サルガッソー宙域を無事抜けて、ミッターマイヤー艦隊とロイエンタール艦隊とは、艦隊集合宙域である『トール星系』の最外周に達した。
ここからは、双方とも旗艦と六隻の護衛艦のみで中心都市のある第三惑星スールドに向かう事になる。
旗艦の艦橋で、ウォルフガング・ミッターマイヤー大将は親友にして僚友であるオスカー・フォン・ロイエンタール大将と、通信回線越しに労をねぎらい合っていた。
「オーディンからトール星系まで二週間か。サルガッソーを三ヶ所抜けた割には良い成績だな」
『どんどん先行する卿の艦隊に合わせるのは、骨だったぞ?』
薄く笑いながらのその言葉に、ミッターマイヤーは不当な事を聞いたと言いたげに口をへの字にした。
「何を言う。卿なら付いて行けるから、俺と一緒になったと聞いたぞ」
『判っている。そう向きになるな、余計からかいたくなる』
言葉面はあんまりだが、親友の双色の瞳が柔らかな光を放っているので、ミッターマイヤーはそれ以上追求するのを止めた。
その代わりでも無いが、別の事を口にした。
「それにしても、元帥閣下は今頃、書類の山と格闘中だろうか?」
『そうだろうな。しかし、まさか爵位継承後、行政官に残留を命じてそのまま丸一年放置していたとは』
領地こそ持たぬものの、事業家だった父の死後遺産やら事業の整理等で、色々弁護士に引っ張り回された記憶のあるロイエンタールは、若い上官の行動に嘆息する。
その点、裕福とはいえ自営業の一人息子であったミッターマイヤーには、想像も付かぬ世界の話である。
話は、ほぼ五週間前の事。
雪は解けたものの未だ寒い、二月の末の月曜日に遡る。
その日、元帥府にいた二人は互いに報告事項があって、上官であるラインハルト・フォン・ローエングラムの執務室に連れ立って向かった。
ちょうど二人とも近々艦隊演習があり、道々艦隊編成について軽く話し込みながら元帥の執務室へと歩いていた。
だが、目的地に着いて、警備の士官に観音開きの扉を開いて貰おうとした、その時である。
「本当ですか、ラインハルト様!」
と言う、ジークフリード・キルヒアイス少将の常にない悲鳴じみた叫びに行き当たり、二人は顔を見合わせた。
慌てて入室した二人が見たものは、スルト杉の大きな机を挟んで、きょとんとしているラインハルトと、机に手をついて息をする、珍しいキルヒアイスの姿だった。
「如何なさいました、今、キルヒアイス少将が声を張り上げておいでのようでしたが」
戸惑いを隠せぬままミッターマイヤーがそう問うと、ラインハルトは良く判らないと指を組んだ。
「大した事ではないのだが」
「拝領した荘園の、視察も監査もなさっていないのが、大した事ではないと仰いますか?」
腹に据え兼ねるのか、書類を整理しながらキルヒアイスの詰問が飛ぶ。
その言葉に、今度はラインハルトの白磁の頬に朱が上った。
事情が飲み込めないミッターマイヤーと、大方の予想を立てたロイエンタールの前で、幼馴染二人組の攻防が始まった。
「欲しくて貰ったものではない!」
「欲しい、欲しくないではなく、責任問題だと申し上げています!」
「今まで務めていた行政官に、業務を継続するよう辞令を出しておいたのだ、何も問題なかろう!」
「問題だから申し上げております!」
齢一〇歳からの親友の剣幕に、たじたじっとラインハルトは椅子の背に凭れ掛かる。
一旦、息を整えるべく言葉を切ったキルヒアイスに、従卒の幼年学校生がそっと水を差し出した。
受け取って一気に呷る赤毛の若者を見ながら、少々困惑した面持ちでロイエンタールが切り出した。
「失礼ながら元帥閣下、昨年拝領したローエングラム伯領を、帝領の時の行政官に引き続き管理させていると、言う事でありますか?」
