トワ殿って呼ばないで   作:Washi

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<交際1日目>
<名前の呼び方>
<楽しい女子会>
<イズモの嫁入り修行>

上記4本。




第11話 幕間 幸せな日々

<交際1日目>

 

 ツバキとの勝負に勝利し、トワとムネノリが晴れて恋仲となった翌日の放課後。2人はトリスタで一緒に過ごす約束をしていた。またの名を初デートと言う。待ち合わせはトールズの正門だ。

 

 どうやらHRが終わるのはトワが先だったらしく、まだ正門にムネノリの姿はなかった。カバンを抱えたまま、校舎に背を向ける形で待ち続ける。

 

(うう……なんだかドキドキする)

 

 こうして正門で待ち合わせするのは初めてではない。カフェでお茶をするときなどは、今と同じように正門に集まっていた。

 なのにどうしてなのだろう。妙に緊張する。髪型が気になってしまい、手鏡を使って何度も整える。まだなのだろうかと校舎の方を見ては、ムネノリの姿がないことに落胆と安堵を同時に覚える。

 

 恋人になったから、なのだろうか。そのことを意識するだけで鼓動が速まる。喉が乾き、暑さとは違う理由で汗が滲む。1秒1秒が、とても長く感じる。

 

(大丈夫、大丈夫……いつも通りにすれば、大丈夫だから……)

 

 深呼吸を繰り返す。数秒後にはまた緊張に呑み込まれるだろうが、少なくとも今は気持ちが落ち着いた。

 

 もう1度校舎の入り口を確認しようと思い、体ごと振り向いた。そして、それがいけなかった。

 

「おおう!?」

「わわ!?」

 

 驚きの声が2つ上がる。1人はトワ。そしてもう1人は待ち人のムネノリだった。いつの間にかすぐ近くまで来ていたようだ。不意打ちのように現れたムネノリに、トワの平静はいとも容易く吹き飛ばされた。

 

「お、驚かせてしまい申し訳ございませぬ! その、普通にお声をかけようとしただけでございまして! だ、断じてやましいことはなにも……!」

「う、うん、分かってるよ!? わたしの方こそごめんなさい! 急に振り向いちゃったりしちゃって……!」

 

 お互い、まるで喜劇に混ざっているかのように慌てふためく。血の巡りが速くなり、一瞬で胸の高鳴りが最高潮に達した。普通に挨拶ができるようにと頭の中で予行練習をしていたのに、全く意味がなかった。

 

 それから2人が落ち着くには、さらに数分を要したのだった。

 

 

 

「うう、いきなり失敗しちゃった。ごめんね、せっかく……その、初めてので、デート……なのに」

 

 語尾が消え入るように小さくなる。”デート”という単語を口にするのが意外と恥ずかしかったのだ。昨日出せた勇気は一体どこに行ってしまったのだろうかと思ってしまう。

 

「いえ、拙者の方こそ……」

 

 気まずい沈黙が流れる。混乱から立ち直りはしたものの、緊張までが消えたわけではなかった。それどころか、ますます強くなったと言える。

 

 カバンを抱えたまま自身の指を絡み合わせ、指同士をせわしなく動かす。視線は地面に固定されたままだ。

 ムネノリの様子を窺うことはできないが、なんとなく視線をこちらには向けていないような気はする。

 

 一向に状況がよくならない。このままだと、なにもしないまま日が落ちてしまいそうだ。そう思ったとき、思わぬところから助けが入った。

 

「はぁ、なにをされているのですか……」

 

 シノだった。久しぶりに音もなく現れた彼女は、呆れている様子を隠そうともせずにジト目をトワたちに向けていた。

 

「し、シノ……」

「せっかく気を遣って今日は隠れていましたのに、なんなんですかまったく……子供じゃないんですから、もっとしっかりしてください。ここは男の兄上がエスコートするところですよ。昨晩あれだけしつこく言い聞かせましたよね?」

「う、うむ……面目ない」

 

 うな垂れて12歳の妹に説教されるムネノリ。その言葉はトワに向けられたものではないが、どれも彼女の心にも突き刺さるものだった。深く、反省する。

 

