月影。出雲流薙刀術における奥義の1つだ。同じく出雲流を学ぶムネノリは当然、その奥義を知っている。
1撃目で相手の防御を崩し、2撃目で相手を宙に浮かせて回避不能にし、3撃目で仕留めることを目的とした、必殺の3連撃だ。技の性質上、アーツによる完全防御も意味を為さない。なにせ、1撃目自体がそれを見越して用意されたものなのだから。
まともに奥義を受けたトワの体が地面に叩きつけられ、まるでゴムボールのように弾んだ。2転、3転し、戦闘エリアの端まで吹っ飛ぶ。そしてそのまま、うつ伏せで動かなくなった。
観衆の間で動揺が走ったのが分かった。そしてそれは、ムネノリの隣で観戦していたシノにとっても同じようだった。
「義姉上!」
「待て、シノ」
トワに駆け寄ろうとしたシノを強引に止める。振り返ったシノは、必死の形相で声を荒げた。
「なぜ止めるのですか! 早く義姉上を医務室へお連れしなければ!」
「まだ勝負は終わってない。今駆け寄れば棄権扱いになってしまう」
「兄上の薄情者! 今の義姉上を見て、まだそんなことを言うのですか!!」
トワの制服は所々破け、全身が土で汚れている。ダウンによるカウントが開始しようとしても一向に立ち上がる気配はない。
誰がどう見ても続行は不可能。シノは暗にそう主張した。しかし、ムネノリは首を横に振る。シノの鋭利なナイフのような眼光にも怯まず、諭し続ける。
「それを決められるのはトワ殿だけであろう。拙者たちではござらん」
「っ、ですが……!!」
それでも納得はできないといった様子だった。今のトワを見てなにもせずにいることなどできない。そう言いたげだった。
随分、感情豊かになったものだと思う。シノがこうして再び感情を表に出せるようになったのも、全部トワのおかげだ。
痺れを切らしたシノはとうとう力づくでムネノリを押し退けようとする。そんな彼女を止めるべく、ムネノリはあることを告げる。
「……見守っててほしいと、言われたのだ」
「——え」
ピタリ、とシノの足が止まった。昨夜のやり取りが、脳裏にフラッシュバックする。
——『だからムネノリ君は、信じて見守っててほしいな。……ね?』——
その内容を、そっくりそのままシノに伝えた。するとシノは落ち着きを取り戻し、駆け寄ることを止めるのであった。
「……義姉上が、そのようなことを」
「本当は拙者だって今すぐにでも駆け寄りたい。だが、それは許される行為ではなかろう。ツバキにとっても、トワ殿にとっても。——見守るのでござる。最後まで信じて」
ムネノリが視線をトワへと戻す中、既にカウントは半ばまで到達しようとしていた。
*
全身が痛む。内臓が潰れるかと思ったほどの腹部への一撃は、確かにトワに決定的なダメージを与えていた。呼吸器官が異常を訴え、思うように酸素を取り込めない。息が苦しい。
「……っ……はぁ……」
思えば、試運転のときもここまでの大ダメージを負ったことはなかった。強力な魔獣とは何度も戦ったが、前衛のアンゼリカとジョルジュがいつも守ってくれた。偶に危ないときもクロウが囮となって攻撃を引きつけてくれたので、トワが危険に晒されることはほとんどなかった。
それはチームとしての完成度を証明すると同時に、今みたいな強烈な攻撃に対する耐性が低いという弱点を生み出すことにも繋がってしまった。
きっとアンゼリカやジョルジュならばすぐに戦線復帰できたのであろうが、トワは立ち上がることさえできなかった。
「——1」
審判のアンゼリカによるカウントダウンが開始する。カウントが10に到達する前に立ち上がることができなければ、その時点で敗北となる。
立ち上がらないと。立ち上がらなければならない。トワは両手に力を入れる。
「ぅう……くっ……はぁ……っ」
僅かに、体が浮く。だがそれだけだった。腹部に槍で刺されたような激痛が走り、力が抜けて再び崩れ落ちてしまった。
「——2」
(負けないって……約束、したのに……)
どうしても、体が動かない。耐え難い痛みに体が苛まれ、まるで言うことを聞かない。ツバキは捨て身でアーツの嵐に突進し、見事耐え抜いたというのに。自身はたった1回攻撃を受けただけで、戦闘不能に追い込まれてしまった。
「——3」
これが、覚悟の差ということなのだろうか。想いの強さの違いがそのまま結果として出ただけなのだろうか。
ツバキの覚悟のほどは先の特攻で十分に知ることができた。リスクを冒してでも勝利を信じて突き進む強烈な信念。戦いを通して、それを嫌というほど思い知らされた。
