トワ殿って呼ばないで   作:Washi

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第2話 ムネノリという男(前編)

 妻となって欲しい。そうムネノリに請われたとき、トワはその言葉の意味をすぐには理解できなかった。まだまだ先のことだろうと思っていた類の言葉だったせいか、思考が追いつかなかったのだ。

 しかし幸か不幸か、トワの優秀な頭脳はすぐさまその意味を咀嚼し始めた。

 

 妻……つまりは結婚。王太子と結婚。その結果はイズモの王妃あるいは夫人。場合によっては、将来は王后。帝国の平民から、イズモの王后へジョブチェンジ。ウルトラ玉の輿。

 数珠つなぎのように次から次へと言葉が浮かび、情報が整理されていく。

 

 そしてたった今、自分は他国の王太子からプロポーズされたのだとはっきりと理解した。その瞬間、トワの頭は羞恥と混乱で爆発した。風呂でのぼせたかのように体が火照り、顔が耳の端まで熱くなった。

 

「——え、え、えぇえええええ〜〜〜〜〜〜ッ!?」

 

 おそらくは、これまでの人生の中で最も大きな絶叫だった。告白すらされたこともないのに、いきなり求婚——それも他国の王太子から——されたのだ。免疫のないトワには列車砲の直撃並みの衝撃だった。

 

 入学式があることも、周囲の視線があることも忘れ、なぜ、なぜなのかとクラクラとする頭を全力で空回りさせる。右手からじんわりと伝わるムネノリの体温が胸をドキドキとさせた。

 

「せ、せ、拙者、貴殿の美貌に惚れ申した! 貴殿ほどの麗しい女子を見るのは初めてでございます!! 満開の桜ですら、貴殿の美しさの前では枯れ木同然でございましょう!」

 

 桜……確か東方に生息しているライノに似た木で——ではなく!

 

「そ、そ、そ、そんなことないよッ! そ、それに急に、お、奥さんに、なんて言われても、その……困るよ!!」

 

 あまりのパニックに敬語を使うことも忘れていたが、当のトワはそんなことを気にする余裕すらなかった。自分でもなんて答えたいのか分からぬまま、困惑ばかりが深まった。

 

「どうか、どうかお願い致します!! このムネノリ、一生をかけて貴殿をお守りすることを誓い申し上げます!! ですから、どうか——」

「——そこまでです」

 

 周囲から見ればピンク色に見えていたであろう路上の劇場は、唐突に終わりを告げた。

 

「ごふぅッ!?」

 

 比喩ではなく、空から人が降ってきた。その人影はムネノリの脳天に踵を叩き込み、建物が崩れるような轟音と共に彼の頭を大地に沈めた。トワの手は自由になったが、代わりにムネノリはうつ伏せのまま地面でピクピクと震えていた。

 

「え、えーと……ご無事ですか?」

 

 次々と移り変わる展開になにがなんだか分からなくなるが、とりあえず安否確認だけは行う。それに対して、ほとんど呻き声に近い声でムネノリは返事をする。一応、生きているようだ。

 これは……入学式の会場の前に医務室に連れて行った方がいいのだろうか。

 

「別にこれくらい、いつものことですから心配無用です」

 

 すたっ、と倒れたムネノリの隣に誰かが降り立った。それは、トワと同じくらいの体格の少女だった。浅黒い肌に肩で切り揃えた綺麗な黒髪で、宝石のような深みのある紫の瞳をしていた。

 なによりも特徴的なのが、7分丈の黒いタイツと着物に似た意匠の上着を着ていたことだった。着物と比べて、随分と動きやすそうに見える。明らかに西ゼムリアでは見られない格好だ。彼女が東方出身であることは想像に難くなかった。

 

「トワ・ハーシェル様。兄上が失礼を致しました。兄上に代わってお詫び申し上げます」

 