 シノの説教が終わるころには、どんよりとした疲労感に包まれていた。

 

 

「……まあ、今日はここまでにしておきましょう。兄上、今度こそ義姉上をお願いしますよ」

「う、うむ! かしこまってでござる」

「その意気です。では、左のお手を。義姉上は右を」

「え? う、うん……」

 

 意図が理解できないまま、トワは言われるがままにおずおずと右手を差し出す。するとシノは2人の手を強引に引き寄せ、無理やり2人の手を繋げてしまった。しかも、いわゆる恋人繋ぎで。

 

 重なる手のひら、絡まる指。ムネノリの指に力が入るのが分かった。

 

「ふぇえ!?」

「な、な、なにを……!?」

「手間を取らせたことに対する罰です。トリスタでは可能な限りその状態で過ごすようにお願い申し上げます。……それでは」

 

 引き止める間もなくシノは姿を消してしまった。場に残ったのは、恋人らしく手を繋いだトワとムネノリだけだった。

 

(ど、どうしよう……!?)

 

 バクバクと心臓が震える。確かに、こうして手を繋げたのはうれしい。だが体が緊張で硬直してしまい、この先どうすればよいのか分からなくなった。

 ……もっとも、それはトワだけだったようだ。

 

「……そ、その、トワ殿」

「は、はい!?」

 

 思わず、敬語になってしまった。それを見たムネノリは、苦笑いを浮かべた。

 

「……そろそろ行きませぬか。夏なのでもうしばらく余裕はありますが、急がないと日が暮れてしまいます」

「あ……」

 

 繋いでいる手が、ぎゅっと握られた。暑さと緊張のせいか汗ばんでいたが、全然嫌じゃなかった。むしろ、こうして彼の大きな手で包まれていることに強い安心感を覚える。

 少しずつ、心の平穏が戻ってきた。体から余分な力が抜ける。

 

「……うん、行こっか」

 

 トワも握り返す。気持ちはしっかりと伝わったようで、ムネノリは顔を輝かせた。

 そうしてようやく、2人は坂を下り始めるのであった。

 

 トリスタではゆっくりと色々な店を見て回ったり、再びグランローズを贈ってもらったり、カフェでいつも通りお茶をしたりと、幸せな時間を過ごすことができた。

 初デートは、かろうじて成功であった。

 

 

 

 

<名前の呼び方>

 

 恋人になってから何日かが経ったときのことだった。その日はトワの自室で雑談に興じていたのだが、ふとした拍子にトワがあることをムネノリに聞いたのがきっかけだった。

 

「そういえばムネノリ君。ムネノリ君って普段は誰にでも”〜殿”って呼ぶのに、どうしてツバキちゃんのことは呼び捨てなの?」

「ああ、そのことでございますか。別に、大した話ではございませぬが……」

 

 特に隠すことでもなかったらしく、ムネノリはあっさりと教えてくれた。

 

 出会ったばかりのころは、ツバキのことも”ツバキ殿”と呼んでいたらしい。子供のころ、ツバキの父が彼女を連れて挨拶に来たのが出会いのきっかけらしく、それ自体は特別珍しいことではないようだ。実際、同じ時期には似たようなことが何度もあったとのことだ。

 

 ところが、親同士の仲がよかったことも手伝って、ムネノリの父はツバキのことを大層気に入ったらしい。それだけならばともかく、当のツバキもムネノリに本気になったらしく、かなりしつこく付きまとうようになったそうだ。

 

 そして初めて出会ってからツバキに呼び捨てで呼べと要請され続けること約10ヶ月、とうとうムネノリの方が折れたらしい。子供のころの10ヶ月など、永遠にも等しい時間だ。すごい忍耐力だなあ、と思うトワだった。

 

「まあ、そんなわけでツバキだけは呼び捨てで呼んでおります」

「へえ、そういうことだったんだ。…………ねえ、ムネノリ君」

 

 ……実のところ、ここまではトワにとってはただの前座だ。本題に入る為の前振り。ツバキの話もある程度は予想していたものだった。聞きたいのは、もっと別のことだ。

 