「——4」
もうすぐカウントが半分になる。にも関わらず、体を起こすことすらできないでいる。それどころか、視界がどんどん暗くなる。今にも気を失ってしまいそうだった。そんな自分が不甲斐なくて、瞳から熱いものが込み上げてくる。
(ごめんね……ごめんなさい、ムネノリ君。わたしじゃ、届かないみたい……)
「——5」
敗北したら、もう今までのようにムネノリと接することはできないだろう。意識を手放す前に、ムネノリの顔を見ておきたかった。彼が立っていた場所を思い出しながら、なんとか顔だけでも動かしていく。それに加えて視線をギリギリまで端に寄せたことで、ムネノリの姿を見ることができた。
「ぁ——」
その姿を見て一瞬息が止まった。彼の瞳は一片たりとも揺らいではいなかったのだ。王族の風格漂う力強い眼光でトワを捉えていた。ドクンと胸が高鳴る。
——『だからムネノリ君は、信じて見守っててほしいな。……ね?』——
——『……分かり申した』——
「——6」
ムネノリは、まだ見守ってくれている。こんなにも惨めな姿を晒しているのに、まだ信じてくれている。それが…………たまらなく嬉しかった。
いつもそうだった。出会ったばかりのころからトワに全幅の信頼を寄せ、ときにそれが暴走することもあったが、その想いは常に真っ直ぐだった。
——『——せ、拙者の妻となっていただけぬだろうか!!!』——
初対面のときは、それはもう驚いた。他国の王太子にいきなりプロポーズされるなんていう、絵本みたいな出来事が実際に起こってしまったのだから。
あのころのトンチンカンなアプローチも、今となっては懐かしい。グランローズも、今なら本来の意味で受け取れるかもしれない。というより、ちょっと欲しいとすら思った。
——『あれは、直感をも超えた女神のお告げと錯覚するような感覚でした。実はあのとき、こうも思ったのです。——この方を置いて、他にはいないと』——
看病してもらったときのことを思い出す。そのころはムネノリに対して酷い態度をとり続けていたにも関わらず、彼はとても熱心に看病してくれた。粥を作り、寝るまで一緒にいてくれた。
それに、あのときかけられた言葉には色々とドキドキさせられた。思えば、それがきっかけだった。1国の王太子ではなく、1人の男の子として接しようと決めたのは。
「——7」
それからは、よく一緒にお茶をするようになった。生徒会の仕事も手伝ってもらうようになった。ムネノリから聞くイズモの話はとても面白く、予定していたお茶の時間を過ぎてしまうことも多々あった。
シノを加えて一緒に帝都に遊びに行ったこともあったし、ムネノリのトマト嫌いを直そうと奮闘したりもした。定期的に暴走する彼を止めに学院中を駆けずり回ることもあった。
そのいずれの出来事も、とても楽しいものであった。それらの日々を、当たり前のものとして受け入れていたくらいには。ずっと、隣にいて欲しいと願うくらいには。
そんな日々の続きは、今にも失われようとしている。あとカウントが3つ進めば、ムネノリの側には一生いられなくなる。
…………ムネノリの特別でいることが、できなくなる。
(……そんなの、やだよ)
突然、四肢に力が戻り始めた。燻っていた炎に燃料が注ぎ込まれたかのように、心が激しく燃え上がった。それは決して突然ではなく、偶然でもない。それは、最初からずっとトワの胸の内にあったものだ。たった今それを認識し、それを理由に力を引き出せるようになっただけのこと。
(ダメダメだな……わたし。こんな簡単なことにも気づかなかったなんて)
妃になったらどうなるか分からない? そんなの当たり前だ。未来の自分がどうなるかなんて、誰にだって分からない。
ツバキとの覚悟の差? 想いの抱き方など人それぞれ。元より他人と比べられるものではない。
妃だとか覚悟の差とか、そんなのは些事だったのだ。未来の自分の気持ちや他人の気持ちではなく、今の自分の気持ちと正直に向き合うだけでよかったのだ。今、この瞬間こそが最も大切にすべき宝物だったのだ。
(わたしは……ムネノリ君のことが好き。それだけでよかったんだ……)
ようやく、想いを自覚する。ずっとずっと前から、トワはとっくにムネノリに惹かれていたのだ。叶うならば、ずっと側にいたいと願っていたのだ。彼の特別であり続けたかったのだ。どうでもいい理由でそれが見えなくなっていただけ。
……ムネノリが好き。勝負に負けられない理由なんて、それで十分だ。
(勝ちたい……それでムネノリ君に、伝えたい……!)
