幻想郷の寒さというのは普通だと厳しいものがある。雪は降るし、水は凍る。
それでいて、外の世界ほどの暖房設備もないため、幻想郷の毎年の冬は住人にとっては文字通り死活問題にもなり得るのだ。俺の家は霊力や妖力で動く暖房があるので、今のところ困ったことはないけれど。
「チルノが聞くと悲しみそうね」
「あの程度の冷気はそこまで気にならない」
先日であったことを思い出し、苦笑する。かまくらの中は一定の温度が保たれていたし、チルノからの冷気もそう気になるものではなかった。
「それに、チルノやレティのような妖怪は寒さは進んで出そうとするもんじゃないのか?」
「レティはそうでしょうね。チルノは…少なくとも、あなたの前で困らせるようなことはしないと思うけど」
だが、どこまで行こうと冬は冬。暖房器具があれど、完全に快適な生活というのは幻想郷じゃ難しい。
毎年人里では越冬のための準備が行われ、慧音が主導して厳しい寒さを乗り越えるための活動が活発になっている。冬に食料がなくなってしまうことは、即ち死を意味するので、その時期は慧音だけでなく人里の住人たちも誰もがピリピリしている。
「それに比べてここは快適。でしょ?」
「まぁ…周囲がこうじゃなかったらな」
見渡す。ふかふかのソファとこぎれいな机、その上にはみかん。そして、全方位から見てくる怪しい目、目、目。
「怪しさ満点で大妖怪っぽいでしょ!」
「一周周ってダサい」
「ひぃん」
俺の言葉に、空間の主はみかんを頬張りながら涙を流す。俺は、紫のスキマの中へと入っていた。
俺が家を出ようとしたとき、突如足元の地面が開き、気が付いたら俺はこの空間に落ちていた。俺のことを受け止めてくれたものがふわふわのぬいぐるみだと気が付くまでに一分はかかったと思う。
本来の紫は、冬の間は冬眠とも呼べるほどの長い長い睡眠を経て春に目が覚める。そのため冬の間は紫の姿を見ることができないとされているが…なぜか紫は俺のことをスキマの中に拉致して、本人はなぜかスキマの中にあるこたつに体の大半を入れてぬくぬくしている。
「定晴ー、みかんとってー」
「…」
「みかんー」
怠惰の化身とも呼べる姿となった紫に冷ややかな視線を送る。だが、紫はそれに気が付いているのかいないのか、ソファから動かない俺に対してみかんをおねだりし続けている。
「定晴ー」
俺は立ち上がって、みかんを手に取る。それを見て目を輝かせた紫に対して…
「ふんっ」
全力で投げつける!(身体強化を添えて)
果物とはいえ、皮に包まれたみかんが剛速球で飛んでくると、案外痛いものだ。紫は俺のみかんを顔面に受けて、顔をオレンジ色に染めながら悶絶している。
「ひっどーい!」
どこからか取り出したハンカチで顔を拭きながら、こたつからのそのそと出てくる紫。その姿に大妖怪らしさなど欠片も感じられない。
「いい加減にしろ」
「いいじゃない別にー!冬の間は仕事ないし、こうしてダラダラしたってー」
「藍に言うぞ」
「それはだめ!」
実は、紫がこうしてスキマの中でぬくぬくしているのにも理由がある。といっても、我儘でしょうもない理由だが。
冬の間は本来紫はほとんど寝ており、その間の仕事は藍が代わりにやっている。日頃から藍に仕事を急かされている紫からすれば、この時期は仕事から解放される時期なのだろう。そしていざ睡眠、と本来ならなるはずなのだが、なぜか紫に睡魔が訪れず。だが屋敷でダラダラしていても、藍に見つかって仕事を課されるに違いない…ならばスキマだ!