 トワはいよいよ本題を切り出す。普段よりやや低めの声で、ゆっくりと問いかける。ちょうどそのとき、ムネノリは紅茶の入ったカップに口をつけていた。

 

「——わたしのことは、呼び捨てで呼んでくれないのかな?」

「ッ!? ゴホッ、ゴホッ!!」

 

 案の定、ムネノリはむせる。同時に、彼が座っていた椅子がガタンと揺れ、顔が煮えたトマトのようになっていた。

 そして驚くべきことに、そんな様子のムネノリをトワが心配することは一切なかった。それどころか、半目で彼のことを軽く睨む。

 

 ……なんてことはない。つまり、トワは少しばかりヤキモチを焼いていたのだ。唯一ムネノリに呼び捨てにしてもらっているツバキに対して。

 なぜ恋人になった自分が呼び捨てではないのだと、不満だったのだ。

 

「そ、その、それは……ですな……」

 

 しどろもどろに言葉を濁すムネノリに対してトワは口でへの字を作る。確かにトワという人間はお人好しとだとか、無欲だとかよく言われる。だが彼女だって怒ることもあれば、嫉妬を抱くことだってある。これは、そんなトワから飛び出したささやかなわがままだった。

 

 ……だが、それでも根っこが変わるわけではないので、困った様子のムネノリを見ていたトワはすぐに態度を軟化させた。

 

「……ダメ、かな?」

 

 そしてついにはわがままを言っていることに対する申し訳なさが上回り、早くも謝罪モードに入ろうとしていた。

 それを見たムネノリは、慌てて立ち上がる。

 

「い、いや! そんなことはありませぬ! ……ごほん!」

 

 ムネノリは何度か咳払いをする。その後「あー、あー」と声の調子を確かめていた。もしや、呼び捨てで呼ぼうとしてくれているのだろうか。期待を胸に、トワはその瞬間を待ち続けた。

 

 そして、ついにムネノリの口が開く。

 

「と、と、と、トワ………………様」

 

 結果は大きな後退だった。赤の他人でも簡単に分かるくらいに、トワはあからさまに肩を落とす。

 

「……もう知らないもん」

「も、申し訳ございませぬ! こ、これは決して故意ではなく……! トワ殿が相手ですと言えなくなってしまうと言いますか!」

 

 ムネノリが弁解を続ける。その言い分自体は理解できるのだが、残念だと思う気持ちに変わりはなかった。ムネノリがトワを宥めようとするが、効果は薄い。トワは完全に拗ねてしまっていて、ムネノリから顔を背けていた。

 さながら、浮気のバレた夫とそれに怒った妻のような構図だった。

 

 ……ところが、ムネノリのとある一言で形勢が逆転する。

 

「——それにお言葉でございますが! トワ殿も拙者のことを”ムネノリ君”と呼称するではありませぬか! 拙者に呼び捨てを求めるのでございましたら、トワ殿もそれに倣うのが筋というものでは!?」

「え、ええっ!?」

 

 ムネノリの言葉に驚愕するものの、確かにムネノリの言う通りだと思った。相手にだけ求めて、自分はなんの対価も出さないのはフェアではない。ムネノリに呼び捨てにしてほしいなら、まずは自分から呼び捨てにしなければならない。

 

「えっと……む、む、むね……」

 

 ドクン、ドクン、ドクン。心臓が破裂しそうだ。トワは手のひらを胸に添え、大きく深呼吸をする。平常心だ。4文字、たった4文字言うだけだ。なにも難しくはない。

 

「ムネノリ………………さん」

 

 トワも後退してしまった。

 

「そら見たことですか! トワ殿だって言えないのではないですか!」

「うう……だ、だって……恥ずかしいんだもん……!」

「拙者も同じでございます!」

「で、でもムネノリ君はツバキちゃんのことはちゃんと言えてるでしょ!? わたしは今まで呼び捨てで名前を呼んだことなかったもん!」

 

 それを境に口論がヒートアップする。見方を変えれば、初めての痴話喧嘩とも言えた。

 口論開始から30分後、結局どちらも相手の名前を呼び捨てで言えなかったので、この件に関してはひとまず保留ということになった。

 

 

 密かに2人の様子を見守っていたシノは大きくため息を漏らすのであった。

 

