深海棲艦提督は動かない 作:深海棲艦大好き棲姫
離島棲姫の力を見て呆然とする曙。
それを見た離島棲姫は……薄く嗤った。
彼女の目には、曙が格好のおもちゃに見えたのだ。
離島棲姫の性質は、間違いなく悪である。
宗一郎が命令すればその通りにするが、命令外の部分であれば、彼女は人類の敵だ。無論、艦娘の敵でもある。
「曙さん……でしたっけ?」
「えっ? え、ええ。そうよ」
「一つ、質問をさせていただいても?」
「な、なに?」
「そう緊張しなくとも大丈夫ですよ。実に簡単な、はいかいいえで答えられる問いですから」
離島棲姫は曙にグッと顔を近づけた。
「深海棲艦は憎いかしら?」
「当たり前じゃない!」
曙は即答した。
憎くないわけがなかった。
提督も、艦娘の仲間達も、みな奴等に殺されたのだ。
そもそも深海棲艦がいなければ、こんな戦争もなかった。
深海棲艦は全ての元凶だ。
憎くないわけがない。
曙の返答を聞いた離島棲姫は悲しげに顔を歪ませた。
「そうよね……。深海棲艦に、あなたの提督を殺されたのでしょう? 悲劇よね……。だって提督は、何も悪いことをしてないのに殺されたのでしょう? きっと無念だったと思うわ。でも、良かった。あなたが深海棲艦を憎くないと言っていたら、どうしようかと思ったの。だってそうしたら、提督の無念を晴らせる人がいなくなってしまうじゃない?」
離島棲姫の言葉で、蓋をしていた憎しみが再び湧いてくるのを、曙は感じた。
そうだ。
他の誰が忘れたとしても、自分達だけは、あの人がされたことを忘れてはならない。
「だから、ね。復讐しましょう?」
離島棲姫がそう言うと、上からリ級が降ってきた。
彼女の艦載機が捕らえてきたのだろう。
離島棲姫は落ちてきたリ級を捕まえ――四肢をへし折った。
「さあ曙さん。今、あなたの目の前に抵抗の出来ない深海棲艦をご用意いたしました。どうしますか?」
艦娘は兵器だ。
それもただの兵器ではない。
深海棲艦を殺すためだけに造られた兵器。深海棲艦を殺すのが、生きる理由。加えて提督や仲間達を殺された恨みもある。
殺すべきだろう。
だが――リ級は怯えていた。
明らかに戦意を失っている。
加えて今の彼女に、戦えるだけの力は残っていない。
いかに深海棲艦といえど、目の前の彼女を殺すのは……。
「判断が遅い」
離島棲姫が、リ級のクビをへし折った。
あっけなく彼女は死に、海へと沈んだ。
「考えるのが遅すぎます。そんなんだからほら、復讐の機会を逃してしまうんですよ? もしかして提督が死んだのも、そのせいじゃないですか?」
ギリッ――。
曙は奥歯を噛み締めた。
離島棲姫の言葉は、あまりにも無遠慮だった。
何も知らないお前に、そんなこと言われたくない。
そう思うとのと同時に、しかし、正論でもあった。
現実として今、曙は確かに、復讐の機会を失ったのだから。
「敵を見たら攻撃する。憎い者を見たら殺す。これをパターン化して、頭の中にインプットするんですよ」
離島棲姫は曙のこめかみに指を当て、グリグリと押した。
「さあ、もう一回です」
そしてまた、艦載機が新たな深海棲艦を連れてくる。
まさか、自分が深海棲艦を殺すまで、この悪趣味な遊びは続くのだろうか……。
曙の予感を裏付けるように、離島棲姫は再び深海棲艦の手足を折った。
「今度はわたくしが手伝ってあげましょう」
離島棲姫は曙の背後に回り、自分の手を曙の腕に絡めた。
駆逐艦とはいえ、曙とて艦娘である。よって力も相当に強い。
しかし離島棲姫はその遥か上にいる。
拘束された曙は、一切の自由を奪われた。
「ほら、よく狙って下さい」
単装砲を握った手が、ゆっくり持ち上げられる。
狙う先はもちろん、瀕死の深海棲艦だ。
「ちょ、ちょっと待ち――」
曙の言葉は続かなかった。
離島棲姫の指が、曙の口の中に入り込んで来たのだ。
