「君の名は。キルヒアイス」方向性修正版   作:高尾のり子

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第9話

 

 キルヒアイスは糸守高校の修学旅行で広島県にあるホテルの一室でトランプを持っている状況が目に入ってきた。

「………」

「もしもーし? 三葉ちゃんの番だよ? 聞いてる?」

 早耶香が覗き込んでくる。

「あ……はい……すみません。何ですか?」

「だから、三葉ちゃんの番」

「…はい………すみません。何のゲームをしていたのですか?」

「半分寝てた? もう12時だもんね」

「……」

 時計を見ると12時なっているので、三葉が同室の女子たちと談笑しながら日付を越えたのだと認識した。

「はい、少しうとうとしていたようです。申し訳ありません」

「………モードチェンジしてる……まあ、いいや」

 早耶香が持っていたトランプを放り出して、お菓子を食べてノンアルコールのビール風味飲料を飲んだ。他の女子が言ってくる。

「そろそろ本題に入ろうよ」

「え~……このモードに入った三葉ちゃんって本心隠してる感じがしてイヤだなぁ」

「……すみません……。本題とは何でしょうか?」

「ほら、こうやってトボける。修学旅行の夜にする話って言ったら恋話に決まってるのにさ」

「恋………」

 克彦とアンネローゼの顔を想い出してしまった。もう、この身体にいるときは女性として振る舞うことが当然になっていて、乙女のように頬が熱くなるのを感じた。

「三葉ちゃんとサヤチン、ずっと戦争状態だもんね」

「「………」」

「で、どっちが優勢なの?」

「「…………」」

 早耶香がポッキーを囓り、三葉の手が明らかに自分の分という場所に置いてあったビール風味飲料を取って一口飲んで様子見する。

「サヤチンも本心隠してるじゃん」

「劣勢だからよ!」

 早耶香が三葉の首にヘッドロックをかけてきた。豊かな胸の膨らみを後頭部に感じて少し困惑する。今は同性だと感じているけれど、この柔らかさを自分が感じていていいのだろうかという軽い罪悪感はある。

「うっ……サヤチン……何を…」

「こいつめ、テッシーから告白されたって言うの!」

「それ、劣勢じゃなくて、もう敗戦じゃん」

「まだ付き合ってるわけじゃないし、諦めなければ可能性はあるもん!」

 ますます早耶香が腕に力を入れてくるけれど、敵意は感じない。ほのかな親しみの情を覚えて、されるまま身を任せていく。

「サヤチンはわかったからさ。三葉ちゃんは、どう想ってるの?」

「私は……」

 話しやすいように早耶香が腕の力をゆるめてくれた。

「……これまでのように三人で仲良くしていきたいと思っております」

「なんか、模範解答だね。誰かに言わされてるみたい。じゃあ、次の人」

 もう三人の煮詰まらない関係に飽きられたのか、次の女子へと話題が移り、順繰りに恋の話をしていくうちに朝の4時になった。全員、寝るつもりがないようで新しいお菓子を開け、ジュースを回している。それでも、少し話題が無くなってきたタイミングがあり、訊きたいことがあったので口にした。

「もし、みなさんが恋をしていない相手と結婚することを強制されたら、どうお感じになりますか?」

「何それ? 普通にありえないでしょ」

「ですから、もしも、の話です」

「断るか逃げるか、するんじゃない?」

「断れず逃げられなければ、どう感じますか?」

「いやいや、それ犯罪じゃん」

「……。犯罪にならず、たとえば相手が大きな権力を持っていた場合などで結婚を強制されたときの話です」

「お金持ちってこと?」

「はい、そういう場合も含めてください」

「う~ん……お金かぁ……迷うかもしれないけど、やっぱり相手によるかな。いい人そうだったら、結婚してもいい」

「こちらは相手のことを選べない場合です」

「……それ、死ぬほど苦痛なだけじゃん」

「やはり……そう思いますか……。もし、そんな生活が10年も続いたら、どうでしょう?」

「諦めて慣れるかもしれないけど、頭おかしくなって精神病にでもなるんじゃない」

「………」

「え、なに? 三葉ちゃん、変なお見合いでも強制されてるの?」

「いえ、私の話ではありません」

 そう言ったわりに自分のことのように悲痛な顔をしているので周囲が心配になる。また、早耶香がヘッドロックをかけてきた。

「明らかに今のは何か実話に基づいて質問してきたよね?」

「ぃ、いえ……たとえばの話です」

「みんなも訊きたいよね」

「訊きたい訊きたい」

 そう言って他の女子たちが三葉の手首や足首を押さえてくる。布団の上に大の字に寝かされ、手足の自由も奪われた。

「拷問係、お願いします」

「フフフ」

 女子の中で、そのテクニックと同性愛傾向でやや恐れられている水泳部の女子キャプテンが指を鳴らして近づいてくる。脱ぐ必要性は不明だったけれど、浴衣を脱いで下着姿になると水泳部らしい筋肉が見えた。

「よく聴きなさい」

 そう言って三葉の眼前に指先を見せてくる。

「私の指は、とっても、くすぐったいの」

「………」

「ほら、こんな風に」

 指先が三葉のわき腹に触れてきた。

「っ…うっ…」

「ね? くすぐったいでしょ」

 三葉の耳元に囁いて息を吹きかけてきた。

「さ、言ってごらんなさい。とっても、くすぐったい、って」

「……言えばよろしいのですか…」

「ええ、言って」

「……と…とても、くすぐったい…です」

「じゃあ、もう一度いくわね」

 素直に言ったからと容赦してくれるわけではなく今度は三葉の腋に触れるか触れないか、そっと指先をあててくる。

「っ…くっ…うくっ…」

 三葉の唇が笑いそうになって、頬が真っ赤になる。

「ほらほら、つん、つん」

「…うっ…あはっ! あはははあっはは! ひっ、イヤ! やめて! ひっ、あはははきゃははは!」

「ほら、言いなさい。とっても、くすぐったい、って」

「ひっはひっ、とっとっても、くすぐっ、きゃははははは! イヤひひっ、あははあはっはは!」

 言わせることで、くすぐったさを激増させる暗示をかけたうえで緩急をつけて指先を動かしてくる。

「さあ、どこまで耐えられるかしら」

 そう言って他の女子に目線で指示すると、三葉の足の裏や内腿、首筋や耳の裏まで、くすぐってくる。ほんの数分が数時間に感じられるような拷問を受けた。

「ハァ…ハァ…ひっ…ハァ…」

 笑っているのに泣きそうになって、やっと解放された。

「話す? それとも、もう一回?」

「………は……話せないこと……なのです。どうか、お許しください」

「そっか。もう一回、楽しませてくれるのね。私を失望させないでくれて、ありがとう」

 二回目は、さきほどの3倍も続けられて、もうぐったりと動けなくなるほど笑わされた。

「…ハァ………ハァ…………」

「さ、どうする? 話す? それとも3回目に挑戦する? 前に3回目をした子は、おしっこ漏らして泣いちゃったから、そこまではイジメになる気もするし、やめたいような、やりたいような。さ、どうする?」

「……は……話します…」

 もう三葉の身体が壊れそうだったので、アンネローゼとラインハルト、そして自分のことを欧州の小王国での出来事で三葉とは遠い遠い親戚ということで話した。聞き終わった女子たちが重い沈黙に包まれる。一人が口を開いた。