 

 

 

<楽しい女子会>

 

 早いもので、ムネノリと恋人になってからもう1週間以上だった。具体的には帝都の夏至祭が終わり、もう間も無く夏季休暇が始まろうとしていたころのことだ。

 

 トワはいつものように生徒会の仕事が山積みで、前が見えなくなりそうなくらいに高く積み上げた書類を抱えて廊下を歩いていた。と言っても、ここまで仕事が溜まってしまうことは珍しい。そしてこれまた珍しいことに、その原因はトワ自身にあった。

 

 実は、最近は最低限の案件を片付けるばかりであまり仕事をしていなかったのだ。普段の彼女を知る者からすれば信じがたい出来事だが、それが事実だった。

 

 無理もない。ムネノリとトワは交際を始めたばかりなのだ。仕事人間のトワであっても、恋人との時間を優先したいと考えるのは自然なことだ。

 カフェで遅めのティータイムを楽しんだり、ムネノリの自室で静かに過ごしたり、一緒に夕飯を作って食べたり。内容自体は今までの延長のようなものだが、互いの心の距離が違った。より親密で甘い時間を過ごしていた。間違いなく、それらの時間は幸せだった。

 

 その幸せの代償が目の前で抱えている書類の山だった。覚悟はしていたものの、かなりの量だった。夏季休暇を丸々空ける為には、しばらくは仕事に専念するしかない。よってそれらを急いで処理すべく、トワは奔走していたのだった。

 

(えっと、この書類を確認したら整理して、必要なものにサインして……)

 

 廊下を早足で進みながら、仕事の流れを整理する。——そんなとき、急に横から現れた両腕がトワの抱えていた書類を取り上げてしまった。考え事をしていたせいで接近に全然気づかなかった。トワは顔を上げる。

 

「アンちゃん……?」

「やあ、トワ。随分たんまりと書類を抱え込んでいるみたいだったからね。少し手伝わせてもらうよ」

 

 横にいたのはアンゼリカだった。トワが運ぶのに苦労していた書類の束を軽々と抱えていた。さすが泰斗流を修めているだけはある。

 

「ありがとう、アンちゃん。でも全部は悪いよ。半分だけで大丈夫だよ」

「ふふ、なーに、これくらい平気さ。戦闘で装着する手甲の方が重いくらいだ」

 

 アンゼリカから半分だけでも書類を取り返そうとするが、するりと躱されてしまった。身長差のせいもあるが、泰斗流で鍛えられた体捌きが相手では、トワがどれだけ頑張っても書類に手が届かなかった。まるで雲を掴もうとしているかのようだった。

 

「……ほんとにいいの?」

 

 取り戻すことを諦めたトワは遠慮がちに問う。アンゼリカはすぐさま頷いた。

 

「もちろんだとも。任せてくれたまえ」

「……じゃあ、お願い。えへへ、ありがとう」

「どういたしまして。さあ、行こうか」

 

 2人並んで歩き出す。目的地はもちろん、生徒会室だ。現在は本校舎の2階なので、まずは下に降りてから中庭に出る必要があった。

 他愛のない会話を交わしながら歩き続ける。

 

「ところでトワ。少し話は変わるが、ムネノリ君とはどんな感じなのかな? そろそろ、熱い口付けでも交わしているころなんじゃないかい?」

「ふぇええ!? し、してない! まだそんなことしてないよ!!」

 

 ど直球で放り込まれた質問に肩を跳ね上げたトワは、かなりの大声で答えてしまった。心の準備ができていなかったせいか、羞恥で顔が熱くなってきた。

 

 一方のアンゼリカは、薄っすらと笑みを浮かべていた。その目はまるで、獲物を見つけたときの肉食獣かのようだった。

 

「なに、照れることはない。君と私の仲じゃないか。まあ、そういう初々しい反応もまた、君らしくていいとは思うがね」

 

 じりじりと近寄ってくる。アンゼリカから発せられる妙な迫力に、トワは「あはは」と乾いた笑みを浮かべながら後ろに下がる。

 

