トワ殿って呼ばないで   作:Washi

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第13話 王太子の宿命

 夏季休暇を終え、トワとムネノリの新しい関係がひとまず落ち着いてきたころ、帝国より遥かに東に位置するイズモにおいて、ある異変が起こっていた。異変の中心地は王の住まう王城。木材や瓦、白の漆喰で構成された巨大な城だ。突然の事態に、城内は騒然となっていた。

 

 ムネノリには2つ下の弟がいる。名をトキノリと言い、兄が留学で国を空けている間の穴埋めを引き受けていた。体は兄と比べて頭1つ分小さく、剣の腕も劣るものの、内政に関する能力は群を抜いている。兄と同様に国や民を思い遣ることができる立派な人物で、ムネノリが安心して国を留守にできた理由の1つだ。

 

 そんなトキノリは、寝不足による頭痛に眉をひそめながら、城内の1室で医者からの報告を受けていた。部屋の周囲は信用できる忍で固め、明かりは最小限にし、正座で向かい合って小声で話す。

 

「……それで、父上の容態はどうだ?」

「芳しくありません。日に日に衰弱しております。言葉にするのは大変心苦しいのですが、このままでは、いずれ……」

「……そうか。いや、よく正直に申してくれた」

 

 無論、医者を責めるようなことはしない。変に誤魔化されるよりはずっと対応がしやすい。父親の危篤を知り、心が荒波のように揺れるものの、王族としての責任感でそれを抑え込む。

 

 王である父が突然倒れた。それが2日前のことだ。それまですこぶる元気であった王が倒れたことで城内は大混乱。徹底的な緘口令が敷かれたことで一般には知れ渡っていないが、それも時間の問題だろう。

 この緊急事態の対処の司令塔となっているのが、トキノリだった。

 

「父上と話はできそうか」

「難しいかと。今は昏睡状態が続いております。お目覚めになられたら連絡を差し上げることは可能でございますが、会話ができるかはそのときになるまで分かりません」

「……分かった。今日も遅くまでご苦労だった。部屋に戻るとよい」

 

 医者は一礼をし、退室した。足音が遠ざかったのを確認したトキノリは、鉛のように重苦しいため息をついた。

 

「……誰ぞある」

「ここに」

 

 周辺に控えていた忍の1人が姿を現す。

 

「……毒を盛られた可能性はいかほどか」

「毒味役を中心に調査を進めている途中でございますが、濃厚かと」

 

 やはりそうか、と思うトキノリであった。イズモにとって、最悪の事態である。

 

「……そうなると、家老や諸侯の中に裏切り者がいるのだろう。探せ」

「御意」

「ああ、それと、出立の用意をしてくれ。表はしばらく影武者に任せる」

「承知致しました。行き先はどちらに……?」

「まずはツバキ殿のところだな。それを終えたら——」

 

 ——兄上を迎えに行く。そうはっきりと告げるのであった。

 

 

 

 

 8月18日。ミリアムとクロウが編入するというサプライズはあったものの、Ⅶ組は概ね平穏な日常を送っていた。この時期は貴族生徒は領土運営を学ぶという名目で帰郷が許されているものの、Ⅶ組の中で帰郷した者はいなかった。

 それは貴族どころか王族であるムネノリも同様だ。そもそも、トワと恋人になってまだ約1ヶ月。なりたてのころと比べれば落ち着いたが、それでもまだまだ可能な限り一緒にいたいと思う時期だ。2人の関係はシノを経由して本国へ知らせてあることもあり、帰るつもりはなかった。

 

 ……事態が動いたのは、午後の帝国史の授業中のことだった。突然教室にノックが響き渡った。

 

「はい、どうぞ〜」

 

 授業を担当しているトマスが応じると、扉が開く。扉の向こうから現れたのは、教頭のハインリッヒだった。

 

「おほん。すまないね、授業の邪魔をしてしまって……」

「いえいえ〜。なにか御用でしょうか」

「あーいや、君にではなく、ムネノリ・タナカ君に用があるのだ」

「拙者でございますか」

 

