トワ殿って呼ばないで   作:Washi

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<にがトマトで暗殺できる男>
<小さな女神様>
<レックス切腹未遂事件>

上記タイトルの短編集です。




第6話 幕間 穏やかな日々

<にがトマトで暗殺できる男>

 

 Ⅶ組の2回目の特別実習が終わってから1週間弱。突然、ムネノリが言い出した。東西の料理の交流の食事会がやりたいと。ムネノリが是非ともイズモの料理を披露したいと言ったのだ。どうやら、バリアハートで様々な帝国料理を食べて触発されたのが原因らしい。

 

 中間試験が近いこともあり、よい息抜きになりそうだとⅦ組の全員が賛成した。西にあたる料理は、料理が得意なメンバーが担当することとなった

 

 それだけに留まらず、ムネノリは愛しのトワにも食べてもらいたいと考えたのか、彼女を食事会に招待した。無論、クロウたちも一緒にである。彼らは快く承諾した。

 

 そして、悲劇は起こる。手ぶらでは申し訳ないと考えたトワが気を利かせて、ある料理を持ち込んだことで。

 

 

 

 

 いただきます! という言葉を合図に食事会が始まった。各々、わいわいがやがやと自由に料理を皿によそっていく。トワがテーブルを見渡すと、見慣れた帝国料理に混じってムネノリが作ったと思しき東方料理がいくつかあった。詳細を隣に座っているムネノリに問う。

 

「今日作ったのは、天ぷら、筑前煮、すき焼き、焼き鳥などでございます。ささ、お皿を。お食べになるものをよそいましょう」

「ほんと? ありがとう、じゃあお願いしちゃうね。天ぷらとすき焼きと……シーザーサラダが食べたいな」

「はっ、お任せを」

 

 皿をムネノリに渡す。するとムネノリはその大きな体を活かして、少し遠くに置いてあるそれらを軽々とよそっていく。料理が盛られた皿をトワは礼を言って受け取った。

 

 まずは天ぷらから食べてみよう。見たところ、揚げ物のようだ。見た目はフリッターによく似ている。タネは、かぼちゃとえびと、細切りにされた野菜を纏めたものだ。

 

「天ぷらはそこの天つゆにつけてからお食べください」

 

 ムネノリが指差したのは、配膳された器に注がれている薄めた醤油のような見た目のソースだった。温かいからか、少し湯気が出ている。

 トワは言われた通りにかぼちゃの天ぷらの端をつゆにつけ、一口食べる。サクリ、と衣が裂けた。

 

「ん〜! 美味しいー!」

 

 薄氷を踏むような衣の軽い食感、ほくほくとしたカボチャの甘みが口の中で広がる。そこに出汁の効いた温かい天つゆの風味が合わさり、舌の上で極上のハーモニーを奏でる。

 野菜に衣をつけて揚げただけの筈なのに、驚くほど美味しくなっていた。

 

「ほう、これは……」

「へえ、イズモの料理って初めて食べたけど、この天ぷらって言うの、美味しいわね」

 

 舌が肥えてそうなユーシスやアリサにも好評なようだった。他のみんなも次々と天ぷらを皿から取っていく。

 

 しばし天ぷらを堪能したトワは、次にすき焼きに目を移す。肉や野菜などが、醤油の色をしたスープで煮込まれた料理のようだ。

 

「こちらのすき焼きは、溶いた生卵につけて食べることが多いのですが……トワ殿は生卵は平気でしょうか」

「え、生? うーん、生は……ちょっと、どうかな……」

 

 対面に座っているシノを見ると確かに、溶いた卵につけて食べている。実は、トワは目玉焼きは半熟よりも完熟が好みだ。趣向のこともあり、卵を生で食したことのないトワには些か抵抗があった。

 

 ただ、これに関しては他のみんなも同じらしい。東方文化と関わりを持ったことがあるリィンとアンゼリカは平気そうだったが、それ以外ではフィーくらいしか生卵を試していなかった。帝国では、基本的に野菜以外の食材を生で食べるという概念がないのだ。

 

