いつもなら、地底に来ると最初に地霊殿に向かう。こいしがそうするようによく言ってくるし、実際地霊殿以外に用事があることはない。
だが、今回は地霊殿に用はないので向かわない……ということもなく、俺は地霊殿に向かって飛んでいた。というのも、地底での情報など俺が持っているわけもなく、地底と一言で言ってもヘカーティアがどこにいるかなど検討もつかない。
そのため、地底についてよく知っているだろうさとりに話を聞きに行くのだ。さとりでなくとも、お燐のようによく旧都に出掛けるような人が知っているかもしれない。
「そこの人、そんなに急いでどこに行く?」
「ん?」
建物の影からそんな声と共に現れたのは、まるで怪しい人物のような雰囲気を醸し出しているヤマメである。知らない妖怪であれば警戒もしようが、彼女は比較的無害というか愉快な妖怪の部類だ。
「悪いが急いでるんだ。遊ぶならまた今度な」
「わー定晴さん酷いんだ、私がそんな遊び人に見える?」
ぷんすかするヤマメを見て……遊び人とまではいかないが、比較的日頃暇にしているとは思う。妖怪たちで仕事らしい仕事をしているような妖怪は少なく、大抵は幻想郷をふらふらしているので、ヤマメもその例には漏れず暇な時間は多いように思える。
「ふーん、私は結構地底で役に立つ妖怪だって言われてるの知らないんだ」
「そう、キスメとかに言われてるんだよ」
「キスメからすりゃ大抵の妖怪は役に立つだろうなぁ」
なんせ桶の妖怪だし。
「いや本当に急いでるんだ」
「あ、まってまって、雑談するために止めたわけじゃないから!」
と、地霊殿に向かって飛ぶ俺に並走するようにヤマメが横を飛び始めた。どうやらよっぽどの用事があるらしい。
「定晴さんのことだから、地霊殿に向かうんでしょ」
「まあそうだが……」
「やっぱり。今はやめておいたほうがいいよ~」
まるで肝試しのお化け役のような顔でそう言うヤマメ。残念ながら、元がそれなりに美人なのであまり怖くはない。
「なんでだ」
「今日は閻魔様の日だからだよ。今頃さとりさんとお茶してるはず」
それは……確かに少し怖いかもしれない。今のところなんだかんだで映姫の説教を回避し続けているものの、向こうもそれが分かっているのか最近少し前のめりに俺に説教しようとしている節がある。
俺が今までやってきたことを把握することができる閻魔様からすれば、今までの俺の人生なんざ説教したいことだらけだろうが、今のところそれを聞くつもりはないのだ。
とはいえ、それでじゃあやめますとは言えない状況。紫がどうなっているのか分からない今、映姫を恐れて逃げるわけにはいかないのだ。
「……その顔、行くつもりなんだね」
「教えてくれてありがたいが、行くのは変わらない。まあ心構えができるってことで」
【突然の閻魔様】と【構えた閻魔様】には結構な違いが存在する。映姫がいると分かったうえで出会うのであれば、何かと説教を回避する方法も準備しておける。
「んー、じゃあアドバイス」
「なんだ」
「今日の閻魔様、すっごく機嫌が悪いよ」
それだけ言うと、ヤマメは闇の中へと消えていった。いや、おいなんだそれ。さっきの怖い顔をしたときの言葉よりもよっぽど怖いのだが。
……いや、だがやはり逃げるわけにはいかないのだ。ただ、さっきよりも「道中でヘカーティアと遭遇してくれ」と願う割合が増えただけである。さっきまでは五十パーセントくらいだったのが、九十パーセントくらいになっただけだ。
「……」
だが、残念ながら、本当に残念ながら、まっこと残念ながらヘカーティアと道中で出会うことはできなかった。
地霊殿に来ると、妙に緊張している様子のペットが扉を開けてくれた。そのまま中に入りエントランスに入ると、こわごわとした様子のお燐が隅っこから出てきた。
「……うにゃーん」
「お燐、映姫がいるんだな?」
俺が問うと、お燐は全力で首を縦に振る。
こうも皆に対して恐怖と緊張を与えるなんて、随分とご立腹のようだ。通常時でもみんなから恐れられる閻魔様だというのに、怒りを伴うともはや閻魔大王である。
「案内して……くれないよな、そりゃな」
俺の言葉の途中でお燐は逃げ去ってしまった。