 指名されたムネノリが返事をすると、ハインリッヒは「そうだ」と頷きを返す。

 

「イズモからお客様がいらっしゃっている。至急、会議室までついて来たまえ。緊急ゆえ、授業は公欠扱いとするので心配は無用だ」

「はぁ……かしこまりました」

 

 またツバキだろうか、と疑問を抱えながらもムネノリは立ち上がる。ついでに編入初日にも関わらず居眠りをしているクロウの頭に消しゴムを投げつける。「いてっ!?」という声が聞こえたが無視して退室した。

 

 ハインリッヒの後ろをついて行くこと数分、会議室に到着する。ハインリッヒは扉の前に立ち、体をムネノリの方に向ける。ちなみに身長はムネノリの方が高いので、彼がハインリッヒを見下ろす形となる。

 

「先方の要望で私は中には入らん。職員室にいるので、終わったら連絡するように」

 

 そう言い残すと、ハインリッヒはその場を去ってしまった。入れ替わりのように、シノがその場に現れる。彼女はハンドサインで耳を貸すよう求めたので、それに応じる。

 

(……会議室の周辺が精鋭の忍小隊で固められています)

(なに? それは真か?)

(はい。護衛としては過剰戦力です。おそらくは盗聴を警戒した布陣。はっきり言って、ただごとではありません)

 

 シノの言う通りだ。秘密裏にとは言え、他国でここまで警戒するあたり、相当重要な話に違いない。ムネノリは警戒心を一段階引き上げる。

 シノは姿を消さずに、そのまま側に控える。万が一のことを考えて、すぐに動ける位置に陣取っているのだろう。

 

 意を決して、扉をノックする。『どうぞ』という声が返ってきた。その声には心当たりがあった。シノと顔を見合わせる。様子を見る限り、彼女も覚えがあるようだ。扉の向こうにいる人物の正体を確信する。

 

 ムネノリは扉を開いた。そして扉の向こうにいたのは、予想通りの人物だった。

 

「……久しいな、兄上。シノも元気そうでなによりだ」

「トキノリ……!」

 

 弟のトキノリだった。まさかこんなところで会うことになるとは思わなかった。4ヶ月ぶりの再会だった。嬉しさのあまり、ムネノリはトキノリの両肩をポンポンと叩く。

 

「おお、少し背が伸びたのではないか!? 顔立ちも、ちょっとばかり立派になったな!」

「兄上が国を空けてから多忙の毎日だったからな。多少は成長するさ」

 

 そう言って苦笑いを浮かべるトキノリの目元には隈が浮かんでいた。ここのところ、あまり寝ていないようだ。おそらく、今回の訪問と無関係ではないだろう。

 

「しかし、シノの話では随分と警戒しているようだが、なにかあったのでござるか」

「さすがにシノは気づくか。……話すと長くなる。とりあえず座ってくれ。イズモの茶葉を持ってきたんだ。シノ、頼めるか」

「はい、かしこまりました」

 

 シノが茶葉をトキノリから受け取り、会議室に備え付けの器具を使って用意を始める。ムネノリとトキノリは席に着く。

 

「さて、なにから話したものか……。とにかく、心して聞いてくれ」

 

 トキノリは肘を己の膝を乗せ、両手を組みながら、ぽつぽつと語り始めた。そして彼の口からもたらされた情報は、ムネノリを驚かせるのに必要十分だった。

 

 

 

「……なんたる、ことだ」

 

 声が、震える。大声を出さなかったのが奇跡と思えるほど、衝撃的な話だった。胸にポッカリと穴が空き、真っ暗闇に迷い込んでしまった気分だ。シノも同じようで、瞳をグラグラと揺らしながら顔を真っ青にしていた。声を出さぬのは、忍ゆえだろう。

 

 父が危篤。しかも、昏睡状態が続いている。それだけでも重大な事態なのに、加えてなにかしらの陰謀が働いているかもしれないという懸念。最悪の場合、戦が発生しかねない国家の一大事だ。

 

