「昔は可愛い女の子だったんだよ」
どこか遠く見る目で彼は懐かしげに呟く。
心も同じように遠くにいってしまっているようで、心ここにあらずというのが周囲の人物からは見て取れるほどだった。
彼は当然のことながらそれには気づかず、さらに過去へ過去へと記憶を遡っていく。
それはその女の子が生まれたばかりの頃まで遡る。
「生まれた日は、お天道様がリーズが生まれたのを祝わんばかりにキラキラと輝いてた日だった」
太陽は雲に隠れていない限りは輝いてるだろうと、その少女とやらのお話を嫌々聞かされている少年──モウカは、思うものの下手に突っ込んで話を長引かされるよりはさっさと終わらせるに限るので、突っ込まない。あくまでも無言で、ノーリアクションを貫く。
モウカの気遣いなど露知らず、女の子の可愛かった点を次々にあげていく。
あのつぶらな瞳がな。あのふっくらとして薄く赤みのある唇がな。この歳でもうこの俺を虜にするうなじが。と彼の言葉は留まるところ知らない。
褒めている相手が彼と同じ程度の年齢か、少なくとも女性として見える相手ならまだしも、これがまだ生まればかりの赤ん坊に対する褒め言葉というのは些か以上に聞いてる少年の寒気を感じさせる。
え、何、まだ続くのこの自慢話。というか、お前は親じゃないんだろ。言いたいことは山ほどあったが、モウカはグッとこらえて、己の内に存在するウェパルに愚痴を零すことで留める。勿論、溜息を幾度も吐きながら。
「おっと、これじゃあまるで俺が変態みたいだな」
誰も突っ込みは入れない。
「まあそんな可愛らしい子だったんで、今でこそあんなクズに成り下がっちまったが、父親も母親もそれはもう溺愛してたんだよ」
「身内贔屓を除いて本当に可愛いかどうかは置いておき、自分の娘が可愛くないはずがないじゃないか」
「いやいや、身内じゃない俺が可愛いって言うんだから間違いねえって」
(怒っちゃだめだよ。辛抱だよ、モウカ)
「(……分かってるよ)……それでいいから、話し続けて」
ウェパルの声がモウカの怒りの爆発を一時的に踏み止まらせた。
話し手はそんなモウカの内心の葛藤なんて当然知るはずもなく、ケロッとした表情で、そうか? と少し話したらなさそうな返事をする。
あまり時間を取らすのもあれだからなと前を置き、ようやく話が進み始める。
もうすでにタイムオーバーだと心中モウカは突っ込む。今すぐにでも逃げ出したい気持ちだった。
食事代という弱みを握られていなければ。
「母親が死んで全部変わっちまったんだ。何年前だったかな……確かリーズが十歳になる前だから、八年前か」
「ということは今は十八歳か」
見た目の年齢ならモウカとリーズは差がない。
モウカは十九の時に契約したのだから、リーズが同年代くらいかなと予想したのは見事に的中していた。生きた年数では彼女の年齢に十倍しても届かないほど生きてはいるが。
十歳の時に母親を亡くすというのは一体どんな心境だったのだろうか。
モウカの今までの人生はあまりにも死と密着しすぎたものではあったが、他人の死というのはあまり縁の無いものだった。いつも命の危機に晒されるのは自分の命で、他人の命など構っていられるものじゃなかった。
モウカには自分の親しい人が死ぬという感覚は検討もつかない。
フレイムヘイズの死ならまだしも、普通の人間の普通の死などは特に。
「それで父親があんなんになっちゃったと」
「ん? 知ってるのか?」
「え、あ、いや、ほら風の噂という奴ですよ」
ここで下手にリーズとの関連性を出すのは後に危険と判断し、強引な言い訳に出た。
顔に見えない汗を掻きながら、バレてないかなと相手の顔を伺うが、その心配は杞憂になる。
「ああ、そうだよな。あの家の没落ぶりはこの街ではあまりにも有名だからな」
(ここでやっぱり知らないと言うと、また話が長引きそうだから知ったかを貫くしかないか)
(名案だよ。私はもう無理。限界。退屈。死にそう)
(ウェルは本当に退屈が嫌いだよね。にしても没落か。昔は偉かったって奴なのかな)
貴族か何かかとモウカは勘違いする。けれど、これはさしたる勘違いではないので話の内容を理解するのに差支えはなかった。
まだまだ話が無くなりそうな雰囲気にげんなりしつつもモウカは話を促す。
「それで?」
「そう焦るなって。ここで当時の小話を一つ」
(モウカ。こんな時に小屋に嵐が襲ったら、この話を聞かなくて済むような気がしない?)
