5月の自由行動日。その早朝。シノはムネノリと共にトリスタの駅へと向かっていた。トワの誘いで、帝都へと出かけることとなった為だ。
服装はいつもの護衛用の軽装ではない。柄のついた、紅紫が基調の袴を穿いている。イズモの女学生に化ける為の服なのでそれほど上等なものではないのだが、かろうじて私服と呼べそうなものがこれしかなかったのだ。履物も、草履ではなくブーツにした。
ちなみにムネノリはトリスタのブティックで西ゼムリアの服をいくつか見繕ったらしく、チノパンにボーダーシャツにジャケットと、かなりかっこつけていた。
普段は隠れながらムネノリの姿を追うのだが、今日に限っては肩を並べて一緒に歩いている。このような形で歩くのは随分久しぶりだった。
「あの、兄上。本当に私も一緒でよろしいのですか。兄上も、トワ様と2人っきりの方がよいのでは?」
こうして姿を隠していないのは、ムネノリとトワの要望だ。3人で遊びに行くのだからシノも隠れてはいけない。トワはシノを誘った日、そう言った。
だが、トワはムネノリが妃にと望んでいる相手だ。ならばせっかくの自由行動日、2人で過ごせるように配慮するのがムネノリの妹であり、護衛の自分の役目なのではと思う。
ところが、ムネノリは間を置かずに首を横に振ると、口元を緩めた。
「よいのだ。思えばシノが正式に忍になってから、ずっと苦労をかけっぱなしでござったからな。偶には任務を忘れて羽を伸ばすのもよいだろう」
「……御意」
……シノは分かっている。ムネノリに、そしてトワに、気を遣われていることくらい。それくらいしか、トワがシノを誘う理由がない。
やはり、謝らなければ。幸いというべきか、今日は1日中トワと一緒だ。機会はいくらでもある筈だ。
そうこうしている内に、駅が見えてきた。約束の時間の30分前だ。イズモの人間は時間にうるさいので、これくらい早く来るのが普通だ。少なくとも、遅いということはあるまい。
ところが、シノの予想を裏切って駅の入り口には既に先客がいた。その先客はシノたちに気づくと大きく手を振った。
「2人ともおはよう! えへへ、いいお天気だねー!」
トワだった。顔を輝かせながら大きな声でシノたちを呼んだ。まだ少し距離があったので、シノとムネノリは会釈でそれに応える。そして距離が詰まってから、再度挨拶をする。
「おはようございます、トワ殿。まさかこんなにも早くいらっしゃるとは思いませんでした」
「そんなこと言ったらムネノリ君たちもそうだよ。私もさっき着いたばっかりだったから、びっくりしちゃった」
屈託のない眩しい笑顔を浮かべるトワ。周りの者まで笑顔にしてしまう明るさだ。兄のムネノリが惹かれるのも納得である。
シノ個人としても、トワという人物には好感を持てる。王である父が納得するかは別にして、ムネノリの相手としてもふさわしいだろう。
……なのに、なぜだろう。なんで、トワを見ているとこんなにも胸がモヤモヤするのだろう。曇った窓ガラスのように、自分の心が分からない。己の感情を御するのは、忍としての基本なのに。
そうやってトワのことをジロジロ見ていると、トワがそのことに気づく。トワは、シノの方へと向き直る。
「どうしたのシノちゃん……って、わあ……! シノちゃん、その服、可愛い〜! それってイズモの私服なの?」
トワは両手を合わせ、目を星々のように光らせた。あまりの勢いの強さに、シノは思わずたじろいだ。
「は、はい。これはイズモの女学生の格好で、…………? そういえば、トワ様も今日は私服なのですね」
膝下くらいの丈の白いスカートにチェック柄のシャツ、そしてその上にベージュの上着を着ている。髪を結ぶリボンも、いつもの単色ではなく色柄のついた鮮やかなものだ。全体的に、普段よりも少々大人っぽさを感じさせる装いだった。身長は変わってないが。