まあ、どうせ応接間で話しているのだろう。さとりが誰かを招くときはそこで会話をしていることが多いし、その場所なら案内なくとも一人で行ける。こいしが地上に来た影響で前に比べると地霊殿に来る頻度は下がっているものの、地霊殿の地図は脳内に記憶されている。
「……いくか」
逆に考えればいい。映姫なら、ヘカーティアの場所も分かるだろう。閻魔と地獄の神には強く関係がある。
だからまあ、うん、出会う理由はあるのだ。
妙に静かな地霊殿の中を歩き、応接間の前にやってくる。中からは、映姫の話し声が聞こえてくるが、さとりの言葉は聞こえない。
普通であればさとりが喋り、さとりは心の声で会話するという形式になりがちなのでさとり以外の声が聞こえるのは少ないのだが……
はぁ。
「すまん、さとり、映姫、いるか」
「はい、入っていいですよ」
扉をノックしながら声をかけると、やっとさとりの声が聞こえてくる。
一度唾をのみ、満を持して中に入る。
「こんにちは、定晴さん」
「こんにちは、堀内定晴」
意外にも、いつも通りな様子のさとりと、いつも通りな様子の映姫。少なくとも、見ただけで怖くなるような緊張感も恐怖感もない。
「ふふふ、大丈夫ですよ定晴さん。色々とあったのは間違いないですけど、もう問題ありません」
「そうなのか?」
「……ああ、動物たちの様子を見たのですね。腹が立つことがあったとはいえ、あそこまで態度に出すのは大人げなかったですね」
どうやら、既に映姫の怒りは収められているらしい。見るに、さとりがいい感じに映姫のことを宥めてくれたようだ。
「そこまで難しいことはしていませんよ。怒りというのは、ある程度吐き出せば落ち着くものです」
「今日が訪問日でよかったですね。やはり、休暇の意味はあるようです」
映姫が地底に来るのは閻魔の仕事が休みのときだ。というか、幻想郷に映姫がいる時は映姫が休みのときだけである。
休みの日にも幻想郷の住人に説教をしているから本当に休めてるかという疑問があったのだが、こうしてしっかりとリフレッシュする機会になっているのであればよかった。
「それで、何の用ですか。地上も地底もあなたを迎え入れているという特例こそあれ、あなたが堂々とここにいるのは問題なのですが」
「うっ、いや実は……」
説教雰囲気を一瞬で感じ取り、素早く説明を始める。そして、その俺の心を読んだかさとりは少しにやにやしている。親がいなかった身としちゃ説教なんざ嫌すぎるんじゃい。
一通り話し終えると、映姫は少し考えこんだあとに口を開いた。
「彼女は確かに地底にいます。なんせ、私と共に来たのですから」
「そうなのか。どこにいるんだ」
「……詳細は知りません。が、どうやら核融合炉実験場、即ち間欠泉センターとやらに興味を示しているようでした」
ふむ、核融合炉とヘカーティア。あまり関連性はないように思えるのに、そこにいても不思議じゃないと思えるのはなぜなのだろう。色味のせいだろうか。
ともかく、早いうちに間欠泉センターに行けばヘカーティアに会えるかもしれない。
「すまんが急いでる。またな」
「はい」
「いってらっしゃい、定晴さん」
そうして俺は飛び出した。地霊殿から間欠泉センターはすぐそこだ。
………
「……彼の話で、私の疑問も氷解しました」
「彼岸の件ですか」
「ええ。そもそも、私の怒りは突如増えた死亡件数と、そこに抗うように消える霊魂たちについて。霊魂が増えることは特にいつものことですが、彼岸に来る途中でまるで吸い上げられるように消えるのは前代未聞。調べても分からずイライラしてしまいましたが……」
「月で大きな戦争……ですが、定晴さん曰く死者は出していないようですよ」
「ええ、ですがそもそも、戦争が起きたのは今日の明朝だとすれば、数日前から死者が増える理由にはなりません。つまり、戦争の前の段階で……申し訳ありませんが、調べ物をしなければいけないので戻ろうと思います」
「休暇の日に仕事を優先するのはよくないと思いますけど」
「この件について早急に対応すべき案件ですので。大丈夫です、彼岸はこういう事態に合わせて休暇の移動を申請することができます」
「分かりました。では今日はこの辺で……私も、少し調べてみます」