「ああ、そうだが何か問題があるか?」
あっさりとした答えと問いに、さすがに痛いものを感じながらロイエンタールはこう答えた。
「法律上はございません。しかしながら閣下、閣下はその行政官の人となりを御存知でしょうか?」
そう言われて、初めてラインハルトの眉が跳ね上がった。
従卒からコーヒーを受け取りながら、ミッターマイヤーの方も灰色の瞳を細めて呟く。
「中央では滅多に記事になりませんが、辺境の新聞には行政官の不正が切っ掛けの事件が、良く報じられていますから」
「税金を余剰に徴収して着服とか、権力を嵩に来て他人の資産を奪うなど良くある事ですな。中には公金横領の挙句に部下に罪を被せて、一家心中に見せかけて殺して口を拭うような者もいたようですが」
続くロイエンタールの言葉に、姿勢を正したキルヒアイスは我が意を得たと大きく頷いた。
「ラインハルト様、確かに遠征があった為、気を回さなかった私にも非はあります。しかし、喩え昇進の余禄であったにしろ、領民に対してそれは余りに誠意の無い態度とは思われませんか?」
「……判った、早急に領地の監査を行う事にする。それでいいな、キルヒアイス」
「はい、ラインハルト様」
どうにか丸く収まったらしい上官とその親友のやり取りに、ミッターマイヤーは胸を撫で下ろし、ロイエンタールは表面上冷静に黙っていた。
それから、一週間経たずにキルヒアイスにカストロプ公の討伐命令が下った為、ミッターマイヤーとロイエンタールはその日の騒ぎを、他愛ない騒ぎとして記憶の底にしまい込んだ。
だから、キルヒアイスの帰還後いきなり、演習を兼ねて『トール星系』に向かうと発表され、二人は思わず互いの顔を見合わせていた。
トール星系は、名門といわれたローエングラム伯爵代々の領地であり、第二惑星『マグニ』、第三惑星『スールド』、第四惑星『シフ』の三つもの居住可能惑星を持ち、先代ローエングラム伯が遺した延べ二〇〇ヘクタールもの大庭園を中心とした観光産業で成り立っている。
そんなトール星系へ、ローエングラム伯となったラインハルトが爵位継承以来、初めて足を踏み入れる事となった。
ローエングラム伯爵家が断絶してから、八〇年余りの突発時であった。
艦隊の運行予定としては、第一陣としてローエングラム、キルヒアイス、ワーレン、ケスラーの四艦隊、その後ミッターマイヤー、ロイエンタールの二艦隊、ビッテンフェルト、アイゼナッハの二艦隊、殿として、メックリンガー、ミュラーの二艦隊が到着する事になっている。
ミッターマイヤー、ロイエンタールの両提督の旗艦が第三惑星スールドの軍用港に入港したのは、現地時刻の午前七時の事である。
だが、艦隊司令官である両名が行政府へと出発出来たのは、それから一時間近く懸かった午前八時前であった。
海に面した軍用港から地上車に乗り込んだ二人は、漸く目覚めた町を眺めながら行政府へと向かった。対面型シートの向かい側に腰を下ろした親友に向かって、ミッターマイヤーは困ったように呟いた。
「なあ、ロイエンタール、ここ、ちょっと整備が行き届いていないな」
「ミッターマイヤー、あれは行き届いていないのではない、なっていないと言うのだ」
控えめな友の表現を、静かな声に渋いものを滲ませつつ、ロイエンタールは切り捨てた。
観光惑星である事を考慮して、最小艦数で降下したにも拘らず、(軍用港でありながら)管制塔の指示は錯綜し、港湾部の現場も右往左往の有り様であったのだ。
しかも施設自体も二〇年三〇年経過した、耐用年数すれすれの中古品の寄せ集めで、果てしなくお粗末な状態であったのだ。
「まあ、元帥閣下が爵位を継がれるまで、七、八〇年もの間帝室直轄地だったから、軍施設が機能する必要も無かったのだろうし」
