逃げ出した八一君と迎えに来た銀子ちゃんの話 作:銀子ちゃん可愛い
△▼△
対局が終わった。
結果だけ見れば勝ち。
世間で無敗の女王なんて呼ばれている通り、無敗記録を更新出来た。
「······ハァ」
思わずため息をはく。
将棋を始めて八年。
女流二冠であり歴代最強の女性棋士などと、世間で持て囃されている私は、その実スランプに陥っていた。
一般的に、将棋の世界でも女性より男性の方が強いとされる。
女流と言う活躍の場が用意されている事もあり、より強い棋士との対局が望みづらい事、そもそもの競技人口が少ないこと等が理由として挙げられる。
でも、私にとっては関係のない話、そのはずだった。
同年代随一の棋士と八年も打ち続ける。
贅沢な話だ。
それなのに追い詰められているのは。
男性と女性の感性の違いから来るものなのか?
それとも、私に才能がなかったから、か。
それでもなんとか、奨励会一級まではこぎ着けた。
けれどそれも限界が近いのは確実だ。
初黒星は、遠くない。
「あいつはもう、先に進んじゃってるのに······」
あいつ、こと弟弟子である九頭竜八一はもう四段、つまりプロ入りを決めてしまった。
史上四人目の、25年振りの中学生棋士。
また一歩、あいつに置いていかれた。
その事が私を尚焦らせる。
いや、八一のプロ入り自体は喜ばしいことだし、素直にお祝いもしたけど。
問題はやっぱり私自身。
私の目標である、八一と公式戦対局するためにどうしても私もプロにならないといけない。
その為には、こんなところで躓いていられないのに······
「······現実は非情である、かぁ」
こんなはずじゃなかった。
そんな気持ちが膨れ上がる。
子供の頃は、八一と一緒ならどこまでも行ける気がした。
女流で二冠をとり、奨励会入りを果たしたときも、私の才能ならもっと上を目指せると思っていた。
プロになって、あいつと対等の舞台で本気の将棋を指せば、そうすれば······
いつからか離れてしまった手を、もう一度······
「なんて、ね」
女々しい、と思う。
自分でも。
結局私は、あいつの隣にいる為に強くなろうとしている。
雑念で溢れているんだ。
だから、将棋だけを見て、強くなる事しか考えてない将棋星人に追い付けない。
離される、置いていかれる。
「だめだめ、こんな弱気になってたら本当に負ける」
首を振って邪念も振り払う。
「そう言えばあいつも、今日プロ初手合いだったっけ」
どうなったかな、とスマフォの電源を入れる、と。
「着信······桂香さん?」
すぐに着信が入った。
相手は師匠の娘で私の姉貴分である清滝桂香さんだ。
「何だろう? いや、八一の対局が終わったのかな······はいもしもし」
そんな事を考えながら電話に出る。
そして······
「え、八一負けたの······は!?」
負けた八一が音信不通の行方不明だと伝えられた。
▲▽▲
俺こと九頭竜八一は逃げていた。
プロ初対局、相手は存在そのものが盤外戦みたいな山刀伐七段。
正直なめてた。
普通に考えてB級1組の七段に新四段が敵うわけないんだけど、なんと無く周りが、
『あいつなら行けんじゃね?』
的な雰囲気だったし、俺自身あの地獄の様な三段リーグを中学生で潜り抜けたと言う自負から、
『俺なら行けんじゃね? てか寧ろ、東京まで来たんだからタイトルホルダーとかとやった方が良かったんじゃね?』
とか思ってた。
調子乗ってた。
バカだった。
クズ竜呼ばわり待った無しのクズだった。
結果。
惨敗だった。
実力をだしきれずにぼろ負けした。
詰み見逃しで逆に詰むとか言う一番恥ずかしい負けかたした。
姉弟子の罵倒じゃないけど本当に頓死した。
で、
「うぐ、ぐすっぐず」
逃げて逃げて逃げて。
海まで走って飛び込んで。
自殺と間違われて救助、保護された。
サーフショップの店員さんに。
