今すぐ降伏されることです」

「…………」

「「「「「……………」」」」」

 周りの士官たちも黙っているうちに、四葉は説得を試みようと思ったけれど、もうフレデリカの身体にいられる時間がないことも悟った。

 

 

 

 フレデリカは山頂から糸守町を見下ろして驚いたけれど、彼女らしく冷静さも保っていた。

「惑星表面上にいる……どうして……。大気のある惑星なのに、クレーターが連続して二つも……小惑星帯に近い危険な可住惑星? ずいぶんと集落は小規模……けれど、私はハイネセン付近のヒューベリオンにいたはず……なぜ……ここに…」

「四葉?」

 尾根を歩いて近づいていたキルヒアイスが三葉の声で話しかけると、フレデリカは三葉の顔を見上げて名のる。

「いきなり質問して失礼ですが、この星の名を教えてくれますか? 私は自由惑星同盟軍大尉、フレデリカ・グリーンヒルです」

「っ…」

 ほぼ反射的にキルヒアイスはブラスターを抜こうと、腰に手を回したけれど、三葉の腰にはスカートしかない。その動作を見てフレデリカも反射的に横へ飛びながら、四葉の懐に手を入れたけれど、やはりブラスターは持っていない。

「「無駄な抵抗はやめなさい!」」

 二人ともブラスターを持っていなくても、生まれる前から続いてきた戦争体験が身体を突き動かす。お互いに丸腰ならば徒手格闘戦になり、三葉の手が取り押さえようと伸びてきたのをフレデリカは手首を捕まえて投げ飛ばそうとした。

「「っ…」」

 キルヒアイスは手首を持たれても関節をきめられないように肘を引き、逆に四葉の腰を捕らえたけれど、フレデリカは頭突きで対応する。

 ボスッ…

 四葉の頭による頭突きは三葉の胸で受け止められ、分厚い大胸筋ではなく女子の乳房だったのでキルヒアイスは痛みを覚えたものの、それに耐えて三葉の腕を回して四葉の首を絞める。

「ぅっ…くぅ…」

 もともと手足の長さも筋力も女子高生と女子小学生なので圧倒的差があり、白兵戦の経験と実力もキルヒアイスに軍配が上がるので、フレデリカは首を絞められて気が遠くなるのを感じた。

「……ぅぅ……」

「三葉ちゃん………何をやって……」

「三葉……お前、妹に容赦無さすぎ……」

 早耶香と克彦も近づいてきていて、いきなり始まった二人の格闘に驚いている。キルヒアイスは絞めながら冷静に答えた。

「いえ、今の場合は必要な処置なのです。どうか、お気になさらず」

「「…………」」

 気にするなと言われても、もう四葉の顔色は失神しそうなほどで、とても可哀想だった。キルヒアイスは四葉の身体を傷つけないよう、また三葉の身体も傷つけないように配慮しているので、反撃を受けないようにフレデリカを絞め落とすつもりだった。三葉の左腕で四葉の首を絞めながら、右手で四葉の両手を捕らえ、三葉の両足首を四葉の膝裏に回して大きく開脚させて脚も封じている。お互いに傷は負わないけれど、とても本格的な絞め技状態に見えた。

「ぅぅ……助けて…」

 フレデリカは、誰だかわからないけれど、そばで心配そうに見てくれている克彦と早耶香に助けを求めてみる。

「三葉、もういい加減にしてやれよ」

「三葉ちゃん、いくら家族でもやり過ぎじゃないの? 学校をサボってたのは私たちも同じだし……何を怒ってるの?」

「……。どうぞ、お構いなく。テッシー、あまりこちらを見ないでください。スカートが乱れていて恥ずかしいです」

「……」

 克彦は心配そうに背中を向けた。三葉の身体は地面に横になって大きく開脚して四葉の下半身を封じているので、スカートの裾は危うくなっている。

「……三葉ちゃん……四葉ちゃんが死んじゃうよ? 何を怒ってるのか知らないけど、姉妹なんだから……そろそろ許してあげたら?」

「怒っていません。必要なことなのです」

「…………」

「ぅ…………」

 四葉の瞳が光を失い、気絶した。ぐったりと動かなくなり、ようやく三葉の腕も力を抜いた。やっと妹を解放するのかと思ったのに、三葉の髪を飾っていた新しい髪紐を解くと、その紐で気絶している四葉の両手首を後ろ手に縛り始めている。

