ムネノリをかけて勝負しよう。ツバキの提案は、詰まるところそういうことだった。突然の提案に、トワは思考が停止する。
「負けた方は、潔くその身を引く。これでどうです? ああ、貴方が敗北した場合はそれに加えて、ムネノリ様の求婚を断っていただきますが」
ツバキは淡々と勝負の詳細を話し続ける。未だ困惑から立ち直れないトワは、黙って聞いているしかなかった。
「こういうときの定番は決闘なのでしょうが、その優劣だけでどちらがふさわしいかを決めるのはナンセンスですわ。種目別の5番勝負。これでいかがでしょう?」
(どうでしょう、って言われても……)
困ってしまう。それが正直な感想だった。いきなりムネノリをかけて勝負しろと言われても、口ごもるしかない。あまりに一方的な話だ。簡単には頷けない。
そうやってトワが「えーと……」と答えに窮していると、シノがサポートに入った。
「その種目はどのようにしてお決めになるのでしょうか。ツバキ様の独断で決められるようなことは……」
「そんなことはしませんわ。あくまで堂々と、正面から勝たなければ勝負する意味がありませんもの。そうですわね……ムネノリ様が信頼する5人に、それぞれの種目を決めさせればよいのでは? もちろん、双方が納得できる種目に限りますわ」
「ふむ、なるほど。それならば、公平にはなりますね」
当事者である筈のトワを差し置いて、話が進んでしまう。その間、トワはあまりちゃんと話を聞いていなかった。詳細なルールの取り決め以前に、勝負を受けるかどうかで頭を悩ませていたからだ。
(わたしに、その資格があるのかな……)
未だあやふやな己の気持ち。一方、ツバキは全身全霊でトワに挑もうとしている。ムネノリの求婚相手という、彼女から見れば大きすぎる筈の壁に対して。はっきり言って、重みが違う。
「それで、貴方はどうしますの? 言っておきますが、受けなければわたくしの不戦勝とみなして、貴方には敗者の義務を遂行していただきますわ」
「わたしは……」
究極の選択をツバキが突きつけてきた。受けなかったときの条件を考えれば、受けた方がいいに決まっている。それは分かっている。
だが、どうしても踏ん切りがつかなかった。受けてもいいのか。受けるにしても、勝てるのか。そんなことばかりが頭の中を渦巻く。
「……ツバキ様。少し、トワ様とお話をしてもいいですか。すぐに済みますので」
そんなトワを見かねたのか、シノが声をあげる。それを聞いたツバキは不機嫌そうに顔をしかめながらも、「少しの間だけですわよ」と言ってその場から離れてくれた。
トワは、体から余計な力が抜けるのを感じた。無意識の内に体を強張らせていたようだ。
「……ありがとう、シノちゃん」
問題の先延ばしに過ぎないが、それでも助かった。あのまま沈黙を続けていたら、不戦敗と見なされていたかもしれない。
トワのお礼に対して、シノは小さく首を横に振る。
「気にしないでください。私から義姉上にお願いしたいことがあっただけですから」
「お願いしたいこと?」
「はい。勝負を、受けていただきたいのです」
シノの視線が真っ直ぐにトワを捉える。その瞳は、真剣そのものだった。
予想通りの言葉ではあった。だが、シノの期待通りの言葉を返せるかと言われると、話は別だ。トワが黙っていると、続けてシノが言葉を紡ぐ。
「別に、勝負に勝ったあとに結論を出せばいいだけではありませんか。なにをそんなに迷われているのです?」
「うーんと、シノちゃんの言うことは分かるよ。……でもやっぱり、それはツバキさんに悪いと思うんだ。あんなに真剣なのに、そんな理由だけじゃ勝負を受けられないよ」
だからこそ、それに値するだけの理由を持っているかを考えていたのだ。その肝心な理由が、思い至らないのだが。
「……理由なら、ありますよ。義姉上が受けるに値するだけの、理由が」