あくまでも好意的に解釈しようとする友に、ロイエンタールは大きな溜息を返した。
「それは違うな。むしろ直轄地だからこそ、軍施設が機能して然るべきではないか?」
金銀妖瞳の親友の言葉も尤もで、ミッターマイヤーは収まりの悪い頭髪に指を突っ込んだ。
ロイエンタールの方は、ふわふわと毛先が跳ねる蜂蜜色の金髪を見ながら、手持ち無沙汰そうに長い足を組み直した。
「何やら、面倒な事になるのではないかな」
ミッターマイヤーの呟きは、ロイエンタールの内心でもあった。
市内の移動は順調に進み、両名は午前八時四〇分には行政府に到着した。
一星系の中央行政府としては華美過ぎる建物と、始業時間をとっくに過ぎたにも関わらずやる気の無い職員達の姿に、二人揃って眉を顰めながら貴賓室に入った。
中では、そこを臨時執務室に定めた若き上司とその忠実な友人とが、参謀長を連れて来なかった事を悔やみながら書類の山を崩しに励む姿があった。
「こう言う事を頼むのは、公私混同しているようで心苦しいが仕方がない」
不機嫌にそう言ったラインハルトから書類を受け取りながら、キルヒアイスが別の書類を差し出した。
「申し訳ありません、両提督に市内にある『ローエングラム庭園』の視察をお願いします。本当は今日行う予定でしたが、とても滞在中にこなし切れそうに無いもので……」
山積みの書類の向こう側で臨戦態勢の、ラインハルトとキルヒアイスの二人から仕事を託され、二人は足早に行政府政庁から出る事にした。
二人が出て行くのと入れ違いに、のんびりと玄関ホールに入って来る男がいた。中肉中背の見るからに小役人と言った風情だが、ロイエンタールの見立てでは、身に着けているものは総て、彼の本来の年収では不釣合いな高級ブランド品ばかりだ。
ちらりと一瞥しただけだが、赤茶けた頭髪の下で小狡そうな茶色い瞳が笑っているのが、殊更嫌な印象を与える男だった。
そんな中年男を、長い銀髪の白面の優男が腰低く出迎える。見た目は本当に綺麗な男だが、ミッターマイヤーは白い蜥蜴が立ち上がっているように見えて、思わず鳥肌を立てていた。
「あれが、件のエドマンド・フォン・ツィーテン行政官と、腹心のカーチス・ウィル・クレバー行政次官だな。当主より遅れて出て来るとは、なんとも優雅な事だ」
地上車が走り出してから、面白くも無いとロイエンタールが呟いた。
親友しかいない気安さで片足を対面側のシートに載せると、ミッターマイヤーはしかめっ面を作ってこう言った。
「あの男、一体どれほど私腹を肥やしたのか」
「まあ、あの手の小役人風情としては、かなり大胆な事をしているかも知れぬな。だが、閣下の事だ、徹底的に旧悪まで掘り起こして、二度と公職に就けぬ様になさるおつもりだろう」
親友の言葉に、なるほどとミッターマイヤーは大きく頷いた。
「閣下とキルヒアイスが書類を山積みになさっていたのはその為か。ところで、ワーレンは旧ローエングラム伯の別邸の視察だそうだが、ケスラーは何処に行ったのだろう?」
「決まっている。行政府があのていたらくなのだ、治安警察の状態も押して知るべし、だろう」
二人を乗せた地上車は、中央市街地を南北に走る主要幹線道路を南へ下り、塀に囲まれた広大な緑地の側に建つ総三階建ての瀟洒な建物へと滑り込んだ。
ここが帝国有数の高級ホテル、ホテルハイデクラオトのスールド支店である。
中央市街内のホテル群の中でも、交通の便とサービスにおいて最高の評価を受けたホテルであるここは、グループ会長がグリューネワルト伯爵夫人と懇意である事もあって、宿舎として別館が開放されていた。