「………一日も早く助けてあげられるといいね…」

「その前にアンネリーゼさんの心が壊れてしまわないといいけど…」

「三人は離れていても、お互いの存在が心も、社会的な意味でも支え合ってると思うなぁ」

「どういう意味?」

「だってさ、お互いが居るから自暴自棄にならないでしょ。社会的にも王妃の弟って立場だと、貴族たちにしても目立つ方法では抹殺できないし。お姉さんの存在がラインラットさんとキルヒマウスさんを守ってもいると思うの。もちろん、その逆も」

「けど、女の子にとって15歳から25歳までって一番楽しい時期なのに……悔しいよ! そんなのってない! その国王、殺したい。クーデターでも起こって死んじゃえばいいのに」

「うん、一日も早く解放されてほしい。ね、三葉ちゃん、私たちに協力できることってないの?」

「お気持ちだけで十分です。ありがとうございます。みなさまのお話を聞けただけでも、とても気づかされておりますから」

 ずっと不敬罪を恐れてラインハルトとしか、この話はしておらず、両親にさえ相談したことはない。それを大っぴらに、しかも女性に相談することができて見解を知ることができたのは幸いだったし、やはり一日も早く解放したいと誓い直した。気がつけば、朝日が昇ってきている。

「朝だねぇ。完徹したねぇ」

「朝ご飯、何時からだっけ?」

「7時だよ。まだあるね」

「お風呂いかない? 6時から開くはず」

「行こう行こう」

「……」

「三葉ちゃんもおいでよ」

「くすぐられて、たっぷり汗かいたでしょ」

「いえ、私は遠慮いたします。後片付けをしておきますから、みなさん楽しんでらしてください」

 そう言って徹夜の女子会の後片付けをして全員で朝食を摂り、バスで大和ミュージアムへ移動した。メインの展示物である戦艦大和の10分の1模型を見ると、穏やかな貴婦人としての振る舞いが少し崩れて、少年のように戦艦を見つめて三葉の瞳を輝かせた。

「火薬式の砲と、火力ボイラーで、これほどの戦艦を造り上げるなんて……」

「三葉、こういうの好きか? オレは好きだけど」

 克彦をはじめ男子は、やはり喜んでいるけれど、女子の反応は薄い中、はしゃいでいるので目立った。

「だって、これレールキャノンではないのに、重力下で46キロ先まで到達するのですよ。すごい」

「レールキャノンなんて言葉よく知ってたな」

「ぇ……」

 うっかり徹夜明けの頭で余計なことを口にしてしまい焦ったけれど、克彦は感心しているだけだった。

「レールキャノンも、そろそろ実用化されるかなぁ。大きな戦争でもあれば、その必要性もあるのかもしれないけど」

「そんなこと起こらなければよいですね」

 この後の地球の歴史を思い出して、はしゃいでいた気持ちが一気に落ち込んだ。昼食のお好み焼きを食べて、原爆資料館を巡ると、落ち込んでいた気持ちが地の底まで沈んだ。

「……はぁ………はぁ……」

「三葉ちゃん、大丈夫? 鳥肌、立ってるけど」

 早耶香が心配してくれたので笑顔をつくろうとしたけれど、冷や汗が流れただけだった。

「…だ……大丈夫です………いえ、その……展示物の……ショックが……大きすぎて…」

 何度も戦場を巡ってきたけれど、艦隊戦で死体を見ること無い。地上戦でも、そこで見るのは兵士として不本意ではあっても死地に赴く覚悟を大なり小なりしてきた戦闘員の死体であって、子供や女性がいる市街地、むしろ本土に残っていたのは非戦闘員が多かったのに、そこに落とされた熱核兵器の惨状を見ると、足がすくんで早耶香と克彦に両方から支えられるようにして歩いていた。

「……はぁ……」

「三葉、気分が悪いんやったら、もう途中でやめるか? 別に、全部見んでもええやろ」

「そうよ。顔色、すごい悪いよ」

「いえ……きちんと、すべて……。……テッシーとサヤチンは、平気なのですか?」

「いや、まあ、気分のええもんやないけど、こういうの見慣れたというか」

「なんのかんので、よく見るからね。8月とかテレビでも、やりまくるし」

 小学生の頃から平和教育の名のもと日教組が宗教的な熱心さをもって主導する戦争の悲惨さを何度も見てきた二人に比べて、幼年学校では帝国軍の精強さと、かつての戦功や英雄について教えられるばかりで、ラインハルトに言わせれば、なぜそれほど精強な帝国軍が百年かかっても叛乱軍を覆滅できないのだ、とつっこみを入れられるような戦争観の教育しか受けてこなかった。おまけに克彦と早耶香は戦場と死など自分とは無縁の遠いことだと確信しているのに比べて、死も戦場も我がこととして捉える感性の差は巨大だった。

「……はぁ……ぅぅ……」

 奥へ進むほど展示物のインパクトは大きくなり、三葉の胃が痙攣してきた。

「……ぅ…」

「吐きそう? トイレ行く?」

「……」

 口を押さえて頷いたときには限界だった。三葉の唇から嘔吐物が流れ出て床に拡がった。お好み焼きだった物が、三葉の唾液と胃液が混じった状態で出てくる。

「ハァ…ハァ…うぅ…すみません…ごめんなさい…」

 施設の係員がバケツと雑巾を持ってきた。申し訳なさそうに謝るのに、かまいませんよ、とショックを受けてくれたことが、むしろ教育効果を出せて嬉しいというような表情で片付けてくれる。

「三葉ちゃん、トイレに行こう」

「はい……」

 早耶香に手を引かれて女子トイレで顔と手を洗ったけれど、顔色は悪いままだった。徹夜のせいもあって目に隈ができてるし、全体に青白い。それでも自滅的な義務感で館内を最後まで巡った。ユキちゃん先生も感受性の強い生徒がショックを受けることは想定していたので優しくフォローしてくれたものの、展示物の印象が頭に残って消えないまま、広島駅から東京駅まで新幹線で移動し、ディズニーランドに近いホテルで眠った。

 

 

 

 ハンス・エドワルド・ベルゲングリューン大佐は、したたかに酔っていた。わずか2000隻のキルヒアイス艦隊の旗艦で通路を歩きながら、酒瓶をあおっている。

「酔ってるな、ベルゲングリューン」

 フォルカー・アクセル・フォン・ビューロー大佐が注意しても、また酒をあおる。

「ああ、酔っているさ。前回、失敗したときより数が少ないんだぞ」

「だからこそ…」

「た、大佐」

 三葉が二人に声をかけると、ビューローは敬礼してくれたけれど、ベルゲングリューンは睨んできた。三葉の隣にいるノルデン少将が咳払いしても無視だった。

「こ、これから作戦を説明します……」

 酔ってるよ、このオジサン、ありえないでしょ、作戦前に、なんで、こんなに規律が乱れてるわけ、と三葉は強い不安を覚えつつも、なんとか平静な顔を保って四人で艦橋へ向かう。ベルゲングリューンがアルコールの匂いをさせて近づいてきた。

「小官は作戦より全体の数の方に問題があると、愚考つかまつりますが!」

「と、とにかく、これを見てください」

 艦橋へ入って三葉は作戦を説明する。キルヒアイスの指が自信なさげにメインモニターを指した。

「工作艦ばかり、こんなに並べて、、どうしようと言うんですか」

「ま、まず、シュムーデ提督が前回敗北された状況を振り返ります」

 三葉はキルヒアイスが残してくれた日本語混じりの作戦書を読む、もう三葉もドイツ語を読み書きできるけれど、今は機密保持のために日本語を使っているのだった。

「カストロプ公は説得に出向いたマリーンドルフ伯と、その令嬢を捕らえているばかりか、帝国に反旗を翻し、マリーンドルフ領へも、その妹が5000の艦隊を指揮して侵攻していましたが、シュムーデ提督は私兵艦隊を無視してカストロプ本領の惑星ラパートを突くと見せかけ、慌てて戻ってきたところを迎撃するおつもりだったようです。しかし、逆にラパート星に配備されていたアルテミスの首飾りへ追い込まれる形となり壊滅しました」