「では、そのままでお召し上がりください。無論、そのままでも味はしっかりついてますので」

「うん、ごめんね?」

 

 ムネノリの厚意を無下にしたことに対して謝罪してから、すき焼きに手をつける。薄切りの牛肉を取って、口に運ぶ。

 牛肉を噛んだ瞬間、醤油ベースの甘い汁が溢れ出した。適度にサシの入った牛肉の脂のコクと調和し、肉が口の中でほどける。

 

「うん! このままでもとっても美味しいよ!」

「光栄でございます」

 

 自身の郷土料理を美味しいと言われて嬉しいのか、ムネノリは鼻を高そうにしていた。実際、イズモの料理はとても美味しかった。

 

 ……ただ。

 

「う……ムネノリ。この、ネバネバしたものはなんだ?」

 

 マキアスが小鉢に盛られた腐った豆のようなものをスプーンで取り出す。その顔は、明らかに汚物を前にするような表情だった。トワの目の前にも同じ小鉢があるが、凄まじい臭いだ。

 

「納豆でござる! 大豆を発酵させたもので、今日の為に用意したのだ。海苔と米で巻いて食べると美味いでござるよ」

「そ、そうか。すまないが……僕は遠慮しておこう」

 

 残念ながら、納豆は不評だった。リィンやアンゼリカですら手をつけず、平気そうに食べているのはシノとフィーだけだった。ムネノリの好物だったらしく、だいぶ落ち込んでいた。

 

 

 

 

「そういえば、トワ殿もなにか料理を持ってこられたと聞きましたが?」

「あ、うん。そうなの。さすがに手ぶらはどうなのかなって思って。その、よかったら食べてみる?」

「もちろんでございます! トワ殿の料理ならば、たとえ天地が引っくり返っても食べますぞ!」

 

 相変わらず、大げさだ。でも、それだけ言ってくれるのは作った側としても嬉しい。

 

「あはは、ありがとう。でも、ごめんね。時間がなかったから、あんまり凝ったものじゃないんだ」

「いえいえ構いませぬ。それで、トワ殿がお作りになられた料理はどれでございましょう?」

「えっと、あそこに置いてあるトマトと玉ねぎのマリネなんだけど……」

 

 トワは器を指差す。そこには、ダイス状のトマトとみじん切りにした玉ねぎのマリネがあった。きっと野菜がメインのメニューは少ないだろうと思い、口直しも兼ねてさっぱりする味の料理を選んだのだ。また、ちょうどトマトが安かったからでもある。

 

 ——カラーン、とスプーンがテーブルに落ちた。それなりの高さから落ちたせいか、大きな音が響き渡り、周囲の注目を集めた。そのスプーンを落としたのは、ムネノリだった。

 

「ぁ、ぁ、あ……そ、そうで……ございます、か……」

「……? どうしたの、ムネノリ君」

 

 なんだか様子が変だ。突然手を震わせ、顔にはびっしりと汗が浮かんでいる。まるで、丸腰で手配魔獣に遭遇してしまったかのようだ。

 

「い、いえ。なんでもないでございますよ……は、ははは」

「……おや、どうしたのですか、兄上。たとえ天地が引っくり返っても、召し上がられるのでは?」

「し、シノ! お主知っててそんなことを……!」

 

 からかうようなシノの声。ムネノリが咎めるように叫ぶ。なにか隠したいことがあるようだ。

 

(…………あ、もしかして)

「……ははーん。なるほどな。そういうことか」

 

 トワと同じタイミングで、クロウもなにか思い至ったらしい。ニヤニヤと口元を歪めている。

 

「な、なんでござるか」

「いや、お前さんよ……トマト、苦手なんだろ」

 

 そして思い至った内容も、全く同じだった。図星だったのか、ムネノリは雷で打たれたかのように飛び上がった。

 

「ま、ま、ま、まさか! このムネノリ、苦手なものなど……!」

「ええ、苦手ですよ。典型的な、ケチャップ以外のトマト成分は一切受け付けないレベルです」

「お、おい、シノ!」

 

