トワ殿って呼ばないで   作:Washi

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最終話 トワ殿って呼ばないで

 あのホームで、再会を誓った。いつか必ず戻ってくると、言ってくれた。だからこそ、トワは頑張れた。

 たとえ内戦が起ころうとも、帝国が間違った方向に進んでいるように感じられようとも、世界が滅亡しかけようとも。トワはたった1つの想いを胸に、前へと進み続け……乗り越えた。

 

 

 ——あの日から、もう5年の月日が流れようとしていた。

 

 

 

 

 トワが己の職業として選んだのは、教官だった。トールズ士官学院の本校が本格的な軍学校に変化したのと同時に新設された、トールズ士官学院第Ⅱ分校の教官として就職した。

 それは帝国が不穏な道に進もうとしているのを不安に思い、自分なりにトールズの理念を残そうと思ったからであるし、ムネノリを見て自分も帝国の未来の為にできる限りのことをしたいと思ったからだ。

 

 1年目は、それはもう大変だった。帝国西部の情勢の悪化に伴い、その対策として軍人ですらない教え子を特別演習の名目で戦地に送り込まなければならなかった。

 それだけならまだしも、結社の執行者や人形兵器、もしくは名の知れた猟兵団など、明らかに学生が対峙するには荷が重すぎる相手ばかりだった。初回のサザーランド州での実習のときなど、戦死者こそいなかったが、甚大な被害が出た。

 

 ましてや、世界の命運をかけた戦場に赴くことになるなんて、就職したころには夢にも思わなかった。結果的に黒キ聖杯を巡る戦いには敗北し、一時期は本当に世界が終わってしまうのではないかと弱気になったりもした。

 

 それでも、最後には立ち上がり……様々な場所から集まった頼もしい仲間たちと共に、異変を乗り越えた。

 

 その後、クロスベルは独立し、ノーザンブリアも復興の目処が立ち次第独立することになるなど、少しずつ……激動の時代は過ぎ去った。

 

 帝国に残った傷跡は大きかったが、最近ようやく立ち直ってきたように思う。貴族と平民の確執も、四大名門が代替わりしてからは随分と緩和された。トワたちの次の世代になるころには、融和もより進んでいくだろう。

 

 結局、トールズは本校と分校に分かれたままだった。本校にかけた予算があまりにも大きすぎて、しばらくは軍学校として運営されることとなった為だ。

 

 トワは分校の教官として在籍し続け、危険な演習のなくなった2年目からは積極的にトールズの理念を伝え続けた。

 

 異変を潜り抜けた初代入学生たちは卒業し、教官陣の顔ぶれもだいぶ変化した。そんな4年目の半ばである今日も、精力的に指導を行うのであった。

 

 

 

 

 トワと同じく、リィンも第Ⅱ分校に残っていた。帝国が安定し、カリキュラムの整備が進み、入学生が増えたことでⅦ組の本来の役割は消滅したが、それでも引き続きⅦ組の担任を務めていた。

 かつてはブラック企業も真っ青な人手不足に見舞われていた第Ⅱ分校だが、3年目辺りから大幅な増員がされ、ようやく運営も軌道に乗ってきた。

 

 オーレリアやランドルフたちは分校を去ったものの、今でも偶に顔を出しては学院生に指導をしてくれる。もっとも、オーレリアがいきなり剣を取り出して模擬戦をしようとしたときは必死に止めたが。

 

 そして今、リィンは多くの後輩の教官を持つ立場となり、かつてのミハイルのような立ち位置となっていた。大変ではあるものの、やりがいのある仕事だった。

 

 ただ、どうしても慣れないことが1つだけある。それは……後輩の愚痴を聞くことだった。

 

 

 

 

「聞いてくださいよ〜、リィン先輩〜!!」

「ああ、聞いてるって……」

 

 業務を終え、リィンは男の後輩の1人を伴って酒場に来ていた。その後輩はリィンの2つ下の21歳だ。現在進行系で酒に酔い、情けない声を出しているが、これでも遊撃士出身の優秀な教官だ。

 

 後輩はグラスジョッキになみなみと注がれたビールを一気に呷ると、テーブルに叩きつけるようにしてジョッキを置く。中身は空だった。これで確かもう……6杯目だ。そして同じ話をもう3回はしている。

 

「この前〜、トワ先輩に告白したんですよ! 付き合ってください〜って!」

 

 4回目が始まった。もはやなにを言っても無駄だと分かっているリィンは、「ああ、それで?」と適当に相槌を打つ。

 