もう10月だけどこの辺暖かいからまだサーフィンする人がいるらしい。
「あー、坊主。帰るのが嫌なら暫くここにいるか?」
期待を裏切った、恥ずかしい将棋を指した。
止められなかったら本当に死んでたまであるおれは店員さんのそんな言葉に甘えてアルバイトしながらサーフィンしてた。
「サーフィンたーのーしーーー!」
なんて叫びながら。
うん。やけが入ってることは認める。
でも傷心で、正直将棋に触れたくなかったから。
その場にある娯楽に飛び付いたのだった。
······そして、一週間後。
「······楽しそうね、八一」
水平線に陽がかかる時間。
赤く染まった町並みを背に。
黒い日傘をさしながら。
陰で顔を隠しつつ。
「たーのーーおおぉぉぁああ、あねでーしーー!?」
が、降臨した。
思わずひっくり返った俺に向かってザッザッ、と音をたてて歩み寄ってくる姉弟子。
夕方で人が少なくなっているのに加え、赤く染まった町並みを背に迫ってくるその姿は、下手なホラーより怖かった。
姉弟子ホラー苦手なのに。
ホラーより怖かった。
「思ったより元気そうで何よりだわ、八一」
「いや、あのですね、これは、ちがくて。
ちがくてですね?」
ほぅ、と息をはくように小さく。
日傘の陰より見えるその瞳は氷のように蒼く。
あ、これぶちきれてる。
そんな判りきったことを改めて思い知らされる。
「なにが、違うのかしら?」
ヒィ、と情けなく声をあげるのは俺です。
本気でこえぇ······
「······はぁ」
なにも言えなくなる俺を暫く睨み、ちいさくため息をついて。
「帰るわよ、八一」
言いたいことは山ほど有るだろうに呑み込んで。
俺に手を差し出した。
でも。
「嫌だ! 俺将棋止める! ここでアルバイトしながらサーファーになる!!」
その手を振り払いそうさけんだ。
正直まだ大恥かいた心は傷だらけで。
正直まだ将棋に触れたくなくて。
それよりももっと。
目の前のこの姉弟子に。
女流二冠でいまだ公式戦無敗の偉大な姉弟子に。
······失望されるのが怖くて。
だから、自分がどれだけ身勝手なのか判っていなかった。
「 」
小さく、聞き取れないほど小さく姉弟子が呟く。
「え?」
思わず聞き返した。
日傘を持っていない左手で俺の肩をつかみぐいっと引き寄せる。
自分も陰に入った事で見えたその顔は怒りを示すように赤く。
でも蒼く染まったその瞳だけは、泣き顔のようで。
「ぶちころすぞわれ」
姉弟子がよく口に出す、イラついたときの口癖。
でもいつもの平坦なソレでなく、本気で殺されそうなほどの怒気が込められていて。
「あんたが音信不通の行方不明って聞いて、師匠が桂香さんが!」
「私が。心配しないとでも思ってたのか」
ぽろぽろ、と。
目の前にある蒼い瞳から涙が流れ落ちる。
「あ、ね」
「見たよ。対局」
ぐ、と言葉がつまる。
あれからもう一週間もたっている。
当然と言えば当然だ。
でも、この姉弟子にだけは見られたくなかった。
「あんな酷い負け片して、八一がどんなに悔しかったか判る」
思わず身体に力が入る、顔をしかめる。
同情なんて要らない。
この人にだけはそんなことを言われたくなかった。
そうだ、だからこそ俺は逃げたんだ。
この人から。
でも······
「なんて、言わない。
私は八一じゃないもの。
その悔しさも惨めさも八一が自分で受け止めなさい」
この人はそんな俺の弱さこそをわかっていたんだろう。
「でも、逃げるな。
どれだけ惨めでも、見苦しくても」
泣きながら、でもすごく真剣な顔で。
やっぱり、俺が憧れてた人はすごくかっこよくて。
「どうしても我慢できないほど辛いなら、私が支えるから」
ぎゅっと頭を抱え込まれる。
もう暗くなっている。
水着でいるのは少し寒くて、姉弟子の体温がすごく心地よくて。
「あんまり心配かけないでよ、バカ」
······泣いた。
△▼△
ーー俺将棋止める!