(ウェル、待て。それは最終手段だ)
語り手による焦らしプレイはモウカとウェパルの心を蝕んでいく。
蝕まれる度に、心はどんどん廃れていき、どうでもよくなっていく。意識せずに目は自然と虚ろになり、話を聞くどころの精神状態ではなくなっていく。
そうな状況下で二人は話を聞けるわけもなく、当時のリーズの可愛いかったところ集など頭に入ってくることもないので、
「いつしか荒れてた。昔は素直で可愛い子だったんだけどな……」
意識を取り戻したときには話は大詰めになっていた。
あれ、こんなんでいいのかなと良心が多少痛めたが、元よりそんな聞く気のなかった話なのでいいかとすぐに良心を引っ込める。保持する。
話の前後が全く掴めてなっており、尚更お話を楽しめなくなったが、最初から楽しむ要素なんてなかったかと思い直す。
「荒れてた?」
なんとか会話についていこうとする。
「父親に自分を見てもらいたかったのかもな。俺じゃなくて本当の父親にさ。わざわざ犯罪になるような事をして、注目を集めたかったんだろ」
(そういうことか。納得)
現代じゃないが、親に自分を見てもらいたくて非行に走るようなもんかとモウカは納得する。よくある話だなと感想を抱いたが、待てよと前に会ったときの彼女を思い出す。
あの時見た彼女はどこか心に強いものを持っていながら、儚げであった。それでもありながらも純真そうで、必死に真面目に生きているんだな、などと思ったいたが。
(もしかして騙された?)
(かもね。女って怖いねー)
ウェパルの他人行儀な言葉だった。
(ま、別にいいけど。騙されたって生死に関わるわけじゃないし)
(最近思うんだけど、ある意味モウカって心広くない?)
生への執着は人並み以上、フレイムヘイズの中なら屈指とは言わずにトップを張れるほどである。モウカ自身もう自負していた。死事への対応は並々ならぬ神経を向けて、何が何でもという必死さを感じさせるが、死が関わらないとそんな熱意は跡形もなく消え去る。
何が起きてもなんとかなるさ、という緩さや鈍さが目立ち。不祥事が起きても、死ぬわけじゃないから別に構わないという寛大な心が垣間見える。
これが本当に寛大なのか、ただの無関心なのかはウェパルには判断がつかなかったので、自らの契約者という身内贔屓だけでとりあえずは心が広いという事にした。
「そんな訳があってな、少し歪んだ性格になっちまったんだが……それはそれで可愛いだろ?」
(もういいよ。その娘自慢。愛してるのは十分に伝わったから)
突っ込む気力はすでにモウカにはなくなっていた。心情としてはもう疲れたから放棄していいよね。というか寝ていい? という投げやりなものになっている。
「不良娘になっちまったんだが、それでも毎晩ちゃんと帰ってたし。評判は悪いが、なにか不祥事を起こしたわけでもないから、俺も娘を愛さなかった父親替わりのつもりだったしからな、多少は注意はしたんだが。そんでも、なんというか、毎日自分の父親の横で剣をうってるのに全く絡んでもらえず。騎士になって父親の剣を振るうだけの価値になって、目を引こうと特訓するのを見て、いたたまれない気持ちになっちまってよ。下手に口出しが出来なかったんだ」
だからリーズのことをちゃんと見ているようで、実は可哀想だなんて思って目を逸らしちまっていたんだろうなと後悔しているように言った。
ここらへんの話からは、彼女自身も言っていたことだからモウカも知っていた。
この話を聞いたのが正義の味方なら、良識ある、善意ある人間ならば、彼女のために何かしようと思い行動するのかもしれないが、モウカがこんな時に取る行動は距離を取ること。
至極当然、一般的な行動だった。大衆的でもある。
この話を聞いて同情するが、そこ止まり。わざわざ自分から厄介事に顔を突っ込むような事はせず、傍観ですら無い。無関係だと決め込み、他人になりすます。
下手に物事に関わりを持たないように。モウカは細心の注意を払って、道を歩む。だが、どこを間違えたのか今はこうして巻き込まれかけていた。
「でも、そんなある日に上の空のようにボーッとしてたリーズがボソリと言ったんだよ。『やっと夢が叶う』って」
◆ ◆ ◆
その力は実に魅力的であった。力を求めていたリーズにとってはまさにうってつけであり、救いのような誘惑。誰がその言葉を悪魔からの誘惑だと判断することができようか。少なくともリーズにはそれを判断するほどの冷静な頭は持ち得ていなかった。
提示された好条件にまんまと誘い出される。否、彼女からすれば自ら進んで協力者となった。
心の中を支配するのは『願いが叶う』という言葉ばかり。
(願いが叶えば私は……私は!)
