日の本における刀とは、一種の芸術品と言ってもなんら遜色の無い日本刀を指す。日本刀は人を斬るためだけに作られた武器であり、その切れ味は脆さを引き換えにして世界でも最高峰。まさに人を殺すためだけに生まれた道具だった。
刀に誇りを持って振りかざす者を武士と言えば、魂を込めて刀を打つものを刀匠と言う。武士は刀を扱う者で、刀匠は刀を作るもの。この関係は揺るがないもので、これこそが理想的な関係だった。
本来であれば刀匠が刀自体を振りかざし、人を殺すことなどはしない。狂気に触れない限りは。
筑前の国は全国で幾つかある鍛冶町の一つがあった。
鍛冶町には大量の鍛冶屋が寄り集まり、お互いに切磋琢磨して名刀を作ろうと、日々鉄の打つ音が鳴り止むことがない。
とある鍛冶屋もその例に漏れなかった。
◆ ◆ ◆
土佐は四つの国が集まる四国の一つ。南部に位置し、四国の中では最も大きい領地がある。東西南北を海に囲まれた島でもあり、西には九つの国、北と東には日の本で最も大きい島である本州が広がっている。
花の京都、将軍のお膝元である江戸などに比べると、どうしようもなく活気が少なくはあるが、四季彩豊かな森や、綺麗な海はこの土地が十分に素晴らしいところであることを教えてくれる。
その土佐の国にとても似つかわしくない男が居た。
髭を生やし、浅くない傷が多くある時代遅れの西洋甲冑を着けた男。彼は自らの傷がついた甲冑に自身が騎士であることの誇りを持ち、戦いには我先にと馳せんじる騎士道が刻み込まれている。知らぬ者でも、一目見ただけで彼のことを歴戦の勇士であると分かるだろう。そう感じさせる重みもあった。
「カール」
艶っぽい女性の声でカールと呼ばれた男は無愛想に問い返す。
「なんだ、ウートレンニャヤ」
カールは傍目から見れば独り言をしゃべっているようにしか見えない。
しかし、カールの声には彼以外のウートレンニャヤと言われた異性の声が返事を返す。
「なんだって、こんな辺境の地に来たの?」
「そうそう。全然面白いものなんて無いじゃない。つまらない」
今度はウートレンニャヤに続いて、意気消沈しているような少女の声が聞こえる。
普段ならはしゃいでいるように明るく聞こえるはずの声に、カールは疑問を抱きつつも、ウートレンニャヤの問いに答えた。
「最近つまらないと思わないか? ヴェチェールニャヤ」
「つまらない。すごくつまらないわよー」
神器『ゾリャー』から発するヴェチェールニャヤの少女の声は、不満気なのを隠そうともせずにカールの言葉に直ぐに反応した。
その言葉にカールは、そうだろとどこか得意げに頷き返す。その傲慢にも見える動作がやけに堂に入って、彼の為人を見事に表しているかのようだった。
それも当然のことだった。
実際に彼は歴戦の勇士であり、神速を得意とする『極光の射手』カール・ベルワイドと言われればフレイムヘイズと``紅世の徒``の中で知らぬものがいないほどの強者の一人。``紅世の徒``の撃破数だけを見れば、かの有名な『炎髪灼眼の討ち手』や『万条の仕手』を上回るほどの打ち手である。
まして、かつては欧州最強とまで呼ばれた『炎髪灼眼の討ち手』が消え、その相方の『万条の仕手』が行方不明の今、彼は己が欧州最強と呼ばれても何ら不思議ではないと自負している。この自負は決して自信過剰なものではない。大戦での戦果も考えれば至極当然とも言えるもの。
だから、そんな彼が多少は鼻が高くなっていても可笑しくはなかった。
むしろ、典型的なフレイムヘイズとしてこれが普通のフレイムヘイズの姿とも言える。
「そうだ。俺たちに敵う``紅世の徒``はそうはいない」
「全然見ないよね」
「私たち強いからねー!」
圧倒的速度を誇る鏃型の神器『ゾリャー』に乗っての高速戦闘をし、極光の翼を築き、攻守ともに優れている自在法『グリペンの砲』と「ドラケンの哮』の連続攻撃を必殺戦法とすれば、``紅世の徒``は逃げることは叶わず『極光の射手』の贄となる。
この二つの自在法の前には多くの``紅世の徒``の屍が築きあげられてきた。その中には、``紅世の徒``の一大組織であった``とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)``が九蓋天秤の将もある。
彼の戦い方は攻撃が最大の防御を地で行く自在法と共に空を駆けるもの。元来、そのような猪突猛進な戦い方では、いくら強いと言ってもいくら命があっても足りないものなのだが、カールの実力はそんな世間一般論を軽く覆す程に圧倒的だった。
