地獄はいくつかの層に分かれているが、それとは別に地獄で罪人を罰するものが多く存在している。
よく知られているのは血の池地獄、針山地獄、灼熱地獄などなど。舌を抜くとか、餓死を苦しみを与え続けるとか、そういったものも存在している。
地獄の執行人は鬼の姿がよく描かれるが…地獄にいるのはなんだかよくわからないものだった。顔を隠して何もしゃべらず、ただ罪人に罰を与えるその姿は無慈悲と表現するほかないものだ。
「地底にも旧地獄があるよな。同じことをやってたのか?」
「そうね。地底にもそのころの悪霊が残ってたりするから、見つけたら話しかけてみればいいわ」
絶対に攻撃されるけど、と紫は付け加える。
ここにいるものは既に死んでいるものとはいえ、これを見ているだけで苦しくなる。なんというか、平行世界の俺の死を思い出す感覚があるのだ。俺自身は死んでいないけれど、俺の能力で認識した死がありありと目の間に浮かんでくるようで…
「定晴、大丈夫?」
「大丈夫だ。すまない」
紫が心配そうに俺の方を見ている。顔色に出ていただろうか。
そう思っていたら、紫が急に抱き着いてきた。空中なので少しバランスを崩してしまうが、なんとか支える。
「どうした」
「苦しそうだったから…私がいるから大丈夫よ」
自愛のこもった笑みで俺を見つめる紫。それを日ごろしていれば、幻想郷の住人からも胡散臭いと思われないと思うのだけど。
『すっごい愛を感じるわー!定晴、今すぐ抱き返すの!』
『黙ってろ!』
『ふぎゃっ』
魂で愛が召された。
この距離で抱き着かれても、ドキドキしないのは俺が壊れているからだろう。紫には申し訳ない。
「ちょっと、その表情は何よ」
「なんか、すまないと思って」
「ふふ、私にどっぷり落としてあげるんだから」
その後、流石にハグはやめたがずっと俺の手を握っていた紫。その顔は赤くなっており、大妖怪とは思えない初々しい反応が見える。
そんな紫を見て、少し俺も安心していることに気が付いた。それは恋愛感情などではなく、ただただ紫に対する信頼だ。幻想郷に来るより前から付き合いのある紫だから、安心して手をつないでられる。
「私ばっかりドキドキしてる気がする…」
「じゃあ手を離せばいいじゃないか」
「もうっ、恋心が分からない定晴は静かに!私はこれでも今幸せなんだから」
顔を真っ赤にしながらも、幸せだという紫。俺にはまだ分からない感覚だな。
ともかく、そうして微妙にイチャイチャ(魂の愛談)しながら飛んでいると、ふと強い狂気を地獄の一角から感じた。
「紫、向こうだ」
「はーい」
随分と上機嫌な紫は、いつもの胡散臭さが完全に消え少女のような雰囲気を出していた。
そもそも見た目が十代の少女なので、まあ分からんでもない。大妖怪の気配さえ出さなければ、見た目相応の可憐な女の子なのだけど…
「これって何地獄?」
「…これ、無間地獄の入り口よ。入るのは…おすすめしないわ」
それはただでさえ深い地下にあるはずの地獄から、さらに下に向かう穴。
地獄は八大地獄と呼ばれるいくつかの地獄があるが、無間地獄というのはその中でも別格だ。曰く、永遠の苦しみを与えるだけの地獄。この地獄に比べれば、他の七つの地獄は幸福と感じるレベルだという。
「だが、この先から狂気を感じるんだが」
「それはそうでしょう。この先で罰を受けるものが狂気になっていないはずがないもの」
今思えば、地獄に入ってから全方向から狂気を感じたのは、異変の影響が大きいからではなく、シンプルに狂気が多い空間だからなのかもしれない。
地獄の責め苦で飄々としていられる者などいない。人間の寿命よりも遥かに長い時間苦しみを与えられ、罰せられる。そんな過ごし方をしていれば、正気でいられるわけもない。
「俺も行きたくはないさ。でも、狂気が、この先だって言ってるんだ」
「罪人の怨嗟の声じゃなくて?」
「ああ、何かがいるって」
フランが狂気に落ちているときでも、ここまでのものは感じない。地獄らしいといえば地獄らしいけれど、それでも尋常ない狂気がこの中に渦巻いている。それは、この地獄から漏れ出して感じ取れるレベルにまで。
地獄の狂気は漏れ出すとそれだけで大変なことになる。それゆえに、漏れ出さないように対策はされているはずだが…
「ふう…」
「本当に行くのね」
「解決のためだ。俺がここで躊躇っている間に熱中症になっている数は多いはずだ。正義感ではないけれど、できることがあるならやらなきゃ」
俺は無間地獄に足を踏み出そうとした。その瞬間、服を掴まれる。
「紫?」
「この穴、まっすぐ落ちても何百年もかかるわよ。私がスキマを開いてあげる」
震える声で、紫が呟く。紫にとっても、無間地獄は怖いものらしい。
だから、と、紫は俺に抱き着いた。先ほどのように優しいものではなく、絶対に離さないと言わんばかりの強い抱擁。
「離れちゃだめよ。私も、貴方も、無間地獄で一人になったら耐えられないわ」
罪人でなければ刑の執行をされることはない。だが、無間地獄というのはそこにいるだけで命を脅かされるような環境であり、正気ではいられない場所らしい。
誰か、信じあえるような誰かが一緒にいて初めて認識することができる場所らしい。それでも苦しく、生きづらい場所らしいけれど。
「じゃあ、行くわよ」
紫と共にスキマに入る。いつもはじっと見つめてくるだけの沢山の瞳が、今日は慌ただしくキョロキョロしている。
そしてスキマを抜けると同時に、俺と紫の体が強張った。ああ、これは常人には無理だろう。ある意味、死をよく知っている俺や紫じゃないと耐えられない。
「行こう」
死の香りが立ち込める大空間。無間地獄を俺たちは進む。