自称TS転生者と、それに振り回される男子高校生のなんてことはないお話。

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隣の席はTS娘

「ふぁぁ……」

 

 昼前にある午前最後の授業。

 現在は現代文の小テストをしており、無事に終わった俺は頬杖をついた。

 席が窓際の一番後ろなだけに、穏やかな陽光に全身を包まれて眠い。

 

 ぼーっとしながら、取りとめもない事を考える。

 今日の弁当の中身とか、午後の授業に体育があって面倒だとか、こういう時想像してしまう非現実的な出来事が起きないかとか。

 

 特に意味はない思考なのだが、暇な時ついしてしまうのが癖だ。

 そもそも、高校の授業が退屈だから……いやまぁ、授業内容が簡単だから退屈なのじゃなくて、ただ単に勉強するのが面倒臭いだけだけど。

 

「……しょ。うーん、上手く取れない」

「ん?」

 

 あくびを噛み殺していると、隣の席から落胆する声が聞こえてくる。

 姿勢を変えず横目で窺ってみれば、セミロングの黒髪を揺らしながら、女子生徒──飯田が一生懸命足を伸ばしていた。

 どうやら消しゴムを落としてしまったようで、ここからでも四苦八苦している様子は伝わってくる。

 

「ぐぬぬ……そうだ!」

 

 歯噛みしていた飯田は、唐突に閃いたと頭上に電球を生みだす。

 どうせろくな事ではないのだろうな、と半ば暇つぶしに眺めていると、彼女はせっせと机の上の消しカスを指につけ始めた。

 しばらくして無事に指が汚れ、それを見て飯田は満足げに深く頷く。

 

「これで、よいしょっと……あれ?」

 

 なにをするかと思えば、どうやら消しカスで文字を消そうとしているらしい。

 しかし、そんな消しカス程度では、上手く消す事はできないだろう。

 現に飯田の頭上にあった電球は割れ、無数のクエスチョンマークが現れている。

 

「うーん、もっと強く? えい、やっ、ほっ……あっ」

 

 角度を鋭くして素早く指を動かしていた飯田は、ふと間抜けな声を漏らした。

 同時に、俺の耳にびりびりと紙が破れる音が入ってくる。

 

 ……なにやってんだ、あいつ。

 今の音、明らかにテスト用紙を破いた音だろう。

 そりゃああんなに力んでいれば、こうなる事が簡単に推測がつくのに。

 

「バカだろ」

 

 思わず零れた俺の呟きに、飯田は目ざとく反応してこちらを睨む。

 

「バ、バカじゃないし! これにはちゃんとした理由があるんだから!」

「おい、そこ。なにテスト中に話している!」

「ひゅい!?」

 

 黒板の前にいた教師が、顔色を青くさせた飯田の元に近づいてきた。

 クラス中の意識が彼女達の元に集う中、教師が飯田のテスト用紙を手に持って眉を潜める。

 

「……なんで、真っ黒なんだ?」

 

 教師の告げた通り、テスト用紙の解答欄が黒ずんでいた。

 

「あの、それはですね。うっかり消しゴムを落としちゃって、足を伸ばして取ろうとしても上手く取れなくて、どうしようか慌ててたら思いついて、こう、指に消しカスをつけて擦れば消えるかなーって。そしたら、びりっと破れちゃいました!」

 

 あははと能天気に笑う飯田に対し、教師は呆れた様子で声も出ないようだ。

 黒鉛によって黒くなっている飯田の指を見て、彼女が嘘を言っていないと理解したのだろう。

 

「……消しゴムを落とした事を先生に言えば、拾って渡してくれたんじゃないか?」

 

 俺の疑問が教室内を包んだ瞬間、目を見開いて固まる飯田。

 しかし直ぐに再起動すると、こちらを向いて感心した表情を浮かべる。

 

「高木君、頭いいね!」

「飯田。後で職員室へ来なさい」

「なんで!?」

「テスト中に騒いだからだ!」

 

 そんなぁ、と項垂れて机に突っ伏す飯田に、クラス中から笑い声が漏れる。

 もちろん嘲笑的な意味合いはなく、ああまたかという微笑ましさが強い笑顔だ。

 かく言う俺も呆れ半分、苦笑いが半分という感情を抱いていた。

 

「うぅ……高木君が私をバカって言うからだよ!」

「自業自得だろ」

「違うし。高木君のせいだし。お詫びとしてジュースを奢ってもらうから」

「はぁ? なんでそうなるんだよ?」

「はい決定! 以後の不満は受け付けません!」

 

