転移した先で   作:キューブケーキ

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ポポル「デボル、人よっ!」デボル「はぁ?」

1.短イ前説

 

 西暦5012年。外宇宙から飛来したエイリアンが地球を侵略。

 敵の兵器、機械生命体の脅威を前に人類は月面に撤退し、アンドロイドを使った反攻作戦を展開するが戦況は膠着。

 西暦11945年3月10日、YoRHa(ヨルハ)部隊による第243次降下作戦が開始された。

 ──と言う世界観の設定で廃墟都市や砂漠等を探索し、お使いクエストをこなすのが『NieR:Automata』だった。

 山田太郎(仮)は万年床の上で胡座をかいて画面を見つめる。

 太郎が操作するキャラクター、黒い衣装で目元を隠した女性キャラは、ヨルハ型アンドロイドで二号B型──2B(トゥービー)。目元は隠れていても、その顔立ちは美しい。

「ふぁ。終わった……」

 工場での戦闘は血管が切れるかと熱くなった太郎で、ムービーシーンに入り自爆で敵を殲滅。それが終わると、バンカーと言う場所に居た。

 トロフィーが手に入ったが、どうでも良い。大切なのは物語の続きだ。

 バンカーにバックアップのデータが保存されたので、2Bは生き残っていたと言う事だった。

「9Sの声? キモっ。誰向けの選択肢だよ」

 アンドロイドの新しい義体と言う事で、明るさや音声の設定し直しをした。

「自爆って……試してみるか」

 自爆を実行すると、当然の事ながらバッドエンド。司令官が鬼の形相云々と文章が流れた。

 周回プレイ前提のマルチエンディングな作品なので、エンディングを一つ回収したと納得する。

(今日は寝るか)

 太郎はPS4の電源を切る操作をした後、横に成った。

 

 

 

2.異世界転移?

 

 悲鳴が聴こえる。外部入力の設定でTVはつけていない。そう考えながら太郎は意識を覚醒させる。

「ふぁっ!?」

 目を開け携帯に手を伸ばそうとして、草があった。

 青空の下で太郎は野原に寝転んでいた。起き上がり周囲を見渡す太郎。

 壮観な光景で、太郎の暮らす街中では見られない平原が広がっていた。

 そして巨大な猪に追いかけられた少年が走ってる姿が目に移った。ツンツンした髪型はまるで伝説のゲーム、FF7の主人公みたいだ。

 ──何してるんだ、あいつ。そんな感情が浮かんだが、太郎はふと自分に向かってくる事に気付いた。

「えぇぇっ!」

 猪は自動車サイズで平原を疾走している。当たれば確実に死ぬ。

「うわあああぁぁぁ!」

 太郎が別の方向に走ろうとすると、少年も追いかけて来る。

(ちょ、此方に来るな!)

 全力で走っていると、いつの間にか引き離して居た。問題の少年は岩の上に登っている。

「何だってんだあの糞ガキ。MPKかよ」

 落ち着くと自分の身体に怪我は無いか確認しようとした。

「えっ……」

 Tシャツにトランクスで下着姿。ひのきのぼうすら持ってなく、RPGなら開始時と言う次元ではない。

「なんじゃこりゃあ!」

 周囲が日本的風景で無い事よりも、自分の服装に驚いた。足の裏も裸足で傷んだ。

 夢ならともかく、感触がリアルすぎる。肌に感じる風や草の香りが現実であり、転生や転移、憑依の類いである事を考えさせたが、死んだ記憶はない。

「いやいや、普通、こう言う時って、寝る前にプレイしていたゲームの世界とかキャラに憑依転生だろ。神様転生ならまだしも、着の身着のままって異世界転移かよ!」

 なぜパーフェクトボディなアンドロイドの2BやA2の様なアバターではなく、元のままなのか。そこが怒るポイントだった。

 ポケットもないから当然、手元には何も無かった。

「ここ、何処だよ。何の世界だ?」

 へたり込んでいると、どうやって猪を倒したのか、少年が声をかけてきた。

「あの……」

「ん?」

 正に物語の主人公、イケメン要素を持った少年だった。

「俺のせいで迷惑かけたみたいですみません。怪我とかありませんか?」

「あ、ああ。大丈夫だ。ありがとう」

 少年はニーアと名乗った。着の身着のままな太郎に気をつかい、自分の村まで誘ってくれた。

(こいつ、良いやつ過ぎるだろう)