「………三葉ちゃん……そこまでしなくても……もう虐待だよ」

「…………。サヤチン。………これは……」

 入れ替わりのことも、まして四葉に入っている相手が同盟軍らしいことも説明できないので、キルヒアイスは誤魔化すことにした。

「これは家族の問題です。どうか、介入しないでください。しばらく離れていてもらえますか」

「……けど…」

「お願いします、サヤチン」

「…………鉄拳制裁とか、しない? 四葉ちゃん、まだ10歳だよ」

「四葉の身体を傷つけたりは絶対にしませんから、どうか離れていてください。声の届かないところまで」

「……わかったよ……」

 心配そうに早耶香と克彦が離れていく。二人になるとキルヒアイスは四葉の背中を軽く叩いて目を覚まさせた。

「……ぅぅ…」

「もう一度、所属と階級、姓名をお願いします」

「…………。同盟軍第13艦隊所属、大尉、フレデリカ・グリーンヒル。私を捕らえたあなたの所属は? 今なら穏便に済ませます。これを解きなさい」

 四葉の瞳が毅然として三葉の目を見ている。その目に恐れはなかったけれど、まだ自分の身体が10歳の女児だということには気づいていない様子だった。

「第13艦隊……ヤン艦隊の……グリーンヒル……」

 キルヒアイスは、すぐにヤンの副官だということに気づいた。他の艦隊ならば提督の名しか覚えていないけれど、ヤン艦隊ともなれば別だった。

「ヤン・ウェンリーの副官ですか?」

「………。……」

 やや迷い、フレデリカが決断した。

「そうです。あなたの名は?」

「………」

「見たところ女学生ですよね。なぜ、私を捕まえるのですか?」

「…………」

 今度はキルヒアイスが迷う、どう答えるべきか、答えないべきか、とても迷っている。

「ここは、どこですか? あなたの名は? さきほどの動き、明らかに訓練を受けていますね。どこの所属ですか?」

「…………」

「答えなさい」

 自分の方が年上の同性だと思っているからか、フレデリカの言い方が高圧的になる。キルヒアイスは、まだ迷っていた。ここが地球であり、西暦の2013年であること、この身体は宮水三葉ではあるが、実は帝国宰相ジークフリード・キルヒアイスであること、話してしまうリスクを考えると、やはり隠すことにした。

「今は言えません」

「………では、この星の名は? どこの星系ですか?」

「……………。………」

「このように連続して大きなクレーターができるような惑星を住処にしているということは、同盟にも帝国にも属さない勢力ですか?」

「………確かに、同盟にも帝国にも属さない勢力です」

「では、どこの星系ですか?」

「…………言えません」

「………私を、どうするつもりですか?」

「これから考えます」

「…………」

「一つだけ認識しておいてほしいことがあります」

「何ですか?」

「まずは鏡を見てください」

 キルヒアイスは女子のたしなみとして持っている手鏡をフレデリカに向けた。

「っ?!」

 やっとフレデリカは自分が自分でないことに気づいて鏡に映る四葉を驚きながら見ている。

「グリーンヒル大尉、あなたの身体は、あなたのものではありません。どうか、暴れて傷つけたりしないでください」

「………私の身体………どうして……なにが……どうなって……」

「混乱するのも無理もないことです。ですが、どうか落ち着いてください。元に戻る可能性は、とても高いものです。いえ、ほぼ必ず元に戻るでしょう」

「…………。そう言うあなたは何か知っているのですね。この状態……この現象について」

「……」

 キルヒアイスは嘘が苦手な性格のために沈黙で肯定してしまった。さらにフレデリカが畳みかけてくる。

「さきほど、あなたは私が同盟軍大尉であると名のったとき、とっさに取り押さえようとしてきた。この宇宙で同盟軍の一員に対して、そのような対応を取るということは、そして今も拘束しているということは、あなたは帝国軍の人間なのですね」

「………」

「さらに、私の身体が私自身でないことについても、元に戻ると断言された。ということは、この現象を体験しているということになる。あなたもまた今の身体が本来のあなたではない、ということでは?」