 一方的にそう言い切った飯田は、腕をバッテンマークにしてそっぽを向いた。

 同時に授業終了のチャイムが鳴り、テスト用紙を前に回していく。

 

 いきなり決められて不満はあるが……まあ、ジュース一本で飯田の機嫌が直るなら安い。

 現に今の彼女は鼻歌を歌っているし、根が単純というかなんというか。

 

「……はぁ」

 

 再び頬杖をついた俺は、教師の号令を待つのだった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

「うーん。どれにしようかなー」

 

 校舎の一階にある自動販売機の前で、身体を揺らしながら指を振る飯田。

 飯田が教師に説教をされたあと、俺達は飲み物を買いにきていた。

 俺は迷うことなく選び終わっており、あとは飯田が決めるのを待つのみ。

 

「どれにするんだ? こっちは早く弁当を食べたいんだけど」

「ちょっと待って……よし、これにする」

「どれどれ……え、マジでこれにするのか?」

「私に二言はないよ。ジュースゴチになりまーす」

「いや、ジュースというか」

 

 まあ、いいか。本人がこれが良いと言っているのだから。

 自動販売機に小銭を入れ、飯田が選んだ飲み物──お汁粉を押す。

 滞りなくお汁粉が出てきて、嬉しそうに飯田がそれを手に持つ。

 

「いやー、この身体になってから甘い物が大好物になっちゃってさ、お汁粉とかパフェとかすっごい好きになったんだよねー」

「この身体?」

「うぇっ!? アハハ、この身体じゃなくて、えーっと、そう! 辛い物より甘い物が好きなんだよねってことなんだよ! 身体じゃなくて辛い物! 言い間違えただけだよあっはっは──ふあっち!?」

 

 冷や汗を流して誤魔化すように、お汁粉を一気に飲み干した飯田。

 しかし、よほど熱かったのだろう。直ぐに目を剥いてむせていた。

 

「……新手のコントかなんかか?」

「ごほっ、ごほっ。ち、違いますー。そんなわけないじゃない」

「ふーん」

「あ、今疑ってるでしょ? わかるんだからね、私そういうの」

 

 なにを誤魔化したいのか、興味がないと言えば嘘になるが、飯田が言いたくないなら深く聞く事はしない。

 まあどうせ飯田の事だから、くだらない内容なのだろうが。

 

 身振り手振りで否定する飯田を適当にあしらいつつ教室に戻っていると、不意に尿意が自己主張を始めてきた。

 ちょうど近くにトイレがあるし、飯田には先に戻ってもらおう。

 

「ちょっと、このジュース俺の机に置いておいてくれね? トイレしたいから、先に行っておいてくれ」

「あ、うん。いっといれ?」

「うわ寒。今どき親父ギャグ言う女子高生とか誰得だよ」

「なにおう! 女子高生が親父ギャグを言ったっていいじゃん! 誰が女子高生が親父ギャグを言っちゃいけないって決めたのさ」

「いや別に言ってもいいけど、正直引くわ」

 

 トイレに入って小便器の前に立ち、ズボンのジッパーを下ろしていく。

 下着から息子を取り出そうとした時、ふと隣を見る。

 俺が渡したジュース缶を持ったまま、飯田がこちらを睨んでいた。

 

「だからね、親父ギャグって呼び名がダメなんだよ。同じギャグでも、女子高生ギャグとかに呼び方を改名すれば、私が使っても違和感ないよね?」

「……おい。なんでお前がいるんだよ」

「え? いたらおかしい?」

「当たり前だろ!?」

 

 こいつはなにを言っているんだろう、と不思議な者を見る目な飯田。

 あまりにも至極当然と付いてきたせいで、俺もなんの疑問を抱く事なく同伴を許していた。

 

 って、そうじゃないだろ!?