「えへへ、そうなんだ。立場もあるから最後まで制服とどっちにするか迷ったんだけど、今日だけは学院のことは忘れようって思って。えっと、どうかな?」
「ええ、よくお似合いだと——」
「女神に勝るとも劣らない御姿でございます!」
またムネノリの発作が始まった。一々シノの言葉を遮らないと気が済まないのだろうか。
「…………」
また、胸の内から嫌な感情が湧く。妹の前なのに、なんでそんなにそっちばかり……。
「……ムネノリ君」
「——ぁ。あーいやー、その、よくお似合いでございます」
「え……」
なんと、トワが一声かけた瞬間、ムネノリの発作はあっという間に治まった。シノですら蹴り飛ばさないと止められないのに、トワはたったの一言で止めてしまった。思わず、感心してしまう。
「うん、ありがとう。シノちゃんの服も可愛いよね?」
「う、うむ! シノの髪の色ともよく合っておる。忍の道を選んでなければ、今ごろ毎日のようにそのような服を着てたのでござろうなあー!」
突然シノのことを褒め称えるムネノリ。さっきまで気づいた素振りすらなかったのに、調子のよいことだ。基本、男というのは気が利かない生物なのだ。忍の訓練の座学で、そう教わった。
「……そうですか。ありがとうございます」
ただ、悪い気分ではなかった。むしろ、いい気分だ。胸のモヤモヤもどっかに行ってしまった。我ながら、単純だとは思う。
「ふふ。少し早いけど、そろそろ出発しようか。帝都に着くころには、お店も開き始めると思うし」
年長者のトワがきっちりと話を纏めると、出発を促した。3人はチケットを購入し、帝都に向けて発つのであった。
*
入学式のときは、まずはカルバード共和国に入り、クロスベル自治州経由の鉄道で直接トリスタまで向かったので、帝都は鉄道の窓越しからしか見ることができなかった。
それでも、赤煉瓦で統一された巨大な街の風景は、イズモの街しか知らなかったシノの心に深く刺さったものだ。それはムネノリも同じだろう。
そして、今はその巨大な街のど真ん中に立っていた。帝都ヘイムダルの中央駅に降り立ったシノは、目の前の光景に圧倒されていた。
「……すごい」
どこを見ても赤煉瓦、あるいは石積みの建物。道は丁寧に舗装され、歩道は全面に綺麗な模様が描かれている。中央の巨大な花壇を始めとして所々に花が咲いており、規則的に並べられた街灯と合わせてよいアクセントとなっている。
少し先には導力車が数台停まっていて、その更に先の大通りでは何台もの導力車が道を行き交っていた。人の行き交いもかなり多い。
まさしく赤煉瓦の迷宮。そう形容するにふさわしい、西ゼムリア最大の規模を誇る大都市だった。
「えへへ。ようこそ、《緋の帝都》ヘイムダルへ。と言っても、ここはまだ駅前だけどね」
トワが2人の前に躍り出ると、両手を大きく広げて見せる。その様子は、どこか誇らしげだ。
「入学式の際も窓から見ておりましたが、実際に近くで見ると迫力が違いますな。絵画の世界に迷い込んだかのようでございます」
ムネノリの称賛に、シノも今回ばかりは同意する。こくりと頷いた。
「よかったあ。実はわたし、帝都育ちなんだ。だから案内はどーんと任せてね!」
トワは胸を張り、その上に己の手のひらを乗せる。起伏は乏しいが、頼もしさはしっかりと伝わった。
「よろしくお願い致します、トワ殿。それで、まずはどこに向かいましょうか」
「やっぱり最初はヴァンクール大通りかなあ。ここから真っ直ぐ進んで行くと、たくさんのお店が並んでる大通りがあるんだ。あ、そうそう! 帝都での移動にはあの導力トラムを使うんだよ!」
トワが指差した先には、鉄道の車両より何回りか小さい箱型の乗り物があった。箱の窓越しに、何人かが乗っているのが分かる。
