Caligula - epilogue 作:ミツバチ
今日の同窓会に掛かる費用――つまりは交通費、食費、入園料は全て笙悟持ちなのだという。
シーパライソ側にも少数ながらも団体で入園すると、予め連絡と手続きを取ったようだ。流石は帰宅部の兄貴分。社会人ともなれば、その辺りのことが否が応でもしっかりしてくるのだろう。……三年後には自分もそうならなければならない、と考えると、多少気が重くはあったが。
「そういえば、お前は聞いてるか?」
藪から棒に、笙悟がそんなことを尋ねてくる。
何のことか分からなかったので率直に尋ねると、「琴乃の件だよ」という返答があった。
「あいつ、何度かWIREで『今日の同窓会では重大な発表がある』とか、『みんなに紹介したい人がいる』とか言ってただろ? それが誰なのか、心当たりはないかと思ってな。ほら、部長のお前なら何か聞いてるかと思ったんだが……」
笙悟の問いに、ふむ、と考えを巡らせる。
確かにそんな内容の通知を目にしたり、実際にメッセージをやり取りした経験が俺にはあった。しかし生憎と、その人物が誰なのかという詳細までは知らされていない。笙悟の様子から察するに、それはきっと他の部員達も同様だろう。
そしてそこから彼等が推測することも同じに違いない。
曰く―――――婚約とその相手の発表ではないか、と。
実際、彼女はその存在を匂わす発言を一度している。
その現場はシーパライソ。愛すべき仲間達と同等以上に愛しい人――『たっくん』の存在を、彼女は宣言した。
そして奇しくも本日の同窓会会場は此処、シーパライソ。ともすれば紹介にはうってつけの条件だと言わざるを得ない。誰もがたっくんなる何者かを紹介されるのだろうと確信しているに違いなかった。無論、それは俺も同じだ。
……そういえば。この一件がWIRE上で告知されてから、鍵介から相当な量の愚痴が毎日送られてきているような気がする。
―――けれど事実とは、常に小説より奇をてらうもの。
今日、彼女が紹介するという人物こそがたっくんである。そこまでは間違いではない。ただし、その正体は婚約者などではないのだと、俺とアリアだけが知っている。
「……? なんだ、その意味深な笑いは」
秘密だ。なあ、アリア?
『そーそー。アタシ達の口からは絶対に言えないよね。こればっかりは、琴乃の到着を待って貰う以外にないんだってば―――って、噂をすれば』
ニシシ、と笑うアリアの姿が目に浮かぶ。
そんな懐古感にくすぐられつつ、周囲に視線を向ける。恐らく、アリアが反応したのはスマートフォンのGPS機能が発する位置情報だ。該当者はきっと俺達の近くにまで来ているに違いない。
程なくして、それらしい人影を見付けた。
駅の出口からこちらへ向かって来る女性がいる。丈の長い淡い色のワンピースを纏い、紺色のカーディガンを羽織った佇まい。青い花の髪飾りに彩られた色素の薄い長髪を揺らしながら歩く、ぱっちりとした瞳が印象的な美しい妙齢の女性。
柏葉琴乃。
メビウスにおいては笙悟と並び、帰宅部の中でも殊更大人びた雰囲気を纏っていた少女。清楚かつ温かな印象が強い彼女の現実での姿は、まさしく二十歳を過ぎた大人であった。
彼女はにこりと微笑んで、ひらりと片手を振る。
「久し振り、部長。それから……隣の貴方は笙悟かしら?」
「ああ。久し振りだな、琴乃」
笙悟と同じく、久し振り、と答える。
それにしても一目で彼が笙悟だと見抜くとは……いや、彼女は帰宅部員の中でも物事の本質に聡い性質だったから、そう驚くようなことではないのかもしれない。
というか、そんなことよりも気になって仕方がない事柄が一つ。
幼い子供が一人、琴乃の背後に隠れるように佇んでこちらを見上げている。大きな瞳には好奇の色が見られるが、しかしそれ以上に固く引き結ばれた唇と琴乃の手にきつく絡む指が、今の彼の心情を強烈に表しているように見えた。