「犯人は分かっているのか」

 

 それでもムネノリは動揺をなんとか胸の内に仕舞い込み、表向きは毅然とした態度を作る。それこそが王族の義務だと父に教えられた通りに。

 

「絞れたが、いずれの者も行方不明だ。あるいは、もう消されたのやも知れぬ。今は家老や諸侯の身辺を調査中だ。途中経過となるが、怪しい家がいくつかある」

「もうそこまで進展しているか。さすがトキノリだな」

「嬉しい言葉だが、実は他にも悪い知らせがある。……周辺諸国も、なにやら妙な動きを見せている。軍事演習などを理由に、戦力が移動を続けている」

「ッ!? それは、つまり……」

 

 そこまで言われて分からぬムネノリではない。それら2つの情報から導き出される最悪の可能性は1つだけだ。

 

「ああ、内乱どころか、周囲の国家全てが同時に襲いかかってくるかもしれぬ。理由は……まあ、東方でまだ生きている土地が欲しいのだろうな」

 

 トキノリの言葉にムネノリは同意する。要は、東方における生存競争が始まろうとしているのだ。

 

 イズモは荒廃が進む東方の中で数少ない、その影響をほとんど受けていないとされている国だ。実際はイズモも影響を受けているのだが、それも微々たるもの。砂漠化が進行している国からすれば熟れた果実のようにしか見えないだろう。

 

 生き残る為には国を捨て移住するか、未だ豊かな土地を奪うしかない。周辺諸国は、後者を選択したかもしれないということだ。

 

「王が倒れれば、少なからず国は混乱する。王太子の兄上も不在。そして拙者は、戦はあまり得意でない。仕掛けるには、絶好の機会だろうな」

 

 内通者が現れたのは保身か、権力欲か。陰謀が真実であれば、そんなところだろう。

 

「……イズモの防備はどうなっている?」

「山岳地帯の要塞に兵を詰めてある。仮に今すぐに戦が発生しても、簡単には突破されない」

 

 イズモは国境が山岳で埋め尽くされており、加えて要塞も築いている。戦力も基本的には防衛に特化しているので、防衛体制を固めていれば並大抵の攻撃は跳ね返す。

 

 だが、それは国内の指揮系統が安定していればの話だ。内乱が発生した場合、その守りは容易に崩れ得る。

 

 指導者が必要だ。倒れた王の代わりに国をまとめ、内通者を捕らえ、戦に備えられる人物が。そしてそれこそが、トキノリが秘密裏に帝国までやって来た理由だろう。

 

「……ヴァンダイク学院長に話をしに行かなければな」

「兄上……! では……!」

「うむ。留学を切り上げ、至急イズモに戻ろう」

 

 ムネノリは迷わず決断する。それこそが王太子としての務めだ。この留学にしても、元々国の将来の危機に備えてのものだ。場合によっては王位を継ぐ必要もあるかもしれないほどの危機。未だ必要とする知識は得られていないものの、優先順位が変わった以上はやむを得ない。

 

「お主は先にイズモに戻り、危機に備えろ。拙者も準備が整い次第、すぐに発つ」

「どれくらいになりそうだ?」

「そうだな……さすがに今すぐは失礼であるし、不審に思われるだろう。父が病であることを理由にして……自由行動日がある4日後くらいが妥当であろう」

「4日後……ならイズモに戻るのは5日後くらいだな。承知した」

 

 それからも、取り急ぎ今後の危機対策案を詰めていく。互いに若いとは言え、既に政務に携わっている身。その上、ムネノリはトールズでの生活を通して多くの新しい知識を取り込んでいる。案が煮詰まるのにそう時間はかからなかった。

 

 一方で、その間ムネノリは頭の片隅で常にトワとのことを考えていた。他国の人間とは言え、彼女はムネノリの恋人であり、事実上の婚約者だ。今日にでも話をする必要があるだろう。

 

(年末年始にお越しいただくのは、諦めた方がいいでござるな……)

 

