Caligula - epilogue   作:ミツバチ

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Messiah Complex 1

 透明に澄んだ窓ガラス越しに、春の麗らかな日差しを浴びる。

 快速で滑らかに移動するモノレールの車両――そこに設えられた座席の一つに腰を落ち着けて、俺はスマートフォンの画面に視線を落としていた。

 液晶画面には光が灯り、膨大な文字の列を浮き上がらせている。

 画面に表示されているのは、匿名の小説投稿サイトだ。俺はそこにアップロードされた小説の一つに目を通している。

 

 最終回。

 

 幾度となく目にした、結末のページ。

 あとがきと共に一年ほど前に更新された文章を、脳髄の奥で噛み締めて咀嚼する。まさに反芻だ。俺は何度も繰り返し、繰り返し、この物語を愛読していた。

 これは、既に終わった物語だ。

 この手の小説投稿サイトでは珍しくなって久しい、ジュブナイルSFに属するやや難解なお話。()年前に症例が確認されてから、日本中で爆発的に流行した現代病――幽体離脱症候群(アストラル・シンドローム)を取り扱った、異例の怪作。自我を得た二人のバーチャドールが造り上げた仮想世界・メビウスで繰り広げられる、一人の少女と、その愉快な仲間達との冒険譚―――

 

 あとがきまで読み終えて目次に戻ると、『祝! 書籍化!』の吉報が目に飛び込む。それを見る度、どうにもにやけてしまうのがすっかり癖になってしまっていた。

 

 情報がそこかしこのネット中で氾濫しているこの現代では、様々な物語があちこちに埋もれている。小説投稿サイトは言うに及ばず、個人のブログやSNSにも人々の胸躍る営みがこの世界に広がっているのだ。

 告白すれば―――このサイトにこの物語が投稿された当初から、俺はこの作品の熱烈な愛好者(ファン)だった。その自分からすれば、この作品がこうして最終回を迎え、人々から一途な愛憎を向けられている現状は我が事のように嬉しい。

 けれどだからこそ、いつまでも読後の没入感に浸っている訳にはいかない。

 あの日――俺達の手によって永遠(メビウス)の輪は断たれ、空想と現実は分断された。けれどその二つは決別したのではない。コインの裏表のように、折り合いを付けることを望んだのだ。

 幽体離脱症候群(アストラル・シンドローム)の誘いを振り払い、目覚めてから早二年。

 俺達の目の前には、途方もなく広大な現実(ユメのあと)が続いている。

 

 これは、既に終わった物語だ。

 

 一世を風靡した、空前絶後の人気作。俺達はこれから、その続きを見ようとしている。

 

『YOU! そろそろ駅に着く時間だよ!』

 

 ―――ああ、分かった。ありがとう、アリア。

 

 スマートフォンのスピーカーから聞こえた声に答え、窓越しに外へ視線を向ける。

 C県宮比市にある歓楽施設――シーパライソ。それが今日の目的地だ。

 水族館やら遊園地やらを内包した、()()()()()()()()()()()()()()()一大アミューズメントパーク。その外観を目に焼き付けるようにしっかりと視界に収めてから、再び手元のスマートフォンに視線を落とす。

 画面は、小説の目次を映している。

 そこには書籍化の報せと簡単なあらすじ、各話へのリンク、そして物語のタイトルが表示されていた。

 

 

 

 Caligula

 

 

 

 本日午前九時、シーパライソ駅前の広場にある柱時計のモニュメントに集合。

 スマートフォンを操作して、予め皆と相談して決めておいた日程を再確認する。そして目の前の大きな時計とをちらちらと見比べてから、俺は溜息を吐いた。

 誰かと待ち合わせした場合、予定時刻よりも早く到着するよう心掛けるのは一種の美徳だと、俺は思う。けれど今回はそれが少しだけ災いしてしまったようだ。

 

 現在時刻は八時二十分――その事実が表すのは、即ち、俺はこれから此処で四十分も立ち続けなければならないということ。

 

『いやいや、別にここで突っ立ってる必要はないでしょ。集合場所が見えるオープンカフェなんかで座って待ってれば?』

 