ところが、なんとシノはそこに切り込んできた。思いもよらぬ切り返しに、トワは何度かまばたきをしてしまった。気になったトワは続きを聞く。
「……兄上は、ツバキ様との結婚を望まれていません。ですが、義姉上が身を引かれれば、その未来はほぼ確定します。なにせ、父上に気に入られているのですから」
ムネノリ自身が、ツバキと結ばれることを現時点では望んでいない。それを改めて聞かされたトワはシノの言わんとしたことに気づいた。それは、トワにとっては盲点だった。
なにせ、トワ自身の思いつきでそれを理由にすると、ただの傲慢な発想に成り下がるからだ。お人好しの彼女が思い至るわけがない。
「義姉上がどうしても望まれないというのであれば……誠に残念ではありますが、致し方ありません。ですが、せめて兄上の意思で相手を決められるように、協力してはくださりませんか」
トワ自身の為ではなくムネノリの為。その理屈は、迷いに囚われていたトワの心に一筋の光を差し込んだ。
あくまで、ムネノリを助けるだけ。それならば問題はないのではないか。そんな声が心の奥底から聞こえてくる。いい、ダメだ、と天秤が右へ左へと傾く。
「……だめ、ですか」
そんなトワの心の葛藤に決定打をもたらしたのは、シノが見せた迷子の子猫のように揺れる瞳だった。滅多に感情を表に出さないシノが、誰にでも分かるくらいに不安な表情を見せていた。それがトワの良心を大きく揺さぶった。
「……うん、分かった。勝負、受けてみるね」
「っ! ありがとうございます!」
シノは勢いよく頭を下げた。よほど嬉しかったのか、顔を上げたときのシノの顔は日光を浴びたひまわりのようであった。
勝てるかどうかは定かではない。ツバキのことをよくは知らないのだ。現時点では、不利か有利かすらも分からない。そんな勝負なのだ。
だが、やるからには全力で。それがトールズでの学院生活を通して培った信念だ。シノの想いを背負うのであれば、なおさらだ。
(頑張ってみるね……ムネノリ君)
その後、トワはツバキのもとへと赴き、勝負を受けることを伝えた。
その話はすぐにムネノリに届けられ、彼はさらに頭を抱えることとなった。ムネノリは一応は反対したが、トワとツバキが既にやる気になっていた為、止められなかった。
種目を提案する審査員を5人選べと言われたムネノリは散々迷った結果、シノ、リィン、クロウ、アンゼリカ、ジョルジュを選んだ。基準は、トワやムネノリとの関わりが深いかどうかであった。
種目はその日の内に決められ、翌日から勝負が行われることとなった。ちなみに、勝負をする時間を確保する為に、急いで仕事を片付けに帝都に戻るツバキの姿があったとか。
*
翌日。いよいよ勝負の時間となった。空いている教室に当事者のトワとツバキ、そして審査員であるアンゼリカとシノが集う。それぞれの審査員の時間の都合に合わせて勝負を行なっていく予定だ。賞品のムネノリはⅦ組が授業中の為、この場にはいない。
張り詰めた空気の中、審査員の代表でもあるアンゼリカが口を開く。その表情は、いつになく真剣だ。
「さて、では始めようか。まず最初に宣言しておこう。審査員のほとんどがトワと親しい間柄にあるが、贔屓は決してしない。審査は公平であり続けることを、ログナーに名において誓おう」
貴族子女としてはかなり型破りなアンゼリカだが、貴族としての誇りは人一倍強い。そんな彼女が誓うからこそ、その言葉にははっきりとした重みが感じられた。
「ルールの確認と行こうか。ルールは5番勝負、つまりは3本先取した方の勝利だ。勝負の種目は約束通り、私たちが決めた。順番はシノ君、ジョルジュ、私、クロウ、リィン君となる。いいかな?」
トワとツバキは同時に頷く。アンゼリカは「よろしい」と2人の同意を認める。
「というわけで、1番目の勝負はシノ君だ。シノ君、あとは頼むよ」
「かしこまりました」