「それを、たった2000隻の艦隊で、どうしようというのです?!」

 あまりに頼りない雰囲気が漂っているのでベルゲングリューンは三葉から作戦書を奪い取った。

「こ…これは……いったい、何が書いてあるのです?!」

 日本語なので、まったく読めない。

「返してください。機密保持のため特殊な記号を使っています。私にしか読めません」

「………」

 不承不承でベルゲングリューンが作戦書を返した。

「まず、アルテミスの首飾りはゼッフル粒子によって無力化します。さいわい、微弱ながら引力がありますから、昨日のうちに散布されています」

 住民がいる惑星へ影響させずに軌道上の衛星のみを破壊するためにゼッフル粒子を散布するのは、名人芸といっていいほどの巧妙さを要するけれど、すでに完了している。その分、作戦を延期することはできず、明日にするわけにはいかなかった。

「次に、敵艦隊ですが、我々を待ちかまえるように正面にいますから、これに正面から接敵します」

「正面からっ?! 2000で5000にですかっ?!」

「最後まで聞いてください。接敵寸前に後退します。当然、相手は追ってきます」

「でしょうな」

「この追ってきた敵へ、横から小惑星を複数個ぶつけます。この小惑星にはワルキューレを隠してありますし、ワルキューレを隠していない小惑星は敵陣内で爆発するよう仕込みがしてありますから、敵艦隊は混乱に陥るでしょう。そこで後退をやめ、前進し敵中心を突きます。相手は5000といっても士気の低い私兵です。これで勝てるでしょう」

「…………たしかに、その作戦なら……可能性は…」

 ベルゲングリューンが作戦を聞いて、少し納得したけれど、それでも不満そうに通路へ出ると、酒瓶をダストシューターに捨てた。

「まだ半分以上残ってたんじゃないのか」

 心配して追ってきたビューローが言い、ベルゲングリューンは憤然とする。

「あの頼りない司令官を見たか?! 作戦を説明するのに手が震えていたじゃないか! 声だって震えていた! 昨日までは冷静だったが、いよいよ戦場に着て怖くなったって顔だぞ!」

「……」

 ビューローも否定できないので黙っている。

「あんな頼りない司令官のもとで酔っていたら、うまくいく作戦も失敗する! だいたい、どうして同格で先任のノルデン少将が戦闘技術顧問でついてくるんだ?! イゼルローンの失敗を忘れたのか?!」

「そのことだがな、昨日、キルヒアイス少将はオレにも、もしも自分が明らかに間違った戦闘指揮を執った場合は、かなり強い口調で反論してほしいと言った。どんなに強く進言しても、あとで罰したりしないから遠慮無く言ってくれと。むしろ、なるべく優しく言ってくれる方が、きっと素直に聞くとまで言われた」

「はぁ?! なんだ、それは?!」

 怒りながらベルゲングリューンが歩いていく。

「どこへ行くんだ?」

「タンクベッドで一眠り! 酒を抜くのだ!!」

 激怒しながらタンクベッドに入った寝顔を見ていると、ビューローは司令官が頼りになろうがなるまいが、どのみち戦闘前にはお互い死にたくないので僚友は酒を抜いたのではないかと思ったけれど、もう言っても詮無いことなので艦橋に戻って作戦開始の準備をする。しばらくしてベルゲングリューンが無言で艦橋へ入ってきて手伝ってくれた。すべての準備が整い、無駄とはわかっていても降伏勧告をする。

「すーっ…はーっ……」

 三葉が深呼吸をして気持ちを整えていると、ノルデンが背後に立ってキルヒアイスの肩を優しく叩いてくれた。

「そう緊張せず。どうせ、こちらが何を言っても降伏などしやしないでしょう。好きなことを言ってやればいいんですよ。しょせん、ヤツらは逆賊。滅びるのみです。はははは!」

「はい、ありがとうございます」

 おかげで少し緊張が解け、三葉は通信をオンにする。ノルデンも、そのままカメラに映るキルヒアイスの隣りに立って、必要以上に胸を張る。通信にカストロプが応答したので三葉が名乗る。

「ジークフリード・キルヒアイス少将です。マクシミリアン・フォン・カストロプに対して降伏勧告します」

「ほお、最近では女のような顔の若造が司令官になれるのか。貴族でもない身でどうやって取り入った? スカートが似合いそうだな、そっちか?」

「………」

 なんでギリシャ風なんだろう、と三葉は固まった。通信スクリーンに大きく映し出されたカストロプは細身で長髪のハンサムと言っていい顔立ちの男性だったけれど、着ている服は古代ギリシャ風だった。背景に見える建物の内装もギリシャ風だし、使用人たちもギリシャ風の服装をしている。帝都オーディンが中世風だったのも驚いたけれど、今回の驚きはより大きい。

「……」

 私も祭りの日には巫女服を着て舞うんだし、なにか儀式でもやってたのかな、と三葉は思い直して降伏勧告の答えを確認しようとする。その前に、カストロプが言ってきた。

「そんなところにおらず降りてこい。こうやってかわいがってやるぞ」

 ジャラ…

 カストロプは10歳くらいの少女を、あられもない姿にした上で首と両手に輪をかけて鎖でつないでいた。手錠と違い、結局のところ鎖が長いので両手の自由はあるようだけれど、いかにも奴隷であるという雰囲気を出すための装飾的な拘束で趣味の悪さを感じる光景だった。四葉と同じくらいの年頃の少女が涙を流しているし、そんな少女が10人くらいいて、さらに伯爵令嬢のヒルダまで同じ姿にしていた。

「………」

「いいものを見せてやる。もともとヒルダは歳だから要らんし、他のにも飽きたからな」

 そう言うと使用人に命じてヒルダたちを闘技場へ追い込むと、十数頭の猟犬をけしかけた。この猟犬というのがDNA処理によって頭部に円錐状の角をもつようになった有角犬で、無防備な少女たちは追い回され、身体を角で突かれている。もともと犬は強く噛みつくことで攻撃力を発揮するように何十万年もかけて進化してきたのに、小さな角で突くよう訓練されて攻撃力が乏しい、貴族権力の散文的な一面を象徴するイマイチな獣だったのだ。攻撃力が弱い分、すぐに致命傷とならず長く追い回されることになる。逃げまどう少女たちを守るようにヒルダが猟犬たちに立ち向かっているけれど、素手で複数の猟犬にかなうはずもなく、その美しい瞳が角に抉られ、悲鳴をあげるのを見たキルヒアイスの顔が怒りで真っ赤になった。

「この変態公爵!! 全艦! 最大加速!」

「ふわははははは! 来るがいい!」

 明らかに挑発だったけれど、作戦でも前進する予定なのでキルヒアイス艦隊が進む、そしてアルテミスの首飾りの射程範囲に入った瞬間だった。

 ふわっ…

 宇宙空間なので衝撃波が来るまでは音は聞こえないけれど、光りの輪がラパート星を囲んだ。

「なんと見事な……」

「お見事……」

 名人芸を通り越して、大きな重力のある可住惑星の表面上にいる住民たちに一切の被害をおよぼさず、しかも首飾りの射程距離圏外から、軌道上の微弱な重力しかもたない人工衛星だけを爆破する神業的なゼッフル粒子の仕込み方に、ベルゲングリューンたちは息を飲んだ。これはこの人にしか再現できない、この人ならイゼルローンさえゼッフル粒子で攻略するのではないか、とビューローたちが心から尊敬していると、作戦予定よりも前進速度が速いので敵艦隊との距離が詰まってくる。

