公園の丸木小屋
これは、ウォルフガング・ミッターマイヤーとオスカー・フォン・ロイエンタールとが、まだ少佐だった頃の話である。
戦場に程近い、とある補給基地に二人が所属する艦隊が立ち寄った時の、小さな騒ぎである。
「……暇だな」
とうの昔に書き上げてしまった書類を、恨めしげに睨みながらミッターマイヤーは呟いた。
その横で、やはり手元の仕事を終わらせてしまったロイエンタールが、端末で艦隊シュミレーションを始めている。
その端末の、小さな画面を横から覗き込んで、蜂蜜色の金髪の若々しい士官はうんざりとした口調でもう一度呟いた。
「暇だ、ロイエンタール」
「仕方がない、ここの基地司令官殿と、我が艦隊長殿は竹馬の友だそうだ。積もる話があるから、出立は明日の夕刻になるのだそうだ」
片手で器用に打ち込みながら、金銀妖瞳の親友は努めて冷静な声で返答したが、その声に滲む苛立ちにミッターマイヤーは気付いていた。
ここを出立したら、えらいさんである貴族の坊ちゃんが作ったタイムロスを、自分達幕僚が尻拭いとして縮める努力を求められるのだ。
カランコローン、カランコローン……
正午を告げる鐘が鳴り、律儀に机に向かっていたミッターマイヤーはほっと息をついて、大きく両腕を広げながら背を伸ばした。
「ロイエンタール、食事へ行こう」
「良かろう」
シュミレーションの情報を保存すると、ロイエンタールもそそくさと端末の電源を落とした。
暖かな日差しに誘われるように、蜂蜜色の髪の士官が、頭一つ分くらい背の高い士官の手を引く。
二人は揃って軍基地のオフィスビルから出ると、やはり食事に出る多くの士官や下士官に紛れ込んだ。
戦場に近いと言う事は、即ち辺境地と言う事である。
当然の事として、基地の外には鄙びた田舎町があるだけだ。だが、辺境だろうと、田舎町だろうと、艦隊勤務の人間にしてみれば、久方振りの地上には違いない。
故に、基地の外の食事処へ繰り出す者は多いのである。
二人が選んだのは、店の外観は少々古びていたが、公園に面していて店内そのものは掃除の行き届いた一品料理屋である。
二人が入って間も無く、土地の人間で満席になり、何人かの兵士達が入り口で残念そうに中を見ては、別の店へと流れて行った。
素朴な肉の煮込み料理と、焼きたての丸パンと山羊のミルクのチーズにフルーティなワインとで二人が食事を終えた頃、その騒ぎは始まった。
公園の奥の方から、何やら人々の歓声が上がっている。
訝しげに立ち上がった小柄な親友に、優雅に口元を拭いながらロイエンタールは諌めの言葉を掛けた。
「どうした、ミッターマイヤー。平民の集まりに軍人が寄って行っては、嫌われるだけだぞ?」
「軍人に見えなければ大丈夫だろう?」
そう言うなり、ミッターマイヤーは上着を脱ぎ捨てまだ座ったままの親友に押し付けると、身軽に店の外へと走り出した。
その、どう贔屓目に見ても士官学校を出たくらいにしか見えない背中を見送りながら、ロイエンタールは口元にこっそりと笑みを浮かべた。
昼休み終了まで、後一〇分有るか無しかの頃になってやっとミッターマイヤーは戻って来た。
灰色の瞳に、うっすらと紫に近い翳りが浮かんでいるのを見て取り、長身の青年はその双色の瞳を軽く眇めた。
一年ほどの短い付き合いだが、この小柄な親友の目の色が変わる時には大概何事かを考え込んでいたり、何か納得しがたい事態に行き当たった時であると、ロイエンタールも知っている。
故に、ロイエンタールは上着を返しつつ、話を聞く態勢を作った。
「どうした、ミッターマイヤー。何処かの貴族のどら息子の悪行でも見てしまったのか? それとも、何か気不味くなる様な事でもあったのか?」
「いや、そんなことは無かったよ」
言葉を裏切る声音でそう言うと、ミッターマイヤーは肩を竦めて、公園を視線で示した。
「あそこの公園の奥に、手作りらしい木造の小屋が有るんだ。扉はがちがちに幾つも鍵を掛けてて、窓らしい窓は無くてその代わり壁の一面が填め殺しのガラスになっている。その小屋の中に、一人若い青年が篭っている」
「ほう? 何者だ、その男」
ロイエンタールが聞き返すと、よく判らないと身振りで示しつつ、ミッタ―マイヤーは騒ぎの現場で人々が話していた事の切れ切れを集めて、何とか説明する。
「何でも、『神の恩寵』とやらで、もう一〇日もその小屋の中で飲まず食わずですごしているらしい。何とかという新興宗教らしいのだが。その、導師様とやらの奇跡に感動して、寄進と称してなけなしの蓄えを差し出す老人もいるらしいのだ」
『新興宗教』と聞いて、ロイエンタールの眉があからさまに寄せられる。
そんな親友の反応に、ミッターマイヤーはにっと悪戯っ子の笑みを浮かべた。
「ロイエンタール、今晩手伝ってはくれないか?」
「何をするつもりだ、ミッターマイヤー」