 ここは男子トイレだぞ。なんで男子トイレに、女子が我が物顔でいるのだ。

 

 思わず叫びそうになる俺をよそに、飯田も隣の小便器に並ぶ。

 ジュース缶をブレザーのポケットに突っ込み、スカートを触って目を見開く。

 

「あっ。そういえば今の私、女の子だった」

「いいから早く出てけっ!」

「あはは、ごめんなさーい!」

 

 両手を合わせて駆け足で出ていった飯田を見て、思わず俺は深いため息を漏らしてしまう。

 天然っぽそうというか、アホっぽいとかは前々から思っていたが、まさかここまで抜けていたとは。

 

「あいつの性格が読めない……」

 

 遠い目になった俺は、急いでトイレを済ませるのだった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

「はぁ……」

 

 トイレを終わらせて席に戻った俺は、昼食を用意しながら憂っていた。

 先ほどの飯田の天然も含め、彼女の行動には苦笑いする事が多い。

 

 そもそも、あれを天然の一言で済ませても良いのだろうか。

 こちらには大きな実害がないため、飯田のポカ具合に困るわけではないが。

 とはいえ、見ていてハラハラする事が多いのも事実。どこか、放って置けない感じがするのだ。

 

「どうしたの、高木君?」

 

 思わずため息を漏らしていると、隣の席で弁当を食べていた飯田が声をかけてくる。

 横目で見て首を横に振り、俺も弁当を気持ち早めに口に運ぶ。

 

「別に。ただ、飯田って食べ方が綺麗だなって」

「え、私? まあ、お母さんに鍛えられたからねー」

 

 あははと朗らかに笑う飯田の姿勢は、凛と伸びていて綺麗だ。

 箸の使い方も非常に上手く、どこかの名家のお嬢様と言われても納得ができる。

 

 対して、俺は……まあ、普通の男子高校生ほどといったところか。

 いや、平均的な男性の上手さがどれぐらいなのかは知らないが。

 

「お前んとこの母親って厳しいのか?」

「んー、そうだと思う。なんか、昔の私の仕草がガサツな男っぽかったらしくて、だからお母さんが使命感に燃えてどこの嫁に出しても恥ずかしくない女の子にするって」

「あー」

 

 たしかに、言われてみればなるほどと頷けた。

 普段の飯田は楚々とした仕草が多いが、たまにやらかす時は男のようだったりする。

 さきほどのトイレの出来事を踏まえても、飯田の残念さ具合が窺えるだろう。

 母親に扱かれても抜けきれない男の仕草に呆れればいいのか、あの飯田に女の子の仕草を身につけさせた母親に感心すればいいのか。

 

「今日だってさ、料理の練習だって私にも弁当作るの手伝わせたし。正直、私的には焼きそばパンとかで充分なのに」

「男ならともかく飯田は女なんだから、そりゃ母親も嫌がるだろ。というか、その弁当お前が作ったのか?」

「あ、うん。この卵焼きとか?」

「へー……」

 

 飯田の弁当箱を覗いてみれば、色彩豊かな美味しそうなおかずが並んでいる。

 定番の卵焼きや唐揚げ、他にもプチ野菜サラダ等もあった。

 明らかに、冷凍食品といった物が一つもなさそうだ。

 興味を引かれた俺を見て、飯田は小首を傾げて口を開く。

 

「食べてみる?」

「え、いいの?」

「まあ、減るもんじゃないし」

「いや俺にあげたら減るでしょ」

 

 とは突っ込みつつも、味のほどは気になるので素直に受け取る。

 飯田作の卵焼きを口に放り込み、咀嚼。

 

「ん、んー……」

「どうしたの?」

「いや、なんというか」

 

 微妙な表情を浮かべた俺は、なんともモヤモヤした感情を持て余していた。

 味に関しては美味い、としか言いようがない。

 陳腐な表現であろうが、そこらの卵焼き……それこそ、お店で出されても違和感がない程度には、飯田の卵焼きはかなり美味しいのだ。

 

 口の中に広がる、甘さが強い風味。

 舌の上で砂糖に包まれた卵が、淑やかに自己主張をしてくる。

 しかし甘さはくどくなく、上品な和菓子の如き雅さが窺える。

 正直、今まで食べた卵焼きの中で一番美味であった。

 

「高木君?」

「なんか納得いかん」

「なにが?」

「飯田が美味い卵焼き作れるのが」

「えー、それはひどくない? 私だって、料理ぐらいできますー」

 

 飯田が口を尖らせて告げてくるが、俺の感想は間違っていないと思う。

 普段から抜けている彼女を見て、どうして料理上手だと思えるだろうか。

 

「お前って、ほんと不思議だよな」

「えっ!? そ、そんなことないよー。私はいたって普通の女子高生だよー? 不思議な部分なんてまったくこれっぽっちもないよぉ?」

「……なんで、そこでどもるんだよ」

「ど、どもってないし! 髙木君が私に変なことを言ってくるからじゃん!」

「ま、待って声が大きい!」

 

