今まで、色々新聞を見たり、人から話を持ち込まれたりはしていたものの、直接目の当たりにするのはやはり嫌なものだ。
それが、ウォルフガング・ミッターマイヤーの本音である。
とにもかくにも、憲兵が来るまで、そこから動けなくなってしまった。二月の頭の寒い夜の事だ。
「ミッターマイヤー」
「連絡してくれたか、ロイエンタール」
表通りから、路地裏の袋小路であるそこに戻って来た長身の高級軍人に、同じく高級士官の軍服を纏ったミッターマイヤーが声を掛ける。
親友に頷いて見せながら、オスカー・フォン・ロイエンタールは路地一杯に停められている、旧式のバンタイプの地上車を眺めた。
車内には男女が二人、倒した座席に横たわっているのが見える。そしてその頭上にはキャンプ用燃料が燃え残っており、更に周囲には薬瓶と、それを流し込むのに使ったらしいアルコール飲料の空き缶も転がっている。
遮光ガラスの為、よく見えないが恐らく一酸化炭素中毒で亡くなったであろう二人を思い、ミッターマイヤーは両の拳を固める事しか出来ない。
「まさか、こんな事になっていたなんて」
この地上車の事は、数日前からミッターマイヤーは気に掛けていたのだ。
使われなくなった店舗の、通用口に繋がっている路地であった為か、あまり警邏の者にも注意を払われていなかったようなのだ。
一週間目にして、意を決して覗き込んでみたら、この惨劇だったと言う訳である。
「憲兵や警察の仕事だろう。お前が気にする事ではないと思うぞ」
沈んだ顔の親友を、ロイエンタールは嘆息交じりにこう諌めてみる。どうも彼の小柄な親友は、いらぬ節介を焼かずにいられない性分の持ち主で、そんな彼を歯痒く思いつつ、愛しく感じる己には気付かない振りを押し通している。
憲兵の者が及び腰で駈け付けたのは、連絡を入れて一〇分以上も経過してからだった。
その取り掛かりの遅さに、胸の内で罵詈雑言を並べながら、二人は黙ってバンの後部扉がこじ開けられ、遺体が運び出されるのを見守った。
その時だ。
運び出される女性の手から、彼女のものらしいハンドバッグが落ちた。
中から、化粧品らしい小さなポーチと共に、女物らしい小振りな携帯電話と何かのカードらしいものが転がり落ちた。
慌てて拾い集めた若い憲兵の手の中で、突然携帯が鳴り響いた。
目を見張ったミッターマイヤーの横で、カードを憲兵に渡してやりながらロイエンタールは双色の瞳を不快そうに細めていた。
そんな上級士官二人の様子に気付かず、小隊長とおぼしい中堅どころの憲兵が欠伸と共にこう言って寄越した。
「まあ、状況から見て、自殺でしょうな。取り敢えず、調書を作りますから、ご足労願えますかなあ」
「役立たず」
と、胸の内で罵るのに留めたミッターマイヤーとは違い、ロイエンタールは真っ直ぐ、
「貴官の目は節穴か」
と、吐き捨ててしまった。
訳は判らぬものの、突然の侮蔑に顔を歪めた小隊長に向かって、先程の若い憲兵を指差しながらロイエンタールはこう言った。
「遺留品の調査もせず、いきなり自殺と断定するのはどうかと言うのだ」
「状況から判断すれば、まず自殺しか当て嵌まりませんな。何しろ、この車は一週間以上ここにあったと報告されていますし、わざわざ一酸化中毒死を選んでいるでは有りませんか」
憲兵の言葉に否を唱えたのは、ミッターマイヤーだった。
「確かに、車は前からあったけど、彼らはせいぜい二、三日前に死んだ筈だ。それも、死ぬつもり無く」
「どう言う意味ですかな」
不愉快そうに聞き返す男に、ミッターマイヤーは鋼色の瞳をひたと向けて言葉を続けた。
「たった今、遺留品の中の携帯が鳴っただろう」
「それがどうかしましたか?」
「軍用品ならともかく、市販のそれも女性用の小型なものなら、充電はせいぜい三日で切れる。一週間前からここで死んでいたとするなら、とうに切れている筈だ。それに自殺するつもりなら、携帯の電源くらい切って置くんじゃないか?」
ぐっと詰まった憲兵に、ロイエンタールが追撃を掛ける。
「更に言わせて貰うなら、先ほど歯医者の診察券を見た。そも、自殺する人間が、明日の日付の診療予約をしたりすると言うのか?」
黙りこみ、下を向いてしまった憲兵隊小隊長に、二人は軽く目配せすると相手の肩を軽く叩いてその場を離れることにした。
「調書を作るのだろう、吾々は先に詰め所に向かわせてもらう」
「遺体の検死と、車内の徹底調査をする事だ。以前ならいざ知らず、これからは貴族が関わっているからと言って、調査に手を抜く事は許されないぞ」
歩き出す二人を、慌てて憲兵の一人が追い掛ける。
その姿を視界の端に納めながら、ミッターマイヤーは小さく嘆息する。
「ケスラーの苦労が伺えるな」
「仕方あるまい、大貴族たちが倒れたと言っても、長年の腐った組織体制はなかなか改善されんだろう。それよりも、すっかり体が冷えてしまったな」
白い息を吐きながらのその言葉に、ミッターマイヤーも小さく頷く。
「残念だが、憲兵詰め所には不味いコーヒー以外のものは無いと思うけどな」
「是非も無い」
小さく笑い合い、二人は音すら凍りそうな街の中を、足早に歩き出した。