その日、高級士官用クラブ『海鷲』《ゼー・アドラー》で、ウォルフガング・ミッタ―マイヤーは電子新聞の端末をいじりつつ時間を潰していた。
親友が何やらトラブル発生とかで、こちらに来るのが遅れているからだ。
何気なく端末を操作していたミッタ―マイヤーは、とある記事に目を止めるとグラスを置いて、熱心に記事を読み始めた。
「随分熱心ではないか、ミッタ―マイヤー。
卿の関心を買うような記事でもあったのか?」
三〇分ほど遅れてやって来たオスカー・フォン・ロイエンタールは、自分に気付かず記事に没頭している様子の親友に向かって、半分揶揄るように声を掛ける。
その声に、片手を上げて答えたミッタ―マイヤーは、眉を顰めたまま端末に目を向けている。
そんな親友の態度に軽く眉を顰め、席に着いたロイエンタールは給仕に注文を出す。
ミッタ―マイヤーの方はフィルム状のニュース端末を広げ、見ていた記事を拡大して見せた。
「ゴシップ記事って奴なんだが、ちょっと納得のいかない話が乗っていてな」
「ほう?」
記事は二日前のもので、とある劇団に属する下級貴族出身の舞台女優が、パトロンであり愛人関係にあったとある権門貴族に連なる脚本家を、老舗劇場の事務所で刺殺したというべた記事であった。
男女で事務室に籠り、二時間立っても帰ってこない二人を探しに行った団員が、事務所のソファーでぐったりしている二人を見付けたのだが、扉の方を向いた座っていた脚本家は、そのままの姿勢で凶器を胸に突き立て、息絶えていたと言う事だ。
鍵の掛かった密室で、二人っきりでいて男が死んでいた為に、女優に容疑が掛かりほぼ確定的に扱われていた。
尤も、女優の方は脚本家が殺される前に自身は睡眠薬を飲まされていたので、何も判らないと主張しているらしいが。
脚本家とは名ばかりだったらしい貴族のボンボンと、同じく名ばかりの女優だったらしい貴族の娘の起こした事件に、ロイエンタールは双色の瞳を不快気に細めた。
「こんなものに興味を持つとは、随分な野次馬ではないか、ミッタ―マイヤー」
「だって、納得いかないじゃないか、こんなの」
瞳を鋼色に染めて、ミッタ―マイヤーは記事を指で突きつつ疑問点を上げた。
「まず、何で二人で密室に居たかだが」
「男と女が密室を作ってやる事など、一つだろう」
「茶化すな。
だとしても、どうして殺した後彼女は逃げなかった? 職員や他の団員が室内に踏み込むまで、彼女はその場にいたと言うんだが」
親友の疑問に、ロイエンタールは冷笑と共に切り返す。
「決まっている、女なんぞと言う生き物は、感情のまま行動するからな。一時の激情で、男を殺したんだろう。
案外相手に、浮気相手でも居たのではないか?」
親友の女性への偏見にこめかみを押さえつつ、ミッタ―マイヤーは端末を操作し凶器の写真を呼び出した。
そこに写っているのは、おそらくはボウガン用だろう軸が太く短い矢だった。
矢羽の派手なそれは、殺傷力を上げる為に切っ先をわざわざ削った跡が視て取れた。
「最初から殺す為に事務所に来たとして、それなら寧ろもっと殺傷力のあるものが用意出来るだろう。本気で殺す気なら、銃なりもっと鋭いナイフなり、幾らでも用意出来た筈だ。
大体、事務所内には弓もボウガンも無かったって話だ。これを手で突き刺すなんて、俺達でも大変だろう」
一旦言葉を切ると、ミッタ―マイヤーは端末に凶器に代わって、被疑者と被害者の写真を呼び出した。
脚本家の肉の弛んだ顔――年齢的には自分達とあまり変わらなかった筈だ――と、女優の磁器人形《ビスクドール》のような白い顔を示しながら、収まりの悪い蜂蜜色の髪を掻き上げながら溜息を吐いた。
「俺には、この女に肉玉を串刺しにする腕力があるとは思えないんだ」
色の異なる双眸が、酔狂だと言外に詰《なじ》って来る。
それに向かって、冬の空を思わせる瞳が否を唱える。
『正論家』ミッタ―マイヤーの本領発揮である。
「俺はそれがどんな馬鹿に対してであっても、冤罪は間違っていると思う」
「ふん」
そこはかとなく不機嫌に鼻を鳴らすと、ロイエンタールは記事を斜め読みして、現時点での問題点を上げる。
「だが厄介だぞ?
折角の監視カメラは、当の被害者が切っていたと言う話だ。地上三階と言う事もあるが、そもそも窓は内側から鍵が掛かり、ガラスも綺麗なものだったそうだな。
しかも、あの劇場はオーナーの趣味であちこちアナログ仕立てで、電子ロックは金庫にしか設置されて無いと言う為体《ていたらく》だぞ?
事件のあった事務室に至っては、室内の閂錠以外鍵がないので、扉を斧でぶち抜いて開いたとあるが」
親友の言葉に、ミッタ―マイヤーは弾かれたように顔を上げた。
「ロイエンタール、ここは密室じゃない、憲兵達が見落とした穴があるぞ!」
「何だと?」
怪訝そうに眉を顰める親友に向かって、ミッタ―マイヤーはドアノブを捻る仕草をして見せた。
「ドアノブだ。樫の一枚板を使ったって言うなら、絶対ノブがある筈だろう?
ノブを外して、室内側のノブが転がらないよう紐を結んで垂らしておくんだ。ドアの正面に座ってる被害者にボウガンを撃ち込んで、またノブを戻せば密室の完成だ!」
パズルを解いた子供のように話す親友に、ロイエンタールは納得と共に唸る。
「成程、劇団員なり、劇場職員なりがボウガンを携えていたとしても、小道具と主張されれば疑う者はまずいないな。
しかし、まるで『ユダの窓』だな」
『ユダの窓』とは、刑務所の独房などの扉に付いている、囚人を監視する為の小窓を指す言葉である。
その一言に何か返そうとしたミッタ―マイヤーの肩を、ポンっと叩く者がいる。
「え?」
「協力感謝する」
通り抜け様にそう言って、店から速足で出てくのは僚友であるウルリッヒ・ケスラーである。
その広い背中を見送ったロイエンタールは、有るか無しかの笑みを浮かべ蜂蜜色の髪の親友を見た。
「どうやら、憲兵隊に手柄をやったようだな」
「……いいさ、無実の人間が救われたなら、それは世の中がマシになったって事さ」
そう開き直ったように言い切ると、ミッタ―マイヤーは飲み掛けのワインを喉に流し込んだ。
そんな親友の反応に苦笑を隠さず、ロイエンタールも注文したワインを口に運んだ。
脚本家の私設秘書であった男が、事件の真犯人として新聞に載ったのはその二日後の事。
脚本家に弄ばれ捨てられ、自殺した妹の敵討ちだったらしい。