 なるほど、そういう選択もあるのか。

 

 感心して頷く。待ち合わせと言えば、到着してからずっとその場で待ち人を待つものだと思っていたが……考えてみれば、ちょっと律儀過ぎたのかもしれない。たまにはアリアの言う通り、横着してみるのも悪くはないだろう。

 などと考えていると、一人の男性がこちらに近付いてきた。

 その人物の風貌を、俺は何処か昔に見たことがあるような気がした。きっと恐らくは、彼が学生の時分の姿を知っているのだろう。けれどそれでは時間の帳尻が合わなくなる。俺は現役の大学生であるのに対して、彼は丁度中年に指を掛けた頃合いの年齢であると思しいからだ。

 見ず知らずの男性は間近で足を止めると、少々戸惑いがちにこちらを見やる。

 彼は俺の頭の天辺から爪先までを見下ろしてから、ようやく決心が付いたという顔をして口を開いた。

 

「あれから二年―――こっちで会うのははじめまして、だな。()()

 

 予想よりも低い声。それにああ、と頷きを返す。

 

 彼は俺のことを知っている。

 そして俺は彼を知っていた。

 

 俺が知っている彼よりも体は大きく、髪は短く黒一色になり、服装は洒落っ気のないラフなシャツとジーンズに変わっているけれど。気怠そうな面差しと、暗い瞳は変わっていない。

 

 佐竹笙悟。

 

 俺と同じ時を生き――駆け抜けて。永遠に続く学校生活(メビウス)の輪から()()した、今日の帰宅部同窓会を彩る大切なメンバーの一人だ。

 

「……驚かないんだな、お前。いや当たり前か。『現実の俺は三十路のニートだ』って、向こうでバラしてたからなぁ。ちと寂しい気もするが、まあ、オフ会なんて案外こんなもんか」

 

 こんなもんだよ。

 でもそういうそっちこそ、よく俺だって分かったな。えぇと……笙悟、さん?

 

「まあ、お前はメビウスの中にいた頃とほとんど見た目が変わってないからな。少なくとも俺ほどじゃない。だらか分かったんだ。……それから、頼むからさん付けはやめてくれ。なんか背中がむず痒くなる。今日は同窓会なんだからよ、せめて呼び名くらいは前のままでいようや」

 

 心底嫌そうに頭を振って、笙悟が言う。俺はそれに苦笑を返した。

 どうやら、ものぐさな性分は変わっていないらしい。ならばこちらも変な気遣いをする必要はないだろう。

 笙悟は場に満ちた妙な空気を払拭すべく、それはともかく、と軽く咳払いをする。

 

「……ところで、領収書は取って来たか?」

 

 ああ。―――でも、本当にいいのか? 電車賃くらいなら、別に自己負担でも……。

 

「いや、これはなんつーか……俺の気持ちの問題なんだ。お前等部の皆には世話になったし、俺の過去のせいで何かと迷惑をかけたからな。せめてこれくらいはさせてくれ」

 

 ……驚いた。まさか、笙悟がこんなことを言うとは。

 面食らって目をぱちくりと瞬かせる。すると彼は口元にふっ、と大人の余裕を感じさせる微笑みを浮かべた。

 

「安心しろ、金ならちゃんと用意してる。実は俺、もう就職してるんだ。一年前に」

 

 ―――本当か!?

 

『マジで!? すごいじゃん笙悟!』

 

 言葉は違えど、まったく同じニュアンスで俺とアリアの台詞が重なる。突如として二つのスマートフォンから聞こえた声に笙悟は多少面食らいながらも、彼は自身のスマートフォンを取り出して画面を見た。

 メッセンジャーアプリWIREには、デフォルメされた二頭身のキャラクターのアイコンが映し出されている。彼女もまた帰宅部のメンバーの一人だ。

 

「突然何かと思ったら、アリアか……」

『ふふん、せっかく部長と元部長の二人が揃ってるのに、アタシが顔出ししない訳ないってば! それよりも笙悟の近況情報をプリーズ、プリーズ!』

「近況って言ったって大したことはないしな……というか、メタバーセスにいるお前なら俺の情報なんて簡単に調べられるんじゃないのか?」

『YOUったら分かってない! こういうのは本人から直接聞くことに意味があるんだってば! だからアタシもμも今日という日をすんごく待ち焦がれてたんだから!』

「……そういうもんか?」

 