アンゼリカが下がると、シノが前に出る。すると、彼女は2人に茶封筒を見せた。
「私の提示する種目は”学力勝負”です。教養がない者に、兄上を任せることはできませんから。どうでしょうか」
「うん、大丈夫だよ」
「異議なし、ですわ」
誰がどう見ても公平な種目だ。文句など出る筈がない。
「了解しました。内容はアンゼリカ様やジョルジュ様に協力していただき、数年前のトールズの中間試験から抜粋しました。帝国特有の科目等は弾いてあります。模範解答も拝借しておりますので、ご安心を」
「……えっと、シノちゃん。それは、ちゃんと教官方に許可をいただいてるもの、だよね?」
「もちろんです。サラ教官からイズモの名酒1本で買い上げたものです」
「それ、大丈夫って言うのかなあ……」
もっとも、こんなことに手を貸してくれそうな教官と言ったらサラくらいしか思いつかないのも事実だ。生徒会長としてはどうかと思いつつも、渋々見なかったことにした。
「では、距離を取って席についてください。試験時間は、60分です」
シノの言葉に従い、2人はそれぞれ席につく。席は離れているものの、2人とも最前列に座った。シノが問題と回答用紙を配る。
「それでは、始めてください」
それを合図に、2人は問題に取り掛かるのであった。
*
(ふふ……この勝負、もらいましたわ)
問題を見たツバキは、その瞬間から勝利を確信していた。それくらい、自らの学力に絶対の自信があったのだ。
元々マツナガ財閥の跡取りとなるべく英才教育を受けていたのに加えて、それすらも生温いと思えるほどの修練を重ねてきた。その修練の中には、当然学問も含まれている。
全ては、ムネノリの為に。努力に努力を重ねたツバキの学力はムネノリすらも上回る。事実、中にはトールズの2年生向けの問題も含まれているにも関わらず、彼女の鉛筆の動きは淀みなかった。ムネノリやリィンと同じ17歳としては、かなりのものだろう。
そして、だからこそ気づかない。気づけない。この学力テストという種目自体が、公平性を考慮した上で、ツバキの自信を逆手に取ったシノの巧妙な罠であることに。
要は、侮っていたのだ。西ゼムリアの大国であるエレボニア帝国随一の名門、トールズ士官学院において、入学当初から主席であり続けているトワ・ハーシェルの実力を。
試験が終わり、採点が終わる。採点を担当したアンゼリカから、シノが答案を受け取る。
「それでは、発表します。先に、ツバキ様から発表致します。ちなみに、ご存知かとは思いますが、200点満点です」
シノが片方の答案に目を通す。そちらがツバキの答案なのだろう。ツバキは一切の不安を感じることなく、堂々と発表を待つ。
「ツバキ様————189点です」
「……実際、なかなかすごい点数だ。試しに私も挑戦したが、170点代止まりだったからね。17でこれは、尊敬に値するよ」
(ふっ、当然ですわ)
アンゼリカの手放しの絶賛にツバキは気分が劇的によくなる。当然の結果とは分かりつつも、褒められれば嬉しいに決まっている。
189点。割合で言えば、90%オーバーだ。普通に考えれば勝ちはほぼ確定な点数だ。普通であれば。
「では、次にトワ様の点数を発表します」
(ふん、あんなしょうもないミスを連発する方が、わたくしに勝てる筈がありませんわ)
ツバキにとっては未だトワが客人の前で粗相を重ねた間抜けという印象が強い。自分の方が上だと考えてしまうのも、ある種当然のことだ。
ツバキが余裕な態度で発表を待つ中、シノがトワの答案を確認する。
「トワ様————196点です。おめでとうございます」
「はぁあああああっ!?」
頭を鈍器で殴られたかのような衝撃だった。ツバキは飛び上がり、絶叫をあげる。それを聞いたトワがビクリと肩を跳ね上げるが、そんなものは知らない。
「どういうことですの!? 採点ミスでもしてるんではなくて!?」