 慌てて止めるも、既に遅し。飯田の言葉はクラス内に響き、生徒達の視線が集中する。

 心なしか、女子生徒の目が冷たいような気がしてきた。

 

「高木君が飯田さんに言い寄ったみたいよ」

「変態な事を言ってナンパしたんだって」

「サイテー」

「誤解だから! 別に飯田に変な事なんか言ってもないし、してもないからな!」

 

 立ち上がって否定するのだが、女子生徒達の視線の温度は上がらない。

 男子生徒はまさかこんなところで、と勇者を見るような目をしていた。

 対して、俺が疑われる原因を作った飯田は、呆れた表情を浮かべて口を開く。

 

「高木君。ご飯中に立っちゃダメだよ」

「お前のせいだろっ!」

「へ? なにが?」

 

 こ、こいつは……。

 キョトンと小首を傾げている仕草が似合っているのも腹立たしいし、その惚けた態度が素だとわかってしまうのもムカつく。

 

 落ち着け、落ち着け。

 飯田に振り回されるのは、いつもの事だったではないか。

 こいつの天然……馬鹿っぽいやり取りには慣れなければ。

 

 胸に手を置いて深く呼吸をし、頭に上った血を冷ましていく。

 ある程度落ち着いたところで席を座ると、女子生徒達は残念そうに意識を散らした。

 ……どうやら、彼女達は俺をからかっていただけらしい。

 

「ふぅ」

「よくわかんないけど、良かったね!」

「……ああ、そうだな。変な噂にならなそうで良かったよ」

「変な噂? いきなりそんな事を言うなんて、高木君って変な人だね」

「お前にだけは言われたくない」

「なにおう! 私のどこが変だって言うのさ! そもそも、前から思ってたんだけど、高木君の方こそ──」

 

 急いで残りの弁当を胃に押し込みながら、俺の言葉にはいきり立つ飯田の弁論を聞き流す。

 次の授業が体育なので、先に着替えておかなければならないのだ。

 しばらくして無事に食べ終わった頃、飯田も満足したのか大きく頷く。

 

「──つまり、高木君は巨乳好きのむっつりスケベなんだよ」

「うんうん、俺はむっつりスケベ……は?」

「いやー、言いたいことを言えてすっきりしたなあ。ありがとうね、高木君!」

「待て待て待て! なんでそんな結論に至ったんだよ!?」

 

 思わず止めるのだが、いつの間にか食べ終えていた飯田は俺を無視して、体育袋を肩に担いで席を立つ。

 数歩足を進めてこちらに振り向き、ドヤ顔を浮かべてサムズアップ。

 

「大丈夫。私も巨乳好きだから!」

「知らねーよ!?」

「よーし、今日も体育頑張るぞー」

「おい待て逃げんなさっきの意味を教えろ──ふべっ!?」

 

 弾んだ足取りで出ていく飯田を追いかけた俺は、勢いよく閉じられた扉にぶつかった。

 顔を押さえてしゃがみ込み、喉の奥から呻き声を漏らす。

 

「ぐぅ……痛い」

 

 鼻血が出ていないだろうか。特に鼻の辺りに鈍い痛みが訪れているのだが。

 鼻をすすっても血が出たようには感じられず、ひとまずほっと安堵の息をつく。

 

「くそっ。あいつ思いっきり閉めやがって」

 

 悪態を零しながら立ち上がった俺は、今更追いかける気もなれなかったので、首を振って席に戻る。

 どうせ席は隣なのだから、放課後にでも捕まえて話を聞けばいい。

 

 教室に女子生徒がいなくなったので、体育着を持って着替えを始めつつ、飯田の言葉をどう訂正させるか考えるのだった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

「あ、そーれ!」

 

 柔らかく半回転して相手を振り切った飯田は、そのままゴール下までドリブルをし、レイアップ。

 ボールは緩やかに放物線を描き、リングに触れないでゴールに入る。

 同チームの女子生徒達が喜びを露にして、飯田自身もガッツポーズ。

 これで、飯田は単独で二十点目を取った事になる。

 

「飯田さん、ナイスシュート!」

「なはは、そんな事もあるかなっ!」

 

 ハイタッチを交わす彼女達を尻目に、体育館の壁に寄りかかっていた俺は目を逸らす。

 うちの高校は体育館が広いため、基本的には男女混合で体育をする。

 俺達男子は今日はバレーを、女子はバスケだ。

 