以上、事の顛末である。
「俺を拉致してまでやることがこれかよ」
「うぅ…違うのよ。ただ私は好きな人といたかっただけで…」
「はぁ…」
スキマの中は特殊空間のせいか、式神通信が使えない。もしルーミアやユズが俺に連絡していたら、返事がないのを心配してしまうかもしれない。
だが、紫が俺をスキマの中から出すつもりがないようなのだ。曰く、眠くなるまで一緒にいて!とのこと。みかんをねだっている姿からすると、しばらくは眠くならなさそうだが。
「そもそも、冬眠って眠くなるからするもんじゃないだろ」
「私のはそうなのよ。寒さに弱いから、眠って冬を越して、春に妖力を漲らせて復活するの」
「温かいところにいたら眠くならないんじゃ」
「毎年やってるから、いつか眠くなるわ」
紫はソファに座り、自分で取ったみかんを食べ始めた。因みにこういったものはいつでもスキマの中に入れてるみたいだ。
「それまでは一緒よ」
俺を手招きする紫。仕方なく、俺は紫の隣に座る。
飲み込まれる前に無効化を使えばなんとなかったかもしれないが、中にいる状態で無効化を使えばどうなるか分かったものじゃない。時空に関する取扱いはミキから強く言われているし、実力行使に出るわけにはいかないのだ。
藍が気が付けば多少なりとも反応があると思うが、どうも紫は用意周到のようで、布団のところに『紫ちゃん人形』なるものを置いているらしい。妖力で作った紫の姿を模倣した人形で、脈を計るとかしない限りはバレないとのこと。
「うふふっ」
徐に俺の方に横滑りして嬉しそうにする紫。
拉致されたのは許されないが、ここまで幸せそうにされては紫の気持ちを汲んでやらないこともない…という気持ちになる。拉致されたのは許さないが。許さないが。
『いいわー!とってもいい!恋を、愛を感じるわー!』
『黙ってろこのこいつ』
『ちょっと乙女に暴力はだめよー』
魂のやつらがうるさい。紫がその気でアプローチしてきているのには気づいている。
生憎と紫に引っ付かれても恥ずかしさとかドキドキするとかがないので、正直自分にうんざりしているものの、紫が幸せそうなので多少は寛容でいたいと思う。
それに…本当に眠れば、春になるまでは会えないのだから。
「因みにいつもならどれくらいで眠るんだ?」
「んー、一日くらいゆったり過ごしてれば眠くなるけど…今はちょっとドキドキしてるから時間がかかるかも」
「なぜ俺を呼んだ?」
「一緒にいたかったんだもの!」
時間を意識しない妖怪だからか、この空間には時計がない。なので、俺が拉致されてから何分が経過したのかも分からない。感覚では二時間程度は経過しているように思えるが…
俺がぼーっとしていたら、紫が思いついたように顔を上げて俺に新しい願いを言う。
「そうだ、定晴の料理が食べたいわ!」
「何も用意してないぞ」
「そんなの、私に任せなさい」
紫が指を一振りすると、追加のスキマが開いてキッチンが出てきた。ピカピカのアイランドキッチンは一通りの器具が揃っているように見える。こんなものまでスキマに入ってるのか…
水や電気はスキマ経由で引いているので無制限に使え、材料も希望した分だけ取り出すとのことで…
「しょうがない。何が食べたい?」
「おすすめで!」
ワクワクしている紫を横目に、俺はキッチンに立った。俺もなんだかんだお腹すいているし、二人分作ってしまおう。本来はルーミアたちの昼食を作って一緒に食べる予定だったのだけど…うーむ、騒ぎになっていなければいいが。
因みに、俺がその件について話しても紫は大丈夫としか返さなかった。連絡してくれているならいいのだけど、外部に連絡したら藍にバレそうだし、いったいどんなことをしているのだろうか。
「定晴の料理食べるの久しぶりー」
ソファで足をフラフラさせながら待つ紫の姿は、見た目相応の少女らしい。一般的には怪しく胡散臭く信用ならないというイメージを持たれている紫であるが、実際のところは話したがりで寂しがりなのだ。きっと、冬眠の前の時期というのは毎年寂しいのだろう。
俺は紫に材料を頼んで料理を開始。卵を割って溶き卵にし、マヨネーズを少しだけ混ぜる。ごはんはケチャップライスで、デミグラスソースを作り、溶き卵をふわっと焼き上げれば…
「ほらよ、オムライス」
「わーい」
満面の笑みでオムライスの皿を受け取る紫。スプーンは例の如くスキマから出てきた。
俺たちは並んで(俺が座ったところの横に紫が入ってきた)、オムライスを食べる。