 そしてニーアの傍らに浮かぶ本に気付いた。

「UAVって事は無いよな。明らかにファンタジーっぽい世界だし、魔法か?」

「何をごちゃごちゃと言っておる。我は白の書。UAV等と言う下等な物とは違うわ。見くびるでない!」

 UAVを知ってる事に対して太郎が言葉を発そうとしたら、ニーアが口を挟んできた。

「これは、シロ。僕の仲間なんだ」

「ふーん、魔導書か。本物を見るのは初めてだ。よろしくな、シロ」

「我の名を略すでない!」

 ニーアがマモノをいなしながら、橋を渡り岩壁の隙間を通りたどり着いた村。

 入る時、太郎は余所者だからか、警備兵や村人にジロジロと見られた。

 門から噴水の前を通って連れて行かれたのは、村の高台にある大きな建物で、図書館。

 平日だから仕事があるのか、一般の利用客は数人しか居なかった。

「此方です」

 二階の部屋に通され、司書をしてる赤髪の女性に引き合わされた。

「ポポルさん、この方は山田太郎さん。外で猪との戦いに巻き込んでしまったんです」

「山田……太郎……さん? どちらから来られたのですか?」

「太郎さんは北平原に居たんです」

 ニーアの言葉に太郎は補足する。

「あー、気がついたらここに居たんだ。日本語通じるみたいだけど、ここ何処かな」

 太郎の言葉に目を見開くとポポルは席から勢いよく立ち上がった。

「ちょっと待ってください!」

 ポポルは机の上にあった書類を落としたが、気にする事なく太郎に近付く。

「あなたは日本語がわかるのですか」

「そりゃ日本人だし。平成××年×月×日生まれ、×県×市在住。現在、無職。ニートだな」

 固まるポポル。平成時代は日本の元号で、ポポルの知識には31年間の情報も入っている。

「そんな、まさかオリジナル? でも……どうして……」

 ぶつぶつ呟いて思考に入ったポポル。太郎から見ても美しい容姿だが、眉間に皺を寄せて考え込む表情は怖い物を感じた。

「ポポルさん、どうかしましたか?」

 ニーアが声をかけるが答えず、ポポルは太郎に話しかけた。

「ごめんなさい。調整する事があるから、少しだけ待って頂けますか。その間は村から出ないで下さい。外はマモノが居て危険ですから!」

 念を押すポポルの勢いに、太郎は頷く。

「あ、うん。分かった。ここは図書館だろ? 本でも読んで時間を潰してるよ」

 ポポルは村の商店街に向かった。ニーアも妹が黒文(こくぶん)病と言う不治の病で、様子が心配だからと帰って行った。

「──て言うか、書類を落としたままだぞ……」

 一人残された太郎は、床に落ちた書類を拾った。

「ゲシュタルト計画? レプリカント、なんやそれ? 中二病っぽい」

 白塩化症候群への対処としてのゲシュタルト化は一応の成功を見た。身体情報の保存先としてのレプリカントも予定通り抑制された文明の中でオリジナルの遺伝子を継承してる云々と書かれていてチンプンカンプンだが、思い出す事があった。

「そう言えば、あいつニーアって言ってたな。もしかして前作の世界か? 未プレイなんだけど、うわ……どうしよう」

 前作である『NieR RepliCant』の存在は知っていた。

 無双シリーズと『パンツァードラグーン』を交ぜた様な『ドラッグオンドラグーン』の世界と繋がっており、その延長上が『NieR:Automata』であると。その程度の知識で、前作や『SINoALICE』まで網羅していた訳ではない。

