幻想郷の秋は、少しだけ長い。とはいえ、それも少しだけであり、食欲の秋やらスポーツの秋やら、やりたいことをやっていれば、そんな時期もすぐに過ぎ去り幻想郷には霜の声が聞こえ始める。
俺がふらりと一人で霧の湖に来て見れば、岸でうとうとしているわかさぎ姫に遭遇した。地面に体を預けて、上半身だけを水面から出した状態で、寝そべっていた。
「わかさぎ姫?」
「は~い…」
俺が声をかけると、わかさぎ姫はか細い声で返事をした。どうやら眠っているわけではないようだ。
「大丈夫か?」
「水が冷たくて…眠いですー…」
よく見ると、わかさぎ姫の体は微妙に震えており、どうやら冬眠しかけているらしい。
試しに湖に手を入れてみると…冷たすぎる。俺はすぐに手を引いて魔術で手を温める。数十秒手を浸ければあっという間に凍傷になってしまうだろう。それくらい冷たい水がここには満ちていた。
「私は気にしないでくださいー…毎年のことですからぁ…」
そこまで言うと、わかさぎ姫はぶくぶくと湖の中に沈んでいく。家にでも帰るのだろうか。じゃあなぜ地面に身を投げ出していたのか。
幻想郷の冬は結構雪が降るし、日本では珍しいほどに冷え込む。寒さに弱い妖怪や冬眠する妖怪にとっては、中々に厳しい環境であると言えるかもしれない。沖縄にも寒さに弱い妖怪のための幻想郷を作った方がいいんじゃなかろうか。
俺が霧の湖を眺めて…寒い風が通り抜けて引き返そうかと思ったところ、背後から声が聞こえた。
「えっ」
「ん?」
振り返ると、そこには空中で固まっている妖精の姿。横の大妖精が揺さぶっている。
「チルノ?」
「なっ、何してるのよこんなところで!」
なんか怒られた。理不尽である。
この霧の湖の冷たさは冷気のせいじゃないかと思えるほどに、チルノからは冷気が漏れ出していた。まだ湖は凍っていないが、雪が降るよりも先に凍ることもあり得るかもしれないと思えてしまう。
チルノは大妖精に腕をひかれて地面に降りた。表情を七変化させつつ、わたわたしている。
「えっと…ひとまず、こんにちは定晴さん」
「ああ…チルノは大丈夫か?」
「不意打ちに弱いんだから…ちょっと待ってくださいね!」
大妖精がチルノを連れていき、何かを耳打ち。チルノはここから見ても分かるくらいに顔色を変えているが、最終的にいつも通りの表情になって戻ってきた。
「定晴、こんにちは!」
「元気そうだな」
「あたしはいつでも元気よ!」
最近のチルノは挨拶の時にちゃんと挨拶をしてくれるようになったし、挑発をしてくるようなこともしなくなった。元よりチルノくらいの挑発では乗らないものの、最近は落ち着いた雰囲気にもなってきたし、成長のいい兆候だと思われる。
「にしても、俺がここにいるのがそんなに不思議か?」
「チルノちゃんの家が近くにあるんです」
「チルノの家?」
そういえば、妖精たちがどこに住んでいるのかとか何も知らないな。幻想郷で、結構な数の妖精と会ってきたけれど、日頃から彼女らがどこに住んでいるのかは…クラウンピースは博麗神社の地下に住んでるとか言ってたな。
俺が聞き返すと、チルノはビシっと指をさした。そこには、見えにくいものの、木々の中にかまくらのようなものが見える。もしかして、あれが家なのだろうか。
「あれが?」
「そう!定晴なら特別に招待してもいいわよ!」
そういえばあまり霧の湖の周囲を散策はしていなかったように思える。基本的に紅魔館に行くときは寄り道をしないし、釣りのときも移動はしなかった。あんなものがあるなんて露にも知らなかった。
チルノが上機嫌で俺を招待しようとするので、ここで断ってもチルノが不機嫌になってしまうだろう。寒いのは寒いのだけど、仕方なく俺はチルノの家に招待されることになった。
林を抜けてかまくらのある場所に行く。
そこは、そこだけは、まるでずっと冬であるかのような光景があった。雪が降っているわけでもないのにかまくらの周囲は雪が積もっており、かまくらの形は全く崩れている様子はない。
「これってチルノの冷気で作ったのか」
「そうよ。あたしの冷気にかかればなんだってできるんだから!」
かまくらに触り…やはりしっかり冷たい。だが、魔術的なものは感じず、本当にただ冷気だけで形を保っているのだと分かる。
かまくらから少し離れると雪がなくなるので、まるでここだけ天変地異が起こったかのような奇妙な景色だ。
「夏の間もあるのか?」
「あるにはあるけれど、ここまでしっかりしてません。チルノちゃん、夏の間はいろんなところに引っ張られるから…」
「ああ…冷気が保てないのか」
このかまくらはチルノが毎日帰ってくるからこそ形を保っているのだろう。この時期ならば一日程度なら問題ないと思うが、夏の間は少し離れるだけでもかまくらは溶けて消えることだろう。
「大妖精もこういう家に?」