お父様が私を見てくれる。
私のために刀を打ってくれる。
私を──
淡い希望の光が見えて、今まで抑制していた感情が胸を張り裂けそうなほどに溢れて返っていた。
この感情はただの家族愛。それ以上でもそれ以下でもない。
父親から愛というのを感じられなくなって、それでも昔のように求める心はあったのに我慢して、我慢しすぎて少し常軌を逸してしまっただけ。それ自体は全く不自然でもおかしな事などなく、もう一度昔みたいな家族に戻れたらいいと思っているだけ。
欲しいのは一家団欒と平凡な家庭。
だけど、それは途方もなく遠いものとなってしまって、取り戻すには並大抵のことでは出来なくなってしまった。
だったら、並大抵ではなくなればいい。
彼女はそう考え、父親に認められるべく騎士を目指した。
(叶う。叶う。叶うんだッ!)
取り戻せる。
あの日を!
戻ってくる。
あの時間が!
リーズは願いを叶えてくれるという人物にすがるように見た。
リーズと同じような目をしている人間は他にもたくさんいる。虚ろな目をしてどこを見ているのかさえも分からない人もいる。生きているのか、死んでいるのかも分からない人もいる。様々な人間がそこにひしめきあっていた。
「教授! 例のフレイムヘイズが逃げようとしていまふひはひひ(すいたいい)」
「焦るんじゃなぁーいですよー? 『我学の結晶エクセレント12934─不変の森』は絶対に絶望的に脱出不可能なんですからねぇ」
「元の世界と隔絶させて、絶対不変の森の構築によってどんなことをしても絶対に抜けることのできないのに、フレイムヘイズは馬鹿ですね。弱点は発動したら教授も外に逃げられないというおまぬなしよふひはひ!(ういたい!)」
「余計な事を言うんじゃないですよー?」
この狭く機械だらけでおそらくは研究所と思われるところに集まった数多くの人間が、全員がこの男を見ている。誰一人として怪しげな服装と口調に疑問をもつものがいない。そして、彼の言葉を理解しているものもいなかった。言葉すらも聞いていないかもしれない。
誰もが自分の想いにふけっていた。
ダンタリオンはそんな彼、彼女ら、もしくは人ではない動物を見渡す。
彼にとっては彼らの想いは今回の実験における重要な役割を担っていた。
「いぃーよいよっ! この時がやてきましたーっ! 契約時に感情の趣で契約後どんな自在法を扱うようになり、どんな力を持つようになるか、知る時がっ!」
「正確には契約時に『人としての全存在』のどういった物がどれほどの代償となって、その後にどう影響するかの実験でありますです」
「ふっふふーん。では、始めますよっ!」
ダンタリオンの悲鳴にも似た叫び声は人間の誰一人として聞こえていない。まさに彼に一人舞台であった。
だから、彼らにとって変化は突然起こったかのように感じた。
炎が揺らめいた。
その瞬間、一人が炎に包まれ、
「う、うわあああああああああ。な、なんだこの感覚はッ!?」
まずは一つ目の叫び声が上がった。
二つ目もそれに数瞬ほど遅れてやってくる。
三つ、四つ、五つと叫び声と炎を身体に包まれていくものが増えていく。
声だけを聞くならそこは地獄絵図のようにも見えたであろう。一人は叫びを上げて身体を疼くませて熱い熱いとぼやき、一人は訳も分からないまま自分の体を抱き恐怖に震えながらも体内を燃やされる。
他人が狂い荒れる姿を見てリーズは初めて意識を外へと向かした。
(え、何!? なんなのよ!?)
