その日、カール・エドアルド・バイエルラインは舞い上がっていた。
彼の敬愛する――周囲からは、敬愛と言うレベルには見えなかったが――上司たる、ウォルフガング・ミッターマイヤーに夕食に誘われたのだ。
残念ながら奥方は旅行中とかで、上官行きつけのカフェレストランでの食事だった。
空は生憎の曇り空だったが、彼の心はドぴーかんだった。そう、ここまでは、彼はとても幸せだった。
退庁直前に、書類の再チェックがあるとかで捕まっていたバイエルラインは、十分ほど遅れて会食先のレストランに向かった。
その店は、オーディンで近年増えて来たオープンカフェスタイルのレストランで、生け垣で囲った庭に天幕を何枚か張り渡し、その下に席を並べているものだった。
そして、奥の方にある四人がけの丸テーブルに、愛しの上官と、その横に座る金銀妖瞳の上級士官の姿を見付けた。
「すまんな、私も今日は、予定が無くてな」
そう言って、気障ったらしくにやりと笑うオスカー・フォン・ロイエンタールに一瞬どっと落ち込んだものの、上官の前の席が開いているのに気が付いた。
見れば、ロイエンタールの前になる、上官の隣りの席に二人分のコートと書類ケースが纏めて置いてあった。
「バイエルライン、座らないか?」
ミッターマイヤーからのその言葉に、じんわりと感激しながらバイエルラインはコートを椅子の背に掛け、鞄を下に入れて柱を背にするミッターマイヤーの正面に着席した。
光源が近いのか、ミッターマイヤーの金髪が白く光って見えて、バイエルラインは眩しさから目をちょっと細めた。
奇妙と言えば、奇妙な会食だった。
普段、バイエルラインの言動の一つ一つに厳しいチェックをかますロイエンタールが、静かに黙々と食事を取っているのだ。
敢えて言うなら、レストランの出すワインの冷やし方に注文を付けたくらいで、その他についてはバイエルラインが怖くなるくらい静かだった。
「どうした、バイエルライン。ここの料理、口に合わないか?」
緊張の余り、食事が余り進まないバイエルラインを、ミッターマイヤーが気遣う。
普段なら、絶対零度の視線で彼を睨み付けてくる筈のロイエンタールは、何故か静かに鱸のムニエルを口に運んでいる。
「いえ、美味しいです、これ……!?」
返事の途中で、声は掻き消されてしまった。突然の大雨に、バイエルラインは頭っからスラックスの中までずぶ濡れになってしまったのだ。
「あわわわわっ」
「バイエルライン、こっちに入れ」
雨の冷たさと上官の声に、慌てて立ち上がろうとしたバイエルラインは、椅子の下の鞄の存在を忘れて無理やり立とうとした為に、そのまま椅子ごとひっくり返って濡れた芝生の上に転がってしまった。
当然、コートも芝の上に出来た水溜りの中に広げる事となり、バイエルラインは全身本当に濡れ鼠となってしまったのである。
「ほほう、今夜は雨だとは聞いていたが、随分凄いな」
添え物の人参のグラッセまで綺麗に食べ終えたロイエンタールは、口元をナプキンで拭いながらそっと笑った。
「これはひどいと思うぞ、ロイエンタール」
店からバスタオルを借り、無人タクシーを呼んで部下を送り出したミッターマイヤーは、店を出て駐車場に向かう間に、まだ人の悪い笑みを浮かべる親友に抗議した。
雨は、弱まったもののまだ降り続いている。
「何がだ?」
「とぼけるな」
ぴしゃりとそう言うと、雨に濡れた金髪をうっとおしげに掻き上げた。
「バイエルラインが来る前、俺がトイレに立っている間に、お前テーブルをずらしただろう」
「ほう、どうしてそう思う?」
おかしそうな黒と青の瞳を軽く睨み、ミッターマイヤーは不機嫌そうに言葉を続ける。
「普通、天幕の下に席は造ってあるものだ。それなのに、バイエルラインは雨に降られたんだ、テーブルの位置がずれていたに決まっている」
「だがミッターマイヤー、あそこに座ったのは奴自身だろう?」
その言葉に、灰色の瞳がぎっと眼光を増した。
「そう誘導したのはお前じゃないか。俺の隣りの片方に荷物を置いて、もう片方にお前が座ったら、後は俺の正面しかないだろう?」
「ほう、ではどうして、それをあの青二才に教えてやらなかった? そうすれば、奴は濡れずに済んだだろうに」
「……俺も、雨が振って来てから気付いたんだ。それにあそこでそれ言ったら、なんだかバイエルラインが可哀想な気がしたし」
そう言いながら、ミッターマイヤーは駐車場を通り過ぎようとした。
てっきり、自分の地上車に同乗するのだと思っていたロイエンタールは、慌てて引き戻しに掛かった。
「待て、ミッターマイヤー何処に行く!?」
「何処って、帰るに決まっているだろう」
「違う、車に乗らないのか?」
その言葉に、ミッターマイヤーはつんっと背中を見せて歩き出した。
「折角食事に誘った部下に、あんな思いをさせてしまったんだ、俺もずぶ濡れになるのが筋ってものだろう? このまま帰るよ」
「待て、ミッターマイヤー、それは違うぞっ! 第一、今夜はフラウエヴァンゼリンはいないだろう!」
こうして、七月のオーディンの夜は更けて行くのであった。