 本人は隠そうとしていたが、身内のシノにあっさりとバラされてしまった。ムネノリはますます狼狽える。

 しかし、正直に言って意外だった。納豆ですら食べるムネノリに、苦手な食べ物があるとは思わなかった。

 

「ほらほら、どうしたムネノリ君よお? 愛しのトワの作った料理だぞ? 食べねーのかよ?」

 

 面白いものを見つけたと言わんばかりに、悪意たっぷりの表情でクロウが畳み掛ける。それだけに留まらず、クロウはムネノリの代わりにマリネをよそって彼の目の前に置く。

 ムネノリの顔は、もはや失神直前だった。それを知ってか知らずか、シノがさらに煽る。

 

「急いだ方がいいですよ。食べなかったら、義姉上は兄上と縁を切ると仰られてますので」

 

 仰ってない。ちなみにシノは普通にマリネを食べていた。

 

「あ、う……ぐ、ぐぅううう……ッ!」

「あ、あの……別に無理して食べなくてもいいよ? 苦手なものがないか聞かなかった、わたしが悪いんだし……」

 

 基本的に好き嫌いに対してはダメだよと諭すトワだが、さすがに今のムネノリにそれを言う気にはなれなかった。なんとか、この場を収めようとする。

 

「——ぬわああぁあああ!!」

 

 突然、奇声をあげたムネノリが立ち上がった。そしてあろうことか、懐から小刀を取り出した。

 

「申し訳ございませぬ! しかし、トマトは! トマトだけは……! こうなったら、もはや腹を切ってお詫びする他……ッ!!!」

 

 ムネノリは鞘を放り捨てる。白銀の刃が、周囲の光を反射してギラリと煌めいた。間違いなく、本物の剣だ。

 

「腹をきる……って、えぇえええ!? ま、待ってムネノリ君、そんなことしちゃダメぇええ!!」

 

 ムネノリの暴走を止めようと、トワは全力で抱きつく。しかし、体格と力の差のせいか、ちっとも止められそうになかった。まるで親子のじゃれ合いのように体が振り回される。

 

「お、落ち着けムネノリ!」

 

 そこにリィンやガイウスと言った男性陣が加わり、ようやくムネノリを押さえ込むことに成功する。それでも暴れようとするムネノリを必死になだめ続けた。

 

 ムネノリを追い込んだクロウは腹を抱えて大爆笑しており、シノは黙々と焼き鳥を食べていた。

 ちなみに、アンゼリカは「そうか、私も切腹しようとすればトワに抱きついてもらえるのか!」と平常運転だった。普段は突っ込み役のジョルジュは、料理に夢中でそれどころではなかった。

 

 1つだけ確かなのは、トワは自分の料理をムネノリに食べてもらえなかったということだった。

 

 以後、時間を見つけてはトマト嫌いでも食べられる料理の研究をするトワの姿があったとか。

 

 

 

 

<小さな女神様>

 

 ある日の放課後のことである。クロウはムネノリの部屋にお邪魔し、ブレードで遊んでいた。トワ繋がりで知り合った2人だが、案外馬が合ったようで、こうして時折交流を行なっている。

 

「ほい、オレの勝ちっと……」

「む、むう……無念」

 

 ムネノリはガクリと項垂れる。クロウがゲームに慣れているというのもあるが、単純にムネノリが弱かった。どうも、ゲーム関係は苦手のようだ。

 

「そういや、シノはどうしたんだよ? いつもお前にべったりなのに、今日は寮にもいなかったが」

「兄弟仲がよいのは認めますが、べったりのように見えるのは護衛の任もあるからでござる。今日は、トワ殿に西ゼムリアの料理を教わりに行っているのです」

「はーん、なるほどな。最近はトワにも懐いてるもんな」

 

 先日、自由行動日にトワと一緒に帝都に行った日から、トワとシノはかなり仲良くなった。見た目こそ似てないが、傍から見れば本物の姉妹のようだ。

 

「しっかし、実際のところどうなんだよ? お前さん、トワとなんか進展とかないのかよ?」

「進展!? な、な…………が、学生の身でそんなことを考えるとは、破廉恥でござる!」

「いや、そりゃ飛躍しすぎだろう」

 

