スイーツが、食べたい。
暗闇の中、自室のベッドの上で眼を開いたパジャマ姿のナナミは、その腕に熊のぬいぐるみを収めながら呟いた。
「食べたい……」
脳内に響いた声を反復する。上体を起こし、ベッドの棚の上にある眼鏡を手に取ってかけた。熊のぬいぐるみを傍らに置き、まだ目覚めきらぬ脳味噌をじわりじわりと動かして思考の海に身を投げる。
時刻……時計が刺すのは深夜二時。当然の如くスイーツのお店が開いている訳が無い。ならば、コンビニ……?コンビニスイーツ。妥協案としてはありだ。本物とは言えない。が、あれが出来合いの物というなら及第点だ。企業の努力の結晶、称賛にも値する。
しかし、こうも夜遅く。一人で外に出かけるのは……マスターでも叩き起こして?……その為だけに起こすのは流石に気が引ける。もしそうしたなら、渋々の反応を見せて十中八九頷いてくれるだろう。そんな彼だからこそ、躊躇する。ただでさえ普段から頑張ってくれてるというのに……いや、そもそもこの時間に甘いものを食べるというのはどうなのだろうか。私達はアイドルだ。というか、うら若き乙女だ。ウェイトコントロールを怠ってはいけない、スイーツを食べる時と場合は選ぶべきであって……
キュリリィン!その時、ナナミの脳内に電流走る。
そういえば、夕方、確か、マスター、こう言っていた……!
『甘いものが食べたかったからついコンビニでいっぱい買っちゃったけど、食べきれなかったんだ。冷蔵庫に入れておくから気が向いたら食べてほしいな』
……ウルトラC。覚えていて良かった。あの時は「たかがコンビニ」と思った筈だ。けれど、今は「されどコンビニ」……この舞台の主役は私だ。千載一遇!神が与え賜うた僥倖……!そうと決まれば話は早い。あっ、ウェイトコントロール?35gのスイーツを食べた所で35gしか太らない筈。よし、証明終了!
僅か5分程度の思考時間。為すべき事柄、自分への理由付けを終えたナナミは最高にハイで浮つきそうな心を必死に抑えて忍び足で自室を飛び出した──
──消灯時間なんてとっくに過ぎて。カーテンの隙間から僅かに差し込む月明かりを頼りにして、彼女は食堂の中へ。目的地へとただそれを目指した。慣れ親しんだ場所だ、道標は少しあれば十分。
「腹が減ったー屈辱はー反撃の嚆矢だ」
静かに、しかしこのワクワクを誤魔化しきれず、小さな声で知っているアニメの主題歌を即興の替え歌で歌う。
「冷蔵庫のその彼方ー獲物を食べるーふふんふーん」
途中で思いつかなくなった歌詞も楽しんだもん勝ちと気分をノせて、そして辿り着く冷蔵庫。いざ、宝物庫へと手をかける。
ふゆり、僅かな温もりをその手に感じた。呆気に取られるナナミ。一体何が……?
「げっ、ナナミ……!何で、此処に……!?」
「それはお互い様です」
すぐ隣。声のする方向、見やれば確かに其処に居た。見慣れたツーサイドアップは解いた、年上ではあるが自分より背は低い、けれど何処か頼り甲斐のある。パジャマ姿の彼女……アヤ。
その一瞬。お互いは、お互いの目的を理解していた。シンクロ二シティ。この場所にこうして少女が二人して立つ事……偶然じゃあない。
「なぜここへ、来たのでしょうか?」
「それはあんたが一番分かりきってる事でしょ。いいの?太るわよ?」
「この想いは永続しないし、大局を覆す力にもなりません。即ち、若気の至り。それだけ理由があれば十分でしょう」
「……大臣の真似?まあ、いいわ。それじゃ……開けるわよ」
目的は一致している。ならば、その時は仲間の筈だ。そして、二人の手が冷蔵庫のドアを開けた時……二人は怪訝に顔をしかめる事になる。
「レアチーズ、タルトですね……」
「だけど、これって……!?」
入っていた。明かりが広がる冷蔵庫の中。マスターが言っていた通り、その中にはコンビニスイーツが。それは喜ばしい。今は喉から手が出るほど渇望する物だ。……が故に。その現状に、二人の心情には渦巻く物があった。
一個だけなのだ、レアチーズタルト。宝物庫の中身には、ほんのひと握りの財宝しか無かった。考えてみれば納得だ、少女が九人この寮にて。スイーツの奪い合いなんて当たり前のようなもの……その結果がこれ。