「あれは、もしや小さな鉄道のようなものでございますか」
「うん。帝都民の基本的な移動手段みたいなものかな。あれに乗れば、帝都のどこにでも行けるの」
「さ、行こう」とトワはシノたちを先導する。シノたちはそれに続き、導力トラムに乗ってヴァンクール大通りへと向かった。
*
ヴァンクール大通りは、駅前の光景のスケールをそのまま数倍に拡大したような場所だった。
より巨大な建物の数々、数倍の交通量、そして数倍の人。帝都が初めてのシノでも、ここが帝都の大動脈にあたると簡単に理解できた。
「おお、ここがヴァンクール大通りでございますか。……ん? あちらに見えるのは、もしやバルフレイム宮でしょうか」
「うん、そうだよ。近くに広場があるから、あとでそっちにも行こうね」
ムネノリとトワが会話をしている中、シノは周囲の様子を観察する。警戒と呼んでもいいかもしれない。護衛という役職上、自然とそうなってしまうのだ。
シノは周囲を観察して得られた情報を分析する。
(……やっぱり、注目されてる。主に私が)
3人の近くを通り過ぎようとする人々が奇異の視線をシノに向けている。原因は、この東方の服装だろう。
周囲でシノと同じような格好をしている者は1人もいない。当然だ。ここは西ゼムリアの最西端。東方文化とは最も縁のないエレボニア帝国の首都なのだから。
「……? どうしたの、シノちゃん」
「いえ……この服が、余計な注目を集めているみたいです」
「あー、そっかあ。珍しいもんね、シノちゃんの服。可愛いと思うんだけどなあ……」
「……やっぱり、私は隠れてます。私が一緒では、目立ち過ぎて街を歩きにくいと思います」
それに、事前に仕入れた知識が正しければ、エレボニア帝国とカルバード共和国は様々な権益を巡って対立している。そして共和国では、東方文化が浸透しているのをこの目ではっきりと見た。
このままだともしかしたら、共和国の人間と間違われて問題が起きるかもしれない。
「わわ、それはダメだよ! 今日は3人で遊びに来てるんだから! シノちゃんも一緒にいないと」
「ですが、この服では……」
「服……あ、そうだ!」
なにか思いついたのか、トワはシノの手を取ると急に歩き出した。それも、そこそこの早歩きで。虚を突かれたシノは引っ張られるようにして付いて行く。その後ろに、ムネノリが続いた。
「あの、一体どちらへ?」
「ブティック! 《ル・サージュ》っていう、有名なお店の本店があるんだ」
シノを引っ張りながら、トワは顔だけをこちらに向けた。
「服が目立つなら、目立たない服に着替えればいいんだよ」
*
「あ、これ可愛いー。どうかな、ムネノリ君?」
「うむ。よいと思いますぞ」
「むー、ムネノリ君さっきからそればっかり。それだけじゃ分からないよ」
「し、しかし……本当にそう思っているのでございます。こればかりはなんとも……」
トワが店内に膨大に並べられている服の中から見繕い、ムネノリに確認する。それを繰り返しながら、トワはその手に少しずつ服を増やしていった。
その間、シノは2人の後ろを付いて歩くだけだった。自分の為の服選びの筈なのに、どうにも口出しできそうな雰囲気ではなかった。
店内を見渡す。服、服、服。服ばかりだ。王族出身のシノにとって、服は買うものではなく用意されているものだった。忍となってからも、服はあくまで支給されるものだった。この女学生の格好も、変装用に支給されたものだ。
だから、こうして服だけが並んでいる店というのは、なんだか見ていて不思議だった。近くのハンガーラックに目をやる。いくつかの種類のトップスがサイズ別にかけられている。
なんとなく、その内の1着を手に取ってみた。名札を確認すると、レース付きの白ブラウスと赤のカーディガンと記されていた。
「あー! シノちゃんが持ってるの、すごい可愛いー!」