その言葉を聞いてよくひっぱたかなかったものだと思う。
その場の感情で口から出ただけ、八一が本当に将棋を止められる訳がない、とは思う。
だからこそ口で「ぶちころすぞわれ」と言うだけで済ませられた。
正直にいってしまえば、その言葉も、手を払われたのも。
泣いてしまいたいくらいにショックだった。
八一のその言葉は私の願いを壊すものだし、手を払われたのもやっぱり私じゃ隣には居られないのだと思わされた。
「っうぅぁ、ずっ、うぐぅ」
でも、私の胸に頭を預けて泣いている八一を見ると少しだけ嬉しくなる。
八一が弱味を見せてくれて。
少しだけ、認めてもらえたみたいで。
「暗く、なっちゃったわね」
暫くして、八一が泣き止む頃にはもう星が出ていた。
八一は恥ずかしいのか顔をあげない。
「あの······」
「ん?」
「ありがとうございます、姉弟子」
「私は八一の姉弟子だもの、これくらい当然よ」
それに、八一の為だけに迎えに来た訳じゃない。
怖かったんだ、私が。
無いと思っていても、本当に止めちゃったら、と。
そう思うと怖くて。
居場所がわかったって連絡が来るなり飛び出していた。
「泣き止んだなら離れなさいよ」
「······あの、ごめんなさい」
ん? と思ったが、八一が離れたときその理由がわかった。
うん、制服の胸元鼻水ついてる。
「······八一」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
半目でにらむとすぐさま土下座して謝りだした。
まぁ、制服は学校用、対局用、予備と持ってるし、怒ってはいない。
「冗談よ。クリーニングに出せばいいし問題無いわ」
「クリーニング代は出させて頂きます!」
「別にいいわ。私、お金はあるし」
女王と女流玉座を四年維持したのだ。
賞金だけで四千万、その他もろもろでまずお金には困らない。
プロ入りしているとは言え、タイトルどころかリーグ入りすらしていない八一より余程稼いでいる。
両親も自分で稼いだのだから自分で管理しろと言っているし。
無駄に使う気はないけど、これは必要経費ってやつだろう。
「まぁ、このままにはしておけないわね」
とりあえず、海水でハンカチを濡らし拭うことにする。
あらかた八一のソレを拭ってハンカチを濯ぎ。
ーーそう言えば、今までまともに海で遊んだ事なんて無かったわね。
なんて。
「八一」
「何ですか姉弟子?」
ちょいちょい、と手を振って八一を呼ぶ。
不思議そうに近づいてきた彼に、
「えい」
「わっ、いきなり何すんですか!?」
水を掬ってかけてみた。
ふむ。
「ドラマとかでよくこう言うことしてるじゃない?
何が楽しいのかしら?」
「あー······」
正直なにも楽しくない。
まぁ、子供だったら水がかかるのも楽しめるのかもだけど。
······いや、子供の頃も海に来ても将棋指してたわ。
まぁ、日下にでたらぶっ倒れるしね、仕方ないね。
「······姉弟子」
「うん? っわぷ」
バシャン、と。
八一に水をかけられた。
「や、い、ち」
「ていっ」
バシャンバシャン!
「ふ、ふふは」
何度も何度もかけられる。
「八一、そこに直りなさいっ!」
私も水を掬って八一にかける。
ぱしゃん。
八一が水を掬ってかける。
バシャン。
「ふふっ」
「あはははは」
ぱしゃん。バシャン。
いつの間にか水浸しだ。
「もう、どうするのよコレ」
「あー、ごめんなさい」
水浸しだ。
水着の八一はいいけど。
制服の私まで水浸しだ。
幸い10月にしては気温が高いようで、寒いと言うほどではないけど。
「結構、疲れるわね、コレ」
「姉弟子は、もうちょっと体力つけた方がいいんじゃないですか?」
水泳とか良いみたいですよ、と八一。
余計なお世話だった。
「······ならやってみようかしら。
八一と一緒に」
砂浜に仰向けに倒れる。
制服が酷いことになるが、まぁ、今さらだ。
「じゃあ、どっかいいところ探します」
「え、本気で?」
「将棋するにも、体力有った方が良いですから」
「······うん、解った」
八一と水泳って、八一と水着でって事で。
あ、ダメだ。顔が赤くなってきた。
「よいしょっと」
「爺くさいわよ八一」
「ほっといてください」
八一が横にならんで寝転ぶ。
空を見上げれば、一面に星が浮かんでいた。
「綺麗ね」
「はい」
さて、今は何時なのか。
暗くなってはいるけど、10月だし。
早ければ5時には陽が落ちる。
其ほど遅くはないはずだ。
「星に願いを掛けたら、叶えてくれるかな?」
「姉弟子? 珍しいですね、そういうの」
そうだろう。
夢は自分でつかむもの、願いは自分で叶えるもの。
今までそうしてきたし、当然これからもそうする。
信じているものは将棋の神様だけ。
だからコレは、ただの気の迷いだ。
「八一」
「なんです?」
「手」
「て?」
「手、繋いでくれる?」
戸惑ったように、でも。
「はい」
おずおずと、八一が私のてを握る。
暖かい。
冷えてきた、と思うのは制服が濡れているせいか。
八一の手の温もりが、すごく安心する。
「八一」
「······なんです?」
目を閉じて、大きく深呼吸をした。
「これから話すことは気の迷いよ。
忘れなさい」
「は? いや、いきなりそんな事を」
「い い わ ね」
「······はい」
目を開けて星空を見上げる。
バカなことをしようとしてる。
言ったところで、八一を困らせるだけ、なのに。
「さっき八一は、もう将棋止める、って言ったわよね」
「あ、あれは思わずって言うかその場の勢いって言うか」
「もし、本当に八一が将棋を止めるのなら」
八一の言い訳のような言葉を遮って私は言葉を紡ぐ。
間違いなく、これから八一を縛る、卑怯な言葉を。
「······私も、将棋を止めるわ」
▲▽▲
「······あ、あーはは面白い冗談、ですね?」
あり得ない人からあり得ない言葉が飛び出した。
姉弟子、空銀子はその呼称からもわかる通り俺より早く師匠に弟子入りしている。
初めてあったときは将棋の妖精かと思った、とかそう言うのは置いといて。
もう八年間も一緒に学び研鑽してきた。
その情熱も信念も、才能も。
誰よりも俺が知っている。
だからこそ、信じられない。
「ねぇ、何で私がプロを目指してるか、わかる?」
「そんなの······」
プロを目指す理由、つまり女流棋士にならなかった理由か。
うーん、そう言われると、なんでだ?