逆に考えてみれば、一つだけ残っている事こそが幸運。喜ぶべきなのだ。しかし、それが、この場で何を意味するか……。
「……僅か1パックばかりのタルト、まあ。深夜だし?二つに分割して仲良く……」
「私がこの世で許せない物が二つあります。ゴワついた熊さんのぬいぐるみ、そして切り損なったチーズタルト」
「何?」
アヤはナナミの顔を見つめた。この心の中のもやもや。飲み込もうとしている筈、出した妥協案。……出した答えが「仕方がないから」だなんてのは、自分でも分かっている。
「それでいいのでしょうか?良くないですよね。求めた物は同じ、求めた物は一つ……」
ナナミは続ける。その言葉を、そう在るべき理由を。
「一つを二つにするのか?どちらかに大きさが偏らないか?破片の一つも溢したくない。完成したそれをうっかり見窄らしい姿にしてしまったら……欲望は小出しでは駄目なんです。やる時はきっちりやった方がいい」
「へぇ?このあたしにいっぱしに言うじゃない」
「夜の台所に乙女が二人。なら決まっていますよね」
静かな表情のナナミの言葉にアヤは微笑むと、食堂の端……窓枠に置かれた小さなケースを手にとった。パカリ、開けた後のそれをこなれた手つきで軽妙にシャッフルしていく。
ダン!テーブルに置かれたのは……53枚のカード「トランプ」だ。
「勝負しか無いでしょ!」
「
二人の少女、真夜中に衝動を燃やして。静かな時間は、ゆっくり、ゆったりと流れていく──
──「ペアね」
「ペアです」
机の上に置かれた一本の蝋燭を灯りに、二人は黙々と手札を切っていく。内容はマンツーマンの「
言うまでもなく、最後までババを握っていた方が負け。本来複数人でやるパーティーゲーム故、二人でやる場合ゲーム進行は圧倒的にスムーズ。だから手早く終わらせるにも都合は良い。そして、このゲームは手札が少なくなってからこそが本番。
「ふふん♪あたし、こういうゲームって意外と強いのよね~。神様に愛されてるってカンジ?」
「みたいですね。私もそう思います」
ナナミ、手札にはジョーカー。これを如何に処理するか。今の手札、五枚。確率は五分の一……アヤなら容赦なく五分の四を引いてくるだろう。
「だから、実力行使に出るとしましょう」
負けを薄々勘付いたナナミは戦い方を変える。流れを、変えにいった。
「……?え、ちょっとナナミ、どういうつもり!?」
アヤがその目を疑った。あろう事か、彼女……ナナミ。一枚だけを、四枚の中から突出させる。まるで、「これがジョーカーです」とでも言わんばかりの。
「ええ、カードは……
蝋燭の光で反射する眼鏡をクい、と抑えて静かに、力強くナナミは言い放った。読み合い。よくある手段。あえて一枚を際立たせる……それがババであるか?否か?知っているのは本人だけ。
「良かったですね、五分の一から四分の一にしておきました」
「なんのつもりか知ら……」
瞬時、アヤは迷い無くカードを引き抜いた。その突出したカードを、だ。考えるのが悪手だからだ。結局の所、どう惑わされようが確率は五分の一。変にノったら、負ける。だから勝負師の勘を信じて。
「ええ、取ってくれるって、信じてました」
「……あんたねぇ……ッ!?」
アヤ、ノーペア。薄明かりの中で、確かにアヤの手元に引き寄せられたのは……紛う事なき「ジョーカー」。そのまさかに、アヤは口角を歪める。
五分の一の確率……!?なんで此処で!あろう事かジョーカーがあの位置に……!?
其処でアヤはハッ、とした。もう、「ノせられて」いたのだ。
「五分の一、四分の一……そんなちゃちな物より、私は一分の一。確定した答えが欲しかったので」
「ふぅん……上等じゃない……!」
静かに空気を飲むアヤ。熱くなりすぎそうな心を抑える。とはいえ、ここまではまだ勝負は五分といって差し支え無いだろう。五枚、対して四枚。戦況が大きく変わった訳では無い。次順、ナナミ。
落ち着け……、落ち着くのよアヤ……あたしは強い、こういう事柄にめっぽう強い!ならば勝利は必然!後は自然と、流れが勝つ……!
アヤは五枚の札とにらめっこする。ナナミのようなあからさまな細工はしない。ナナミ、手を伸ばした。その手が、ふよふよと宙を漂い、そして一枚の札に指が触れた。
よし……!