 深々と、少女は90度近くまで頭を下げた。その丁寧な対応に、トワは慌ててパタパタと両手を体の前で振る。

 

「い、いえ。大丈夫です……えっと、殿下の妹君ということでしょうか」

「はい。シノと申します。この度は兄上の護衛の忍として共に参りました。どうぞよろしくお願いします」

 

 シノと名乗った少女は再びお辞儀をする。忍という言葉に疑問を抱くも、とりあえずはトワもお辞儀を返し、改めて名乗った。

 

「基本的には姿を見せずに護衛をするので顔を合わせる機会は少ないと存じますが、御用がございましたら兄上の近くで名前をお呼びください。ああそれと、既に半ば王族からは外れていますので敬語は不要です。年下ですし」

「じゃあ、シノちゃんって呼ぶね。それで……さっきのことなんだけど」

「兄上の暴走に関しては気にしないでください。女性経験ゼロゆえ、女性の口説き方を存じていないので。そもそも、アプローチをかけること自体初めてですし」

 

 そう言いながら、シノはムネノリの制服の襟首を掴んだ。どこにそんな力があるのか、巨漢のムネノリの上体が軽々と浮き上がった。護衛として選ばれただけはある。

 

「それでは兄上を会場まで運び込みますのでここで失礼します。会場はどちらでしょうか」

「あ、えっと……ここから真っ直ぐあっちの方に進んだ建物だよ」

「了解です。それでは」

 

 会釈をすると、シノはズルズルとムネノリを引きずっていった。自身と同じくらいの体格の少女に、ヴァンダイク学院長に負けず劣らずの体格の男子が引きずられる。その光景はかなり異様だった。体の節々があらぬ方向を向いていたりするが、大丈夫だろうか。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ! その前に荷物を——」

 

 ようやく観客から復帰したジョルジュが、武器を回収するために小走りで2人を追いかけた。その場に残されたのは、トワとリィンの2人だけだった。

 

「えっと……大変ですね」

 

 リィンから飛び出たのは当たり障りのない言葉だった。なんと言葉をかければいいのか分からないのだろう。トワが逆の立場であっても、きっとそうであったに違いない。

 

「うん……ありがとう。その……とりあえず荷物を預かっていいかな?」

「ああ、案内にあった通りですね。長物なので、お気をつけて」

 

 とりあえず、仕事をしよう。そう現実逃避したトワはリィンから荷物を受け取り、その背中を見送るのであった。

 入学式が始まってもいないのに、試運転の際の特別実習のような疲れが両肩にのしかかった。しかも、問題はなに1つ解決していない。

 

 とりあえず分かっているのは、ムネノリから東方のお話を伺う目論見は脆くも崩れ去ったということだけだった。

 

 

 

 

 次の日。トワの周辺の環境は劇的に変化した。

 

 トールズ士官学院に東方の国の王太子が留学生としてやってきたこと。そしてその王太子様が入学式に生徒会長であるトワにプロポーズしたこと。それらの話は瞬く間に広まり、既に学院はその話題で持ちきりとなった。

 

 同じクラスの同級生たちはヒューヒューと盛り上がった様子ではやし立て、廊下を歩けばトワの姿を見た学院生たちがワイワイと小声で話し出す。新入生たちの中には、トワの姿を見ようと教室まで押しかける者もいた。

 

 現に生徒会室に向かっている今も、周囲からヒソヒソ話が聞こえる。チラリと目だけで周囲を見渡すと、無数の好奇心による視線を感じた。少しでも目立たぬよう、顔を伏せながら廊下を歩く。

 

(うう、恥ずかしいなぁ……)

 

 穴があったら入りたいとは、こういうことを言うのかと実感していた。以前、美術館で伯爵の夫人が街中を恥ずかしい格好で歩き回ることを強要されている様子の絵画を見たことがあるが、トワの心境はその夫人とそっくりだった。

 

「と、トワ殿ー!」

 