本来、元帥以下、全員軍基地に投宿する予定だったものの、基地側の施設の老朽化と狭さを理由に基地側から拒否されてしまい、急遽ホテル・ハイデクラオト側に宿舎の提供を求める事になったのだ。
姉の、数少ない友人の手を煩わせた事をラインハルトは嫌がったものの、現地のお粗末さに彼女の好意に甘える事に決めたのだった。
ホテルに落ち着いて三〇分後、二人は私服姿で、通りの向こうに広がる庭園の門を潜った。
「私服の方が一般客を威嚇しないし、管理人も取り繕わないだろう」
と、言うミッターマイヤーの意見が通ったからである。
ロイエンタールのほうには反対意見があったようだが、生成りの薄手のセーターを着込んだミッターマイヤーの笑顔に丸め込まれ、反論を諦めてしまった。
温帯糸杉の林の中を歩きながら、ガイドブックさながらの知識を披露するのはロイエンタールの方である。
「そも、この庭園は旧ローエングラム伯最後の当主が、生涯の道楽として造営させたものだそうだ。特に、このスールドに残された庭園は、市街内に造られていた庭園群の一部を集めさせたもので、言わば庭園の見本場と称するべき場所だ」
「俺も、親父から聞いた事がある。最も多い頃には、市内だけで五〇ヶ所もあったから、航空写真は緑のパッチワークの様だったそうだが」
スールドは公転軌道の関係で、オーディンより約一月分季節の巡りが遅い。
まだまだ花も若葉もまばらな広葉落葉樹と、濃い色の葉ばかりの常緑樹の下を、薄手の大振りなニット姿の二二、三才の青年と、暗めのジャケットを羽織ったサングラスを掛けた二七、八才の長身の青年とが連れ立って歩く。
無論、ミッターマイヤーとロイエンタール、衆目を引く容姿に、若葉より疎らな観光客の目を集める事この上ない二人である。
「旧ローエングラム伯の遺言で、庭園の九割が統廃合されてしまったから、現在公開されている所謂『ローエングラム庭園』は、ここと惑星シフの大薔薇園、そして惑星マグニの熱帯植物園だけだ」
「ふうん……うわっ」
かくんと、何かに足を取られ、ミッターマイヤーは倒れそうになった。
咄嗟に差し出された友の腕に縋って、辛うじて足を痛めるような倒れ方は免れたものの、足元を見たミッターマイヤーは眉を顰めた。
「酷いな、ここの管理は、一体どうなっているのか」
煉瓦敷きの遊歩道の一部から、ごっそりと煉瓦が抜け落ちている。
ミッターマイヤーが足を取られたのは、そういう穴の特に大きなものだ。
かれこれ歩いてみたが、遊歩道のあちこちに土埃が溜まって雑草が伸びていたり、敷石代わりの煉瓦が欠けていたりと、とても管理が行き届いているとは言えない状態である。
「つまり、閣下はこう言う状況を見て来いと、言う事なのだろうよ」
「それにしたって、酷過ぎるとは思わないか? ロイエンタール」
時折、観光客や地元の人間と擦れ違ったりしながら、二人は遊歩道を道なりに歩いて行き、北欧風の庭園から中華風の水上庭園へと進んだ。
エキゾチックな植物素材の水上の小路を歩き、石造りの東洋の古代船を模した石造りの物見台に上がると、ミッターマイヤーは一二センチ上の金銀妖瞳を見上げた。
「景色はいい、噂通りだ。だが、どうしてこんなに行き届いていないと思う? ほら、あの橋なんて壊れてかなり立つだろうに、未だに応急処置のままだ」
ミッターマイヤーが言っているのは、先程通った小路の欄干の一部分である。
日に焼けた木材の状態から、補修されたままかなり長くそのままになっているのが知れた。
「それだけではない、糸杉などはまめに枝打ちをしなければいけない種類の樹の筈だ」
「……それだけでは無さそうだぞ」
憤懣やる形無しと言った小柄の親友に見えないように、ロイエンタールは形の良い眉を顰めていた。