 とりあえず、大した進展はないということがよく分かった。帝都に一緒に行くくらいだから仲良くはなったのだろうが、どうもまだ友人の範疇を脱していないようだ。

 

(ムネノリに関しちゃ分かり切ってるが……トワはこいつのこと、どう思ってんのかねー)

 

 結局、求婚に関してはトワは返事を曖昧にしたままだ。責任感の強いトワのことだからそのまま有耶無耶にすることはないだろう。しかし、果たしてその気があるのかどうか。

 別にクロウとしてはどっちに転んでもよいのだが、一応ムネノリならば安心して任せられるだろうとは思っている。そういう意味では、やや賛成寄りだ。

 

「っと、もうこんな時間か。悪ぃな、このあと《キルシェ》で大事な用事があるんだわ」

「件の競馬の話ですか。言っておきますが、くれぐれも……」

「わーってるよ。そもそも、ミラを賭けたことは1度もねぇよ。ったく、トワみてーなこと言いやがって」

 

 ムネノリとトワは体格含めてあらゆる点がバラバラだが、まじめな優等生という1点だけは共通している。クロウからしてみれば堪ったものではない。小言を言われる前に退散するに限る。

 

「ンじゃな。また明日な」

「うむ、また明日」

 

 クロウは手短に別れを告げ、第三学生寮を去った。

 

 ただ、このときクロウは気づいていなかった。ムネノリの部屋に寄る前に、トワに見つからぬように調達したばかりの『お宝』が入った紙袋を忘れていったことに。

 

 

 

 

 ムネノリが紙袋の存在に気づいたのはクロウが去ってしばらくしてからだった。ふと、ベッド近くの台に置かれているのを見つけたのだ。色が台と似ている為か、同化していてすぐには気づかなかった。

 

「クロウ殿の忘れ物でござろうか」

 

 手に取ってみる。大きさや感触からして、紙のようなものが入っている気がするが、定かではなかった。

 

「一応、確認してみるでござるか」

 

 クロウに限ってない気はするが、万が一何かしら重要な書類などが入っていた場合、今すぐにでも渡しに行かなければならない。

 クロウには悪いと思いつつも、ムネノリは確認の為に紙袋を開いた。

 

(これは、雑誌……? …………っ!?)

 

「な、な、な、なんだこれは!?」

 

 予想外のものが目に入って飛び上がったムネノリは、紙袋の中身を部屋中にぶちまけてしまった。何冊もの雑誌がそこら中に散らばる。それ自体は問題ではない。問題は、雑誌の種類だった。

 

(ぐ、ぐ、ぐらびあ……ではないか……!)

 

 表紙にでかでかと印刷された、艶かしいポーズをとっている水着姿の女性の写真。あるいは際どいラインまで服をはだけた女性が寝転がっている写真。

 間違いなく、西ゼムリアでグラビア雑誌と呼ばれているものだった。一応最低限のラインは守られているものの、全体的にかなり挑戦的な内容だった。

 

 悶々とする感情を頭を振って振り払い、元凶であるクロウに恨みの念を送る。

 

(く、クロウ殿め……! こんなものを拙者の部屋に持ち込むとは……!)

 

 気を遣って中身を確認したのに、裏切られた気分だ。

 これらの雑誌は今すぐに取り纏め、燃やしてしまおう。そう思い、ムネノリは極力中身を視界に入れないようにしながら、拾い集める。ぶちまけたのが自室の中でよかった。このような状況を他人に見られた日には、破滅である。

 

 ——そんなムネノリを嘲笑うかのように、ドアからノックが響いた。ムネノリは銃を突きつけられたかのように固まる。すると、扉越しに声が聞こえた。

 

『ムネノリ君、いる?』

「と、トワ殿!?」

 

 思わず叫んでしまった直後、己の失態を悟る。これで居留守は使えなくなった。

 

『よかったあ、いてくれて。えっと、入ってもいいかな?』

 

 最悪のタイミングだ。ムネノリの手には拾い上げた大量の不健全な雑誌がある。今トワが入室してしまえば、それが彼女の目に入るのは必然だ。

 もし、もし……トワにこんなものを手に持っているのを見られたら。最悪の想像をしてしまう。

 

——『……ふーん。殿下はこういう女性がお好きなのですね。わたしなんかではなく、エマちゃんにでも求婚されたらいかがですか。わたしではご期待に沿えませんので』——

 

(確実に、縁を切られてしまう……!)