「なんだ?! 何が起こっておるのだ?! ええい、首飾りは無敵ではなかったのか?!」

 まだ通信がつながっているカストロプが激しく動揺しているけれど、妹の艦隊のことは覚えていた。

「エリザベート・フォン・カストロプ提督! ヤツらを生かして返すな!!」

 妹のことをフルネームで呼んだカストロプが命じると、敵艦隊から通信が送られてくる。

「名門カストロプに、わずか2000隻の艦隊でたてつくとは愚かなことよ」

 兄と同じく自己顕示欲が強いようで、わざわざ戦闘前に顔を見せてくれたけれど、ぽっちゃりとした中肉中背の女性で二重顎だった。顎の肉を震わせて命令してくる。

「全艦前進! 砲撃戦用意!」

「砲撃戦用意!」

 三葉が対戦準備を命じると、ベルゲングリューンが通信の送信を切ってから異議を唱える。

「閣下っ! 予定と違います! すでに速度が出すぎていますから、もう後退をお命じになりませんと!」

「………。このまま前進!」

「閣下っ!」

「閣下、ご予定では後退して小惑星を突入させ敵艦隊の混乱を誘うはず、ここは一つ冷静になってください」

 ビューローが優しく進言してみても、三葉は命令をかえない。

「このまま前進」

「閣下!! なりません!!」

「我らは、わずか2000! 正面からぶつかって勝てる相手ではありませんぞ!」

「あれを見ても、なんとも思わない?!」

 三葉が通信スクリーンを指す、そのスクリーンでは、いまだカストロプの闘技場の様子が送信されてきていて、有角犬たちに襲われているヒルダと少女たちが映っている。ヒルダは少女たちを統率して、より小さい歳の子を中心にして守り、自分と身体の大きめの少女たちで円陣を作って防御しているけれど、その分、どんどん背中を刺されていた。

「あれは敵の罠です!!」

「挑発にのってはいけません!!」

「女の子を守れない軍隊に存在価値なんてない!!」

 一つの真理を口にした。

「後退していたら、間に合わないから!!」

 三葉がキルヒアイスの手をあげ、前へと振り、命じる。

「ファイエル!!」

 すでに、お互いの射程距離に入ってしまい砲撃戦になった。双方前進していたので近接戦闘になる。ベルゲングリューンが苦い顔でつぶやく。

「くっ…これでは後退しても遅い……もうダメだ…」

「ノルデン少将さん! ホーランドアタックの準備を!」

「了解! 全艦へ通信! 戦術コンピューターの回路Hを開くよう!」

 二人は事前にコンピューターへ仕込んでおいた戦術を展開する。

「「ホーランドアタック開始!!」」

 キルヒアイス艦隊が、さながらアメーバのように速度と躍動性にすぐれた艦隊運動で敵艦列を乱していく。かなりのエネルギー消費ではあったけれど、その分だけ敵を乱し、練度の低い私兵だったので立て直せないでいる。ベルゲングリューンが感心しつつも進言する。

「見事な艦隊運動ですが、こんな動きでは長くはもちませんぞ」

「わかっています。通信を! 敵艦隊の全艦へ向けて通信回路を開きなさい!!」

 三葉の命令通りに通信要員が敵艦隊への通信を送る用意をした。三葉は気合いのこもった声で朗々と告げる。

「敵将兵の全員に告ぐ! 自分で選びなさい! あなたたちはカストロプの手下として死ぬか、名誉ある帝国軍に加わるか!」

 男性として発達したキルヒアイスの声帯で、神事の祝詞を詠み上げる訓練を積んできた三葉が力強く発声すると、その言葉には重みと迫力が溢れていた。

「選びなさい! 私たちは先遣艦隊に過ぎない! すでに、ローエングラム元帥閣下が1万隻の艦隊を率いて近くまで来ている! 今なら、まだ間に合う! 降伏なさい! 寝返りなさい! 降伏すればカストロプ以外の罪は問わない! そして寝返って、いまだカストロプの手下である艦を撃てば、戦功とみなしてあげます! さあ! 選べ! あの変態の手下として死ぬか!! 生き伸びてチャンスをつかむか! 自分で選べ!!」

「「「…………」」」

 ベルゲングリューンが呆気にとられ、ビューローも目を丸くしているけれど、ノルデンは聴きながらクスリと失笑した。あと1万隻が控えているというのは、大きなブラフだったけれど、もともと前回のシュムーデ提督が5000隻で、キルヒアイス艦隊の2000隻が少なすぎることと、首飾りが消失してしまったこと、混戦になり指揮系統が乱れつつあることも手伝い、1隻また1隻と降伏したり寝返りを宣言して1秒前までの味方を撃ち始め、ここぞとばかりに私怨で友軍艦を撃つ艦長まで現れ、陣形の最後尾で裏切りやすかった100隻単位の分艦隊が旗色を変えたことで、一気にカストロプ艦隊全体が瓦解した。

「降伏する!! 我々は悪逆な支配者から解放された!!」

 通信スクリーンにブラスターを突きつけられたエリザベートの泣き顔が映り、キルヒアイス艦隊に安堵が拡がったけれど、三葉は次の命令を下す。

「大気圏突入用意! 陸戦準備!!」

 さらに三葉は下士官に命じる。

「私の装甲服を! ノルデン少将さん、艦隊指揮をお願いします。あのギリシャ神殿みたいな建物に強行着陸を! 地対空攻撃には注意して!」

「了解しました。お任せを」

「閣下が自ら出撃されなくとも!」

「危険です!」

「怖いなら、そこで見ていなさい」

 そう言われると、ベルゲングリューンも戦士の矜持を刺激され着替える。作戦前までは女子のようになよなよしい雰囲気があり、今も激情のあまり勇ましいのに、どこか女武将が男をバカにするような空気を感じるので、ベルゲングリューンも意地を張ったし、白兵戦の心得もある。ノルデンは着替えず、頼まれた通り艦隊司令席へ得意げに座り、ラインハルトの真似をしたポーズをとった。地表からの対空攻撃は、その兵器そのものが無かったので迅速に強行着陸ができ、三葉を中心にした陸戦要員が突入する。当然、司令官を守るような陣形で突入したけれど、駆けるキルヒアイスの脚は速く、すぐに三葉が先頭になって闘技場へ駆け込んだ。

「覚悟なさい! ロリコン公爵!」

「お、おのれぇ! 者ども、かかれェ! かかれェ!」

 闘技場には狼狽したカストロプがいて手下たちに迎撃を命じているけれど、誰も従わない。もう手下たちは両手をあげて膝を着いている。その顔に忠誠心は欠片も残っていなかった。けれど、猟犬だけは主人の命令に哀れなまでの忠誠心で従い、三葉たちに襲いかかってくる。

「かわいそうだけど人を襲う訓練をされたなら……」

 三葉は苦い顔をして戦斧を振るい、数頭を薙ぎ払った。それで猟犬たちも主人への義理を果たしたと考えたのか、それとも単に勝てないと獣の本能で感じたのか、逃げ散っていく。

