第1話 東方からの留学生
もうすぐ4月。ライノの花が満開に咲き誇り、エレボニア帝国中を淡い桃色に染め上げる季節だ。また、学生にとっては新たな1年のスタートの時期でもある。
帝都ヘイムダルから鉄道で30分。トリスタという町にて校舎を構えるトールズ士官学院においても、それは同じだった。
そのトールズで今年2年生となるトワ・ハーシェルは、同時にその年における生徒会長でもあった。周囲の推薦を断りきれず、平民生徒ながらも会長の座に就くこととなった。平民と貴族が入り乱れるトールズにおいては、中々珍しいことだった。
生徒会長になってからというものの、トワは大忙しだった。仕事の引き継ぎ、新年度に向けた準備、新入生を迎える準備などやることは山ほどあった。
現に入学式が数日後に迫った今も、1人で生徒会室に篭って書類仕事をこなしている。今はちょうど、今年から新設される特別クラス、Ⅶ組についての資料を確認中だ。
Ⅶ組とは、理事であるオリヴァルト皇子の肝煎りで新設されるクラスだ。本来クラスは平民と貴族とで分かれているが、Ⅶ組に限ってはその境界が撤廃される。様々な背景の学生を集めることで、次世代の融和の礎を作ろうというのがその目的だ。
他にも、ラインフォルト社が開発した次世代戦術オーブメントであるARCUSのテストする為のクラスでもある。
実を言えば、トワはこのⅦ組の行く末に関してはかなり気にかけている。それもその筈、このクラスの試運転にトワは参加した身なのだから。ある意味では、Ⅶ組の先輩のようなものだ。
それに、様々な立場を身分に関係なく集める以上、様々な問題も起きるだろう。Ⅶ組に振り分けられた学生の中に留学生が2人もいるのがその証拠だ。しっかりサポートしなければと、やる気満々だった。
「おーい、会長様。調子はどうだ?」
ノックもなしに扉が開き、平民生徒の証である緑のジャケットを着た長身の男が入ってきた。クロウ・アームブラスト。トワの親友の1人であり、先の試運転を共にこなした仲間だ。学院内ではサボリ魔の遊び人としても有名である。
「もう、その呼び方は止めてよクロウ君。……うーん、分かってはいたんだけど、やっぱり大変かな。まあ、好きでやってるんだけどね」
「断りきれずに会長やってる割には元気なこった。さすがのお人好しっぷりだな」
皮肉たっぷりに、かといって嫌味っぽさは微塵も感じないもの言いにトワは苦笑する。どれも結果だけ見れば事実なだけに、反論の余地がなかった。
クロウはトワが作業している机まで近づくと、広げられている書類を一瞥する。そしてとある書類群に目が止まった。
「お、こいつはもしかして例のクラスのメンバー表か?」
「うん、そうだよ。色々と大変そうな立場の子も多いから、ちゃんと確認しておこうと思って」
ほーん、と興味があるのかないのかよく分からない返事をしながらクロウは資料を手に取った。本当は生徒会メンバー以外に見せてはいけないのだが、まあ試運転に関わったクロウならいいかとトワも咎めはしなかった。
「なるほどな……ふんふん……げ、帝都知事の息子と四大名門の息子が一緒かよ。こりゃ荒れそうだな…………ん? なんだ、留学生が2人もいるのか」
「うん、そうなんだ。1人はガイウス・ウォーゼル君。ノルド高原の出身なんだよ」
「ああ、この学院作った獅子心皇帝様所縁の地か。そりゃ興味深いな」
トワは同意する。獅子心皇帝とも呼ばれるドライケルス大帝が獅子戦役の際にノルド高原にて挙兵したのは、帝国の人間ならば誰でも知っている話だ。ワクワクしない筈がない。
「それともう1人は……あん? なんだこりゃ。イズモ王国? どこだそこ?」
クロウは眉をひそめ、後ろ髪を掻きながら首を傾げる。それに対し、トワは苦笑いを浮かべる。知らないのも無理はない。なにせ、トワですらそれほど詳しいことを知っているわけではないのだから。
「えっとね、イズモ王国は東方にある国の1つなの。出雲流って東方剣術があるらしくて、その開祖様が作った国なんだって」
トワの説明に興味を示したらしく、クロウは続きを促す。トワは最近確認した資料に書いてあったことを噛み砕いて説明をする。
東方の国、イズモ王国。通称イズモ。険しい山々に囲まれながらも豊かな土地と水源を持つ、東方でも1、2を争う豊かな国だ。剣の達人が興した国なだけあって刀鍛冶が盛んで、帝国にまで流れてきている太刀も多いらしい。また、茶器や酒の生産でも有名なようだ。ユミルに負けず劣らずの温泉が多数あり、東西の交流が活発だったころは観光客でいっぱいだったらしい。西ゼムリアでは東方文化と一纏めにしてしまうが、その中でも和風と呼ばれる文化の中心地とのことだ。