「大した事ではない。だが、俺はああいう他人の善意や信心に胡座を掻く輩は嫌いだ」
すうっと、灰色の瞳が鋼色に変わる。
その色と生真面目な声に、ロイエンタールは黙って協力を約束した。
その晩、飲酒と称して基地から出た二人は、町のほぼ中心である公園に足を踏み入れた。
大して広い訳でも無い、広葉樹ばかりの緑地帯を進むと、篝火に照らされたちょっとした広場に出た。
見ると、一見重厚そうなログハウス風の小屋が有り、中が見え難いように白い布がカーテンのように掛かっている。
周囲にはに、三人の警備らしい人間の姿が有り、情景をちぐはぐとしたものにしている。
「あれが、導師様とやらのいる小屋か」
「いる『事になっている』小屋さ」
そう言うと、ミッターマイヤーは黒い帽子を被り、長身の親友に手を合わせてこう続けた。
「五分でいい、見張りの連中の注意を引き付けてくれないか?」
「それは構わないが、何をするつもりだ、ミッターマイヤー」
質問にウィンクだけ残し、ミッターマイヤーは緑地帯の暗がりにあっと言う間に紛れてしまった。
小柄な背中が闇と梢の向こうに消えるのを見届けて、ロイエンタールは首を振り振り、路に迷った余所者の酔っ払いの振りをして、小屋の正面へと近付いて行った。
正面の方で、酔っ払いにしか見えないロイエンタール相手に、信者達が集まってわいわい騒ぎ出す。
親友が巧く見張り達を引き付けているのを見届けて、ミッターマイヤーはログハウスの裏側に回り込んだ。小屋のある部分を調べ、自分の予想通りであるのを確かめると、何やらポケットから掴み出す。
「こんな事だと思った」
そう独り呟き、取り出した手袋を着けると、ミッターマイヤーは小屋に近付き、何やらごそごそと細工を始めた。
宗教関係者特有の、支離滅裂で異様な論法に頭痛を感じつつも、何とか一〇分近い時間を稼いだロイエンタールが緑地帯の奥に引っ込むと、細工を終えたミッターマイヤーが待っていた。
夜目にも鮮やかな蜂蜜色の金髪に、長く優美な指を差し入れると、ロイエンタールは金髪の所有者に宣告した。
「卿の悪事に加担したのだ、当然今夜は卿の奢りだろうな?」
「判っている、俺が奢るよ。すまなかった、あんな連中の相手をさせて」
青と黒の瞳の親友にそう答え、ミッターマイヤーは先に立って歩き出した。
ふわふわと揺れる蜂蜜色の毛先を見詰めていたロイエンタールは、公園を抜けた所で口火を切った。
片棒を担いだ以上、自分には先程の顛末を聞く権利があると思ったからだ。
「何をしてきたのだ?」
「うん、こいつでちょっと」
ミッターマイヤーが見せたものは、ほぼ空になった強力接着剤のチューブだった。
呆気に捕らわれた親友に向かって、ミッターマイヤーは口元に指を当てながらこっそりと言った。
「あの小屋は、実は屋根がきちんと釘付けされていない。だから支えがあれば、屋根と壁の間の隙間から外に出られるようになってたんだ。
飲まず食わずなんて無理だと思ったんだ、あの導師様とやら、うちの上官そっくりのビール腹だったし?」
「呆れた導師様だな。ではもしや卿は」
「ああ、屋根と壁の間にこの接着剤を流し込んでくっ付けて来た。釘では音でばれるだろう?」
そう言って笑い掛けると、ミッターマイヤーは通りすがりのゴミ箱にチューブを捨てた。
「しかし、良くそんな事に気が付くな」
「ははは、俺もあの手で脱走した事があるからな」
蜂蜜色の髪の親友の思わぬ発言に、ロイエンタールは足を止めた。
まじまじと見返してくる青と黒の瞳に、ミッターマイヤーはくすぐったそうに首を竦めて見せた。
「子供の頃の話だ。悪戯して親父に捕まる度、反省しろって庭の物置に放り込まれたものさ。
でも、その小屋、親父の手作りだったものだから、釘が足りないのか、釘を打ち忘れたのかで屋根が固定出来ていなかったから、俺はしょっちゅう屋根を押し上げて逃げたものさ。
最も、お袋に見付かっておやつ抜きの刑を食らいもしたがな」
両手をポケットに入れ、軽くしかめっ面を作るミッターマイヤーの金髪が、ふわりと夜風に揺れる。
その月明かりよりも美しい金髪を、ロイエンタールは目を細めながら追った。
「やれやれ、五つ六つの子供が思い付く事で、人を騙す奴がいるとはな」
「……いや、別に五つ六つだった訳では」
口の中でぼそぼそと呟くミッターマイヤーを見ないようにして、そっと忍び笑いをかみ殺したロイエンタールは、見付けた酒場の扉を指差した。
「では、あの店で戴くとするか」
「判った、判った」
明々と光の灯る、雑然とした空気と音が漏れる酒場に、二人は肩を並べて入って行った。
二人の所属する艦隊が出立した後、新聞のべた記事に彼の星系の新興宗教団体が、別の宗派に吸収統合されたと小さく載った。
二人はそのまま忘れてしまったものの、その吸収統合した宗派こそ、後々銀河全体を謀略で掻き回し、二人を引き裂く事となる『地球教』である。