出撃前に、婚約者が己の肖像画をくれたのだと、彼は言った。
美しい金髪の、整い切った目鼻立ちのそれは確かに美人だったが、その背景の厭に鮮やかなグリーンが不釣合いだと思ったものだ。
『どうだ、美人だろう? ロイエンタール、貴官は近付かないでくれ、頼むから』
自慢げに、狭い私室に飾った大きな額の前で、惚気たり嘆願したりしていた男はもういない。
彼の乗っていた巡航艦は、イゼルローン回廊での小規模戦闘に参加し、叛乱軍側の砲撃で少なからぬ死者を出した。
公式発表された戦死者の中に、ヨハン・パッサオ『少将』の名はあった。
同僚だったヨハン・パッサオの婚約者、それが彼女、アンネ・シュナーベルだった。
肖像画で顔は知っていたが、彼女に会うのはこれが初めてだった。
近々田舎に帰ると言う彼女の許へ、ウォルフガング・ミッターマイヤーと親友であるオスカー・フォン・ロイエンタールは、パッサオの遺品を届けに出向いた。
イゼルローン回廊での小競り合いは、世間には大々的な会戦として発表され、大勝と言う見出しが新聞や街頭テレビに躍っている。
そんな中を、二人は女性の住む集合住宅に向かった。
肖像画そのままの笑顔で、彼女は二人を出迎えた。
その姿は、婚約者を失った女性と言うより、邪魔な粗大ごみを片付けた後と言った印象を与え、女嫌いの漁色家に失笑をもたらした。
美男で知られた親友に、自分の美貌に自信を持つ女性の常でそれとなく(らしい)秋波を送っていた彼女にむかって、ミッターマイヤーは控えめに、
「ヨハン・パッサオの遺品を引き取って欲しい」
と切り出した。
途端に豹変した女性の目の色に、二人は自分達の推測が正しかった事を悟った。
「貴方に渡す方が、彼も喜ぶと……」
「何故ですの? 私、彼から物を貰う謂れなどありませんわっ」
居丈高な女の声に、静かに話を聞いていた親友が、携えていた荷物の包みを解いた。
荷物に目を向けた、彼女の白い頬が微かに引き攣れたのを見ながら、ミッターマイヤーは本題に入った。
「公式発表では、ヨハン・パッサオ大尉は戦死者に名を連ねています。でも、それは真実では無いのです、シュナーベルさん」
ミッターマイヤーの言葉に合わせるように、長身の親友が見せた物。
それは毒々しい程の緑の中に座る彼女の絵を、ポリフィルムで密封した物であった。
声も無い彼女に、ロイエンタールは検事の如き冷徹さで問い質す。
「この緑色、砒素と酢酸銅で作った『シューレグリーン』に間違い無いな?」
凍り付いたように絵を見る女は、美丈夫の問いに答えない。
毒々しい緑は、ぶつぶつと小さな穴がそこここに開いていて、異常を悟らざるを得なかった。
「パッサオは極度の寒がりで、巡航艦内の私室でも、室温を二八度より下げませんでした。そこにこの絵を置けば、何れ砒素入りの水素ガスが出る事になる。
シュナーベルさん、彼は急性の砒素中毒で亡くなりました。貴女の思惑通りに。
でも、貴方は考えなかったのですか? 貴方の事を愛していた奴の事も、軍艦内に毒ガスを仕掛けると言う事が、どんな事態になるのかも」
ミッターマイヤーの言葉に、彼女は何も答えなかった。
下を向き、顔を見せない彼女に向かって、ロイエンタールが言葉を突き付ける。
「貴女が大学で古代美術史を専攻している事も、新しく上流貴族の男と付き合い始めたので、下級貴族のパッサオと別れたがっていた事も証言を得ている。何か弁明は?」
そのまま、彼女は憲兵隊に拘束された。
その細い背中に、ミッターマイヤーは小さく嘆息を洩らす事しか出来なかった。