舌や歯ぐきを、離島棲姫の指が撫で回す。そのまま離島棲姫は、耳元で囁いた。
「いきなり頭を撃ってはつまらないでしょう? 先ずは手足から。その後はお腹か、あるいは直接殴りつけてもいいかもしれません。大丈夫ですよ。深海棲艦は丈夫なので、直ぐに死ぬことはありませんから」
そんなこと出来るわけがない。
いかに敵とはいえ、生きているのだ。
そんな残虐なことをしていい道理はない。
「何を躊躇しているのですか? 弱者を一方的に痛めつけるのは愉快よ? 今ならほら、提督の復讐という大義名分があるじゃない」
単装砲の引き金に指がかかる。
ここに至って、曙は理解した。
離島棲姫は――違う。
根本から違う。
彼女は悪だ。
深海棲艦よりもずっと深い悪。
「さあほら、何をもたついてるんですか? 早く撃ってしまいなさい。はやく、はやく。深海棲艦が憎いのでしょう? それともあなたの中にある提督へのお気持ちはその程度なのですか?」
曙は、離島棲姫が怖くてたまらなくなった。
病的なまでに白い肌も、そこから感じる熱がほとんどないのも。
血に飢えた様な赤い目が狂った羅針盤のようにせわしなく動いているのも、何もかもが怖かった。
――離島棲姫から解放されるなら。
そんな気持ちが芽生えた。
思えば深海棲艦を殺す様に言われただけだ。
何もこれが初めてなわけじゃない。遠征が主な任務だった曙とて、深海棲艦を殺したことくらいはある。
提督を殺した深海棲艦が憎いのも事実だった。
一発撃てば、解放される。
それは簡単なことの様に思えた。
敵は動けない。
後はただ、引き金を引けばいいのだ。
「キヒッ――!」
離島棲姫の口から、とても少女のものとは思えない、邪悪な笑い声が聞こえた。
そのあまりの不快感に、曙はとうとう引き金を――はたして、引けなかった。
曙が迷ったのではない。
離島棲姫が深海棲艦を沈めたのだ。
「提督様から通信が来たので、お静かに」
先ほどの狂気は、最早消え失せていた。
同時に、曙への興味も消えている様だ。
離島棲姫はうっとりした顔で通信に出た。
「はい、提督様。あなたの離島棲姫ですよぉ。はい、はい……まあ。うふふっ。お褒めのお言葉、ありがとうございます。一層身が引き締まる思いですわ。
曙さんですか? ええ、わたくしの所にいらっしゃいますよ。悪さ? まさか、してませんよ。ちょうど楽しくお話ししていたところです。ええ、はい。直ぐにあなた様の元へお戻りしますわね」
通信が切れると、離島棲姫は曙の首根っこを掴んだ。
先ほどのそれとは違い、おぞましさは感じなかったが、とにかく雑だ。
「曙さんの速度に付き合ってると提督様をお待たせしてしまいますので、わたくしが運びますね」
ぱしゃ。
軽い水音がした。
次の瞬間、曙は鎮守府前にいた。
先ほど居た位置からでは、鎮守府は影も形も見えなかった。
どれだけの速力か、考えるのも馬鹿らしい。曙が一切の衝撃を感じなかったのも、信じられないことだ。一体どれだけの技量があれば、あんな動きが出来るのだろうか。
「提督様ぁ、あなた様の離島棲姫が戻りましたよ」
「ああ、おかえり離島棲姫。お疲れさま」
「はい! 勿体ないお言葉でございます」
離島棲姫は顔を紅潮させながら、嬉しさを押し込める様に両頬に手を当てた。目も蕩けている。ついさっきまであれ程の悪性を見せた少女と同一人物だとは、とても思えなかった。
「曙は? 無事か?」
「ええ、ええ。もちろんでございます。さあ、曙さん。こちらへ」
言われるがまま、前へ出る。
「曙、ただ今帰投しました」
「ん。報告ありがとう」
表面上だけ見れば、普通の会話だ。
しかし、状況を考えれば異常と言える。
提督は深海棲艦の巨大な群れの中に、離島棲姫ただ一隻を送り込んだ。
それでなお平然としている。
どう考えてもおかしい。
「さて、曙。君に一つ、頼みがある」
嫌な予感がした。