「くぅぅ……う、動くな! 動けば、ヒルダを殺すぞ!」

 追いつめられたカストロプは出血多量で朦朧としているヒルダを人質にして、古代ギリシャ風の刀剣を突きつけている。

「くっ…しまった…」

 もう戦闘の全体は決しているけれど、三葉としては少女たちをなんとしても助けたいので困る。カストロプとしては、もう逃げ場も目的もないので、やぶれかぶれだった。

「動くなよ……。そうだ、武器を捨てろ!」

「……」

 三葉は戦斧を手放した。戦斧はラパート星の重力に引かれて足元へ落ちた。さらに三葉は面鎧をあげて顔を見せ、闘技場の壁にかかっていたカストロプが持っているのと同じギリシャ風の刀剣を手に取った。

「私と一対一で勝負しなさい! あなたが勝てば、この星系から逃げ出すまでの時間をあげます。だから、その子を離して勝負しろ!!」

「なっ………………いいだろう!」

 カストロプものった。この星系を無事に逃げ出したところでフェザーンまで辿り着ける可能性は無いに等しいけれど、もともと五千の艦隊で帝政に刃向かう思考をする男なので、最期の希望を一対一の勝負に賭ける。何より貴族として、そしてギリシャ文化を愛する者として一対一での勝負はしてみたかった。ヒルダを離して剣を握り直した。

「………」

「………」

 三葉とカストロプが対峙して構える。すぐに三葉から仕掛けた。真っ直ぐに上から下へ斬りつける。

「はっ!」

「くっ…」

 カストロプは直線的な攻撃を剣で受けた。そうなることを三葉は予想していてナイフ対ナイフの戦闘訓練で培った技で、カストロプの停止した手首を反対の手で捕まえると同時に蹴りを腹部に入れる。

「ぐはっ?!」

「はっ!!」

 蹴られて前屈みになったカストロプの首へと剣を振り下ろした。

 ザンッ…

 剣の切れ味とキルヒアイスの筋力はカストロプの首を胴体から離別させた。死亡を確認するまでもないので三葉は剣を離すと、ヒルダへ駆け寄る。

「しっかりして! 君!」

「…ぅぅ……」

 抱き上げられたヒルダは左目だけでキルヒアイスの顔を見ると、その聡明な記憶力で以前にオーディンで会ったことがあると判断したけれど、さすがに詳しく思い出すことはできない。

「助けに来た! 安心して! 衛生兵か、軍医を!! 早く!!」

「…ありがとう……あなたの…お名前は?」

「宮水三葉ぁあ…じゃなくて! ジークフリード・キルヒアイスです!」

「…私は……ヒル…」

 そこまで言ってヒルダは失神した。衛生兵が駆けつけヒルダと少女たちの手当を始めると、三葉はカストロプの死体を見下ろした。

「………犬のエサにでもなればいい……」

「閣下、死体はオーディンで検分されることになるでしょう」

 ベルゲングリューンが言った。

「そう………ベルゲングリューン大佐さん」

「はっ!」

「他に敵は?」

「おりません」

「戦闘終了ですか?」

「そうなります」

「………。さっきの女の子……」

 三葉は再びヒルダの容態が心配になったので、衛生兵から引き継いで治療している軍医に訊いてみた。軍医による説明では失血死しかけていたものの輸血が間に合い。傷そのものは浅いので命に別状はないが、右目の失明はまぬかれないとのことだった。

「かわいそうに……」

 同情の念と忌々しさが湧いてきて、三葉は転がっているカストロプの頭を蹴った。サッカーボールのように転がっていく。主人の遺体を辱められても、使用人たちは誰一人として異議を唱えない。ベルゲングリューンが尊敬の眼差しで言ってくる。

「閣下は猛将であらせられますな。それでいて情に厚く、また策士でもある」

「…………」

 誉められてるのかな、と三葉は思ったけれど、あまり適切な返答が浮かばない。かわりに闘技場の貴賓席にあるテーブルに置いてある酒類へ目がいった。金満な公爵家らしくテーブルには豪華な料理と、最近わかるようになってきた帝国産ワインの中でも最高級の物が並んでいる。

「………ベルゲングリューン大佐さん」

「はっ」

「もう戦闘はない?」

「はい」

 ベルゲングリューンは空を見上げた。すでに軌道上での戦闘も終結していて砲火は見えず、艦隊が再編されつつある。一部の艦が完全占領のために降りてきているけれど、地上でも抵抗する者はいない状態だった。

「もう完全に降伏しておりますれば、戦闘が行われることはないかと思われます」

「…………。じゃあ、もう飲んでもいいと思う?」

「……。はっ、お付き合いさせていただきます!」

 ベルゲングリューンもアルコールは大好きだった。困難な作戦を成功させた戦友として、酒を酌み交わしたい気持ちは強い。二人が飲み始めると、当然のように酒宴になり、罪を問われたくないカストロプの使用人たちは酒をついでくる。

「帝国万歳!」

「キルヒアイス閣下万歳!」

 他の陸戦要員や占領事務に従事するはずだった兵卒たちも飲み始め、だんだんと秩序が無くなってくると略奪と婦女暴行が始まった。酔ってきた三葉の見ている前で陸戦要員が使用人が着ている脱がせやすそうなギリシャ風の衣服を脱がせて女性を押し倒している。

「………」

 ふらっと立ち上がった三葉は女性を押し倒している陸戦要員を横から蹴った。

 ドカっ!

「ぐはっ…」

「いくら勝ったからって、それはやり過ぎ!」

「はっ…はい!」

 強姦しようとしていた陸戦要員は敬礼して逃げていく。三葉が見回すと、同じようなセクハラ行為をしかけていた兵士たちは威儀を正して、素知らぬ顔をしているけれど、略奪した腕輪や宝石を持っていたりする。

「う~ん………ベルゲングリューン大佐さん」

「はっ。ヒクッ…失礼」

 ベルゲングリューンの顔はアルコールで赤く染まっている。もう作戦前より飲んでいた。

「ああやって、宝石とかを盗んでるのはあり?」

「はっ………あまり良い習慣とはいえませんが、役得といいますか、さきのクロプシュトック侯の叛乱鎮圧時にも戦利品を入手した者は多く、ある程度は兵士への褒賞という意味合いもあります。帝国軍の悪しき風習と言ってしまえば、それまでですが、婦女暴行や殺人まで発生するのは、いささか困りものです。ヒクッ…失礼」

「そう……う~ん……風習……役得……文化の違いかな…ヒクッ…自衛隊とは、だいぶ違うか………米軍も婦女暴行するし……そういえば、ロイエンロールが、そんな話で相談に来てた気が……あいつ、私のこと、ときどき睨む……。…とりあえず文化の違いなら……あんまり厳しすぎても逆に不満がたまるかな……」

 すでに三葉も、かなり酔っている。酔った頭で三葉が結論を出した。

「婦女暴行禁止!! 傷害殺人も禁止!! 略奪は、ほどほどに!」

「はっ!」

「婦女暴行したヤツは犬に喰わせるから!!」

 もともと三葉が突撃を開始したのは女性への陵辱に憤慨したからだと知っている兵士たちに命令は徹底され、婦女暴行は発生しなくなったけれど、ほどほどの略奪は行われた。酒宴は続き、ふらふらと三葉はカストロプが座っていた玉座へ腰をおろした。手にはカストロプの首を持っている。放り出そうかと思ったけれど、少しばかり遺体に対する尊厳の念も湧き、そっとテーブルの上に置いた。そして日本人でもあまり知らない神道式の冥福を祈る動作をした。

「よもつくに、あきつかみ、やすくにとおぼしめせ」

 三葉が何らかの祈りを捧げていると感じた使用人たちもギリシャ式の祈りを捧げてくる。祈り終わった三葉はカストロプへ囁く。

「次に生まれ変わってくるときは、ロリコンじゃないといいね。……ヒクッ………ヒクッ…あ、もう12時に……」

 時計を見ると読みにくいギリシャ文字だったけれど、12進法は共通のようで時刻はわかった。

「紙とペンある?」

「はい! 今すぐに!」

 使用人がダッシュで持ってきた。

「……フフ……完勝っと…」

 ワインを飲みながら満足そうに手紙を書きにくい羊皮紙へ書き始めた。

 