 

 それだけは避けなくてはならなかった。そして、それを避ける為には雑誌の存在を隠し通すしかなかった。

 場所を吟味している暇はない。近くにあったベッドのマットレスの下に、全ての雑誌を潜り込ませた。外部から見えないことだけ確認し、トワに返事をする。

 

「う、うむ! どうぞお入りください!」

 

 カチャリと扉が開く。遠慮がちに、トワが部屋に入ってきた。

 

「ごめんね、突然お邪魔して。実はシノちゃんがお料理を作ったんだけど…………どうしたの?」

「な、なにがでございますか!?」

 

 声が上ずる。心の準備がほとんどできておらず、平静を保てない。

 

「なんだか、すごい汗だけど……もしかして、具合が悪いの?」

「い、いえ! 断じてそんなことはありませぬ! 拙者はすこぶる健康体でございます!」

 

 軍人顔負けの直立不動の姿勢をとり、はっきりと宣言する。動揺を隠そうとした為か、思ったよりも大声が出てしまった。

 

「そ、そう? なら、いいんだけど……」

 

 ひとまずは納得してもらえたようだ。顔に疑問符を浮かべつつも、それ以上踏み込んでくることはなかった。ムネノリは内心安堵のため息をつく。

 

「それで、いかがなされましたか」

「あ、うん。実は、シノちゃんが1人でお料理を作ったんだけど、もうすぐお夕飯の時間だし、一緒にどうかなって」

「シノが? ほう、それは楽しみでございますな。是非、ご一緒させていただきます」

 

 シノはサバイバル訓練の一環として最低限の調理スキルは兼ね備えているが、日常的に料理をするようなことはしない。

 そんなシノがトワのサポート付きとは言え、1人だけで料理を作り上げたのだ。兄のムネノリとしては非常に興味深かった。

 

「えへへ、よかった! シノちゃんも喜ぶと思うよ。あんまり待たせちゃ悪いし、早く行こっか」

 

 トワに同意し、外出の準備を行う。その間、ムネノリはトワに気づかれなかったことに胸を撫で下ろす。また、クロウとはじっくり話をする必要があることを再認識した。

 

 そうして、トワと一緒に部屋を出ようとしたそのとき——部屋の片隅に、拾い切れていなかった雑誌が落ちているのが見えてしまった。かなりの死角にあった為、気づけなかったのだ。

 

「ッ!? しまっ……むぐ!」

 

 すぐに声を出してしまう自身の間抜けな口を両手で押さえつけるが、もう遅い。トワはムネノリの声をはっきりと聞き取り、足を止めてしまった。その顔は、不安に染まっていた。

 

「……ねえ、本当に大丈夫? やっぱり、無理してるんじゃ……」

「そ、そんなことはございませぬ!」

 

 再度否定するも、今度ばかりはトワの疑いの表情は晴れなかった。その理由が純粋に自身の体調を心配してのことであることに、言いようのない罪悪感を覚える。ムネノリの頭の中は、トワが雑誌の方を向きませんように、という祈りで埋め尽くされているのに。

 

「……ねえ、ムネノリ君。わたしが風邪を引いちゃったときのこと、覚えてる?」

 

 突然、トワは話題を切り替える。その声は、先ほどよりも真剣味を帯びていた。

 

「わたし、あのときのこと、すごく反省してるんだ。あのときムネノリ君が言ってたように、教官の方々を頼ればよかったのに、自分でやらなくちゃーって頑なになっちゃって。それで結局、ムネノリ君にお世話になっちゃって」

 

 もしや、これはムネノリが体調不良を隠していると確信していて、どうにか説得しようとしているのでは? そんな考えがムネノリの頭を過ぎった。同時に、罪悪感が倍加した。

 