 懸念が当たってしまった場合、そのころには戦はとっくに始まっている。さすがにそんな状況で呼ぶわけにはいかない。

 

 事態が落ち着くまで数年はかかるだろう。それまでずっと待たせてしまう恐れがあるのだ。トワならば、きっと待っていてくれるという信頼に基づく確信はある。だが、それに甘えて何年も待たせるわけにはいかない。その辺りも含めて、きっちりと話し合わなければならない。

 

 ——ところが、そんなムネノリの算段はトキノリの次の一言で崩壊することとなる。

 

「ああ、そうだ。状況が状況だからな、既に正妻となっていただく方も決めてある。顔合わせの為に帝都のホテルに滞在されているから出立前に合流してくれ。簡易にだが、帰国後に式も執り行う」

「………………は?」

 

 カチリ、と脳のあらゆる思考回路が停止した。

 

 ……今、トキノリはなんと言った? 正室と言ったような気がするが、聞き間違えだろうか。というより、聞き間違えの筈だ。なぜならば、ムネノリは既にトワのことを知らせている。トキノリがそれを知らないわけがない。

 

「お相手はトクカワ家のアヤメ殿だ。最初はツバキ殿に話を持って行ったのだが、きっぱりと断られてしまってな。理由を尋ねても『約束だから』の一点張りで……妙よな、あんなに兄上にこだわってたのに……」

 

 トクカワ家。財力こそマツナガ家に及ばないものの、王家と同じルーツを持つ由緒ある家系だ。四大名門で言うカイエン公の立ち位置にあたり、名家としては最大級の勢力だ。政治的な理由を考慮すれば、妻として最もふさわしいとすら言えるだろう。

 

 だが、そんなことムネノリにとってはどうでもよかった。問題は、先ほどの言葉が聞き間違えでなかったということだ。

 

 まるでトワの存在などなかったかのように淡々と話を進めるトキノリ。沸々と、腹の奥から煮え立つものを感じる。拳を握り、痛いくらいに爪を食い込ませる。

 

「出立のときにアヤメ殿と少し話をしたが、とてもお淑やかで綺麗な方だったぞ。きっと兄上とも上手くやって——」

「——拙者が正室として選んだのはトワ殿だ! 文でもそう伝えた筈だ!! 忘れたのか!?」

 

 立ち上がり、声を張り上げる。窓ガラスが震え、カタカタと音が鳴った。しん、とその場が静まり返る。真夏の日差しで熱された会議室の熱がジリジリと肌を焼き、汗が滲む。

 

 ……トキノリはと言うと、しばらくは目を丸くしていたものの、すぐに呆れた様子で片眉を上げ、盛大なため息をついた。その態度がさらにムネノリの神経を逆撫でした。

 

「その態度はなんでござるか!?」

「……あのなあ、兄上。そのトワ殿とやらのことは確かに聞いている。だが、今の状況で彼女を正室に迎え入れる利点がないだろう?」

「利点……利点だと? トキノリ貴様、トワ殿のことを損得勘定で考えているのか!?」

「当たり前だろう。今のイズモを纏めるのに力のある家の支援は不可欠だ。トクカワ家の娘を正室に据える恩恵を考えれば、トワ殿では力不足だ」

 

 帝国人かつ平民のトワと、代々続くイズモの名門トクカワ家の娘であるアヤメ。妻にした場合、どちらがより大きな影響力を持つかなど、一目瞭然だ。トワがろうそくの火だとしたら、アヤメは山一帯を焼き尽くす業火のようなものだ。

 そんなこと、少し考えればすぐに分かることではないか。トキノリはそう言いたげな表情だった。 

 

 ムネノリは唇を噛む。彼とてそんなことは分かっているのだ。ただ、感情がそれを許容できないというだけで。

 トキノリはその能力が政務に特化しているせいか、ムネノリと比べて合理主義的な側面が強い。思い遣りの心は無論ある。だが、必要とあれば切り捨てることもできる。今回の意見の食い違いも、それに端を発したものだった。

 

「兄上、分かってくれ。これが最善なんだ」

「ぐっ……! いや、だが、拙者はトワ殿を……!」

 