「え……あ、いえ、別にそういうつもりではなく……」
店内を1回りしたのか、トワがシノのもとに戻ってきた。小走りで駆け寄ってシノが手に持っている服を確認すると、顔を綻ばせる。
「でも、絶対似合うと思うよ! ね、ね、そろそろ試着してみない? ほら、色々選んでみたんだ」
トワはその手に持っている服をいくつか広げて見せる。どれもこれも、シノは初めて見るデザインの服だった。
「しかし……」
「着てみるだけだから! ほら、こっちだよ!」
微かな抵抗も虚しく、トワに再び連れ去られてしまった。この店に入ってから、なんだかトワのテンションが妙に高い気がする。
試着室に連れられたシノは、トワからいくつかの服を押し付けられ、カーテンをかけられてしまった。全ての服を試着するまでは、ここから出してはくれないだろう。
(……仕方ない)
どうせ街を歩くために1着は購入しなければならないのだ。観念したシノは、穿いている袴の帯を解き始めた。
*
「うんうん。とてもよく似合ってるよ、シノちゃん!」
「……さっきも同じようなことを仰っていたと思うのですが」
「だって、本当に似合ってるんだよ!」
着替えたシノを見てはしゃぐトワの横で、ムネノリが複雑な顔でトワを見ていた。多分、服を選んでいたときのやりとりを思い出しているのだろう。女はときに理不尽なものだ。座学でそう習った。
ちなみに、今着ているのは自分が手に取っていた服だ。ボトムスには花柄のショートパンツを合わせてもらい、ついでにキャスケットという帽子まで頭に乗せられた。
鏡で自分の姿を確認する。東方出身の自分に西ゼムリアの服はどうなのだろうかと思っていたが、案外悪くない。この服装ならば目立つことはなさそうだった。
再度別の服に着替えるのも面倒だし、とりあえずはこれでいいだろう。帝国民に変装する為の服が必要だったと本国に申請すれば、公費で落ちる筈だ。
「うーんと……じゃあ、これと、さっきのあれと、あれでいいかな」
「……? なにを……」
シノの呟きが届く前に、トワは「すみませーん!」と店員を呼んでしまった。
「はい、いかがなさいましたか」
「えっと、今この子が着ているものと、これと、これのお会計をお願いします」
「はい、かしこまりました」
「え、え……?」
とんとん拍子で話が進む。まるで、トワが会計を済ませるつもりのような口ぶりだ。
「お、お待ちくださいトワ様。まさかトワ様がお支払いをされるつもりですか」
「うん、そうだよ? あ、大丈夫。ミラは多めに持ってきてるから」
「そうではなく! 任務に必要だと申請すれば公費で落ちます。トワ様がご負担される必要は……」
かなり久しぶりに声を荒げてしまう。そこまでしてもらう訳にはいかないし、そこまでする理由が分からない。機嫌を取ろうとしているつもりなら、余計なお世話だ。そう言おうとして——。
「うーん、そういうんじゃなくて、わたしとしては仕事の為の服じゃなくて、シノちゃんが着る為の服をプレゼントしたいんだけど、ダメかな?」
「ぇ……」
心がさざ波のように揺れ、口ごもる。かなりの不意打ちだった。
忍としてではなく、自分が着る為の服。そんなこと、考えもしなかった。それに、トワはシノに服を贈りたいと言った。その言葉に、嘘は感じられなかった。
「……しかし、さすがに全額は」
「——ならば、拙者も半分出そう」
そう申し出たのは、ムネノリだった。その提案にはトワも驚いたのか、両眉を上げていた。
「さすれば、これらはトワ殿と拙者からの贈り物ということになる。偶には兄らしいこともしてあげたいゆえな」
「兄上……」
兄として。その言葉は、無自覚ながらも兄に対して淋しさを感じていたシノの心を熱く満たした。