(原作キャラに関わると危険だ。あのポポルって女は俺が日本人だって事に驚いていた。何かあるな。糞、手の内を晒し過ぎたか……)

 この段階で太郎は明らかに主人公っぽいニーアと重要キャラらしいポポルを警戒した。

 

 

 

 

3.とんずらへの第一歩

 

 太郎が閲覧室で寝ていると、ポポルがよく似た女性を連れ傍らに立っていた。

「──こいつが?」

「デボル、こいつじゃない。山田さんはレプリカントシステムとは違うの。肉を持ち、自我を持ち、魂を持つ完全なる人よ。白塩化症候群にもかかっていないオリジナル」

 デボルと呼ばれた女性を(たしな)めると、ポポルは嬉しそうに続ける。

「時は来たの。あるべき姿、正しき世界、楽園を取り戻す。その為に私達はあるわ。管理委員会にシナリオの修正を上申するつもりよ」

 話し声で太郎は起きた。

「んっ……。あ、お帰り。悪い……寝てしまった」

「いえ。此方こそ、お待たせして、申し訳ありません。此方は姉のデボル。デボル、山田さんよ」

「よろしく」

 ロングヘアーであれば、シシド・カフカとDAOKOの区別がつかない太郎にとって姉妹の見分けは難しい。口調で判断するしかなかった。

「お腹が空いたでしょう。夕食を用意しました。食事にしましょうね」

 床に視線を落とす太郎。服装も酷いが通貨も持っていない。

「手持ちの持ち合わせが無いんだけど……」

 深々と頭を下げるポポルとデボル。

「遠慮なさらないで下さい」

 世話になる方で、二人の態度が理解出来ない太郎だが、身体は正直で空腹を訴えていた。

「助かる。ありがとう」

 一階の扉の奥には、閉架書庫や倉庫、司書の生活スペースとしての貯蔵庫や食堂がある。

 案内された太郎は席に着く。

 出されたメニューは、パンにかぼちゃのポタージュスープ、塩味だけの野菜サラダ。

 ポポルがスプーンを差し出してきた。

「どうぞ、熱いので気をつけてくださいね」

 指先が触れ合った一瞬、太郎は思わず見上げた。

 彼女の優しげな目元、その奥に確かにある何かに気付き、背筋が微かに震える。

 デボルが後ろから覗き込む。

「山田さん、赤くなってるわよ?」

 照れくさくなり食事をかき込んだ。シンプルだが味付けも太郎の口にあった。

「いかがでしたか」

「美味かったよ。ありがとう」

 太郎の言葉にポポルは微笑み、デボルは誇る様に言った。

「全部、この村の畑で採れた物なんだ」

「そっか。自給自足とは凄いな」

 その後、来客用の部屋に案内され、ポポルの用意してくれた衣類を受け取ると身に付けた。

「今はこれしかありませんが」

「いやいや、十分だよ。サイズはピッタリだ」

「良かったです」

 ベッドに横に成った太郎は明日からの行動計画を考えながら眠りに着いた。

 ──明けて翌朝、ニーアがやって来た。ポポルに起こされた太郎は、冷たい井戸水で目を覚ます。

「お早う御座います、太郎さん」

「朝から早いな。どうした?」

 そう言いながらデボルの差し出した、よく冷えた山羊のミルクを飲み干す。

「この辺りでは普通ですよ。ヨナに卵を食べさせてやろうと思って、崖の村に出かけようかと」

 二人に世話をされながらも、太郎は逃亡の機会を待っていた。保護される恩恵よりも不気味な物を感じていた。

 突破口は作るものじゃない。探す物だ。そして機会がやって来た。