 ビクリ、とトワの肩が跳ねた。今、一番顔を合わせづらい御方と思しき声が聞こえた。振り向くと、トワの予想通りの人物が立っていた。

 

「殿下。その……お疲れ様です」

 

 案の定、そこにいたのはムネノリだった。ワッ、と周囲がざわめく。周囲の盛り上がりに比例して、トワは顔がどんどん熱くなるのを感じた。

 ……まともにムネノリの顔を見れない。なんと言うべきか、昨日のことがあるので気まずい。

 

「はい! お疲れ様でございます! 昨日は申し訳ございませぬ。トワ殿のあまりの可憐さにこのムネノリ。少々我を忘れてしまいました」

「そ、そうですか……」

 

 ムネノリの言葉に、トワは顔をうつ向かせてしまう。褒められるのが嬉しいというよりは、恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。周囲の反応が気になってしょうがないのだ。

 

「それで、その、なにか御用でしょうか」

 

 手短に話を終わらせてこの場から一刻も早く立ち去りたくて、トワの方から要件を尋ねた。

 

「うむ。実はお詫びも兼ねて、トワ殿にこれをお渡ししたいと思ったのです」

 

 すっ、とムネノリは手に持っているものを差し出した。それは、1輪の赤バラだった。帝国女子であれば必ず知っているであろう、『熱烈な求愛』の花言葉を持つ品種だった。

 

「グランローズ……」

「その通りでございます! 花屋で尋ねたところ、帝国では求愛の証にこのバラを贈る習慣があると聞きました!」

 

 周囲から黄色い歓声が上がった。確かに、グランローズを男子から贈られることは女子にとっての憧れの1つだ。トワだって小さいころ、そういう憧れを抱いたりもした。しかし、今はそれを受け取る気にはなれなかった。

 

 その、なんというか……トワとしては出会ったばかりでお互いのこともよく知らないのに、こんなにグイグイ来られてもどうすればいいのか分からないのだ。

 

「あの、お気持ちは大変嬉しいのですが、その……わたし、まだ進路を決めかねている身でございまして……今はまだ、殿下のお言葉に対して確かなお返事をすることができません。そのような段階でこのようなものをいただくのは……その、些か時期尚早かな、と……」

「うっ、そ、そうでございますか……」

 

 なるべく丁重にトワが断ると、ムネノリは尻尾を垂らした犬のように落ち込んだ。その様子に胸がチクリと痛んだが、前言を撤回するわけにもいかなかった。ただの学生が、いきなり妃になる決断などできないのだ。

 

「……あの、トワ殿。せ、せめてお詫びの証としてだけでも受け取っていただくわけにはいきませぬか。ただの1輪の花としてでよいので」

「ぅ……えっと……」

 

 先ほどと比べると随分と控えめに、再びバラが差し出された。本当はここできっぱりと断るべきなのだろうが、相手が他国の王太子であること、そして1度は断ってしまったがゆえの罪悪感がそれを邪魔する。

 

「そういうことでしたら……頂戴致します」

 

 そして結局、トワは受け取ってしまった。ムネノリは輝く太陽のような満面な笑みを浮かべ、満足そうに帰って行った。

 

 その後、グランローズを持って生徒会室に現れたトワを見た他の生徒会メンバーは、仕事を忘れて大騒ぎするのであった。結局、仕事の進行が1日分遅れた。

 

 次の日、学院では『グランローズ事件』として反響を呼んでいた。

 

 

 

 

 次の事件は『グランローズ事件』の2日後に起こった。再び、ムネノリがトワの前に現れたのだ。昼休みにトワが中庭で昼食をとり終えたときのことだった。今度は、手元に本を持っていた。相当読み込んだのか、かなりの数の付箋が貼られていた。

 

「どうかされましたか」

「うむ。えっと…………少々お待ちくだされ」

 