「そんなことはないさ。念の為、2回確認しているんだからね。いやあ、さすが私のトワだよ」
「ちょっと! その発言は贔屓ではなくて!?」
「いやいや、勝者に祝いの言葉を投げかけているだけさ。なにもおかしくはないだろう?」
「ぐぬぬ……」
その後、ツバキはゴネにゴネてトワの答案を自身で採点したものの、結果は同じだった。
こうして、学力勝負の結果はトワの快勝に終わった。以後ツバキは猛省し、トワを侮ることを止めるのであった。
*
次の勝負を担当するのはジョルジュだった。勝負の場は第三学生寮のキッチン。シャロンの厚意で提供してもらった。場所からも分かる通り、選ばれた種目は”料理”だった。
なんだか、私的な理由が混ざっているようにも思える選択だった。
「いい奥さんになるなら、できるに越したことはないと思うんだけど、どうだい?」
特に異論なく採用される。トワは制服の上着を脱ぎ、袖をまくってエプロンを着ける。一方のツバキは、着物をたすき掛けにしてから割烹着を上に着ていた。以前、シノが同じ格好をしていたのを見たことがある。
ともあれ、お互い準備万端である。
「お題をもとに、それぞれ1品用意してもらうよ。審査員は僕しかいないから、すまないけど僕だけで判定することになる」
そう前置きしたジョルジュは、お題が『卵』であることを告げて、調理開始の合図を出すのであった。
(うーん、卵かー。どうしようかなあ……)
トワは手を顎に添え、首を傾げる。卵料理と一口に言っても、その種類は多岐に渡る。なにを作るか非常に悩ましいところではある。
一応、おおよその方針は決まっている。卵料理の中でトワが得意としているのはオムレツ、もしくはその派生であるオムライスだ。だが、トワはなにを中に包むかで悩んでいた。
(あ、そういえばこの前試したアレ、とっても上手にできてたよね……)
ふと、最近頻繁に行っているトマト料理の研究のことを思い出す。その成果がようやく実を結んできていて、先日非常によくできたメニューがあったのだ。奇しくも、卵を使った料理でもある。
それで行こう、と思った。ムネノリを巡る勝負である以上、このメニューが一番ふさわしいと思った。
そうと決めたトワは早速、必要な食材をボウルやトレイに集める。卵、トマト、生クリーム、えびなどが収められていく。
(じゃあまずは、トマトソースを作らないと!)
手順を頭の中で再確認したトワは、いよいよ調理に取りかかるのであった。
……その背後で、ツバキが妖しく目を光らせていることに気づくこともなく。
「ジョルジュ君、おまたせー」
「おっと、トワが先か。どれどれ」
トワは料理が乗った皿をジョルジュの前に置くと、彼はそれを覗き込んだ。
「これは……オムライス? 上にかかってるのはホワイトソースかい?」
「うん、そうだよ。かける用だから、少し固めにしてあるんだ」
焼き目1つない黄金色に輝く卵の隣に、添えるようにしてホワイトソースを置いてある。基本的には好みに合わせて使ってもらう形だ。
「じゃあ、さしずめ、『オムライスのホワイトソース添え』ってことかな?」
「えへへ、実はそれだけじゃないんだ。とにかく、食べてみてほしいな」
トワに促されたジョルジュは「なら、お言葉に甘えて」とスプーンを手に取った。彼はスプーンの先を卵に沈み込ませる。卵が割れ、中身が姿を見せる。
それを見たジョルジュは、「へえ」と声を漏らした。
「これは……中にチキンライスじゃなくて、リゾットを……?」
「うん。トマトクリームのリゾットで包んでみたんだ。だから、本当の名前は『トマトクリームリゾットのオムライス』になるかな」
下茹でして皮を剥いたトマトを丁寧に裏ごししたあと、にんにくに香草、少量のストックと調味料で煮詰めたトマトソースを、生クリームで伸ばした。食感をよくする為に、1口サイズのえびも加えた。そのソースを使ってリゾットを作り、卵で包んだのだ。