 

 

 キルヒアイスはギリシャ風の玉座に座って、カストロプの生首を前にして、ワインを飲んでいた状況を認識した。

「っ…」

 まるで日本の戦国武将のように生首を前にした酒盛りを装甲服を着用したまま行われていて、周囲では友軍兵士が同じように酒を飲んでいる。

「うっ…」

 少なくとも周囲に危険はないと判断した直後、気持ち悪くなってきた。まだ原爆資料館での余韻が残っていた上、いきなりの生首で、さらにかなりの飲酒をしていたようで、たまらず吐いてしまった。周囲の兵士が12時の5分前から、もう飲めなくなるような勢いで、がぶ飲みしていた司令官が吐いているのを、まあ、そうなるだろうな、と若さゆえの酒量のわからなさを冷静に見ている。それでも勝利をもたらしてくれた司令官に対する尊敬と愛着の念は感じられる。

「閣下、いきおいよく飲み過ぎですぞ。まあ、この勝利です、気持ちはわかりますが」

 ベルゲングリューンが水をくれた。ベルゲングリューンの表情からも作戦前と違い、尊敬してくれているのを感じて、三葉は成功させてくれたのだと、ありがたく思った。もらった水を飲むと、さらに恭しく使用人がタオルを渡してくれる。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 礼を言って受け取る。使用人はギリシャ風の衣服を着ているので、事前に調査していた通りのカストロプの使用人だろうと推測し、ともかく落ち着いたフリをしてテーブルに置いてある羊皮紙を手に取った。ドイツ語で三葉から手紙が書いてあった。手紙というよりメモに近い。

 

 完勝!

 圧勝! 大勝利!

 右のポケットに入っている宝石は伯爵令嬢にあげること。ひどい怪我をさせられていたから、その慰謝料。あと、他の女の子にも十分な補償をさせること。酔った兵士が婦女暴行しないか、注意すること。

 

 読み終わって装甲服のポケットを探ると、宝石が5つほど入っていた。

「…………。ベルゲングリューン大佐」

「はっ! ヒクッ…失礼」

「端末機をお願いします。ヒクッ…ぅぅ…あと、水をもう一杯いただけますか」

 すぐに端末機と水を渡してもらい、今までにないほど酔わされた頭脳で艦隊戦の推移と陸戦の状況などの記録を見て状況を理解した。

「ラインハルト様に報告を……ぅう…ベルゲングリューン大佐、ローエングラム元帥への報告は終わっていますか? ヒクッ…失礼しました」

「はい。ノルデン少将がされたという話です。先を越されてしまい、残念ですな。閣下、自らなさりたかったでしょうに。まあ、こちらが、のんびりしすぎていますから仕方ないかとは思いますが」

「いえ、幸いです。私からも報告してきますから、これ以上の略奪もやめるよう布告してください。飲酒は……節度をもち、決して領民に危害を加えないよう重ねて通告してください」

 本心では飲酒も止めたかったけれど、ここまで盛り上がっている兵士たちへ急に手のひらを返したように水を差すのは忠誠心にも影響すると判断して、キルヒアイスはふらつきそうになる足取りを、なんとか整えつつ艦内に戻って超光速通信でラインハルトと連絡を取る。

「お待たせしました」

「ああ、思ったより遅かったな。フ、酔っているな」

 ラインハルトは12時すぐに連絡をもらえると思い待っていたけれど、もう20分も待たされていた。

「すみません」

「お前が謝ることはない。ミツハめ、よほど嬉しかったのだろう。まあ、見事な勝利だ」

「はい。まさか、あのような勝ち方をされるとは……」

「相手の寝返りに期待して勝つとはな。2000隻の艦隊で出発して帰りは4000隻になるのだから、イゼルローンの魔術師に比肩する魔術だ。凡庸に見えて、案外と魔女だったわけだな。いや、巫女とか言ったかな」

「………」

「浮かない顔をしているな。自分の作戦を無視されたのが残念か?」

「いえ、そうではありません。むしろ、すばらしい結果だと感じています。あのカストロプ公の挑発を見ては私自身も冷静であれたか、どうか、それに冷静に艦隊を後退させていれば伯爵令嬢をお救いすることはできなかったでしょう。その意味でも三葉さんの判断は正しかったと考えます。ただ…」

「ただ? 何だ?」

「私の不明なのですが、まさか、これほど早く占領に至っているとは想定せず、おそらくは艦隊戦の途中で私自身へ戻ると思っていたものですから、占領時に領民への略奪や暴行を強く制止することを作戦書に記していなかったのです」

「そうか……状況は、ひどいのか?」

「クロプシュトック時ほどではありません。三葉さんは婦女暴行と傷害殺人について厳命を出して禁じていてくれますから。ただ、略奪は、ほどほどに、と」

「……ほどほど……か…」

「これを……ご覧ください」

 キルヒアイスは装甲服のポケットから宝石を出して見せた。

「……なるほど、司令官自身が手を染めていては兵士たちも手を出すだろうな。ミツハめ、意外に……いや、凡庸であれば、その程度か……女は宝石などを好むし……つい手を出したか…」

「いえ、彼女自身の私欲というよりは、この宝石は負傷された伯爵令嬢と少女たちへの慰謝料に、と」

「慰謝料か……。たしかに、カストロプの財産を帝国の国庫に入れられてしまえば、あまり補償されることはないからな……」

「とはいえ、厳密には横領です」

「……そうだな………困ったな……まだ、続いているのか?」

「一応、制止はいたしておりますが、私が厳命して返却を指示しても、あまりに朝令暮改にすぎ、兵士たちに大きな不満がたまるでしょう。最悪の場合、私が独り占めするために略奪物を吐き出させるのだと曲解されることもありえます」

「そうだな。今までの帝国軍の規律を考えれば、そういう思考になる。クロプシュトック時より、マシということで目をつむるか……」

 二人の信条に合わない結果にラインハルトは複雑な表情をした。三葉がもたらしてくれた結果は一方で素晴らしく、もう一方で遺憾であり、とはいえ彼女を叱責しようという気にはなれない。むしろ、関わりのない戦乱に巻き込んだのに、ラインハルトの野望にそう戦功を予想以上にあげてくれていた。

「ラインハルト様にお願いがございます」

「何だ?」

「兵士たちの酔いが醒める昼頃、通信で私を強く叱責してもらえませんか?」

「……略奪についてか?」

「はい」

「なるほど、その手があるか。……だが、いいのか? お前の不名誉になる」

「このまま見過ごすより、よほど良いです」

「わかった。そうしよう。まずは休め。飲み過ぎた顔をしている」

「はい」

 通信を終わると、キルヒアイスはタンクベッドで酒を抜き、早朝から占領事務を開始して、軍の秩序を取り戻していく。昼前になって手の空いている者は全員が拝聴するようにと命じて、ラインハルトと通信を開いた。大きなメインスクリーンにラインハルトが元帥らしく威厳を持って映った。

「まずは、見事な戦果であったこと賞賛しよう。よくやったキルヒアイス少将。中将への昇進は確実だろう。また、他の士官、兵士諸君も、よくやってくれた。ならびに、カストロプの私兵から帝国軍への編入を望む者も、喜んで受け入れよう。その戦功についても評価する」