誰にも渡したくないという暗い感情ですら今は愛しく、トワに活力をもたらした。苦痛が和らぎ、四肢に完全に力が戻った。
今ならば、立ち上がれる。
「——8」
「うっ、くぅうう……!!」
腕に力を込め、上体を起こす。周囲からどよめきの声が漂った。いつの間にか落としていた銃を探し、手に取る。
「——9」
足でしっかりと大地を踏む。はしたない姿勢だったが、今は気にしない。そのまま飛び上がるようにして、トワは立ち上がった。同時に、懐に閉まってあったあるものに手を伸ばした。
どよめきが、歓声に変わった瞬間だった。
*
(……まさか、立ち上がってくるとは思いませんでしたわ)
トワが立ち上がったことに心の底から驚いたツバキだったが、顔には出さないで薙刀を構え直す。
奥義を用いた以上、ツバキはあそこで決めるつもりだった。実際、同格の相手との模擬戦でこれを受けて立ち上がってきた者はいなかった。後衛で打たれ弱い筈のトワが復帰したのは、それこそ奇跡のようなものだ。素直に尊敬に値する。
誰が見たって、今のトワはボロボロだ。あちこち擦りむいているし、緑の制服はあちこち破れ、呼吸は全力疾走のあとのように乱れている。だがしっかりと両足で立ち、右手で銃を構え、未だ冷めぬ熱い闘志を秘めた瞳でこちらを射抜いている。
手を抜いていい要素は、微塵もなかった。
(……認めましょう。貴方がムネノリ様に見初められるに足る器を持っていることを。ですが、勝つのはわたくしですわ……!)
今度こそ、決める。さすがに2度の大技には耐えられないだろう。トワに打開策をとらせまいと、迷わず突進した。先ほどと同じく、捨て身の覚悟だ。
——その判断が却って仇となった。トワは突如、懐から黒い筒状のものを放り投げた。宙で弧を描き、ツバキの眼前に迫る。その筒の正体を知った途端、目を大きく見開いた。
(っ!? これはまさか……スタングレネード!?)
そうだと気づいたときには遅かった。絶妙な距離感で投擲されたそれを斬り払うことも出来ず、ツバキの五感は脳を揺さぶる強烈な閃光と爆音に奪われた。
*
閃光と爆音がツバキに直撃する。仕掛けた側のトワは当然対策を取っていたのでほとんど影響を受けていない。目を開き、ツバキが行動不能になったことを確認する。急いでARCUSに最後のEPチャージャーを挿し、満タンにする。
スタングレネードは、今朝フィーからお菓子と交換で調達したものだった。万が一の仕切り直し用として用意してあったが、結果的にかなり攻撃的な用途で使うこととなった。捨て身の突進を見せたツバキにならば、必ず成功すると思っていた。
トワはARCUSを駆動させる。選んだアーツは、最も適性の高い地属性の上級アーツだ。トワが最後に選んだ作戦は至極単純。上級アーツを当てることだ。
ツバキとてダメージは蓄積している。トワと同様、次に大技を受ければ必ず沈む。
失敗はできない。スタングレネードを切ってしまった以上、仕切り直しは不可。アーツを躱されてしまえば、EP切れで事実上の詰みとなる。なにがなんでも発動して当てなければならない。
この作戦で1番の要となるのは駆動時間を稼ぐこと。スタングレネードによる五感の消失はおおよそ6秒。補給に1秒かかったので、5秒の駆動時間を確保できることになる。
問題は残りの5秒だ。幸いというべきか、ダメージの影響がかなり出ていたようで、ツバキは回復に7秒を要した。追加で1秒稼ぐことができたのだった。
——残り4秒。
「っ、この! させませんわ!」
ツバキが突進を再開する。まだ後遺症が残っているようで、その足取りはふらついている。それでも視線ではしっかりとトワを捉え、一応は真っ直ぐにこちらへ向かっていた。
——残り3秒。
トワが戦闘エリアの端まで飛ばされたおかげで、それなりに距離がある。間合いまで距離を詰めるには最速でも1秒は必要だ。もっとも、ツバキはスタングレネードの影響が残っているので最高速度は出せないだろう。
結論から言うと、1.5秒を稼げた。
——残り1.5秒。
(ここが、勝負……!)