「なかなか面白いね。じゃあ、早速……」
スプーンで卵とリゾットを大きめに掬うと、ジョルジュはそれを口に入れた。期待半分、緊張半分な心持ちで感想を待った。
「……うん! 美味しいよ。リゾットの食感は絶妙だし、生クリームでまろやかになったトマトの酸味が舌に優しいね。……もしかしてこれは、ムネノリ君の為に?」
「あはは、やっぱり分かっちゃうよね。これならトマトの持ち味を活かしたまま、トマト嫌いの人でも食べられるかなと思って。よかった、上手くいってて」
元々の始まりは、トマトクリームパスタだった。トマトの食感をしっかりと消し、生クリームで酸味を弱めればムネノリでも食べられると思ったからだ。だが味はともかく、見た瞬間にトマトが入っていると分かっていたら手をつけないのではないかと思い、没となった。
その後、トマトクリームを見えなくする工夫を考えた結果、リゾットにして卵で包むことを思いついた。提供する時点では中身は卵に隠れるし、卵を開いても見た目がチキンライスに似ているので、抵抗が少ないのではと考えたのだ。ただ、そこからの調整が大変だった。
オムライスに合うような食感のリゾットになるように米の固さを調整したり、オムライスにかけるソースの選定だったり。複雑に絡み合った無数の紐を解くような、大変な労力を伴うものだった。
試行錯誤の結果、チキンライスに近い食感を保ったオムライス専用のリゾットが完成した。そういう意味では、もうリゾットではないかもしれない。
いずれにせよ、苦労して完成させた甲斐があってその出来には自信があった。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
試食にも関わらず、ジョルジュはあっという間に完食してしまった。
試食用なので量は少なめにしていたが、このあとの試食に響かないだろうか。そこまで考えて、ジョルジュならば大丈夫か、と悪気はないながらも若干失礼なことを考えたりした。
「——ふふ、お待たせしましたわ」
ジョルジュがトワのオムライスの試食を終えてから数分後、ツバキが姿を現した。料理が完成したようだ。皿をジョルジュの前に差し出す。
それを見たトワは、目をぱちくりとさせた。
「っ!? これって……」
「ふふ、どうせなら真っ向勝負ですわ。貴方の集めた食材を見ていれば、おおよその推測はできましたので」
なんと、ツバキは出す料理を被せてきたようだ。トワと同じく、オムライス……と思われる料理だった。しかし、その見た目はトワの知るものとは異なっていた。
まず、チキンライスが卵で包まれていない。形の整えられたチキンライスの上には、プレーンと思しきオムレツが乗っているのだ。ライスに吸い付くように形を変えたオムレツは、その中身のトロトロ具合を物語っている。
また、卵にはなんのソースもかかっていなかった。皿に、ソースが添えられている訳でもない。
使っている材料や調理工程はほとんど同じ筈なのに、目の前にあるものは似て非なる料理だった。
「これは……オムライス、でいいのかい?」
「この状態をイズモではタンポポオムライスと呼びますわ。まあ、見ててくださいまし」
含みのある言い回しだった。ツバキは小さめの包丁を取り出し、オムレツの縦のラインに沿って刃を入れる。
すると、オムレツの上部がパックリと裂け、チキンライスを包むようにして割れ広がった。包まれていた半熟の卵が、キラキラと輝く。自然と、舌の上に唾液が溜まるのを感じた。
「わあ……綺麗」
「まだまだこれからですわ。仕上げに、ソースをかけますわね」
ツバキは一旦自身の調理場に戻ると、小さめの鍋を持って戻ってきた。温めてあったらしく、湯気が出ている。ツバキは中身をお玉で掬うと、オムライスにかけていく。