服を貰って嬉しいのかは……よく分からない。だが、ムネノリからの贈り物であれば、なんであれ嬉しいと思ってしまう。
「………………本当に、よいのですか」
最後の確認。それに対し、ムネノリとトワは迷わず頷いた。シノは、深々と頭を下げた。
*
ブティックを出たあと、シノたちは午前中の残りの時間を百貨店に費やし、そこで昼食も済ませた。しばらく休憩を取ってから、3人はドライケルス広場へとやって来た。
バルフレイム宮の、神々しさすら感じさせるその佇まいに圧倒されながら、シノはトワと共にゆっくりと広場を歩き回る。
ちなみにムネノリは2人から離れ、憲兵に止められないギリギリの場所でバルフレイム宮を眺めていた。身元を明かせば入れる可能性が万分の一くらいはあるだろうが、そのつもりはないようだ。
広場にはいくつかの屋台が立っており、軽食や飲み物などを販売していた。故郷のイズモでも屋台は数多くあった。まだ離れて1ヶ月半だが、なんだか懐かしい気分だ。
そう思っていると、ある屋台が目に入った。
「あ……」
「どうしたの、シノちゃん」
「いえ、なんでも……」
少し先に、《レイトン》という屋台があった。クレープという食べ物を売っているらしい。べったら焼きのような生地で、クリームや果物を包んでいた。とても、いい匂いがする。
ただ、クレープを食べたいとは言い出せなかった。食べてみたいことを知られるのもそうだし、その為にしばらく待たせてしまうのも嫌だと思った。
非常に、非常に名残惜しいが、諦めるしかない。シノはそのまま屋台をやり過ごそうとして……。
「あ! ここのクレープ、すごく美味しいんだよ。シノちゃん、一緒に食べない?」
トワがシノを引き止めた。彼女の口からもたらされた素晴らしい提案に、シノは光の速さで喰いついた。
「…………別に、構いませんが」
そう、トワが食べたいのだから仕方なくだ。仕方なく、一緒に食べるだけ。それだけだ。それはそれとして、早く食べたい。
「よかった。えっと、色々な味があるんだけど、シノちゃんはどれを食べる? 分からない食べ物の名前があったら言ってね」
シノは屋台に置かれたメニューを凝視する。バナナ、バナナチョコ、イチゴ、3種のベリー……色々あって悩んでしまう。
最初なので、おすすめと銘打たれているものがよいだろうか。そうなると、バナナチョコとイチゴになる。だが、昼食後なのに2つも食べられるだろうか。ミラも、そんなに余裕はない。
「うう……」
どっちだ。どちらにする。メニューの写真を見比べる。だが、決められない。このままではトワを永遠に待たせてしまう。早急に決めないといけない。なのに、シノの視線はイチゴとバナナチョコを行ったり来たりしてしまう。
頭が沸騰しそうだ。止むを得ないが、クジかなにかで決めるしかない。そう思ったとき、トワが口を開いた。
「……ねえ、シノちゃん。わたしはイチゴにしようと思うんだけど、よかったら食べ比べしてみない? 色んな味が食べたいなって思っちゃって」
「え……」
トワから発せられた衝撃の言葉に、シノの動きが止まる。それは、つまり……シノがバナナチョコを買えばどちらも食べることができるということだ。すばらしい。
またもやシノは光の速さで喰いついた。
「はい。とてもよい提案かと存じます。では、私はバナナチョコにします」
かなりの早口でそう告げるのであった。
「うん、了解。じゃあシノちゃんにはベンチの場所取りお願いしてもいいかな? シノちゃんの分も一緒に買ってくるから」
「かしこまりました」
シノはその場を離れると、そわそわとスキップ混じりに空いたベンチに向かった。
だがその途中で、妙な違和感を覚えた。なんだか、都合がよすぎる気がしたのだ。
(……あれ? そういえば、クレープを食べようと言い出されたタイミングも、かなり遅かったような……)
