双璧の事件簿   作:怪傑忍者猫

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橋の上にご用心

 その日、ウォルフガング・ミッターマイヤーとオスカー・フォン・ロイエンタールの二人は、帝都の湾岸開発区に視察に来ていた。

 本来ならそういう部署の人間か、さもなければ宰相であるラインハルト・フォン・ローエングラム本人が行くべきなのだろうが、殺人的に忙しく、さらに言うなら余り内政関係者を信用していないローエングラム公の命令で、軍部の二大巨頭が視察に向かったのである。

 貴族相手のヨットハーバーと、何者かは知れないが『泰帝廟』と呼び習わされる人工島だけしかないこの湾岸部に、現在開発事業が展開されつつある。

 取り残された貴族達の東屋を、喫茶店やショッピングモールに改装して、観光産業を振興しようというものである。

 元々、『泰帝廟』自体が数少ない平民達の観光地――と言うのとは、ちと違うかもしれないが昔からここによく集まっていたし、ここには貴族達も何故か手出し出来なかった――であった為、近くに気軽に立ち寄れるアミューズメントスポットを作れば、もっと産業振興になる……と、ローエングラム公に進言した者がいたのだ。

 何より『貴族達の持ち物を平民に開放する』と言う事に、心動かされたローエングラム公はその事業にGOサインを出したのだった。

 

 

「思ったより、新しいな」

 

 そう呟いたのは、ロイエンタールだった。

 湾岸沿いに立ち並ぶ東屋――そう言い張るのは貴族達だけで、十分店舗として活用出来そうな代物ばかりなのだが――を眺めながらの言葉に、周囲の平民出身の開発担当者達がこっそりと失笑する。

 その中で、これはわざと大きな声でミッターマイヤーが親友に答えてやる。

 周囲への牽制も兼ねてだ。

 

「この辺に、貴族達が関心を寄せるようになったのは、せいぜい一四、五年位前からさ。それまでは、あそこの『泰帝廟』に平民が来るくらいしかなかったんだよ」

「ほう? 詳しいのか、ミッターマイヤー」

「うん、『泰帝廟』には良く来たから、この辺の変遷は見てきた口さ」

 

 そう言いつつ、ミッターマイヤーは河口から海岸線に向かってをすっと指差した。

 

「このあたりは、貴族の休憩所が出来るまでは良い釣り場でさ、俺も良くここで親父や友達と釣竿降ろしたものさ。それなのに、いきなり貴族達が立ち入り禁止にしてしまったものだから、せっかくの釣りポイントが台無しさ」

 

 その言葉に、釣竿を担いで走るサロペット姿の小さなウォルフを想像して、思わずロイエンタールの口元に笑みが浮かんだ。

 その様子にちょっとだけ口を尖らせ、ミッターマイヤーは堤防の上に飛び乗った。

 堤防から、帝都の端を掠めて海に注ぐフギン川とその河口を眺めると、丁度引き潮なのか水面が遥か下の方にある。

 日差しを反射する水面を見つめながら、ミッターマイヤーはゆっくりと堤防の上を歩き出した。

 そんな子供じみた親友の行動に、小さく微笑んだその次の瞬間、

 

「救急通報を頼む、誰か川の中に落ちてる!」

 

と叫んで、ミッターマイヤーが走り出した。

 彼らが立っているところから二百メートルほど先の橋の下、水量計を兼ねた鉄の梯子の所に、人にもマネキンにも見える何かが引っ掛かっていた。

 

 

 報告を済ませ、士官用クラブ『海鷲』ゼー・アドラーに現れた二人に、いきなり声を掛けたのはフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトである。

 

「よっ! また事件を引き当てたって? お前ら、本当に当りが良いよな」

 

 その言葉にミッターマイヤーは苦笑いを浮かべただけだが、ロイエンタールは露骨に眉を顰めた。

 

「好きで行き当たっているとでも、思っているのか」

「お前はともかく、ミッターマイヤーは懐かれてるのかもな」

 