そのソースはドミグラスソースを煮詰めたような色をしていて、細切れの牛肉や玉ねぎが入っていた。トワは、そのソースの正体がすぐに分かった。以前、試運転の際にガレリア要塞で食べた。
「ハヤシライス……? いや、この場合だとハヤシソースか」
「ふふ、その通りですわ。そしてもちろん……トマト入りですわ」
そこまで言われたトワはハッとする。わざわざここでトマト入りのハヤシであることを言及した理由。それは1つしかない。
「もしかして、ツバキさんもムネノリ君の為に……?」
「……そのムネノリ様の呼び方は気になりますが、今は置いておいてあげますわ。ま、貴方のご想像通りですわ。ハヤシでしたら色の問題もありませんし、トマトの酸味もほとんど出ませんわ。酸味が出ないギリギリまで調整した、特製ハヤシソースですわ」
まさかこんなオムライスの作り方があるとは、夢にも思わなかった。ハヤシライスのソースをオムライスにかけるという発想にも驚いている。
イズモの人間は食にこだわるというのは以前の食事会で知っていたつもりだったが、その予想以上だったようだ。
「さ、冷めない内にどうぞ」
「ああ、ありがとう。いただくよ」
促されたジョルジュはスプーンを入れる。ハヤシソースの絡んだプルプルの卵が乗ったチキンライスが、口に運ばれていく。
それを食べた瞬間、ジョルジュの目が明らかに見開いた。
「っ!? こ、これは……」
「ふふ、どうですの? ああ、貴方も試食なさる?」
ツバキがトワにスプーンを差し出す。少しはしたない気もしたが、彼女の作ったオムライスへの興味の方が勝った。
「じゃあ、1口だけ」と言いながらスプーンを受け取り、ジョルジュの反対側から掬って口に入れた。
——次の瞬間、口の中で鳥肌が立つような旨味が爆発した。
(す、すごく美味しい……帝都の高級レストランの料理みたい……!)
スプーンを口に入れたまま固まってしまう。それくらい衝撃的だった。
卵の火加減は当然のように完璧、チキンライスも同様だ。そしてそれ以上に、ハヤシソースがとんでもなかった。
舌の奥まで突き抜けるような深いコク。おそらくは鍋が焦げるギリギリのギリギリまで煮詰めたことで生まれる、極上の苦味。それが卵と絡むことで、チキンライスの酸味と抜群の相性をもたらしている。
味の奥行きの階層が複雑過ぎて、調理工程が頭に浮かんでこない。単純な発想だけじゃない。根本的に、技量が違うのだとはっきり分かった。
トワとジョルジュの反応を見て満足したのか、ツバキは自信満々な笑みを浮かべて口を開いた。
「わたくし、長年イズモの最高峰の料理人に師事しておりましたの。未だ頂きは遠く、見習いの身ではありますが、少なくとも”ただの家庭料理”に負けるつもりは毛頭ございませんわ」
悔しいが、完全に彼女の言う通りだった。メニューなど関係ない。まさしく、プロとアマチュアの差を痛感させられた勝負だった。
当然、ジョルジュはツバキを勝者とした。これで、1勝1敗となった。
*
3回戦は放課後まで待たねばならなかった。最低限こなさなければならない生徒会の仕事を終わらせたあと、トワはアンゼリカが指定した場所に向かった。
指定の場所はカフェの《キルシェ》だった。トワが到着すると、そこにはツバキ、アンゼリカ、そしてムネノリとシノがいた。
意外にもツバキはムネノリとベタベタしていなかった。どうやらアンゼリカに止められたらしい。勝負が決着するまでは、過度な接触は禁止だと言われたそうだ。
「さて、まだクロウの番が残っているし、手短に済ませよう。私の選んだ種目をこれさ」
アンゼリカは全員の集まったテーブルにどん、となにかを置く。それはカフェのメニューの1つであるパフェだった。だが、それだけではさすがにどんな種目なのかは分からなかった。
「えっと、アンちゃん。これをどうするの……?」
「ふふふ、なぁに。決まっているじゃないか」
