擬音のような直接的な表現はあまり上手くないので、他の方法で頑張りました!
お前は解っていないなとその目は笑っていた。
ここはヤーナムだ、とも。
狩人に志願した理由は、あの人の役に立ちたいと思ったからだ。
幸い、稼業が鍛冶屋だったので武器の扱いには慣れていたのも弟子入りを許された理由だろう。
ヤーナムに祖父の代から移り住み、武器工房を立ち上げ、故郷で産出される希少鋼を加工した一部好事家向けの武器も作っていた。
研ぐと刃の面に特徴のある細かい輪文様が浮き出る特殊な鋼で、高値で取引されていた。
この特殊鋼は大変に硬く、加工するのに技術を要する。その高い技術を買われて狩人たちの間ではそこそこ名のある鍛冶職人の一家として認められていた。
だが、街中に於ける獣の出現が恒常的になりつつあったある晩。
灯りと油脂の匂いに引き寄せられた獣に運悪く入り込まれ、周辺をも巻き込むような騒ぎになったとき、懇意にしていた狩人たちが急いで助けに来てくれた。
黒い狩人たちの中でひときわ目立つ黄色の装束。
それに追随するように大柄な神父があっという間に獣達をなぎ倒してくれた。
しかし。
一家はことごとく獣の毒牙に掛かり無残に命を散らされた。
自分だけを遺して。
捨てる神あれば拾う神ありという言葉もあるとおり、近年増殖の傾向にある獣に対応する為、狩人たちは後続の若手を育成する方針に力を入れていた事が幸いし、自分もその枠に入る事を決めたのだ。
そして、入るならあの黄色い装束の狩人と神父の下が良いと切に願った。
一番に乗り込んで獣と戦ってくれた恩人だからだ。
今ではやっと先輩たちの後を追えるようになり、後方支援や下っ端のザコを掃除したりしていた。
まあ、ザコとは言っても気を抜けば死に直結する程には強い相手、決して楽なものでは無いのだが。
先輩狩人の名はヘンリックとガスコイン。
流石、ベテラン達の仕事は本当に惚れ惚れとするもので、特にこの2人は息が合ってヤーナム随一と言われる程に安定の狩率を誇っていた。
的確な射撃で怯ませた次の瞬間には、ノコギリ鉈が撫でるように獣の喉笛を掻っ切り、かたや神父は戦斧を威嚇するかのように鳴らしたかと思えば巨大なマサカリに変形させ、容赦なく獣どもの脳味噌を叩き潰して行った。
声を掛け合うでもなく一つの仕事を終えるそのつど、流れるような所作でお互いが背中合わせとなり次の獲物を屠る距離を測っている。
自分も見とれてしまいそうになるが、一瞬の隙は命取りと言う事を慌てて思い出し、目の隅で先輩たちの仕事の進み具合を確認しているのだと自分に言い訳をして、その勇姿を盗み見ているのだ。
ヘンリックは厳しいが年齢の所為か、鷹揚な面がある。
一見、人を寄せ付けぬ神経質な雰囲気を醸しているが、それは長年のさまざまな経験に基づき辿り着いた表向きの処世術だろう。
実際はそうでない事は、彼を慕う人間が多い事からもうかがい知れる。
自分はこの狩人が本当に憧れであったし、人間的にもとても尊敬している。
父親や兄のような年上の理解者という安心感もあった。
もう一人、ヘンリックの相棒であるガスコイン神父も豪放磊落な人柄であるが、意外なことに繊細な面も持ち合わせている。
それは彼に愛すべき家族がいるからだと思うと、なんだかこそばゆくなるほどに好感が持てた。
つまるところ、自分はこの二人の下で師弟関係を結ぶことができて心底良かったと思っている。
実は、ヘンリックも自分の事を殊更に気に掛けてくれているのを薄々知っていた。
なぜなら自分の肌の色はヘンリックのそれと似て、太陽が常に照りつける処に住まう人の色だったからだ。
同郷でないにしても、自分にいくらか似ている他人には親しみが湧き、また自然と引き合うのも無理はない。
相棒を心底信頼し、常に最優先に考えるガスコインをして
「お前の肌の色はヘンリックによく似てる。だから何と言うわけじゃないだろうが、似ている者が居るのは少しは慰めになるのかもな」
と言わしめた。
それは自分もそうだった。
ヤーナムの街に自分に似た肌の色の人間は、ヘンリックを除いて皆無だった。
保守的な人々は外見の違いを正義の盾として異端者を排除していく。
それは本能的な行動ではあるが、原始的かつ稚拙で退行的な行いであった。
斯様に少数派には生き難い環境の中において同胞の存在というのは、たとえ、誰にも頼らずに生きていける強さが有ったとしても、誰か近くに居るに越した事は無い。
共通の事で寄り添える、というのは生きる上で希望だから。
――だが希に、長年心の中に押し込められた、自分でも気が付かない鬱屈した感情に触れて欲しくて、相手の領分につい性急に踏み込んでしまう事もあったようだ。
ある日の午後。その日は珍しく晴れていた。
工房で片付けをしながら、夜に行われるであろう狩の準備をしていた。
武器の調整、水銀弾、輸血液、油壺、火炎瓶などの消耗品の補充、品質をチェックし不備を直し、数を数える。
外が明るすぎて室内の暗さが際立っていた。
戦いの前の静寂といったところか。こんな風景は嫌いではない。
嵌め殺してある窓から差し込む光で全てが逆光となり、普段見慣れているものが黒々とシルエットとなり不思議な雰囲気を演出していた。
ふわ、と髪が揺れた気がした。風?