「「いただきます」」
因みに、デミグラスソースをかけた理由は、何もなしで出したら絶対にケチャップで何か書いてと言われるからである。今更紫にケチャップで伝えるようなことはないし、回避するためにソースをかけた。
紫はそんなことも露知らずに美味しそうにオムライスを食べている。パクパクと笑顔で口に運ぶ姿を見ると、なんとも美味しそうに食べるものだという気持ちになる。
「何かしら?」
「口の端についてるぞ」
まるで故意にやっているかのように口の端っこにソースをつけているので、仕方なく拭いてあげる。多分いつもは藍がそこらへんの世話を焼いているのだろう。
拭ってあげる間もされるがままに拭かれる紫。なんだか子供を相手にしているような気分になってくるな。
「えへへ…」
そうしてオムライスを食べ終われば、急に紫はうとうとし始めた。お腹がいっぱいになったから眠くなったのだろうか。猶更子供のような生き方をしている。
使い終わったものは紫が全部スキマに片づけてしまった。うとうとしていたせいで一枚皿が割れたが、この際気にしない。
「ん~…」
こたつの中で、眠るのを我慢するかのように呻く紫。だが、その目は既に半分は閉じており、何もなければこのまま眠ってしまうだろう。元より眠るまでの約束だったので、俺が起こすようなことはしない。
「さだはる~」
「なんだ?」
ふわふわした声色で、今にも眠ってしまいそうな声で、紫が俺を呼んだ。
「ぎゅって…して…」
もうほとんど開いていない目が俺を見る。紫の細い腕が俺の方に伸びる。
多分もう眠ってしまうのだろう。そして春になるまでは、そのまま眠り続けるのだと思う。最近は冬の間も異変が起きたりして紫が起こされることがあったから、今年こそは眠っていられるように。そして、願わくばその間はいい夢が見られるように。
「ほら、屋敷に戻るぞ」
「ん~」
俺は紫を抱き上げる。ここで紫に眠られても困るので、なんとか屋敷まで帰るように促す。なんとか開いたか細いスキマは紫を持った状態だったが、なんとか通ればそこは紫の屋敷。
「おや…定晴さん、ありがとうございます」
スキマの気配を探知したのか、すぐに藍がやってきて、紫を一瞥したのちにお礼を言われた。
紫を見ると、既に小さい寝息をたてながら夢の世界へと旅立っている。俺の肩にすりすりするようにしながらいい顔で寝ているので、きっといい夢でも見れているに違いない。
藍の案内で紫の部屋まで連れていき、静かに布団へと寝かせた。紫の手が中々俺の服を放してくれなかったが、藍に言われて優しく紫を撫でてあげると、すんなりと手を放して布団の中に納まってくれた。全く、最後まで手がかかる大妖怪である。
紫の部屋から出て窓の外を見ると、既に太陽は沈みかけており、空は赤く染まっていた。この時期なので、すぐに夜の帳が降りることだろう。
「紫はいつもああなのか?」
「そうですね。紫様は毎年眠るのに少々時間がかかります」
藍がお礼とお詫びにお茶を入れると言ってくれたので広間に向かう最中、藍と言葉を交わす。どうやら、紫は毎年あのようにスキマの中にしばし入りこんでは眠くなるまで休むという。
藍からすると、冬眠前に休んでいるところを見ても仕事を振るつもりはないらしいのだけど、色々とねだられても困るのでそのままにしているらしい。
苦笑しつつ言う藍は、しかし、と続ける。
「誰かを連れていくというのは初めてです。霊夢たちだって連れて行かないのに、定晴さんを連れて行ったのは…やはり、今年はあなたに告白したからでしょう」
もう気持ちを隠したり、もしくはアプローチしたりする必要はない。ただ、好きな人に甘えたいだけなのだと、藍はまるで母親のような表情をしつつ紫のことを話した。
藍はきっと紫の幸せを一番に願っているのだ。幻想郷のために仕事をやらせたり、渇を入れたりすることはあれど、紫のことを思って日々を過ごしている。藍ほど優秀な式神は、そう簡単に見つかりはしない。
「改めて…ありがとうございました」
「俺はただ一緒にいただけだぞ」
「それが一番ありがたいんです。だって、紫様はあなたが一緒にいるだけで幸せだと分かるくらい緩みますから」
広間につき、藍がお茶を入れる。なんでも料理ができる藍は、お茶の入れ方も一級品らしく、深みのある匂いが香ってくる。
「きっと紫様は幸せに眠ることができるでしょう」
藍は静かに、今はもう眠っている主に対して思いを馳せた。
俺は、紫が静かに眠れるように、少しだけ願った。