 相変わらず、飯田は運動神経が良い。

 以前行った体力テストも上々の成績だったようだし、まさにスポーツ万能という言葉が似合うだろう。

 運動が得意とは言えない俺からすれば、とても羨ましいことこの上ない。

 

「ちょーっと待ったー!」

 

 不意に響いた声に、俺は再度女子達の方へ意識を向き直す。視界の先では、合同で体育をしている隣のクラスの小林が、飯田に指を突きつけていた。

 

「どうしたの、小林さん?」

「飯田さん、あたしと勝負よ。あたしより目立とうなんて許さないんだから!」

 

 また始まったか。

 体育を行う時に、小林が飯田に突っかかるのはもはや風物詩と化している。

 精一杯小さな背を大きく見せようと、背伸びをしてぷるぷるしながら勝負を挑むのは、小林さん可愛いと主に女子生徒達に評判らしい。

 

 生徒に怪我が起きないか見ている教師も慣れたもので、あっという間に1on1の状態が整っていく。

 また、女子生徒達は各々のクラスの子に声援を送っている。

 飯田もやる気は十分なのか、腕まくりをする仕草をして大きく頷く。

 

「いいよ。その勝負、受けた!」

「ふふん。潔いのは好きよ。でも、今日こそはあたしが勝つんだから」

 

 そう告げると、小林はバスケットボールのドリブルを始めた。ちんまい彼女がボールを叩くそれは、まるで子供が手毬で遊んでいるかのようだ。

 しかし、飯田は真剣な表情で腰を落とし、油断なく不動の構えを披露している。

 

「いつでもいいよ、小林さん」

「ふん。今日のあたしをいつもと同じと思わない事ね。早速使わせてもらうわ──あたしの秘策を!」

「ごくり……」

 

 不敵に笑った小林が靴を鳴らし、低姿勢で軽快に駆ける。キュッと気持ちの良い音が響き、同時に飯田が驚くべき速さで追随。

 三度ボールが跳ねる頃には、二人の距離が寸前まで近づく。

 そして、飯田が手を伸ばして、ボールを叩き落とそうとした瞬間。

 

「あ、あれはなんだ!?」

 

 突然、小林は左手で飯田の斜め後ろを指さす。

 

「え?」

「隙あり!」

 

 思わずといった様子で振り向いた飯田を見て、小林は口角を上げて右を駆け抜けた。

 

「あー!? 小林さんずるい!」

「これぞ漫画で学んだミスディレクション! 今日はあたしの勝ちね!」

 

 高笑いしながらゴール下に着いた小林は、膝を屈めて跳躍。

 慌てて追いかける飯田だったが、今回の勝負は小林の勝ちだろう。

 既に彼女はボールを両手に持って、ダンクシュートの構えを──

 

「あ、あれ?」

 

 ──当然、小林の身長では届くはずもなく、間抜けにボールを掲げたまま着地。

 同時に、追いついた飯田が手を払い、コロコロとボールがバウンドしていく。

 

 辺りになんとも言えない空気が流れ、応援していた女子生徒達は生暖かい目を小林に向ける。

 当のやらかした本人は、頭に手を乗せて自分の身長を確かめる仕草をしたあと、飯田を見上げて目を大きく見開く。

 そして、悔しそうに歯ぎしりしながら、地団駄を踏み始めた。

 

「なんで忘れてたあたし! 飯田さんの方がでかいじゃん!? あたしってほんとバカ!」

「あ、あのね小林さん」

「うるさい! まだ終わったわけじゃないから、勝負はこれからなんだから!」

 

 ボールを拾って飯田に押しつけ、守備の構えを取って歯を見せつける小林。

 その茶色の瞳はいまだ燃えており、物凄い気迫を全身から放っていた。

 対する飯田も口元を緩め、ドリブルを始めながら口を開く。

 

「行くよ、小林さん!」

「来なさい! あんたに勝って、あたしが一番だって証明するんだから!」

 

 二人が再び激突したところで、男子バレーのチームが入れ替わった。

 俺が所属しているチームの出番になり、結果に後ろ髪を引かれながらも、壁から背中を離してコートに近づく。

 

「にゃにぃ!? スリーポイントシュート!?」

「へっへーん。私の勝ちだね」

「きー! まだよ。まだ勝負はこれからよ!」

 

 背後から聞こえる応酬に、俺は苦笑いを零す。

 とりあえず、今回も飯田の勝ちらしい。順当にいけば、小林は飯田に負けるだろう。こういった勝負では、大概小林が敗北しているし。

 