 遠い異国の地でようやく見つけた、大切な人。いつまでも守ると約束した、最も愛しい人。桜のように美しいあの笑顔。

 それを、諦める。正式な妻とすることができなくなる。そんなこと……認められなかった。

 

 正室と側室が一般的だった時代とは違う。正室にならないというのは、一般的な意味での妻になれないのと同義だ。そんなこと、交際を始めたばかりのムネノリには耐え難い事実だった。

 

「——やはりダメだ! 正室の話は受けられん!」

「兄上、なにを言うか!? 国が残るかどうかの瀬戸際かもしれぬのだぞ!?」

「アヤメ殿を迎えずとも、拙者の力でイズモを守ってみせる! 心配無用だ! とにかく、お主は早く城に戻れ! いいな!? 行くぞ、シノ!」

 

 これ以上の口論は無駄だし、時間がないのも事実。ムネノリは強引に話を打ち切って、ズンズンと扉に向かう。

 

「待て兄上! シノ! お主も兄上になにか言ってくれ!」

「……申し訳ありません、トキ兄上。私が義姉と認められるのは、トワ様だけです」

 

 ムネノリを説得することを諦めたらしいトキノリはシノに援護を求める。だが無意味だった。シノは完全にトワの味方のようで、すぐさま断っていた。

 

 ムネノリはシノと共に廊下に出ると、バァン! と扉を力任せに閉じるのであった。

 

 

 

 

「くっ……兄上、シノ。一体どうしたと言うのだ……」

 

 1人会議室に取り残されたトキノリは散々な結果に毒づく。まさか、アヤメを迎えることを拒絶されるとは思わなかったのだ。

 

 ムネノリは常にイズモの行く末を案じており、留学のきっかけもそれに由来するものだ。女に言い寄られることに辟易していたムネノリが現地の娘と交際を始めたと聞いたときは驚いたが、それでも国の為ならばアヤメを優先してくれると思っていたのだ。

 それは、自分なりに国に貢献することを考えて忍になったシノも同様だと思っていた。信じていた。

 

 それが結果はどうだ。2人ともトワ殿、トワ殿と、取りつく島もなかった。このままでは、非常にまずい。

 

(いくら兄上でも、1人で今のイズモを纏めるのは無理だ……。民を安心させる為にも、力のある家との縁を持つのは必要不可欠)

 

 いずれは王のことは民にも知れ渡る。そのとき、王家はまだまだ安泰だから心配はないと内外にアピールする必要があるのだ。その手段の1つが、王太子であるムネノリが正室を持つこと。

 他国の平民と、イズモ有数の名家の娘。民から見たとき、どちらがより安心するは明白だ。

 

 ムネノリより政治感覚に優れるトキノリは確信している。ムネノリには、ツバキやアヤメのような者との結婚が絶対に必要だということを。なんとかして、実現させなければならない。

 

(……トワ殿と言ったか。確か、この学院の生徒会長という話だったな)

 

 手紙に書かれていた情報を思い出す。写真も同封されていたので顔も分かる。トキノリを案内したハインリッヒに掛け合えば、なんとかなるだろう。

 

(将を射んと欲すれば……というやつだな。気は進まぬが、やむを得ん)

 

 トキノリも彼なりに、イズモの為にと覚悟を決める。

 そうしてトキノリは、再び会議室にやって来たハインリッヒに、ある頼みごとをするのであった。

 

 

 

 

 放課後。HRを終えたムネノリは早速生徒会室に向かう。理由はもちろん、トワに会って帰国の話をする為だ。

 

 表向きの理由は既にヴァンダイクとハインリッヒに伝えてある。事情が事情なので、特に揉めることなく留学の中断は受け入れられた。今ごろ、帝国政府にも連絡が行っていることだろう。学院生たちには明日、HRなどを通して伝えられる予定だ。

 

(トワ殿には申し訳ないことになってしまったな。出立前に、どこかで纏まった時間がとれるとよいが……)

 