「わたし、嬉しかったんだ。あのとき助けてもらって。だから、わたしもムネノリ君の力になりたいの。男の子だから仕方ないのかもしれないけど、あんまり隠そうとしないでほしいな……」

 

 頼りないろうそくの火のように揺らめくトワの瞳。その瞳が語る想いの重さと、心底くだらない真実のギャップに、ムネノリの心が締め上げられるように痛む。なんだか、本当に体調が悪くなってきた気さえしてくる。

 

「……お気遣いはありがたいのですが、拙者、本当に大丈夫なのでございます」

「……本当に。嘘だったら怒るよ?」

「女神に誓って本当でございます」

「……分かった。でも、疲れが溜まってるかもしれないから、ここで休んでて。シノちゃんと2人で、お料理をここまで持ってくるから」

「え!? いや、それは……」

 

 それはそれで、非常に不味い。雑誌の存在が発覚する可能性が高まるし、忍のシノならばベッドの下のものまで、いとも容易く発見してしまうだろう。

 なんとかして言いくるめなければと頭を回転させるが、さすがに時間が足りなかった。なにも思いつかない。

 

「大丈夫だよ。そんなに重いものじゃないから。ムネノリ君はベッドで休んでて」

「ッ!? お、お待ちを……!」

 

 トワは気を利かせようとしたのか、クロウの訪問のせいで乱れていたベッドを整えようとする。そして、それは今のムネノリにとって最悪の気遣いだった。

 

「んしょっと……ん、あれ? これ、なんだろう…………、〜〜ッ!?」

 

 シーツのシワを伸ばそうとトワがマットレスを軽く持ち上げたその瞬間——ピタリと動きが止まった。そのまま、無言で一言も発さなくなった。

 

 静かに、ムネノリは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 

「あの……トワ殿?」

 

 返事はない。そして、それが何よりも恐ろしかった。まるで、怒った母親を前にしているような心境だった。

 

(ここまでか……)

 

 ことここに至っては隠し通す術はない。潔く散る他ない。場合によっては、切腹も辞さない。そんな覚悟で、トワの判決を待った。

 

 ……ところが。

 

「……んしょ、んしょ」

 

 何事もなかったかのように、トワはベッドメイクを再開した。軽蔑の言葉が飛んでくることを予想していただけに、その反応はムネノリを困惑させた。

 

 状況を理解できないまま、ムネノリはその場に立ち尽くす。そうしている間に、トワはベッドメイクを終え、ムネノリに向き直る。その顔は、嫌いなトマトを連想させてしまうほど真っ赤だった。

 

「え、えっと……その……じゃあ、ムネノリ君は休んでて。す、すぐにお料理持ってくるから!」

 

 何度も噛みながら早口で告げたトワは、その場から逃げ出すように退室しようとした。

 

 ——そこでムネノリは気づく。トワが、敢えて見なかったことにしようとしてくれていることに。おそらくは、男であるムネノリのことを気遣って。

 

 これまでも度々トワを女神にたとえたが、今この瞬間は本物の女神だった。彼女の周囲から神々しいオーラが見えた。

 

「——申し訳ございませぬぅうううッ!!!」

 

 良心の呵責が天空の遥か上空まで積み上がったムネノリは、女神の前で全ての罪を曝け出し、懺悔を行なった。それを聞いた小さな女神は、慈悲深い心で罪人を許すのであった。

 

 

 

 後日、クロウはトワにみっちりと絞られた。当然、彼の『お宝』は一切の慈悲をかけられずに全て焼却処分された。こうして、女神は人の子らを悪魔の誘惑から守り切ったのだった。

 

 余談だが、彼と『お宝』を共有する予定だった同志たちは、人知れず涙を流した。その理由を語る者はいない。

 

 

 

 

<レックス切腹未遂事件>

 

 7月の自由行動日のことだった。トワはいつものように、生徒会室で仕事をしていた。すると、まるで銃声と錯覚するような音と共に扉が開いた。

 

「トワ会長!」

 

 姿を現したのはリィンだった。彼とムネノリには、生徒会で対応しきれない依頼などを自由行動日に処理してもらっている。2人が加わってくれたおかげで、とても助かっている。