「…………」

 この聡明さ、やはりヤン提督の副官たるに相応しい人物というわけか、とキルヒアイスは感心したし、沈黙のためにフレデリカは問いに答えが無くても確信していく。

「あなたは帝国軍の一員で、この現象について、私よりは何かを知っている。きっと、この惑星が、どこの星系かも」

「………そうかもしれません……」

「あなたの本当の名は?」

「………ジークフリード・キルヒアイスです」

「っ…皇帝代行……帝国宰相の……まさか……そんなことを信じろと……」

「別に信じていただかなくてもけっこうですよ。自分自身でさえ、今の地位が信じられないくらいですから」

「………」

「人の運命というのは、わからないものだ……ままならない上に、考えもしなかったことが起こる………」

 そう言ったキルヒアイスは縛っていた四葉の両手を解いた。

「……なぜ…私を…」

「グリーンヒル大尉ほど物事を理解する人間であれば、今ここで私を害したところで、どうにもならないことも理解できるでしょう。縛ったままでは、その身体の持ち主が気の毒ですから」

「……」

 しっかりと縛られて髪紐の痕がついた四葉の手首をフレデリカは少し撫でた。立ち上がってみると、三葉と四葉の身長差は大きく、武器も無しに再び組み合っても、どうにもならないとわかるし、そもそも三葉の姿をして帝国宰相を名のる者を害したところで、何か益があるとも考えられなかった。

「………ここは、どこの星系ですか?」

「人類発祥の星、地球です」

「…………地球には、これほど頻繁に隕石が落ちたということは聞いたことが……」

「この地域だけの現象のようです」

「本当に地球だとしたら……いったい何千光年を瞬時に……」

「まったく神業ですね。これも良い機会なのかもしれません。とくに、あなたはヤン提督に近しい。彼に伝えてもらえませんか」

「……どのようなことを?」

「無駄な抵抗はせずに降伏してください、と」

「…………………」

 四葉の瞳には抵抗の意志が残っていた。たとえ圧倒的な戦力差があっても、信頼する上官であり敬愛する男なら、どうにかするかもしれない、という想いでもあった。

「伝えはしますが、私も抵抗が無駄だとは考えておりません」

「…………どのみち、今起こっていることも、終われば信じられないでしょうから、言ってしまいましょう」

「……」

「ラインハルト様が最期の皇帝になります。以後、世襲はされず帝国は議会を設置し、その政治的決定は民主制によって立つでしょう」

「…………」

「また、同盟占領は一時のことで同盟市民の人権も保障します。国権と領土も」

「………」

「イゼルローン要塞を含めた武力放棄、フェザーンが持っていた同盟への債権を帝国が継承すること、以上で帝国軍は同盟を去ります」

「………そんな甘い夢のようなことを信じろと?」

「今起こっていること、帝国宰相と同盟軍大尉が話したこと、すべて信じるも、信じないも、あなた次第です」

「…………」

「それに、この1500年、人類は悪夢のような時代を何度も過ごしてきました。とくに銀河帝国としての500年は、ひどかった。悪夢の最期に、甘美な夢があったところで帳尻は合うでしょう」

「…………」

「もっとも、死んでしまっては、元も子もない。だから、降伏してほしいのです。お願いします」

「……………お願い……されても……」

 フレデリカは四葉の頭を軽く振った。自分が疲れていて、おかしな夢を見ているのか、それとも現実なのか、わからない。わからないまま、気持ちを落ち着けるために目を閉じて深呼吸した。

 

 

 

 フレデリカが目を開けると、ヒューベリオンの艦橋が目に入ってきた。

「…戻ったの……それとも……白昼夢…」

 自分の頭を軽く振った。

「大丈夫かい?」

 ヤンが優しく問うてくれた。

「はい。……いえ、少し……おかしな……きっと、疲れているんです」

「無理もない……」

「私は何か、おかしなことを言ったりしていませんでしたか? 寝言のような……」

 ヤンだけでなくユリアンや周りの士官たちが自分に注目しているのでフレデリカは問うた。ヤンが顎を撫でながら答えてくれる。

「ふむ……寝言ではなかったね。有益な助言はしてくれたが」

「どのような?」

「降伏した方がいいとね。なかなか有益な提案ではあったよ」

「…………」

 フレデリカはメインモニターを見上げた。ハイネセンを守るヤン艦隊を半包囲するように6個の敵艦隊と移動要塞が重厚な布陣で近づいている。

「ビュコック提督は、うまく隠れていてくれる。けれど、こうも重厚な布陣だと伏兵で後背を突いたところで戦局は動かないか……一つ二つの別働隊があることも想定したような布陣だ。地の利が我々にあるのだから、用心は当然か……」