既にツバキは自身の間合いにトワを収めている。再び奥義を放とうとしているのか、闘気が収束を始める。先ほどと同じように、本能的な恐怖が身を駆け抜ける。だが、トワは怯むことなくツバキを視界に捉え続ける。
ここで目を逸らしたら終わりだ。奥義が放たれるギリギリまでツバキを引きつける必要がある。その瞬間を、ひたすら待つ。
(まだ、もうちょっと引きつけて……!)
——残り1秒。
……これからやろうとしていることは、賭けと呼べるかすら分からない無謀な試みだ。失敗すれば敗北が確定し、たとえ成功してもそれだけでは勝利が確定しない。チームとしての戦闘であったならば、絶対に用いない類の作戦だ。
それでもトワは迷わなかった。覚悟を決めた。残った時間を稼ぐにはそれしかないと判断し、実行に移した。
(……ここ!)
トワのARCUSが発光する。アーツの発動の合図ではない。アーツはまだ駆動中だ。トワが発動したのは、ARCUSだけが持っている特別な機能の方だった。
——次の瞬間、2人の間に線が繋がった。当人同士でしか感じ取ることのできない、不可視の閃光の線が。
「っ——!?」
ツバキの動揺が伝わってきた。彼女の心の内が手に取るように分かる。慣れ親しんだ感覚だ。
究極の連携を目的とした、言葉を交わさずにお互いの考えを感じ取れる機能。今のトワとツバキの間には、ARCUSによる戦術リンクが結ばれていた。
「な、なんですの……これ!?」
明らかにツバキの動きが鈍くなる。きっと戦術リンクを使った経験がないのだろう。この感覚に慣れるまでにはそれなりの修練が必要だ。たとえばトワが試運転に参加したように。Ⅶ組が特別実習を行っているように。
これこそがトワの秘策中の秘策。戦術リンクによる思考の先読みだった。トワはツバキがARCUSを持っているかもしれないというただ一点に賭け、戦術リンクを結ぶことを試みたのだ。
どれほど相性が悪くても、一瞬くらいならば戦術リンクは繋がる。かつてのクロウとアンゼリカ、あるいはユーシスとマキアスがそうであったように。そして戦術リンクに関してはトワに一日の長があると確信していた。一瞬だけでも繋がれば、相手の思考を読むのは容易かった。
……もし、ツバキが使用しているのがエニグマⅡだったらそもそもリンクは繋がらず、不発に終わっていた。ツバキの攻撃に反応すらできず、そのまま敗北していただろう。
だが、ツバキはARCUSを持っていた。トワは賭けに勝ったのだ。相手の動きさえ読めれば、激しい動きがとれない駆動中であっても攻撃を避けられるかもしれない。絶体絶命の状態から、微かながらも勝利の可能性を繋ぎ止めることに成功したのだ。
リンクを通して伝わってくる。これからツバキが放とうとしている技のイメージが。必殺の奥義が描く薙刀の軌道が。
——直後、リンクが断絶した。元々すぐに切るつもりだったが、どうやら相当相性が悪かったようだ。とにかくこれで、トワの行動が読まれる心配はない。
(来るのは、威力重視の大振りの3連撃……!)
トワが駆動中であるが為に、確実に倒し切る威力を持つ奥義を選んだみたいだ。先ほどと違い、防御を崩す為の攻撃は存在しなかった。好都合だ。威力重視であれば結果的に大振りになり、躱せる可能性が増す。
「くっ——!」
奥義を読まれたことを理解したのか、ツバキは顔を歪ませる。だが今更止めることもできないだろう。そういうタイミングを狙ってリンクを繋いだのだから。
無理に止めれば反動で多大な隙を晒し、アーツの発動を止められる可能性は消滅する。ゆえに、ツバキは真っ向から奥義を放つしかなかった。
——残り0.8秒。
「——豪爪牙!」
(来る……っ!)
——1撃目。下段からの鋭い斬り上げ。体を半身に反らす。僅かに反応が遅れ、切っ先が胸元を掠めた。ブローチや第1ボタンが弾け飛び、胸元が少し開く。
——2撃目。風を切り裂く轟音と共に切っ先が回転し、横薙ぎへと変化した。先読みしていたトワは屈んで避ける。それでも髪を纏めていたリボンが裂かれてしまったらしく、数瞬遅れて髪がふわりと舞った。
——残り0.3秒。アーツ発動間近のARCUSが発光を始める。
(3撃目は、上段からの振り下ろし……!)