「そしたら〜、にべなく断られちゃったんですよ〜っ!」

「まあ、そうだろうな……」

 

 実は……この手の愚痴を聞かされるのは、初めてではない。学生、スタッフ、教官問わず、トワは男の間で絶大な人気を誇っていた。その理由を、男であるリィンはよく分かっていた。

 

 ……婚約者のいるリィンですら見惚れることがあるくらい、トワは綺麗になったのだ。元々可愛らしい容姿ではあったが、ふとした拍子に見せる仕草や表情が、妙に艶めかしかった。

 

 身長そのものは5年前となんら変わっていない。だが、年齢を重ねただけの大人の色気は確かにあり、体つきなども女性らしさはしっかりと感じる。それに加えて誰にでも優しく、思い遣りのある性格だ。人気があるのも、無理はなかった。

 

 その一方で、トワはどれだけ情熱的なアプローチをされようとも、決して首を縦に振ることはなかった。撃墜された男の数は後輩を含めればそろそろ2桁に行くのではないだろうか。

 

「そんで理由を聞いたら、『待ってる人がいるの』の一点張り! 誰なんすか、トワ先輩を待たせている男ってのは……!?」

「ははは……」

 

 きっと説明しても火に油を注ぐだけだろうと思ったリィンは、乾いた笑い声を上げるだけだった。

 もちろん、リィンは知っている。トワが誰を待っているかを。そしてその決意がどれだけ固いかも。内戦や異変の際に行動を共にする中で、ずっと彼女の想いを見てきた。

 

 今ごろアイツはなにをしているんだろうか。そう、遥か東で奮闘している筈のⅦ組の仲間に思いを馳せるのであった。

 

 

 

 

 トワの決意は変わらない。10年でも、20年でも待ち続けるつもりでいる。その一方で、周囲の状況は少しずつ、少しずつ変わっていく。

 

 毎年、卒業生を見送っては新入生を迎える。辞める教官もいれば、新しく赴任してくる教官もいる。ときには、同級生からの結婚式の招待状が届く。

 その度に……寂しさを覚えることはあった。教会で幸せそうに夫婦の誓いを交わす同級生を見たり、子供が生まれたときの写真が届いたりすると、少し羨ましかった。自分だけ止まった時間の中に取り残されているような感覚は常に付き纏った。

 

 それでも、トワは待ち続けた。申し訳ないと思いつつも他の男性からのアプローチを退け、叔母たちに心配されながらも、ただ一途に待ち続けた。

 きっともうすぐ、もうすぐだと毎日言い聞かせながら。

 

 

 

 

 今日も教官としての1日が終わる。トワは職員室で明日の授業の準備を進めながら、他の教官たちが退勤するのを見送っていく。窓からは夕日が差し込んでいた。

 

「お疲れ様です、トワ先輩。他のみんなはもう?」

「あ、リィン君。うん、今日は全体的に上がるのが早かったかな」

 

 少し席を外していたリィンが職員室に戻ってきた。今部屋にいるのは2人だけだ。

 

「先輩もあまり遅くまで残らないようにお願いします。仕事がたくさん残っているようでしたら俺も手伝いますから」

「うん、ありがとう。でも大丈夫、私も少ししたら寮に戻ろうと思ってるから。リィン君こそ、あまり仕事抱え込んじゃダメだよ? もうすぐ結婚式なんだから、体調には気をつけないと」

「……そうですね、気をつけます」

 

 リィンは苦笑いを浮かべる。実は、リィンはもうすぐアリサと結婚する予定なのだ。あの異変以降、急速に距離を縮めた2人は晴れて恋人となっていた。

 本当はもう少し早く結婚する予定だったのだが、2人の関係者が嫁入りか婿入りかで相当揉めてしまい、なかなか婚約が成立しなかったのだ。方や男爵家の長男、方やラインフォルトの1人娘、それも当然と言えるだろう。

 最終的に、パトリックがエリゼに婿入りし、彼女が男爵家を継ぐ決意をしたことで、リィンはラインフォルトへ婿入りするという形で決着がついた。

 

「それにしても、リィン君もいよいよ結婚かあ……なんだか感慨深いなあ……まだ気が早いかもしれないけど、おめでとう」

「はは……ありがとうございます」

 

 照れくさかったのか、リィンは頬を掻きながらまたも苦笑いを浮かべていた。その癖だけは、ずっと昔から変わらないままだった。

 

