スキマを抜けた先は、まるで牢屋のような部屋だった。なんというか、壁も地面も無機質で殺風景。一瞬罠にかけられたのかと思ったけれど、開放的な空間であるためこれがこの場所のデフォルトなのだと気づく。
今更だが、月のやつらに声をかけなくてよかっただろうか。紫が乗り気だったからそのまま来ちゃったけど、絶対依姫たちに声をかけた方がよかったよな。ここでやっぱり戻るなんて言うと紫が凹むから言わないけど。
「あら、誰もいないじゃない」
「おかしいわねぇ。ここから通信があったと思うんだけど……」
伽藍洞な部屋を見て幽香がため息をつくが、ここに何の意味もなく部屋があるわけがない。少なくとも、何かしらここには敵が用意した何かがあるはずだ。
「扉があるわね。スキマでちょっと覗いてみましょ」
壁に唯一ある扉に近付き、紫がスキマを扉に開く。なんかあれだな、どこぞの通り抜けフープ的な。
向こう側はさらに下に繋がる階段になっており、ここよりももっと深い部屋へと繋がっているようだ。既にここも結構深いのに、一体どこまで深いところまで掘ったんだ。
「ちょっと座標をずらされたかも。でもスキマは開けるし、階段をわざわざ通る必要はないわね」
そう言うと、紫は改めて人が通れるサイズのスキマを開いた。今度こそ、敵のいる場所に繋がっているのだろう。
もしかしたら階段にも罠を色々仕掛けていたのかもしれないが……悪いな。こっちは賢者がついてるんだ。堂々と裏道から入らせてもらうぞ。
そうしてスキマを抜けると、やはり同じような殺風景な部屋に辿り着く。先ほどと違うのは、目の前に狼狽えている様子の誰かがいることである。ぽつんと置かれた机と椅子に座っているせいで違和感がすごい。
「ず、ズルだぞ!」
「生憎様。対策をしなかったのが悪いのよ」
白い髪でちょっと老けているように見える男性。老人とまではいかないけれど、若者ではないぐらいの見た目をしている。
他に人の姿はない。何やら大きい扉があるが、あの奥が本命だろうか。となると、ここにいるのは門番的な何かかな?
見覚えは全くない人物だが、その気配から月の民の一人であることが分かる。豊姫の話だと、相手もまた月の民の裏切り者という話だったので、敵に月の民がいることは何も不思議なことではない。
「ふ、ふふ、そうか。まあいい。どのみちここに来た時点でお前たちは終わりだ」
「この距離で妖怪から逃げられるとおもっ……て……」
突然、ふらりと紫の体が崩れる。さらに、幽香や萃香、フランもその場に倒れこんでしまう。
無事なのは、俺とルーミア、そしてふらつきながらも倒れはしない妖夢。だが、妖夢は苦しそうな顔をしていて戦える様子ではない。
「定晴、これ、浄化の力よ」
「ああ、分かってる」
対妖怪特攻、浄化の力。俺が持つ力の一つではあるが、浄化という行為自体は特別なことではない。特に、穢れを嫌う月の民にとってはむしろ一般的なものだろう。
現時点で月の都などに張られていた浄化は、この戦いに備えて紫が解析して無効化していたみたいだが、この浄化はまた別の作用があるということか。
「でも私がいる。ここで仕留めてっ」
「おっと待て。こいつらの命は私が握っているという事実を忘れるな。私を殺しても、この浄化はなくなったりしないぞ?」
紫たちは意識を失っているようで、とても苦しそうに息をしている。確かに、今すぐに解放しなければ妖怪にとっては命に関わる。
ルーミアは浄化の力を持つ俺の式神だから効いていないだけ。妖夢は半分が人だから効果が薄いのだろう。それでも、このまま浄化され続ければ妖夢だって危ないかもしれない。
「こいつらを助けてほしくば、お前の命を差し出せ堀内定晴」
「……生憎と俺に覚えはないが、俺に何の恨みがあるって言うんだ」
最初からずっと付きまとっていた疑問。即ち、なぜ俺を狙うのか。