「ああ、病気の妹さんだったか? 栄養を着けるのは体力回復の基本だよな。よかったら俺も手伝うよ」

「良いんですか?」

「うん」

 微笑ましくやり取りを見ていたポポルは、厳かに告げる。

「今こそ人の愛を知る時です。深い愛、偉大な愛、そして慈悲深き鉄槌をレギオンとレッドアイに下すもまた愛」

 そしてポポルはうっとりと太郎に微笑んだ。一方、ポポルの視線を受けて太郎は悪寒を感じた。

「ポポルさん、どうしたんですか?」

 愛らしい唇から零れた電波な台詞に、ニーアは戸惑いを露にする。太郎はチンプンカンプンだったので首を傾げた。

「太郎さんはこの世界を救う人です。私達は監視者としての役割があるので動けませんが、ニーア、貴方に太郎さんの御身を任せます」

「は、はい!」

 淀みなく言い切ったポポルの言葉に、何か言う気力は沸き起こらず、ニーアも勢いに流された。

「気をつけてね。本当に、気をつけて!」

 ニーアに念を押すと、「あんまり無理しないでね」と太郎にも声をかけられた。

 そして渡された剣は鋼鉄の材質だが、2Kg程で軽く周囲に敵が居たら振りやすい物だった。デボルが言うには『攻撃力は少し低いけど、切れ味が鋭く、とてもよく切れる』と取り扱いを注意された。

 その他、薬草や傷薬を持たされ村を出た太郎は、ニーアに話しかける。

「なぁ、ポポルっていつもあんな感じなのか?」

「いえ。今日のポポルさんは変でした」

 ニーアが眉を寄せる。ニーアもポポルの言動に奇妙な物を感じていた。

 太郎に対して妙に好意的で、一目惚れとか恋愛感情とは違う事だけは分かる。

 行きがけの駄賃とばかりにマモノを始末して稼ぎながら橋を渡り、左手に進むとトンネルが見えてきた。

「地図によると、この先が崖の村だそうですよ」

「ふーん」

 トンネルを進むと途中で開けた場所があった。

「何だあれ」

 掘っ建て小屋が見えた。

 近付く二人と一冊。小屋に扉はなく寝床が丸見えで不用心だ。

「誰も居ないですね」

 そう言いながらも金目の物を物色してか、ニーアの視線が動いている。

 太郎は綺麗な白い花に目を向ける。

 なんとなく手を伸ばした瞬間、背中から罵声を浴びせかけられた。

「汚い粗チンを触った手で、それに障るな!」

 ビクッとする太郎。

 振り替えると露出の激しい格好をした女性が立っていた。

「うわあっ、この女の人、下着しかつけてないよ!」

「……痴女?」

 童貞の様に騒ぐニーアとは対照的に呟く太郎。

「落ち着けたわけが! 他にもっと見るべき場所があろう!」

 シロの言葉で、太郎の視線は自然と彼女の太腿、くびれた腰、そしてわずかに揺れる胸元へと吸い寄せられていた。

 布の隙間から覗く肌は、陽に焼けず、白磁のように滑らかで……。

「……その目は、何だ?」

 カイネの声に含まれた怒りと羞恥が、かえって太郎の鼓動を速めた。

 ニーアは女性の左腕に黒い瘴気の様な物を見た。

「この人、マモノ!?」

 ニーアの言葉に女性は得物を向けようとした。

「このバカチンがぁ!」

 太郎はニーアの横っ面を殴った。

「美しい女性を前にマモノとは、お前の目は節穴か!」

 マモノだろうと誰にでも赦される権利があると言う太郎で、唖然とするニーア、言葉を失うシロ。

 突然の出来事に女性は固まるしか無かった。

 

 

 

 

4.愛いは正義

 