 同盟軍はハイネセン付近の宙域について悉知している地の利を活かして、救国軍事会議が救国民主会議へ改称されると同時に解放されたビュコックに依頼して別働隊を潜ませていたけれど、不意打ちが通用しそうにない防御に厚い布陣で帝国軍は接近してきている。ヤンはタメ息をついた。

「はぁぁ……たしかに降伏したくなるね。もしくは、ここを捨ててイゼルローンへ……いやいや、いっそ、このまま銀河の隅へでも逃げ出した方が、まだ可能性がありそうだ。もう一度、長征数万光年に挑戦するか、だ」

「閣下………もし、我々が降伏した場合、どのような処置が下されるでしょうか…」

「………。どうだろうね。それは敵さん次第だから」

「敵…………ジークフリード・キルヒアイス…」

 そう言いながらフレデリカは三葉の顔を想い出していた。あの少女なら信じたくなるけれど、モニターに映る移動要塞にいるだろう帝国宰相は平民の出から20代で帝国の頂点に登り詰め、今また宇宙の頂点を目指して攻めてきている。もしも、真に平和を望むなら、こんな遠征はしないはずだった。

 

 

 

 四葉は縛られた痕がある手首を撫でて、三葉の顔を見上げた。

「私の身体に何してくれたの?」

「すいません。同盟軍の方だったものですから一時的に拘束させていただきました」

「………和平が目的なのに……」

「すいません」

「……この分だと、簡単には終わらないかな。結局、戦力があるうちは降伏しないかも。……戦争って……本当に、どうしようもない……」

「あの……質問していいですか?」

「どうぞ」

「四葉も時を超えて入れ替わる能力があるのですか?」

「最近ね」

「また、さきほどの大尉と?」

「ううん、たぶん一回で終わり」

「そうですか」

「お姉ちゃん、うまくやりなよ」

 四葉は遠い銀河の向こう、そして1500年先へ向かって言った。

 

 

 

 三葉はヤンと対戦していた。シャフトが指向性ゼッフル粒子を開発したとき以上の情熱をもって計画予定より少し早く完成させた移動要塞はガイエスブルクからノイエ・ラインハルトと改称され、ハイネセンを目指して侵攻している。その周囲にはキルヒアイス艦隊を本隊として、アイゼナッハ艦隊、シュタインメッツ艦隊、ファーレンハイト艦隊、レンネンカンプ艦隊、ケンプ艦隊が布陣しており、ヤン艦隊と砲火を交えていた。

「あと少し……あと少しですよ、ラインハルトさん」

 三葉は移動要塞の司令室で、隣にいるラインハルトに声をかけ、その頬を撫でた。いまだラインハルトは生命維持装置につながり、はっきりとした意識は戻っていない。

「……ジーク……みんなで……」

「はい。そうですね。みんなで宇宙を手に入れましょう。あと少しですよ」

 作戦は三葉とキルヒアイスの想定通りに進行していた。イゼルローンを攻めているノルデンには無理をせず要塞主砲の射程距離外から、小惑星と指向性ゼッフル粒子で攻撃するよう言ってあり、参謀のメックリンガーが地道に実行してくれているようで双方に大きな被害は出ていないし、長期を要せば落城の可能性ありと報告を受けている。そして、目前のヤン艦隊との戦闘も、侵攻するノイエ・ラインハルトが誇る主砲の射程距離に入らないようヤン艦隊は後退しつつハイネセンを守り続けている。そのヤン艦隊を6個艦隊で半包囲しつつ、帝国軍の艦艇に損害を出さないよう防御を重視して遠距離攻撃していた。

「戦況は、いいね」

 三葉は手元のモニターで情報を確認して微笑んだ。まだヤン艦隊を1割と削っていないけれど、自軍の損害は大破3、中破12で轟沈は0だった。遠距離攻撃なのでヤン艦隊も損耗率が低いけれど、6対1なので補給と精神的な消耗は進んでいる。油断はしていなくても勝った気でいる三葉へ、オーベルシュタインが言ってくる。