不自然に木々の間に隙間が空いているのを、何ヶ所か見たのだ。
察するところ、園内の良木や希少種の植物を勝手に持ち出した跡らしい。
高名な庭園の現状に、溜息を隠せないまま二人は歩き続けた。
人造湖を通り抜け、極彩色のオブジェの並ぶ空間を横目に進むと、まだ蕾の多い桜並木に出た。
長い並木道を歩いて行くと、椿の生け垣に囲まれた区域に出た。
真っ先に目に入ったのは、純白の砂利を敷き詰めた幅三〇メートル、奥行き一〇メートル程の空間であった。
その中には、大小一〇数個の岩がまばらに並べられ、砂利には一面にまるで細い風紋のように筋目が引かれている。
「ほう、『枯れ山水』か。先代ローエングラム伯の庭園道楽は、なかなかに本格的なものだったのだな」
「なあ、ロイ。カレサンスイって何?」
顎に指を当てて感心するロイエンタールに、不勉強を恥じつつミッターマイヤーは聞いてみた。
「ああ、人類が、宇宙どころか海を粗末な船でおっかなびっくり渡っていた頃に、東洋で生まれた庭園様式だ。水を用いずに、水辺の風景を表現する事から、『枯れ山水』と称するのだそうだ。まあ、主に宗教施設や学校の庭園に造られていたそうだが」
うろ覚えだと微苦笑するロイエンタールに向かって、素朴な尊敬の目が向けられる。
その春霞の色の瞳に気恥ずかしさを覚え、ごまかすように周囲を見回したサングラス越しの目が、緑に埋もれる様な草葺きの東屋を見付けた。
「ミッターマイヤー、あそこに東屋があるぞ」
「本当だ、行って見よう、ロイ」
言うなり、子犬のように駈け出した小柄な親友に苦笑して、ロイエンタールもゆっくりと東屋に向かった。
近付いてみると、竹林を背にしたその東屋は随分変わった形をしていた。
木と土で作られたその東屋は、不思議な事に出入り口らしい場所が板戸でぴっしりと閉ざされており、床も地面から四、五〇センチほど高くなっている。
そんな不可解な小さな建物を、ミッターマイヤーは子供のように見上げた。
灰色の瞳がきらきらしているのを、ロイエンタールは小さく吹き出しつつ見た。
その微かな声を聞きつけ、ミッターマイヤーは視線より高い位置の親友の顔を睨み付けた。
「なんだよ」
「いいや」
笑みを噛み殺すロイエンタールに、ミッターマイヤーはむっと来るのを押さえ切れずに詰め寄ろうとした。
そんな二人を、快活な少女の声が呼び止めた。
「はあい、そこのお兄さん方、教えて欲しい事があるの、いいかしら?」
振り向いた二人の前に、サロペットとデニム地のジャケットと言う出で立ちの、明るい茶色のショートヘアの少女が走り込んで来た。
年の頃は一六、七と言うところだろうか、汗だくで走ってきた彼女は、二人に入ってきた門の位置を尋ねて来た。
「えーと、ホテル・ハイデクラオトの側の門からだったけど」
「あ、南門側ね。ねぇ、七〇歳位のちっこいお婆ちゃん見掛けなかった? ニットのお兄さんの胸くらいの背の、背中の丸い元気なお婆ちゃんなんだけど」
そう問われて、ロイエンタールは首を振って見せ、ミッターマイヤーは灰色の瞳を眇めながら少女に向き直った。
「いや、道なりに歩いて来たけど、そう言うお婆ちゃんには会わなかったよ。力に慣れなくてごめん。ところで、そのお婆ちゃんはご身内の人かい?」
ミッターマイヤーのその言葉に、少女は声を立てて笑った。
「うーん、みたいなもの、って言うのが正しいわね。エリス婆ちゃんは、私達民営管理人の代表だから」
「民営管理人? なんだい、それ」
驚くミッターマイヤーと、無言のまま視線で問うロイエンタールの二人に向かって、少女は努めてあっけらかんと答えた。