「それでね! イズモは専制君主制なんだけど、留学にいらっしゃるのはイズモの王太子様なんだよ!」
「はぁ!? 王太子って……マジかよ」
目を丸くするクロウ。トワは身を乗り出して、何度も頷いた。それだけ興奮しているのだ。クロウから見れば、きっと目をキラキラと輝かせているように見えたことだろう。
留学生の名はムネノリ・タナカ。イズモ王家の第一位の継承権を持つ男子だ。帝国とはほとんど縁のないイズモからとはいえど、本物の王太子が留学に来るのだ。トワにとっては興奮するなという方が無理な話だった。
「そりゃ、確かに驚きだが……なんでまた帝国くんだりまでお勉強しにいらっしゃるんだよ?」
「えっと、確か志望動機には西方の最新の導力学と、帝国の文化を学びたいからだって。共和国は東方文化が浸透しすぎてるからこっちを選んだんじゃないかな?」
トワがヴァンダイク学院長から聞かされた話では、なんとあの《剣仙》ユン・カーフェイからの推薦が《光の剣匠》経由でもたらされたらしい。そこに帝国政府が間に入ってイズモと交渉し、留学が受け入れられることとなったそうだ。
「なるほどな。それで、なんでお前はそんなに嬉しそうなんだよ? もしかして玉の輿でも狙ってんのか?」
ニヤニヤとからかうような口調で話すクロウにトワは頬を膨らませる。自分をなんだと思っているのだろうか。
「むぅ、そんなんじゃないよ。わたしのお祖父ちゃんが東方からの移民だって話は前にしたでしょ? だから前々から東方には興味があったんだけど、帝国だと東方に関する書籍ってそんなにないの。だから、直接色々とお話を伺えればなって思うの」
西ゼムリアの最西端に位置するからか、帝国に伝わる東方の情報は驚くほど少ない。せいぜいが一部の食文化や建築様式、それと八葉一刀流のような武術関連のことだけだ。
でも、そんなものでは足りなかった。トワはかねてからもっともっと東方について知りたいと思っていた。生活、住居、習慣、学問、スポーツなど、あらゆることを。
そういう意味では今回の王太子の留学の知らせは幸運だった。イズモとて東方を構成する国の1つでしかないが、きっと様々な話を聞くことができるだろうと期待していた。
「それで、きっとこっちの文化や習慣には不慣れでいらっしゃると思うから、色々サポートして差し上げたいなって思うんだ」
本当に、本当に楽しみだ。必要な書類仕事がまだ片付いていないのに、早く入学式にならないかなと思ってしまうくらいには。
その後、クロウと休憩がてらお茶をしたトワは、ウキウキとした気分で仕事に戻るのであった。
*
トールズ士官学院の入学式当日。見事な快晴で、小鳥のさえずりが心地よい。新入生となるリィン・シュバルツァーは、町中を包んでいるライノの花に圧倒されていた。先ほどなど、駅の前で立ち止まってしまい、他の新入生の金髪の女子とぶつかってしまったほどだ。
故郷のユミルは帝国最北端に位置するせいか、この時期はまだ雪が多い。それはそれで趣があったが、トリスタの町並みも素晴らしかった。この町で新しい生活が始まるのだと思うと、とても穏やかな気分だった。
「失礼、そこの者。少々よろしいか」
突然背後から声をかけられ、もしかしてまた通行の邪魔になってしまったのかと思い、謝ろうと慌てて振り向く。
振り向いた先にいたのは、リィンと同じく赤い上着の制服を着た男子だった。いや、男子というのは語弊があるかもしれない。その男は、偉丈夫とも言うべき立派な体格と身長を兼ね備えていた。リィンとて身長は決して低くないが、それでも見上げる必要があるほどだ。
肩より少々長いくらいの黒髪を後ろで纏め、三つ編みにしてある。眼光は鋭く、歴戦の剣士のような威圧感があった。もしリィンが剣の道に携わってなかったら、恐怖で震えていたかもしれない。
「すまない。もしかして邪魔だったか」
「ああ、いや。こちらこそすまぬ。そうではないのだ。少々、尋ねたいことがござってな」
あまり聞きなれぬ言葉遣いだった。もしかして他国の出身なのだろうかリィンは考えつつ、快く応じる。
「かたじけない。拙者、ムネノリ・タナカと申す者で、今年から”とりすた”の”とーるず”なる学び舎で世話になることになったのだが、それはこの町でよいのだろうか。見たところ、そなたも拙者と同じ制服を着ていると愚考した次第なのだが」
「ああ、ここがトールズのあるトリスタだ。っと、そうだ。リィン・シュバルツァーだ。よろしく頼むよ」
リィンは握手をしようと手を差し出す。それを見たムネノリは判然とせぬ様子で眺めていたが、得心がいったかのように手を叩くと、両手で握り返した。その顔は、やけに嬉しそうだった。