 しばらく言い淀んだあと、ムネノリは手に持っていた本を開いた。おそらく、暗記していた内容を忘れたので急いで確認しているのだろう。

 

 待っている間、トワはこっそりとその背表紙に目を向ける。背表紙には、『ヒツジンでも分かる、必勝求愛マニュアル!』と書かれていた。

 

(えーっと……)

 

 ……突っ込みたいことが瞬時に100個ほど浮かんだ。アプローチする相手の前で恋愛本を開くのはどうなのだとか、そんなタイトルの本を本当に読み込んだのかとか、もっとマシなタイトルの本はなかったのかとか……とにかく枚挙に暇がなかった。

 

 付箋の数からして真剣なのは伝わる。しかし女子側のトワとしてはどうしても複雑な気分だ。仮に百年の恋であっても、冷凍庫に入れたコーヒーのように冷めてしまうのではないだろうか。

 

「おお、あった、これでござる! ごほん……その、トワ殿」

「はい、なんでしょう?」

「——月が綺麗でございますな!」

 

 ………………10秒ほど、沈黙が流れた。トワの頭の中で、ムネノリの言葉が反響する。その言葉の意味を考えるが、答えは出なかった。

 

 ヒツジンでも分かるとのことだが、少なくともトワには全く分からなかった。もしかして自分はヒツジン以下なのだろうか。

 ムネノリの顔を見ると、どうですかと言いたげに自信に満ち溢れていた。どうやら、相当悩み抜いた末にこの言葉を選んだようだ。トワは意味を理解できなかったが。

 

 トワは空を見上げてみる。雲1つない見事な快晴だった。

 

「……その、月はまだ出てませんけど」

「ぇ……あ、そ、そうでございましたな! これは失敬!」

 

 ようやく自らのミスに気づいたのか、ムネノリは慌てて謝罪したあとに必死の形相で他のページを確認し始めた。そもそも何故、昼休みを選んだのだろうか。

 

 その後もムネノリは本からいくつかの言葉を抜粋するが、どれもトンチンカンな内容だった。居た堪れなくて、まずその本を使うのを止めるべきなんじゃないかと言い出すか迷ったが、立場上なんとなく言い出せなかった。

 

 結局、半ば暴走状態と化したムネノリは再びシノに沈められて教室に連行された。電光石火の早業だった。

 

 そして一部始終を誰かが見ていたのか、次の日には『満月快晴事件』として学院中に知れ渡っていた。

 

 

 

 

 それ以降も、ムネノリのアプローチは続いた。所構わず声をかけてくるものなので、必然的に周囲の注目を集め続けた。そして結果的にそれらが新しいニュースとして学院に投下される為、求婚騒ぎの話題はいつまで経っても色褪せず、沈静化する気配はなかった。

 

 入学式から既に2週間。今となっては、心休まる場所は寮の自室と技術棟だけだった。

 今はその数少ないオアシスである技術棟で、かつての試運転を共にした仲間であり、親友でもある3人とお茶をしていた。

 

「ふふ、それにしても随分と情熱的なアプローチを受けているじゃないかトワ。惜しむらくは、入学式の決定的な瞬間に立ち会えなかったことだね」

 

 親友の1人、アンゼリカは心底愉快そうにカップを傾ける。体のラインに沿った革製のスーツを纏った上で足を組むという、四大名門のご息女にあるまじき所作だが、不思議と優雅さは損なわれていなかった。

 

「むぅ、アンちゃんだって実家のお見合い話断っている癖に」

「それはそれ、これはこれさ。それに半端者にトワを任せるつもりは毛頭ないが、彼ならば問題ないだろうしね。入学時の座学は4位。それになんでも、模擬戦であのラウラ君と引き分けたそうじゃないか」

 

 そう、そうなのだ。言い方は悪いかもしれないが、もしムネノリが帝国の悪徳貴族のような人物であったのならば、とっくにきっぱりと求婚を断っていただろう。それがたとえ異国の王太子という身分であったとしても。しかし、実際はその真逆なのだ。

