それは、オーディンに春先の長雨が続いたある日の事だった。
裕福な平民や、下級貴族のセカンドハウスが多い地区で、爆発事件が発生した。
吹き飛んだのは古い小さなアトリエで、そこに泊り込んでいた画家が爆死した。
夜もそろそろ深夜という時分で、周辺住民の度肝を抜く騒ぎとなった。
丁度、高級士官用クラブ『海鷲』ゼー・アドラーから出て来たところであったウォルフガング・ミッターマイヤーとオスカー・フォン・ロイエンタールの二人も、その轟音を耳にしていた。
翌日の昼、士官食堂で食事をとるミッターマイヤーをナイトハルト・ミュラーが捕まえた。
勿論、ロイエンタールがいないのを確認してだ。
「昨日の爆発、ミッターマイヤー上級大将も目撃なさったそうですね?」
「目撃まではしてないよ」
勢い込んで聞いて来る年下の同僚に、ミッターマイヤーは困惑半分、苦笑半分で答えた。
「別の場所で飲み直そうとしたら、突然だったから。驚いて取り敢えず現場まで行ってみたけど、俺が行った時には、もう消防隊や憲兵隊の連中で一杯だったから、何も見えなかったよ」
だが、ミュラーは端からミッターマイヤーから、火事場の状況を聞くつもりは無かったようだ。
ちゃっかり向かい側の席に座ると、覚え書きのメモを取り出した。
「あの爆発、ガス漏れとかじゃなかったようですよ?」
「そうなのか!?」
そう言ったミッターマイヤーの表情は、かなり硬いものがあった。
実を言えば、あの爆音を耳にした時、軍で使用している高性能爆薬の炸裂音に似ていると思ったのだ。
だが、幾らなんでも市街地でと思っていたのだが。
「まだ、確認の途中らしいんですけど、以前横流しされた軍需物資の一つじゃないかって。只、あそこの建物の持ち主は、軍籍に入っていた事無かったらしいんですけど」
「建物の持ち主と言うと?」
思わず聞き返したミッタ―マイヤーに、ミュラーは勢い込んで頷いた。
「ええ、あそこで死んだ、ステファン・ボルターノと言う画家ですよ」
「ボルターノが、どうかしましたかな?」
不意に入って来た第三者の声に、ミュラーの体が跳ね上がった。
尤も、声の主は彼の懸念した相手ではなく、『芸術家提督』ことエルネスト・メックリンガー大将だった。
「メックリンガー」
ミッターマイヤーに目礼して、メックリンガーは軽く髭を撫でた。
「夕べはびっくりしましたな。折角調律したピアノが、あの振動のお蔭で又技師を呼ばねばならなくなりました」
「それはそれは……」
「そう言う問題ではないと思うが、メックリンガー。ところで卿は、亡くなった人物に付いて何か知っているのか?」
ミッターマイヤーの問いに、メックリンガーは眉を顰めてこう言った。
「知っているというか、まあ不行状で知られた男ではありましたな、あのステファン・ボルターノは」
メックリンガーの語ったところによると、このステファン・ボルターノと言う男はモデルとして――美しい少年を、あのアトリエに引き込んでいたらしい。
この男、どうも何処かの権門貴族の末席にいたらしいのだが、男色趣味が講じて芸術家となり、家を出たらしいのだ。
その筋の人間ゆえに、モデルとなった少年に肉体関係を強要するのは何時もの事で、酷い時には兄弟や友人まで連れ込ませていたらしい。
但し、実力的にはなかなかで、所謂神話や伝承に出てくる美少年の再現に関しては、画壇で一定の評価を受け続けていたそうである。
うわすっぱいと、口をへの字にするミュラーと、硬く眉を顰めるミッターマイヤーに向かって、メックリンガーは溜め息と共にこう付け加えた。
「まあ、何れはこうなるのではないかとは、画家仲間の間で囁かれてはいましたが、まさかこう言う形で現実になるとは」
「何が『何れこうなる』と?」
割って入って来たドスの利いた低い声に、メックリンガーとミュラーが飛び上がる。
この声に、めげも怯えもしないのは、付き合いの長いミッターマイヤーだけである。
辞意を述べて、そそくさと立ち去る二人を色の違う両目で睨み、ロイエンタールは食後のコーヒーを口に運ぶミッターマイヤーの前に座った。
音楽の音に負けじと、窓ガラスを雨粒が叩いている。その音に苛立ちを書き立てられてか、ロイエンタールは何時にも増して低気圧で口を開いた。
「……何を、話していた」
「夕べの、あの爆発の事だよ」
事実なので、簡潔に話す。
それを聞くなり、ロイエンタールの表情がバリバリと硬くなった。
何時もの事ながら、ロイエンタールはこう言う騒ぎにミッターマイヤーが噛み込む事を嫌っていた。
『餅は餅屋』、憲兵隊が片付けるべき事に噛み込む必要は無いと言うのが、彼の持論である。
尤も、ミッターマイヤーが謎解きに夢中になって、自分に構ってくれなくなるのが嫌なだけであるが、ロイエンタールは絶対認めないだろう。
「あの爆発音、おかしいと思っていたが、やはりガスではなく爆薬だったらしい」
今、ミュラーから聞いた事を告げると、
「ミュラーの声なら聞こえていた」
と、いっそくだらないと言いたげにロイエンタールは切り捨てようとする。
とにかく、親友がそう言う話をするのを止めさせたいと思っているらしく、ロイエンタールはまず正論で止めに入る。
「ミッターマイヤー、だから憲兵どもの仕事を肩代わりしてやってどうする? お前は恐れ多くも、宇宙軍の提督なのだぞ?」
その口調に、些かむっとしてミッターマイヤーが抗議しようとした、その時であった。
僅かではあったが、カップの中身がパチャンっと跳ね、衝撃を感じ取った防弾窓ガラスがワンっと撓たわんだ。
それは昨夜と同じ爆薬特有の衝撃で、食堂に居た士官達の何人かが椅子を蹴って立ち上がった。ミッターマイヤーとロイエンタールも、同時に椅子を蹴って窓に飛び付いていた。
雨で霞むオーディン市街の、更に向こうで黒い煙が雨に負けずに天に昇って行っていた。