「よろしくお願い致す! おお……これが握手というものでござるか。相手の気持ちがしっかり伝わるようで、なかなかよいものだな」
「……もしかして、東方からの留学生なのか」
方言とも言うべきリィンとは異なる言葉遣い、そして握手に感動するその態度。東方剣術である八葉一刀流を学んでいたリィンは、それらのヒントからムネノリが東方出身なのではと推測した。
そして、その推測は正しいようだった。
「うむ! 西方の最新の導力学を学ぶべく、東方のイズモより参った。それにしても、エレボニアは素晴らしい国でござるな! 拙者、帝都の街並みを見たときなど、そのあまりの荘厳さに開いた口が塞がらなかったでござる! まるで絵画の世界が飛び出してきたかのようでござった!」
身振り手振りを交えながら熱く語るムネノリを見て、思わずリィンは顔が綻ぶのを感じた。リィンは帝都の出身ではないが、自分の国の首都を褒められてるのだ。嬉しくない筈がない。
(さっきの子もそうだけど、制服の色も同じだし、もしかしたら同じクラスなのかもしれないな)
そうなればいいなとリィンは思う。八葉を学ぶ身としては、東方出身のムネノリともっと話をしてみたいと思った。
「っと、そろそろ学院に向かわないと入学式に遅れるな。よかったら、ムネノリも一緒に行かないか」
「願ってもない申し出でござる! 是非、お願い致す」
再度リィンの両手を握ってブンブンと振り回す。どうやらかなり握手を気に入ったようだ。体格の違いゆえかリィンの体は前後に揺れたが、悪い気分はせず、困ったなと苦笑するだけだった。
*
「……へぇ。じゃあ、ムネノリは出雲流という剣術を学んでいるのか」
「うむ。西方では《剣仙》殿の八葉一刀流が有名だと聞き及んでいるが、東方剣術は他にも無数に存在するでござる。特にイズモは出雲流の開祖が興した国ゆえ、出雲流から修めるのが一般的でござるな」
学院での道すがら、リィンはムネノリからイズモの話を聞く。特に興味を惹かれたのは八葉一刀流以外の東方剣術についてだったが、それ以外の話題も大変面白かった。ムネノリに自身が八葉一刀流を学んでいたことを明かせずにいることに申し訳ないと思いつつも、彼の話に聞き入っていた。
当初、出雲流は刀剣術だけだったらしいが、後に様々な武器の達人がイズモに入り、総合的な武器術に発展したこと。流鏑馬という、馬を走らせながら矢を射る競技が人気なこと。食事はどれも美味く、”ナットウ”なるものが特におすすめだということ。話は多岐に渡った。
そうやって学院に通ずるであろう坂道を歩いている内に、学院が見えてきた。歴史を感じさせる、大きな石造りの建物だった。
「おお! これがトールズ士官学院か! 見事な石造りでござるな!」
案の定と言うべきか、ムネノリは大はしゃぎだった。まだ会って間もないが、リィンはムネノリがどういう人間なのかを分かってきた。
「イズモだと、石造りの建物って少ないのか」
「いかにも。地震が多い国ゆえ、石積みだと崩れてしまう恐れがあるのだ。揺れに強い木造が中心でござるな。最近は免震・耐震の研究も盛んでござるが、まだまだ発展途上ゆえ」
なるほど、とリィンは頷く。言われてみれば、東方風の建物は木材をふんだんに使っている。木材が豊富なのもあるのだろうが、そういった実用的な理由もあるようだ。
さらに坂道を登っていくと、正門らしきものが見えてきた。いよいよだなと思い、期待に胸が膨らむ。
「ご入学、おめでとーございます!」
正門をくぐったところで、どこからか女子のものと思しき高い声が聞こえた。すると、横から黄色のツナギ姿の恰幅のよい男子と、亜麻色の長髪に緑の制服を着た小さな女子生徒が現れた。
どちらも、なんと言うか不思議な佇まいだった。恐らくは先輩なのだろうが、片方は制服を着ていないし、もう1人は年上なのか怪しいくらいの外見だった。
「うんうん、2人が最後みたいだね」
女子生徒はリィンとムネノリを交互に見ると、満足そうに頷いた。
「えっと、まずは……君がリィン・シュバルツァー君だよね?」
「は、はい、初めまして。えっと、どうして自分の名前を?」
「ちょっと事情があってね。すぐに分かると思うから、今は気にしないで」
なんとも要領を得ない回答だったが、女子生徒が困ったような顔をしているのを見て、とりあえずは納得しておく。まあ、きっと色々あるのだろう。
続けて、女子生徒はムネノリの方を向いた。視線を向けられたムネノリは、なぜか胸を撃たれたかのようにたじろいだ。
「それとそちらが……ムネノリ・タナカおう……なんとお呼びしましょう?」
(え……?)