『極光の射手』が自分自身を強いと称しても、誰もそれを否ということができない。自他共に認める強さ。
そこまでの強さを持っていれば、敵は畏怖するものだ。
彼が縄張りとしている欧州では、彼の名はあまりにも広まりすぎ、弱小の``紅世の徒``は名を聞いただけで怯え、強力な``紅世の徒``は無傷で済まない戦いを避けようとする。
その結果、戦いを愛してやまないこの男にとって欧州はつまらない場所となり得た。
戦いを望んでいるのに戦えずにいる。
(俺の強さが招いちまったものはしょうがないが、戦えないのはちっとばっかしつまらない)
自分を避ける``紅世の徒``に舌打ちしながらそう思った。
罪深きは俺の強さか。
高慢とも取れる考えの元でカールは思考する。
カールが求めるのは血沸き肉踊る戦いではなく、``紅世の徒``の一方的な虐殺。カールが自分の全てを``王``に捧げる前、フレイムヘイズとなる切っ掛けになったのはやはり復讐心からである。
人間であった時は、自慢の万人に好かれる顔で幾多の女性を公司として誑かしていたが、一人の女性と出会うとカールの心は変わった。
カールにとって愛しの女性。
(強く、美しく。彼女の奏でた自在法もまた芸術であったな)
カールが生まれて初めて愛した女性は、人間ではなくフレイムヘイズと呼ばれる異能力者。カールの持っていない力で``紅世の徒``をも魅了するその力強い存在にカールは惚れたのであった。
ありとあらゆる感情をすっ飛ばして、稲妻が走ったかのようにカールはそのフレイムヘイズとの恋に目覚めた。
どんな縁からだったのか、カールはそのフレイムヘイズの女性とそれとなく近づくことが出来るようになる。少しずつ、少しずつ、牛歩の歩みではあったが確実にカールとフレイムヘイズの距離は縮んでいった。
一定の距離感になると、彼女はカールに``この世の本当のこと``を話した。それを話すに値するほど、彼と彼女の距離が縮まったということの証明。
フレイムヘイズと人間では生きる時間が違うこと、生きる世界そのものが違うことをフレイムヘイズは優しくカールへと諭す。カールはその言葉の一つ一つに頷きながらも、それでも彼女と共に短い時間を過ごすことを告白する。
フレイムヘイズはそのカールの告白に驚きこそはしなかったが、何度もそれでいいのかと尋ね、カールは尋ねられるごと真摯に返した。
この一時、その一時がこの二人にとって幸せな時間であったのは間違いなく、復讐者であるフレイムヘイズもすっかり争いということを忘れそうになってしまうほどの、ほろ甘い時間だった。
だったのだが、
(そうだ。忘れてはいけない。アイツらが彼女を殺したということを)
フレイムヘイズが``紅世の徒``を殺すのも摂理であれば、その逆もまた摂理だった。
自在師とまで謳われたフレイムヘイズは``紅世の徒``の前に散る。
カールという片割れを残して。
``この世の本当のこと``を知っているカールが黙っていられるだろうか。そんな理不尽な現実に。残酷な結末に。
ありえない。
彼は強烈なまでに抱く。
殺意を。
この世界に限らず、この世の歩いていけない隣にまで届くほどの殺意を。
そうして、また一人``紅世の王``と契約したフレイムヘイズ──復讐者が生まれた。
「極東なんかに来たのは、カールを知らない``紅世の徒``を殺すためね」
「また楽しい日常が私たちを待ってる……愉しみねー!」
「おう! 実に楽しみだ」
この身を``紅世の徒``の返り血で染めてやる。
カールは内心で舌なめずりをした。
◆ ◆ ◆
──人が魅せられるのはフレイムヘイズの奏でるその力だけではない。
元人間だったフレイムヘイズに、自分も彼らのように強く成れたら、そう思って拳を強く握りしめた者も居ただろう。
強さとは一つの魅力であることは、古今東西変わらぬ事実。強さがあれば、大切な人を守ることができるかもしれない。強さがあれば、それに魅せられた人物が自分に寄ってくるかもしれない。これらの幻想はとどまる事はない。
幾つも思い浮かんで羨望しては、結局は叶わぬ夢であることを悟り、後悔をするのは眼に見えているとというのに。
人とは夢をみる生き物である。それは愚かなことではなく、夢をみることはある意味では幸せなことかもしれない。目覚めてしまう夢だったとしてもだ。
しかし、中には夢から目覚めることをよしとせず、後悔をしても諦めない者もいるのもまた事実だった。