やけにもったいぶったアンゼリカは、唐突に立ち上がる。そしてトワとツバキを見比べたあと、ムネノリに向かって手を差し出し、高らかに宣言した。
「題して、”あーん勝負”だ! 先にムネノリ君にパフェをあーんして食べさせた方が——!」
「アンちゃん、ちょっとこっち来て」
トワは間髪入れずにアンゼリカを店の外に連れ出した。トワは両手を腰に当て、頰を膨らませながら問い詰める。
「ねえ、アンちゃん。これはツバキさんにとっては真剣な勝負なんだよ? さすがにこれは、失礼だと思うんだけど」
「いやいや、そんなことはないさ。一見ふざけているように見えてしまうのは仕方ないが、これにはちゃんとした理由があるのさ」
問い詰められる側のアンゼリカは平然とした様子で受け答える。未だ納得できないトワは、その理由を聞く。
「まず、夫婦……というよりは、恋人同士であーんをするのは至って自然だ。特に私たちのような年齢ではね。ならば、どちらが先にあーんできるかで競うのはなんら不思議ではない」
詭弁だ。真っ先にそう思った。散々アンゼリカに振り回されてきた身であるトワは、こういうときの彼女の言葉を簡単には信用しない。続きを促す。
「それにトワ。シノ君から聞いたが、君は自分の為ではなくムネノリ君の為に戦っているそうだね?」
「それは、そうだけど……それがなにか関係あるの?」
「大ありさ。さっきも言っただろう? あーんは本来であれば恋人同士で行うもの。もしかしたら、トワ自身が気づいていない気持ちに気づけるかもしれないよ?」
「わたしの、気持ち……?」
勝負中の今ですら定かではない、己の気持ち。それが分かるかもしれない。ずっとそれがしこりになっていたこともあり、トワはあっさりその言葉に釣られた。それでも、半信半疑だが。
「……分かった。やってみる」
「それはよかった。ああ、そうだ。なんなら予行練習で私にもあーんを……」
「やらないからね」
先ほどまでの言葉が一気に胡散臭くなったが、それでも結局はトワの人の好さが上回り、同意することとした。ちなみに当然と言うべきか、ツバキはあっさりと同意した。
ただ————
「む、ムネノリ君……そ、その……うぅ…………あ、あーん……」
「はいムネノリ様、あーん!」
この手のことに関して、かなり積極的なツバキと比較的消極的なトワ。どちらが勝つかなど火を見るより明らかだった。
トワが羞恥で躊躇している内に、ツバキがあっさりとムネノリの口にねじ込んだ。僅か3秒で決着が着いた。
これで1勝2敗。ツバキが王手をかけた。
*
「ククク、ちゃんと俺まで回ってきてよかったぜ。せっかく種目を考えたのに必要ありませんでした、じゃあんまりだからな」
第二学生寮のラウンジで待ち受けていたクロウは開口一番、そう言った。確かに、どちらかが3回戦までにストレートで勝利していたらそこで勝負は終了。4回戦以降は不要になっていた。
ちなみに放課後で時間ができたからか、アンゼリカたちもまだ一緒にいる。
「……クロウ殿。念の為言っておきますが変な種目は選ばぬようお願いします」
「分かってるっての。お前は俺をなんだと思ってンだ」
「以前、拙者の部屋に……」
「だぁああ!! あんときゃ悪かったっつの! クソ、事あるごとに持ち出しやがって……」
ムネノリとクロウがぎゃあぎゃあと騒いでいる中、トワは沈黙を保っていた。なにせ、あと1敗したら負けてしまうのだ。下ろしている両手をぎゅっと掴み、せわしなく親指を揉み合わせている。
「……ほら、しっかりするんだトワ。まだ負けたわけじゃないだろう?」
「アンちゃん……?」
そんなトワの背中をポンポンと叩いたのは、先ほどまで審判を務めていたアンゼリカだった。
「試運転のときだって、色々と危ないことはあったが、なんとか乗り越えただろう? 諦めなければ、どうにかなるものだよ」