女子生徒が突然言葉遣いをより丁寧なものに変えたのを見て、リィンは驚きを隠せなかった。もしかしなくても、ムネノリはやんごとなき家柄の出身なのかもしれない。
(さっきまで思いっきりタメ口で話しちゃったけど……大丈夫だろうか)
ちらりと視線をムネノリに向ける。そこで、リィンはしかめっ面をしていたムネノリを見てギョッとする。もしかしたら、怒っているのかもしれない。
ところが、しばらく見ていると、どうもそういうわけではなさそうだということに気づいた。
「…………」
先ほどまであれだけ賑やかだったムネノリが、黙ったままずーっと女子生徒を見つめていた。真顔での彼の視線は少々厳つく、子供が見たら逃げ出してしまうだろう。もっとも、その視線を向けられている女子生徒は困惑した様子で首を傾げるだけだった。
「あ、あの……?」
女子生徒が呼びかけても、ムネノリは答えない。ひたすら視線を女子生徒に固定している。さすがにずっと見つめられているのは恥ずかしかったか、彼女は視線から逃がれるように顔を反らした。
それからしばらくして、ようやくムネノリが口を開いた。
「……き、貴殿の名は?」
「え? えっと、トワ・ハーシェルと申します」
「そ、そうか。と、トワ殿か……う、む………………」
トワと名乗る女子生徒から名前を聞いたムネノリはぶつぶつと周囲には聞こえない声でなにかを呟いていた。トワに名を聞いたときも、快活明朗なムネノリにしてはやけに歯切れが悪かった。はっきり言って、不気味だった。
「ムネノリ? どうかしたのか」
見かねて、リィンは声をかける。今まで通りの口調で話しかけてしまったが、さっきまでも文句は言われてなかったし、まあいいかと思った。
声をかけられたムネノリはというと、リィンの言葉に答えることもせずに、再び沈黙してしまった。そもそも、リィンの言葉が聞こえていたかも怪しかった。視線だけは相変わらずトワの方を向いていたが。
リィンにはもうお手上げだった。それはムネノリ以外の2人も同じようで、リィンと同様に沈黙を保つ。
「——トワ殿!!」
気まずい空気が流れる中、それをぶち破ったのはその原因であるムネノリだった。周囲に聞こえてしまうほどの大声を上げると素早い身のこなしで屈み込み、トワの右手を両手で勢いよく握りしめた。
ムネノリの大声が響き渡ったせいか、周囲にポツポツと居た新入生らしき学生たちが一斉にリィンたちに注目する。
「え? え!?」
男子に突然手を握られたからか、周囲の注目を集めてしまったからか、トワは顔を仄かに赤く染めて目を丸くしている。
呆気に取られたのはリィンも同じで、ムネノリの奇行に言葉が出なかった。豪快な性格だろうとは思っていたが、完全に予想の斜め上の行動だった。
もっとも、これは序の口だったことをすぐに知ることとなる。
「せ、せ、せせせ……」
「せ?」
「——せ、拙者の妻となっていただけぬだろうか!!!」
————時が止まったような気がした。衝撃の発言に観衆はピタリと動きを止め、しーんと静まり返った。リィンも、その観衆の一部になったかのように動けずにいた。観客に成り下がったリィンの目には、周囲が暗くなり、2人にスポットライトが当たっているようにさえ見えた。
主役の1人であるトワは、目をパチクリとさせていた。急激な場面の変化についていけていないようにも見えたが、やがて何を言われたかを理解したらしい。灼熱の溶岩が水の中に放り込まれたかのように、一瞬で顔をリンゴのように真っ赤にした。
「————え、えぇえええ〜〜〜〜〜ッ!!??」
トワの絶叫が、最北端のユミルまで聞こえそうなほどに木霊した。それを遠巻きに眺めながら、リィンはとんでもない同級生を持ってしまったな、と他人事のように思っていた。人、それを諦めの境地と呼ぶ。
入学式から数時間後、衝撃のニュースがトールズを揺るがした。留学生の王太子、生徒会長に正門でプロポーズ! と。
こうして、トールズは慌ただしくも新しい1年を迎えるのであった。