 ねぎらいから始まったけれど、叱責へ変化する。

「だが、キルヒアイス少将!」

「はっ!」

「占領時に蛮行があったと聞いている。これは真実か?!」

「……はい……事実で、ございます…」

 キルヒアイスは認めたく無さそうに認める芝居をした。ラインハルトも芝居をして顔を険しくした。

「カストロプの財産は帝国より、掠め盗られた物、本来国庫に納めるべき、それらを収奪したということであれば、それは新無憂宮が財物に手を出すも同じこと!」

「………」

 直立不動だったキルヒアイスが片膝をついて頭をさげた。

「戦果大なりといえど、小なる不正を見逃すことはできぬ!! キルヒアイス少将は自室にて謹慎せよ!! また、他の将兵については、ただちに申し出れば罪は問わぬ! ただし、隠し持って後日に判明したときは厳罰に処する! ラパート星へ降りた艦については憲兵と財務省の調査官が立ち会いのもとに身体検査を行うこととする。以上」

 憲兵だけなら誤魔化しもきく上、もともと占領事務には憲兵も参加していて、その憲兵そのものが略奪に加担していることも多いことを見越して、財務省の名を出したラインハルトの言葉は効果的だった。古来より国家財務にあたる官僚と、国家予算の大きな部分を占める軍関係者とは、良好な関係であったことがない。その財務省官僚が調査に立ち会うと言われ、また戦功大であった総司令官へも容赦が無かったことで、奪われた財宝はその日のうちに返却された。キルヒアイスは謹慎という形で、自室でつかの間の休息をとり、少将であるノルデンに全体の指揮が任されたけれど、ノルデンは何か忘れている気が、ずっとしていた。

「………そうだ。伯爵!」

 令嬢は助けたものの、すっかり誰もがフランツのことを忘れていた。ノルデンの命を受けた捜索により、フランツはギリシャ風の囚人服を着せられて地下牢に閉じこめられているところを無事に発見、救助された。

 

 

 

 千葉県にある東京ディズニーランドを楽しんだ三葉と克彦、早耶香は修学旅行最期の自由行動で都内にあるイタリアンレストランを訪ねていた。他に、最近まで仲が良くなかった五人の同期生もいる。

「勅使河原にも、おごってあげるよ」

 得意そうに女子の一人が言ってくる。

「おう、サンキューな。でも、本当にいいのか?」

「いいよ、いいよ。親戚がやってる店だもん」

 自分の家は貧しくても、親戚の中には東京で店をもっている者がいることを、地元の建設会社の嫡男に自慢できることは、やはり嬉しそうだった。

「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」

 ウエイトレスの制服に初心者マークをつけている奥寺ミキが三葉たちにメニューを渡してくれながら付け加える。

「本日、オーナーより、皆様方のお支払いにつきましては100%サービスさせていただきますとのことです。どうぞ、ごゆっくりお楽しみください」

 ミキが一礼する横顔を、なんとなく見ていた三葉は同じ年齢くらいの高校生アルバイトかな、と思ったけれど、ミキからタバコの匂いがしたので年上なのかもしれないとも考えたものの、どうでもいいのでメニューに視線を戻した。

「私、これにしていい?」

「どうぞ、どうぞ。何でも」

「オレ、これ頼むからさ。みんなで呑もうぜ」

 空手をやっている男子が白ワインのボトルを指している。ちょうど三葉も見ていたページにあったので目をやった。

「ドイツ産か……2009年物……。あの481年物は美味しかったなぁ……」

「「「「「「「………」」」」」」」

 三葉の発言に他の7人が引いている。早耶香が恐る恐る訊く。

「三葉ちゃん、481年物って、まさか口噛み酒のこと? 1600年前の?」

「違うよ。西暦じゃなくて……えっと、…えっと……ごめん! ワインなんか飲んだことないのに見栄張りました! すいません!」

 うっかり帝国暦と答えそうになって三葉は誤魔化した。追求されること無く笑われるだけで済み、全員がオーダーするものを決めたのでミキを呼んだ。

「私は、これ」

「はい」

「オレは、これで。あと、これも」

「はい。……白ワインのボトルですが、よろしいですか?」

 三葉たちは私服なので高校生と明確にわかるわけではないけれど、未成年に見える顔立ちをしているのでミキは確認した。

「ああ、これで」

「グラスは、いくつお持ちしましょう?」

「8つかな。人数的に2本、頼むか…」

「オレは呑まないぞ」

 克彦が断言した。

「なんだよ、付き合い悪いな。タダなんだぜ?」

「そういう問題じゃないだろ。見て見ぬフリはするさ。ノンアルコールワインだと思っておく」

「ぼっちゃんめ。宮水と名取は呑むよな?」

 もともと柄の悪いクラスメートのグループなので飲酒喫煙は隠れてしていた。町の文化としても酒とのかかわりは深く、祭りのさいには15歳くらいから呑んでいる男子もいたし、祭りの日だけは怒られない文化でもあった。

「うーん………ドイツ産かぁ…」

 三葉が迷い、早耶香は迷わなかった。

「私も呑まない」

「面白くないな。宮水、お前、造ってばかりだろ。たまには呑めよ。酒」

「……うーん……うーん……ドイツらしい味わいの白ワインです……芳醇な香りと豊かな甘み…ほのな酸味がスッキリとした味わいを…」

 三葉はメニューに書いてある紹介文を読んで誘惑されている。

「呑めよ。呑みたいって顔に描いてあるぞ」

「てへへ…」

「お姉さん、グラスは6つで」

「はい。……私は未成年ですよ、お兄さん」

 ミキはささやかな反論をして微笑んだ。前菜と同時にワインが運ばれてきて乾杯する。克彦と早耶香はアイスティーを頼んでいた。三葉はワインを呑んで喜ぶ。

「あ、美味しい。女の子の味覚で呑んでも美味しいんだ……」

「男と女で味覚って違うのか?」

 克彦の問いに三葉はワインを呑んでから答える。

「違うよ。味覚だけじゃなくて視覚も違うから、色彩も違って見えるよ」

「そうなのか……」

「うん、虹とか夕日とか、男の目で見るより、女の目で見る方が、いろんな色に見えてキレイだよ。けど、距離感とかは男の目の方が正確かな」

「………なんで、三葉に、それがわかるんだ?」

「え………さあ? なぜでしょうね。女の子には秘密が多いんだよ、フフ」

 ほのかに頬が赤くなってきた三葉が悪戯っぽく微笑むと、克彦は飲酒していないのに頬が熱くなった。ゆっくりと談笑しながら修学旅行最期の夕食を楽しんでいたけれど、隣のテーブルにはチンピラ二人組がいた。短髪の男と白ジャケットの茶髪が美味そうにワインを呑みながらミキを呼びつけて文句を言っている。