 

 剣の達人を祖に持つムネノリの剣の腕は同世代では断トツで、同じく学年最強と目されていた《光の剣匠》のご息女であるラウラ・S・アルゼイドとの模擬戦で引き分けとなる激戦を繰り広げたらしいのだ。

 実際に目撃したわけではないが、教官のサラ・ヴァレスタインがそう言っていたのだから間違いないだろう。

 

 次に、座学だ。王族として相当な英才教育を受けていたのか、入学時の成績はエマ・ミルスティン、マキアス・レーグニッツ、ユーシス・アルバレアに次ぐ4位だった。

 授業では導力学や歴史、文学系など帝国固有の範囲で苦労しているようだが、全体的には優秀な部類だ。

 

 それでいて、人格者でもある。なんでも、現在は一学生の身であるから特別扱いは不要だと公言しており、タメ口だろうと全く気にしていないそうだ。少なくとも、己の身分を笠に着ているような話は聞かない。

 実際、トワも1度は敬語は不要だと言われたことがあった。しかし、イマイチ距離感が掴めないでいるのと、生徒会長という立場もあって敬語を続けている。

 

 とにかく、総合的に見れば好感の持てる人物なのは間違いない。ついでに王族なので財力もあるだろう。強いて言うのならば、恋愛のアプローチの拙さが弱点だ。アンゼリカが認めるのも不思議ではない。そしてだからこそ、困るのだ。

 別に優良物件として確保しておきたいという打算的な発想は、女神に誓って存在しない。単純に、悪い人ではないと分かっているからこそ、強く拒絶しようにも良心が邪魔するのだ。

 

「というかよ、なにが不満なんだよ? マジもんの玉の輿じゃねぇか」

 

 以前生徒会室でトワのことをからかったクロウが問う。ちなみに数日前、トワとムネノリが上手くいくかどうかの賭けごと(もちろん、ミラを賭けてたわけじゃない)の胴元をやっていたのを見つけたので、捕まえて説教したばかりだ。

 

「不満というか、悪い御方じゃないのは分かるけど……いきなり奥さんになってくださいーって、言われても困っちゃうよ……」

「僕も見てたけど、本当に出会った直後に求婚されてたもんね。そりゃ、困るだろうさ」

 

 唯一の目撃者であるジョルジュがフォローを入れてくれた。彼は中立の立場だが、どちらかというとトワ寄りだ。

 

「それに、もし仮にお受けしたらイズモの王妃か夫人でしょ? なんていうのかな、私みたいな平民がいきなりそんな立場になるのはイズモの人たちに申し訳ない気がするし……」

「トワの器量なら問題ないだろうがね。確かに、いきなり東方の異国に嫁ぐともなれば不安になるのも無理はないかな。そんな風に迷うトワも健気で愛しいがね」

 

 アンゼリカが納得した風に頷く。もっとも、彼女は本気で結婚に賛成しているわけではなく、単に面白がっているだけだろう。ムネノリを認めているのは本当だろうが。

 

「ま、こんなちっこい王妃様が来てもイズモの連中も困るだけだろうしな」

「いや、別に体の大きさは関係ないと思うけど」

 

 ジョルジュが呆れた様子でクロウに突っ込む。

 

「むしろ、君みたいな男が婿入りする方が迷惑がられるんじゃないかい? ギャンブルで国庫を使い果たしそうだ」

「……言っておくけどなゼリカ。俺はミラを使ったギャンブルは1度もやったことねぇからな。ていうか、お前に嫁がれるのだって似たようなもんだろ。女ばっかに構ってたら、世継ぎができなくなっちまうだろ」

「いやいや、私だって四大名門の娘だ。女としての最低限の義務は果たすさ。もっとも、それとは別に楽しませてもらうのも確かだが」

「よりタチが悪いんだよ!」

「あはは、まあまあ」

 