「このまま勝たせてくれるほど、魔術師は無策ではないでしょう」

「それは、そうだろうけど………オーベルシュタインさんが同盟軍なら、どうしますか?」

「別働隊を隠しておき、呼応して攻撃したときに生じうる隙に乗じて白兵戦を挑み、新皇帝と宰相を亡き者とするか。もしくは機雷撒きながら逃走するでしょう」

「白兵戦か……けど、この要塞にいる私とラインハルトさんまで辿り着けるかな」

「無理でしょう。逃げるにしても、逃げるなら、とっくに逃げていたでしょうな」

「って、結局は無策ってことじゃない?」

「我々の思いつかぬ奇策を弄してくるのが、魔術師です」

「それは、そうだけど………」

 三葉はメインモニターを見つめ、キルヒアイスの手を伸ばした。

「別働隊……もし、いるなら……ここか……ここかも。オーベルシュタインさん、ここと、ここに強襲偵察艦を派遣して。それと同時にアイゼナッハ艦隊とレンネンカンプ艦隊に、もしも、ここと、ここに別働隊がいた場合、すぐに対処できる陣形を取るよう」

「はっ。……そのように命令される根拠は?」

「私の勘」

「……わかりました。すぐに手配いたしましょう」

 オーベルシュタインは三葉の命令を実行するよう伝令し、二つの艦隊もそれに従って動いた。

 一方でヤンは魔術をかけられたような寒気を覚えていた。

「なぜ、こちらの位置を……まだ索敵されるはずは……」

 ビュコックの別働隊だけでなく、アッテンボローに託していた小規模な別働隊まで看破されたように帝国軍が動き、もともと数において劣っている別働隊は活躍の機会さえなく後退をよぎなくされていく。

「これは、もう……どうにも……。魔術やペテンをかけられる側の気持ちとは、こういうものか……」

 胡座をかいてデスクに座っていたヤンは膝へ頬杖をついて視線を落とした。フレデリカが心配して声をかける。

「閣下……まだ負けたわけではありませんわ」

「そうだね。いつも自分がペテンをかける側とは限らない。たまには魔術としか思えないことをされる側にもなるのだろう。どこからか情報が漏れたのか、あるいは隠れ方に問題があったのか、後世の戦史研究家が明らかにしてくれるだろう。とはいえ、戦略的には絶対的に敵さんが有利なんだ。もう少し天の采配とやらが、こちらに傾いてくれないものか……いやいや、そんなものをあてにしては、もう終わりだな」

 それでも帝国軍からの攻撃は遠距離のみなので一気にヤン艦隊が瓦解することはなく少しずつ削られていく。再びアイゼナッハ艦隊とレンネンカンプ艦隊が半包囲の陣に参加してくる前にヤンは決断した。

「敵左翼の艦隊に対して強攻し、突破をはかる」

 まだ陣形が整いきっていないレンネンカンプ艦隊を狙った攻撃だった。ムライが懸念を述べる。

「ですが、それでは敵右翼に対して、まったくの無防備になります」

「ああ、わかっている。けれど、おそらく敵は自分たちの損害を嫌って、前に出る攻撃をしてはならないと命令されているのだろう。このさいは、これを利用させてもらう」

「なるほど、勝ち戦に臨む兵は命を惜しみますからな」

 ムライも頷いた。ヤン艦隊が乾坤一擲の攻撃をレンネンカンプ艦隊へ始めると、その勢いにヘルムート・レンネンカンプは美しく整えた髭の先を震わせて呻る。

「おのれ、悪あがきを…怯むな! 迎え撃て!」

 この命令を実直に実行する艦と、ヤン艦隊の勢いに押され、もともと三葉が戦死者を抑えるために攻撃よりも安全を重視して各個の判断で引いてもよいと訓示していたために後退する艦があり、レンネンカンプ艦隊の艦列が錯綜し、ますますレンネンカンプは髭を震わせたけれど、右翼にいたケンプ艦隊がヤン艦隊の後方を急襲してくれたので窮地を脱した。そのままケンプ艦隊はヤン艦隊へ突撃し、実に6割もの損害を与え、戦局は決定的となった。