 下着女はカイネと名乗った。はち切れそうな胸に視線を固定して太郎は言った。

「カイネさん、惚れました。結婚して下さい」

「断る」

 即答でバッサリと断られた。邪な視線を見ればその答えも当然だった。

「太郎さん、初対面で何を言ってるんですか」

 ニーアの突っ込みを無視して太郎は口説き続ける。

「じゃあ、お友達から始めませんか? 先ずは旅の仲間としてお知り合いに成りましょう!」

「強引過ぎますよ」

 呆れるニーア、苦笑するカイネ。

「それに私はマモノ憑きだ。傍に居ればお前達も不幸に合う」

 うんうんと頷いて聞いていた太郎は提案する。

「良いじゃない。美少女に迷惑をかけられるのも男冥利に尽きる。ドンと来いですよ」

 未来への希望もない。

 深刻な問題を簡単に流されて、深々と溜め息を吐くカイネ。

「お前は分かってない」

 小雨が降る中、ずぶ濡れになったカイネの衣服は、さらに輪郭を鮮明に浮かび上がらせた。

 滴る髪をかき上げる仕草に、太郎の喉が鳴る。

「……ジロジロ見るな。殴るぞ」

 それでも視線は逸らせなかった。美しさと哀しみを背負った彼女に、理屈では抗えない引力を感じていた。

 悩ましい表情も、カイネのエロい服装も太郎の好みだった。内心でニヤニヤしながら真面目な表情を作る努力をした。

 カイネは視線を逸らしたまま、そっけなく吐き捨てた。

「私はマモノ憑きだ。お前らと一緒にいれば、いずれ災厄に巻き込まれる」

 その言葉は、誰にも近づかないための、擦り切れた呪いのようだった。

 だが太郎は、ふとその手元に目を落とした。

 膝の上に置かれた指先――節くれだって、力が入っている。小さく震えてすらいた。

「……怖いんだろ」

 静かな声だった。カイネが顔を向けるより早く、太郎の指がそっと彼女の手に触れた。

 冷えきった指先が、まるで誰かに触れることを拒んでいたかのように一瞬すくむ。だが、太郎はそのままそっと包んだ。

 強引ではなく、ただそこにいるというように。

「俺も怖いよ。けどな……誰かと一緒にいるって、そういうことじゃないか?」

 カイネの赤い瞳が、わずかに揺れる。

 拒絶の言葉は、もう口にされなかった。

 ふと吹いた風が、カイネの白髪を揺らし、彼女の匂いがかすかに太郎の鼻腔を撫でた。

 土と草と、ほんのりと花のような――人間らしい、温もりの匂いだった。

 カイネの視線が太郎の顔に、そっと絡む。怒りでも蔑みでもない――ただ、驚きと戸惑いの色が滲んでいた。

 太郎は無言のまま、彼女の指先に添えた自分の指にほんの少しだけ力を込めた。

 決して握るのではなく、体温を分け与えるようにそっと重ねるだけ。

 そのときだった。カイネの指先が、ふるりと震え――わずかに、彼の手を握り返した。

 意識した動作ではないのだろう。

 拒まれていたはずの他人の温もりに、どこかで飢えていた証拠のように。

 手の中で微かに汗ばんだ薄く繊細な掌の感触が、太郎の鼓動を跳ねさせた。

「……あのさあ」

 その光景を見ていたニーアが、ぎこちなく言葉を挟んだ。

 だが彼は、なぜかそれ以上言葉を続けられなかった。

 太郎の真剣なまなざしと、カイネのわずかな表情の変化が、彼の口を閉ざさせたのだ。

「……ふん。つまらぬ情景だが、退屈はせぬな」

 浮かぶ魔導書・白の書は、皮肉混じりにぽつりと呟いたが、普段のような毒舌はどこか影を潜めていた。

 太郎はゆっくりと手を離し、肩をすくめて笑ってみせた。

「……ほら、何もしねーよ。ただ、俺はあんたの味方でいたいだけだ」

 カイネは何も言わなかった。

 ただ、微かに睫毛を伏せ、その横顔が今までよりもどこか穏やかに見えた。

 その夜、崖の村へと続く坂の途中。

 焚き火の前で、太郎とカイネは肩を並べて座っていた。

 火花がぱちりと弾けるたび、カイネの銀の髪が赤く揺れる。