もしかして、と思ってしまった。さりげなく振り向いてトワの様子を探ってみる。だが、普通に列に並んでいるだけで、その表情からはなにも読み取れなかった。
(……ありがとうございます)
それでも、ムネノリ越しにトワの仕事ぶりをずっと観察していたシノにはある種の確信があった。トワが、シノの考えを察してくれたということを。だから、心の中で礼を言った。
その後、結局押し切られる形で奢られてしまったシノは、2つの味のクレープに舌鼓を打ちながら、ムネノリが戻ってくるのを一緒にベンチで待った。
ちなみに、2人で話をする絶好のタイミングだったのだが、シノはクレープに夢中ですっかり忘れていた。気づくのは、ムネノリと合流したあとだった。
*
それからも、3人で様々な場所を訪れては楽しい時間を過ごし続けた。そして最後に足を運んだのは、マーテル公園という場所だった。帝都の中だとは信じられないくらいに緑で溢れていて、家族連れや恋人と思しき人々の姿が目立つ。帝都の人々にとっても、憩いの場であるようだ。
既に日は傾き始め、空は茜色に染まりつつある。今日も、もうすぐで終わりだ。
「いやー、堪能したでござるなー。これでも帝都の半分も回ってないというのが信じられんくらいでござる」
「……ええ、そうですね」
聞くところによると、帝都は16からなる街の区画に分かれているらしい。その中で、今日回ることができたのは駅前を含めて5個程度だ。人口80万の大都市というのは、半端ではなかった。
慣れない街で歩き回ったせいか、シノもくたくただった。ムネノリと並んでベンチに座り、遠くの景色に焦点を合わせる。
ちなみに、トワは現在席を外している。なんでも、一応実家に顔を出しておくらしい。すぐに戻ってくるとのことだったので、ここで待っているのだ。
「……どうでござったか、今日は?」
ふと、ムネノリが声をかけてくる。その声は、とても優しげだった。
「……まあ、そうですね。よい気分転換にはなりました。兄上は、トワ様と2人きりで過ごせなくて残念だったかもしれませぬが」
少しからかうような口調で返事をする。ムネノリは朝のときとは打って変わって、分かりやすいくらいに狼狽えた。顔を真っ赤にして叫び出す。
「あ、いや、その……別に! トワ殿とご一緒する機会はきっと他にもある! あんまり生意気なことを言うでない!」
「失礼しました。……今日は、ありがとうございました。私の為に、時間を割いていただいて」
「……礼はトワ殿に言ってくれ。元々、トワ殿の提案だったのだから」
「やはり、そうでしたか……」
薄々というか、はっきりと勘付いていた。そもそも、こんな大都市で遊ぶことを迷わず提案できる者など、3人の中では帝国人のトワしかいない。自明の理というやつだ。
「……すまなかったな。淋しがっていることに気づかなくて。お主が忍として優れているがゆえに、まだ12であることを忘れておった」
「……いえ。それに、私自身も今日までなんで苛立つのか分かっていませんでしたし」
今日、1日中兄のムネノリの側で過ごしたことで、ようやく自分の心が分かった。自分で認めるのは癪というか恥ずかしいが、要はムネノリがトワに取られて淋しかったみたいだ。
変な話だ。トワにはムネノリのことを嫌いにならないで欲しいと言っておきながら、いざその距離が縮むとそれを疎ましく思っていたということになる。
トワのことは好きなのに、嫌いだとも思ってしまっていた。その相反する感情も、今日の自由行動日でだいぶ好きの方に傾いたように思う。
そんなシノの心情を察したのか、ムネノリはシノの頭を撫でる。
「……拙者はそなたの兄だ。立場が変わろうともそれだけは決して変わらぬ。それは、忘れないで欲しい。そこで、提案なのだが……」
「……? なんですか」
