すぐ隣に座っている恵の声さえ聞こえないほど、俺はこの紙束に没頭していた。
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気付いたときには、既にここに来てから30分を超えていて。
それはつまり、この紙束はそれほどの力を持ったものということで。
「さ~て、返事を貰おうか」
けれど、その中に、一つだけ意味不明なことがあった。
それは、企画書の初めの方にある、サブディレクター・プロデューサー:安芸倫也という文字列…………。
そして…………。
「……英梨ヶと詩羽先輩はもう読んだんですか…………?」
シナリオ:霞詩子
キャラクターデザイン・原画:柏木エリ
「あいつらがなんて答えるかは少年はよ~く分かってるんじゃね~の?」
「……………………」
それは、紅坂朱音が魂を削って、寿命を削って完成させた魂の企画書。
そこには、何十枚ものデザインが、ラフが、そして何千文字もの設定が、作品としての輝きが、クリエイターを引き込む全ての要素が含まれていた。
こんなの目が離せる訳がない。
紅坂朱音の世界に引きずり込まれる。
一昨年同じ人が書いた企画書を見たときには、感じ取れなかった情報が、頭の中に入り込んでくる。
改めて、この人の実力を思い知った。
設定の粗もなく、デザインの手抜きもなく、全てが作り込まれていて、その全てが俺に囁いてくる。
──やれるよなあ?──と。
──この作品に魂を捧げろ──と。
あの二人が、霞詩子と柏木エリが、この企画を受けないはずがない。
クリエイターとしての二人をまるで理解してない俺でも、それは確信出来る。
「この前みて~に途中でぶっ倒れて勝手に駄作に貶められそうになるのだけは無理なんでな。そうならないための策ってことだ」
…………ちなみに、去年にフィールズクロニクルのDLCが計4弾で出たが、マルズ側はもともと3弾のつもりで、紅坂さんサイドにもそう通知が来ていたそうで、急に増えたDLCにこの人とマルズの間でまた一悶着あったらしい。
あの紅坂朱音がどんな理由だろうと俺を制作メンバーに指定したのだ。俺個人としては、すげー参加したい。
けれど…………
「紅坂さん…………。この企画はすごいと思うし、参加したい気持ちもありますけど…………」
「けど、なんだ?」
ちらり、と恵の横顔を見る。
「俺たち、今は大事な時期なんです。坂道シリーズも終わって、こっからまたやっていこうって時期なんです。だから、今は紅坂さんの企画には参加出来ません」
二作目の大事な時期に勝手にどっかのプロジェクトに(頼まれてもいないのに)参加して、副代表にめちゃくちゃ怒られた奴がいるような気がするけど気にしちゃいけない。
そんな俺の、blessingsoftwareの現状を紅坂さんは知ってか知らずか。
それは分からないけれど、今言った言葉は俺の本心だ。
恵と出会った当初に創りたかったゲームは、ヒロインとの恋の物語は、確かに一段落を迎えた。
けれど、それで俺の創作意欲が尽きたかといえば、そんなことはない。
実際に今も、伊織以外のメンバー全員で企画書を練っているところだ。
伊織を省いてるのは、伊織が委託関連で未だに動き回ってるからだ。
確かに、参加してみたい。参加してみたいが、それとこれとは話が別だ。
まあ、だからといって、紅坂さんがこの程度で退くとは思ってないけど。
「──だったら」
俺が考えている間中ずっと飲み食いしていた女帝がおもむろに口を開いた。
「お前のサークルごと参加すればいい」
けれど、その口から飛び出してきたのは俺の知る彼女は絶対に、それこそ泥酔していたとしても、頭が朦朧としていたって口にしないような言葉だった。
「……………………」
「………………………………」
ほら、あの俺より遙かに紅坂朱音のことを知っている伊織だって二の句が継げない。
いや、俺より知っているからこそ、か。
あいつも自分の耳が信じられなかったようで、
「あの、朱音さん…………今なんて言いました?」
「ん? blessingsoftwareごと参加すればいいっていったんだけど?」
あ り え ん 。
「ま~落ち着け。お前達のゲームをプレイしたうえで言ってんだよ」
そう言われても落ち着けるはずがないんですが。