 真顔で言われて、ますますロイエンタールは苦虫を噛み潰した顔になる。

 思い当たるのが、さらに腹立たしい。

 そんな顔の親友に気付いているのか、いないのか、ミッターマイヤーの方は別の同僚に声を掛けられていた。

 

「しかし、『泰帝廟』の近くであんな事件が起こるとは、よほど度胸がある犯人なのか、それとも死んだ人間が黙認されるほどの悪党だったのか。どちらにしろ、凄い事だな」

「うん……。取り敢えず、憲兵の報告を待たないと何とも」

 

 アウグスト・ザムエル・ワーレンにそう答えると、ミッターマイヤーは機嫌がものの見事に傾いでいる親友に向き直った。

 

「ん? どうしたんだ、ロイエンタール」

「どうしたも何も、どうして卿は……」

 

 叩きつけようとした言葉は、入って来たウルリッヒ・ケスラーのお蔭で宙に浮いてしまった。

 

「ああ、ミッターマイヤー提督、ロイエンタール提督、こちらでしたか」

「何か判ったのか、ケスラー」

 

 ロイエンタールと同じテーブルに着きつつ、しかしミッターマイヤーは真っ直ぐケスラーに顔を向けた。

 

「死亡者の身元と死亡原因、そして容疑者が逮捕されました」

 

 ケスラーの言葉に、ミッターマイヤーは訝しげに眉を顰めた。

 

「容疑者が?」

 

 ケスラーの報告によると、死亡したのは仮名A中佐。

 所謂貴族の末端の人間で、最近とある女性の事で、謹慎処分を言い渡されるほどのトラブルを起こしていた。

 死因は、川の水による溺死で死後五、六時間経過しており、誰かの手で水の中に押し付けられたと言うよりは、溺れてそのままと言うのが捜査サイドの視点らしい。

 端末のモニターに映し出されているA中佐とやらは、結構恰幅の良い大柄な男で微笑めば優しそうにも見えるが、目つきの陰険さで全て台無しと言う印象の男であった。

 

「川の水?」

 

 聞き返したのは、ロイエンタールだった。その言葉に、ケスラーは頷いて手元の端末に目を落とした。

 愛用の端末には、憲兵隊から引き出した情報を収められている。

 

「ええ、フギン川特有の淡水プランクトンが大量に検出されたそうですが」

 

 その言葉に顎を擦る美貌の親友の横で、ミッターマイヤーの方が身を乗り出した。

 

「それで、容疑者と言うのは?」

「容疑者は、被害者が付き纏っていた女性の兄です」

 

 この容疑者は仮名B少佐、死体発見から間も無く憲兵隊詰め所に自首してきた人物であった。

 謹慎を言い渡された後も、妹に付き纏うA中佐に腹を立てたB少佐は今日の朝早く、中佐をフギン川の海岸近くの橋の上に呼び出し、そこで口論するうちに誤って彼を突き落としてしまったのだと。

 

「その橋と言うのは、俺達が視察に行った湾岸部の、《ヴィオラ》橋の事か?」

「ええ」

 

 その言葉に、最初に否を唱えたのはロイエンタールの方だった。

 

「無理があるな」

「え?」

「俺達が、あの騒ぎに行き当たったのは正午を過ぎていた。その間、死体がずっとあそこに引っかかっていて、誰も気付かないと言うのはおかしな話じゃないか」

 

 「それに」と、その言葉に続いてミッターマイヤーも口を開いた。

 

「ケスラー、自分で言っただろう? そのB少佐が犯人になり得ない理由」

 

 途惑ったように頭を掻く、少壮の弁護士のような同僚に向かって、ミッターマイヤーは蜂蜜色の金髪を軽く掻き混ぜながらこう言った。

 

「だから、おそらく被害者が亡くなった頃は、満潮で《ヴィオラ》橋の辺りまで海水が上がっていた筈だから、検出されるのは汽水の筈じゃないかな? でも、検出されたのはフギン川の水だけだったんだろう?」