トワの先読みが正しい証拠に、切っ先は円運動で上段へと変化しようとしている。トワはそれに備えて動き出す。
「——っ、舐めるな!」
「え!?」
魂を揺さぶるツバキの咆哮。——直後、薙刀の軌道がねじ曲がった。
驚くべきことに、本来の奥義の型を完全に無視して強引に斬り返してきたのだ。体に相当な負担がかかる筈なのに、ツバキはその負担を執念でねじ伏せてきた。
それはさながら、決められた運命に逆らうかのようであった。
無理に軌道を変更した分、急所に当たるコースではない。だが虚を突かれたトワに躱す術がないのも事実だった。
未だ十分な威力を保った砲弾のごとき一閃がトワの右肩に叩き込まれ、骨が砕けるような衝撃と共に旋風が舞った。
*
奥義の急激な軌道変更のせいか、ツバキの手首の腱はミチミチと悲鳴を上げ、ナイフで滅多刺しにされたような痛みが走っていた。薙刀を握っていることですらつらい有様だ。1週間は、まともに薙刀を振るうことができないだろう。
だがその甲斐あって、最後の1撃はトワの右肩に直撃した。無理な軌道修正で威力は半減したが奥義は奥義。トワのアーツ駆動を止めるのに十分すぎる。というより、加減する余裕がなかったのでもしかしたら骨にヒビを入れてしまったかもしれない。
(とにかく、これで…………ッ!?)
ツバキは言葉を失った。まさか、ありえないと口が開きっぱなしになる。指先が、カタカタと震え出した。
——駆動は、解除されていなかった。トワは痛々しいほどに顔を歪め、その瞳に涙を浮かべていた。しかしその目は敗北を訴えておらず、闘志でみなぎっていた。
(気合いで耐えたというんですの……!? わたくしの、奥義を……!)
常識的には不可能な真似だ。それだけアーツ駆動というのは繊細な集中力を要するのだ。人によってはナイフで浅く切られただけで駆動を解除してしまうくらいだ。
そんなアーツ駆動を、トワは奥義を受けてもなお持続させてみせた。一体どうすればそんなことができるのか。
(……そう。そういうことですの。それが貴方の想い、ということですのね)
ストン、と胸に落ちるように全てを理解した。彼女もまた、自分と同じだったのだ。
究極的なまでの意地の張り合い。それを制したのが、トワだったというだけ。
トワのARCUSが青白い光を放ち出す。アーツの発動の合図だ。
(見事でしたわ……トワ・ハーシェル)
不思議と、悔しさはあまり感じなかった。それは、本来の実力の倍は発揮した上で上回られた結果ゆえかもしれない。天地創造を思わせるような大樹の暴虐の嵐に呑み込まれながら、ツバキの意識は消し飛ばされるのであった。
*
上級アーツが直撃したツバキの体が宙を舞い、地面に転がり落ちた。今のところ、立ち上がる様子はない。……もっとも、ダウンを確認する必要はない。
「——場外。ツバキさんのいる場所は、定められた戦闘エリアの外にあたります」
開始からずっと沈黙を保っていたリィンが静かに宣言する。その内容は、あらかじめ設定されていた敗北条件と一致していた。
事実上の主審であるアンゼリカが頷く。直後、高らかに宣言した。
「——勝者、トワ・ハーシェル!」
場が一斉に歓声で爆発した。耳鳴りがするくらいに、場が盛り上がる。
そんな中、トワはまだ自身の状況をはっきりと認識できていなかった。
(……やった、の?)
本当に、ツバキに勝ったのだろうか。捨て身の特攻に加え、奥義の型をねじ曲げるなんていう芸当を披露したあのツバキに。
1度は気圧されてしまうほどの執念を見せつけたあのツバキに。
だが、どれほど待っても判定が覆されることはなかった。観衆は、しきりにトワの勝利を祝福していた。
(そっか……勝ったんだ、わたし……!)