「自分の才能を、世間に知らしめるため·····とか?」
「違う。それだったら私は、今頃女流六冠になってるわ」
「とんでもない事をさらっと」
「私ならできるもの」
えー。やっぱり自信家ではあるんだな······
じゃあ、
「女流よりも強い相手と戦いたい、とか?」
「半分当たり」
俺より強いやつに会いに行くタイプだったかー。
まぁ、そうか。
姉弟子だもんね。
「で、半分って?」
「解らないの?」
ちょっとあきれた顔で俺の方に視線を向ける。
「私は、あんたが止めるなら私も止める、って言ったのよ?」
「······え? つまり、姉弟子がプロを目指す理由って」
繋いでない方の手で自分を指差す。
こくん、と頷かれる。
「いーやいやいやいや、可笑しいでしょ。
いっつも指してるじゃないですか、もう五万局近くも」
「そうね。でも私は。
公式戦で八一と戦いたい。
八一と私の本気の将棋を指したいの」
真剣な顔で、真剣な声で。
つまりはこれは冗談でも何でもなく。
「貴方は私の憧れで、目標なんだから」
そう言って笑った彼女の顔を、きっと俺は生涯忘れない。
見惚れるほどに、綺麗な笑顔だったから。
「だから止める何て言わないで。
私の進む先にいてほしい」
「······うん。俺、強くなるよ。
銀子ちゃんが進む先で、誰にも恥じることなく目標だって言える場所で、きっと」
すぐ、追い付かれちゃうのかも知れないけど。
でも、その時が来たら。
また一緒に強くなろう。
二人で、何処までも。
△▼△
ーーーーーで。
そこで終わっていれば綺麗な青春の一幕でおわったろうに。
「へくちっ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
まず間違いなく水を浴びたからだろう。
この貧弱ぼでぃはしっかり風邪を引いた。
そしたら八一が······
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「八一うるさい鬱陶しい頭に響く黙れ」
「はいごめんなさい!
あの姉弟子、大丈夫ですか?」
自分のせいだとメソメソ。
まぁ、確かに水をかけてきたのはこいつだけど。
そもそもの原因は私だし。
それにちょっと、ホンのちょっと、楽しかったし。
「八一······」
「はい、なんでしょう!?
水ですか? 氷ですか!?
それともプリンでも買ってきます?」
「うっさい、どれも要らない」
はぃ、とうなだれて小さくなる八一。
犬か。
尻尾がシュンとしてるのが見えるようだわ。
「寝るわ」
「あ、はい。じゃあ出てきます」
「······て」
布団から右手をだす。
妙な気恥ずかしさから顔を背けながら。
「て?」
「手、握ってて。寝るまででいいから」
「あ、うん」
熱で体温が上がった手に八一の手が重ねられる。
ひんやりとして気持ちいい。
「姉弟子、手繋ぐの好きですね」
見なくてもにっこり笑ってるのが見える。
バカ八一。
目を閉じて、ちょっと素直に言葉を返す。
そう、今の私は風邪で弱ってるんだから、仕方ない仕方ない。
「えぇ、知らなかった?」
「······えと、実はそうじゃないかなって薄々」
「えっち」
「何で!?」
ばーかばーか、バカ八一。
「誰でもいい訳じゃないから。
八一、だからなんだか、ら······」
「え······?」
意識が遠退く。
近くに八一がいる。
いて、くれる。
何処までも先に行っちゃう八一······
でも確かに手が繋がってる。
······いまは、まだ。
「やぃち······ 」
「······おやすみ、銀子ちゃん」
額に、何か触れた気がした。