 クロウの皮肉にジョルジュが突っ込み、アンゼリカが皮肉を返し、クロウがそれに応じ、ヒートアップしたところでトワがなだめる。これが4人の日常だ。

 やっぱり、この4人でいるときは落ち着く。トワが大変なときでも、こうして普段通りでいてくれることがなによりも嬉しかった。

 

 トワは技術棟にいる間、ひたすら笑い続け、たっぷりと心身をリフレッシュさせるのであった。

 

 

 

 

 入学式から3週間くらいが経とうとしていたある日の放課後、トワは調べ物の為に図書室へと来ていた。何人かの学院生がトワを見るが、少なくともヒソヒソ話をすることはなかった。図書室だからだろう。トワは幾分か緊張が和らぐのを感じた。

 

 目当ての本がある本棚を求めて、2階に上がる。図書室は何度も利用している為、おおよその配置は把握している。

 背表紙のタイトルを確認しつつ、必要な本をピックアップしていく。パラパラと内容を確認しながら取捨選択していた為、それなりに時間を要した。

 

(うん、これで大丈夫かな)

 

 数冊の本を抱えたトワは、落とさないように注意しつつ階段を降りようとする。しかし、踊り場に差し掛かったところで思わず足を止めてしまった。

 

(で、殿下だ……)

 

 1階の読書用のテーブルに、読書をしているムネノリがいた。図書室に入ったときにはいなかったので、きっとトワが本を選んでいる間に来たのだろう。

 

(うぅ……どうしよう)

 

 トワはムネノリからは見えづらい場所に身を隠しながら、その様子を伺う。本を持ち出すには1階の受付で貸し出し手続きが必要なのだが、ムネノリはそのすぐ近くに陣取っているのだ。今は読書に集中しているようだが、手続き中に気づかれてしまうかもしれない。

 

 いや、別に声をかけられるのは構わないのだ。元々、ムネノリと話したかったのはトワも同じだ。ただ、アプローチされてしまうのが困るのだ。度重なるアプローチのせいか、トワはムネノリへの苦手意識が芽生えていた。

 

 ムネノリが図書室を去るまで待つ? しかし、まだ生徒会の仕事が残っているのに時間を無駄にしたくない。それに、相当な数の本をテーブルに置いている。当分去りそうにない。

 

(でも、あんなに本を積まれてるなんて、勉強熱心だなあ。……なんの本を読まれてるんだろ?)

 

 打開策が見出せずにいたせいか、トワも勉強熱心な気質なせいか、ふとした拍子にムネノリが読んでいる本の内容が気になってしまった。

 2階を移動し、ムネノリの頭上に立つ。吹き抜けとなっている為、上からでも見えるのだ。チラリと積まれている本の背表紙に目をやる。すると、意外なラインナップだった。

 

(精霊信仰、魔女の伝承……それと、農学? なんの関係が……)

 

「——イズモの為です、トワ様」

「ッ!?」

 

 本のタイトルに気を取られていたら、突然横から小声で声をかけられた。びっくりして大声を上げそうになったが、それを見越したかのように口が誰かの手のひらで覆われた。

 

「驚かせて申し訳ございません。シノです」

 

 横にいたのはムネノリの妹のシノだった。立てた人差し指を唇に当てて、静かにするようトワに促していた。

 返事ができないトワは、代わりに頷く。するとシノはトワを解放した。自由になったトワは、同じく小声で応じる。

 

「ありがとう、シノちゃん。えっと、一体どこに? さっきまで、全然見かけなかったのに」

「それはまあ、私、忍者ですから」

「そ、そうなんだ……」

 

 その忍者とやらがなんなのかはよく分からないが、それ以上は聞けなさそうな雰囲気だった。

 2人は少しばかりムネノリから離れた場所に移動すると、小声で話を再開した。

 

「それで、イズモの為って?」

 