「行政官の御意向とやらで、三年前に廃止された庭園管理局の代わりに、昔造園に参加した人やその身内が、庭園を守る為にお金と労力を出し合う事になったの。それを私達参加者は『民営管理人』って呼んでいるの。
今探しているエリス・コーダお婆ちゃんが、私達『民営管理人』の総代なの。あ、私、最年少管理人のリーナ・ガーラント」
少女の言葉に頷きつつ、ミッターマイヤーは渋面を作らないように努力していた。
本来、率先して庭園の保持を行うべき行政官の怠慢と不正に、爆発しそうになるのを必死に堪えているのだ。
そんな親友の肩を、ロイエンタールが労わるように叩いてやる。
その手に励まされるように、ミッターマイヤーは話題の転換を図った。
「そんな事があったのか。……ところで、この東屋珍しいね、窓の無い造りなんだ」
「え? ああ、これは西暦代の東洋の建築物で、『お茶室』って言う建物ですよ。窓は……あれ」
首を傾げながら東屋へと走ったリーナの様子に、ミッターマイヤーも気にしてついて行く。
「どうしたんだい?」
「何時もは、お婆ちゃんが朝六時には風を入れる為に、『雨戸』って名前の窓の扉を開けているの。だけど未だ開いてないのよ」
そう言って、板戸がきっちり嵌まったままの東屋の右手側に回り込んだ少女は、サロペットから引っ張り出した鍵束を手に、困惑したように呟いた。
「変ね、南京錠が外れているのに、潜り戸が開かないわ」
「どうしたんだ?」
ついて来たミッターマイヤーの目の前で、リーナは蹲り何かを引き開けようとしている。
よく見ると、地面から五〇センチばかりの位置に、人一人が蹲ってやっと潜り抜けられそうな板戸があり、そのささやかな取っ手に彼女は手を掛けていた。
近付いて背後に立ったミッターマイヤーを、リーナは困惑した表情で振り仰いだ。
「鍵が外れているのに、ここが開かないの。中には一応差し込み錠が付けてあるけど、自然に掛かる筈無いのに。……まさかお婆ちゃん、ここにいるのかしら?」
不審そうなリーナの呟きが、ミッターマイヤーの勘に引っ掛かった。
「すまない、後で弁償するっ!」
そう言うなり、リーナを板戸から引き離したミッターマイヤーは、短いバックスイングからの鋭い蹴りを叩き込んだ。
白兵戦では一家言持つミッターマイヤーの脚力の前に、一センチ足らずの厚みしかない杉板は真っ二つに割れた。
「あーっ、なんて事を!」
「だから、後で弁償するから」
後ろから掴み掛かって来るリーナを、騒ぎを無視出来なくなったロイエンタールに任せると、ミッターマイヤーは割れ目に手を差し入れようとして、見えた物に全身が総毛立った。
必死に板戸の周囲を探って差し込み錠を外し、成人男子が身を捩ってやっと潜れる小さな戸口に滑り込む。
板戸の上部にある通気用らしい飾り板の隙間と、ミッターマイヤーの背後から差す光で、中は薄ぼんやりとしか物を見る事が出来ない。
そんな室内の剥き出しの梁から、何かがぽつんと吊り下げられている。
「……っ」
膝を付いたまま、ミッターマイヤーは唇を噛んだ。
暗い部屋の中に、まるで蓑虫のようにぶら下がっていたのは小さな老婆の身体だった。
見開かれたままの目と、頸部圧迫で飛び出した舌が、老婆の無念を雄弁に語っていた。
「ちょっとお兄さんっ! お茶室は土足厳禁よっ!」
ロイエンタールを振り払った少女が、ミッターマイヤーを中から引っ張り出そうとする。
その細い手に掴まれたまま、ミッターマイヤーは艦橋もかくやの大きな声で親友を呼んだ。
「ロイ、ロイエンタール! 今すぐケスラーを呼んでくれっ! 早くっ!」
その声の前に、異変を感じたロイエンタールに呼び集められた部下達が走り出していた。
それから間も無く、治安警察の捜査員を引き連れて、ウルリッヒ・ケスラーが駆けつけた。