「あいつ、凄いよな……」

 

 改めて、飯田のハイスペックを認識しつつ、コートの後ろで腰を落とす。

 誰かが見ているわけでもないが、あいつの活躍を見て対抗心が湧かない男はいないわけで。

 

「いっちょ頑張りますか」

 

 頬を叩いて気合を入れ直した俺は、相手チームのサーブを受け止めるべく集中していくのだった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

「いつつ……」

 

 ヒリヒリする顔をさすりながら、教壇に立つ担任の声に耳を傾ける。

 あれから時間が経ち、現在は授業が終わったHRの時間だ。

 

 早く終わらないかと考えていると、隣から忍び笑いが聞こえてくる。

 目を向けると案の定、飯田こちらを見て笑い声を噛み殺していた。

 

「ぷ、くくっ……体育では凄かったねぇ」

「うっせ」

「顔面でレシーブするなんて、もうちょっと上手く捕れなかったの?」

「仕方ねぇだろ」

 

 とは言っても、原因はよそ見していた俺が原因なのだが。女子バスケの盛り上がりが耳に入ってきたから、思わずそちらの方に意識を寄せてしまった結果、相手チームのサーブを取り損ねたのだ。

 

「しかも、その後汚名挽回しようと慌てて転んでるんだもん。女子達の間でも、高木君のマヌケな姿に笑ってたよ」

「ぐっ……てか、汚名挽回じゃなくて、汚名返上な」

「どっちでも変わんないよ。いちいち細かいなあ、高木君は」

「いや、かなり変わるからな?」

 

 さらっと言葉の使い方を間違える飯田に、俺は呆れた表情を向けた。

 別に地頭が悪いわけではないのだが、何故かこういう時に彼女はよく間違えるのだ。

 

 このままでは分が悪いと感じたのだろう。慌てた様子で咳払いをしたあと、飯田は鞄に物を詰めていく。

 

「ま、まあ。怪我とかしないで良かったよ」

「本当にな。俺にも飯田ぐらいの運動神経があったら、こんな無様な結果を晒さなかったのに」

「あはは。私は赤ちゃんの時から未来を見ていたからね。言うなれば、経験値の差かな?」

「赤ちゃん? 両親の英才教育かなんかか?」

「えっ!?」

 

 不思議な物言いをした飯田は、俺の言葉に濁音が混ざる声を上げた。

 鞄に手を入れままま不自然に固まり、痙攣している頬でぎこちなく笑う。

 

「そ、そそそうなんだよ。いやー、うちのお母さんは厳しくてさー。一体どこの漫画か! って、言わんばかりに扱いてきてねー。そのおかげで今があるんだよねはっはっは」

「……怪しいな」

「そ、そんなことなくもないぞよ?」

 

 以前から不審に思っていたが、今日の飯田は一段とおかしい。

 どこかの中二病のような事ばかり言っているし、誤魔化し方が露骨すぎるというか。

 

「……漫画か」

「へ?」

「いや、なんでも。ただ、漫画や小説にありがちな、飯田が前世の記憶を持っているなら、今までの反応が納得いくかなって。まあ、そんな事あるわけ──」

「とーうッ!」

「──ふごっ!?」

 

 冗談めかして笑い飛ばしていると、突然飛び込んだ飯田に口を塞がれた。

 顔に女性特有の柔らかさや良い匂いを感じて、思わず熱くなりながら目を白黒していた俺に、興奮からか息を荒らげている飯田が顔を寄せて囁く。

 

「た、たかぎくぅん。後で、大事な話があるんだけど、放課後体育館裏に来てくれない?」

「うごっ!」

「そっかそっかー。快諾してくれて、私とっても嬉しいな。素直な高木君は好きだよ?」

「もごっ!?」

 

 好きというのは、もしかしなくともあの好き?

 男女間で産まれる、好意を持つ好き?