声を出すことが出来ない。
当然、彼女にとってはいきなりの出来事のように感じ、何が起きたかも分からず混乱し慌てふためくだけ。
状況から感じ取って分かったのは、今起きていることはこの世ではありえないことであること。そして、自分が誘われて訪れたこの場所は危険な場所であることだけだった。
逃げなきゃいけないという感情が発作的に起こるものの手足は自由に言うことは聞かない。驚きと恐怖のあまり身体は硬直してしまっていた。
(おかしいわよ、絶対。何が起きたっていう──あっ)
明るい灰色の炎がリーズの全身を覆った。
身体の内が燃やし尽くされ洗われていくの感覚がリーズを襲った。味わったことのないその感覚に戸惑いながらも身を委ねるしかない。
何も理解できず、何が起きているのかさっぱり分からない中で、リーズは声を聞いた。
自身の耳から聞こえた声ではない。頭というより自分という存在そのものに語りかけられらたような声。
『うんむ、絶対的な運命か』
鈍くしわがれた声。どこかすべてを諦めてしまったような声でもあった。
その声でリーズはようやく不可思議な感覚から解き放たれると、また違う感覚に襲われる。
「ち、力が溢れてくる? なに、これ。話は本当だったの? それに今の声って」
首を傾げながら自分の拳を握ったり開いたりする。
先程から続く理解不能な事態だったが、理解こそは未だ出来ないものの認識が追いつき始めていた。
これなら騎士にだってきっとなれる、そう思った時にまた声が聞こえた。
「契約者よ」
「だ、誰よ!? って、え、嘘。お母様からもらった耳飾りから声が聞こえる」
「説明をしている暇はない」
「だから、どういう……嘘!」
リーズが目を向けた先には惨事が広がっていた。
真っ黒に焦げている元が人だと分からないような死体。
誰かに腹を貫かれたかのようにポッカリと穴をあけている死体。
歓声が聞こえる。
人を殺して狂気に触れている人間とは思えない高笑いにも似た声が。
本当の地獄絵図と化していた。
「な、何が一体」
「普通的人間だったものが異能的力を手に入れんとしているのだ。今的にもまた新たに生まれようとしている」
菫色の炎が揺らめく場所を見る。
そしてさらに遠くには、怪しげな眼つきでこの有様を悠然と見やる人物がいた。
見間違うはずもない。リーズをこの場へと誘いだした張本人だった。
(あ、あいつらっ!)
逃げるというダンタリオンにリーズは黙っていない。
こんな状況を勝手気ままに作りだしておいて、一人で安全にお暇されるなんてもっての外だった。復讐をしたいという訳ではない、せめて場を収めてからいけと言いたかった。
全く見当外れな彼女の言い分だが、今の頭ではそのことを考えるので精一杯になっていた。
だから、自分の状況というのを疎かにしてしまっている。
「余所見している暇ではない」
声に引き戻され、遠くを見ていた目を近くへと向けたその先には、獰猛な表情をした血だらけの男が立っていた。
右手には人の頭を持ち、左手は胴体を持っている。
異様なんて言葉じゃ足りないほどの、恐怖が目の前に立っていた。
リーズを壊れた笑みをして見つめている。
心内から恐怖と焦りが湧き上がる。
これはやばいと警告音が鳴り響くが、身体がすくんでしまう。
耳からも何か声が聴こえるが何を言っているのか全く把握できない。
とにかく逃げなくちゃ殺される。
その思いに押し潰されてしまう。
恐怖の悲鳴さえも出せず、あ……あっと喘ぎ声しか出ない。
──一歩、血だらけの男が近づいた。
尻餅をつき立ち上がることが出来ない。
──また一歩近づいた。
足が言うことを聞かない。
匍匐前進のように、身体を強引に引きずりながら遠ざかろうと試みる。
だが、ここはスペースの限られた部屋の中。
すぐに逃げ場所がなくなり目の前には壁が──
「つ、か、ま、え、た」
──壁ではなくそれは男の二本の足だった。
「あ……」
リーズの心は今にも壊れそうだった。
もうダメだ。逃げられない。ここで終わりだ。
全て、何もかも、失ってしまう。
そう思うと最後に少しだけ、ほんの少しだけ楽になった。
「く、くししし。あーあ、ダメだったなぁ、本当に……お父様、ごめんなさい」
最後に出た言葉は彼女らしくない懺悔の言葉。
目を瞑る。
それは静かに死を待つ全身に力を全く入れていない謙虚な姿勢だった。
が、その時、
(嘘、身体浮いて……る?)
リーズの身体が飛ばされそうになるほどのとてつもない強風が吹き荒れた。
吹き飛ばされそうになったがリーズは飛ばされずに何者かに支えられる。
するとリーズの周囲だけ風がなくなった。
「教授のことだろうから宝具の一つでも持ってるだろうと思ったら、見つけちゃったよ。どうしよう」
「モウカが言ったんじゃない。あのままじゃキリがないからとりあえず元凶探すって。どうするの?」
「え、ええと、貴方達は?」
リーズの身体を抱くように支えている青いローブの男(?)に恐々と尋ねた。
しかし、リーズの問いは思わぬ所から答えが出る。
「同業者のようだ」
「え?」
耳飾りから聞こえる声に再び慌てふためくが、そんな彼女をよそに青いローブの男は律儀に彼女の問いに答えた。
「ん、ああ、俺ね。``晴嵐の根``ウェパルの契約者『不朽の逃げ手』モウカ、フレイムヘイズだよ。よろしくね、新人さん……でいいのかな?」
少しおどおどした、それでもどこか誇らしげに彼はそう名乗った。