冥界の長い階段を上ると、少しずつひんやりとしてきた。やはり、世界の暑さも死後の冷たさを温めることはできなかったようだ。それでもいつもより暑いところを見ると、多少なりとも影響はあったようだけど。
白玉楼はいつもと変わらない様子だった。俺が門を開いて中に入ると、縁側で寝ている幽々子の姿を発見する。だらけた様子ではあるが、暑すぎるとかいうわけではなく、シンプルにだらけているようだ。
「幽々子」
「…ああ、定晴さんね。一瞬誰かと思ったわ~」
俺を見ると、起き上がり少しだけ固まったが、すぐにいつもの雰囲気に戻ってまた寝転がる。
「ここはそこまで暑くないみたいだな」
俺が重装甲を脱いで、幻空の中に片づける。重装甲はやはり動きづらいので、剣士でもある俺からするとデメリットでしかない武装だ。幻想郷がそれだけ暑いのが悪いのだけど。
「そういえば幻想郷は暑いみたいね~」
「これがないと一瞬で熱中症になっちまうんだ。冥界は大丈夫だったか?」
「ええ、快適よ~」
なんとなくいつもよりも暑いような気はするが、熱中症になるほどのものではない。
冥界は幻想郷との結界が曖昧になっているとはいえ、ひとつの独立した世界ともいえる。そのため、幻想郷の影響をそこまで大きく受けないのだと思われる。実際、幽々子はいつも通り怠けているようだしな。
「妖夢は?」
「あの子は買い出しに…あっ」
言ってる途中で思い出したかのように声を出し、少しずつ顔を青くする幽々子。ここまではっきりと顔色が変わるのも珍しいな。
「妖夢って熱中症とか…」
「あの子は半分は人間…というか、あのふわふわ浮いている半霊以外は普通の子なんだから熱中症にもなるわ」
「買い出しってどこなんだ?」
「いつもは人里だけど…」
しかし、人里には誰もいないことを確認している。どこに行ったのかはわからないけれど、多分慧音が誰かが早めに対策をしたのだろう。
そもそも、冥界を出た瞬間から暑いのだ。引き返してくるほうが現実的なのだけど…
「出たのって今朝とかだろ?暑くて引き返してくるとかないのか」
「どうかしら…あの子、一度決めると中々曲げないから」
妖夢は決めたこと、特に命令の類は確実に遂行しようとする癖がある。それは従者としてとても見本にすべきことだとは思うものの、自分のことも考えてほしい。そもそも、今日買い出しに行ったところで何も買えないだろう。
「今まではどうしてたんだ?ずっと暑いだろ?」
「妖夢がとっても買いだめしてたのよ~」
幽々子の食費が大変なのだと言っていた妖夢を思い出す。彼女がずっと傍にいる状態で数日間やりくりしていたのはとても健気である。妖夢の努力が見えてくるものだ。
「でも今朝になって、もう足りないって妖夢が涙目で言って~」
「それで送り出したのか」
「そうなのよぉ、最近向こうに行ってなかったから、そんな重装甲じゃないと危ないなんて知らなかったのよねぇ」
冥界は今回の異変とは関係なさそうだが、それはそれとして問題が浮上することになった。さすがの妖夢もこの暑さの中人里に向かおうとはしないと思いたいのだけど…妖夢、いい意味で馬鹿正直だからなぁ…
「分かった。俺が見てくるよ」
「お願いねぇ、もし熱中症で死んでも私から言伝しておくわ~」
物騒なことは言わないでくれ。本当にできるんだろうけども。
俺は重装甲をもう一度着用し、階段を下りる。登ってくる途中は気づかなかったけど、もしかしたら階段のどこかで倒れている可能性もあるので注意深く見ながら飛ぶ。
しかし、結界のところに来るまで妖夢の姿は見つからなかった。本当にこの結界の外に…?
冥界から幻想郷に入ると、途端に暴力的な暑さが俺を襲った。この暑さの中で行動すればもれなく命に関わるのだが、妖夢はどこに行ったのか。
俺は妖夢を探すために、人里の方向へと飛んで行った。
大量に滴る汗と壮絶な眩暈。
ああ、これが死なのかと強い実感を覚えながら妖夢は森の中を歩いていた。人里に行けども何も見つからず、知り合いにも出会えなかった。
妖夢がここまで行動できたのは、ただの根性、そして半人半霊という体質のおかげであった。半霊は常にひんやりとしている。魂というものは、実体のあるようなものではないので、熱がこもらないのだ。そのおかげで、妖夢にたまる熱の半分は常に放出されることで、体感温度を劇的に減らすことに成功していた。
だが、それでもこの暑さに耐えられるものではない。体感温度を下げたとて、常に極暑ともいえる暑さに晒されているのには変わらないのだ。途中の川で水分補給もしたが、そろそろ妖夢は活動限界であった。
冥界まではあとどれくらいだろう。自分は今どこにいるだろう。上下も分からず、少しずつ視界が暗転していく。何もわからない、何も、何も…
「…」
荒い呼吸で地面に倒れ伏す妖夢。このままでは、確実にここで死んでしまうだろう。
そんな少女の傍に何かの影が現れた。それは、少女の体を優しく抱き上げると、森の奥へと消えていった。