「……これからは、隠れるのを止めてみないか。確かに護衛の任は大事であるし、いざというときは拙者も頼りにしている。だが、別に隠れながらやる必要もあるまい。さすれば、拙者とシノの時間も自然と増えよう」
「……よろしいのですか」
恐る恐る、問いかける。その提案はシノにとっては魅力的であると同時に、毒でもあった。少女としてのシノと忍としてのシノがせめぎ合う。
しかし、ムネノリはあっさりと肯定する。
「他に見ている者もおらぬしな。どうせなら、部屋も第三学生寮に移すとよい。トワ殿やサラ教官にお願いすれば、なんとかなるでござろう」
それに、とムネノリは続ける。
「せっかくトワ殿と一緒に服を贈ったのだ。ちゃんと着て、見せてもらわねば困る」
そう言って、ムネノリは笑った。なるほど、道理だ。
シノだって、服に全く興味がないという訳ではない。いただいた服も、折を見て着てみるつもりだった。だがどうせなら、誰かに見てもらう方が何倍もよい。
「ええ、ちゃんとお見せします」
「うむ、頼むぞ」
「——ごめん、お待たせーっ!」
話が終わるタイミングを見計らったのかどうか分からぬが、ちょうどよいところにトワが姿を現した。それなりに急いで戻ってきたらしく、軽く呼吸が乱れていた。
「はぁ、はぁ……ふー。ごめんね、遅くなっちゃって。実は、叔母さんたちがウチで夕飯食べていかないか、って言ってるんだけど、どうかな?」
「おお、それはまことでございますか!?」
ムネノリの発作が起こりかける。まあ、今日は1日中我慢してもらったのだ。さすがにもうよいだろう。
「う、うん。ここから帝都の西側にあるヴェスタ通りにある《ハーシェル雑貨店》というところが実家なんだけど……」
「是非、お願い致します! トワ殿のご家族とご対面でございますか。武者震いがしますなあ! ささ、行きましょうぞ!」
「え、え、待ってムネノリ君! 別にそういう意味での招待じゃ……!」
「——トワ様」
暴走して先行してしまったムネノリを追いかけようとしていたトワを強引に引き止める。振り向いたトワはシノの真剣な目つきに気づいたのか、足を止める。
「どうしたの?」
「……先日は無礼な態度を取ってしまい、大変申し訳ありませんでした。それとクッキー、大変美味でございました」
深々と、頭を下げた。それに驚いたのか、トワは1歩後ずさってしまった。
「あ、あれはシノちゃんはなにも悪くないよ! むしろ、わたしが謝らないといけないことで……! ごめんなさい!」
トワまで頭を下げてしまった。もしかしたら、シノの苛立ちの原因を見抜いていたのかもしれない。だが、ここで退く訳にはいかない。
「ですが、毒味は言い過ぎでした」
「わたしだって、鍛錬中にお邪魔しちゃったし」
「クッキー、枚数が多い方を持って帰りました」
「また焼けばいいし、美味しかったならなによりだよ」
「しかし……」
「でも……」
なぜか、2人して頭を下げ合う。それがずっと続くかと思っていたとき……。
「っ……」
「あいたっ!」
同時に下げた頭がぶつかってしまった。互いを見やりながら、額をさする。そしてふと、目が合った。
「……ふふ」
「あはは……」
笑いが込み上げてきた。それはトワも同じようだった。2人して、よく分からない感情に突き動かされて笑い合う。
とてもくだらない、子供のヤキモチ。結局、それ以上でもそれ以下でもなかったのだと思う。トワのことは、間違いなく好きだ。なんだか、気分がスッキリした。
「ねえ、シノちゃん。改めて、お友達として仲良くなりたいなって思うんだけど、どうかなあ?」
「……そうですね」
シノはしばし考える。そして、被りを振った。
「大変嬉しい申し出ですが、きっとそれは無理かと存じます」
「え……」
シノの返答がショックだったのか、トワの表情が萎んでいく。