 いや、落ち着け。

 なんの脈絡もなく、飯田が俺に好きと告げるわけがないだろう。

 そもそも、俺が前世の記憶云々を言ったから、こうして口を塞がれたのだから。

 

 ……となると、飯田は前世の記憶という言葉を話されたくなかった、という事なのだろうか。

 何故、といった疑問が初めに浮かぶ。同時に、いやいやまさか、と苦笑いしたくなるような推論も脳裏を過ぎってしまう。

 

 仮に……そう、仮に、飯田が前世の記憶を持っているとする。それならば、彼女の普段の行動に、ある程度の納得がいく。

 無意識に男子トイレに付いていく部分や、垣間見える男性らしい所作。思い返すと、普段からも飯田は男子生徒と仲良く話していた気がする。主に少年漫画の話や、スポーツ観戦の感想や、女性の部位についての猥談等々。

 男子の下ネタに混ざる飯田も飯田だが、普通に受け入れている男子生徒もおかしい。

 

 ともかく、どこか納得できる部分はあるのだが、所詮妄想の類の話だ。

 そんなファンタジーな事が、起こるはずがない。ただ単に、飯田の趣味が親父臭いだけなのだろう。

 

 ……では、先ほど俺の口を塞いだ理由はなんなのか。

 そういったバカバカしい要素を外して考えると、やはり色恋沙汰?

 よくよく思い出せば、飯田とは結構仲が良い気がする。

 席が近いのもあってよく話すし、休日に遊んだ事だってある。

 それも、飯田が俺と距離を縮めたかったから、誘ってきていたのか。

 

 いや、まさか。

 あの飯田に限って、恋愛感情があるはずがない。

 そもそも、全てが俺の妄想の域を出ず、実際は大した内容ではないのだろう。

 男子高校生特有の、過剰な期待をしているだけ。

 

 待て、思考がおかしい。

 何故俺は、飯田と恋愛感情を結びつけているのだ。確かに、飯田は可愛いし、話しやすいし、仮に付き合ったりしたら楽しそうだとは思うが。

 

「だから、違うんだって!」

「……なにしてんの、あんた」

「え?」

 

 思わず頭を抱えていると、ドン引きした声が返ってきた。

 顔を上げて辺りを見回す俺を見て、ちんまい小林は哀れむ表情で肩を竦める。

 

「こんな廊下のど真ん中で叫ぶとか、どこか頭でも打った?」

「え、あれ? HRは?」

「あんたのクラスは知らないけど、あたしのクラスは五分前に終わったわよ」

 

 どうやら、俺は上の空のまま歩いていたらしい。

 先ほどまでいた飯田は消え、代わりに肩から学校の鞄を下げていた。

 無意識に帰宅の準備をしていた自分に、呆れればいいのか感心すればいいのか。

 

「って、こうしちゃいられない」

 

 飯田が待っているし、早く体育館裏に向かわなければ。

 慌てて早歩きになろうとした俺を、小林は制して口を開く。

 

「そんな事より、飯田さん知らない?」

「え、飯田なら……いや、知らない」

 

 どんな話をするかわからない以上、ここで飯田の事を教えるのは得策ではない。

 しかし、一瞬口篭った俺の様子を見逃さなかったようで、小林は疑念の目を向けてくる。

 

「ふーん」

「あっと、俺は急いでるから! じゃあな!」

「あ、ちょっと!」

 

 無理矢理話を打ち切り、駆け足で体育館裏へと向かう。

 背後から呼び止める声が聞こえたが、あいにく答えている暇はない。

 

 結局、飯田が呼び出した事の結論は出なかった。

 なにかしら重大な理由でもあるのか、はたまたただ俺をからかっているだけなのか。

 

 自然と緊張で心臓をうるさくさせているうちに、体育館裏へとたどり着く。

 既にそこには飯田がおり、近寄る俺を笑顔で手招きしてくる。

 

「やっほー。待ってたよ」

「……それで、話ってなんだ?」

 

 どんな話が来てもいいように、密かに気合いを入れて待つ。

 仮に告白をされるなら、しっかりと誠実な対応をしなければ。

 

 拳を握った俺と呼応するように、飯田も真面目な顔つきに変わった。

 何度か深呼吸をして落ち着こうとする様子を見せ、やがて伏せ気味だった目を上げる。

 

「じ、実はね。高木君も薄々気づいていると思うんだけど」

「お、おう」

 

 仄かに頬を火照らせ、不安げに胸に手を置くその姿がなんと可愛らしい事か。

 来てしまうのか……俺達の関係が変わるのか。

 

「私──前世の記憶があるの!」

「ごめんいきなりすぎて時間が欲しい……はっ?」

「しかも、前世は男の子の記憶だから、ついそういう行動を取っちゃうの!」

「は?」

 

 話せて満足したのか、すっきりした顔の飯田が満面の笑みを浮かべる。

 

「いやー、高木君に話せて良かったよ。高木君とはもっと仲良くなりたいからさ、私の秘密を隠しているのは辛かったんだよねー。でも、これからは後腐れなく、高木君と遊んだりできるよ!」