 交際1ヶ月にして、離れ離れになることが確定してしまった。埋め合わせになるかは分からないが、せめて最後にどこかで2人きりで過ごしたい。なにより、ムネノリ自身がそうしたかった。言うまでもなく、この突然の別れにムネノリの胸は張り裂けそうだった。

 

 生徒会室の扉が見えてくる。この4ヶ月で何度も出入りした、慣れ親しんだ場所だ。留学生という事情もあって生徒会入りは遠慮していたが、紛れもなくムネノリはその一員だった。トワと最も多くの交流を重ねた場所で、会う度に互いの心の距離は縮まった。

 

(ここに来れるのも残り数回か。名残惜しいな……)

 

 イズモにとっての緊急事態にも関わらず、ムネノリの心は落ち着いていた。そうあるべしと心がけているからでもあるが、なによりもトワの存在が大きかった。

 トワがいれば、なんだってできる。頑張れる。乗り越えられる。どんな困難も、必ず解決して堂々とトワを迎え入れてみせる。そんな風に、自然と心が奮い立つのだ。

 

 扉の前にたどり着く。いつも通りコンコンとノックをすると、『……どうぞ』という言葉が返ってくる。ムネノリは遠慮なく入室する。

 

「っ!? む、ムネノリ君……」

「お疲れ様です、トワ殿。……どうされました?」

「ううん。なんでも、ないよ……」

 

 ムネノリの入室にやけに驚いた様子だったが、どうしたのだろうか。そう思うも、答えは出なかったので頭の片隅に追いやった。

 

「それで……どうしたの?」

「……実は、お話しておきたいことがございまして」

 

 決意が揺らがぬ内に話を切り出す。これを伝えるのは、学院生の中ではトワが最初となる。さすがに陰謀が働いているかもしれないという秘匿情報を明かすことはできないが、話せるだけ話すつもりではいる。

 

 ——話すつもり、だった。

 

「……アヤメさんのこと?」

「なっ……!?」

 

 だが、トワから発せられた思いもよらぬ言葉に頭が真っ白になった。

 

 なぜ、彼女がその名を知っている。そんなこと、ムネノリの口から漏らしたことは1度もない筈だ。なにせ、ムネノリだって先ほどまでその名を知らなかったのだから。

 加えて、ヴァンダイクに説明した表向きの理由の中にもアヤメの名は登場しない。もし、トワに彼女の名を知る機会があるとしたら、それは……。

 

(っ!? ま、まさか……!?)

 

 脳裏に弟のトキノリの顔が浮かぶ。信じたくない可能性。その一方で、それしかないとムネノリの冷静な部分が真実を告げる。

 

 ……背筋に嫌な汗が流れる。まるで、既になにかが手遅れになっているような感覚。料理をオーブンに入れて加熱を始めたあとに、致命的な失敗に気づいてしまったときに似た恐ろしさ。

 

「と、トワ殿……? その、もしや……」

「うん…………聞いたよ、全部。トキノリ様から」

 

 絶句。ムネノリは、言語機能を失ったかのように呆然とするのであった。

 

 ……知られてしまった。恋人であるトワに、トキノリが勝手に決めた正室のアヤメのことを。まさか、彼がそこまでやるとは思っていなかった。完全な不意打ちだった。

 

「っ……ぁ……ちが」

 

 なにか、言わなければならない。だが、すぐには言葉にならなかった。どのように言えばトワを傷つけないかを考えすぎるあまり、言い淀んでしまう。

 

 真夏にも関わらず寒気がする。動悸で息が苦しい。急速に喉が乾く。足元が、どんどん暗くなるかのようだった。

 

「えっと、その……えへへ。最初、聞いたときはびっくりしちゃった。ムネノリ君、弟さんがいるなんて全然教えてくれなかったもん。目元とか、すごいそっくりだよね」

 

 いつも通りのような、それでいて少し早口な調子でトワは言葉を紡ぐ。その笑顔は、少しばかりぎこちない。

 