 ふとした瞬間、その横顔に太郎の視線が吸い寄せられた。睫毛が長い。鼻筋が通っている。光に照らされる鎖骨の影が美しい。

 その静かな魅力に、息を呑みそうになった。

「……何、見てんだ」

 カイネが気づいて口を尖らせる。だが、すぐに視線を外さなかった太郎を見て、少しだけ口元が緩んだ。

「なあ、寒くないか?」

「平気だよ。……いや、ちょっとだけ寒い」

 嘘をつくでもなく素直でもない答えに、太郎は小さく笑う。

 黙って自分のマントを脱ぐと、そっとカイネの肩にかけた。

 彼女の肩がぴくりと揺れる。怒鳴られるかと思ったが、何も言わなかった。

「……ありがと」

 その一言が、太郎の胸にふわりと灯をともした。

 ささやかな言葉だったが、彼女の心の扉が少しだけ開いた証拠のように思えた。

 しばらく、ふたりは黙ったまま火を見つめていた。

 言葉はなくても、不思議と気まずくはなかった。むしろ、沈黙が心地よかった。

 ――やがて、カイネがぽつりと呟いた。

「お前みたいな奴が、ここに来るとは思わなかった。……悪い意味じゃないぞ。少し、眩しいだけだ」

 火の揺らめきに照らされて、彼女の目元がうっすらと潤んでいるように見えた。

 太郎は、そっと手を差し出した。今度は手のひらではなく、指先だけをそっと触れ合うように。

「……別に、眩しくなんてないさ。俺は、ただのクズニートだよ」

「ふふ、そうかもな」

 カイネは小さく笑って、太郎の指に自分の指を重ねた。

 それはまるで、これから芽吹こうとする小さな花の蕾のような、かすかな、けれど確かな触れ合いだった。

 翌朝、崖の村を目指して歩く道すがら。

 岩壁に囲まれた小道は、朝露に濡れた草が足元を滑らせそうになる。そんな中、太郎の目線は自然と横を歩くカイネへと向けられていた。

 視線の先には、ぴたりと肌に密着した布地。

 歩くたびに揺れる腰のライン、陽にきらめく太腿。

 その布の少なさはどう考えても防具として不適格で、もはや眼福としか言いようがなかった。

(いや、やっぱりこれは誘ってる……! って思ってしまう俺が悪いのか?)

 自己問答の末、しっかり目は固定されたまま。

 ついでに妄想まで膨らむ。「こんな服で日常生活って、下着どうしてんだ?」と、下世話な考えが頭をもたげる。

 そのときだった。

「……おい。さっきから、その目、気づいてないと思ってんのか」

 カイネが立ち止まり、鋭い声で睨みつけてきた。

 だがその頬には、ほんのわずかに朱が差している。

「あー……その……ちが……くない、です。すみません」

 正直に認めた太郎に、カイネはしばらくの沈黙の後、ふっとため息をついた。

「……まあ、見た目がそういう格好だってのは、自分でも分かってる。今さら恥じるもんでもないしな」

 そう言って踵を返す。

 太郎はほっとしたような、残念なような、複雑な表情でその背中を見送った。

 だが次の瞬間――

 ちらりと振り向いたカイネが、太郎にだけわかるように口角をわずかに吊り上げた。

「でも、触れたら殺すからな」

 その言葉に、太郎は背筋を伸ばして敬礼のポーズを取る。

「了解しました! 視姦だけに留めます!」

「それも言うな、バカ」

 笑いながら小突かれた太郎の脳内には、今日もカイネの美しいシルエットがしっかりと保存されていた。

 カイネの背中を見送りながら、太郎はひとつ深呼吸をした。

 ──思い出すな、絶対に、思い出すな。

 昨夜、あの寒空の下。焚き火の灯りが消えかけた頃、眠るカイネは太郎の肩にそっと身を傾けていた。

 ぴたりと寄り添う柔らかな体温。

 寝息のリズムに合わせて、肩が、腕が、頬が、かすかに触れ合う。

 それはまるで夢のような時間だった。

(なぁ……そりゃ触れてないけどさ、あれはもう実質触ってたよな? ていうか胸の……うおおおおお、思い出すな俺!)