「アンちゃん……うん、ありがとう。でも、審判のアンちゃんがそんなこと言っちゃダメだと思うんだけど……」
「なーに、もう私の種目は終わったし、審判代表なんて形だけだ。審判としての贔屓はしてないし、問題はないだろう」
その理屈はどうなのかなと思うトワだったが、既に元気付けられてしまった以上、なにか言うつもりはなかった。
「ンじゃ、4回戦の種目発表だ。勝負には、コイツを使ってもらう」
クロウがテーブルに置いたのは、トランプとカジノのチップを模したプラスチックのコインの山だった。
「最初はブレードも考えたんだが、あっちはまだまだ新興勢力だからな。昔からよく知られているポーカーで勝負してもらうぜ。このコインはチップ代わりだ。これでどうだ?」
賭け事やゲームが好きなクロウらしい提案だった。勝負の趣旨とはもはやなんの関係もないような気がするが、少なくとも公平性は保たれている。
「わたしは大丈夫だよ」
ポーカーならクロウたちとよく遊んでいるので慣れている。それに戦績もそれなりにいい。トワは迷わず同意した。
「……ええ、いいでしょう」
一方のツバキも、やや迷った様子を見せながらも承諾の意を示した。もしかしたら、カジノとかを快く思っていないタイプなのかもしれないと、トワは思った。
賭け事に反対なのはトワも同じだが、ミラを賭けないならただのゲームだ。問題はない。
「よっしゃ。ルールは基本のクローズド・ポーカーでいいな? 30分勝負して、コインを多く所持していた方の勝ちだ」
その後、2人にはコインが均等に分けられ、向かい合って座る。ディーラーも務めるクロウの主導のもと、勝負が開始した。
……そしてすぐに、トワはツバキが迷いを見せていた理由を知ることとなる。
「ふっふっふっ、レイズですわ!」
明らかに自信があります、と言わんばかりの顔でツバキはレイズを宣言する。それを見たトワは、カードの交換を終えてもワンペアのままの己の手札を見る。
「ドロップです」
「……勝負しませんの?」
「はい、降ります」
「…………そう。まあ、いいですけど」
ツバキは不満げな顔をしながら、トワが出したコインを回収する。出したコインは最低限なので、大した痛手ではない。
——開始15分の時点で、ほぼ大勢は決していた。ツバキはもうそれほどコインを持っていない。一方のトワは、山のようにコインを持っていた。多少負けが込んだくらいじゃビクともしないくらいの差がついている。
別にトワが異次元的な強さを誇っている訳じゃない。実際クロウたちと4人でやるときは、単純な勝率はアンゼリカの方が若干上だ。
そうではなく、ツバキが異常に弱いのだ。具体的には、なにを考えているのかが顔を見るだけで丸分かりなのだ。揃っている役が顔に書いてあるように見えるレベルである。
役が弱ければ一瞬落ち込んでからブラフを張ろうと強気になり、役が強いと明らかに機嫌がよくなる。それでいて、役が弱いときでもトワのドロップ狙いでやたらと張り合ってくるので、彼女のコインは溶けるように減っていった。
きっと、ツバキは自分が弱いことには気づいているが、なぜ自分が弱いかは分かっていないのだろう。でなければ、いつまでも同じミスをする筈がない。
ディーラーのクロウに目をやると、彼ですら引きつった笑みで場を眺めていた。結果論ではあるが、ポーカー勝負はトワにとっての事実上の不戦勝だった。
そのまま奇跡的な逆転劇が起こることもなく、トワが開始20分で完勝した。そして、あまりにも不憫だったので、勝負が終わったら問題点を教えてあげようとトワは思った。
ともあれ、これで2勝2敗。リィンが受け持つ最終戦までもつれ込むこととなった。だが、今日はもう夜遅いので、リィンには種目の確認だけとって明日の放課後へと持ち越すこととなった。
そして、第三学生寮の自室にいたリィンから提案された種目は、”1対1の模擬戦”だった。