その日も、オスカー・フォン・ロイエンタールは機嫌が悪かった。
何故なら彼の目の前で、親友であるウォルフガング・ミッターマイヤーが、彼以外の人間と話し込んでいるからだ。
その日高級士官用クラブ『海鷲』ゼー・アドラーでは、この間退院したばかりのナイトハルト・ミュラーと、帝都防衛司令と憲兵総監を兼任するウルリッヒ・ケスラーとが、額を突き合わせて話し込んでいた。
そこに、親友が引き込まれたのだ。
話は、宇宙港の民間人用ターミナルでの、すり多発に付いてだった。
ローエングラム公が政治実権を握って以来、こう言う表現は何だが犯罪発生率が多くなった。
これを指して、貴族の何人かは眉を顰めているが、実際のところはこれまで貴族達が地位と金に明かせて握り潰していた犯罪が、犯罪としてカウントされるようになっただけである。
だが、そんな中で、本当の意味で犯罪が増加しているのが民間用の宇宙港である。
所謂財布、身分章の類が掏り取られる、『すり』の被害が爆発的に増えていると言うのである。
「あそこは確か、先月防犯強化と称して、色々行ったんじゃあ、ありませんでしたっけ?」
入院していてどれだけの情報を集めていたのか、少々気になるミュラーの発言に、ケスラーは不承不承と言った態で頷いた。
「うむ。フォン・クラーマー少佐の発案でなぁ」
このフォン・クラーマーと言う男、祖父がフリードリヒ四世の時代に憲兵総監をしていたと言う事があってか、上官であるケスラーに非常に敵愾心を持っていた。
今回、ケスラーに対する示威行為と、次期総監への布石として、宇宙港の犯罪率低下を狙ったらしい。
その対策と言うのは、
チケットに、すりへの警告文を入れる。
ターミナルのあちこちに、金品の無事の確認を促す、警告文を大きく張り出す。
そして警備員を随所に配置する。
と、言うものだった。
ところがだ、これを行った途端、ターミナルでの犯罪発生率はその前の月の数字を一週間で追い抜き、月末にはこのターミナル開設以来最悪の件数を叩き出す不始末となったのである。
……尤も、当人は「上司が自分の昇進を邪魔しようとしている」と吹いて歩いているらしい。無論、ローエングラム体制下で、それを受け入れる者は少数派でしかなかったが。
「まあ、そこで自分の失敗を認められない莫迦は一端脇に置くとして、何が良くないのかな?」
ミッターマイヤーが首を捻ると、ミュラーも頬を掻きつつ首を傾げる。
「そうですねぇ、警備員が増えて、犯罪まで増えるなんて、洒落になりませんよねぇ」
そこまで聞いて、ロイエンタールは溜め息交じりに年上の同僚に向き直った。
「ケスラー、この防止案の穴に気付いていて、やらせた訳では無かったのか?」
金銀妖瞳の上級大将の、言外に滲む付き合いきれぬと言う空気に、大きな背を丸めながらケスラーは本音を言った。
「実は、はっきりとは言えないが、これは駄目ではないかと思った。だが、俺自身何処が駄目かはっきりしないのに、駄目出しをするのはどうかと思ったんでな……」
「そしてしわ寄せは平民か?」
「ロイッ!」
親友から強く言われて、しぶしぶロイエンタールは口を噤む。
だが、そこに知りたがりの後輩が疑問をぶつけて来る。
「じゃあ、ロイエンタール提督はこの作戦の何処が悪いのか、判ったんですか?」
その問いに答えず、ロイエンタールはしれっとした口調で、ミュラーに問い返す。
「ミュラー、あそこに落ちた手帳は卿のか?」
「え?」
ばばっと、懐中に忍ばせている手帳の位置に手をやったミュラーを見て、ミッターマイヤーがあっと声を上げた。
事の次第を悟ったらしいミッターマイヤーと、ケスラーが「そう言う事か」と目を交わす。
「警告文を見た利用者が、金品の位置確認をしたのを見届けている訳か」
「確かに、つい手をやって確認してしまうものな。つまりクラーマーの警告文が、すり達に情報を与えてしまっているんだ」
腕を組むケスラーに、ロイエンタールはちろりと双色の瞳を向ける。
「判ったのなら、とっととその百害あって一利無しの警告文を取っ払う事だ。ついでにあそこのロビーは見た事があるが、警告文の看板がいい感じに見晴らしを阻害して、そこに隠れるように立っている連中も見掛けた。犯罪者に、隠れ家を提供する様ではどうかと思うが?」
「判った、判った。ミッターマイヤー、すまなかった」
ロイエンタールの傾ぎ具合の限界を感じて、ケスラーは同じく身の危険を感じたミュラー共々席を立った。
後には、もの言いたげなミッターマイヤーが残った。
「ロイ、あんな言い方するなよ」
「ん?」
二人が立ち去って暫くして、ミッターマイヤーはぽつりとこう言った。
クラーマーの事かとロイエンタールは思ったが、あれの事はミッターマイヤーも庇ってやるつもりはさらさらなく、彼が口にしたのはケスラーの方だった。
「ケスラーだって、部下に平等に接しようとした結果だったんだ。それに、あいつもこんなに酷い事態を想定してなかったんだ、責めてやるなよ」
ミッターマイヤーの言葉に、ロイエンタールは口を開き掛けて閉ざした。
あのクラーマーと言う男は、事有る毎にこう言っていたのだ。
「平民なんて、牛馬と大して変わりはしない。吾々貴族がきちんとなすべき勤めを示してやらねば、賢く生きる事など不可能だ。何故なら平民は、貴族に使えるよう愚鈍で愚かに生まれ付いているから、そのつど言い聞かせてやらねばならないのだ」
そう言う男だから、思いついただろう防止案だとロイエンタールは知っている。
だが、そんな事を親友に向かって語る気はさらさらない。
大体これ以上不愉快な事があるだろうか。
現にあのクラーマーと言う男より二、三歳若い我が親友は、当の昔に上級大将の地位に昇っていると言うのに!
「ロイエンタール?」
返事を返さない一歳年上の親友を、蜂蜜色の金髪の勇将は怪訝そうに窺っている。
それに向かって、ロイエンタールは黙ってワイングラスを掲げて見せた。