「ほとんどの妖精は家なんてありません。家を作れるほどの力も知識もありませんから」
「あたしが凄いって話よ。分かる?」
ふふんと胸を張るチルノ。妖精として強いことは分かっていたが、確かにここまで明確に違いが出てしまえば、強い妖精という自称も嘘ではないことの証左となるだろう。
チルノはかまくらの入り口に立つと、俺を手招きした。入ってこいということだろうが…サイズが妖精サイズなので、如何せん入りづらい。俺は仕方なく入り口でかがみ、中を覗くことにした。
「ここがあたしの家よ。招きいれるなんて初めてなんだから、ありがたく思うようにね!」
「はいはい」
中も、かまくららしい一部屋の構造をしていた。どこで手に入れたのか、座布団のようなものは置かれているが、ほとんど物は置いていない。部屋の端っこに、チルノが集めたお宝コレクションらしきものが積み重なっているのが印象的だ。
大妖精が中に入ると、お宝コレクションの中からキラキラした石を拾い上げた。
「チルノちゃんこれ拾ってたの?」
「他の妖精からけんじょーされたものよ!」
特に魔力などは感じず、不思議なものではなさそうな石。ただし、水晶でもないというのにどの方向から見ても輝いて見えるので、鑑賞物としての価値はそれなりにありそうだ。
大妖精がそれに目を付けた理由が気になって尋ねる。
「大妖精、それは?」
「光反石っていう、キラキラな石です。他の妖精たちの気を引くために私が香霖堂からたまに買ってるんですけど…」
大妖精曰く、本当にただ光るだけの石らしい。霖之助、子供相手にただの石を売りつけているのか?
いつもは大妖精が森の方に放り投げて他の妖精たちを制御しているらしいのだが、チルノがそれを集めて保管していたのが意外だったようだ。
というか、妖精たちの制御のためにお金を使って頭を使うなんて…大妖精って妖精の中でも随分と頭がいいんじゃなかろうか。チルノのことを常日頃抑えていることからも、その知能と力の強さが垣間見える。
「あ、チルノちゃん!これレミリアさんのものじゃない!?」
「紅魔館での戦利品よ!」
「勝手に人のものとっちゃだめって言ってるじゃんー」
そこにはレミリアの名前が書かれている植木鉢。まるで家具のように置かれているそれは、紅魔館から盗んできたものらしい。
紅魔館は定期的に妖精たちの襲撃にあっており、基本的には美鈴と咲夜によって追い払われている。そのため、紅魔館の中にまで侵入されることはほとんどないものの、庭はそれなりに侵入されてしまうらしい。この植木鉢はその時に拾ったものだろう。
レミリアに植物を育てる趣味があったことは意外だが…悲しいかな、かまくらの寒さのせいか、それとも元々か、植木鉢には芽のようなものは何もなく、土だけが入っている物悲しい置物と化していた。
「あたしのお宝なんだから!」
「人のを盗むのは悪いことなんだよ」
「取られる方が悪いのよ!」
チルノは植木鉢を盗んだことに関しては全く反省していないらしい。
本当に必要なものや重要なものであれば咲夜が探しに来るだろうから、チルノが今まで持っていられているということはそこまで重要なものではないのかもしれない。もしかしたら、レミリア自身植木鉢を忘れている可能性すらもある。
まあそれも一種の交流なのだろうなと俺は微笑ましく思うものの、大妖精はチルノに反省を促そうとしている。だが、チルノは聞く耳を持たない…と思いきや、大妖精がチルノの耳元で何かを呟いた。
「定晴さんに、嫌われちゃうよ」
「っ!!」
何を呟いたのか聞き取れなかったが、チルノが明らかに慌てだした。俺の方を何度かチラチラ見た後に、取り繕うような表情を浮かべて宣言した。
「これはあたしが持ってても仕方ないから、返してあげなくもないわ!」
いかにもとってつけたような理由ではあったが、チルノは植木鉢を返しに行くことにしたようだ。それを聞いて大妖精も満足そうにしつつ、何かをぶつぶつ呟いている。
「定晴さんのこと、そんなに大事なんだな…うーん、ちょっと妬けちゃうけどチルノちゃんは大人になろうとしてるし…」
大妖精が何かを言っているが、チルノがやけに空元気に声を張り上げているので聞き取れない。
チルノは植木鉢をもってそのまま紅魔館の方へと飛んでいく。どうやら今すぐ返しに行くようだ。大妖精がそれに気が付きチルノの後ろを飛んでいく。
「またね定晴!」
「失礼しますー」
そう言って二人は霧の中へと飛んで行った。やけに元気そうに飛んでいくチルノは、飛んだ下の水を凍らせていく。
それに巻き込まれたわかさぎ姫が、ふにゃあと言いながら力尽きた。
……
後日、紅魔館に行くとフランの名前が書かれている植木鉢からきれいな花が咲いているのに気が付いた。どうやら寒さに強い花を植えていたらしい。
雑に隣に置かれているレミリアの植木鉢にはやはり何も育っていなかった。南無。