「……あの、これって、告白、とかじゃないんですよね?」

「こくはく?」

 

 思わず心情を吐露してしまった俺に、キョトンとした表情を向けた飯田。

 しかし、直ぐに面白い事を聞いた、と言わんばかりの笑顔になり、目に涙を浮かべながら俺の肩を何度も叩く。

 

「あっはっはっは! 私が高木君の事好きなわけないじゃん! 高木君とは良い友達だけど、恋愛対象としては全く見てないよ」

「まったくみてない」

「うんうん。ていうか、高木君って私に告白されると思ってたの? あはは、この純情高校生め。このこの!」

 

 秘密を打ち明けてからフランクになった飯田に、俺の色々な感情が打ち砕かれた。

 よくよく考えれば、先ほども思ったように、飯田が恋愛感情を持っているわけないか。

 こんな年になっても、私には前世の記憶があるなんて痛い事を言うぐらいだし。

 きっと、妄想を考えるのが楽しいのだろう。そのために、以前から俺を信じさせようと布石を打っていたのは、素直に凄いとは思うが。

 

「わかった。飯田は前世の記憶があるんだな」

「そうそう。やっぱり、高木君は勘がいいから気づいていたよね」

「そう思わせるために、わざわざ男子トイレに入ったりして凄いな。一体、いつからその設定を考えていたんだ?」

「うんうん、私は……あれ?」

 

 何故か小首を傾げた飯田の肩を叩き返し、生暖かい目で笑ってやる。

 

「お前の秘密は誰にも言わないから、思う存分その設定を楽しめ」

「え? 待って? ホントだよ! ホントに、私には前世の記憶があるんだからね!?」

「わかってる、わかってる。そう思いたいんだよな。思春期はみんな自分が特別だって思うもんだ」

「違うよ!? 私のは本物なんだから!?」

「あ、話は終わり? じゃあ、俺はもう帰るわ。いくら設定だからと言っても、もう男子トイレに入ったりはするなよ」

「ねぇ、待って! 誤解しないで!? ちゃんと、話し合おう!」

 

 踵を返した俺を追いかけ、頻りに訴えかけてくる飯田。

 まさか、飯田が重度の中二病だったとは。今度からは、もう少しあいつの話に合わせてやろう。

 

 何故か涙目で一生懸命否定する自称転生者に、俺は優しく微笑みかけるのだった。

 

「だから、違うんだってー!」

 

 

 ♦♦♦

 

 

 こうして、飯田あらため自称前世の記憶持ちは、以前より俺に絡むようになる。

 半分ほどは俺を信じさせようとする話だが、それに笑って相槌を打つと、違うそうじゃないと言われてしまう。

 よくわからないが、彼女にとっては大事な設定なのだろう。

 ともかく、あの時は恥をかいた俺は、新たな日常の変化を楽しむのだった。

 

「お願いだから、信じて! 勇気を出して話したんだよ!?」

「うんうん、わかってるわかってる。俺はお前の事は信じているから」

「全然信じてないじゃん!?」

「飯田さん、今日はこれで勝負よ!」

「ごめん小林さん今は手が離せないのこのトンチンカンに理解してもらわなきゃいけないから」

「あんた! あたしと飯田さんの勝負を邪魔するな!」

「俺に言うなよ!」

 

 ……騒がしくも、楽しむのだった。

 

 

 

 

 




以下簡易的人物説明。

・高木
主人公、特に転生者でもなんでもない。
飯田とよく話すため、自然と仲が深まっている。
初期案では、女→男のTS転生者にしようと考えていた。

・飯田
TS転生者。
本人の性格が楽観的で後先考えないので、前世の記憶や性別の変化に悩む事はない。
家族には前世の記憶を話し済み。
最近は高木に、自分の前世の記憶を認めさせるのが目標。

・小林
小学三年生辺りで、「あれ? もしかして、あたしって実はめちゃくちゃ可愛い?」と自覚した人。
それ以来自分磨きに余念がないため、女子力がかなり高い。
体育で飯田に活躍されてから、打倒飯田を目標にストイックに自分を高めている。
背が小さいのが悩みな反面、これを利用した可愛さアピールに密かにご満悦。
なお、彼女もTS転生者。

初期案では、某天使が生意気な作品に出てくるような「俺は男だ!」と主張するTS転生者も出そうと思いましたが、あえなく断念。
仮に出すならオラオラ系で、主人公を無意識にときめかせていたでしょう。





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