「事情はちゃんと聞いてるよ。アヤメさんと結婚しないと、イズモが危ないんだよね? なら、仕方ないと思うな。アヤメさんのこと、帝都で待たせてるんでしょ? できるだけ早く準備して、迎えに行ってあげないとだね」

 

 ……違う。そうではない。トワの口から聞きたいのは、そんな言葉じゃない。

 

「わたしのことは全然気にしなくていいからね? そもそも、わたしみたいな庶民が王妃様になるなんてのが、無理のあるお話だったんだから」

 

 トワの口数が増え、どんどん早口になる。それでいて、声の勢いは比例して衰え続けているのが分かる。

 

「あ、それと、はいこれ。昔、シノちゃんにイズモのことを聞いてから、ずっと帝国の錬金術や精霊信仰について調べてたんだ。どこまで参考になるか分からないけど、持って行ってくれると嬉しいな」

 

 どさり、とバインダーで纏められた書類が机に大量に置かれる。普段のムネノリであれば垂涎ものの資料だが、今はそんなものどうでもよかった。

 

「わたしがイズモの為にできることはこれでおしまい。だから、だからね……もう、わたしとは——」

「——その先は言ってはいけませぬ!!」

 

 おぞましい言葉が告げられようとしたその瞬間、ムネノリはようやくショックから回復する。力の限り声を張り上げ、トワの言葉を止める。そのまま喋り出す隙を与えぬよう、ムネノリは立て続けにまくし立てる。

 

「アヤメ殿と結婚せずとも、イズモは必ずや守ってみせます! トワ殿のことも何年も待たせるつもりはありませぬ! ほんの1、2年で立て直してご覧に入れましょう!」

「……ムネノリ君、聞いて」

 

 聞かない。聞きたくない。

 

「トキノリになにを吹き込まれたのか存じませぬが、心配は無用でございます! イズモは攻めるに難く、守るに易い険しい山々で囲まれております! たとえ周囲の国全てが敵になったとしても、易々と追い返すことができまする!」

「……ねえ」

 

 無視する。トワに、話す機会を与えてはいけない。

 

「ですから、ですから……! トワ殿は安心してお待ち——」

「——聞いて!! ムネノリ君!!」

「ッ——!」

 

 悲鳴のような叫び声にムネノリの声がかき消される。今までに聞いたこともないような悲痛な響きに気圧され、黙らざるを得なかった。

 

「……あんまり、わがまま言っちゃダメだよ。多分、トキノリ様の仰っていることは本当だと思うんだ。イズモみたいな形の国を纏めるには、四大名門みたいな大きな家との縁が必要だと思う」

 

 学生ではあるものの、トールズの生徒会長を務め、ムネノリが認める政務能力を有するトワの意見に反論ができなかった。できる筈もない。ムネノリも、心の奥底ではそれを理解しているのだから。

 

「わたしじゃ、その役目は果たせない。アヤメさんとの結婚は、しないとダメだよ」

「……お待ちを……どうか、どうか…………」

 

 これからトワがなにを言おうとしているのかを、苦しいくらいに理解できてしまう。最も恐れている言葉を、言おうとしている。

 

 ムネノリは縋り付くような気持ちで必死に懇願する。しかし、その声に力はほとんどなかった。王太子としての使命に阻まれ、本当の気持ちが表に出せなくなっていく。

 

「だからね——」

 

 トワはまっすぐこちらを見る。その顔は、ムネノリを宥めるときに見せる、「しょうがないなあ」と言いたげな、なにかに困っているときのような笑顔だった。

 

 心臓が、潰れそうだ。その先を、言って欲しくない。やめてくれ、言わないでくれと心が悲鳴を上げる。ミシミシと心が軋む音がする。

 

 だが、トワは一瞬だけ言葉を止めたあと、躊躇なく言い放つのであった。

 

「——今日で終わりにしよう、むね……ううん…………終わりに、しましょう……殿下」

 

 無情にも決定的な一言が、下されるのであった。

 

 空が、今にも降り出しそうなくらいに真っ黒だった。

 

 

 

 

 

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