 顔が熱くなり、頬が緩みそうになる。が、その瞬間――

「触れたら殺すからな」

 つい先ほどの、あのカイネの一言が脳内にリフレインされる。

(殺される! いやマジで普通に殺される!)

 なんとか表情を引き締めようと、口の中で「南無三」と唱える太郎。

 脳裏では昨夜のカイネの寝顔、安らかに閉じた瞼、吐息に混じる寝言がフラッシュバックしてくる。

 ──「太郎、……バカ……」

(何がバカだよ最高かよ……!)

 思わず鼻から熱い息が漏れかけたが、直後、カイネが不意に振り返る。

 危うく顔が緩んでいた太郎は、とっさに咳払いしてごまかした。

「……何か言ったか?」

「い、いやいや、何もっ。腹でも空いたな~って。ね?」

 ふんと鼻を鳴らすカイネ。どうやら気づいていない、あるいは気づいていて黙っている。

 太郎はそっと胸を撫で下ろし、内心でまたひとつ悟った。

(俺はきっと、彼女に殺されるまで惚れるだろうな……)

 太郎はそんな事を考えながら、カイネの数歩後ろを歩き続けていた。

 その位置関係が、太郎にとっては試練であり、ご褒美でもあった。

(ちょっ……おいおい、これはマズいだろ……)

 カイネの脚は、引き締まっていながらもしなやかで、歩くたびに太腿の筋肉がなめらかに動くのがはっきりと見て取れる。

 そしてその上、布地と言うにはあまりに申し訳程度の衣装が、彼女の丸みを帯びた尻の形を、はっきりと浮かび上がらせていた。

(これ……見ろって言ってるようなもんだよな? 違う? 俺が悪いのか?)

 理性と煩悩の間で揺れる視線。

 陽の光を浴びてきらめく汗の雫が、彼女の太腿をつたって膝へと落ちるその軌跡に、喉が鳴った。

(くっそ、ありがたや……じゃねぇ、違う、拝むな俺……!)

 視線を逸らそうとしても、自然と吸い寄せられる。まるで引力があるかのようだった。

 そのとき、不意にカイネが足を止めた。

「……いい加減にしろよ」

 ぎくり。

 太郎は天を仰ぎ、無言で済みませんでした神様!と心中で懺悔する。

「そっ、そうか? 気のせいじゃない? ほら、俺、後ろから歩くとき、なんかこう、集中しちゃうタイプで……」

 言い訳にもならない言い訳を口走ると、カイネは横目でじろりと睨んできた。

 道の前方、数メートル離れた場所を歩くニーアとシロ。

 二人――いや、一人と一冊は、無言で後を振り返る。

 視線の先には、カイネの後ろ姿を見つめて頬を赤らめ、今にも鼻血を出しそうな太郎の姿。

「……なあ、シロ」

「なんだ」

「人って、あんなにわかりやすくダメな奴になるものなのか?」

「愚問だな。ありゃあもう、性欲の塊だ。もはや生きた欲望。歩く本能だ」

「……だよな」

 再び前を見ると、太郎は一人で何かに感動した顔をしていた。

 まるで神殿で啓示でも受けたかのように、崇拝の眼差しでカイネの尻を見つめている。

「拝むな。見るな。そして口に出すな」

「シロ、どうする? あの人……カイネに殺されると思う?」

「私としては一度見てみたいな。人間が性欲で死ぬという歴史的瞬間を。学術的にも興味深い」

「不謹慎だよ……」

 そう言いつつも、ニーアも若干同意しかけている自分に気づき、内心で苦笑する。

 やがて、太郎が足を止めて小さく呟いた。

「この旅路が……ずっと続きますように」

 それを聞いて、ニーアはぽつりと漏らした。

「……願いの方向、完全に間違ってるよね」

「手遅れだな。合掌」

 そう言って、白の書はぱたりと自ら閉じた。

 開かれた知識よりも、今は沈黙がすべてを物語っていた。

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