あれから二週間が過ぎたが、エルウィン・シューベルトの事件は解決どころか、調査の進み具合すら判らない状態に陥っていた。
ビッテンフェルトとミッターマイヤーの二人は、今更ながらに憲兵隊の腰の重さに辟易していた。
そうこうする内に、先の会戦の功績でラインハルト・フォン・ミューゼル改めローエングラム上級大将は元帥に昇進し、二人は共にその幕下に移った。
「おい、何か連絡あったか?」
もうすぐ三月も終わろうというある日、親友が出て来るのを待っていたミッターマイヤーに、退庁途中のビッテンフェルトが声を掛けた。
主語を抜かしたビッテンフェルトの問いだったが、理解したミッターマイヤーは首を振って否と伝えた。
「これっぽっちも。案外未解決として、もうファイル処理されてしまったのでは無いか?」
「ち、どうせ調査なんて平民士官にさせてる癖に、いよいよ使えねぇな、ホルヴァートの奴め」
盛大に舌打ちして頭を掻くビッテンフェルトに、一年後輩は困ったように頬を掻くだけだ。
そこに、すらりとした長身の美丈夫が入って来た。
ダークブラウンの頭髪と整った顔立ち、それに異彩を加える青と黒の金銀妖瞳。
オスカー・フォン・ロイエンタールは親友と並んで顔を顰めている同期の男を、一抹の疑問と大多数の不愉快さと共に睨み付けた。
だが、睨まれたくらいで引くようなビッテンフェルトではない。
何しろ、今よりもっと人嫌いの風があった士官学校時代の彼に、話し掛けていた数少ない人間の一人なのだから。
「おう、今帰りか、ロイエンタール」
「……ミッターマイヤーに何か用か、ビッテンフェルト」
少し諦めたようにそう聞いて来た同期の主席に、ビッテンフェルトは頷きながらこう言った。
「何、この間の事件の事をな」
「この間の? ああ、お前とミッターマイヤーの目の前で起きたと言う、あれか」
些か不機嫌なのは、自分の知らないところで又、親友が危ない事に関わった所為だろうか。
緩やかに機嫌が下降線を描く親友に気付いているのか、ミッターマイヤーは軽く溜め息を付いた。
「俺達がねじ込んで、何とか司法解剖に回させたんだが、それから先が動かない。被害者が麻薬常用者だった所為で、どうも捜査が麻薬の追跡捜査の方に切り替わったらしいんだ」
「全く、確かに碌でも無い奴だが、殺された以上はきっちり調べろってんだ。ったく、もしこれが凶悪な連続殺人鬼だったらどうするってんだ」
ビッテンフェルトのぼやきに、金銀妖瞳の美男子は放って置けと冷たく言い放った。
「仕事をしないで上から睨まれるのは、奴らの勝手だ。そんな事にまで、気を回してやる必要が何処にある?」
「ロイエンタール」
どうしてこいつはこうなんだろうと、肩を落し気味にミッターマイヤーは親友の裾を引いた。
だが、猪と異名を取る事となる同期の、直観故の一言にロイエンタールはその双色の瞳を剥く事になる。
「お前な、五つや六つのガキじゃねぇんだから、ミッターマイヤーが俺や他の奴と話してるからってぐれるなよ。お前だって、仕事でこいつと別行動取らざるおえない事あるだろう?」
その言葉に、一瞬虚を突かれた顔が、取り繕うように憤然とした物になる。小柄な親友に、
「先に『海鷲』ゼー・アドラーに行っている」
とだけ告げると、ロイエンタールは振り返りもせずに歩いて行ってしまった。
その背中が扉の向こうに消えたのを見届けて、ミッターマイヤーは困ったように一年上の同僚を振り返った。
ビッテンフェルトの方は、予測と違いそのまま出て行ってしまった同期に驚きを隠せない様子だった。
「ありゃ、ビンゴか。なんか、近所の独占欲の強いガキに雰囲気が似てたから、突っ込んで見たんだがな」
「おいおい」
それだけ言うと、ミッターマイヤーは思い出したように上着の内ポケットから、一枚の紙切れを取り出した。
それは雑誌か何かをコピーしたものらしく、説明文と共に楕円形の葉と、葉の付け根から一個ずつ垂れ下がる暗紅紫色の鐘状の花を付けた草の写真が描かれていた。
「取り敢えず、親父がいなかったから、俺が探したんだけど。こいつが使われた毒じゃないかな、『ハシリドコロ』って言う奴で、目薬生産用に辺境では大量栽培されているらしい。最も、アトロピンを大量に含んでいるから、劇薬扱いでそうそう手に入るものじゃないらしいけど」
「ふーん……。『ハシリドコロ』かあ……」
何か腑に落ちないらしく、ビッテンフェルトはオレンジ色の髪を掻き回しながら紙切れに目を落とした。