「じゃあ、俺もそろそろ上がります。戸締まり、よろしくお願いします」

「了解。お疲れ様」

 

 それを最後に、リィンは必要な荷物だけ持って退室した。これで部屋に残ったのはトワ1人だけとなった。

 

 なんとなく、窓から外を見る。夕焼けが、とても綺麗だった。

 

(あのリィン君も結婚かあ……時間が経つのって、早いなあ……)

 

 今までも式に出席したり、子供の写真が届いたりはしていたが、同じ職場の人間ではなかった。毎日のように顔を合わせるわけではない。だから、そのときそのときは哀愁の念に包まれたものの、一時的なものだった。

 

 だが、学生時代も深く関わり、職場も同じであり、親友にも等しい後輩であるリィンがいよいよ結婚するとなって、本格的に時間の流れを実感する。

 

 何年でも待てる。でも、やっぱり寂しいものは寂しいのだ。

 

(早く……来ないかなあ……)

 

 そんなことを、思ってしまうくらいには。

 

 

 

 

 本校舎を出たリィンは寮の方へと歩いていた。入学生が増えたことで寮が増設されたりもしたが、リィンは変わらず赴任時と同じ建物で寝泊まりしていた。なにも考えずとも寮まで戻れるくらいには、慣れ親しんだ場所だった。

 

 なんとなく、リーヴスの町のど真ん中で立ち止まる。町は夕焼けで染まり、店によっては閉店の準備が始まっていた。住人と学院生が混ざって和やかに会話をしていたり、学院生たちが夕飯を求めて近くの食事処に入っていくのが見える。

 

 ……間違いなく、平和だった。激動の時代は終わろうとし、今度こそしばらくは平穏な時代を謳歌することができるだろう。

 

 その過程でリィンは多くの罪を抱えてしまったが、仲間に支えられ、こうして今も変わらず教官としてこの場所に立っている。それがなによりも有難かった。

 

 少しずつ、償えばいい。そう、彼女に想いを告げられたときに言われた。どこまでできるかは分からないが、それでも教官としてできる限りのことを続けて行こうと思うのであった。

 

「——失礼、そこの者。少々よろしいか」

「ぇ……」

 

 突然、背後から声をかけられた。だが、リィンはこの声のかけられ方に覚えがあった。確か、トールズの入学式の日のときだ。そして、そのときリィンに声をかけたのは……。

 

 ゆっくりと振り向く。リィンの予想が正しいことを確かめるかのように、ゆっくりと。

 

「ぁ——」

 

 偉丈夫の男が、立っていた。高身長のリィンですら見上げなけれならないほどの大男。男は堂々と胸を張り、威風堂々とした笑みを携えていた。

 

「少々道を尋ねたいのだが、よろしいか」

「——あっちの道を進んだ先の校舎の、職員室にいるよ」

 

 リィンはたった今通って来た道を指で示す。彼が尋ねたいことなんて、それしかないだろう。なにせ、5年ぶりなのだから。

 

「かたじけない。では、後ほどまた」

 

 男は簡潔に礼を述べると、校舎へ向かって歩き出した。その大きな背中をリィンは見送る。

 

(先輩……もうすぐみたいですよ)

 

 ときおり寂しげな、憂いを含んだ笑みを浮かべていた先輩のことを思い出しながら、リィンは再び寮に向かって歩き出した。

 

 

 

 

 そろそろ上がろう。そう思ったトワは、部屋に持ち帰るバインダーを纏め、戸締まりの準備を始める。窓が開いていないか確認し、明かりなどを落とす。

 

 日は既に落ちかけている。まだ微かに夕日が差し込んでいるものの、部屋は薄暗かった。

 

 最後に忘れ物がないかだけを確認し、部屋を出ようとした。だがその直前、ガチャリと扉が開いた。トワは先ほど出て行ったリィンが戻ってきたのかと思い、顔をそちらに向ける。

 

「リィン君? もしかして忘れ——っ」

 

 ——バサリ、と手で抱えていたバインダーが床に落ちた。大事な書類がいくつも纏めてあったが、そんなことがどうでもよくなるくらい、衝撃的なものを目にしていた。

 

 男が、立っていた。全体的に薄暗いせいで顔はおぼろげにしか見えない。だが、これ以上ないくらいに見覚えがあった。

 

(嘘……)

 

 まさか、まさか、本当に……? と、半信半疑なトワは口を両手で覆う。だが、見間違える筈もない。これだけは、絶対に間違えない自信があった。

 