 要塞司令室で三葉は憮然とした表情でオーベルシュタインに告げる。

「ケンプ提督に出頭させなさい」

「はっ。ですが、ケンプ提督の戦功は大きく…」

「出頭させなさい!」

「はっ」

 三葉は呼び出したケンプを司令室ではなく二人きりの執務室で迎えた。入室してきたケンプは手柄顔をしていたけれど、キルヒアイスの顔が険しかったので直立して敬礼した。

「ただいま参りました」

「ケンプ提督」

「はっ」

「まず卿が実に良いタイミングでレンネンカンプ提督の窮地を救ったこと。誉めておく」

 険しい物言いする三葉はキルヒアイスというよりラインハルトの雰囲気が強くなっているので、ケンプも相応に緊張した。

「はっ、ありがたきお言葉! 艦隊を指揮する者として当然のことをしたまでです!」

「いや、その当然のことが以前の帝国軍にはできていなかった。味方の窮地を救う、ごく当然のことなのに。同盟軍にしても以前は同じだった。あのホーランドを見捨てたビュコックだったか、今回も生き残るとは悪運の強い……それに比べて卿は助けるべきときに友軍を助けた。当然のことだが、よくやった。このことをもって卿の昇進は決定ではないが前向きに検討する」

 大将以上の昇進についてはキルヒアイスと最終的な打ち合わせをすることになっているので三葉は明言しなかったものの、ケンプは頬をほころばせた。

「おおっ…」

「だが」

 キルヒアイスの瞳に雷光が走ったような鋭い光りが宿り、ケンプを睨んで問う。

「2万8139、この数字が何かわかるか?」

「……………。はっ、我が艦隊の戦死者の数でしょうか」

 まだケンプは集計を目にしていなかったけれど、実感として艦隊に数%の損害が出ていることは知っていた。

「そうだ。この数字をどう思う?」

「………恐れながら、敵に与えた損害に比べ、軽微かと…」

「卿は会戦前の私の命令を覚えているか?」

「はっ、自軍の損害を出さぬよう遠距離からの攻撃にて敵を討ち減らせと」

「覚えていて、なぜ、敵艦隊へ突撃した?」

「………。絶好の機会であると判断したからであります」

「確かにチャンスではあったし、事実、勝利した。だが、勝ち急ぐことはなかったのだ。レンネンカンプを救った後は突撃などせず、距離をとったまま攻撃していれば、敵に与えるダメージも半減したであろうが、我が軍の損害は、ほぼ無かったであろう。そうすれば2万8139人は家に帰れた。反論はあるか?」

「……………。いえ、ありません」

「歯を食いしばれ」

 そう言って三葉が近づいてきたのでケンプも叩き上げの軍人として覚悟した。

 ガッ!

 キルヒアイスの拳がケンプの頬を打つと、体格に恵まれたケンプでも倒れた。

「立て」

「はっ」

 すぐにケンプは立ち上がって直立不動となる。その目前に三葉も立ってケンプを見る。

「次は卿が私を打て」

「……は? ……今、なんと?」

「人を殴ったのだ。殴られる覚悟はある。次は卿が私を打て」

「で…ですが…」

「私にもミスはあった。各個に判断して引いてもよいなどと訓示したために、レンネンカンプの艦列は乱れ、万を超える者が死んだ。そのうちの大方は私の責任であろう。この責任を問うに、今私に殴られた卿が適任であると私が命じる。私を殴れ!」

「………」

「男なら迷うな! 手加減するな! 早くしろ、ケンプ!」

「はっ!」

 ガッ!