 そういうものだ。

 

 首肯を返しつつ、ことの粗筋を思い返す。

 μというバーチャドールによって仮想世界・メビウスに囚われてしまった俺達は、記憶を奪われ、偽りの高校生活を謳歌していた。しかし所詮は偽物、ホコロビというものは何処にでも転がっているもので、そこがどれだけ幸福であっても現実と空想の相違に気付く者は少なくなかった。

 俺達もまたその一つ。

 空想上に用意された学校(メビウス)から、現実の家へ帰ることを目的とした部活動。帰宅部――その創設者である笙悟と、彼に部長の役職を譲られた俺。そして部活動の内容を激動させた要因であるアリア。この三者がこうして現実で集っているというのは、とても感慨深いことのように思えた。

 

 ―――帰宅部がその活動を終えて、二年。

 

 その月日は、メビウスに囚われていた者――現実世界で言う所の幽体離脱症候群(アストラル・シンドローム)患者が突如として一斉に目覚めてから経過した時間と完全に一致する。

 μの決断によってメビウスの輪は解かれ、俺達を含むメビウスの住人は全て無事元の世界へと帰還した。

 けれど夢から覚めてみれば、待っていたのは過酷な現実だ。

 もちろん、それは分かっていた。最長で六年も寝たきりだったのだから、そもそも目覚めた人間の中でその場で満足に動ける者が何人もいたかどうか怪しい。筋肉は衰え、場合によっては消化器官すら用を成さなくなっているだろう。社会復帰には相当な努力(リハビリ)を要する。

 

 そんな苦痛の坩堝のような世界で唯一救いとなったのは、目覚めた幽体離脱症候群(アストラル・シンドローム)患者に対する政府の政策だ。

 

 幽体離脱症候群(アストラル・シンドローム)の患者に対して、日本政府は彼等が迅速に社会復帰出来るよう取り計らった。それこそリハビリの方法から、休学・休職していた人間が元の学年や役職に復職を可能とする体制まで。あっという間に出来上がってしまったのだ。

 人々は政府のその働きを讃えた。

 しかし噂に聞く所によると、その政策に対して、実の所政府は非常に困惑しているのだという。曰く、これは自分達が決めたことではない――と。

 しかし一度は確かに首相の名の下に発令されたものなので、取り消しは利かなかったようだ。

 

 ……この不可解な一件に関して、一つだけ興味深い情報がある。

 一部のゴシップ記事が取り上げただけのものだが――この騒動の裏では、実はメタバーセスなる世界に住む二人のバーチャドールが暗躍していたとか、なんとか。

 

 閑話休題。

 

 とにもかくにも、大変な二年であったことは疑いようもない。

 そして目の前にいるのは高校を中退して以来、十三年以上も自室に引き籠っていたという人物だ。その彼が、目覚めてからまだ二年しか経っていないというのに――既に、就職しているとは。

 

「つっても、派遣でなおかつ工場勤務だけどな。俺に出来る仕事なんて、それくらいしかない」

『そんなこと言って! ちゃんと現実と向き合ってる証拠じゃん! すごいことだよ、笙悟!』

 

 アリアの激励にうんうんと頷く。

 すると笙悟はこそばゆそうに頬を掻いて、「よせよ……」と呟いた。

 

「ま、まあ……とにかくだ。そういう訳だから、今日は金銭面のことは心配するな。仕事の初任給は今まで世話になった両親と、お前達帰宅部の為に使おうと思って貯金してたからな。流石に足りるだろ」

 

 そこまで言われてしまっては、断るのは野暮というものだ。

 俺は財布から領収書を取り出し、笙悟に渡す。彼はそれを適当に斜め読みすると、実際の料金よりも多額の紙幣をぶっきらぼうに差し出してきた。

 きっと小銭を用意するのが面倒だったのだろう。

 そう思うことにしておいて、俺は笙悟からお小遣いをせしめたのだった。

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