視界は相変わらず見えないが、何かに包み込まれている感覚が分かる。これだけで十分に自分が死んでいないことを自覚できた。もしかしたらこれすらも幻想で、現実離れした体験であり、実は天国への導きなのかもしれない。
どのみち経験した事のないような感覚。判断のしようがない。
温かい炎に包まれたような感覚? 実際に包まれたことはないが。炎に包まれるなんて激情でとてもじゃないが普通の人なら耐えうるものじゃない。
なら温水? まるで日差しに暖められた海に沈んでいる心地よい感覚だろうか。こっちのほうが現実味がある。
──ねぇ、生きたい?
この声を聞くのは何度目だろう。さっきから頭の中に聞こえてくるこの声は一体何なのだろう。
ただ一つ出来ることは、その問いに答えることだけ。
──生きたい? まだ生きたい? どうしようもなく生きたい?
──生きたい! 俺はまだ生きたい! まだこの世界に未練がある! やりたいことがある! やってみたいことがある! だからまだ……俺は死にたくない!
心の底からの、それこそ俺の中にある本能のような根本的なところからの願い。
生きる。
別に長生きじゃなくてもいいが、少なくとも普通に生きて、普通に死ぬぐらいの人生は送りたい。
一度目の死は不慮の事故。
あんな死に方なんて嫌だ。理不尽極まりないじゃないか。俺が何か悪い事をしたのか? いいやしていない。ただ普通にバイクに乗って普通に法律を守って、丁寧に生きていた。
それを一瞬で、情け容赦なく俺の命を捥ぎ取るなんて……死んでいくなんて嫌だ。
二度目は殺された。
自身の人生の不条理に泣いた青年が。せっかくの普通が手に入る直前で壊れてしまった、壊してしまった青年が。その原因たる俺を屋上から突き落とし、俺を殺した。
なんだよそれ。俺が一番不条理じゃん。勝手に巻き込んで、勝手に殺して。そんなの……誰も救われないじゃないか。
俺を殺した青年(犯人)は、この後に人を殺した罪を問われることになるだろう。自身の人生を棒に振るだろう。俺に限ってはすでに亡き命。そもそも救われていない。俺の母さんや父さんにしたって、青年の家族や友達にしたって……救いが遠すぎるじゃないか。
三度目は謎の死。
わけが分からなかった。その一言の尽きる。
何故に時代をトリップして慣れない環境で生きていかなくちゃいけなくなるし。身体は小さくなって、今になってようやく前と同じ年齢の19歳になったばっかしだし。
それでもようやく、色々とけりをつけたのに、今は謎の死を迎えようとするなんて。
どちらにしろ、俺の今いるこの場所は、ローマ帝国の最後の残りかすである東ローマ帝国。まもなく滅ばされるから死ぬ可能性はあったにしろ、もう少し長生きしたかった。
だからといって、謎の死なんて洒落にならないが。
もう理不尽に殺されるのも謎の死を遂げるなんてのも懲り懲りだ。
俺は普通に死にたい。死なないに越したことはないが、それでも死ぬというのなら普通の死を迎えさせてくれ。いや、どうせ最後なら我侭に自我を通そうじゃないか普通に生きるためにも、俺はまだ死にたくない! と。
身勝手だけど当たり前の願いだ。
──なら契約成立よね
その瞬間だった。身を包んでいた(海水のような)炎が、身の内へと入ってくる。中に入っていたはずの何かが、洗い流されていく感覚がする。それは人として何か大切なもので、人というのに決定的なもののように感じるが、それを感じたときには綺麗さっぱり洗い流された後だった。
その後、そこから溢れるように出て来たのは今まで感じた事のないもの。もしかしたら、人はこれを力と呼ぶのかもしれない。
「よろしくね。私は``青嵐の根``ウェパル。``紅世の徒``にして、大きな力を持つ``王``よ」
今度は頭の中に響くのではなく、耳から聞こえてきた。その音の元は、この村の住民である事を表す無骨な首飾りからであり。その無骨な首飾りには似つかわしくないような、鈍く青く光る球がついていた。
光る球の名を神器『エティア』と言い、私との意思疎通の道具だとウェパルが説明した。
俺はとっさに思った。
これはもしかしたら悪魔と契約してしまったのかもしれない、と。
でもまあ、それはそれで貴重な体験。生きているという事を実感した瞬間でもあった。
◆ ◆ ◆
西暦約1400年。約というのは、詳しい日時が現代的に考えていまいち分からなかったから。でも、ウェルと契約して、その後比較的すぐに東ローマ帝国の繁栄が終わったのだから大体そんなもんだろうと予想した。
三度目の生き返りにしてついに、俺は人間じゃなくなった。
「そもそも、二度目の生き返りの時点で人じゃないよ? 普通は過去の世界に来るなんてありえないし」
「でも、人の形をしてたから問題ない」
「なら人の形というだけなら今もそうじゃないかな?」