──人が魅せられるのはフレイムヘイズだけではない。
彼らと同様に存在の力を自由自在に操り、自らの夢を我侭に叶えようとする輩も存在する。
フレイムヘイズとは基本的に敵対関係にある``紅世の徒``である。
その刀匠は``紅世の徒``を偶然目にした。
その強さを目にしてしまった。
彼らの強さは、``この世の本当のこと``を知らない人間にとっては幻想的な世界だ。自在法という不可思議な現象は魔法のように見え、なんでも出来るのではないかという妄想をさせる。妄想はいずれ憧れへと変化し、過ちを犯すことも少なからずあった。
刀匠の場合は憧れではなかったが彼らの強さには見事に魅せられた。
(あのような強き者にこそ我が刀を使って欲しい)
職人として、自分の作品をそれに見合う人に扱って欲しいというのは正当の願望だ。
刀匠と言う武器を取り扱う職人にとっては、それが最も強いもの、最も上手く扱えるものこそに使って欲しいという欲望になる。
そして、彼は知ってしまったのだ。
本来であれば、その扱う者は人間で十分だったのに、それを凌駕する存在が居ることを。不幸にも知ってしまった。
一心不乱に彼は刀を打つ。
最高の刀を、最強の刀を。
いつしかそれを作るのに興味を持った彼らの一人が近づき、協力を申し出た。
勿論、断ることなどするはず無く、その``紅世の王``を相槌に刀を打つ日々は続く。
やがて彼の元に一つの宝具が完成する。
``紅世の王``は契約通り、その宝具が完成したと同時に刀匠を、隻眼鬼面を付けた人ではない``ミステス``へと変化させた。
これは刀匠は望んだのだ。自らが、この作った刀『贄殿紗那』に相応しい人物を見極めると。
こうして生まれた``ミステス``はその立会人となった``紅世の王``自らが日の本の神を用いてこう呼んだ。
──``天目一個``と
``天目一個``が求めるは強者。
最初は兎に角、誰彼構わず襲ったが後に気付く。やはり人間では己の武器を渡すに値しないと。
そうして彼は見つけた。一人の甲冑を付けた他を圧倒する存在を。
◆ ◆ ◆
「ここらで不可思議なことは起きてないか?」
カールの姿に村人は訝しながらも、そういえばこんな噂を聞いたことがありますと恐々としながら答えた。
(人を斬る鎧武者ね)
果たしてそれは``紅世の徒``による犯行なのかを検討する。
怪しいといえばこれ以上なく怪しい噂ではあるが、この国の普通というのを知らないカールにはこの噂の異常性を見極めきれない。もっと極端な不可思議現象、人が誰もいない村が存在するなどがあれば確定的で、文化の知らない国でも``紅世の徒``による犯行と断言できるものを、と苦笑。
とはいえ、他に有力な情報も無く、周囲に``紅世の徒``やフレイムヘイズの気配すらもないので、この噂を頼りにするしかないと判断し、行動しようとしたその時。
「わざわざ向こうからの出迎えとはね。恐れ入るな」
隻眼鬼面の鎧武者が音も無くいきなり木の影より現れた。
周囲に``紅世の徒``の気配がないかどうかを調べたばかりだというのに、そんなのを無意味だと言わんばかりの登場だった。
雰囲気は人間とは程遠く、鎧武者が常のモノではないことを表している。
「カール、こいつは``紅世の徒``じゃないね」
「でも、フレイムヘイズでもないわよー!?」
「確かにそのようだ。が、しかし」
「私たちには関係ない」
「``紅世の徒``じゃないって言うなら、こんな雑魚には付き合ってられないわよ!」
「気配すら『感じられない』雑魚には俺にとっても用なしだな」
それは完全なる油断だった。
普通の手段では倒せないと気付いた時には時すでに遅く、警戒心を最大にし、己の最強の自在法を用いたものの鎧武者は一本の刀で平然と振り払い、そのまま……
◆ ◆ ◆
カールの失踪から一年の間、鎧武者は己の欲望を満たすものを見つけられずにいた。
僅かな可能性の元、人間にも手を出したりもするが、全くもって話しにならず。むしろ、ますます強者への想いは強くなっていく一方であった。
そんな時だった。
一つの巨大な存在の力の気配を察知したのは。それも自ら``天目一個``の方へと向かってきているではないか。
``天目一個``はこれ幸いとこの巨大な存在の力の主へと力を試すことを決行する。
忍び寄るわけでもないのに、静かに素早く、目標へと近づいていく。
そして``天目一個``は旅人風の青いローブを着た軽装の男に『贄殿紗那』を振りかざす。