「トワ殿……」

 

 5年ぶりに聞いた声。目の奥が、ジンと熱くなった。

 

「ムネノリ……くん……?」

「ええ、その通りでございます」

 

 肯定が返ってくる。疑惑が確信に変わった瞬間だった。もう……我慢できなかった。

 

「——ムネノリ君!!」

 

 床に散乱したバインダーを飛び越え、駆け出す。ムネノリは逃げることなく、その場で待ち構える。トワは迷わず彼の胸元に飛び込んだ。

 

 ……温かい。触れる。彼の匂いがする。夢じゃない、幻なんかじゃない。紛れもなく、ムネノリ本人だ。ずっとずっと、待っていた温もりだ。

 

 数年ぶりに……涙が出た。目の奥が熱くて熱くて、堪えられない。でも、許して欲しい。それだけ、我慢し続けたのだから。

 

「やっと……全てを終えることができました。拙者、もう王族のムネノリではございません。トワ殿と同じ、ただの平民でございます。……もう、后にはなれませんな」

「ううん、別にいい……! そんなの、どうだっていい……! だって、ムネノリ君がここにいるから……! 側にいてくれるなら、それでいい……!」

 

 后なんて立場、微塵も興味はないし、未練もない。こうして抱き締め合っているだけで、こんなにも幸せなのだから。

 

「もう、どこにも行かない? ずっと、帝国にいられるの?」

「トワ殿がそれを望むのなら」

「もう、絶対に浮気しない……?」

「うぐ……トワ殿、もしやアヤメ殿とのこと、根に持たれてますか。そもそもアヤメ殿は、最初からトキノリのことを……」

「でも、結婚したんだよね? 形だけでも、いかがわしいことだってしたんだよね?」

 

 トワの言葉にムネノリは言葉を詰まらせる。それは肯定を意味していた。トワが唇を尖らせると、ムネノリは慌てて「申し訳ございませぬ!」と己の非を認めた。

 それを聞いたトワはすっ、と頬を緩める。多少の嫉妬はしてたとはいえ、元々怒っていなかったトワはすぐに彼を許した。

 

 ……それからも、2人は抱き合ったまま互いの近況を伝え合う。トワは内戦のことや異変を乗り越えたことを。ムネノリは戦を終わらせ、龍脈が復活したことを。イズモだけでなく東方全土に、再び平穏な時代が訪れようとしているようだった。

 

 もう少しで、完全に日が落ちる。今日は、トワの部屋に泊まってもらおう。ただ、職員室を出る前に1つだけ言いたいことがあった。

 

「ねえ、ムネノリ君。1つだけお願いがあるんだけど、いいかな?」

「1つと言わずいくつでも。拙者にできることであればなんでも叶えましょう」

「そっか、えへへ。じゃあ、1つ目のお願い」

 

 トワはムネノリを見上げる。5年前の別れ際でもそうしたように、彼の瞳を真っ直ぐ見つめる。再会したら、絶対に最初に言おうと決めていた願いを、ようやく口にする。

 

「——トワ殿って呼ばないで」

 

 それを聞いたムネノリはしばらく目を丸くしていた。それはかつて、ヤキモチの末に要求し、結局叶えられなかったこと。当時の言い分を守るのであれば、本来はトワの方から呼び捨てにしなければならない。だが、これはトワの”お願い”なのだ。ムネノリに拒否権はない。

 

 やがてそれを理解したのか、ムネノリは目元を緩めるとしっかりと頷いた。そして静かに口を開き、その2文字を告げる。

 

「——トワ」

「うん…………ムネノリ」

 

 トクン、と胸が心地よく弾む。鼓動が、少しずつ速くなる。もう24なのに、まるで学生時代に戻ったかのように顔が熱くなる。絶対、他の人には見せられない顔をしている。

 

 ……でも、とても幸せだった。待っていてよかった。諦めずに戦い続けてよかった。だって、こんなにも幸せなご褒美が待っていたのだから。

 

 日が落ち、影と暗闇の境界があやふやになる。それらが完全に溶け合ってしまうその直前、身長差のある2つの影は綺麗に重なるのであった。

 

 いつまでも、いつまでも——

 

 

 

 




終わり


お気に入り、感想、評価……ありがとうございました。プロットを作成していたとはいえ、
ここまでコンスタントに投稿できたのはそれらが励みになったおかげです。

番外編などを投稿する可能性がないわけではありませんが、ひとまずここで完結とします。
改めて、ありがとうございました。



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