 そんなリィンだが、その表情には焦りが浮かんでいた。今にも火事だと言い出しそうなほどだ。

 

「どうしたの、リィン君? なんだか、すごい焦ってるみたいだけど」

「ええと、なにから説明したらいいか……その、ムネノリがレックスを捕まえて写真を見て修羅に落ちて……」

 

 要領を得ない説明だった。相当混乱しているようだ。とりあえず、ムネノリとレックスが関係あるのは分かった。

 

「……とにかく! 一緒にグラウンドに来てください! 走りながら説明します!」

「え、え? リィン君!?」

 

 リィンはトワの手を取ると、強引に生徒会室の外へと連れ出し、走り出す。全く状況が分からないトワだが、なにかしらの緊急事態ということは理解した。

 表情を引き締め、自分の足で走りながら話を聞く。幾ばくか落ち着きを取り戻したのか、リィンは順序立てて説明を始めた。

 

 事の発端は写真部の部長からの依頼だったらしい。なんでも、1年生で写真部所属のレックスが女子生徒を際どいアングルで隠し撮りを行い、あまつさえその写真で男子生徒と取引している疑いがあり、その解決をリィンたちに頼んだようだ。

 

 その話が本当であれば、大変な事態だ。万が一教官陣にバレるようなことがあれば、少なくとも停学は免れないだろう。女のトワとしても、看過できる話ではない。

 

 ただ、依頼自体は既に解決したようだ。グラウンドの用具入れの裏にいたレックスと男子生徒を拘束し、証拠の写真を確保することに成功したのだ。一瞬、逃げられそうになったらしいが、ムネノリの一声でシノが追い掛け、あっという間に縛り上げてしまった。

 

 そこまではよかった。その後はおそらくは部長が内々に処罰を下し、それで丸く収まっていた筈だ。トワも、きっと追求はしなかっただろう。

 ところが、実際はそうはならなかった。なぜならば、証拠となる写真の中にトワが仕事中の写真も混じっていたのを、ムネノリが見つけてしまったからだ。

 

 トワ自身は全く知らなかったが、会長であるトワのファンはそれなりにいるようだ。もっとも、ムネノリの存在の影響で規模は縮小しているらしいが。

 

 とにかく、トワの盗撮写真を見つけたムネノリとシノは激怒。レックスのことを激しく糾弾した。そのときに2人が発した怒気は大地を砕き、割れた空が落ちてくるのではと錯覚するほどだったとリィンは語る。

 

 そして、その結果……。

 

 

 

「えっと……リィン君。これ、なんなのかな?」

 

 グラウンドに着くと、他の部活の邪魔にならない場所に白幕が四角状に配置されていた。そのせいで、その中の様子を知ることができない。だが、間違いなくムネノリが関わっていると確信した。

 そしてなぜだか、ドンドコドンドコと東方風のドラムの幻聴が頭の中を流れた。

 

「……切腹です」

「…………え」

「ムネノリはレックスをあの幕の中心に座らせると、こう言いました。『切腹を申し渡す』と」

 

 切腹。中世におけるイズモの処刑方法の1つだと以前、ムネノリに教えてもらった。罪人が小刀を己の腹部に突き刺したあと、介錯人がとどめを刺すらしい。

 

 もし、もし……ムネノリがレックスに言い放った切腹が言葉通りの意味ならば……。

 

「えっと……形だけで本当にやる訳じゃ、ないよね?」

「……分かりません。ですが、ムネノリの目は本気でした」

 

 しばし沈黙。そういえば、食事会のときのムネノリも腹を切って詫びようとしていたことを思い出す。あのとき手に持っていたのは、正真正銘の真剣だった。

 

 つまり……冗談では済まされない可能性がある。

 

「急いでリィン君! 2人を止めないと!」

「は、はい! 分かりました!」

 

 嫌な予感のしたトワは全力で白幕へと向かう。リィンもそれに続く。足はリィンの方が速い為か、先に白幕の中に突入したのはリィンだった。少し遅れて、トワも中に入る。

 

 中にはレックスとムネノリ、シノがいた。どこから持ってきたのか、中心には畳が何枚も積み重ねられ、ちょっとした台のようになっていた。

 