「ああん? オメーじゃ話にならねぇ。責任者よべ」

「は、はい」

 ミキがフロア長を呼び、二人組はフロア長にも文句を言って食事代をタダにさせた。

「今夜もうまくいきやしたね、兄貴」

「おうよ。ま、この手は同じ店でやんのは3年か、4年くらい開けねぇと、さすがに無理だから、ここに来るのは次は3年後だなぁ」

「彗星のように都内を回れば、毎晩、タダ飯っすね」

「タダメシ彗星だな」

 あくどい会話をして、ほくそ笑んでいる。

「三葉ちゃん…」

 早耶香が小声で話しかけてくるので三葉は耳を近づけた。

「なに?」

「私、あの二人が自分らで爪楊枝を入れてから店員さんに文句言い出したの見たんやけど」

「あ、やっぱり、そうなんだ。私もチラっと見えたよ」

「お店の人に言った方がいいかな?」

「うーん……」

「三葉? サヤチン? どうした?」

 克彦が訊いてくるので同じことを小声で伝えた。

「なるほどなぁ……」

「「どう思う? テッシー」」

「迷いどころだな……」

 克彦が迷っていると、招待してくれた女子も見ていたようで言ってくる。

「あんたらも見た?」

「いや、オレは。けど、三葉とサヤチンは見てたらしい」

「そっか………なんかムカつく伯父さんの店で……しかも、あいつらが呑んでるワイン、超高いのに…」

「あ、ホントだ。ま、たいしたことないけど」

 三葉は一本25000円のワインを見ても、ラインハルトと呑んでいるワインや子爵家に持参したワインに比べると、庶民価格だなと思った。

「宮水、お前と付き合う男、苦労するだろうな」

「え? なんで?」

「まあ、勅使河原建設なら余裕か」

「「「………」」」

 三葉と克彦、早耶香が黙って聞こえなかったフリをする。あまり触れてほしくない話題だという空気感を出すと、今夜は理解してくれた。たまたま三葉たちが黙ったために注意力が隣のテーブルへいったときだった。

 シュッ…

 チンピラの一人が手に持ったカッターナイフで通りがかったミキのお尻を切った。何かの見間違いかと三葉たちが目を丸くしていると、ミキは気づかずに通り過ぎていく。ミキの肉は切られず、スカートだけが斬られているという神業的なテクニックだった。

「ククっ…」

「いいケツしてるな」

 二人のチンピラが嗤っている。

「サヤチン、あの子に言ってあげた方がいいかな?」

「うん。でも、何て言って……」

 三葉と早耶香が迷っているうちに、他の客が気づいてミキに何か言っている。すぐにミキは自分のお尻を見て、それから恥ずかしくて泣き出した。まだ十代の乙女が公衆の面前で肌を晒している自分に気づいて座り込んで泣いている。

「……許せない……」

 三葉がチンピラの方を睨んだ。

「あん?」

「………」

 チンピラと三葉が睨み合った。そこへデザートが運ばれてきたので三葉は食べることを優先したけれど、許さないと決めている。三葉たちが食べ終わるタイミングと、チンピラ二人が呑み終わるタイミングは同じだった。二組とも会計をせずに店を出たけれど、招かれた客と招かれざる客という意味で大きく違う。せめて三葉はお店に迷惑とならないよう外に出てから懲らしめるつもりだったけれど、空手をやっている男子の方が先に動いた。

「おい、そこの二人、ちょっと待てよ」

「あん? なんだ、ガキが」

「こっち来いよ、チンピラが」

 男子が顎で人通りの少ない裏路地をしめした。

「ケっ、いきがりやがって」

「ガキが人数いりゃ勝てると思ってんのがマヌケだな」

 チンピラ二人は三葉たちが合計8人いても余裕で裏路地に入ってきた。半数は女子なので実質4対2になるという計算だったけれど、空手男子は一人で戦うつもりだった。

「オレ一人で十分だ」

「私もやる。これで一対一でしょ」

 三葉が空手男子の隣りに立った。

「宮水……ま、お前、強いし」

「おひょ? マジで?」

「ガキども情けねぇな。女にやらせんのかよ」

「おい、三葉」

 克彦が肩に触れてくるけれど、三葉は断言する。

「私が懲らしめたいの」

「…………」

 意外にも三葉が強いことは最近になって知ったので克彦は心配しつつも黙った。三葉は恐れず短髪の男に近づいていく。

 ブンっ…ガッ!

 短髪の男が平手打ちしてきたのを見切って避けると、三葉はローキックを放った。その蹴りは命中したけれど、ダメージは大きくない。

「痛てぇ…このクソアマ、空手でもやってんのか。もう油断しねぇぞ」

「………」

 三葉は最初から油断していない。体格と筋力、リーチに差があることはわかりきっている。

 ガッ! ベシっ!

 その差を埋めるために三葉は回避を重視して戦い、攻撃は回避のあいまに放っていく。一撃一撃は軽いけれど、さすがに何度も撃たれると短髪の男は不利を悟った。

「ハァ、ハァ…このアマ、ちょこまかと。兄貴…」

 短髪の男が白ジャケットの茶髪へ視線をやると、兄貴分も苦戦していた。しっかりと空手の修練を積んできた者と、ただのケンカ慣れで強くなったと思っている者の違いは大きかった。

「ちっ……兄貴まで…こうなったら!」

 短髪の男が懐からナイフを出した。ほぼ同時に白ジャケットの茶髪もミキのスカートを斬ったカッターナイフを出している。

「ぶっ殺してやる!」

「………」

 ナイフを見た瞬間、三葉の目は戦士のそれになった。何度も訓練してきた通り、相手の手首を瞬時に捕らえると、手首を捻りつつ肘を曲げさせ、ざっくりと刃先を相手の喉元へ突き入れる。

「うひっ?!」

 短髪の男の手に自分の首を刺した生々しい感触が伝わってくる。深く刺さったナイフから手を離して怯えている。そのナイフを三葉は一瞬で抜き去り、抜いた勢いのまま白ジャケットの茶髪へと投げつけた。

 ビュッ…

 一瞬で終わった。投げられたナイフは白ジャケットの茶髪に命中し、右目から脳まで刺さっていた。

 ドサッ…

 苦しみもせず倒れた。

「ひっ…ひぃい…ゲボ…ブブ…」

 首を刺された男の方は、頸動脈から噴き出す血を止めようと少しの間のたうち回っていたけれど、すぐに動かなくなった。

「……」

 三葉は他に敵がいないか、見回してから、血に染まった自分の手に気づいた。

「あ……あれ? ………こっちの………私の手……」

「三葉……お前、……なんてことを……」

「テッシー……」

「み、三葉ちゃんっ………こ……殺してしまうなんて……」

 早耶香が腰を抜かして座り込んでいる。

「……サヤチン……えっと……その………だ……だって、相手が先にナイフを……」

 落ち着いていた三葉の手が今になって震えてくる。

「わ……私が殺したの? ………私が………宮水三葉が……。ど、どうしよう……どうしよう?!」

「三葉………」

 克彦が肩に触れると、三葉は抱きついて泣く。

「私、どうしよう?! こんなつもりじゃなかった!」

「三葉……」

「逃げようぜ! 今なら誰も見てない!」

「そうよ! 逃げよう! 宮水さん悪くないし!」

 この場から去るという案が高校生たちを誘惑していくけれど、克彦が異を唱える。

「いや、ダメだ!」

「なんでよ?」

「このまま集合場所に戻ったって三葉に着いてる血、どう言い訳するつもりだよ?」

「じゃあ私の着替えを…」

「ナイフには三葉の指紋だってついてる。ここにはオレらの足跡も髪の毛も、いろいろあるだろうよ」

「それも消せばいいだろ?!」

「オレたちがやるような消し方で警察を誤魔化せると思うか?」

「じゃあ勅使河原は、どうすればいいってんだよ?!」

「警察を呼ぼう」

「ざけんな! お前、宮水を見捨てるのかよ?!」

「違う!! さっきのは正当防衛だったろ?! そう言おう!」

「た……たしかに……け、けどよ。宮水の履歴に傷が……あ、そうだ! やっぱり逃げようぜ! 逃げて、もし警察に見つかったら、正当防衛だったって言えばいい!」

「それじゃダメだ! 信用されない! 今ここで正直に通報する方がいい!」

「………」

「三葉、それでいいな?」

 論争の間も、ずっと泣いていた三葉は問われて小さく頷いた。

 

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