 なんとなく分かってきた。アンゼリカがなにを狙っているのかを。この場から早く逃げた方がいいと直感が告げる。でないと、厄介ごとに巻き込まれるぞと。

 ただ、その警告は少しばかり遅かったようだ。——両肩を後ろからがっちりと掴まれた。

 

「ふふ、逃がしませんよ会長。ちゃんと全部聞かせてもらいますから」

「ええ、その通りです。さすがにしばらくはお邪魔するわけにいきませんでしたが、そろそろ構いませんよね?」

 

 アリサとエマだった。面白いものを見つけたと言わんばかりに目を妖しく光らせ、口角を上げる。

 

「ちなみに逃げても無駄。会長の足じゃ私に勝てないから」

「……無礼は承知ですが、背後も固めさせていただいてます。ご観念を」

 

 そしていつの間に現れたのか、フィーがトワの正面を、背後でラウラが待機していた。これでⅦ組の女子までもが勢揃いだ。

 完全に包囲されてしまった。たらり、と背中に冷や汗が流れる。

 

「え、えっと……アリサちゃん、エマちゃん、ラウラちゃん、フィーちゃん? な、なんのことかな?」

「ムネノリとのことですよ。確かに、盗み聞きしようとしたのはよくなかったですよね。なら、直接お話しを伺えればなと思いまして」

「ええ。武人として恥ずべき行いでした。深く反省しております」

 

 なにやら不穏な単語が聞こえた。それを追求しようとしたが、フィーがそれを遮ってしまった。

 

「……スタングレネード交換してあげたし。ちゃんと対価が欲しい」

「え、フィーちゃん? 確かお菓子と交換でいいって……」

「それはスタングレネード自体の値段。取引してあげたことに対する対価がまだ」

「ええー!?」

 

 まるでクロウみたいな屁理屈だった。あるいは、この中の誰かにそう吹き込まれたのかもしれない。フィーはフィーで、トワとムネノリのことに興味津々なようだった。

 

「別に取って食いやしないさ。ただ、医務室でのこととか今までの蜜月の時間のこととか色々お話を聞かせてもらうだけさ」

 

 おそらくは主犯のアンゼリカが目の前に立つ。彼女が抱えている書類がトワに触れてしまうほどの近い距離だ。

 

「あ、あのね、アンちゃん……わたし、まだ生徒会の仕事が残ってて……」

 

 物理的に逃げるのは不可能。しかし、それでもなおトワは抵抗を試みる。実際、仕事をしないとまずいのも事実だ。

 ところが、アンゼリカはまるで予想通りとでも言うかのように笑うだけだった。

 

「心配無用だ。君以外の生徒会のメンバーとじっくり話し合ったところ、トワの分の仕事も請け負ってくれるそうだよ。これから話してもらう内容を一言一句違わず彼らに伝える代わりにね」

 

 トワの知らないところでがっつり裏切られていた。もはや、逃げ場はなかった。

 

「さあ、会長。楽しい”女子会”といきましょうか」

「お菓子もたくさんご用意しましたので、何時間でも大丈夫ですよ。うふふ……」

「うう……」

 

 こうして、第三学生寮に連行されたトワは、5人の姦しい乙女たちに根掘り葉掘り恋人としてのムネノリとのことを聞き出されるのであった。恥ずかしすぎて、いっそ死んでしまいたいとすら思った。

 

 6人中5人にとっての楽しい”女子会”のさなか、トワは裏切り者に絶対に”お説教”をしなければと固く誓うのであった。

 

 

 

 

<イズモの嫁入り修行>

 

 ムネノリとの交際を始めたのと同時に、トワはシノからある修行を課せられるようになった。今現在も、その修行の最中だ。

 トワは自室でシノの監督のもと、修行を進めていた。

 

 目の前の机には2つの小さな器が並べられていた。片方は山盛りのポップコーンが作れるほどのトウモロコシで満たされ、もう片方には5,6粒のトウモロコシが転がっている。

 

 トワの手には削られていない細い鉛筆のようなものが2本収められている。片端のみ先細くなっている。東方で”箸”と呼ばれる食器らしい。この2本の棒で食べ物を挟んで、口まで運ぶそうだ。カルバード共和国はもちろんのこと、クロスベルの一部でも浸透しているようだ。