ようやく、トワは自身が間違いなく勝利したのだということを実感する。心が昂り、喜びで満たされ始めた。
それが最高潮に達したとき、トワの頬が自然と緩み始めた。今にも飛び上がりそうなくらいに興奮してきた。なんなら、この場で歌い始めてもいいとすら思った。
「やっ——ッ!?」
——だが、興奮も束の間のことであった。ふらり、と体勢が崩れる。
(あ、あれ……力が、突然……)
勝利したことで緊張の糸が切れたのか、気力だけで支えていた四肢から力が抜けた。自身にはどうすることもできず、地面に倒れそうになった。
「トワ殿」
それを、支えてくれる者がいた。逞しくて、温かい腕で体が包まれる。この感触は覚えている。1度だけ、生徒会室で経験していた。
「……ムネノリ君」
「お疲れ様でした。見事な戦いぶりでございました」
ムネノリが微笑む。戦いの疲れが吹き飛んでしまいそうな、優しい笑みだった。そうだ。この笑顔をずっと見ていたくて、頑張ったのだった。
「えへへ……約束……守ったよ……」
「ええ、ちゃんと信じて見守っておりました。ありがとうございます」
話している間にも徐々に意識が遠のく。今度こそ本当に限界を迎えてしまったのだろう。もっとムネノリと話していたいのに、抗えそうにない。どうやらムネノリもそれに気づいたようだ。
「まずはゆっくりとお休みになってください。話はそれからにしましょう」
「う……ん…………ありが、とう……」
視界がゆっくりと黒と溶け合っていく。ムネノリに抱きかかえられたまま、トワは深い眠りへと落ちた。
*
トワが目を覚ましたときには、空は夕焼けで染まっていた。ベッドの近くに開いたままのカーテンがあるのを見て、ここが医務室であると気づいた。どうやらベッドで寝かされていたようだ。服も清潔なものに着せ替えられていた。
「あら、ようやく目を覚ましましたの」
隣から声が聞こえた。それは先ほどまで模擬戦の相手であった者の声。トワは顔を向ける。
「ツバキさん……」
「敬語は不要ですわ。ここはイズモではありませんし、そもそもわたくしが年下なのですから」
ツバキはトワと同じく、ベッドで寝かされていたようだ。ただトワと違うのは、既にベッドに腰掛けられるくらいにまで回復しているということだろうか。
まだ完全に回復したわけではないが、礼儀としてトワも上体だけは起こした。
「じゃあ……ツバキちゃん?」
「…………まあ、いいでしょう。わたくしが要請したことですし、文句は言いませんわ」
呼び方に不満があったらしい。だが呼び捨てはさすがにどうなのかと思うトワは、結局はちゃん付けを続けることにした。
「えっと、ツバキちゃん……ベアトリクス教官は?」
「ここにいますよ」
ふと疑問に思ったことを口にすると、すぐにペアトリクスが2人の前に姿を現した。
「全く、真剣勝負とはいえ2人とも無茶をしすぎです。特にハーシェルさん。生徒会の仕事だってやりすぎなくらいなのですから、もっと体を大事にしなさい。体にスペアはないんですよ?」
「う……申し訳ありません」
完全にベアトリクスの言う通りだった。今になって思えば、無茶をしすぎた。その事実を突きつけられて、身が縮こまる思いだった。
一方のツバキは謝りつつも、あまり反省しているようには見えなかった。ベアトリクスが本気で怒っているときの怖さを知らないからかもしれない。
「……まあ、幸い2人とも打撲までで済んでいます。今回は多めに見ましょう。ですがハーシェルさん、次はありませんからね」
「あはは、ありがとうございます」
そうは言いつつも、きっと大怪我したらちゃんと診てくれるのだろう。その辺も汲んだ上でお礼を言う。
「さて、私は他の皆さんを呼んできますね。ちゃんとここで大人しくしてるんですよ」
それだけ言い残したベアトリクスは医務室を去った。取り残された2人の間に、気まずいのとは少し違う、不思議な沈黙が漂う。
先に口を開いたのは、ツバキの方だった。
「……お見事でした。わたくしの完敗ですわ。まさか万全を期す為に入手したARCUSを逆手に取られるとは思いませんでしたわ」
「……ううん。あれは偶々ツバキちゃんがARCUSを持っていたから上手くいっただけで、戦術的にはわたしの負けだったと思う。あそこまで捨て身で突進してくるなんて思わなかったし」
「謙遜は不要ですわ。その僅かな可能性に賭け、結果として貴方は勝利を掴んで見せた。それが全てですわ」