 トワはシノに問う。そういえば、なぜトワの考えていることが分かったのかを聞こうとして……止めておいた。また「忍者ですから」で済まされそうな気がしたからだ。

 

「……トワ様は、東方の現状をどの程度ご存知ですか」

「え、うーん……最近は東方からの移民が多くなってきた、というのは知ってるけど……」

 

 その移民の増加の背景に経済の悪化などが思い至ったが確証はない。つまり、トワも多くは知らないのだ。

 

「では、東方の一部の地域で砂漠化や干ばつが進行しているというお話は?」

「……え?」

 

 寝耳に水だった。そんな話、聞いたこともなかった。

 

「数十年前と比べて、多くの地域が居住に適さなくなっているそうです。実際、数十年前には存在したいくつかの小国は消滅して他の国に併合されています」

 

 つまり、移民が増加している理由は東方で人が住める場所が減っているから、ということらしい。想像していた以上に深刻そうな事情に、本を抱えている腕に力が入った。

 

「……幸い、イズモではまだその現象は確認されていません。しかしここ数年、イズモでの収穫量は減少傾向です。おそらくは無関係ではないでしょう。今はまだ無視できる範囲ですが、20年後、30年後にはどうなっているか分かりません」

 

 シノは一瞬ムネノリに視線を向けると、話を続ける。

 

「理に至った達人方は口を揃えて龍脈の枯渇が原因なのでは推測しています。私はまだその域に至っていないので感じ取ることはできませんでしたが、なにか霊力的な力が関係しているということだと思います」

「霊力……それは、導力とはまた違うのかな?」

 

 導力社会でずっと暮らしていた身だからか、トワには霊力というものがどういうものなのかピンと来なかった。東方武術である泰斗流を修めたアンゼリカであればなにか知っていたかもしれない。

 

「分かりません。ただ、導力は地中から掘り出すことができる七耀石からもたらされるエネルギーで、エネルギーを使い果たしても自然と回復します。ですが、無から有が生ずるとは考えづらいと兄上は仰っていました。それが龍脈や霊力となにか関係があるのではないかとお考えです——だからこそ、兄上はイズモを守る手立てを求めて帝国を留学先に選ばれたのです」

 

 シノ曰く、決め手となったのは導力技術、農業技術、そして各地に残る精霊信仰だったそうだ。

 エレボニア帝国は西ゼムリアにおいてあらゆる分野の最先端を行く大国である。その大国で得られる導力技術の中に、何かしらの手がかりがあるかもしれない。農業についても同様で、東方には存在しない画期的な農法があるかもしれない。

 また、帝国各地には女神信仰とは別の精霊信仰が多数残っている。他にも魔女の伝承など、暗黒時代や中世に存在したと言われる錬金術や魔術に関する手がかりも多い。

 

 ムネノリはそれらは霊力となにかしら関係があったのではないかと睨んでおり、それを調べようとしている。

 最先端の技術の学習と、霊力に関する解明。それらを同時に進めるには、エレボニア帝国が適していたということらしい。最高峰の導力技術を持ち、長い歴史を持つリベール王国も候補に上がったそうだが、調べられる国土の広さを考えて帝国に決めたようだ。

 

「……そういう訳で、まだ比較的自由である王太子の身である内に留学を決意されたのです」

「そう、だったんだ。……ごめんね、もっとちゃんと東方のことを調べてれば、砂漠化のことくらいは分かっていたかもしれないのに」

 

 トワは、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。入学式の前は、しっかりムネノリをサポートしないといけないと思っていた筈なのに、ムネノリたち東方の人間が抱えている事情を全然分かっていなかった。東方からの留学生という言葉に、自身も浮かれていたのかもしれない。

 

「気にしないでください。少なくとも今のイズモは平和そのものですし、それはそれとして兄上も最後の自由だと言わんばかりに学院生活を満喫する気満々ですから。現に今、トワ様に熱を上げておられますし」