 

 帝国人のトワはと言うと、明らかにその扱いに苦戦していた。慣れない手つきで箸を動かし、山から1粒摘む。プルプルと先を震えさせながら隣の器に移そうとする。

 

「あ……!」

 

 ところが力の入れ方を間違えたのか、箸が交差してトウモロコシがこぼれる。そのままテーブルから床へと落ちてしまった。シノがそれを拾う。

 

「失格です。また、最初からやりましょうか」

「うう……」

 

 これでもう5度目だ。シノはトワが5分以上をかけて移したなけなしのトウモロコシを山に戻してしまった。拾った粒も同様だ。あっという間に振り出しに戻ってしまった。

 

「お箸、すごく難しいね……。東方の人たちって、みんなお箸を使えるの?」

 

 鉛筆が使えるのだから箸だってすぐに使えるようになるだろうと最初は思っていたが、それは全くの勘違いだった。たった1本増えただけで、こんなに難しくなるとは。フォークがいかに扱いやすい食器であるかに今さら気づいた。

 

「もちろん地域差はあります。スプーンと併用する地域もありますし、素手で食べるのが文化の国も多いです。ただ、イズモは基本的に箸のみです」

「そうなんだ。すごいなあ……」

 

 トワはただただ感心するばかりだ。なんでも、トウモロコシのような小粒なものを器から器へと移す訓練はイズモでは幼少のころから行うらしい。

 19歳のトワがこんなにも四苦八苦しているのに、イズモではどんな子供であっても労せずできてしまうのだ。12歳のシノに指導されているのがその証拠だ。

 

「感心している場合ではございません。早く次を始めてください」

「う……はい」

 

 鬼教官と化したシノに従い、訓練を再開する。力を入れすぎず、かといって抜きすぎないようにしながら慎重に摘む。

 

 イズモの嫁入り修行。トワが課せられている修行はつまり、そういうことだ。

 箸の扱いを始めとした食事作法、その他の礼儀作法、茶道、華道、香道、楽器、踊り、詩……上流階級の人間であればあるほど、多くの教養や技能を身につける必要があるそうだ。その辺りは帝国の貴族と同じだ。

 

 問題は、トワがイズモの文化で育った人間じゃないということだ。嫁入り修行を行うにあたって身につけなければならないことがたくさんある。

 

 そして、その指導の役目を買って出たというか指導をすると言い出したのがシノだ。忍の訓練を受ける前は姫として育てられていた為、最低限の知識や技能は持っているらしい。

 

「義姉上のことはそう遠くない内に本国へ報告しなければなりません。その場合、年始年末の長期休暇に呼び出される可能性が高いです。名家の娘どもにやっかみを言われない為にも、きっちりと修得する必要があります」

 

 そういうことらしい。トワもそれについては同意だし、理由はどうあれイズモの文化を深く学ぶことができるのは嬉しい。それだけ、ムネノリへの理解も進むのだから。

 

 既に茶道や詩なども習い始めているが、そのいずれも大変興味深く、面白いものであった。料理もムネノリから教わっていて、イズモ料理のレパートリーを増やしているところだ。

 

 ただ……そんな中で、箸だけが異様に難しかった。

 

「あ……!」

 

 また失敗してしまった。これで6度目。こうも上手くいかないとさすがに気持ちが沈んでくる。

 

「……まあ、イズモの人間であっても最初はみんなそんなものです。ある瞬間からいきなりできるようになるので、諦めずに練習を続けましょう」

「シノちゃん……うん、ありがとう」

 

 シノに励まされ、「よーし」と気合いを入れ直す。

 

 もしこれがツバキに知られようものなら、『あーらハーシェルさん、貴方こんな基本的なこともできないんですの? せっかく身を引いて差し上げましたのに、わたくしの見込違いだったのでしょうか』なんて言われそうだ。仮にも勝者であるトワが、そんなことを言われるわけにはいかない。

 

 負けるものか、とトワは訓練は再開するのであった。もっとも、気合いを入れたからといって急激に上達するわけでもなく、完全に修得するのはもっと先のことであった。

 

 

 

 

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