あの巨大兵器は、ずっと俺のことを狙っていた。話では紫と依姫の二人もあれに狙われたみたいだが、何度も攻撃を受けているのは俺だけだ。あいつは俺に対して他よりもよっぽど執念深く狙っている。
あいつの真意を。不動の時と同じ過ちを繰り返さないために。
「残念ながら私は特に恨みはない。言っただろう、お気に入りのためだと」
今の言葉で確信したが、塔の上で通信をしてきた正体不明の誰かはこいつだ。大きな扉の前にいるが、こいつこそがこの戦いの首魁だ。
となればあの大きな扉は一体何なのか。そして、お気に入りとは。
「これからのパートナーの願いを叶えるのも、私の仕事の一つなんだ」
「……」
「お前はどうも簡単には死なないようだからな。私はお前が死ねば満足なんだ。今すぐその剣で自分のことを貫いてくれればそれでいい。それで、彼女たちは見逃すと約束しよう。依姫さまたちを呼んでもらっても構わない。約束は反故にしないと誓おう」
ちらりと紫たちを見る。その体の輪郭がブレ始めていて、その体から急速に妖力が失われて行っているのが分かる。悩んでいる時間すらもない。
この浄化の力がどこから出ているのか分からないために無効化を使うこともできない。変な行動をすれば、あいつは即座に紫たちを苦しめるだろう。人質というのは生きているからこそ有効なものだが、人質が何人もいる場合は見せしめに一人殺す可能性も考えられる。
「さあ、いますぐ」
「……一年くらい前なら分からなかったけどな」
自分の犠牲で救えるというのであれば、その選択もできるだろう。俺の死で人を助けられるというのであれば、喜んでこの命を捧げよう。
そんな答えは、今の俺にはできない。沢山の人から想いを受け取り、助けようとしてくれる人がいる事実を知ったなら、もう自己犠牲はできない。
「ルーミア、多めに貰うぞ。妖夢、こいつらのことは頼んだ」
俺の言葉と共に、倒れ伏している皆の地面にスキマが開く。そして彼女たちはそのまま下へと落ちていく。同じく妖夢の足元にもスキマを展開して、一緒の場所に飛ばす。
同時に、俺の意識が飛びかける。複数人相手だと流石にきついな……
「な、妖術はっ」
「俺の術だからな。妖術じゃない」
途切れそうになる意識をルーミアにも支えてもらいつつ告げる。
「悪いが、今の俺は身近な人のために自分も大切にしてるんだ。無事に帰るためならできることはするさ」
俺の使ったものは、その名の通りスキマ妖怪の能力であり固有能力であるスキマの展開だ。紫のものとは違い、どこにでも繋がるわけではなく、好きに開けるわけでもないがな。
俺の継承した能力の一つであり、無効化と同じくらい霊力を消費して人一人分のスキマを開くことができる能力だ。空中には開くことはできず、直近三十分程度に移動した場所にしか開くことができない。スキマの中で滞在することもできず、言うなればただのトンネルである。
紫たちはさっきまで駄弁っていた離れたところに飛ばしている。妖夢が動けるだろうから見張りをお願いした。
人質もいなくなったので、あとはこいつを捕縛して。
「だから、お前のことを……」
「ちっ、ならやっぱり殺すしかないか」
と、俺が動く前にやつが動く。そして、ずっと沈黙を貫いてきた大きな扉が動き出す。
すると、扉の中から闇が溢れ出す。否、それは生物の触手。だが、真っ黒としか形容できないような見た目は生物のそれとはまったく思えない。
しかし、俺は知っている。こいつを、知っている。
「ねえ、こいつって」
「ああ」
確かに、トドメを刺したわけじゃなかった。体のほとんどを吹き飛ばしたけれど、まさかあの状態からここまで復活するとはな。流石妖怪と言えるのかもしれない。
ある日、不動の連れてきた謎の妖怪。巨大な妖怪が姿を現した。
忘れた人だらけだと思いますが、176話の妖怪です