「……今、気配が死んでいました」
「あ?」
何を言っている?と、言わんばかりのアヤの表情。ナナミは無表情のまま、言葉を紡ぐ。
「アヤさん、今笑ったんですよ。ほんの少しだけ、些細な違い。私はこの場面でそれを見逃すはずが無い。なのに、可笑しいですね?気配がまるっきり、まるで息を殺すように死んでいた。その札がジョーカーだったのなら、もっと喜んでいい筈なんですよ」
「御託はいいわ。とっとと選びなさい」
「それでは失礼して──」
そしてナナミは、指をかけたままのカードを引き抜いた。
「御無礼」
手札から無慈悲にも机に切られる、エースのワンペア。マークはダイヤモンドとスペード。ナナミ、残り手札三枚。アヤ、四枚。
ーーっ、はーーーっ……。アヤ、空気を大きく吸って、大きく吐いた。
「……何時から気付いていたワケ?」
「嘘偽りは無いですよ。勿論最初から。確信を得る為に能書きは垂れましたが、納得は最初からしていました」
アヤは当然の如くナナミから札を引く。自分がジョーカーを持っているのだから、ペアで無い理由が無い。ハートとダイヤモンド、7が手札から切られた。
ナナミが見越していたのは、この状況まで。五分の一の確率、それを口車に乗せる。そこにひっかかったのなら、その次に繋がる。後はアヤからうっかりのボロが出るのを待つだけ。運に任せていては負けるだけ……そう理解していたからこそ、状況を作った。アヤの勝負強さを見越していたからこその、駆け引き。
これにて残り札、ナナミ二枚。アヤ三枚。次順ナナミ……運命の分かれ道。三分の二、高い確率を引くだけでナナミが勝つ。此処まで来たら、もう後は運否天賦。
「さあ、勝負の時間です。二つに一つ、
「……っ、あー、やめやめ!そういうのじゃ私は勝てない!!」
ダン!アヤは三枚のカードを、伏せたまま机の上に置いた。自分のカードを自分で見ないようにする為。
「良いんですか?三分の二を引くだけで私は勝つんですよ?」
「だからこそ、よ。勝つべくして勝つ。これが私の必勝条件!」
単純に、運だけで勝つ。それが、アヤの選んだ勝利への標。
「……お熱いことで」
「意地よ。それだけのハナシ」
「ええ。だから気に入りました」
二人の少女、最終決戦。ナナミが最後にもなるであろう一枚を手にしようとする。心が踊る。嗚呼、高ぶる
そして眩い光が、二人を包んだ……。
「……何してるのかしら?」
何故なら、食堂に入ってきたミサキが部屋の照明のスイッチを押したからだ。
……。
「……あ、その……」
「え、えっとね……?」
ふとした横槍、灯台を下にした二人だけの世界に思わぬ第三者。正直、消灯時間が過ぎているのに真剣に遊んでいたからこそとても小っ恥ずかしい。あろう事か規律に厳しいミサキが相手だ。今の二人はまるで悪戯が母親にばれた子供のように。
ミサキは机を見渡すと直様に状況を理解した。
「ふーん……何をしているかは分かったわ。全く、私ならその程度いとも容易く済ませられるのに」
「あっ、ちょ……」
心の底でビクビクしていた二人の目の前に置かれたレアチーズタルトを手に取ると、ミサキは台所に立ってまな板と包丁を取り出し、そして迷いなき一閃。
「ふ……もはや、敵なし」
そして、二人の目の前に差し出される二つの小皿。其処には寸分の狂い無く分断されたレアーズタルトが。鮮やかな断面、紛う事なき
「さ、それを食べたのなら寝なさい。歯も磨いておくといいわ」
「あ……」
優しい表情で去ろうとしたミサキに対して、アヤは机を叩いて抗議した。
「あんたはっ……、この少女心ってやつを分かってない!!嬉しいけど……!嬉しくないっ!!」
「えっ?な、何……!?」
いきなりの物申しに戸惑うミサキ。何が悪いのかが分からない。
「もうっ、なんで分からないかなー……っ!?今日からミサキには「ゲームをピコピコ、アニメを漫画っていうお母さん」の称号を与えるわ!!」
「?、?ご、ごめんなさい……???」
高まった熱の行き場を失った二人。人の好意がこうも虚しい結果を生むとは、なんとも歯がゆい心境である。
ナナミは芸術品にも近い半分のタルトを目と舌で味わうと、心残りを感じつつも何処か満足げに静かに呟いた。
「やれやれです」