「変な力を今までは持たなかったから人ではあった、なら合ってる」
「それも怪しいかな。もしかしたらその変な力、存在の力を昔から人としてはおかしいほどに持っていて、過去に行っちゃったとかも。実はミステスだったとか」
ミステス。宝具を身の内に蔵したトーチのことであり、トーチとは``紅世の徒``が人間から存在の力を絞りとり、その存在を無くしたことによる世界の歪みを軽減するための人間の代替物。
フレイムヘイズとしての基礎知識の一つだそうだ。
トーチのあるところに``紅世の徒``あり。それを見つけて討つというのは、基本的な討滅の方法らしい。
俺には関係ないが。
「それを言い出したらきりがなくない?」
「それもそうか。そんなのはどうでもいいことなんだよね? モウカからしたら」
「生きていれば十分」
「……まあこの世界で生きていくのにも、それなりに大変だと思うけど」
「その為にも色々と教えて欲しいな」
「手っ取り早いのは自身を磨いて、素の力を上げることだけど。私の特性を鑑みるに自在師の方がいいかもね」
人と``紅世の王``とが契約することによって成り立つ『フレイムヘイズ』へとなった。この世に存在する根源的なエネルギーである、存在の力という異能の力の源を操り、寿命だけで考えれば不老不死に近い元人間。
それがフレイムヘイズ。
しかし、最も当てはまる意味は復讐者としての一面。
『フレイムヘイズになる人の大抵は、``紅世の徒``に自身や親しい人を殺された人たちが多いの。つまり、やられた``紅世の徒``に復讐する為にフレイムヘイズになる。たまに、それとは違う目的の人もいるけど、ほとんどが大抵これに当てはまる。だからフレイムヘイズは復讐者。さあ、貴方は貴方をこんな風にしたあの``徒``をどうしたい? やっぱり復讐したい?』
契約したばかりの頃、まだ俺の名前をウェルに教える前の話であり、ようやく自分の状況が分かり始めたときに聞いた言葉。
この言葉を聞くと、どこからか沸々と暗い何かが、もしくは熱い何かが湧き上がるのを感じた。だが、あえてその感覚を無視する。
『いいや』
『……』
『復讐なんて崇高な真似は俺には出来ない』
復讐を実行できる人はすごい、と本気で思ったことがある。崇高なという言葉はそんな事を思ったことがあるから出た言葉だ。
俺はただ生きていく事だけにも必死なのに、復讐だの恨みだので他の事に気をとられながら生きていくのはすごい。復讐をすれば自分も恨まれることになるのを知っていながら、出来るのがすごいことだと他人行儀に思う。
復讐は復讐を呼ぶというけれど、それは確かに人の強さでもあると思った。同時に弱さでもあるとちょっとカッコイイなと思いながら愚考した。
だけど、俺には到底出来ない。やはり、普通に生きていくにはそんなもの必要ない。まして、復讐なんて現代チックじゃないし、漫画やドラマの世界だろうと考えてしまう。
『そんなことないよ。私が力を貸すし、あの程度の``徒``なんてこの小規模な人を喰ったって力は変わらない。むしろ、逆効果。阿呆らしい行為。今の貴方なら十分に復讐できるよ』
『それでも、だよ』
『そう、なら別にいいよ。私が貴方を選んだのだし。それで、じゃあどうするの? このままじゃまた襲われるよ?』
『そっか、なら……』
──逃げちゃえ
これが『不朽の逃げ手』の一回目の逃避行だった。
「逃げるための自在法とかは?」
「いいと思うよ。そういうのって意外と応用きいたりするしね」
「あとは逃げ足を早くする為に鍛錬、かな?」
「結局そこに繋がるんだ……でも、いいと思うよ。結局最後に頼れるのは存在の力のような不思議な力より素の自分だろうからね」
これからの方針が決まった。
普通に生きるためには、まずその基盤を作るために自身が強くなる。どんな理不尽(徒との戦い)に遭っても、生きられる強さを、跳ね返す力を手に入れる。
全てはまずそこからだ。
と、都合よく修行イベントをこなし、よっしゃー! これで平和に生きれるぜ! 何て事になればよかったのに。心底そう思ったのに、事態はそうも行かないらしい。
フレイムヘイズになって一ヶ月ほど。長生きすればきっと一ヶ月なんて単位は小さく感じる様になるのだろうけど、今の俺には十分に長い時。
この一ヶ月でやってきた事といえば、緻密な自在式を計算したり編み込んだり、自在法を自由に使えるようになるためにそこらじゅうを駆け回ったり。人間だった時よりも愉快爽快に走れるので、思わず気持ちが高ぶったりもする。
特に雨の日はすこぶる調子がいい。これはおそらくウェルの特性から来るものだと思われる。
しかし、世の中物騒だ。盗賊が出るのはあたりまえ(しかし、盗賊が貴重な資金源だった)、それ以上に、食べ物や衣服を求め町に出ると、最近都市伝説をよく聞く。雨の日に笑いながら駆ける悪魔がいるとのことだ。悪魔ってもしかして``徒``じゃないだろうな。