見知らぬ他人に怯えている。
そんな円らな瞳で凝視されたものだから、笙悟は完全に委縮してしまっていた。なんと声を掛けたものかと言葉を選んでいる途中で、苦笑した琴乃が先んじて説明する。
「ごめんなさいね。今日は帰宅部の同窓会なんだから、メンバー以外の人を連れてくるべきじゃないって分かってはいたんだけど。この子のこと、どうしてもみんなに紹介したかったから」
「え……ってことは、アレか? まさか、その子供がお前の言ってた―――」
「―――ええ。この子が『たっくん』。私の実の息子よ」
その時、笙悟に電流走る。
予想外の事実に固まってしまう三十路の大男。そんな彼を差し置いて、琴乃は我が子の背中を軽く押して一歩前へ出させた。
「ほら、たっくん。この人達が私の大切なお友達よ。ご挨拶できる?」
「う、うん……柏葉
「あ、ああ……佐竹笙悟です。こちらこそよろしくお願いします」
可愛らしくぺこりと会釈するたっくんこと巧に対し、笙悟はキビキビとした社会人らしいお辞儀を返した。テンパった果てのこの行動……メビウスで不慣れなアルバイトをしていた頃の名残りだろうか? それは営業マンもびっくりするほどに完璧なビジネスマナーなのであった。
それに追随する形で、俺も軽く自己紹介を済ませる。
「ふふ、よくできました」
「えへへ……」
我が子の頭を撫で、褒める琴乃。すると巧は口端を緩ませ、愛らしくはにかんだ。
「……お前も俺と同じで現役の高校生じゃないだろう、とはなんとはなしに察してはいたが。まさか子持ちだったとはな」
彫像と化していた笙悟が再び動き出す。
父親は誰なのか、と踏み込む様子は見られない。それは彼なりの気遣いなのか、あるいはメビウスに囚われていた頃から変わらぬ性分が故か……きっと後者だろう。
どちらにせよ恐らく彼は彼女がどのような経緯で巧を出産したか、その事情を薄々察しているのだろう。もしかしたら、職場等の身近な所に彼女と似たような境遇のシングルマザーがいるということも十二分にあり得る。
俺は巧の下に歩み寄り、その場でしゃがんで目線を合わせる。そしてにこりと微笑みかけた。
巧君は今、いくつなのかな?
「むっつ、です」
そっか、ありがとう。自分で答えられるなんてすごいね、偉いよ。
朗らかに笑って見せると、それに釣られたように巧も愛らしくはにかんだ。
少しずつ緊張が解れている。その姿を目にした瞬間、気が付けば俺はある問いを投げていた。
―――君は、お母さんのこと好きかい?
問いに対して肩を震わせたのは巧ではなく、琴乃の方だった。
幼少期に親から十分な愛情を注がれずに育った子供は、自分に自信が持てなかったり、感情が希薄な性質に育ったりすることがままあるという。真に
その点で言えば、この子の環境は決して恵まれたものではなかった筈だ。
生れてから四年間、彼が母親である琴乃から十分な愛情を注がれていたか定かではない。少なくとも巧が二歳から四歳の時分においては、琴乃は
無論、こうして彼が生きている以上、養育する者がいたのは間違いない。琴乃の母――つまりは巧の祖母にあたる人物が育児に躍起になっていたと聞いている。それでも
全ての事柄を完璧にこなせる超人なんて、この世にはいないのだから。
それに琴乃がメビウスに囚われてしまった原因を考えるのなら、二歳以前の時期においても彼が真に愛されていたかという点に関しては疑問が残る。
だから最初、巧は怯えていた。
肉親から放置され、自分が誰からも無条件で愛される訳ではないと幼心に知ってしまった彼は、他人という存在を無意識下で畏怖している。引っ込み思案な振る舞いもそれが原因だろう。
三つ子の魂百まで、という諺がこの国にはある。
幼い時分に定まった精神的な気質は、一生そのままであるというものだ。であれば、彼はずっとこのままなのだろうか―――その答えは否であると、個人的にはそう思いたい。