 

 『汽水』とは、要するに海水と川の淡水が混じったものを指す。

 

「つまり、もっと上流でA中佐は川に落とされたと仰るんですか、ミッターマイヤー提督」

 

 そう確認したその時、ケスラーの端末に緊急呼び出しが入った。

 慌てて取ったケスラーは、途惑いつつもミッターマイヤーに向き直った。

 

「B少佐の妹と言う人物が、憲兵隊に出頭して来たそうです。その、自分に迫って来たA中佐が、橋から落ちたと」

 

 その言葉に、ミッターマイヤーは一瞬何事かを考えたようだったが、黙って頷いた。

 ミッターマイヤーの方からは、ケスラーの端末のモニターが見えていたからだ。

 

 

 忙しそうにケスラーが出て行った後、黒ビールを片手にビッテンフェルトが寄って来た。

 

「やっぱり、あれか?」

「うん」

 

 どうしようもないなと声を掛けるビッテンフェルトに、ミッターマイヤーも仕方がないと頷く。

 その、自分が入り込めない会話にいらいらしながら、ロイエンタールは無理やり話に割り込んだ。

 

「しかし、いい性格の女だな、その被疑者の妹と言う奴は。本当はそのまま口を拭う予定じゃなかったのか?」

「……彼女は、本気で怖くて逃げただけだと思うぞ」

「ほう? どうして言い切れる?」

 

 こと女性が絡むとどんどん斜に構える親友に額を押さえながら、ミッターマイヤーは仕方の無いとこう言ってやった。

 

「あのな、B少佐の妹さん、さっきケスラーの端末で見たけど、どう見ても十歳かそこらの、ちっこい女の子だったぞ?」

 

 その言葉に、思わず黙り込んでしまったロイエンタールの頭の上で、ビッテンフェルトとワーレンが話し込む。

 

「ロリコンか。よっぽど嫌われているか、目に見えて無体なことをしようとしたんだな」

「しようとしたというより、酷い事やっちまったんじゃねえの? でなきゃ流石に死ぬまで放置しないで、親父どものところに投げ込むだろ、あの方なら」

「……暫く、親父に近付けんな。きっと殺気立ってるぞ、叱られたってんで」

「何の話だ?」

 

 胡散臭そうに顔を上げたロイエンタールに向かって、こちらも黒ビールを啜りながらワーレンが答えた。

 

「何、憲兵の代わりに、ミッターマイヤーの祖父君が蹴りを付けちまったなって話さ」

「気を付けろよ、ロイエンタール。ミッターマイヤーの爺様は、それは有名な怖い人だからな」

 

 その言葉に、流石にミッターマイヤーの眉が顰められる。

 

「卿ら、俺の祖父に対して何か含みでもあるのか?」

「無い無い、そんなものは無い」

「単に尊敬しているだけさ。何しろ、亡くなられて二〇年以上経つが、未だに親父が最敬礼する相手だ」

 

 そう言って、なあと肩を竦め合う同期二人を、ロイエンタールは本当に珍妙なものを見る目で見詰めた。

 自分の横で、軽く溜息を吐く親友に、少し物思うこともあったのだが。

 

 

 A中佐が、《ヴィオラ》橋の上流にある《タウリス》橋に向かって、嫌がる十歳くらいの女の子を引き摺って歩いているのを、近所の人間が目撃していた。

 また、『泰帝廟』の近辺には、時折記録的な突風が吹くことがあり、それに煽られて川に人が落ちるのは良くある事であった。

 その為、調査していた憲兵達は今回もそのケースであると結論し、捜査を終了させた。

 但し、貴族出身の若手は詳しく調査しようとしていたが、平民出身の中堅どころの佐官達が、揃って終了を決定したのである。

 

 

 オスカー・フォン・ロイエンタールが、ウォルフガング・ミッターマイヤーの祖父について知ったかどうか、それは誰にも判らない。

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