 男としてケンプも三葉を殴った。キルヒアイスの身体でもケンプに殴られると、倒れたけれど、すぐに立ち上がってケンプを見つめる。

「よくやった。レンネンカンプを救ったことも、被害が出たとはいえ、ヤン艦隊を討ったことも、実に、よくやった」

「はっ! ……」

 ケンプが涙ぐむので三葉は微笑して言う。

「いいパンチだった」

「閣下もです。効きました」

「フ、そろそろハイネセンが主砲射程に入るだろう。この長い戦争の最後を要塞司令室から見ていくか?」

「はっ、お供させていただきます!」

 三葉はケンプと要塞司令室に戻る。オーベルシュタインは二人の頬が腫れているのに気づいたけれど何も言わず状況報告だけする。

「要塞がハイネセンの衛星軌道に入り、減速して衛星として周回し始めております。主砲射程にも捕らえております」

「降伏勧告はしている?」

「再三いたしておりますが、いまだ返答はありません」

「結局、力を見せつけないとダメか。何千年経っても進歩のない……主砲ノイエ・ラインハルト砲準備!!」

「「「はっ、ノイエ・ラインハルト砲準備!」」」

 旧ガイエスブルク要塞のガイエスハーケンが準備され、ハイネセンへ向けられる。

「大陸をさけ、船舶が航行していない海洋を狙いなさい!」

 非戦闘員に死傷者が出ないよう海洋を狙わせた三葉が命じる。

「ファイエル!」

 大出力の主砲がハイネセンの海洋を撃つと、軌道上からでも大規模な水蒸気爆発が起こり、プラズマと雷雲が入り乱れ、巨大な津波が生じているのが、わかった。舞い上がった海水と水蒸気でハイネセンの広い地域が覆われ、おそらく地上では暗闇になっていると思われた。

「おおっ…これほどとは……」

「こんなに……これって環境が…」

 ケンプは感動しているけれど、三葉は少し後悔してオーベルシュタインに問う。

「この主砲の威力で惑星を撃ち続けると、居住環境に与える影響は、どうなる?」

「おそらくは、あと2射もすれば氷河期のような状態になるでしょう」

「………。それってヴェスターラント並みに、ひどいことでは?」

「そうですな。今の一撃もまた歴史に残るでしょう」

「さらっと……言う……」

「第二射を準備させますか?」

「………新同盟政府と通信を開きなさい」

「彼らは、いまだ代表も定まらぬ様子……いえ、今、決まったようです」

 オーベルシュタインが決まったばかりの政府代表となったホワン・ルイとの通信をつないだ。

「……」

「……」

 ルイと三葉が通信画面越しに顔を合わせた。

「はじめまして。皇帝代行のジークフリード・キルヒアイス帝国宰相です」

「……はじめまして。自由惑星同盟政府代表代行のホワン・ルイです」

 ヤンから獲得票を移譲されたルイが最大票数獲得者として代表に就任する流れになっていたけれど、ルイ本人も悩み、また選挙そのものの合法性にも瑕疵があるかもしれないので結局は代表代行という肩書きになっていた。

「あなたも代行ですか。ルイさん」

「ええ、宰相殿とは流れが違いますが。不本意ながら務めております」

「不本意なのは私もです。ですが、お互いの仕事を進めましょう」

「そうですな」

 どちらも代行だったけれど、どちらも実質的には国家を代表する権限を持っていて、ルイの顔は内心の動揺を隠しきって三葉を正視している。むしろ、三葉の方が少し緊張を顔に出しながらも余裕をつくって問う。

「そちらでも要塞主砲の威力は実感していますね?」

「………。有人惑星に対して、あまりな攻撃、どうか、差し控えていただきたい。市民の一部ではパニックも生じています」

 ハイネセンの地表からは巨大な移動要塞が視認でき、しかも主砲の威力は絶大で、その圧倒的な光景は市民を恐怖の底へと落としていた。ルイは額の汗が流れるのを拭かずに三葉を見る。

「もし、居住地域へ撃たれるのであれば、一方的な虐殺として断固抗議申し上げる。環境破壊も甚大で、この星が住めなくなる恐れもある。どうか、ご理解いただきたい」

「では、同盟軍の無条件降伏および同盟政府の降伏を求めます」

「………。……」

 ルイが迷っているので三葉は通信画面に向かって拳を向けた。

「次は主砲でなく、この要塞をハイネセンへ落とします」

 そんな予定も準備も無かったけれど、はったりとしては十分な威力があった。巨大な人工天体がハイネセンへ隕石のように落下してくる光景がルイの脳裏に想像され、汗が流れた。帝国の内戦では惑星上で再び熱核兵器が使用されたとも聞いている。そのこともルイの思考に影響を与えていく。