 

 ジトーという効果音が聞こえそうな半目でシノはムネノリを睨んでいた。それに対し、トワは「あはは」と苦笑を返すしかなかった。シノのフォローのおかげで、少し元気が出た。

 

「教えてくれてありがとう、シノちゃん。でも、なんでわたしにそんな話を……?」

 

 確かにきっかけはトワが疑問に思ったことだったが、まだ出会ってそれほど経っていない自分にここまで詳しく事情を説明してよいのだろうかとも思った。

 

「……トワ様に、兄上のことを誤解されたくなかったのです」

「誤解?」

「別に兄上がトワ様に熱を上げようと、結果的にトワ様がお断りすることになっても構いません。ですが、兄上が異国の地で色恋に現を抜かしたいが為だけに留学したとは思われたくなかったのです。私は心の底から、兄上の王族としての振る舞いを尊敬していますので」

「あ……」

 

 胸にストンと落ちるように全ての点が繋がった。確かに、もし自分が叔母や叔父、従兄弟のカイのことを誰かに悪い風に誤解されていたら、誤解を解こうとするだろう。それと同じことだったのだ。

 

「兄上の迫り方は控えめに見ても最悪だと思いますし、行き過ぎてるようでしたら前みたいに私が諌めます。ですので……あまり嫌いにならないでいただけると、その、嬉しいです……」

 

 最後の最後で恥ずかしくなったのか、シノは淡く頰を赤らめて明後日の方向を向いてしまった。きっと兄の為に、精一杯勇気を出したのだろう。不覚にも、トワはその仕草が可愛らしいと思った。

 

「……うん、ありがとう」

 

 トワは改めて、お礼を言った。すると、シノは軽く会釈だけして忽然と姿を消した。

 

 トワは、視線をムネノリに向ける……いや、向けようとした。

 

(……あれ? もういらっしゃらない……)

 

 長話が過ぎたのか、ムネノリの姿はもうなかった。おそらく、軽く本の内容に目を通したあと、必要な本だけを借りて行ったのだろう。

 

(……少し、お話できればと思ったけど)

 

 元々、ムネノリに悪い感情は抱いていなかった。無論、悪い人だとも思ってなかった。でも、少し……ほんの少しばかり、迷惑だな……と思っていたのも紛れもない本心だった。

 

 求婚をお受けする訳にもいかず、かと言って邪険にすることもできない。そんな板挟みの中で続くムネノリのアプローチとそれに関連する学院の姦しい声に、少しばかり心労が溜まってしまったのも事実だ。先ほどムネノリを避けようとしてたのも、結局はそれが原因だ。

 

 だが、トワが思っていた以上に高潔な御方であることを今、知った。それと、東方の現状も。

 

(……わたしも、わたしなりに調べてみようかな)

 

 アプローチのことはさておき、ムネノリの留学の背景を知って黙っていられるほどトワは冷たい人間ではない。むしろ、周囲から呆れられるほどのお人好しだ。是非とも、力になりたいと思った。

 

(ああでも、調査は明日……ううん、明後日くらいからかな。まだまだやらないといけないことがあるし)

 

 決意をしたはいいが、今のトワは生徒会長。会長としてこなすべき仕事がどっさりとある。明後日までは他のことに構っている余裕はなさそうだった。

 

 とにかく今はやるべきことを片付けよう。そう決めたトワは、貸し出し手続きを済ませて生徒会室に戻った。今でも周囲からの関心は絶えなかったが、図書室に入る前までよりは気にならなかった。

 

 

 

 

 

 

 ——ところが次の日、問題が起こった。早朝、トワがベッドから起き上がったときのことだった。

(うっ……頭、痛い……)

 ズキズキと痛む頭、焼けるように熱い喉。そして体温計が指し示した『38.4』という数字。疑いようもなく、トワは風邪をひいてしまっていた。

 

 

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