琴乃は後悔していた。
日々を男遊びに費やしたこと。
十八歳にして子供を産んでしまったこと。
そして周囲から向けられる侮蔑の視線に耐えられず、
彼女はその全てを悔い、だからこそメビウスを脱却し現実へ帰ることを望んだのだ。
自らの過去と向き合うために。
自らの子供を愛育するために。
それがどんな難事か、未だ学生の身分の俺には想像もつかない。けれど琴乃が現実に帰還してから今日までの二年――彼女がどう過ごしてきたのか、その片鱗をこの問答で少しでも見聞することが出来ればと、そう思ったのだ。
斯くして、巧は一度確かめるように琴乃の顔を見上げ、恥ずかしそうにこちらを見つつ答えた。
「うん。お母さんも、おばあちゃんも、登紀子おばちゃんも、みんな僕のそばにいてくれるんだ。だから、今はさびしくない。みんな大好きだよ」
……そっか。良かった。
そう言って、巧の頭を撫でててみる。我ながら随分と馴れ馴れしいことをしているとは思ったが、しかし彼は一瞬肩を竦ませただけで、以降は猫のようにされるがままに任せていた。
安心した。
彼が本心から口にした偽りのない言葉に、本当に安堵した。完全な外野の人間である俺がこんなことを考えるのは烏滸がましいとは思うが―――それでも、本当に安心したのだ。
「会って早々、いきなり抜き打ちか……本当に容赦ないのね、部長は」
目元を指の背で拭いながら、いつかの日々を懐かしむように、琴乃は言った。あえてそれに返答することはせず、ただニヤニヤとした笑み向けるだけに留めておく。
『でも大丈夫? 琴乃が自分の問題と向き合って、克服して、お母さんとして生きているってことは分かる。でも、YOUが現実から逃げ出した理由はそれだけじゃない』
「……うん。私は一八歳のシングルマザー。周囲から向けられる視線が怖くて、煩わしくて、そしてμに誘われてメビウスに逃げ出した。その事実は変わらない。でもだからこそ、今日、たっくんを連れてくることにしたの」
深く深く息を吐いて、俺と笙悟を真っ直ぐに見据えて琴乃が言う。
「帰宅部の皆が私のことをどう思うか……それを考えるのは、正直、怖い。でもだからこそ、向き合わなきゃいけない。だからお母さんと、登紀子おばちゃんと、たっくんと話し合ってこうすることを選んだ。だから―――――私にとって、今日が現実と向き合うための手始め。何があっても私はこの子の母として生きる覚悟を決めた。だからどんな風評だって受け入れるつもりよ」
我が子の肩を抱いて、誇らし気に胸を張り、琴乃は宣言した。
その姿を見て、確信する。―――部長としての役目は終わった。彼女達家族の関係に、これ以上俺が立ち入るべきではないだろう。
「……ほんと、大したもんだよ、お前は」
遠い昔の出来事に思いをはせながら―――感慨深く、笙悟は頷いた。
―――それから、世間話を交えつつ改めて互いの近況を報告し合う。
笙悟に関しては先程聞いた通り。
琴乃は調理師の免許を取り、母の店を手伝っているのだという。そして近々店を改装し、念願だったカフェの開店を目指しているのだとか。
『それじゃメビウスにいた頃に語ってた夢、もうすぐ叶うんじゃん! やったね、琴乃!』
「ありがとう、アリア。それもこれも、みんなで力を合わせて現実に帰ってきたからこそね。本当にありがとう……―――ところで、部長の近況はどう? 何か悩みがあるのなら、私達が力になるわ。ねぇ、笙悟?」
「ああ、同感だ。相談でもなんでも、必ず力を貸すぜ」
ふむ、それなら―――うん?
答えようとした所で、スマートフォンから発せられたWIREの通知に言葉を掻き消される。何事かと目を通して見ると、どうやら鼓太郎からのメッセージが届いたようだ。
文言を要約すると以下の通り。
『道に迷っちまった。悪いけど迎えに来てくんねーか?』
正直に言えば、概ね予想通りの展開だった。