気のせいかと手で撫でつけ振り向くと、そこにはいつの間にかヘンリックが音も無く立っており、真昼の幽霊のような違和感にいささかギョッとさせられた。
ヘンリックの手が途中まで伸ばされていて、彼が髪に触れたのだと判った。
光の加減の所為か恐い顔をしていた。
どうしたんですか、と訊くよりはやく、それこそ唐突にヘンリックは尋ねた。
「お前は…飢えることはないのか?」
飢える、とは?
質問の意味がよく解らず目をくるくるさせ、急いで答えようとしたが口は明確な言葉を発することが出来ず、しどろもどろになってしまった。
「ア…あの、すみません。質問の意味が…俺にはよく…」
なおもじっと答えを待つように相手の瞳はこちらを見たまま動かない。
見ようによっては夏の宵のような紫がかった瞳の色がまばたきもせず若い狩人を凝視していた。
その目に耐えられず、また、本当にどう答えたら良いか解らず途方にくれていると、すっと顔が近づき視線が合ったまま前置きも無く唇が重なった。
反射的にヘンリックから逃れ唇を庇った。
何をするのだと抗議の目を向けると古狩人はそのままこちらに二歩三歩と踏み出し、若い狩人はいきおい後退せざるを得ず、背後の安全を確認する間もなく、壁際に追い詰められた。
何かが当たって床に落ちガチャンと音を立てた。
わが身に起こらんとする危険を察した時には再び唇をふさがれていた。
ひんやりと薄暗い工房の中、さんさんと光降る窓際を背景に二人のシルエットがひと処で溶け合い、小さく湿った音が聞こえた。
何が起こっているのか把握できるほど冷静さを取り戻せぬまま、必死にヘンリックの胸元を叩き、押し戻し抵抗しようとしたがこうした事には慣れているのか、最低限の箇所を押さえられて動く事さえ出来なかった。
うう、と唸り抵抗を続けるも何故か印象的だったのは唇の柔らかさだった。
自分を含め、男の唇など薄くて硬いものと思っていたのだが、女のとはまた違うしなやかな柔らかさで意外に思った。
また、こんな状況でそんな小さな事に気が付いてしまった己にも。
その唇の動きが痛みを伴うような、乱暴であったりぞんざいなものなどでは無く、言葉にすると「慈しみ」が伝わるような口づけだった。
相手を想うような、大事にするような。
唇を離さず息を継ぎ、引きずる様に角度を変えて柔らかに、そっとついばむように若い狩人の唇を愛撫する。驚きのあまり固まったままの半開きの口にチロリと舌を紛れ込ませ、相手の様子を見ながら進もうか退こうか迷うようなしぐさをした。
それを感じ取り理解した途端、首筋にぞろりと恐ろしいほどの快感が走った。
戸惑いはまだ消す事が出来なかったが、まぶたが震え、首筋から背中に官能的な雫が垂れていくようにだんだんと下がっていく何かの感触に必死に抗っていた。
ともすれば何もかもを手放して流れに身を任せたくなるような、快楽の波濤を予感させた。
この…感触が腰の辺りまで落ちてしまったら、大変な事になると直感は警告を発し、必死に理性を喚起させ正気を保った。
「ヘンリ…ヘンリッ…ク!やめてくだ…さい…!!」
この一言をやっとの思いで喉から絞り出したが、多分、顔は真っ赤で耳まで赤くなっていたはずだ。
赤くなるという事は羞恥を表しているが、嫌悪はしていないという事。
ヘンリックのこの突然の行為を自分は最終的に肯定した事を教えたようなものであった。
それを知ってか知らずか、
「驚かせて、すまなかったな」
と何事も無かったかのように身体を離し、今夜の狩りに遅れるなよと言い残して立ち去った。
ヘンリックの気配が、完全に居住の範囲から消え去ると、止まっていた時が流れ出したように、身じろぎもせず壁を支えに立っていた若い狩人は、腰が抜けへたり込んだ。
――
その夜、比較的大掛かりな獣狩りが行われ、自分のような見習いも頭数を揃える名目で集められた。
やる事は実質、後方支援なのだが、もちろん気は抜けない。
だが、そこで自分はヘマをやらかした。
階層になっている住居の屋根伝いに忍びこんで来た獣に気がつかず、倉庫代わりにしていた路地裏から水銀弾や輸血液を運び出そうとして、背後がガラ空きになった所を急襲されたのだ。
今でも耳に残っているのは、バケツの水を盛大にまき散らした時のような、派手で滑稽な音だった。
次の瞬間には地面に叩きつけられ、自分の血の海に突っ伏していた。
痛い…?と思ったら、猛烈な激痛が襲い掛かり獣の存在など意識から吹っ飛んだ。
声も上げられず息をすると血の混じった咳が出て、肺にも幾らか損傷を受けたのがわかった。
即座に死を覚悟した。
ヘンリック…!!
意識を放棄する直前に脳裏に浮かんだのは慕わしい彼の名前だった。
(つづく)