ツバキのきっぱりとした物言いに、トワは言葉を止めた。これ以上無闇に弁解しても、相手に失礼だろうと感じた為だ。その代わり、ただ一言だけ返す。
「……ありがとう」
「よろしい。それこそが勝者の振る舞いというものですわ」
毒気も敵意もない、透き通るような微笑みを携えるツバキ。相変わらず、女のトワですら見惚れるほど綺麗だった。
「……1つ確認ですわ。ムネノリ様には、まだ?」
ドキリと胸が鳴る。数秒もしない内に体の芯が熱くなってきた。そうだ……自分は想いを自覚したのだった。模擬戦の間は気にならなかったが、いざそれを意識すると恥ずかしくなってきた。
「その様子だとまだのようですわね」
「ぅ……だって、さっき自覚したばかりだし、言う暇もなかったから……」
「言い訳はいりません。まったく、このわたくしから勝利をもぎ取ったのですから堂々となさい。さっさと伝えてしまいなさいな」
「う、うん……」
それは分かっている。分かっているが、それで顔が熱くなるのを止められるわけではない。否応なしに鼓動が速まるのを感じた。暑くもないのに手汗が滲んでくる。
「……さて、わたくしはそろそろ行きますわ」
言いたいことは言った、と言わんばかりにツバキは立ち上がる。
「え、でもベアトリクス教官が……」
「別にわたくし、ここの所属ではありませんもの。お世話にはなりましたが、いつ出て行くかはわたくしの勝手ですわ」
その理論はどうなのかと思った。そしてこのまま見送ってしまった場合、きっと怒られるのはトワの方だ。できれば止めて欲しかったが、多分止められないのだろうなと思った。
「さっきのお言葉、お忘れなきよう。でないとわたくし、側室くらいにはなってしまいますわよ?」
退室直前、ツバキは振り返って悪戯っぽい笑みを浮かべた。側室……つまりは夫人ということだろう。さすがにそれは面白くない。
「む……そ、そんなこと、させないもん」
「ふふ、その調子ですわ。……では、ごきげんよう」
その言葉を最後に、本当にツバキは部屋を出て行ってしまった。嵐みたいな人だな、と密かに思った。
静けさが部屋に戻る。ツバキに煽られたせいか色々と考えてしまい、どうにも落ち着かない。
自身の鼓動はますますうるさくなり、トクン、トクン、と鳴り響く。体はのぼせそうなくらいに熱かった。
(うん……ちゃんと、伝えないとだよね……)
それが勝者の権利であり、義務だ。考えを整理したトワは心の準備をしようと深呼吸を始める。
スー、ハー、と息を吸っては吐いていく。一向に気持ちが落ち着く気はしないが、やらないよりはマシだった。このまま続ければ、かなりよくなるだろう。
だが、時間というのはせっかちらしく、トワが落ち着くのを待ってはくれなかった。
——コンコン、とノックが響いた。
「は、はい!?」
ノックがしたということは、ベアトリクス教官ではない。体に緊張が走り、上ずった声で返事をする。
『トワ殿? 入ってもよろしいですか』
「〜〜っ!?」
心臓が飛び出しそうだった。その呼び方をする人物は1人しかいない。あたふたと呂律が回らず、言葉になっているかも怪しい感じで入室を促した。幸い通じたようで、ドアが開く。
「トワ殿。お加減はいかがですか」
案の定、ムネノリだった。逆光でもないのに彼の顔が眩しい。まともに直視できない。耐えきれず、俯いてしまった。
「う、うん、平気だよ……。その、他のみんなは?」
「あー、いや、その……実は1人で行ってこいと言われてしまいまして……」
「そ、そうなんだ」
(気を遣いすぎ、気を遣いすぎだよみんな……)
頭を抱えたくなった。いくらなんでも急展開すぎる。もっとこう、他の人と挨拶を交わしつつ、それとなく2人きりにしてもらって……というのを考えていたのに、いきなりリハーサルなしの本番だった。
なにを伝えるべきかは分かっている。だけど、どうやってそれを伝えればいいのかが全然分からなかった。言葉が喉元で詰まって、なかなか出てこない。
ムネノリが近くの椅子に腰掛けたあとも沈黙が続く。あまりに静かなものだから、自身の鼓動がムネノリに聞こえてしまっているのではないかと気が気でなかった。チラチラと様子を窺うも、なにを考えているかはよく分からなかった。
……このままではいけない。いつ横槍が入るかも分からないのだ。トワはシーツをぎゅっと握った。
(よ、よーし! ツバキちゃんにだってああ言われたんだし、頑張らないと!)