あれ程の強さを持った離島棲姫を部下に持つ提督の望みなど、叶えられる気がしない。
「離島棲姫の手柄を、君の手柄として大本営に報告して欲しいんだ」
「……えっ?」
「いや実は、離島棲姫はシャイな性格なんだ。だから表彰されたりするのは苦手でね。頼むよ」
明らかな嘘だった。
その言葉の裏に、どんな意味があるのか考える。
離島棲姫は強い。
あり得ない強さだ。
彼女ほどの強さを持つ艦娘が、今まで話題にならないわけがない。それなのに誰一人として、彼女の存在を知らなかった。
どう考えてもおかしい。
曙には一つ、思い当たることがあった。
昔提督に連れ添って大本営に向かったとき。
偶然にも、元帥に出くわしたことがあった。
元帥は最強の提督である。
お付きの艦娘も、極限まで練度が練り上げられていた。あれこそまさに、艦娘の頂点だろう。
だが、元帥の艦娘について知る者は少ない。
情報規制がかけられているのだ。
国の最終兵器の詳しいスペックを公開する様なことは、自殺行為にも等しい。
雲の上のこと過ぎて、曙には詳しいことは分からないが。
離島棲姫の強さを仮に、元帥の艦娘と同じかそれより少し下くらいの強さだとする。
それならば離島棲姫もまた、元帥の艦娘と同じように秘匿されて当然だ。
つまり離島棲姫は、海軍秘蔵の兵器ということになる。
ショートランド泊地を救うために、海軍から秘密裏に送られてきたのだろう。
それならば必然的に、提督もただの新米ではないだろう。
よく見れば腰に刺した剣は、一目で一流だと分かる逸品であった。卒業したての学生が持てる様なものではない。
それならば色々と合点がいく。
書類をほとんど見なかったのも、予め大本営から情報が渡されていたから。
集積地棲姫と呼ばれた艦娘一隻に遠征を任せたのも、実は遠征に行ったのではなく、予め大本営に用意されていた資材を取りに行っただけ。
なるほど、筋は通る。
この提督は無能ではなく、むしろその逆。
大本営からこの窮地を任された、大将クラスの提督だったのだ。
あれほど強い狂気を持った離島棲姫を手懐けているのも、流石の一言である。
提督としての能力があまり感じられないのも――これはむしろ、曙側に問題がある気がした。
離島棲姫や元帥の艦娘の強さが正確に分からない様に、提督の能力が高すぎるあまり、知覚することが出来ないのだろう。
事実曙の遥か格上にいる離島棲姫は、提督の指揮能力を高く信頼している。
とにかく、提督は凄い人だ。
曙はそう結論づけた。
「交渉は、私の部下がほとんど済ませている」
その考えを裏付ける様な、この発言。
提督と大本営との間では、既に話し合いが終わっているのだろう。
後は離島棲姫の情報を漏らさない様に気をつけながら、軽く報告するだけ。
「わかったわ!」
曙は元気いっぱいに答えた。
◇
――――一方その頃。
四隻の深海棲艦が、大本営を目指していた。
『上手いこと離島棲姫の手柄を曙の手柄にしてくんね?』という宗一郎の命を受けた彼女達は『大本営を脅して従わせればいい』と考えたのである。
宗一郎は自分達が深海棲艦であることを隠したくて、
また見捨てられたショートランド泊地の艦娘の地位を上げるために、手柄を譲るつもりでそう言ったのだが。
悪意の塊である深海棲艦達にその発想はなかった。
大本営を視認できる距離まで近づいた三隻は、少し驚いた。
海軍は――艦娘は雑魚だ。
それが彼女達の共通認識であった。
海軍最強と謳われる元帥もどうせ大したことはない、有象無象だろうと思っていたのだ。
だが、彼女達の索敵能力が告げていた。
大本営の中に、今まで対峙した艦娘とはひと味もふた味も違う者達がいる。
なるほど、これが元帥……。
明らかに今まで沈めてきた艦娘や提督達とは違う。
――宗一郎の命令は絶対である。
彼女達に撤退の考えはない。
大本営を――元帥を目指して、彼女達は跳んだ。