もしそうなら、俺は早急にこの町を離れたい。
多少の徒なら打ち倒せるとウェルは言うけれど、やはりなるべくなら戦闘は避けたい。それでも避けられない戦いというのはここ数日よく起きている。
でも、大体そのときは頑張って習得したウェル特有の自在法『嵐の夜』を使って撹乱の後、戦闘区域から脱出というのを繰り返している。
『嵐の夜』は、その名の通り空間に雨嵐を引き起こすことによって、存在の力の在り処自体を闇に紛れ込ます自在法。これを応用すれば奇襲なんて真似もできるだろうが、それをするぐらいなら逃げる。尻尾を巻いて逃げる。
もし、奇襲して何らかの攻撃察知能力なんて持ってたら危ないじゃないか。そんな事を考え出せば、いくらだって思い浮かんでしまうのは仕方ない事だけれども、しかし保身的な日本人な俺はどうしても考えてしまう。
そんなわけで、何度も徒をやり過ごしての一ヶ月だった。使える様になった自在法は『嵐の夜』と他一点のみ。あとは存在の力をある程度自由に使えるようになった程度。とてもじゃないが巨大な力を持つ王と戦えるような力じゃないと思う。
ああ、早く平和に生きれるような力が欲しい。
にしても、あの徒は変に語尾を延ばしてよく分からない言葉を放ちながら近づかないで欲しい。今のところは逃げれてるけど段々追い詰められている気がするし。
◆
最近、``紅世の徒``はあるフレイムヘイズの噂で持ちきりになっている。正確には、``紅世の徒``の巨大組織である``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``と``仮装舞踏会(バル・マスケ)``の組織の中の一部の``徒``が、である。
この二つの組織はかなりの数の``紅世の徒``を管理、もしくは臣下に置いている為、自然にここからでた噂話はこの世に来ている徒の話題となっていく。
そして、その噂とはあの教授にストーカーされている悲劇の新人フレイムヘイズの話だった。
『若いのにかわいそうに』
『あの教授から未だに逃げられてるってすごいよな』
そんな会話がそこらから聞こえてくる。
その新人フレイムヘイズに他の徒が近づかないのは、教授が彼を着け狙っているからだ。あれに関わらずに済むなら関わりたくない。これは、フレイムヘイズにしろ``紅世の徒``にしろ、大半の考えだったりする。
さて、ここで注目されるのは教授が何故彼を狙っているかだ。
新人といえどもフレイムヘイズ。``徒``の中にはその理由だけで襲うような輩もいるが、当然彼はそんな理由程度では動かない。むしろ、そんなんで教授が動いていたらこの世界のフレイムヘイズの大半はとうに消えてしまっているだろう。
それほどまでに教授は強く、そしてあらゆる意味で鬼畜だった。
だが、その噂もある程度の時が経てば自然と消えていった。彼らはその謎めいた行動の議論をしたが結果として、あの教授の事だから考えても無駄という結論に至ったのだ。
当の教授はと言うと、興味の対象だからという理由に過ぎない。しかし、その興味の対象はフレイムヘイズの彼にあらず、``紅世の王``である``青嵐の根``ウェパルにあった。
ウェパルの王としての特性の一つである``宝具探し``を利用できないかと考えていたのだ。徒が用いる宝具には何かと面白い能力が多い。また、とある機関に頼まれているあの宝具を探すのにも適している。
後者は完全に教授にとってはおまけのようなものだが、前者は完全に興味の対象に当てはまる。だが、着け狙われているのがあの教授というのは、別の意味で救いでもあった。
これがフレイムヘイズに固執するような``徒``なら追い返すことも無駄な事となってしまう。
教授は他に興味のあるモノが見つかれば、すぐにそちらへと気の向くままに移り行く存在。全ては己が欲望のままに。ダンタリオンが故に追いかけられたのは不幸であったが、ダンタリオンが故に幸いにもしつこく追い掛け回される事はなかったのである。
それは幸運な事なのか?
否、そもそも教授に一時的にとはいえ、直接的に遭わずに済んだ事とはいえ、彼と出くわした事自体がある種の災厄とも言える。なので、決して幸運な事ではなかった。だが、同時にその新人のフレイムヘイズは貴重な経験と自らの自在法の実験ができたのは、不幸中の幸いとも言えるのかもしれない。
結局、彼にして彼女の二人で一人のフレイムヘイズは、一週間狙われた後、ようやく開放される事となった。
その理由は彼がとある計画をふと思いついたからである。
この後大きな戦となる原因の一つであるとある自在式の発明。
真に教授はフレイムヘイズにとっても``紅世の徒``にとっても迷惑極まりない存在であった。