少し意地悪な言い方をしてしまった。完全に萎んでしまわない内に残りを言ってしまおう。
「だって……トワ様は、将来は私の義姉となる方なのですから。そうですよね……義姉上?」
たっぷりと”義姉上”の部分を強調して言い放った。トワはシノの言葉に目を白黒させ、ポカンと口を開けていた。ここまで彼女が呆気に取られるのも珍しい。面白いものが見れたと思い、歩き出す。
「……ええ!? そ、それって……ま、待ってシノちゃん! わたし、まだシノちゃんの義姉になるって決まった訳じゃ……っ!」
「ということは、考えてはおられるのですね。よかったです、兄上も喜ばれます」
「そうじゃなくてー! ふええっ、なんて言えば伝わるの〜!?」
兄が赤の他人に奪われる訳じゃない。自分に、新しい義姉が増えるのだ。最初から、そう考えればよかっただけの話だった。
きっと、この人しかいないとシノは思った。だからこそ、なにがあってもシノはトワの味方をすると今、決めた。
必死に弁解の機会を求めるトワを無視しながら、シノは停留所へと向かうのであった。
以降、シノは住まいを第三学生寮に移し、姿を隠すことも止めた。そしてシノのトワへの”義姉上”呼びを巡って一悶着あったのは、言うまでもないだろう。
<おまけ・ハーシェル家にて>
トワは心底後悔していた。ムネノリという特大の爆弾を、ハーシェル家のど真ん中に招き入れてしまったことに。普通の夕食だった筈の食卓は、もはや宴会の様相を呈していた。
「しっかし、トワ! あんたやるじゃないかい、外国の王子様を捕まえちまうなんて!」
叔母のマーサが酒場のおっさんのように愉快に笑う。夕食だからか既に酒が入っており、顔が赤い。こうなったマーサは、基本的に誰にも止められない。
「ち、違うの叔母さん! まだ、わたしとムネノリ君はそういう関係じゃなくて……!」
「なーに言ってんだい! 家まで招いたってことは、トワだって満更でもないんじゃないか!」
「っ〜!? お、叔母さんッ!!」
言い返せず、トワは苦し紛れに叫ぶ。元々形勢不利な話題の上、相手は育ての親でもある。とてもじゃないが、口では勝てそうになかった。
「しかし、君みたいなしっかりとした子がトワを貰ってくれるなんてねえ……。トワを、是非ともよろしく頼むよ」
「はっ! お任せください義伯父上! 必ずや、トワ殿を幸せにしてみせます!」
「ははは、いい返事だ。ほら、君も飲みたまえ。まあ、これはただの『小麦で作ったジュース』だけどね」
「ありがたく頂戴致します! いやあ、故郷でも『米で淹れた茶』はよく飲みましたが、こちらも中々趣のある味でございますなあ!」
男性陣の伯父のフレッドとムネノリも、2人だけでかなり盛り上がっていた。そしてトワの知らない内に、話がどんどん手に負えない方向に進んでいた。
……それと、見逃してはいけない光景を見たような気がするが、マーサを躱して2人のもとまで辿り着くのは無理そうだった。
「……ふん! 王太子だかなんだか知らねぇけど、トワねーちゃんは簡単には渡さないからな」
「いくらですか」
「はぁ?」
「いえ、兄上と義姉上の仲を認めていただくには『山吹色のお菓子』をいくつお渡しすればよいのかと……」
「そんな生々しい話じゃねえよ!? ていうか、歳ほとんど変わんねえんだからそんな話し方するなよ!」
カイとシノは、それなりに和やかに会話を楽しんでいるようだった。会話の中身がもっと子供らしい内容だと、より嬉しいのだが。
「それで!? 式はいつ挙げるんだい? たとえ式場がイズモだったとしても、必ず行くからね!」
「だから違うの! うう、誰か助けて……」
結局、トワたちがトリスタに戻ったのは、門限のかなりギリギリだった。そして次の日、クロウやアンゼリカに根掘り葉掘り聞き出されたのは言うまでもない。