「——最期に、言い残すことはあるか」

 

 既に処刑間近と思しきセリフがムネノリから漏れた。それでも一応、間に合ったようだ。

 

 レックスは畳の上で正座させられ、顔を涙と鼻水で汚していた。レックスの後ろには、ムネノリが刀を1振り構えて立っていた。その近くに立つシノは、レックスが逃げ出さないようにする為か、視線を彼の方へと固定していた。

 

「うっ、うぅっ……お願いだムネノリ……許してくれよぉ……もう、やんないから……」

「ああ、許すとも。貴様が潔く腹を切ればな」

 

 本気の声音でむせび泣き、許しを乞うレックスだが、まるで聞き入れられる様子はない。それどころか、ムネノリは早く腹を切れと急かすだけだった。

 

「待って、ムネノリ君!」

 

 トワは慌てて叫ぶ。すると、ようやくトワの存在に気づいたのか、ムネノリが視線をこちらに向ける。

 

「おお、トワ殿ですか。ちょうどよきタイミングでございます。これから、トワ殿の女神にも等しい御姿を隠し撮るなどという厚顔無恥な真似をした不届き者に、責任を取っていただくところです」

「やりすぎ! やりすぎだから! 罰は生徒会としてちゃんと与えるから、こんなことはしないで!」

「なにを仰いますか! これでも物足りないくらいでございましょう! それでも、同級生のよしみで打ち首ではなく、せめて切腹で済ませようとしているのではありませんか!」

 

 ダメだ。ムネノリとしてはこれでも手心を加えているつもりのようだ。いつにも増して、聞く耳を持ってくれそうにない。

 

 問答をしている間も、処刑は止まらない。雰囲気に呑まれたのか、1国の王太子による命令だからか、レックスは近くに置かれていた小さな台からあるものを取り出す。柄がなく、布で包まれた刀身が剥き出しの小刀だった。明るい日差しの中、刃が死神の鎌のように光る。

 

 もはや、一刻の猶予もなかった。

 

「リィン君、ムネノリ君を止めて!」

「はい!」

 

 リィンは弾けるように駆け出す。真っ直ぐに、レックスを救おうとして——。

 

「させません」

「なっ、くっ! どいてくれ、シノ! このままだとレックスが……!」

「当然の報いかと」

 

 シノに阻まれてしまった。どういう訳だか、今日ばかりはストッパーのシノも暴走側のようだった。膠着状態に陥り、リィンはレックスに近づくことができなかった。

 

(ど、ど、ど、どうしよう!?)

 

 サラ教官を呼ぶのはどうだろうか。いや、通信を使っても今からでは間に合いそうにない。そもそも既に酒場で戦力外になっている可能性もある。

 周囲に助けを求めるのは? 確実にシノを突破できる人間がいる保証がない。それに、状況を認識してもらうのにどれくらい時間がかかるか分かったものでない。

 

 そうなると、そうなると……。

 

(あ、そうだ、これだ!)

 

 咄嗟の閃きが頭を過った。もうこれしかない。トワは大きく息を吸う。そして両手でメガホンを象り、力の限り叫んだ。

 

「ムネノリ君! もし止めなかったら、もう口利いてあげないんだからぁー!!!」

 

 晴天の中、マイクでも使ったかのようなトワの大きな声が木霊した。なぜか、山の中でもないのに声が何度も反響した。

 

「な……ッ!?」

 

 ——ムネノリの手から刀が滑り落ち、その場に崩れ落ちた。トワの絶交予告に、ムネノリはこの世の終わりのような顔をしていた。彼にとっては死刑宣告にも等しかったようだ。

 

 次の瞬間には、トワの前で史上最も芸術的な土下座を披露するムネノリの姿があった。

 

 

 

 その後、レックスの件はトワが個人的に対応し、写真及び感光クオーツの破棄とレックスの1週間の停部で済ませた。

 

 また、風の噂でそのことを聞いたトワのファンたちは、ムネノリを恐れてひっそりとファンを辞めたと言われている。

 

 

 

 

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