「どうした?」
「いや、ちょっと違う気がしてな。俺が昔、親父に連れられてチュール星系の惑星ロンブスでビバーグしてた時に見たからな、こないだの」
「ビバーグって?」
「あ、俺の親父、白兵教練の教官なんだがな、暇があると鍛錬兼ねてあちこちで野営してるんだ。
ガキの頃はそれこそ、学校が休みになる度連れ出されて大変だったぞ。しかも、お蔭でなんか気が向くと、山歩きに俺も出るようになったし」
そう言うと、ビッテンフェルトは不意に腕時計に目を落とした。
「おっと、そろそろ行かんとな。今日は士官学校の頃の、同級生に呼ばれてんだ」
「へえ、同級生?」
聞き返したミッターマイヤーに、ビッテンフェルトは少しだけ恥ずかしげに頬を掻いた。
「んー、奴とは大した付き合いは無かったんだが、奴の妹が、実は山歩き仲間でな」
そう言って、ビッテンフェルトはそれ以上話さず駆け出した。
まるでそれ以上突っ込まれるのを怖がるように、そそくさと立ち去る背中をミッターマイヤーは微笑ましく見送った。
ミッターマイヤーが『海鷲』に着くと、独占欲の強い親友は少し強引に彼を席に着かせた。
「おい、ロイエンタールどうした?」
「別に」
不器用にそう言うと、ロイエンタールは小柄な親友に酒を勧めた。
暫く飲み交わすと、ロイエンタールは目一杯の何気なさを装い――残念ながらそれは失敗していたが――、ミッターマイヤーに事件の事を聞いてみた。
一応、二週間前にも聞いていたものの、興味が薄かったので聞き流していたのだ。
だが、それを切っ掛けにビッテンフェルト――昔の同級生の中でも問題児と知られた――が、この親友と親しくしていると言う事に不満を感じた末の行動である。
「結局、どう言う事態になっているのだ?」
ここで、
「俺の話を聞いていなかったのか!」
と、言わないのがミッターマイヤーの優しいところである。
二週間前の清掃作業中に起きた事を、自分が見た範囲で詳しく話し、アトロピンで暴走した事、彼の身の回りから麻薬以外の薬物が出て来なかった事を告げると、ミッターマイヤーは肩を竦めてこう言った。
「俺は、シューベルト少佐に毒を盛った方法を一応思い付いてるけどな」
「ほう、憲兵どもが判らないものをか。一応聞いておこう、どうするのだ?」
ミッターマイヤーは自分のグラスとロイエンタールの手からグラスを借り受け、両方に同じだけ同じ酒を注いだ。
但し、自分のグラスの方には、目印としてつまみに添えられていた食用花の花弁を一枚浮かべて。
「先ず、ロイエンタールのグラスがここにある。そこに、そのグラスよりお前よりに俺のグラスを置く。勿論、毒物が入っているのは俺のグラスだ」
そう言いながら、ミッターマイヤーは自分のグラスを置くと、そっともう一つのグラスを引いた。
「このとき、お前に気付かれないようにもう一つのグラスを引いて置く。
取り上げても良いな。この時気を付けなければいけないのは、お前のグラスに俺の指紋を付けないこと、それと変に触り過ぎてお前の指紋を潰さない事、だな」
促されて、ロイエンタールはミッターマイヤーのグラスを取り上げ、軽く中身を舐めた。
グラスを戻すと、ミッターマイヤーは引いたグラスをその横に置き、花弁の浮かぶグラスを取り上げた。
「その後、今回の毒物ならいきなり走り出して騒ぎになっている間に、すり替えたグラスを戻しておく。
後は人目につかないところで毒入りグラスの中身を捨てて、綺麗に洗って戻しておけば判らないと言う寸法だ」
「そうは言うが、毒物なんぞ混ざっていては、一口飲めばばれるのではないか?」
「確かに、今回使われただろう毒物は苦いからな、下手な飲み物に入れるとすぐ判ってしまうけど。
でも、あの時の飲み物は水とコーヒーしかなかったからな。ブラックのまま飲んでいたとしたら、ある程度はごまかせると思う」
グラスの中身を飲み干しながら、ロイエンタールは軽く肩を竦めた。
「となれば、シューベルトとか言う奴が座っていた時に、その側にいた奴が犯人と言う事になるな」
「ああ。ただ、憲兵はそれを調べていないらしいんだ、どうもすっかり、麻薬調査に終始しているらしくて」
意味合いは違うが、お互いに肩を竦め合い、二人はグラスに酒を注ぎ合った。
その晩、新たな惨劇が起きた。花冷えのその晩、道路の真ん中に蹲っていた軍人が、大型トラックに跳ねられたのだ。
それが、一体何を意味するのか、まだ誰にも判らないが。