そもそもこちらが年長者だ。こういうのは、自分から切り出すのが筋というものだろう。意を決して、口を開く。
「「——あの!」」
声が重なった。まるで示し合わせていたかのように綺麗に重なった。決意が揺らぐ。
「え、な、なに、ムネノリ君!?」
「あ、いや、トワ殿の方こそ!」
互いに先手を譲り合う。しかし相手に譲ってばかりで、一向に会話が始まる気配がなかった。
やがてそれが永遠に終わらなさそうだと感じたとき、どちらからともなく会話が止まった。
「いやー……はは」
「えへへ……」
それが可笑しくて、互いに笑い合う。少しばかり、いつもの雑談のような雰囲気が戻ってきた。
……なんだか心が落ち着いてきた。今なら、ちゃんと言えそうだった。きちんと、ムネノリの顔を見る。
「……ねえ、ムネノリ君。わたし、まだちゃんとお返事してなかったよね。……聞いてもらっても、いいかな?」
「う、うむ……」
険しい顔つきでムネノリが頷く。きっと、緊張しているのだろう。いざというときはとても頼りになるのに、随分と可愛らしい反応だと思う。そう思ってしまうこと自体、トワがムネノリを想っている証拠なのかもしれない。
入学式からもう4ヶ月近く経っている。これだけの長い間、ずっと待っていてくれた。その誠意に応えるべく、トワはしっかりとした口調で告げた。
「——好きです。わたしも、ムネノリ君のことが大好きだよ」
夕日が差し込む中、トワはついに想いを伝えた。心臓が心地よく弾む。胸がポカポカする。こうして口にすると、恥ずかしさもあるが、同時にとても幸せな気分だった。
一方のムネノリは、顔が赤く染まっていた。それが夕日によるものだけじゃないと信じたい。
「ま、真で……ございますか」
震えた声が返ってくる。トワは自信を持って頷いた。
「妃になったときの自分の気持ちがどうなってるかは分からない。でも、そんな先のことは関係ないの。今のわたしは、ムネノリ君のことが好きだよ」
そういうことはいざそのときになったら考えればいい。今、トワはムネノリと恋人になりたいのだ。だから、想いを告げた。
ムネノリの返事を待つ。元々がムネノリの求婚に対する返答なので、返事を待つというのもおかしいが、とにかく待つ。
ムネノリはしばらく石のように固まっていた。なかなか復活しない。部屋の時計の秒針が何度も鳴る。そのまま1分が経ってしまいそうだった。
少しばかり心配になってきたそのとき——ムネノリは全く身動きしないまま涙を流し始めた。ドキリ、と今までとは別の意味で胸が鳴った。
「うっ、ぐっ、うぅうう……っ!!」
「え、え!?」
ムネノリは目に大粒の涙を浮かべ、ポロポロと頰から流れ落ちては床に水たまりを作っていた。声も完全に涙声になっている。
トワはおろおろと、どうすればいいのか分からず狼狽える。
「ど、どうしたの……!?」
「嬉しいのでございます……! それ以外に、言葉が浮かびませぬ……! 他のどんな言葉で拙者の気持ちを表現しても、きっと陳腐に聞こえてしまいそうなくらいに嬉しいのでございます……!!」
その間も、ムネノリはワンワンと子供のように泣いていた。どうやら、歓喜に震えていただけのようだった。心配していたような事態ではなかったことに、心底安堵する。
随分と待たせてしまったのだと、今の彼を見て思った。きっと、心のどこかでは常に不安を抱えていたに違いない。もしかしたら断られる日が来るのではないか、と。
自分は幸せ者だ。泣いて喜んでくれるほどに自分のことを想ってくれる人がいる。彼みたいな相手、きっと2度は出会えまい。
トワはムネノリを安心させようと、彼の右手を両手で包んだ。手の甲をさすって、ムネノリを落ち着かせていく。
「ありがとう、待っててくれて。ありがとう、好きになってくれて。わたしも、とっても嬉しいよ」
「はい! はい……!! お約束、致します……! トワ殿を絶対に幸せにすると……! イズモでも絶対に守ってみせると……!」
ムネノリの左手がトワの手の上に重ねられる。とても大きくて、力強くて……優しかった。しばらく、こうしていたい。
もう言葉は必要ない。既に両想いなのだ。手から伝わる体温だけで十分だった。そのまま、2人は医務室でいつまでも寄り添い続けるのであった。
こうして、2人は正式に恋仲となった。その知らせは翌日には学院中に広がり、多くの祝福の声と少数の男子の悲鳴で包まれることとなった。
余談だが、トワたちが医務室にいる間、アンゼリカやクロウたち盗み聞き賛成派と、シノやリィンたち盗み聞き反対派の間で熾烈な争いが廊下で繰り広げられていたとかいなかったとか言われている。もちろん、トワとムネノリがそれを知ることはなかった。