「……それでは全滅……」

「降伏を」

「…………」

 それでもルイは食い下がった。

「宰相殿は、さきほど同盟軍には無条件降伏と言われたが、同盟政府には、ささやかな条件が望めますでしょうか?」

「言ってみなさい」

「………。国民の安全と人権の保障を願います」

「よろしい。保障します」

「……………あっさりと言っていただきましたが、そのお言葉、信じますぞ」

「ええ、この通信記録をもとに降伏文書を作ります。では、降伏を」

「………わかりました。我らが同盟政府と同盟軍は、ここに降伏いたします。同盟軍は無条件に。同盟政府は国民の安全と人権が保障されることを条件に、降伏を受諾するものである」

 ルイが宣言し、同盟政府と同盟軍は降伏状態になる。残存していた艦艇も降伏に従い、遠くイゼルローン要塞でも開城されている様子が超光速通信で確認でき、ノルデンが通信を送ってきた。

「楽な仕事でしたよ。ははは」

「戦死者は出ませんでしたか? 誰か命令無視して突撃したりとか」

 三葉が問うと、ノルデンは手元の報告書を見てから答える。

「メックリンガー画伯が、よく統括してくれましたからな。計画通り敵の射程距離には一度も入っていませんぞ。ただ、小惑星を加速する工作中の事故で数名が戦没しておりますな」

「そう……何百万単位で人が動くと事故は避けられないか……。ありがとう、ノルデンさん」

 通信を終え、着々とハイネセンへ降下していく帝国軍の艦艇を眺めると、三葉はラインハルトの手を握った。

「ラインハルトさん……今、宇宙を手に入れましたよ。完全に、すべて私たちのものです」

「……ジーク……みんなで……」

 うっすらとラインハルトは目を開けたけれど、視覚を認識しているのか否かはわからない。少し発熱しているようで顔が赤かった。三葉は胸に痛みを覚えながらも微笑んだ。

「そう、みんなで宇宙を手に入れて、万々歳です。………ラインハルトさん…」

 倒れ伏したままのラインハルトの美しい顔を見ていると、三葉は今現在は男の身体であることも忘れて、キスをして起きてくれないか試してみたくなったけれど、キルヒアイスの唇でそれをすると周囲が、どういう反応をするか予想でき、また自分の女子としての相手も瀧一人なんだと想い直して、ラインハルトの髪を撫でるだけにした。

 

 

 

 キルヒアイスはラインハルトと二人きり、そっと声をかけた。

「とうとう宇宙を手に入れましたよ。ラインハルト様」

「……ジーク………みんなで……」

「はい。皆で。ラインハルト様とアンネローゼ、私と、三葉さんも」

「……ジーク………みんなで……」

「ラインハルト様………お目を覚ましてはくださらないのですか……。ほら、宇宙が、ここに」

 キルヒアイスは三次元モニターに映る銀河を指したけれど、ラインハルトは反応しなかった。

「………ラインハルト様……」

 宇宙の覇者になったのに、喜びよりも悲しみで胸を満たしたキルヒアイスは少しだけ泣いてから、山積している占領事務に没頭することで悲しみを忘れるようにした。

 

 

 

 三葉は実感を込めて自分の唇で言った。

「終わった………やっと終わらせた」

「お疲れ様、お姉ちゃん」

「私の責任だからね、ティアマト彗星落下で犠牲者を出して、その後に核戦争、宇宙戦争、どんどんと悲惨な歴史の糸を紡いでしまったのは、私の責任。だから、私が終わらせないといけなかった」

「うん、本当にお疲れ様」

「さてと、あとは私の受験勉強を頑張らないと。………私のせいで瀧くんが就職できないってホント?」

「まあね、だいたい、どの世界でも彼は就職活動に失敗するよ。もともとの素質もあるかもしれないけど、高2のときの体験が心の奥に引っ掛かって受験も就活も、どんどん下降ライン」

「………この世界でも? キルヒアイスと私が入れ替わった、この世界の瀧くんと私は入れ替わらないでしょ?」

「この世界では中2のときに突然現れた宮水三葉との一夜のトラウマが彼を下降ラインに引き下ろすよ」

「…………私って悪い女?」

「迷惑なことは確かだよ。責任とってあげなよ」

「取る取る娶る! ばっちりお婿さんにしてあげる!」

「がっつくと、また失敗するから、私がいいって言うまで、おあずけだよ」

「う~……いいもん、仕事を頑張るもん。公務員になって養ってあげるもん」

 そう決めた三葉は防衛大学校の赤本に向かった。

 

 

 

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